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フランスも庭シーズン! ショーモンシュルロワール城・国際ガーデンフェスティバル〜前編〜【フランス庭便…
アートと自然が出合うロワールの古城、ショーモンシュルロワール城 15世紀以来の歴史をもつフランス王家に縁の深いショーモンシュルロワール城に、現在に続く英国風の庭園が作られたのは19世紀になってから。この城の面白いところは、歴史的であるばかりでなく、現代においてもどんどん進化している点です。 城館は現代アートセンターとなって、若手や国際的な巨匠の作品制作や展示の場になり、庭園にも数多くの一流の現代アートのインスタレーション作品が設置されます。 また、毎年春から秋にかけての約7カ月にわたり、フランス最大規模のガーデンフェスティバルが開催されるなど、アートと自然を結ぶクリエイティブな活動が常に注目される、非常に魅力的な場所なのです。 30周年を迎えた老舗国際ガーデンフェスティバル 今年で30周年を迎える、ショーモンシュルロワール城の国際ガーデンフェスティバルは、多い年には約53万人もの入場者を集める人気のガーデンショーです。毎年異なるテーマに沿って公募された、300件を超える応募作品の中から選ばれた二十数個の庭デザインが、それぞれ約200㎡強の区画のショーガーデンとして作庭・展示されます。 城の庭園の一角に位置するショー会場は、敷地の庭園や森林とシームレスにつながっており、自然な雰囲気の中でのどかな散策を楽しみつつ、ショーガーデンの見学ができるのも大きな魅力です。 若手庭園デザイナーの登竜門 応募書類は匿名で審査されます。フランスでは若手の庭園デザイナーの登竜門として定評あるガーデンショーで、また庭園デザイナーや造園家ばかりでなく、アーティストや建築家など他分野のクリエーターたちとの混合チームでの作品なども多く見られるなど、開かれた雰囲気のショーでもあります。 今年の出展者の顔ぶれは、フランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、オランダ、イタリア、チェコ、スロバキアのほか米国からも。コロナ禍以前には毎年、日本や中国、韓国などアジアからの出展もありました。ヨーロッパ地域が多いながらも国際色豊かです。 出来上がったガーデンデザインには、さらなる審査があり、全体的なクリエイションのクオリティ、アイデアの斬新さ、植栽のハーモニーなど、さまざまな基準で選ばれるいくつかの賞が用意されており、授賞式は6月に行われます。 国際的な著名造園家の招聘 また、30周年という節目の年ゆえ、ショーガーデンにカルト・ヴェールと名付けられた自由裁量の招聘枠が加えられ、キャスリーン・グスタフソンやジャクリーヌ・オスティといった、国際的な大御所ランドスケープ・アーキテクトがデザインした小さな庭が見られるのも、今年の面白いところです。 今年のテーマは「理想の庭」 さて、毎年異なるフェスティバルのテーマは、時代のトレンドを反映したものが多いように思われます。30周年を迎える今年のテーマは、ズバリ「理想の庭」。 都市化がこれ以上ないほど進み、地球温暖化が目前の問題となっている現在、人と自然の関係性から見た「理想の庭」とはどんなものなのか? 癒やしの空間、または安心安全な野菜や果物を育てるポタジェ、あるいはアートと同じような価値を持つ空間かもしれない? 「理想の庭」からインスパイアされる、新たな演出方法や素材や技術を用いて表現する庭とはどんなものだろうか? みなさんなら、どんな庭を想像しますか? 季節を追って変化する植栽デザイン さて、このガーデンショーの大きな特徴は、長期にわたる開催であること。春から晩秋にかけて約7カ月にわたって開催されるため、ロンドンのチェルシーガーデンショーなど、数日間の開催期間中に最高に完成された姿のガーデンを演出するガーデンショーとは異なり、季節の変化に合わせて、成長し変化する植栽を工夫しなければなりません。 春先と盛夏、または晩秋では、同じショーガーデンでも植栽次第でその表情が大きく変わっていくのも面白いところです。訪れる園芸愛好家にとっては、変化していく植物の姿をそのまま見られるので、自宅の庭づくりの参考にしやすいという利点もありそうです。ちなみに園内のガーデニング関連のショップでは、植物の種子や苗を購入することもできます。 見学を充実させる豊かなアメニティ このように、ガーデンショーの展示をゆっくり眺めるだけでも軽く半日は楽しめますが、隣接するイギリス式庭園や、城や旧厩舎の展示、ポタジェ、クレマチスなどのプランツコレクション、さらには隣接するグアルプ公園の異文化からインスパイアされたさまざまなガーデン……などなど、全部を見て回ろうとしたら、一日では足りないほど。幸い素敵なレストランやカフェも充実しており、丸一日、大満足で過ごすことができます。 敷地内のほかのガーデンについても、また次の機会にご紹介できたらと思います。 ●ショーモンシュルロワール城・国際ガーデンフェスティバル(後編)は近日公開!
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フランス
フランスの城で春のガーデニングフェア開催! ポタジェにも注目の「サン=ジャン=ド=ボールギャール城」【…
専門ナーサリーが一堂に集まる貴重な機会 年2回、春夏の週末に城の庭園内で開催されるこのガーデニングフェアには、フランス内外の各種ナーサリーや園芸ツールなどを扱う200を超える専門店が出展します。タイミングによって花の咲く様子が見られる草花もあれば、そうでないものもありますが、出展ナーサリーの扱う植物は安定的に質が高く、信頼して買い物ができると園芸愛好家の人々に好評。 特に、各地に散らばっているナーサリーをそれぞれ訪ねるのは園芸ファンといえどもなかなか大変。また、バラに限らず、シャクヤクやアジサイ、アイリス、アリウム、ダリアあるいはハーブ類、果樹類や紅葉する樹木類など、さまざまな異なる得意分野を持った地方の専門ナーサリーが一堂に集まるガーデニングフェアは、その場での買い物はもちろん、気になった植物やナーサリーをメモして後日の注文にも生かせる、貴重な機会となっています。 リラックスした心地よい雰囲気が魅力 また、このガーデニングフェアの魅力は、なんといっても会場が城の庭園の中であること。ゆったりとした木々や草地といった緑に囲まれた中でのガーデニングフェアは、そぞろ歩きをしているだけでもエネルギーチャージができる場所。自分の庭の一角に置いた時の雰囲気を容易に想像できるガーデンツールの展示など、見ているだけでも楽しいものです。 春のガーデニングショーの注目株は? 今の時期、バラやシャクヤクは、展示用に早く咲くようにハウスで栽培されたもの以外は、基本的にはようやく葉っぱが出始めているところ。でも春からのガーデニングの仕事始めに、早速定植することができるので、苗木選びもリアリティがあって楽しいものです。ハーブ類の栽培もこれからがベストタイミングですし、ダリアの球根なども、夏に向かってこれからが植えどきです。逆に秋のフェアでは春球根が主になるなど、季節によって品揃えは変わりますが、それは季節感の味わいでもあります。 ちょっと休憩、ランチどころは? ガーデニングフェアといえば、フード・トラックやレストランも欠かせません。いつもは青空レストランが城の敷地の裏側に設置されるのですが、今年は悪天候の日もあったため、レストランスペースはテントの中に。しかし、通常もっともよく見られるのが、サンドイッチなどをフードトラックで購入し、あるいは自宅からランチを持参して、城館の正面の絶景を眺めながら食べたり、ポタジェ(菜園)でピクニックをする人々の姿です。この、人気のピクニック・スペースにもなっているポタジェのほうも覗いてみましょう。 17世紀のデザインを伝える、花咲く歴史的ポタジェ ガーデニングフェアの絶好のランチスペースにもなっているポタジェ。じつは17世紀のフォーマルガーデンスタイルの姿を今日に伝える、貴重な歴史的庭園でもあります。 かつては城内に暮らす数十名の人々の自給自足のための野菜・果物、そして花々を栽培する場であったこのポタジェ、現在は、昔野菜などの一般的には栽培されなくなった希少種を中心とした野菜や、季節を通じて次々と入れ替わり咲き乱れる花々が栽培され、「花咲くポタジェ」として愛され続けています。 こうした、実用(野菜果樹栽培)とオーナメンタル(花々)がバランスよく組み合わされた姿は、まさにフランスのポタジェガーデンの魅力といっていいでしょう。 クレマチスやバラが這う石壁に囲われた約2ヘクタールほどの面積の中央部分が、フランスの昔ながらの野菜など、希少種を栽培する野菜畑。真ん中の丸い池の水は、ポタジェの散水にも利用されます。 中央の野菜畑は、リンゴや洋ナシといったエスパリエ仕立ての果樹で区切られ、また春先のチューリップやスイセンに始まり、アリウムやシャクヤクやバラ、アイリス、と季節を追って次々と入れ替わり、3月から11月までさまざまな花が咲き乱れるボーダーに囲まれています。庭園内とポタジェを合わせて、全体で10万球もの球根が植えられているのだそう。 緑が瑞々しい果樹園コーナーと珍しいブドウの温室 ポタジェの一画を占めるデザインも素敵な温室は、ブドウ栽培用の珍しいもの。その奥にはリンゴなどの果樹が植えられた草地が広がります。ガーデニングフェアが開催されている昼どきには、果樹園の草地や、南向きの日差しが暖かい温室近くに、ピクニックする人々がどんどん集まってくるのが微笑ましい。 私もピクニックしたい気持ちはやまやまながら、諸事情によりこの日は叶わず。絶景ポイントで風に吹かれながら、ノルマンディー風タルトとカフェをいただいたのみ(しかも写真は撮り忘れ)でした。それでも十分ほくほく満足してしまうガーデニングフェアです。 どの季節にもそれぞれの良さがいっぱいの歴史的ポタジェの散策が楽しめて、かつ、フランスの日常生活の中に根付くガーデニング周りの様子がダイレクトにうかがえるのが、このフェアの一番楽しいところです。
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フランス
早春の「ポタジェ・デュ・ロワ(王の菜園)」を訪ねて【フランス庭便り】
ヴェルサイユの隠れた憩いの場 ルイ14世は美食家であり、野菜や果樹の栽培への関心も高かったことから、王自らが宮殿から馬に乗ってポタジェまで散策に出ていたのだそうで、「王の門」と呼ばれる立派な鋳造の門が現在も残っています。王にとって、公の場である宮廷を離れてほっと一息つく、憩いの場であったのかもしれません。古の「ポタジェ・デュ・ロワ」は王家の食卓に上がる多種多様な野菜や果実が栽培されていましたが、もちろん単なる菜園・果樹園ではありません。王の散策の場にもふさわしい美観を備えつつ、王家の食卓ならではの贅沢を満足させるスペシャルな菜園だったのです。 フレンチ・フォーマルなスタイル ポタジェを訪れてまず驚くのが、徹底的なフォーマル・ガーデン・スタイルの構成です。9ヘクタールの敷地全体が壁で囲われた沈床型のウォールド・ガーデンになっています。グラン・カレと呼ばれる正方形の中央区画には、円形の噴水を中心に、エスパリエ仕立てのリンゴや洋ナシなどの果樹で仕切られた、野菜栽培のスペースが整然と並びます。その周りには、伝統品種や新品種などバラエティに富んだ果樹が、さまざまなエスパリエ仕立ての独特な樹形で栽培されています。 エスパリエ仕立てとは、フランスの果樹栽培のための伝統的な剪定方法。現在でもリンゴや洋ナシを中心に4,000本ほどを栽培するポタジェ・デュ・ロワは、これだけの規模でその様子が見られる、世界でも唯一の貴重な場所です。 ウォールド・ガーデンとエスパリエ仕立ての効用 ところで、沈床型のウォールド・ガーデンをぐるりと囲む厚い土壁にも、壁に沿わせるエスパリエ仕立ての剪定にも、じつはスペシャルな果樹栽培のための理由がありました。土壁は果樹が外部からの冷風に直接晒されるのを防ぐとともに、日中の太陽の熱を蓄え、夜間の急激な温度の降下を抑えて、果樹栽培に好都合の微気候を作り出します。また、平面的なエスパリエ仕立てには、果実に満遍なく日光が当たるように、また収穫がしやすいようにという配慮から生まれたものです。 17世紀にも野菜の促成栽培 贅を尽くした王宮の食卓には、例えば3月にイチゴ、6月にイチジク、12~1月にアスパラガスが並んだといいます(ちなみにイチゴもイチジクもルイ14世の大好物だったそうです)。現代であれば何ら驚きもないのですが、ハウス栽培などなかった時代です。通常の露地栽培の収穫期に大幅に先駆けて現れるこれらの野菜や果実は、まさにミラクル。宮廷人たちにとっても大変な贅沢でした。 では、どうやって実現したのか? ルイ14世の命を受け、ポタジェの造園と管理を行ったのは、庭師で果樹栽培の専門家として名高かったラ・カンティニ。彼は当時最新の栽培技術の開発に余念がなく、宮殿の厩舎から出る馬糞を用いた堆肥の発熱を利用した促成栽培術で宮廷を驚かせ、称賛を集めたのでした。 伝統そして革新 創始者ラ・カンティニのイノベーション精神は後世に受け継がれ、フランス革命などさまざまな時代の変遷を経て現在に至ります。「ポタジェ・デュ・ロワ」のモットーは、歴史の伝承とともに常に革新的であること。世界的にも希少な17世紀のフレンチ・フォーマル・ガーデンの姿を留めたポタジェでは、フランスの昔ながらの固有種を多く栽培し、また伝統的な園芸技術であるエスパリエ仕立ての剪定など、技術の伝承が行われています。そうした伝統の継承を自らの使命として大切にする一方で、今の時代に対応する新たな試みが次々と行われているのも、このポタジェの大切な側面です。 アグロエコロジーへ フランスでは、オーガニックの食材が一般化しているだけでなく、2016年から公共の緑地での薬剤散布が法律で禁止されるなど、人の健康や環境保護が社会的に重大なテーマになっています。先駆精神に富んだこのポタジェでは、2000年代には無農薬の自然農法への切り替えが始まり、パーマカルチャーの手法を取り入れるなどして、できる限り無農薬、栽培品種によっては完全無農薬栽培へと移行してきました。 特に土壌や生態系といった自然環境を保護しつつ、サステナブルな方法で人間と自然の共存を目指す未来の農業、アグロエコロジーへの取り組みが積極的に進められています。また、一般の来場者の見学に門戸を開き、園芸講座や各種イベントが行われ、歴史的庭園の姿やサステナブルな都市農業のあり方を人々に伝える教育普及も現在のポタジェの大事な役割です。 春を待つポタジェの魅力 庭園を訪れる際には、どの季節が見頃なのか、という問いが常にありますが、「ポタジェ・デュ・ロワ」は年間通じて見学が可能です。春にはモモやリンゴの花が咲き、夏は緑が溢れ、秋には黄葉とともに、カボチャ類など秋の収穫物がコロコロと畑を彩る…と季節による変化を追うのも、興味深く楽しいものです。 冬の間は果樹類の葉っぱも落ちて、若干寂しいのではと思われがちですが、じつは自慢のエスパリエ仕立ての木々のグラフィックな魅力を十二分に堪能できる、特別な時期でもあります。この機会に、変化に富んだポタジェの四季の表情を皆様に楽しんでいただけたら嬉しいです。 遠藤浩子さんが案内する「ポタジェ・デュ・ロワ」オンラインサロン開催※終了しました 記事でご紹介したフランスの「ポタジェ・デュ・ロワ」と中継をつなぎ、この時期しか見られない春のポタジェの様子を、庭園文化研究家、遠藤浩子さんがご案内するサロン。開催は、2022年4月14日(木)18:30スタート(フランス時間11:30)。 サロンへのご参加には、ガーデンストーリークラブへのご入会が必要です。
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フランス
珠玉のプロヴァンススタイル・ガーデン「ラ・ルーヴ庭園」
プロヴァンス・スタイルの「ラ・ルーヴ庭園」 太陽がいっぱいの南仏プロヴァンスのガリーグと呼ばれる灌木林には、自生のタイムやローズマリーの群生が広がり、西洋ウバメガシやカシの木、ツゲなどの自生樹種が山野を彩ります。リュベロンの小さな村ボニューにある「ラ・ルーヴ庭園」は、そうしたローカルな自然を取り込んだ、元祖コンテンポラリーなプロヴァンス・スタイルのガーデンです。 フレンチ・シックなガーデンデザイン リュベロンの山を望み、岩壁を這うようにつくられた庭園のテラスに入ると、さまざまな常緑灌木が球形または大刈り込みのように繋がり、立体的な緑の絨毯が広がるような姿に驚かされます。フレンチ・フォーマル・ガーデンというとシンメントリーで幾何学的な、整ったイメージですが、それとも違うのだけれども、大変シックに美的に整っており、同時に庭の生きた魅力に満ちているのを感じます。歩を進める度に微妙に庭の眺めが変わり、細長い庭園の園路を進んでいくと、ラベンダー畑やブドウ畑からインスパイアされたのであろうプロヴァンス風景のコーナーがあったりと、決して広くはない庭園なのに、変化に富んだ散策が楽しめます。 土地の自然を取り込む自生樹種をチョイス トレードマークともいえるツゲやローズマリーなどをはじめとするすべての刈り込みの灌木類は、庭を遠巻きに囲む山々にある自生樹種が選ばれています。土地の風土に適した、手入れがなくとも育つ丈夫な木々が庭に取り込まれ、それぞれの緑のトーンやテクスチャーの違いが豊かな表情を見せます。それはまた、プロヴァンスの明るい透明な光の具合によって、さらに輝きを増すのです。刈り込みの常緑樹木には変化が少ないように思われるかもしれませんが、季節によって、また朝昼晩の光の違いによって、生き生きと変化する絶妙な庭の風景を作り出しています。プロヴァンス独特の自然の産物である樹木の緑や太陽の光が最大限に生かされ、独自のスタイルとなっているのが、このガーデンの特筆すべきところです。 ラ・ルーヴとの運命の出会い この庭をつくったのは、元エルメスのデザイナーでもあった女性、ニコル・ド・ヴェジアン(Nicole de Vésian/1919~1999)。南仏プロヴァンスの土地の魅力に魅せられ、ラ・ルーヴ(仏語で狼のこと)と名付けられた村外れの邸宅と土地を購入したのは1989年、70歳の時でした。山の眺めに向かって大きく開かれた3,000㎡ほどの土地がたちまち彼女を魅了し、建物の中も見ずに購入を即決したのだとか。そして、70歳にして彼女の最初の庭づくりが始まったのです。 70歳にして初めての作庭 当初は庭づくりの知識などなかったので、何人かの庭師を雇って作庭を始めました。植物の知識はなくとも、このような庭にしたい、という絶対的なイメージがあって、そのクリエーションを庭師たちの職人技が支えていく、そんな感じだったのでしょう。その作庭の方法はデザイナーとしては独特で、「図面も描かないし、長さも測らない」。すべて現場で、植栽前に植物の配置を何度も並べ替えて、徹底的に目視で確認して決定するというやり方です。庭師たちにとってはたまったものではなかったことでしょう。しかし、一緒に仕事をしていくうちに、あうんの呼吸が生まれ、後に、彼女の庭を訪れたセレブたちから次々と庭園デザインの仕事が舞い込むようになった時には、必ずお気に入りの庭師たちとのチームで仕事を受け、海外からの依頼を受けた際にも自分の庭師たちを連れていったのだそうです。 フランスのみならず、特に英米からの来訪者が多かったそうですが、ある美術評論家は彼女の庭を美術作品のごとき「傑作」だ、とたたえ、ニコルには音楽での絶対音感のような、絶対的な空間造形の感覚があるのだろうと評しています。 ローカルな素材への愛着 見事な刈り込みの緑の造形の他にも、庭の主たる構成に見えるのは、ローカルな石への愛着。ルネサンス庭園にあるような非常にシンプルな球形の石造彫刻や、地元の廃墟となった庭園や建物からリサイクルした石がふんだんに使われています。 日本庭園への憧憬 ところで、石と刈り込みの緑といえば、日本庭園にも共通するアイテム。プロヴァンスの自然と彼女の感性から生まれたであろうデザインでありながらも、日本人から見たら、どこか日本庭園に通じる雰囲気も感じられるのも、この庭の不思議な魅力です。その背景にある哲学や美学は異なるものであろうとも、アシンメトリーな構成や、シンプリシティや自然へのリスペクトを追求する庭づくりには、伝統的な日本庭園を彷彿とさせる完成された美観と静けさが満ちています。ニコルはデザイナーの仕事で何度も日本を訪れており、日本庭園も見ていたはず。何らかの形でインスパイアされた部分があるのかもしれません。 80歳の時、ニコルは次の庭をつくるべく別の土地を購入し、そのためラ・ルーヴ庭園を売却しています。残念ながら新たな庭を完成する前に世を去ってしまうのですが、その次作には、なんと日本風の庭園を作る構想を立ていたのだそう。つくられなかった庭がどんなものになったのか、興味深いところです。 生き続けるラ・ルーヴ庭園 その後のラ・ルーヴ庭園の所有者は何代か変わり、現在は、やはりこの庭園に魅了された元ギャラリストの夫妻が所有者となっています。庭は生き物なので、継続的な手入れが欠かせません。長い年月の間には、庭の木が成長しすぎてバランスが崩れたり、あるいは枯死したりといった事態も起こります。また、作庭当時に比べて夏の暑さが一層厳しくなるなどの気候の変動に対応し、一部植物のチョイスを変えるなど、常に調整が必要です。所有者はニコルがつくり上げた庭園のエスプリを尊重しつつ、今も大切に庭を育て続けており、見学も可能です。 何歳からでも庭づくりを 70歳からの作庭で、いくつもの名園をつくり上げたニコル・ド・ヴェジアン。デザイナーとしての素養と慧眼のうえに、晩年の彼女に目覚めた自然への愛、庭づくりへの情熱が生んだ、彼女独自のプロヴァンス・スタイル・ガーデン。そうして生まれたガーデンは、彼女が亡くなってからも、多くの人々を魅了し、世界中に影響を与え続けています。
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フランス
シャンティイ城のガーデニングショー【フランス庭便り】
シャンティイ城のガーデニングショー 秋は暖かな季節の名残を惜しみつつも、来春の植栽などを考え始める、ガーデナーにとってある意味心躍る季節ではないでしょうか。そんな時期、フランスの園芸好きの人々が心待ちにしている年中行事の一つが、ジュルネ・デ・プラント(プランツデー/植物の日)。毎年春と秋に開催されるシャンティイ城のガーデニングショーです。 なぜお城でガーデニングショー開催? シャンティイ城といえば、ルーヴル美術館に次ぐほどレベルの高い美術コレクションや、ル・ノートル設計のフォーマル・ガーデンがあることでも有名なお城です。パリから車で1時間ほど。電車でもアクセスできるので、観光スポットとしても人気です。 そんな場所で、なぜガーデニングショー? と思われるかもしれませんね。このガーデニングショーの発端は、30年以上前に遡ります。最初はクルソン城という別のお城で、全仏植物園協会の会合が開かれた際に、その余興として植物の交換会をやろうという計画が立ち上がります。会員の中にはナーサリーを営む人もいて、最終的には植物の販売会が開催されることになりました。すると、隣国イギリスでしか売っていないと思われていた植物をフランスのナーサリーでも扱っていたなど、さまざまな嬉しいサプライズがあって大成功! これがきっかけとなって恒例開催されることになったのだそう。その後、庭好き・植物好きのクルソン城の城主夫妻が主導して32年続いたガーデニングショーは、シャンティイ城に引き継がれ、この城での開催は2021年で6年目となります。 会場そのものが魅力的 ちなみにフランスのお城は、仏文化省に文化遺産として登録されているものだけでも11,000件。登録されていないものも含めれば45,000件ほどと推測されています(その8割以上は個人所有)。膨大な面積の森と広い庭園に囲まれたフランスのお城は、じつは豪華な結婚式や企業イベントなどに最適な場所として利用されることが多くあります。このガーデニングショーの会場でも、お城の建物や庭園、森の木々を背景に、販売スタンドやショーガーデンが立ち並ぶ風景には、自然の美しさばかりではない非日常感があって、ウキウキ度も倍増です。 遠方のナーサリーの植物を一度に見られる 毎年、春秋の週末3日間に行われるこのガーデニングショーには、いつも2~3万人の来場者があるそうです。まずその魅力の一つは、普段はなかなか見て回ることができない遠方のナーサリーが一堂に集まること。フランス国内だけでなく、ベルギーやドイツなど近隣諸国からも国境を越えて出展者が集まり、全部合わせると180ほどにもなります。 また、ナーサリーの出店資格は専門家コミッティーによって厳正に審査されるので、その質の高さも折り紙付き。普段あまりお目にかかれないバラ専門、アジサイ専門、多年草専門、カエデ専門などさまざまな専門ナーサリーが集まるうえ、おしゃれかつ実用的なガーデニング道具やウェアなどのショップも並びます。 最近はパリ市内でもおしゃれなガーデニングショップが増えてきましたが、季節の植木苗などを購入するのには、一般的なチェーンのガーデニングショップやホームセンターが一番近い、ということも多いのが実情です。そうした一般的なショップでは見つかりにくい珍しい植物がその場で選べるのは、本当に魅力的。そんな訳で財布の紐もゆるゆるになりがちな、大変危険な場所でもあります。 生産者や専門家たちと直接コミュニケーション 遠方のナーサリーが集まっているガーデニングショーは、植物好きの交流の機会であることも大きな魅力です。業界人の間でのコミュニケーションもあれば、顧客側にとっても、直接生産者に質問をしたり、育て方のアドバイスを聞いたりというコミュニケーションの中で仕事への姿勢が分かり、その後彼らの通信販売をなども安心して利用することができます。また、会場では「果樹の剪定の仕方」など、さまざまなワークショップや講演、親子向けのアクティビティなどもプログラムされていますので、ずっと気になっていた植物を入手したり、新しい品種を発見したり、興味のある項目を学んだり、と飽きることなく丸一日楽しむことができます。 シャンティイ城の隠れ名物デザート「クレーム・シャンティイ」 会期中はお城の敷地内、英国式庭園部分の広い芝生のエリアがショー会場となり、出店スタンドのテントなどのほかに、軽食を販売するトラックがいたり、休憩所などが設けられていたり。青空の下でのランチやおやつも完備されています。なかでも有名なシャンティイ城の名物デザートは、元祖クレーム・シャンティイ。 クレーム・シャンティイとは、生クリームを泡立てた、つまりホイップクリームのことなのですが、この城で17世紀コンデ公に仕えた有名な料理人ヴァテールが考案したのが始まりといわれています。すでに18世紀には、シャンティイ城を訪れた海外の王族をはじめ多数のゲストが、庭園内の田舎家風の園亭で軽食の際にサーヴされるクレーム・シャンティイの美味しさに感動の言葉を残していて、その噂は国境を越えて広がっていたとか。 毎回、このガーデニングショーを訪れるたび、植物探しに熱中するあまり、その味を知らずに終わってしまいます。今回は、ぜひこの元祖クレーム・シャンティイを味わってみなければと心に決めていました。ショー会場を少し離れて、アングロ=シノワ風と呼ばれる自然風の庭園の中を歩いて行くと、マリーアントワネットの王妃の村里にあるような田舎家風の園亭が見えてきます。内部は現在レストランになっており、天気のよい日には、庭で食事やお茶を楽しめます。 期待のクレーム・シャンティイは………ボリューム満点、通常のホイップクリームよりさらにしっかりどっしりとした感じで、味が濃くて美味しかったです! 甘みをつけるにはバニラ風味の砂糖を混ぜる。ポイントは極限までホイップすること。それ以上ホイップするとクリームが分離してバターになってしまうという、その直前までホイップするのがポイントなのだそう。定番は、イチゴやフランボワーズなどの赤い果実や、シャーベット、アイスクリームなどに添えて出されるのですが、冷静になってカロリーを考えると、ちょっと恐ろしくもあり。でも、今日はたくさん歩いたから、まぁよしとしよう! と心の中でかなり言い訳をしてしまいました(笑)。 ちなみに私の今回の主な戦利品は、これからが植え時のスイセンなどの春の球根類と巨大なアガパンサス。それに大好きなワイルドチューリップの球根も見つけて大満足です。
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イギリス
イングリッシュガーデン旅案内【英国】石塀に映えるロマンチックな花景色「ブロートン・カースル」後編
西向きのバトルメントボーダー 前編では、石塀に囲まれたウォールドガーデン、「貴婦人の庭(レイディーズガーデン)」を巡りましたが、後編では石塀の外側にのびる花壇(ボーダー)を見ていきましょう。 こちらは、入り口の守衛所(ゲートハウス)脇にある、銃眼付きの胸壁(バトルメント)に沿ってつくられた花壇、バトルメントボーダーです。 ブルー、シルバー、黄色の植物を使ったシックな植栽。案内をしてくれたガーデナーのクリス・ホプキンスさんによると、オーナーである第21代セイ・アンド・セール男爵は、このような落ち着いた色調の植栽を好まれるそうです。 石塀に沿って南に進んでいくと、赤や赤紫など、深い色を使った植栽に変化します。こちらは男爵夫人好みの植栽。女性らしさが感じられます。 ワインレッドのバラとジギタリスがコラボし、間にはゲラニウムやポピーの葉が茂っています。 こちらがガーデナーのクリスさん。27年間、ほぼ一人でこの庭の管理をしてきたという方です。後ろ姿は北海道、上野ファームのガーデナー上野砂由紀さん。 雨上がりの庭に、花々の香りにつられてお腹を空かせたハチがやってきます。 ガーデナーのクリスさんは、植物や色彩の好みが異なる男爵と夫人のどちらにも満足してもらえるよう、植栽のバランスに配慮していると言います。 西側の石塀に小さな窓があります。その周囲に適度なバランスでクレマチスやつるバラが色を添えて、ナチュラルな雰囲気ですね。 つるバラの伝う小窓から、石塀の中に広がる庭が見えます。 大きなバラの茂みのそばには、銅葉のヒューケラやシックなアメリカテマリシモツケ、シルバーグリーンのリクニスなどが組み合わされて、葉色の変化を見せています。いつまでも眺めていたい美しい景色です。 花壇の反対側にある生け垣の端は、ピンクのバラで彩られています。その向こうに、広大なブロートン・パークの草地が続きます。 ウォールドガーデンの南西の角に立つと、建物と左右の庭が一望できます。ここでは、銅葉のセイヨウニワトコ ‘ブラックレース’がいいアクセントになり、手前にはデルフィニウムが大株に茂っています。 角を回って、南向きの花壇までやってきました。 振り返ると、濠の水面の先に緑の景色が広がって…。 南向きのサウスボーダー 南側の石塀にも貴婦人の庭(レイディーズガーデン)への入り口がありました。 バラに彩られる南側のアーチから、貴婦人の庭の中心にあるハニーサックルや生け垣が覗いています。 サウスボーダーのこの青花はゲラニウム・ヒマラエンセ‘グレイブタイ’。石塀を伝うつるバラは‘ゴールドフィンチ’。ブルーと淡い黄色が爽やかな一角。 ラムズイヤーのシルバーリーフに黄花のエルサレム・セージが引き立ちます。 カスミソウのような花が無数に咲いていて、「なんだかカスミソウのお化けみたい!」と同行者が楽しげに眺めていました。「これは、クランベ・コーディフォリアですよね。立派な株ですねー」と上野さん。 白花のクランベ・コーディフォリア越しに、石壁のアーチの方角を見ると、つるバラと調和して白花が引き立っています。 東向きのボーダー 白いつるバラが絡むアーチの反対側からの景色。このアーチは14世紀の建設当初にはエントランス部分だったと考えられています。 アーチの角を回って、東向きのボーダーに来ました。 ウォールドガーデンの内側と外側、一歩進むごとに新しい景色に変わり、いつまでも巡っていたいブロートン・カースルの庭。上野ファームのガーデナー、上野砂由紀さんは、庭巡りのあと、こう話していました。 「よく手入れされて、ゲラニウムやバラもとてもよい状態で咲き始めていました。(私の庭のある)北海道では育てられないのですが、植えてみたいなと思う、おばけカスミソウみたいな、クランベ・コーディフォリアもありましたね。 ガーデナーが、オーナーと奥様の意思を反映しながら、庭づくりに試行錯誤していました。上野ファームも、私がデザインしている所と、母がすべて植栽のデザインをする所を、きっちり分けています。好みも、好きな花も違うので、担当を分けて、それぞれのよさを出すようにしています」 「ブロートンの庭のように、ガーデンにはオーナーがいて、ヘッドガーデナーがいますが、オーナーの意向をどう反映するかが、ヘッドガーデナーの腕の見せ所ですよね。ガーデナーのクリスさんは、数年前まではご自分で芝刈りもして、ほぼ一人で27年間働いてきたとか。相当な仕事量をこなしてきたのだろうなと、同じガーデナーとして仕事の裏側も気になりました。6月は、ご覧のように爽やかで華やかな庭でしたが、春もチューリップを植えて華やかにしているそうですよ」 イギリスの歴史を感じる屋敷 さて、次は屋敷の中を巡っていきましょう。 まずは、1300年頃に建てられた屋敷の最も古い部分が残っているというグレートホール。イギリスのお城など、古い建物は薄暗いことが多いのですが、このグレートホールは16世紀半ばの改修で組み込まれた、チューダー様式の大きな窓から光が入り、明るさがあります。 天井には垂れ飾りが。1760年代に改修された時のもの。 暖炉の脇には、革製の消火バケツと剣が並びます。これらの不揃いの古いレンガは建設当時のものでしょうか。 絵になる窓辺のコーナー。 アン王妃の部屋、ギャラリー 次は、アン王妃の部屋(クイーン・アンズ・ルーム)です。イングランド王、ジェームズ1世の王妃、アン・オブ・デンマークが、1604年と1608年に、この部屋に滞在したといわれています。暖炉の上に飾られた肖像画がアン王妃。石造りの暖炉は16世紀半ばに設けられたものです。 暖炉には、石工によって彫られた精巧な飾りがあります。天蓋付きのベッドは18世紀後半のもの。 2階の廊下にあたるギャラリー。1760年代にゴシック様式に改修された際、内装も新たに施されました。ここには16世紀からの一族の肖像画が集められています。 窓から外の緑が見えます。 美しい壁紙が特徴的なベリー・ロッジ・ルーム。壁紙はフランス、アルザス地方にあるズベール社の1840年頃のものです。家具の多くは、男爵の祖父母の屋敷、ベリー・ロッジから運ばれたものだそう。 王の部屋、そして屋上へ 次は、1604年にジェームズ1世が宿泊したという、王の部屋(キングス・チェンバー)です。印象的なグリーンの中国風の壁紙は手描きだとか。ベッドは現代の家具作家、ロビン・ファーロングの手による特注品。現代的な要素がアンティークとうまくミックスされています。 暖炉の上には、フランス製の漆喰仕上げの装飾が施されています。ギリシャ神話のモチーフです。 ギャラリーの反対側にも、対になる長椅子が置かれたコーナーがありました。 ドアノブの飾りが素敵です。 屋敷の西側、屋上に出てみると、貴婦人の庭(レイディーズガーデン)が眼下に! アヤメの花を様式化した、よく紋章に用いられる「フルール・ド・リス」という意匠と、円を組み合わせたデザインです。生け垣で模様を描く、パーテアという庭園様式は、高い場所から眺めて楽しむものなのだなと、実感します。 ●貴婦人の庭の植栽については「ブロートン・カースル」前編をご覧ください。 西側壁面に沿って花壇がのび、濠の向こうには、730万㎡という耕作地や牧草地が続きます。 こちらは、守衛所(ゲートハウス)に近いほうの花壇、バトルメントボーダー。 さて、次は西の端にある大広間、グレートパーラー。漆喰仕上げの天井が見事です。 天井は古いものですが、壁紙や扉、羽目板などは19世紀半ばのもの。何度も改修を繰り返して、城の長い歴史が続いていくのですね。 椅子の布地に合わせたピンクの生花が素敵です。きっと男爵夫人が活けられたものですね。 東を向いた窓からは、芝生の上にリズミカルに並ぶ立方体のトピアリーが見えます。 南向きの窓からは、貴婦人の庭が見えます。 1階に降りて、再び貴婦人の庭へと出てみましょう。 さて、お庭をもう一周してきましょうか。 帰り際、前庭の端には、古い厩を改修したティールームとショップがありました。 長い歴史を経て、今も暮らす人に愛され、大切に維持されているブロートン・カースル。部屋の窓や屋上からの眺めも素晴らしく、庭では、私たちも育てている同じ種類の草花にも多数出合うこともでき、親しみを感じました。また、「ガーデン」とは、次の世代、また次の世代へと、いつまでも受け継いでいけるものなのだと教えてくれる場所でした。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】中世から建つ美しき古城「ブロートン・カースル」前編
長い歴史を持つブロートン城 ブロートン・カースルは、コッツウォルズ特別自然美観地域の北東側に位置しています。濠に囲まれた美しい石造りの屋敷と、その南側に作られた「貴婦人の庭(レイディーズガーデン)」で有名な、人気の高い観光スポットです。 ブロートン・カースルは、1300年頃、イングランド王のエドワード1世に仕えたジョン・ドゥ・ブロートン卿が石造りのマナーハウス(領主の館)を建てたことに始まります。屋敷は1377年に、ウィンチェスター主教のウィリアム・オブ・ウィッカムによって買い取られ、以来、その子孫となるファインズ家に受け継がれてきました。日本でいえば、鎌倉時代の終わりから室町時代の話です。 ウィリアム・オブ・ウィッカムは国政で重要な位置を占めた人物で、オックスフォード大学のニュー・カレッジや、英国最古の男子寄宿学校であるウィンチェスター・カレッジの設立、ウィンザー城の建設にも携わりました。ブロートン・カースルには、17世紀にイングランド王が宿泊したという歴史もあります。 現在も続くファインズ家には、探検家や作家、画家など、才能のある人物が多く、映画『ハリー・ポッター』シリーズでヴォルデモートを演じた俳優のレイフ・ファインズと、その弟のジョセフ・ファインズも親族だそう。 庭好きにとっては、屋敷の南側にある貴婦人の庭(レイディーズガーデン)は必見。一方を屋敷に、三方を石塀で囲まれたウォールドガーデンでは、石造りの古い建物を背景にどんな花景色が広がるのか、楽しみです。 それでは、庭巡りを始めましょう。 濠に囲まれた屋敷 まずは濠にかかる石橋を渡って、かつての守衛所(ゲートハウス)を抜けていきます。1406年、このゲートハウスに銃眼付きの胸壁が設けられたことで、マナーハウスは「カースル(城)」と呼ばれるようになりました。 屋敷は3つの小川が交わる地点に建てられ、それから、屋敷を囲む大きな濠がつくられました。濠と屋敷の大部分は、当時と変わらない姿を保っているそうです。 銃眼のあるゲートハウス。ブロートンの建物や塀には、コッツウォルドストーンと呼ばれる石灰岩が使われています。ブロートン・カースルのあるコッツウォルズの東側は、鉄分を多く含んだ赤茶色の石が採れるそう。大きさが不揃いな石に古さを感じますね。 前庭の端に、ひっそりとバラが咲いています。 600年近く経っていると思われる石塀に、優しいピンクのバラがよく合います。ここでしか出会えない趣のあるガーデンシーンに感動。 マナーハウスが見えてきました。1階右端が1300年頃に建てられた最も古い部分で、1554年に3階建てへと改築されました。17世紀にはすっかり荒れてしまったこともあったそうですが、長い年月の間に改修を繰り返しながら、維持されてきました。 左側に銃眼付きの胸壁が見えますが、城というよりマナーハウスの印象が強い屋敷ですね。内部はのちほど見学することにして、まずは右手から庭のほうに回ります。 屋敷の西側、濠の外には、ブロートン・パークの草地が広がっています。 低い石塀に伝うバラ。風化した石とバラが作り出す、野趣のある景色です。 屋敷脇の植え込みは、銅葉の茂みがアクセントになっています。 赤紫のバラと銅葉の美しい組み合わせ。 石塀に囲まれたウォールドガーデン、頭上にクレマチスが絡んだ貴婦人の庭への入り口が見えました。 貴婦人の庭(レイディーズガーデン) 屋敷の南側にある貴婦人の庭に入りました。先ほどのアーチから入って、振り返ったところ。砂利敷きの小道には落ち葉一つなく、銀葉のグラウンドカバー、銅葉の茂み、壁面を覆う緑と、このエリアだけでも数多くの植物が景色を作っています。 紫のアリウムと黄色いシシリンチウム・ストリアツム。優しい色合いの花々が出迎えてくれます。 西側の石塀には小窓があって、紫のフジが伝います。訪れたのは7月上旬。バラがちょうど満開で、緑もみずみずしくて、花と緑の香り漂う中で何度も深呼吸。 この庭は、1890年代に屋敷に暮らしていたゴードン=レノックス公爵夫人によってつくられました。この方は、当時一番のおしゃれさんとして、社交界で有名だったとか。きっと庭づくりのセンスもあったのですね。 現在の植栽は、オーナーである第21代セイ・アンド・セール男爵と男爵夫人によって考えられたもの。 コッツウォルドストーンで組まれた石塀や屋敷の壁に合うように、柔らかな色調の花が選ばれていますが、これは、1970年に、有名なガーデンデザイナーのランニング・ローパーから受けた助言に基づいているそうです。 フルール・ド・リスを描いたパーテア この庭は、低い生け垣で模様を描く「パーテア」と呼ばれるスタイルの、整形式庭園です。屋敷の屋上からは、アヤメの花を様式化した意匠(フルール・ド・リス)と円が組み合わさった、デザインの全体が見られるとのこと。楽しみです。 庭がつくられた当時の写真資料を見ると、生け垣の高さは足元程度で厚みもなく、素っ気ないくらいシンプルな景色が写っていました。しかし、長い年月の中で、生け垣は腰高にしっかりと育ち、花壇の茂みも大きな、緑豊かな庭となっています。 庭を囲む石塀と生け垣、つまり、庭の骨格は、130年の間変わっていないです。イングリッシュガーデンの歴史が感じられますね。 庭がつくられた当初、中心には日時計のような、シンプルな石造りのオブジェが置かれていましたが、現在はハニーサックルがこんもり茂っています。円形に区切られた地際では、パッチワークのように配植されたタイムが花を咲かせていました。 時の流れが生み出す、格別の雰囲気を醸す石塀です。よく見ると、石材の色や仕上げに違いがあります。修復された形跡でしょうか。 その古びた石塀を背に、バラやジギタリス、ゲラニウムといった草花が茂ります。ロマンチックな、これぞイングリッシュガーデンという花景色。 庭に植えられているバラは約60種とのこと。草花とナチュラルに調和し合っていました。 家壁の窪みの奥に、木製ベンチが置かれているスペースを見つけました。 いろいろな種類の花に囲まれたベンチです。小花がふわふわと咲いて、素朴ながら心落ち着く景色。 屋敷に沿って進むと、貴婦人の庭の外に出るアーチがありました。 石塀の外には芝生が アーチを抜けると、木の扉の上に白いつるバラが伝い広がっています。 貴婦人の庭の外側、石塀に沿ってつくられた東向きのボーダーです。 貴婦人の庭からアーチを抜けると石段があって、小さなテラスへと繋がっています。 テラスの先は屋敷の壁に沿って、植え込みが続きます。 大木のセアノサスがブルーの茂みを作り、傍にはテーブルとイスのセットが。遠くの景色を眺める憩いの場所です。 貴婦人の庭は、屋敷南側の、西側半分に位置しているのですが、東側には緑の芝生が広がっていて、大きな立方体のようなトピアリーが6つ点在しています。 さて、石塀の中の庭に戻ってみると……、あそこでゲストと話している方は、オーナーの男爵夫人! 庭に出て手入れ中だった男爵夫人とお話しすることができました。いつもご自身で花を摘んで、部屋に活けるそうです。 後編では、ウォールドガーデン外側の美しい花壇や、屋敷の素晴らしい内装、貴婦人の庭の全体像をご紹介します。
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英国キューガーデンの多肉植物&サボテン・コレクションを訪ねて〈後編〉
世界のさまざまな気候を再現する温室 前編でもご紹介したプリンセス・オブ・ウェールズ・コンサバトリーは、近代的な設備を誇る、広さ4,500㎡の温室です。温室内は冷涼な乾燥地帯から熱帯雨林まで、異なる10の気候がコンピュータ制御によって再現されています。ゾーンによって気温や湿度が変わるので、植物を世話するガーデナーたちは、出入りするたびに上着を着たり脱いだり、体温調節が大変なのだとか。 この温室の基礎部分には、動物学者で植物学者のデビッド・アッテンボロー卿によって、1985年にタイムカプセルが置かれました。中に入っているのは、絶滅の危機にある穀物類のタネ。カプセルは、100年後の2085年に開けられる予定ですが、その頃の世界はどうなっているでしょうか。 それでは、前編に続いて、乾燥熱帯や砂漠気候ゾーンのサボテンや多肉植物を見ていきましょう。 メキシコや南米のサボテン その2 ミルチロカクツス・ゲオメトリザンス (Myrtillocactus geometrizans) メキシコ原産の、4~5mに育つ低木状のサボテン。まさに、メキシコと聞いて思い浮かべるサボテンの形をしていますね。日本では「リュウジンボク(竜神木)」の名で流通しています。 左:オプンチア・クイテンシス (Opuntia quitensis) ペルー、エクアドル原産のウチワサボテンの一種。可愛らしい、明るいオレンジの花の後にできる果実は食べられるそうですが、どんな味なのでしょう。 右:フェロカクツス・シュワルツィー (Ferocactus schwarzii) メキシコ原産の樽形に育つサボテン。まるで折り紙で作ったようなきれいな形です。鮮やかな黄色の花が咲き、日本では「オウサイギョク(黄彩玉)」の名で流通しています。 オプンチア・フィカス=インディカ (Opuntia ficus-indica) メキシコ原産で、オプンチア属の中では最もポピュラーなウチワサボテンの一種。英名は、棘だらけのナシ(プリックリー・ペア)といい、果実は食用に売られています。南米ではウチワ形の茎も食べられているそう。エキスが化粧品に使われるなど、商用として重要な役割を果たすサボテンです。 左:ペレスキア・グランディフォリア(Pereskia grandifolia) ブラジル原産。5mほどまで伸びて、樹木のような姿をしたサボテンですが、幹のように見える茶色の部分には棘が生えています。半八重のバラのような花が咲くことからローズカクタスとも呼ばれます。日本では「オオバキリン」の名で流通。 右:オプンチア・ファルカータ (Opuntia falcata) こちらも樹木のような、変わり種のサボテン。 ミルチロカクツス・コカル(Myrtillocactus cochal) 英名で、燭台サボテン(キャンデラブラ・カクタス)というように、燭台を思わせる形をしています。メキシコ原産。 サボテンの根元にはエケベリア(Echeveria)が。 左:セダム ‘ブリート’ (Sedum ‘Brrito’) 長く垂れる茎に丸みを帯びた葉が連なるセダム。日本では、「玉つづり」か「新玉つづり」の名で流通しています。 右:セダム・パキフィルム (Sedum pachyphyllum) メキシコ原産ベンケイソウ科の多肉植物。欧米ではジェリービーンズの名で呼ばれますが、日本では「乙女心」の名で流通しています。 左:フェロカクツス・ピロスス (Ferocactus pilosus) 赤い棘が目を引く、メキシコ原産のサボテン。円柱状で、3m近くまで育ちます。鮮やかな濃いオレンジの花が咲きます。 右:プヤ・フェルギネア(Puya ferruginea) ボリビアやエクアドルを原産地とするパイナップル科の植物。 ダイナミックな魅力のアガベ 温室内には、存在感たっぷりのアガベもたくさん植わっています。 アガベ・アテヌアタ (Agave attenuata) (流通名はアガベ・アテナータとも) 高さ1~1.5mほどに育った立派なアガベ。メキシコ原産の常緑のアガベで、葉には棘がありません。英名で、キツネの尻尾のアガベ(フォックステイル・アガベ)といわれるように、1.5~3mほどの長くて太い花穂が中心から伸びて、くるりと垂れます。 左:アガベ・テクイラナ (Agave Tequilana) メキシコの高地、ハリスコ州原産の、テキーラの原料となるアガベ。ブルーアガベ、テキーラアガベとも呼ばれます。テキーラ作りには、葉の根元にある大きく育った球茎が使われます。 中:アガベ・フィリフェラ (Agave filifera) メキシコ原産、葉の端から白い糸状の繊維が生えているのが特徴。高さ60cmほどの小ぶりなアガベ。 左:アガベ・ミシオヌム (Agave missionum) 立ち姿が美しいアガベ。葉の周りに細かい棘があります。 右:アガベ・チタノタ (Agave titanota) 葉の周りに大きな棘があって、どう猛な印象のアガベ。一回結実性で、花が咲くと枯れてしまいます。 左:ボーカルネア・ストリクタ (Beaucarnea stricta) 細い葉を放射状に広げるボーカルネア。6~10mに育ちます。 右は植物名が分かりませんでしたが、ボーカルネアの仲間でしょうか。放射状に見事に広がる細葉が印象的です。 ジャングル感満載 湿潤熱帯ゾーン 乾燥地帯のゾーンを抜けると、今度は湿度が高くムンムンする熱帯ゾーンに来ました。植生がガラリと変わってジャングルのよう。面白い体験です。 中央の塊は、チランジア・ストリクタ(Tillandsia stricta)。 南米原産のパイナップル科の植物で、チランジアの仲間はエアプランツと呼ばれます。カーテンのように掛かっているのも、同じチランジア属の仲間、チランジア・ウスネオイデス。 エアプランツの美しい競演。 温室内は加湿されています。 左:エクメア・ブラクテアタ (Aechmea bracteate) パイナップル科の植物で、原産地はメキシコから中南米にかけて。 右:クリプタンツス・アカウリス (Cryptanthus acaulis var. ruber) ブラジル原産。葉の色が渋いですね。 躍動感のある、パイナップル科の植物の競演。 温室のエリアごとに、湿度の高さや室温の微妙な変化があり、植物のグループが変わる様子を見ながら、まるで旅をしているような気分になれた温室散策。貴重な植物を保存維持することは、繊細な作業の連続なのだろうなと感じました。また、あのサボテンや多肉たちが成長した姿を見に行ける日を楽しみにしています。 温室の外には大きなアガベが育っていました。
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英国キューガーデンの多肉植物&サボテン・コレクションを訪ねて〈前編〉
世界の10の気候を再現する温室 英国キュー王立植物園、通称キューガーデンで有名な温室といえば、ヴィクトリア朝に建てられた、テンパレートハウスとパームハウスという2つの優美な大温室。時代の栄華を今に伝える、キューガーデンのアイコンです。一方、1987年に開館した、広さ4,500㎡のプリンセス・オブ・ウェールズ・コンサバトリーは、近代的な設備を誇ります。 温度や湿度、養分、光のレベルといった、植物に必要な生育条件は、植物の種類によって異なりますが、この温室の中では、冷涼な乾燥地帯から熱帯雨林まで、異なる10の気候がコンピュータ制御によって再現されています。 例えば、湿潤熱帯ゾーンの池に浮かぶのは、アマゾン川原産のオオオニバス(ヴィクトリア・アマゾニカ)。湿度の高い、暖かな室内にはつる性の植物が伝って、ジャングルのような雰囲気です。このオオオニバスの種子がキューガーデンに初めてもたらされたのは19世紀半ばのことですが、それ以来、栽培が続けられているというのは、さすがですね。温室内の池にはナマズなどの魚が棲んでいて、また館内では5匹の大型トカゲ、インドシナウォータードラゴンが飼われています。トカゲはゴキブリなど虫の駆除に役立ってくれるそう。温室内で、小さな生態系が作られているのですね。 それでは、乾燥熱帯や砂漠気候のゾーンに生育する多肉植物やサボテンを見ていきましょう。 アフリカ東部~南部原産の多肉植物 樹木やヤシのように大きく育った多肉植物の数々。アロエがヤシの木のような姿になっています。ここまで大きな多肉植物を見るのは初めてで、驚かされます。 左:クラッスラ・ポルツラケア (Crassula portulacea) 原産地、南アフリカ・ケープ州の露地では3m以上になるといわれますが、この温室でも樹木のように大きく育っています。日本では、新芽に5円玉を通して育てた「金のなる木」として、有名です。 右:パキポディウム・ラメレイ (Pachypodium lamerei) マダカスカル島原産のキョウチクトウ科の多肉植物で、ヤシのような姿をしていることから、マダガスカル・パームとも呼ばれます。先端に咲く香りのよい白花は、確かにキョウチクトウに似た花姿。 ケイリドプシス属 (Cheiridopsis) こちらは南アフリカ原産の小型の多肉植物。「ケイリドプシス」の名は、袖という意味のギリシャ語に由来します。 同じくケイリドプシスの仲間。 ケイリドプシス属は100種ほどあって、日本でもさまざまなものが流通しています。 アロエ・ジュクンダ (Aloe jucunda) ソマリアを原産とする矮性の小さなアロエで、よく群生します。すっと伸びた花穂が素敵。 希少な多肉ユーフォルビア ユーフォルビア・グリセオラ (Euphorbia griseola subsp. griseola) 見事に育った、南アフリカ原産の多肉ユーフォルビア。トゲが多くて、一見するとサボテンのようです。多肉ユーフォルビアとサボテンは異なる植物ですが、どちらも乾燥した土地に適応しようと、それぞれ同じような進化を遂げたために、共通した特徴を持つといわれます。 ユーフォルビア(トウダイグサ)属は約2,000種が含まれる大きな属で、多肉ユーフォルビアは850種。そのうちの723種がアフリカやマダガスカル原産です。多肉ユーフォルビアのほとんどは絶滅が危惧されており、輸出が制限されています。 ユーフォルビア・ミリイ (Euphorbia milii var. milii) マダガスカル島原産の多肉ユーフォルビアで、日本では「ハナキリン」の名で流通しています。マダガスカル島原産の多肉ユーフォルビアの多くは、絶滅の危機にあるそうです。 窓際には、バラエティ豊かな多肉ユーフォルビアの鉢植えコレクションがありました。 左:ユーフォルビア・ステノクラーダ (Euphorbia stenoclada Baill) 木の枝のようなユニークな形。この姿からは想像がつきませんが、樹木のように大きく育つそうです。 右:ユーフォルビア・ハンディエンシス (Euphorbia handiensis) カナリア諸島原産。まるっきりサボテンみたいな姿ですね。 左:ユーフォルビア・ビグエリー (Euphorbia viguieri Denis) マダガスカル原産。日本では、「噴火竜」(ユーフォルビア・ビグエリー)の名で流通。 右:ユーフォルビア・デカリー (Euphorbia decaryi Guill) 同じくマダガスカル原産。日本では、「ちび花キリン」の名で流通。ハナキリンのように茎が立ち上がるようです。 ユーフォルビア・ビセレンベキー (Euphorbia bisellenbeckii) アフリカ東部原産。まるでむちむちとした手を四方に伸ばしているようです。多肉ユーフォルビアは、本当にさまざまな姿をしていますね。 メキシコや南米のサボテン その1 見事に育ったサボテンや多肉植物の数々。室温もほんのり暖かく、砂漠地帯にやってきたような気分になります。 エキノカクツス・グルソニー (Echinocactus grusonii) メキシコ北東部原産の直径1mほどになるという大きなサボテン。美しく立派に育っています。日本でも「キンシャチ」の名で流通していますが、原産地では絶滅寸前と危惧される種です。英名の一つに、姑のクッション(マザーインローズ・クッション)というユーモアたっぷりのものが。お尻がトゲだらけになっちゃいますね…。 大きく育ったウチワサボテンの仲間を背景に、柱状のサボテンは寝転んでいるかのような対照的な姿を見せています。 エキノプシス・テレゴナ (Echinopsis thelegona) 海の生き物を思わせるユニークなフォルムをした、南米アルゼンチン原産のサボテン。大きなつぼみがついていますが、夏の夜に漏斗形の白花が咲くそう。環境のストレスがないからか、成長途中の段差が一切なく、のびのびと育っているんだなぁと感心。 クレイストカクツス・ウィンテリ (Cleistocactus winteri) こちらもモニョモニョ動き出しそうな、南米ボリビア原産のサボテン。サーモンピンクの花が咲いています。 次は、小さなサイズのサボテンたち。 エキノプシス・フアスカ (Echinopsis huascha) アルゼンチン原産のサボテン。細かい棘がびっしり。虫が侵入する隙間もなさそう。 エキノケレウス・ストラミネウス (Echinocereus stramineus) アメリカ南部やメキシコの砂漠などに自生するサボテン。藁のような色をした棘に覆われています。「藁でできた」という意味を持つ学名ストラミネウスは、その姿に由来するとか。 左:マミラリア・ボカサナ (Mammillaria bocasana) メキシコ北東部原産。全体がモワモワとした産毛に覆われているように見えるところから、英名は化粧用パフサボテン(パウダーパフ・カクタス)。細かい棘が柔らかそうに見えます。 右:マミラリア・スピノシッシマ (Mammillaria spinosissima subsp. spinosissima) メキシコ原産。赤味を帯びた棘が可愛らしい。 左:マミロイディア・カンディダ (Mammilloydia candida) メキシコ原産。英名でスノーボール・カクタスといわれるように、初めは丸い雪玉のようですが、成長につれ柱状になり、30cmくらいまで伸びます。 右:エキノプシス・スピニフロラ (Echinopsis spiniflora) アルゼンチン北西部原産。つぼみがついていますが、目を引く大きな白花が咲きます。 テフロカクツス・フェベリ (Tephrocactus weberi) アルゼンチン北西部原産。これもニョロニョロ動き出しそうな姿です。 オプンチア・ミクロダシス (Opuntia microdasys ‘Albata’) 棘が綿毛のように見えることから、英名ではウサギの耳(バニー・イヤーズ)、または天使の羽(エンジェル・ウィングス)と呼ばれる、キュートな印象のサボテン。 多肉植物もサボテンも、じっくり観賞すると本当にさまざまな姿のものがありますね。 後編では、乾燥熱帯地域原産のサボテンや、湿潤熱帯ゾーンの植物をご案内します。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】注目のガーデナーが生み出す21世紀のイングリッシュガーデン「マル…
オープンガーデンで大人気 今回訪れているのは、クラシカルなガーデンデザインと表情豊かな植栽で人々を魅了する、マルバリーズ・ガーデンズ。ここは個人邸の庭ですが、英国の慈善団体、ナショナル・ガーデン・スキーム(NGS)のオープンガーデンに参加していて、年に数回、一般公開が行われます。また、庭園独自の一般公開日も設けられていますが、その人気は高く、どちらの日程も発表されるなり、あっという間に予約が埋まってしまうそう。 この大人気の庭園を作り上げたのは、2010年からヘッドガーデナーを務めるマット・リースさんです。彼は、英国王立植物園キューガーデンと、英国王立園芸協会のウィズリーガーデンという、世界最高峰の2つの庭園で経験を積んだ後に、20世紀を代表する名ガーデナー、故クリストファー・ロイドの自邸、グレート・ディクスターで7年間修業したガーデナー。生前のロイドから直に庭づくりを学んだという、貴重な経験を持つ人物です。 「マルバリーズ・ガーデンズ」前編では、マットさんが一から作り上げた、セイヨウイチイの生け垣に囲まれた美しいガーデンルームの数々をご紹介していますので、ぜひご覧ください。 では、庭巡りを続けましょう。 屋敷を彩るテラスボーダー 小さなウッドランドガーデンの木々の間を抜けていくと、アーチの先は明るく開けていました。左奥に屋敷が見え、その脇に、植栽豊かなボーダーが広がっています。 「ここは、先日発売されたガーデン誌〈The English Garden(2019年7月号)〉の表紙になったんですよ。写真は早朝ですね。4月には、別のガーデン誌〈Gardens Illustrated〉でも紹介されました」 屋敷に沿って、敷石の小道と花壇が長く伸びています。石と石の隙間にも緑がのぞいて、ナチュラルな雰囲気。黄色の穂を立ち上げるエルサレムセージ(フロミス・フルティコサ)や、オレンジの花穂のエレムルス、フランネルソウ、ゲラニウム、ユーフォルビアなどが混ざり咲いて、花々の競演は、遠く、奥まで続いています。 イタリア風のレンガ造りの屋敷は、ヴィクトリア朝時代の1870年に建てられたもの。テラスガーデンの植栽が、この屋敷をより美しく見せています。屋敷を背に立つと、花壇の先に芝生があって、その向こうには、パークランド(草原)が遠くまで広がっています。 このテラスボーダーは、マットさんにとって「実験」を行う場。植物の性質を確かめたり、植物同士の組み合わせを試したり、新しいものに挑戦する場所です。たくさんの草花が混じり合う植栽を魅力的に保つためには、頻繁に植え替えを行うなど、こまめなメンテナンスが欠かせませんが、マットさんは労力を惜しみません。さすが、「世界一、忙しい庭」と呼ばれるグレート・ディクスターで修業したガーデナーさんです。 ゲラニウムにジギタリス、バーバスカム、セリンセ、オリエンタルポピー、エリンジウムなど、たくさんの植物が混じり咲くボーダー。それぞれが自由に茂り、ラフな雰囲気が心地よい楽しい一角。左側には、パーゴラがあります。 花壇の中で、オレンジがかった明るい色を添えていたのは、一重のハイブリッドティー、‘ミセス・オークリー・フィッシャー(Mrs. Oakley Fisher)’。これは、マットさんにとって大切なバラなのだそう。なぜなら、名園シシングハースト・カースル・ガーデンを作り上げた、ヴィタ・サックヴィル=ウェストから、マットさんの師匠であるクリストファー・ロイドに贈られ、その後、ロイドからマットさんに贈られたものだから。20世紀を代表する2人の偉大なガーデナーから、新時代を牽引するガーデナーの一人であるマットさんへと託されたバラは、イギリスの庭園史の流れを象徴しているかのように思えます。 マットさんは、師匠ロイドの著書だけでなく、イングリッシュガーデンの基礎を作り上げたウィリアム・ロビンソンや、ロマンチックな植栽を得意としたヴィタ・サックヴィル=ウェストが書き残した本からも、多くを学んできたそうです。 無数の植物がコレクションされたガーデンに圧倒されてしまいますが、まだ他にもガーデンがあるとのことで、次のエリアに向かいます。 対比を楽しむトピアリーメドウ 最初、車で入ってきた時に目にしたトピアリーメドウにやってきました。真っ赤なポピーの咲くメドウに、エレガントなスタイルに刈り込まれたトピアリーがいくつも立っています。赤と緑の色彩が鮮やか! メドウにはワイルドフラワーが咲きますが、時期によっては真っ白な花が咲き広がるなど、色彩が変化するようです。 「ポピーなどが咲く自然なメドウを、人工的なトピアリーと並べることで、対比の面白さを見せているガーデンです。トピアリーの形は、鳥のようにしたいと思っています」 刈り込まれたトピアリーの頂上付近をよく見ると、まだ整形されていないよう。この部分を伸ばして、鳥を形作るのでしょうか。 グレート・ディクスターにも似たスタイルのメドウガーデンがありますが、この庭は師匠のロイドに捧げるオマージュかもしれませんね。 トピアリーメドウの奥には、柵に囲われたニワトリ用のスペースがあって、キュートな小屋が建っています。じつは、これらのニワトリもガーデナーさんたちがお世話しているとのこと。この他に、ヒツジやウシも飼われています。 クラシカルな美しさ ホワイトガーデン どんどん進んでいくと、レンガ塀でぐるりと囲われた、大きなウォールドガーデンにやってきました。扉の向こうに、ホワイトガーデンが見えます。 このウォールドガーデンの中には、英国の有名なランドスケープデザイナー、トム・スチュワート=スミスが、前オーナーのために作った庭がありました。多年草を取り入れた、モダンな要素のある、個性的なデザインの庭だったそうです。 「しかし、私たちはこの場所を、例えば、ウィリアム・ロビンソンが作ったような、ナチュラルな、イングリッシュガーデンの伝統を感じるものにしたかったので、すべて作り直しました」 ウィリアム・ロビンソンは、19世紀後半に活躍した造園家。整形式庭園全盛期の、人工的な庭園が人気を博していた時代に、植物の自然な姿を生かした庭づくりを提唱し、現代に続くイングリッシュガーデンの基礎を築きました。ミックスボーダーやメドウガーデンなど、植物が思い思いに咲き乱れる、イングリッシュガーデンのナチュラルなイメージは、ロビンソンの時代に生まれたものです。 ホワイトガーデンは作り直してから6~7年経ちますが、3年程前に生け垣を足して、エリアを拡大したそうです。人の背丈以上に伸びた白花のバラや宿根草などが、奥に建つガラス温室を覆い隠すように茂っています。 ガーデンの途中に、再び水音の演出を発見。四角く組まれた石の中心から隙間へと流れ落ちる水が底で反響して、涼しげな音が周囲に響いています。 小さな噴水は、全部で4つ。景色に静かな変化を与えています。 エレガントな雰囲気のキッチンガーデン ホワイトガーデンの隣には、野菜や果物、切り花を育てるキッチンガーデンがありました。ツゲの低い生け垣に囲まれて、季節の野菜が整然と育っています。2つの白い構造物は、果樹を育てるための大きなフルーツケージ。他の庭園にあるものを参考に、マットさん自身がデザインしたものだそう。装飾性の高い白いケージときれいに刈り込まれた生け垣が、このキッチンガーデンに優美な雰囲気を与えています。 2棟のフルーツケージの中にあるのは、サクランボの木。収穫が2度できるように、早く実る木と、遅く実る木が、それぞれ1本ずつ植えられています。果実が鳥に食べられないように、ケージはぐるりとネットで囲まれています。 訪ねた時は、ちょうど、サクランボが実っていて、足元には、イチゴが広がっていました。2段ベッドのような、効率的な空間の使い方ですね。 「2010年にここをオーナーが買い、その2~3カ月後に私は雇われ、それ以来、すべての植栽やデザインを行ってきました。これまでいろいろ手を加えてきましたが、これからももっと変えていきます。プロジェクトがたくさん待っていますが、まだまだ新しい植栽法にチャレンジして、植え込みも毎年変化させていく予定です。日本は幾度か行きましたが、北海道の庭はまだ見たことがありません。クマに遭遇しないように気をつけながら、いつか行ってみたいと思っています」 マットさんは最後に、未来の庭への思いをそう話してくれました。 ホワイトガーデンとキッチンガーデンが接する地点には、向こうまでずっと続く、緑のトンネルがありました。花は終わっていましたが、キングサリのトンネルのようです。長さを尋ねてみると「80mかな」と、あまり気にしていない様子。黄金色の花が満開の頃、ここにはどんなゴージャスな景色が現れるのでしょう。 マルバリーズ・ガーデンズの庭巡りを終えて、同行した北海道上野ファームのガーデナー、上野砂由紀さんは、このように話していました。 「マルバリーズはインスタグラムで見つけたガーデンで、書籍などでも情報を得ていましたが、これが初訪問となりました。インスタでは分からなかったことも見ることができて、非常に勉強になりました。 日本では、一年草は植え替えることが定着していますが、宿根草については、一度植えたら抜いたり移動したりしてはいけない、という意識が強いですよね。(でも、ここでは宿根草も植え替えていて)イギリスに来る度、マットさんのような、果敢にチャレンジするガーデナーたちの姿を目にして、私も多くの刺激を受けます」 「帰国したらすぐに植え替えたいもののイメージも、もう頭の中にあります。よく、宿根草は植え替えちゃいけないんですか? と訊かれますが、色合わせに失敗したなとか、もう少し色を足したいな、と思う場合は、一年草でも宿根草であっても、根がダメージを受けやすいものを除いて、春や秋のタイミングで植え替えていくのは、庭にとって非常に大切なことです。マットさんも、庭の成長とともに植栽を変えていくことが、いちばん面白いことだと話していました。ガーデン雑誌でもまだ十分に紹介されていない最新のガーデン、見せていただけてよかったです」 イギリスの庭巡り、残念ながら2020年は中止となりましたが、またいつか訪れて、ガーデナーさんたちの交流によって庭が進化していく様子を、ガーデンストーリーでお伝えすることができたらと、強く願っています。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】注目のガーデナーが生み出す21世紀のイングリッシュガーデン「マル…
緑の壁に囲まれた美しいガーデンルームの数々 ロンドンから車で西に向かい、1時間半ほど。庭園はハンプシャー州、ニューベリーの町の近くにあって、近隣には、人気のテレビドラマ『ダウントン・アビー』の撮影が行われた、ハイクレア・カースルがあります。 車が敷地内へと進み、まず目に入ってきたのは、真っ赤なポピーがトピアリーの間を埋め尽くす、鮮やかな景色! 目が釘付けになって、庭への期待がぐんと高まります。 車を降りると、ヘッドガーデナーのマット・リースさんが出迎えてくれました。マットさんは、英国王立植物園キューガーデンと、英国王立園芸協会のウィズリーガーデンという、世界最高峰の2つの庭園で経験を積み、その後、20世紀を代表する名ガーデナー、故クリストファー・ロイドの自邸、グレート・ディクスターで7年間修業し、腕を磨きました。生前のロイドから直に庭づくりを学んだという、貴重な経験を持つガーデナーです。 マルバリーズのオーナーがこの地所を購入したのは、2010年のこと。マットさんは、それからまもなくしてヘッドガーデナーを任されました。 「私がここに来た時、敷地の西の端には、以前からのウォールドキッチンガーデンがありましたが、それ以外は、サッカーグラウンドがあるだけでした。そこから、すべてのガーデンを新しくつくったのです。1年目は何もせず(といっても、観察したり、計画したりはしていたのでしょうが)、2年目以降は、そのウォールドキッチンガーデンと、少し離れたところに建つ屋敷を繋げるために、どんな庭をつくるかという課題に取り組みました」 マットさんは、オーナーとともに数々の名園を見て回り、どんな庭をつくるべきか検討を重ねました。さまざまな庭を見るうちに、目指すべき方向性が定まります。それは、「きちんと整った構造物の中で花々が豊かに咲く、イングリッシュフラワーガーデン」でした。マットさんは、オーナーの意向に沿いながら、自ら庭をデザインし、そして、セイヨウイチイの高い生け垣という「整った構造物」で囲われ、それぞれに異なるテーマを持った、魅力溢れるガーデンルームをいくつもつくり上げてきました。その「部屋」に入るたびに、玉手箱を開けるような楽しさがあります。 現在、マルバリーズの庭は、マットさんに加えて、4人の専任ガーデナーと学生さんによって維持されています。敷地の総面積は10エーカーですが、その多くは森や草原(パークランド)で占められています。マットさんが、庭園の各エリアを一緒に巡りながら、丁寧に案内してくれました。 ネプチューンに守られる水の庭 まず最初に入ったのは、コッツウォルドストーンを使った、優美なデザインの石塀に囲まれたエリアです。緑の芝生が広がり、その中央に、細長い池のような窪みが見えます。近づくと、チョロチョロと水の音が聞こえてきます。 窪みの中は細長い水路になっていました。左右から細く噴き出す水が、カーブを描きながらその中に注がれ、静かな水音が、窪みの空間に反響して聞こえてきます。 「この庭は6年前に、何もないところからつくられました。他のガーデンとは異なるスタイルで、植物の数を抑えて、構造物を生かしたウォーターガーデンとなっています。中央の長方形のスペースの下には水が流れていて、この水位を調整すると、反響する音が変わるようになっています」 「海洋の神ネプチューンの彫像と、グロット(少し窪んだ石組みの壁部分)のデザインは、2年前に追加しました。彫像は現代のもので、友人の彫刻家スティーブン・ペティファーが手掛けました」 芝生や木の葉の緑が主体の庭ですが、グロットの壁面や石塀には、‘メグ’や‘ニュー・ドーン’といったバラによって、ささやかな色が添えられています。 「庭のデザインに水を用いるアイデアは、京都に4週間滞在した時に出合った、小さな滝といった、水の音の演出から得ました。静かな空間にさらさらと水が流れる、そのサウンドに惹かれたのです」 マットさんは知日家で、京都をはじめ、日本各地を何度も訪れているそうです。 一方、細長い水路のデザインは、スペインのアルハンブラ宮殿の庭にインスピレーションを得たものだそう。 「いずれ、水辺の両側に植えた樹木は、丈高く、空を隠すくらいまで伸びて、枝葉のトンネルの中に水が流れているような景色になる予定です。これらの樹木は‘白普賢(シロフゲン)’という、日本の八重桜。アーネスト・ウィルソンが1910年に日本から輸入した桜です」 グロットの周辺には多少の色があるものの、緑を基本に構成されたシンプルな庭です。低く仕立てられた木々の下で、繊細に弧を描く水のラインが、緑に引き立ちます。それは、初めて目にする景色でした。サクラが満開の頃や、花散る頃の景色も、きっと幻想的で、美しいのだろうなと、想像が膨らみます。 いつまでも水の音に耳を傾けていたいところですが、次のエリアに進みましょう。 炎の色彩 ホットガーデン 先ほどとはテイストが変わって、こちらは植栽豊かなエリア。長方形の庭の2つの長い辺に沿って、奥行きのある花壇が伸びています。この花壇は、盛夏に向けて、トリトマ、ルピナス、ヘレニウムなど、赤やオレンジの鮮やかな色の花がどんどん咲いていくので、「炎の花壇(フレイム・ボーダー)」と呼ばれているそう。訪れたのは6月で、まだ少しおとなしい色彩でした。夏真っ盛りの様子も見てみたいものですね。 「ここは完全なミックスボーダー(混植花壇)で、樹木もあれば、灌木や宿根草、一年草もあります。そして、このポピーのように、勝手にこぼれ種で生えてくるものもあって、それらも生かしています。花壇を目にした時に面白いと思ってもらえるように、隣り合う植物が対照的な姿になるように計算して。例えば、尖った葉の横には丸い葉を、というように。形も色も対比させて、楽しめるようにしています」 「花壇の植物はどんどん育っていきますから、全体的なバランスが悪くならないように刈り込んでいます。また、花が咲き終わったら、スポットごとに次のシーズンの花へと変えていきます。例えば、ここには4月はチューリップが植わっていましたが、6月の今はルピナスがあって、次はダリアとなります。植え替えをする時は、宿根草でも多年草でも、完全に抜いてしまいます。抜いたものは、株分けすることもあれば、捨ててしまうこともあります」 銅や紫、ライムグリーン、赤……。色や形のさまざまな植物が隣り合って、生き生きと茂っています。 さて、先を見ると、小道が別の庭へと続いていて、奥のほうに置かれた彫像が見えます。 振り返ると、先ほどのウォーターガーデンから通ってきた小径があって、奥にネプチューン像が見えます。 左を見ると、遠くに可愛らしいニワトリ小屋が。 そして、右を見ると、これから向かう、池のある庭があります。 このホットガーデンは、いわば、十字の交差点の上に置かれている庭。四方向に小道が伸びて、それぞれ別の庭へと繋がっています。背の高い生け垣で囲われている庭ですが、四方向にある開口部は遠くまで視線が抜けて、メリハリのあるデザインとなっています。 水面を楽しむポンドガーデン さて、ホットガーデンから次の庭へ進むと、静かな水面が広がっていました。大きな長方形の池のある、ポンドガーデンです。 「ここも、大きなカシノキ以外は何もない、まっさらな場所でした。この庭の見どころは、池の水に映る影。水面に映り込む、周囲の植物の姿を楽しむ庭です」 池は四方を豊かな植栽で囲まれていて、その変化に富む植栽が水面に映ります。風がなく、艶やかな水面に映る草木のシルエット。ガーデンには静けさが漂います。 池の畔では、水の妖精、ニンフが水面を見つめていました。 さて、ぐるりと池を一周したら、隣のエリアへ向かいましょう。 オーナー夫人好みのクールガーデン 「ここは、清涼感のある寒色でまとめた、クールカラーガーデンです。オーナーは暖色(ホットカラー)が好きで、夫人は寒色(クールカラー)が好き。そういうわけで、先ほど見ていただいたホットガーデンと、このクールガーデンがつくられました」 「ここの花壇も、先ほどと同じように、樹木、灌木、宿根草などが混じり合った、ミックスボーダーです。また、ここでも、このルピナスが終わったら、次はサルビアという風に、植物を植え替えています」。 マットさんは、植え替えの労力を惜しまず、ベストの状態の美しい花壇を保とうとします。その姿勢は、おそらくグレート・ディスクター仕込みでしょう。師匠のクリストファー・ロイドも、美しい植栽を求めて頻繁に植え替え、「実験」を繰り返した人物でした。 株全体が青く染まるエリンジウムやサルビア、ゲラニウム、アリウムなどが青紫の色を添え、優しいトーンでまとまっていました。その他に、この庭では、アイリスやカンパニュラ、デルフィニウム、フロックス、アザミ、ワレモコウの仲間、カラマツソウの仲間などが使われています。 「花壇には、日本のカエデ ‘獅子頭(シシガシラ)’も植わっています。秋になるときれいに色づきますよ」。 心穏やかに、一つ一つの植物をじっくり眺めていたいエリアです。 太古の森のようなスタンプリー 砂利道をしばらく行くと、巨木が葉を伸ばし、濃い影を落としています。小さなウッドランドガーデンへと入っていきます。 進んでいくと、木の切り株がワイルドな雰囲気を醸し出す、スタンプリーがありました。スタンプリーとは、19世紀のヴィクトリア朝時代に生まれた庭園スタイル。切り株(スタンプ)を置いた、いわば「切り株園」で、プラントハンターによって英国に持ち込まれた、シダ類を栽培するのに適していました。 「この切り株には苔が生えていますが、これは屋久島のイメージです」 屋久島まで足を伸ばしたことがあるという、マットさん。ここは、イギリスにいながら、遠い日本での旅の記憶が蘇える場所なのかもしれませんね。このスタンプリーがつくられ始めたのは2015年ですが、もう苔が広がって、太古の森のような、長い時間が経過した雰囲気があります。苔がきれいに生えているのは、ミストシャワーが設置されていて、湿度が適度に保たれているからなのでしょう。 幹や根が折れていたり、曲がっていたり。そのワイルドなフォルムに、クサソテツやシダなどの緑が着生して、エキゾチックなイメージです。シダの中には、マットさん自身がヒマラヤで採取した、貴重なものもあるそうです。 さらに進むと、なんと大きな白い花でしょう。おばけモクレン? 「葉っぱの裏がビロードみたいに美しいね。ホオノキの仲間だよ、ほら見てごらんよ」と、マットさんが木を引き寄せたら、花茎が折れてしまいました。 同行していた、北海道・上野ファームのガーデナー、上野砂由紀さんのお顔より大きな花! 「すごいおっきいね!」日本にはない植物に、庭散策は盛り上がりました。 *『マルバリーズ・ガーデンズ』後編に続きます。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】「グレイブタイ・マナー」〈後編〉イングリッシュガーデンの源流を…
緑の丘に広がるワイルドガーデン ロンドンから南へ50km。ウェスト・サセックス州の美しい田園風景に囲まれたグレイブタイ・マナーは、現在は高級カントリーサイドホテル、そして、ミシュランガイドの一つ星を獲得したレストランとして知られています。屋敷の周りに広がる35エーカー(約14万㎡)のガーデンは、宿泊かレストランのゲストのみ見学ができます。 ウィリアム・ロビンソンについては、『グレイブタイ・マナー』前編にて詳しくお話しているので、ぜひご覧ください。この後編では、屋敷の周りに広がるガーデンを散策していきます。歴史的なキッチンガーデンで採れる食材を使った、美しいお料理もご紹介しますよ。 それでは、ガーデンツアーを始めましょう。16世紀の屋敷は南を向いた丘の斜面にあって、屋敷前には、芝生と花壇からなるフラワーガーデンがあります。その外周には、屋敷を囲むようにメドウと果樹園が広がっていて、そして、丘のてっぺんに、大きなキッチンガーデンが待っています。 グレイブタイのヘッドガーデナーを務めるのは、名園グレート・ディクスターで腕を磨いた、トム・カワードです。彼は、園芸史に名を残す文化遺産、グレイブタイの管理者として、「ロビンソンにも満足してもらえるような」進歩的な庭づくりを行っています。 屋敷を囲む塀の外側には、赤いポピーやヤグルマギク、フランネルソウ、バーバスカムなどが植わっています。後ろのほうには、丈高いアーティチョークや黄花のディルなどがあって、ダイナミックな、動きのある植栽です。このような、宿根草や灌木などいろいろな種類の植物が混在するミックスボーダーのスタイルを生み出し、一般に広めたのも、ロビンソンです。 ここがメドウガーデンの始まり 塀を背に南側を向くと、眼下にメドウが広がり、その先には湖と森が見えます。100年以上前のこと、ロビンソンは周辺の森や牧草地、1,000エーカー(約4㎢)を所有していました。現在、その土地は慈善団体によって管理されていますが、おそらく、ここに見える草原や森までも彼のものだったのでしょう。 ロビンソンは、森のはずれや森の中の空き地、牧草地や湖の周りに、耐寒性のある外来種の球根花や植物を植え、それらを帰化(野生化)させて、イギリスの在来種と一緒に、自然で美しい景色を作ることを試みました。彼が「ワイルドガーデン」と名付けた庭づくりで、それは当時の園芸に対立する、全く新しい概念のガーデニング法でした。ロビンソンは、この湖の周りにも、イベリア半島原産の小さなスイセンを10万球植えたと伝えられますが、春になると、それらは今も咲くのでしょうか。 こちらは、もう少し丘を上った、果樹園の区画に広がるメドウです。これらのメドウは、グレイブタイのワイルドガーデンを形作る、最も大切な要素です。ロビンソンの著書を参考に植栽が考えられ、2月のスノードロップとクロッカスから始まり、3月は黄色いラッパズイセンと青いシラー、4月は野生種のチューリップや北米原産のカマシア、その他の球根花が花開いて、5月になると、イギリスの野生の花々が夏の終わりまで咲き続けます。私たちが訪れた2019年6月は、ワイルドフラワーが咲く景色でしたが、春の球根花の群生も見てみたいものですね。 フラワーガーデンの西の端にある小道から、遠くに屋敷と芝生が見えました。 上ってきた道を振り返ると、左手に、先ほど立っていた、パーゴラの連なる小道が見えます。ロビンソンはその昔、パーゴラに日本原産のフジや、クレマチスを絡めていました。それに倣って、現在、このパーゴラにもフジを這わせています。春になると、頭上から白い花房が垂れ下がり、両脇にブルーのアイリスと紫のアリウムが咲くという、夢のように美しい取り合わせが見られるそうです。 こちらは果樹園のメドウ。広さ2エーカー(約8,000㎡)の区画には、リンゴを中心とする果樹が点在しています。100年以上前にロビンソンが植えた第1世代の木々は、1987年の大嵐でほぼ倒されてしまい、今ある果樹は、1980年代に植えられた第2世代と、現在のオーナーによって2011年に植えられた第3世代の50本だそう。歴史を感じますね。果実はレストランの料理に使われるほか、ジュースにして保存され、ホテルの朝食で提供されます。 丘の中腹に、バラの絡まる、石塀で囲われたベンチがありました。ひと休みできるこのスポットは、そのうちバラで覆われるのでしょう。もう少し丘を上ると、ガラスの温室がいくつか見えてきました。 背の低い温室はコールドフレーム(冷床)と呼ばれる、苗を寒さから守るものです。苗を保管するバックヤードもおしゃれな雰囲気。 中で育てているのはハーブでしょうか。ガラス屋根をずらして通気できるようになっています。 背の高いほうの温室は、ちょっとレトロな雰囲気です。出番を待つ苗が並んでいます。 その先にあるのは、ピーチハウス。桃専用の温室のようで、実がなっているのが見えます。桃を露地で育てるにはきっと涼しすぎるのですね。 広い敷地の中を、パブリック・フットパスが通っていました。パブリック・フットパスとは、イギリスの丘や川辺、牧場などを抜ける公共の遊歩道のことで、このように私有地を通っている場合もあります。私有地は勝手に入ることができませんが、遊歩道上なら歩いてもよいことになっています。こんな美しい緑の中で、ゆっくりウォーキングを楽しんでみたいですね。 丘の上のキッチンガーデン さて、さらに上へ登ると、石塀に囲まれたキッチンガーデンのゲートが見えてきました。ウィリアム・ロビンソンが1898年に建設を始めたというキッチンガーデンです。 これまで英国の庭をいくつか見てきましたが、その中でも最大級のキッチンガーデン! 広さは堂々の1エーカー半(約6,000㎡)。丘のてっぺんの、南向き斜面につくられています。 地面に立っているとよくわかりませんが、上空から撮った写真を見ると、このキッチンガーデンは木の葉のような楕円形という、とても珍しい形をしています。通路は、中央を貫く通路が一本と、そこから左右に枝分かれして、ぐるりと一周できる大きな楕円の通路があって、それらの通路と、野菜の植わる畝の線が、まるで葉脈のように見えます。ロビンソンが木の葉をイメージしたかどうかはわかりませんが、緑の丘に抱かれるようにつくられた菜園に、四角が似合わないと思ったことは確かでしょう。 石塀には、地元サセックス州で切り出された砂岩が使われていますが、当時、この石塀を建ててガーデンを完成させるのに、3年を要したそうです。斜面に建てられているので、階段状の塀になっています。 イギリスの大きなお屋敷では、かつてこのようなキッチンガーデンが必ずあって、屋敷で消費される食料をまかなっていました。しかし、当時の菜園で、今も実際に使われているものはあまりありません。100年前と同じように、同じ手法を用いて作物を収穫できているのは特別なことだと、ヘッドガーデナーのトムは言います。昔ながらの方法でこのキッチンガーデンを使い続けることも、保全活動の大切な一部です。 2012年に、キッチンガーデンの大規模な修復作業が行われて、通路などがきれいに手入れされました。 エスパリエ仕立ての果樹と、菜園には、ハーブや切り花用の花も植わっています。 石塀に誘引されているのはレッドカラントでしょうか。ここでは四季を通じて収穫があり、それらはすべて、レストランの料理に使われます。まさに採れたての鮮度と、風味豊かな食材の魅力を存分に生かすべく、料理は考えられています。野菜などの栽培計画は、レストランのシェフとヘッドガーデナーが話し合って決めていて、シェフも毎日ここに足を運ぶそうです。 この壺のようなものは、ルバーブの遮光栽培をするための、ルバーブ・フォーサーでしょう。使いこまれているので、古いものかもしれませんね。果樹は鳥よけのケージの中に植えられています。 果樹のエスパリエ仕立てには、省スペースや日光を効率よく浴びるといった実用的な側面もありますが、古い石塀を背に枝を広げる姿はただ美しいものですね。さて、キッチンガーデン散策はこれで終わりです。 ゲートを出て、鬱蒼とした木々の間の小道を進むと… 一転して、開けた場所に出ました。丁寧に芝刈りが行われている、クロッケー用の芝生です。ここでは、バドミントンやショートテニスを楽しむほか、読書をしてゆっくり過ごしてもよいとのこと。静けさの漂うクリーンな空間は、ワイルドガーデンとコントラストをなす、ガーデンデザインの上でも大切な要素です。 屋敷周りのフラワーガーデン そのまま進むと、屋敷を見下ろす場所に出ました。見晴らしがよく、遠くまで見渡せます。 屋敷に続く石段を下りていきます。階段脇にもいろんな草花が植わっていて、楽しい! 階段を降りると、突然、古い建物に挟まれる形で、現代的なガラス張りの増築部分が出現しました。レストランに使われている新しい区画で、とってもおしゃれ。 この増築部分を設計した建築家は、30年にわたってレストランの常連客だったそう。だからこそ、素敵な庭のことがよくわかっていて、庭を存分に味わえるように考えたのでしょう。 レストラン脇の斜面は、グラス類やルピナスを使った、他の区画よりモダンで軽やかな印象の植栽。レストランのガラスや新しい白い敷石のテラスによくマッチしています。 レストランのテラスからは、昔からの敷石の小道が続いていて、途中にパラソルのあるテーブル席が用意されています。 庭で草花に囲まれながら、お茶や飲み物を楽しむこともできます。とても贅沢な時間の過ごし方ですね。 ウィリアム・ロビンソンが暮らしていた当時、芝生の生えている4つの区画は、低い生け垣に囲われた大きな花壇になっていて、いろいろな植物が植えられていました。海外からやってきた新しい植物がイギリスのどんな環境に合うのか。どんな植物同士を合わせると美しいのか。ロビンソンはそんなガーデニングの実験を繰り返し、花壇は日々、変化していたそうです。 芝生の中央には、ロビンソンの頃からのものでしょうか、古い石造りの日時計が、素朴なエリゲロンに彩られています。 フラワーガーデンの芝生は、見晴らしがよく、開放感のある空間です。カントリーサイドホテルの醍醐味ですね。 軽やかな明るい花色の中で、渋めの赤が効いた、とても美しい植栽です。春の植栽は、オレンジや赤のチューリップが主役だそう。 これぞ21世紀のコテージガーデン・スタイル。植物が自然に生い茂るような、ナチュラルな植栽ですが、花色に立ち姿、開花期間など、きっと計算されつくしているに違いありません。 ミシュラン一つ星の優雅なランチ 庭めぐりを終えて、いよいよランチの時間です。漆喰の天井飾りが美しい、二階の一室に通されると、イギリスの貴族ドラマに出てくるような長テーブルが私たちを待っていました。お庭からちらりと見えた、一階のガラス張りのお部屋にいた皆さんは、とても優雅な雰囲気で楽しんでらっしゃいました。誕生日や結婚記念日など、特別の機会に訪れるお客様も多いそうです。 窓から庭の緑が見えます。さて、キッチンガーデンで採れる野菜はどんなお味でしょう。料理が楽しみです。 こちらは、特製スモークサーモンに、サワークリームのようなクレム・フレーシュをミルフィーユ状に挟んだもの。上品な甘さのビートと、爽やかな苦味のクレソンが添えられています。 メインディッシュは、マッシュポテトとスプリンググリーンの上に載った子牛のステーキ。肉や魚は地産の最高級のものが使われていて、しっかりとした味わいです。マッシュポテトはぽってりとして、少し苦味のあるスプリンググリーンがアクセントに。デザートのカラメルホワイトチョコレートムースのカカオニブ添えは、地産のハチミツの繊細な甘みが美味しく感じられました。 美しいガーデンと、ミシュラン一つ星のおもてなしに、心もお腹も満たされた、とても幸せな時間でした。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】「グレイブタイ・マナー」〈前編〉イギリスのガーデニングを変えた…
歴史的価値を持つガーデン 16世紀後半のエリザベス朝時代に建てられたグレイブタイ・マナーは、ロンドンから南に50kmほど、ウェストサセックス州イースト・グリンステッドの近くにあります。19世紀、ヴィクトリア朝時代のガーデナーで園芸著述家のウィリアム・ロビンソン(William Robinson 1838–1935)が所有し、暮らしたことで、イギリス園芸史に残る文化遺産となりました。 現在、グレイブタイ・マナーは、美しい庭と田園風景の中でくつろぐことのできる、高級カントリーサイドホテル、そして、ミシュランガイドの一つ星を獲得したレストランとして知られています。屋敷の周りに広がる35エーカー(約14万㎡)のガーデンは、宿泊かレストランのゲストのみ見学ができます。現在見られる庭は近年の修復作業によって生まれたものですが、そこにはロビンソンの精神が息づいています。 「ワイルドガーデナー」ウィリアム・ロビンソン ウィリアム・ロビンソンは1838年、ジャガイモ飢饉の貧しさにあえぐアイルランドに生まれました。幼い頃から庭師見習いとして働き、23歳でロンドンに移ると、リージェンツ・パークの植物園で経験を積みます。 彼がロンドンで働き始めた19世紀中頃、ヴィクトリア朝中期のイギリスは、産業革命による豊かさの絶頂にありました。当時の園芸は、最新技術で建てられたガラスの温室で、プラントハンターが集めてきた熱帯の植物を育てたり、外来種の一年草を使って整形式花壇を作ったりするのが主流でした。非常にお金のかかった、贅沢な園芸が人気だったのです。 ロビンソンは次第に、そのような人為的で、自然を支配するような栽培や植栽の在り方に疑問を持ち、森や草原などの自然の美を生かした庭づくりを考えるようになります。 1866年、彼は29歳で有名なリンネ協会の特別会員に選ばれ、その後、雑誌や新聞に園芸記事を寄稿する著述家として仕事を始め、独立します。そして、1870年、代表作となる “The Wild Garden” を発表し、イギリスの森の外れや草原に、寒さに耐えられる野生種の外来種を植えて帰化させ、外来種と在来種を合わせた「自然で」手のかからない景色をつくることを提言しました。花々で幾何学模様を描く整形式庭園がもてはやされていた当時、その流れに真っ向から対抗する新しい庭づくりを示したのです。ロビンソンはその後も植物の最新情報を書き加え、改訂を繰り返しました。大反響を呼んだこの本は、今も読み継がれる、園芸本のベストセラーとなっています。 同時代を生きた友 ガートルード・ジーキル ロビンソンは翌年から、園芸週刊誌 “The Garden” を編集者として立ち上げ、ワイルドガーデンの考え方を一層広めていきます。週刊誌の寄稿者には、友人の女性ガーデンデザイナー、ガートルード・ジーキル(Gertrude Jekyll 1843-1932)もいました。 ジーキルは、昔ながらのコテージガーデンのスタイルを、鮮やかな色彩の植栽に発展させて、富裕層のガーデンシーンに大きな変化をもたらした人物です。2人はコテージガーデン風の自然な植栽というデザインの信条を分かち合い、長年にわたって友人関係を続けました。1883年にロビンソンが発表した著書 “The English Flower Garden” には、ジーキルによる寄稿記事が含まれていますし、また、このグレイブタイ・マナーの庭づくりにもジーキルが協力したといわれます。 早春の森のスノードロップに始まり、公園や草原に咲き広がるクロッカスやラッパズイセン、木立の中のブルーベル、そして、メドウの花々。イギリス各地で季節の移ろいを告げる、英国人にお馴染みの「自然な」花景色は、ロビンソンのワイルドガーデンの考え方から生まれたものといえます。ロビンソンは、宿根草を使った植栽スタイルやミックスボーダー(混植花壇)を広め、高山植物を使ったロックガーデンも提案しています。一方のジーキルは、さまざまな花が色彩豊かに咲く、ナチュラルな植栽スタイルを生み出しました。現在あるイングリッシュガーデンの姿は、ロビンソンとジーキルの2人によって、大きく形作られたと考えられています。 ガートルード・ジーキルについてはこちらの記事もご覧ください。 ●ジーキル女史のデザインがよみがえった「マナーハウス、アプトン・グレイ村」 ●現在のイングリッシュガーデンのイメージを作った庭「ヘスタークーム」【世界のガーデンを探る19】 理想の景色を求めた実験の日々 文筆業の成功で財を成したロビンソンは、1884年にグレイブタイ・マナーの屋敷と庭園、そして、周辺の土地を購入し、翌年から庭をつくり始めます。そして、亡くなるまでの約50年間をここで暮らし、自らの考えを実践する場として、理想とする景色を求めてガーデニングの実験を続けました。新しい外来植物がイギリスのどんな環境に合うのか、どんな植物同士を合わせるとよいのか、彼は実験の結果を著書や園芸誌で伝え続けました。 ロビンソンは周辺の牧草地や雑木林を徐々に買い増し、最終的には1,000エーカー(約4㎢)の土地を所有しました。森を守ることは人間にとって大切なことと考え、北米やインド、中国を原産とする、さまざまな広葉樹や針葉樹を植えて、新たに森をつくっています。そして、その森のはずれや、森の中の空き地、メドウ(牧草地)や湖の周りには、自らの考え通りに、耐寒性のある外来種の球根花や植物を植えて帰化させ、在来種とともに、自然で美しい景色をつくることを試みました。 ハシバミやクリの雑木林では、日本の白いシュウメイギクをはじめ、ユリ、ハアザミ、パンパスグラスを大きな茂みに育て、その下に、ブルーベルやシクラメンのカーペットをつくりました。屋敷近くの湖の周りに、イベリア半島原産の小型のスイセンを10万球も植えたり、北米原産のシロバナマンサクや、ナツツバキ、ヌマミズキなど、姿の美しい樹木や灌木を森に加えたりもしました。 ロビンソンは、剪定ばさみやホースといった新しい園芸用品も一般に広めました。70歳の頃、彼は怪我で背中を傷め車いすの生活になりますが、車いすを押してもらいながら庭を見て回ったといいます。現代のガーデニングに多大な影響を与えたロビンソンは、1935年に96歳でその生涯を閉じました。 美しさを取り戻した現在の庭 ロビンソンには後継者がいなかったため、全ての財産は営林に役立ててほしいと、国の林業委員会(フォレストリー・コミッション)に遺贈されました。屋敷や土地の管理のために慈善団体が設立されますが、しかし、その後まもなくして第二次世界大戦が始まり、屋敷はカナダ軍の駐留のため接収されます。この時、兵士が花壇を野菜作りのために掘り起こしてしまったので、ロビンソンの残したものは残念ながら、すべて失われてしまいました。 現在、ロビンソンの残した広大な森や牧草地は、ウィリアム・ロビンソン・グレイブタイ・チャリティという慈善団体によって管理されています。敷地の中心にある屋敷と屋敷周りの35エーカーのガーデンは、1958年にピーター・ハーバートに貸し出されて、ホテルとレストランの経営が始められました。ハーバートは2004年に引退するまでの約50年間で、グレイブタイ・マナーを、美しい田舎で最高級のサービスを受けられるカントリーサイドホテルの先駆けとして成功させましたが、彼の引退によってグレイブタイは衰退してしまいます。 しかし、2010年、現オーナーのホスキング夫妻に経営が移ったことで、大規模な改修も行われて、この場所はかつての輝きを取り戻しました。現在のヘッドガーデナー、トム・カワードは、名園グレート・ディクスターで腕を磨いた人物。「ロビンソンにも満足してもらえるような」ダイナミックで実験的なガーデニングを行い、庭をますます美しい姿に変えています。 *『グレイブタイ・マナー』後編で、ガーデン散策の様子をお伝えします。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】イギリスガーデン界の巨匠、故クリストファー・ロイドの自邸「グレ…
時代を先駆けたガーデナー クリストファー・ロイドは、1950年代から生家のグレート・ディクスターを実験場にして、新しいガーデニングに挑戦し続けた園芸家でした。そして、ミックスボーダー(混植花壇)やメドウガーデンなど、自らが体験から得た新しい考え方を、英米の有名ガーデン誌や新聞、著書で伝え、プロやアマチュアのガーデナーたちに刺激を与え続けました。 グレート・ディクスターはクリストファーにとって、ガーデナー仲間との意見交流の場でもありました。彼は、園芸家ベス・チャトーなどの友人を招いて、菜園で収穫した野菜を使った手料理をふるまいつつ、園芸談議を楽しみました。英国園芸界で活躍する人々が集まるこの庭は、ガーデニングの新しい潮流が生まれる場所だったのです。 2006年、クリストファーは84歳で惜しまれつつ他界しましたが、彼が愛し、精力を注いだ庭と屋敷は、現在グレート・ディクスター・チャリタブル・トラストという公益財団に引き継がれ、その遺志を受け継ぐガーデナーたちによって、管理、運営されています。詳しくは「グレート・ディクスター・ハウス&ガーデンズ」前編でご紹介していますのでご覧ください。 さて、前編では、入り口から屋敷を中心に時計回りに庭を巡り、屋敷の南西側のメドウまでやってきました。庭巡りを続けましょう。 色彩豊かなロングボーダー メドウの縁には、屋敷へと延びる、幅広い敷石の小道と細長い花壇「ロングボーダー」があります。雑誌などでもよく紹介されている有名な花壇です。優しい色合いのメドウとは対照的に、このロングボーダーは彩り豊か。たくさんの種類の植物が小道にこぼれるように茂り、競い合って咲いています。 小道を進んでいくと、植物の種類が変わることで色彩も変化していきます。花壇の植栽は、6月中旬~8月中旬に花盛りとなるよう考えられているそう。また、クリストファーは、5月末からは土が見えないくらい植え込むべきと考え、この花壇を「綿密に織られたタペストリーのよう」にしたいと思っていました。 このロングボーダーはミックスボーダー(混植花壇)で、さまざまな植物が使われています。宿根草だけでなく、灌木や一年草、つる植物など、植物の種類にかかわらずなんでも使うのが、クリストファー流。ロングボーダーには斑入り葉の灌木や、真紅やピンクの花を咲かせたバラの茂みも所々にあって、ボリュームたっぷりです。訪れた6月中旬は、バラに加え、ポピーやルピナスの赤い花がアクセントとなって、強い印象の景色をつくっていました。 名建築家ラッチェンス設計の円形階段 ロングボーダーの端まで来て、視線の先を遮っていたマルベリーの大木の茂みを抜けると、左手に、円形のデザインが目を引く個性的な石階段がありました。その先にはメドウが広がっています。 この円形の石階段や、ロングボーダー前の敷石の小道は、20世紀の初めに活躍した名建築家、エドウィン・ラッチェンスによって設計されたものです。アールを描く石のステップの側面には、こぼれ種で広がったのか、ポツポツとエリゲロンの可愛い花が咲いていて、石階段の固い印象を和らげています。使われている石自体100年以上経っているので、趣があります。 メドウに立って、円形の石階段を正面から見てみると、上段に背景となる屋敷、中段にローダンセのピンクの花、下段に石階段と、高低差を生かした立体的なデザインであることが分かります。右側に茂るブラック・マルベリーの木は、もともとは対で両側に生えていたもので、ローダンセの花壇と同じく左右対称のデザインとなっていました。 ラッチェンスは、ガーデンデザイナーのガートルード・ジーキル女史とともにつくり上げたヘスタークーム・ガーデンズでも、似たような円形の石階段を設計しています。庭のアクセントとなる素敵なデザインですね。 花に飾られた石階段を、上ったり、降りたり。次のエリアに向かう過程も、とても楽しめました。 円形の石階段からメドウの中へと、放射状に3本の小道が伸びています。右手の小道を先に進むと、濃い緑の壁に囲まれたエリアがありました。中に入ってみると…… 異国情緒たっぷりのエキゾチックガーデン 他のエリアとはがらりと印象が変わって、緑一色の世界。背丈を超えるほど成長したバショウや木生シダなどが、自由に葉を広げて、面白いコントラストを見せています。ここはエキゾチックガーデンと呼ばれるエリア。もともとは整形式のローズガーデンとして設計された場所ですが、連作障害でバラが育たなくなったため、クリストファーが大改造を行いました。バラからの大胆な方向転換。きっと雰囲気が一新したことでしょうね。 小道の先を隠すように葉が垂れて、ジャングルのような雰囲気です。葉を楽しむための植物の多くは、イギリスの寒さに耐えられるものが選ばれています。6月の段階では緑一色の景色ですが、晩夏から秋にかけて、この庭にはダリアやカンナ、こぼれ種で増えるサンジャクバーベナの花が咲いて、とてもカラフルになるそう。その頃の景色も、ぜひ見てみたいものですね。 楽しみいっぱいのナーセリー さて、エキゾチックガーデンを出て敷地の奥へと進むと、花苗やテラコッタポットなどが並ぶナーセリー&ショップにたどり着きました。このナーセリーは1954年に、クリストファーが、自分が好きな植物を売るという形で始めたもの。特に、彼が大好きだったクレマチスは多くの品種が取り揃えられていて、今でもクレマチス専門店として知られています。 ナーセリー&ショップのエリアには建物が2つあって、小さいほうでは特製ブレンドの土の量り売りや、グレート・ディクスターのマークの付いたタネ袋などが売られていました。大きいほうでは、書籍やハサミ、オリジナルバッグや誘引紐など、心惹かれる商品がたくさん。店先には、アンティークのジョウロやダックスフントを模したジョウロなど、ユニークなグッズもありました(クリストファーはダックスフンドが大好きで、ずっと飼っていました。庭園では今もその子孫が飼われています)。 ガーデンの中で見かけた低い木柵も、山積みになって売られていました。これはガーデンハードルという、英国の庭で伝統的に柵やゲートとして使われているもの。グレート・ディクスターでは築500年の納屋を使って、伝統的な木工品づくりも行っています。古くからある近くの森からヨーロッパグリやクリ、オークなどの木材を切り出して、柵のほかにもスツールやベンチ、はしごなどを作成します。これは、森を守ると同時に、木工品づくりの伝統技術を伝えていくためでもあります。 ショップ付近では、草屋根のロッジア(イタリア式の、片側に壁のない屋根付き柱廊)が飲食スペースとして使われていて、用意されたテーブルや椅子で休憩する人の姿がありました。 苗コーナーも広く、たくさんの品種が並んでいます。奥に見える濃い緑の壁からバショウの葉が伸び出ているエリアが、先にご紹介したエキゾチックガーデンです。 トピアリーとメドウ ナーセリー&ショップのエリアを出ると、目の前に、再びメドウが広がっていました。草むらの中に、セイヨウイチイのトピアリーがリズミカルに配置され、広いスペースにアクセントをつけています。トピアリーは、アーツ&クラフツスタイルの庭で欠かせない要素ですが、日本庭園で見る松の刈り込みのようでもあって、親しみを持てました。クリストファーの父、ナサニエルはトピアリーが大好きで、昔は庭園内にもっとたくさんのトピアリーが立っていたそうです。クリストファーは「トピアリーは存在感があって、長い影をつくる時など、植わっているというより、住んでいるように見える」という言葉を残しています。確かに、ずんぐりむっくりの森の妖精のようにも見えますね。 一方、母のデイジーは、メドウが大好きでした。このトピアリー・ローンと呼ばれる庭は、クリストファーの両親が好きだったものがどちらもある場所です。 メドウとはもともと牧草地のことですが、イングリッシュガーデンでは、草原に小さな花々が咲く風景が、メドウ、もしくは、メドウガーデンとして、ガーデンデザインの中に取り入れられており、広い敷地を持つガーデンには、たいていメドウを思わせるエリアがあります。数あるメドウの中でも、ここグレート・ディクスターの庭は格別です。クリストファーの母は、この庭ができた1910年代からメドウをつくっていたので、彼は幼い頃からメドウに親しんできました。クリストファーは園芸家となってからも、美しいメドウガーデンづくりに試行錯誤し、精通していたので、メドウづくりの第一人者と目されていました。彼は2004年に刊行した著書“Meadows”で、その知識を伝えています。 グレート・ディクスターのメドウは多様性に富むもので、ヨーロッパの野生種のランも育っています。メドウはまた、チョウやガ、昆虫など野生生物の棲む場所としても重要なものになっています。 素朴な花が、まるで自然に咲き広がっているように見えますが、このような景色は、じつはとてもテクニックを必要とするもので、人の手が入ることによってはじめて実現するといわれます。植物同士がバランスよく一緒に成長するように、また、意図しない植物の侵入を避けたり、特定の植物が繁茂しすぎないようにしたり、種まきから成長過程を調整することも、メドウガーデンづくりのテクニックとか。 だからこそ、この景色は毎年必ずしも同じになるとは限りません。またいつか訪れるチャンスがあるかしらと心の片隅で思いながら、そよぐ風や野鳥の声に耳を澄ませて、そこにいる時間を楽しみました。 メドウに囲まれた小道を、建物のある方向へ進むと、屋根につるバラが絡むロッジアが見えてきました。その左横を進んで、次のブルーガーデンに入ります。 よく手入れされた芝生の中に、敷石の小道がまっすぐに通っています。建物に沿って、緑が生き生きと茂っていました。この小道や階段、レンガ造りのアーチも、ラッチェンスの設計です。 屋根に迫るほど大きな果樹のエスパリエがありました。リンゴの木でしょうか、石の壁にぴったり沿って、枝がきれいに誘引されています。こんなに大きなエスパリエを見たのは初めて! 次のエリアへ行く前に振り返ると、階段脇の一角に、いろんな種類のギボウシがバランスよく配置されていました。鉢植えのギボウシがたっぷり日差しを受けて、生き生きと葉を広げています。 次のエリアは、四方を壁にぐるりと囲まれたウォールガーデンです。 中は広い敷石のテラスになっていて、その周りを地植えの木々や鉢植えの植物が囲んでいます。中央付近は、小石を無数に敷き詰めたペイビングとなっていて、クリストファーの愛犬、2匹のダックスフンドがモチーフとなった模様が浮き上がっていました。テラスのペイビングの細かさから、相当のエネルギーが注がれた場所なんだなぁと実感します。 ウォールガーデンの一角は、カンパニュラやゲラニウム、フラックスなど、青系の花々の鉢植えが飾られて、爽やかな印象でした。 さて、庭巡りの最後を飾るのは、サンクン・ガーデンです。サンクン・ガーデン(もしくは、サンク・ガーデン)とは沈床式庭園のこと。イギリスのガーデンデザインでよく取り入れられる手法ですが、庭の中央の「床」が、周囲より一段、もしくは数段低く「沈んで」いて、そこに噴水が設けられたり、花壇が作られたりします。この庭の場合は、中央に八角形の池が作られていて、睡蓮が咲いていました。 もともとこの場所にはクロッケー用の芝生がありましたが、クリストファーの父ナサニエルが、1921年にこのように設計し直しました。ナサニエルは、建築や庭の設計にとても興味を持っていた人で、地域の古い建築に関した本を著してもいます。テラスの周りには芝生が広がっていますが、第一次世界大戦中はその芝生を掘り起こして、野菜を作っていたそうです。 池の水面に映る空の雲や植物のシルエットは、一幅の絵のよう。ベンチに座って、静かな時間を楽しみました。 グレート・ディクスターの広大な庭のメンテナンスには何人ものガーデナーが関わって、こぼれ種から発芽した芽の抜き取りや植え直しなど、とても繊細に行われています。一年で一番忙しい時期は、1月から2月にかけて。グレート・ディクスターは「英国で最も手のかかる庭」として知られますが、植えっぱなしでも育つ宿根草でさえ、よりよい状態を求めて、毎年植え替えるのだそうです。ここではガーデナー教育にも力が注がれていて、屋敷には研修生が住み込んで庭作業に励んでいます。ここを卒業したガーデナーは、他のガーデンで実力のある人材として活躍しているそうです。 かつて、庭づくりの巨匠として、イギリスのガーデニングに影響を与え続けたクリストファー・ロイド。新しいガーデニングに挑もうとするその精神は、ヘッド・ガーデナーのファーガス・ギャレットをはじめとするガーデナーたちに引き継がれています。クリストファーが愛し、築き上げたグレート・ディクスターは、今も新しい景色を生み出し、進化し続けるガーデンとして、多くの人々に驚きと感動を与えています。 *「グレート・ディクスター・ハウス&ガーデンズ」前編もどうぞご覧ください。
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】イギリスガーデン界の巨匠、故クリストファー・ロイドの自邸「グレ…
英国ガーデン界のカリスマガーデナー クリストファー・ロイドは、常に変化を求め続けたガーデナーでした。1957年、当時の主流だった宿根草花壇に対して、ミックスボーダー(混植花壇)を提案した著書、“The Mixed Border in the Modern Garden”を皮切りに、彼は、このグレート・ディクスターを実験の場として新しいガーデニングに挑戦し続け、そこで得た自らの経験と考えを、ガーデン誌や新聞の園芸欄と著書で伝えました。大胆な色使いを提唱した“Color for Adventurous Gardeners”、現在もブームとなっているメドウ(野原)・ガーデニングについて、いち早く解説した“Meadows”など、クリストファーはいつも新しい視点を人々に与える存在でした。 2006年、クリストファーは84歳で惜しまれつつ世を去りましたが、彼が愛し、精力を注いだ庭と屋敷は、グレート・ディクスター・チャリタブル・トラストという公益財団に受け継がれました。そして、クリストファーの後継者であり、1993年からヘッドガーデナーを務めるファーガス・ギャレットを中心とするガーデナーたちによって、生前のままに管理、運営されています。 ファーガスにとってクリストファーは、素晴らしき老教授、父、祖父のような存在であり、また、親友でした。一方、老齢のクリストファーにとってファーガスは、体力的に難しいことを代わりにしてくれる頼れる相棒であり、また、新しいアイデアや刺激を与えてくれる存在でした。 「変化こそ、グレートディクスター流ガーデニングの神髄」と、ファーガスはクリストファーのチャレンジ精神を受け継ぎ、また、それを後世に伝えるべく、さまざまな園芸教育プログラムに力を注いでいます。屋敷には、世界レベルの技量修得を目指す研修生が住み込んで、庭仕事に励みます。 さあ、イギリスでも先端を行く、独創性あふれるガーデンを散策しましょう。どんな驚きが待っているでしょうか。 庭散策はメドウガーデンから 敷地に足を踏み入れると、まず広がっているのがメドウガーデンです。白や黄色の素朴な花が、低い位置で風に揺れています。向こうの景色は、ユニークな形に刈りこまれた、壁のようなセイヨウイチイの生け垣に隠されて見えません。どんな庭が待っているのだろうと期待が高まります。 メドウの小道をまっすぐ進むと、雑誌で目にした覚えのある、古い屋敷が迎えてくれました。大小の鉢植えが多数集められて、彩り豊かにエントランスを囲みます。 アルケミラモリスやカンパニュラ、ギボウシ、グラス、コニファーなどが植わっている、エントランスの鉢植え。どの鉢も株姿がこんもりきれいに整い、手入れが行き届いていることが分かります。 ラッチェンスの手で改修された屋敷 クリストファーの父、ナサニエル・ロイドは富裕層の出で、自らも印刷業で成功を収めました。1910年、彼は若くして隠居生活に入るため、15世紀半ばに建てられた「マナー・オブ・ディクスター」を購入し、のちに名建築家として名を残すエドウィン・ラッチェンスに、屋敷の改修と増築、そして、庭の設計を依頼します。ナサニエルは、昔ながらの手仕事を再評価するアーツ・アンド・クラフツ運動に共鳴しており、古い屋敷をできるだけ伝統的な形で修復することを望みました。現在ある屋敷の姿は、もともと建っていた木骨造の屋敷に、別の場所から解体して運んだ2つの古い家を組み合わせたものとなっています。 この歴史的な建物は、内部を見学することもできます(写真撮影は禁止)。庭散策を終えてから中に入ってみると、1階のグレート・ホールという部屋は天井が高く広々としていて、大きなステンドグラスから光がたっぷり注いでいました。エントランス部分の外観にあるような太い木の骨組みが、室内からも見られます。2階には暖炉を備えた広い一間があって、書棚にクリストファーの蔵書と思われる植物図鑑などがずらりと並んでいました。家の中には、アンティーク家具を好んだ父、ナサニエルが集めた、中世の英国、フランス、イタリアの家具が置いてあります。 父ナサニエルと母デイジー ナサニエルが地所を購入した際、ここには庭と呼べるものはなく、屋敷の増改築と並行して、2年がかりで庭づくりが行われました。ラッチェンスが設計した庭の構造物がつくられ、専門家によって計画された植栽が行われて、庭も完成。1912年に一家は暮らし始めます。ナサニエルは、その後、古い建築について学びを深め、自分でもサンクン・ガーデンを設計しています。 一方、母・デイジーは草花が大好きで、のちに庭の植栽計画を担当するようになりました。クリストファーは6人兄弟の末っ子に生まれ、この素晴らしい庭で幼い頃から植物に親しんで育ちましたが、兄弟の中でガーデニングに興味を持ったのは彼だけでした。クリストファーは名門ラグビー校で学び、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジに進んで現代言語を学びますが、第二次世界大戦の兵役の後、ワイ・カレッジで装飾園芸の学位を取得して、園芸の道に進むことを決めます。そして、グレート・ディクスターに戻り、母から庭を任されて、本格的にガーデニングに取り組むようになりました。 クリストファーは、花壇や小道、テラスなどのレイアウト、及び建物や生け垣などの構造物といった、ラッチェンスによるガーデンデザインに満足していました。彼はその素晴らしい枠組みの中で、父や母が愛でた要素を残しつつ、新しいガーデニングを追求したのです。 では、屋敷を中心に広がる、いくつものエリアに分かれた庭を、順に巡っていきましょう。 トピアリーが楽しいピーコックガーデン 屋敷の北東側に広がるのは、セイヨウイチイの生け垣です。この変化をつけたユーモラスな形の生け垣は、次に続く空間を3つのエリアに区切っています。屋敷を背にして、砂利敷きの道から一歩右のエリアに入ると…… 鳥をかたどったトピアリーがいくつも立つ「ピーコックガーデン(クジャクの庭)」です。花色が抑えられていて、若いグリーンが引き立つ庭景色。トピアリーは、アーツ・アンド・クラフツ様式の庭によく見られる要素で、クリストファーの父ナサニエルも気に入っていました。これらはもともと、キジやブラックバードなど、さまざまな鳥をかたどったものでしたが、今ではすべてを「ピーコック」と呼んでいるそう。長い年月が経つうちに、どれがどの鳥だか分からなくなってしまったのでしょうか、面白いですね。鳥のトピアリーは全部で18体ありますが、庭ができた当時は、トピアリー好きのナサニエルが、もっとたくさん配置していたのだそうです。 ピーコックガーデンの中央には、石張りのテラスのような空間があります。先ほどの植物が密集する空間とは一転して、ここは距離を保って植え込みを眺められる空間。メリハリのあるガーデンデザインが感じられます。この場所からは、クジャクのトピアリーが林立するユーモラスな風景が楽しめました。 草花の生い茂るハイガーデンとオーチャードガーデン 続いて、セイヨウイチイの生け垣の間を抜けて、「ハイガーデン」と呼ばれる隣のエリアに入ると、色彩がガラリと変わります。訪問した2019年の6月中旬は、赤やピンクのオリエンタルポピーがたくさんの花を咲かせていました。中央の奥には、ピンク色のクレマチスのオベリスクが見えます。 花が植わっているエリアと生け垣の間の、人ひとりがやっと通れる小道をたどって奥へと進みます。生い茂る植物が迫ってくるような、エネルギーを感じる体験は初めて! 植物が群れ咲くとはこういうことかと、実感しました。 次のエリアに入ると、人の背丈を越すほど高く伸びるグラスやバーバスカム、デルフィニウム、ゲラニウム、サルビアなど、日本のナチュラルガーデンでもよく見かける、あらゆる宿根草が育っていました。一見、無秩序に植わっているようですが、隣り合う植物が調和し合い、競い合って育っているよう。既存のデザインの方程式に捉われない、新しさを感じました。この後、1週間、2週間と時間が経つと、きっとまったく違う印象を受けるのでしょう。また来てみたいと思わせる魅力がありました。 さらに進むと、「オーチャードガーデン」につながります。アクセントとなるヘメロカリスの黄色い花に、フェンネルのふわふわ茂る葉、紫のアリウムなど、ここでも、視界に入る植物がすべて異なる種類。他の庭では見られない植栽術に驚かされます。 コントラストで魅せるミックスボーダー グレート・ディクスターの花壇は、すべてミックスボーダー(混植花壇)です。クリストファーは、植物はお互いに助け合うことができると、樹木、灌木、つる性植物、耐寒性および非耐寒性の多年草、一年草、二年草のすべてを組み合わせて、植栽に用いました。彼は、調和よりもコントラスト、形や色の対比で魅せる草花のタペストリーをつくろうとしました。そして、特別決まったカラースキーム(色彩計画)というものも持たずに、どんな花の色をも効果的に組み合わせようと苦心していました。 また、グレート・ディクスターは、ハイ・メンテナンス、つまり、手のかかる庭として知られています。「努力があってこそ見返りも大きい」というのが、クリストファーの持論で、手のかからないグラウンドカバーの植物には興味がありませんでした。この庭でもし、グラウンドカバーが植えられていたとしたら、それはその植物のことが好きだからであって、手を抜くためではなかったそう。この精神はファーガスたちにも受け継がれ、「視覚的にインパクトがあり、かつ、親しみやすさのある植栽」を実現するために、ガーデナーたちは常に忙しく働いています。一年草を使うことも多く、花壇に植わる植物は絶えず変化していくそうです。 ユニークな高さの異なるセイヨウイチイの生け垣で区切られている、ピーコックガーデン、ハイガーデン、オーチャードガーデンの3つの庭。大きな面積が植物で埋め尽くされていたり、生け垣に沿って細い小道があったりと、ここにしかないオリジナリティーあふれるデザインをたくさん見ることができました。この道はどこにつながっているのか、一度歩いただけでは把握できない、迷路のような面白さもありました。 メドウの広がる果樹園へ オーチャードガーデンの、両側を花々に彩られた小道を先へと進みます。生け垣のトンネルの先には、どんな景色が待っているのでしょうか。 トンネルを抜けて階段を降り、振り返ってみると、巨大な生け垣の緑が目に飛び込んできました。すべては1912年以降につくられたものといいますが、この庭の歴史を感じます。 小道のさらに先には、またトピアリーのトンネルがあって、開けた場所に続いているようです。バラの優しい花色を眺めながら先に進んで、トンネルを抜けると…… 一面のメドウ(野原)! 広がるメドウは、借景となる遠くの風景につながっています。心地よい、穏やかな風が吹いています。 クリストファーの母デイジーは、このようなメドウのガーデンスタイルが好きで、庭ができて間もない頃からメドウを育てていました。クリストファーにとってメドウは、子どもの頃から親しんだもの。きっと彼の原風景だったのでしょう。メドウに咲く花はほとんどが自生種で、土壌が貧しければ貧しいほど、花々のタペストリーは豊かになるそうです。土壌が肥沃だと、カウパセリやイラクサなどの粗野な植物が占領してしまうのだとか。 デイジーは、野生種のラッパズイセンやスネークヘッド・フリチラリアを、種子から育てて増やしていました。風になびく美しい草原は、手つかずの自然の景色のように見えますが、人の手で計画し、手入れしているからこそ生まれる風景です。 メドウの芝草を刈り込んで作られた小道は、リンゴ、洋ナシ、プラム、サンザシ、クラブアップルなどの果樹が散りばめられたオーチャード(果樹園)のエリアに続いています。 メドウの景色を動画に収めました。風のそよぎや鳥のさえずりをお楽しみください。 *続きは、「グレート・ディクスター・ハウス&ガーデンズ」後編で。