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埼玉県

【お出かけ情報】新しい仲間が加わった春のムーミン谷をのんびり散策しませんか?
ゆったりリラックスした一日を過ごせる「メッツァ」 ムーミンバレーパークは埼玉県飯能市の宮沢湖畔にある「メッツァ」の一部にあります。「メッツァ」とはフィンランド語で、森。北欧をお手本にしたライフスタイル提案型の複合型施設で、北欧のライフスタイルを感じられるマーケットやアクティビティが体験できる「メッツァビレッジ」と、ムーミンの物語をテーマにした「ムーミンバレーパーク」の2つのゾーンから構成されています。どちらもペットと一緒に入場ができ、お散歩や食事(テラス席)、ショッピングを楽しむことができます(※入場可能な施設・店舗はHPをご確認ください)。 フィンランドの陶器ブランド「ARABIA」の食器で提供されるカフェレストラン「nordics」。湖を望みながら食事ができる。 入り口からほど近い「メッツァビレッジ」は入場無料のエリア。季節ごとに移り変わる森と、野鳥が訪れる湖の景色を眺めながら、ゆったりと一日を過ごすことができます。湖のほとりに広がる芝生の広場にはデッキチェアが点在し、寝そべってキラキラ輝く湖面を見ているだけで、心も身体もリフレッシュ。もっとアクティブに過ごしたい人には、カヌーやクリアカヤック、アイランドボートなどのアクティビティがおすすめ。パラソル付きのアイランドボートにはテーブルが設置されており、湖上のピクニックが楽しめます。湖の周囲にはカフェやレストランが設けられているので、ランチもおやつも持たずに手ぶらでお出かけOKです。 カヌーはレンタルのほか、カヌー作り体験もできる。 北欧のヴィンテージアイテムなどが並ぶ「森と湖のマルシェ」 2023年4月22日(土)・23日(日)、メッツァビレッジで北欧のアイテムと自然が楽しめる「森と湖のマルシェ」が開催されます。北欧のヴィンテージアイテムや植物店、伝統料理を販売するキッチンカーなどが出店します。湖のほとりでゆったりショッピングを楽しみませんか? 第19回森と湖のマルシェ 開催日時/2023年4月22日(土)・23日(日)10〜16時場所/メッツァビレッジ特設会場*雨天中止 物語の世界を堪能できるムーミンバレーパーク 湖のほとりを歩いてメッツァビレッジの奥へと進むと、「ムーミンバレーパーク」にたどり着きます。「本」の形をしたウェルカムゲートをくぐり抜ければ、ムーミンの物語の舞台、ムーミン谷が待っています。フィンランドの作家トーベ・ヤンソンによるムーミン・シリーズは、ムーミン一家と個性的な仲間たちが、美しい自然に囲まれ平和でのんびりとした日常生活を過ごしながらも、冒険を通じて成長し自立していく姿が描かれています。 ムーミン一家と仲間たちが暮らすムーミン屋敷。素朴で上品なインテリアは必見。 ムーミンパパの作った水浴び小屋。 戦いやアクションといった派手な展開はない代わりに、日常の暮らしの喜びと厳しくも豊かな自然と対峙する方法や他者との調和、自立といった、どの時代にも普遍的なテーマで人々を魅了し、世界中で愛されている物語です。舞台となるムーミン谷は、海と山に囲まれ、春にはムーミンママが丹精する庭が花いっぱいになる美しい場所です。 春の花がいっぱいのムーミン屋敷の庭。 この物語が生まれた北欧フィンランドでは、人々は幼い頃から自然と共生し、自然から多くのことを学んで暮らしています。春のイベント「スプリングフェスティバル」では、植物採集が好きなヘムレンさんをムーミンバレーパークの新しい仲間として迎え入れ、フィンランドのような身近に「学び」を体験できる「Hemulen‘s academy(ヘムレンズアカデミー)」を行っています。アカデミーでは湖畔の周りを彩る季節の植物や水辺を訪れる野鳥の観察など、ムーミンバレーパークの自然や生き物を学ぶことができるフィールドワークに参加できます。 植物学者のヘムレンさん。デスクの上に並ぶのはヘムレンさんの収集物?©︎Moomin CharactersTM 夢いっぱいのアトラクションとかわいいムーミングッズ ©︎Moomin CharactersTM 園内では、若き日のムーミンパパたちの冒険を一緒に体験できる「海のオーケストラ号」や、ムーミンやムーミン谷の仲間たちによる歌とダンスのエンターテイメントショーなど、夢いっぱいのアトラクションが待っています。ほかにも、ここでしか買えないリトルミイのグッズが集合した「リトルミイの店」や、約400冊のムーミン関連書籍がずらりと並ぶ「ライブラリー カフェ」、売り場面積・商品数が世界最大級のショップ「ムーミン谷の売店」など、ショッピングの楽しみも満載。 おしゃれな「ライブラリー カフェ」。ムーミンのマシュマロを浮かべたキュートなラテ。 豊かな自然の中で、のんびりそれぞれのペースで過ごせて、かわいいムーミンたちにも出会えるメッツァへ、春のお散歩に出かけてみませんか。 メッツァ ■住所/埼玉県飯能市宮沢327-6■HP https://metsa-hanno.com■アクセス/西武線飯能駅から「メッツァ」行き直行バス、または「メッツァ経由武蔵高萩駅」行き路線バスで13分 メッツァビレッジ ■営業時間/平日10:00〜18:00 土日祝10:00〜19:00■入場料/無料 ムーミンバレーパーク ■営業時間/平日10:00〜17:00 土日祝10:00〜18:00※お正月、お盆休み、GWなど、施設が指定する日において営業時間が異なる場合があります。HPでご確認ください。■入場料/1デーパス 【2023年4月30日までの料金】大人(中学生以上):前売り販売3,000円 通常販売3,200円子ども(4歳以上小学生以下):前売り販売1,800円 通常販売2,000円【2023年5月1日からの料金】大人(中学生以上):前売り販売3,400円 通常販売3,600円子ども(4歳以上小学生以下):前売り販売2,000円 通常販売2,200円
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東京都

カメラマンが訪ねた感動の花の庭。「東京競馬場」のナチュラリスティックガーデン
今、最も関心のあるガーデンデザイン 長い花壇の一番西側、コニファーを背に、右半分は日陰、左半分は逆光という環境下で、ミューレンベルギア・カピラリスとアマランサスが全く違う表情を見せる。 2019年1月に横浜でPiet Oudolf氏の映画「Five Seasons」を鑑賞して以来、僕にとってナチュラリスティックガーデンが一番興味のあるガーデンの形になりました。映画を見る前にも、長野県須坂市の園芸店「ガーデン・ソイル」の田口勇さんにPiet Oudolfの本を見せてもらい、それまで全然知らなかった美しい世界があることを知りました。それからは、北海道の大森ガーデンや上野ファーム、十勝千年の森などでグラス類と宿根草のガーデンを撮りまくり、秋には山梨・清里のポール・スミザーさんが手がけた「萌木の村」で紅葉したグラスと宿根草のシードヘッドを夢中で撮ったりしていました。ただ、その時はまだはっきりした「ナチュラリスティック」という認識はなく、今までの花中心のガーデンから新しい形のものが生まれてきたんだろうというくらいにしか思っていませんでした。 皆が関心を寄せる「ナチュラリスティック」 手前で黄色く紅葉する株は、アムソニア・フブリヒティ。花期は短いが株の姿を楽しむ植物。隣のミューレンベルギアの後ろは羽衣フジバカマで、晩秋に寒暖差が大きくなるとこげ茶色に変化し、ガーデンのアクセントになる。羽衣フジバカマの後方の白い穂はミスカンサス‘モーニングライト’。さらに後方のルドベキア・マキシマは、縦の白い線がアクセントになっている。 「Five Seasons」を観て以降、「ナチュラリスティック」という概念を意識しだすと、SNSのあちこちで自然志向、消毒をしないバラ、化学肥料を使わない庭の話などが目につくようになりました。Facebookでは平工詠子さんのグラスを多用した美しい庭の写真を見せていただき、知り合いのガーデナー、さつきさんのFacebookで服部牧場を見たときには、今最も撮影したいテーマはこれだ! と確信しました。 綺麗な光に浮かび上がる庭をベストなタイミングで撮りたい このエリアには、ミューレンベルギア・カピラリスをはじめ、センニチコウ‘ファイヤーワークス’、アマランサスのスムースベルベットや黒葉のミレット、小型のグラスのペニセタム‘JSジョメニク’、ルドベキア・マキシマなどが茂っている。線路手前のグリーンは、ユーフォルビア・ウルフェニー。 いつも言っていることですが、僕が撮影のときに一番に思うのは「綺麗な光で撮る」ことで、その意味でも「ナチュラリスティックガーデン」の撮影は、まさに僕にぴったりのテーマ。朝日や夕日に浮かび上がるグラスや宿根草の花壇を撮影しているときは、まさに至福の時間です そして2022年10月上旬に、以前僕に服部牧場を教えてくれたガーデナー、さつきさんのFacebookに登場していたのが、今回ご紹介する「東京競馬場」でした。この東京競馬場の庭の手入れに、服部牧場の平栗智子さんが行っていることは知っていましたが、頭の中で競馬場とグラスの庭がうまく結び付かなかったことから、さつきさんにそうコメントすると「今井さん、本当に綺麗ですからぜひ行ってください」と返信がありました。 花壇の中央付近に立ち、レンズを西に向けた完全に逆光の写真。こげ茶色の葉を持ち、コーン状の実が立ち上がるミレットと、穂を立ち上げるペニセタム‘レッドボタン’、さらに後ろのミューレンベルギア・カピラリスが西日を受けて輝く。 その1週間後に秋の服部牧場へ撮影に行くと、今度は平栗さんが「東京競馬場、今が一番綺麗だから、今井さんに撮ってほしいと思っていたんですよ」と。平栗さんが競馬場の手入れに行く日程まで教えてくれたので、2人のガーデナーさんがそこまですすめてくれるならばと、天気のよい日の午後に伺う約束をしました。 美しく捉えるにはどうするか、しばし悩む 「この写真、まるで花火大会の最後の乱れ打ちのよう」と植栽を担当した平栗智子さん。確かに賑やかで楽しい景色だ。 撮影日となった2022年11月18日は、夕方までずっと晴れの予報。グラスの撮影には最適の天候でした。競馬場の入り口に迎えにきてくれた平栗さんが運転するモスグリーンのしゃれた車に先導してもらい、場内を走ってトンネルを抜け、内馬場(コースの内側)に到着。すると、そこは広い芝生のエリアで、子どもたちのためのいろいろな遊具が並んでいました。その外側には、子ども用のミニ新幹線のレールが敷いてあり、競走馬が走るコースとの間が、グラスと宿根草の花壇になっていました。 まだ少し日差しが強いので、花壇の周りを下見しながら「これは大変だ」というのが第一印象でした。なぜなら、写真を撮影するときに、プロカメラマンとアマチュアカメラマンとの一番の違いは、写真の中に無駄なものが写り込んでいるか、いないか。プロのカメラマンは、シャッターを切る前にファインダーの隅々まで見て余計なものが入っていないことを確認し、初めてシャッターを切るものです。 日が沈むまでたった15分の撮影に挑む この写真も花壇中ほどからレンズを西へ向けたカット。プレーリーブルース(中央の大きな白い穂)から後方のミューレンベルギアまで続くグラスが美しく、特に赤いアマランサスがよいコントラストを見せている。 ところが、目の前には緑の芝生にピンクに染まったミューレンベルギアと真っ赤なアマランサス。これだけなら言うことのない景観ですが、その後ろには馬場のコースを縁取る白い柵があり、手前にはコンクリートで舗装された帯の上を線路が通っています。これらの構造物を全部入れずに構図を決めるのは不可能だし、2人が口を揃えて言うように、グラス類は本当に綺麗です。 コニファーによる日陰のグリーンバックで、植物の美しさが際立つ1枚。 太陽がだんだん低くなってくるなか、「どこをどう撮ればいいのだろう」「気になる構造物が少しでも入らないアングルは?」と気持ちは焦るばかりで、一向に撮影が始められませんでした。そして、あっちへ行ったり、線路に降りたりしながらアングルを探しているときに気がついたのです、「線路をガーデンの園路に見立てればいい」のだと。夕日に輝くグラスの花壇と線路をファインダーの中に収めてみると、金色に輝くグラス類が圧倒的に綺麗で、線路すら気にならないと思いました。 ガーデンの一番東側のエリア。何株も植えられているミューレンベルギア・カピラリスが、沈む夕日の最後の光を受けて赤く輝き幻想的だ。 「夕陽に輝くグラス類を綺麗に撮る」「線路などの構造物は、なるべくグラス類の邪魔にならないように入れる」と決めて、そこから日が暮れるまでのわずか15分ほどでしょうか、沈みそうな夕日の位置を確認しながら、長い花壇の周りをあちらに行ったりこちらに来たり。夢中でシャッターを切って、気が付けば夕日は西側の高い木々の向こうに消えていました。
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高知県

NHKの連続テレビ小説「らんまん」で話題の牧野植物園を取材! 牧野博士と植物園の全てを教えちゃいます!
牧野植物園を訪ねて、牧野博士の足跡をたどる 明治から昭和の時代、日本の植物学界に偉大な功績を残した植物学者「牧野富太郎」をご存じでしょうか? 彼は幼少期に植物に興味を持ち、以来独学で研究を続け、“日本の植物分類学の父”といわれるまでになりました。今年2023年は、数々の名作を生み出してきたNHKの連続テレビ小説で牧野富太郎をモデルとした物語「らんまん」が放映されることになり、今、その生涯に注目が集まっています。 高知県立牧野植物園とは 今から遡ること65年、1958年(昭和33年)に、高知県の五台山に、驚くべきスケールの植物園が開園しました。その名も「高知県立牧野植物園」。 日本の植物学界に偉大な功績を残した牧野富太郎博士を顕彰し、博士の故郷高知県に作られました。 世界にはいくつもの植物園がありますが、個人の名を冠し、それを顕彰する目的で作られた植物園は日本はもちろん、世界でもおそらくこの牧野植物園のみ。約8ヘクタール(東京ドーム約2個分)にも及ぶ園内には3,000種類以上の植物があり、そのほとんどが番号入りのタグで管理されています。 植物園のある高知県は「植物王国」 高知県といえば、鰹と坂本龍馬をまず思い浮かべる方が多いでしょう。しかし意外と知られていないのが、植物の宝庫という側面。日本で確認されている約7,000種にものぼる維管束植物(根、茎、葉、のある一般的な植物のこと)のうち、なんと40%に相当する3,170種が高知県に自生しているんです。日本の本州ほどの広さを持つ園芸大国イギリスでさえ、確認されている総数は約3,300種ほど。つまり高知県だけでイギリスの総数に近い植物が自生していることになります。豊かな日本の植生に改めて驚くとともに、3,000種以上の植物を擁する牧野植物園がいかにスケールの大きい植物園であるかが分かります。 【維管束植物数値データの参照元】 各国:OECD(経済協力開発機構) Environmental Data Compendium 高知県データ参照元:高知県植物誌 植物園内を歩いてみる 高知県の自然が再現されたエントランスまでのアプローチ 牧野植物園のスケールを物語る上で欠かせないのが、正面玄関からエントランスまでの約100mのアプローチ。ここでは「土佐の植物生態園」として、高知県の豊かな植物生態を、山→川→海辺と、段階的に体感することができます。ここだけで半日過ごす人もいるそうですが、それだけの価値と魅力にあふれたアプローチなのです。 建築家・内藤廣が牧野博士の偉業に彩りを添える 「土佐の植物生態園」で高知県の植物たちの出迎えを受けたら、エントランスのある本館に。そこで建屋が不思議な形をしていることに気づきます。 本館と展示館の建物を設計したのは、多くの公共建築や文化施設などを手掛ける、日本を代表する建築家の内藤廣氏。 スタイリッシュなデザインに目を奪われますが、設計した内藤氏は「この建物の主な目的は建築ではなく、牧野さんの生涯と、牧野さんがどのくらい興味深い人物だったかをプレゼンテーションすることです」と語ります。その意図は、建物が持つ機能を紐解くことで理解できます。 台風銀座と揶揄されるほど台風の通り道となっている高知県。植物園のある五台山頂付近は風が特に強くなるため、建屋にはその衝撃を分散する機能をもたせながらも、山の稜線美に溶け込むようなデザインが採用されました。木材は全て県産のものを使用しています。 屋根の急傾斜は、効率よく雨水を取り込み、それを再活用するためのもの。集められた雨水はいくつもの受け鉢や水盤に貯められ、その上を風が渡ると気化熱効果で周囲の空気がクーリングされるという仕組みです。受け鉢や水盤には水生植物も育ち、循環する生態系が生まれています。昨今巷でSDGsが高らかに唱えられていますが、ここではずっと前から“持続可能な循環型社会”が実現されています。 内藤氏の建築は、高知の自然を愛し、いつも人の1歩2歩先を行く牧野博士の姿を、入園者に体感という方法でプレゼンするものなのです。 展示館のスケジュールは要チェック 展示館では期間限定の展示やイベントが随時開催されているので、訪れる予定がある方は、牧野植物園のイベントカレンダーは要チェックです。 【牧野植物園イベントカレンダー】https://www.makino.or.jp/event/ 私が取材に赴いた12月は、牧野富太郎生誕160年特別企画展「牧野博士と図鑑展」が開催されており(現在は終了)、展示館内では牧野博士ゆかりの品々を見ることができました。 建物を一歩出ると、まるで絵画の中を歩いているよう 建物を一歩出ると、そこには絵画のような光景が広がっています。春はパステルカラーに、夏は涼感を呼ぶ緑に、秋は燃えるような赤にと、季節ごとの色彩で楽しませてくれます。 【春】 【初夏】 【夏】 【秋】 【冬】 【植物園と竹林寺の深〜い関係】 牧野植物園のある五台山には、もともと四国霊場第31番札所の五台山竹林寺がありました。しかし「牧野博士のご人徳から、その敷地の一部を譲り受け、無事に開園することができた」そうです。そのため、園内には現在もお遍路道があり、園を散策していると、時折お遍路さんに出くわすことも! 牧野博士にゆかりの深い植物たち 開花している植物が少ない冬の園内でも、大変貴重な植物が出迎えてくれました。それは、園のシンボルマークにもなっているバイカオウレンの花と、牧野博士の夫婦愛がこめられたスエコザサ。 【バイカオウレン】 牧野博士が幼少期を過ごした生家の裏山にはバイカオウレンの花がたくさん咲いていました。牧野博士にとってバイカオウレンは、自分を育んだ高知を想起させる花として、大人になってからも特別な存在であり続けました。晩年、病床にあった博士は、お見舞いでもらったバイカオウレンを、顔をこすりつけるほど喜んだそうです。 【スエコザサ】 スエコザサは、1927年(昭和2年)に牧野博士が仙台で発見した新種の笹。翌年に他界した愛妻壽衛に感謝の意を込めて、和名をスエコザサ、学名をSasa suwekoanaと名付け、これを発表しました。 この2つ以外にも、園内には至る所に牧野博士が命名した草花があり、それらには全て説明が記載されたガイドプレートがついています。 広大で起伏も激しい園内は、歩きやすい靴で 2Dの案内図では分かりづらいのですが、実際の園内は起伏がとても多いので、スニーカーなどの歩きやすい靴と、動きやすい服装で来園されることをおすすめします。 園内にはカフェやレストラン、売店も 園内はとにかく広いので、歩き疲れたらカフェで休憩しましょう。 園内にはお腹を満たしてくれる場所も充実しています。本館にはレストラン「アルブル」、展示館にはカフェ「アルブル」があり、レストランでは本格的な料理とティータイム、カフェではくつろぎの時間が歩き疲れた体を癒やしてくれます。 スタッフのイチ推し「まきのロール」。大納言あずきの入ったロールケーキで、「の」の字に巻いてあるので「まきのロール」という名前がつきました。シンプルながらも、スポンジ生地のやさしい風味と、ふわっと軽いクリームが絶品! レストラン及びカフェで食べられるほか、テイクアウトも可能です。(写真提供:レストラン&カフェ「アルブル」) 売店では、食品からグッズまで、バラエティに富んだ牧野グッズが選べます。どれもここでしか買えない貴重なものばかり。 牧野富太郎博士について学ぶ ①偉業 さてここからの2章は、牧野富太郎博士について解説します。 まずは牧野博士の偉業をわかりやすく解説 日本の植物学界に偉大な功績を残した牧野富太郎博士。彼の代表的な功績として、以下の7つが知られています。 【牧野富太郎の代表的な功績】 独学で植物を研究し、新種、新品種合わせて約1,500種類以上にも及ぶ植物を命名。 94歳で亡くなる直前までに、約40万枚にも及ぶ植物標本を収集。 出版物や講演活動などを通じて植物の教育普及に尽力。 画才にも秀でていた牧野博士が描いた植物図は「牧野式植物図」と呼ばれ、美しさ、正確性、緻密性、その全てにおいて圧巻のレベルだった。 植物の世界を一般大衆に啓発するために『日本植物志図篇』を自費で刊行。 『植物研究雑誌』を創刊。博士亡き現在も発行され続けている。 これらの業績が高知県立牧野植物園を作る礎を築く。 【今でも読める『植物研究雑誌』】 株式会社ツムラが隔月刊に発行している『植物研究雑誌』を、J-STAGE(電子ジャーナルプラットフォーム)上で読むことができます。 株式会社ツムラ『植物研究雑誌』https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjapbot/-char/ja すべてがアナログな時代に、圧巻のクオリティでこれらを成し遂げた牧野富太郎博士。その才覚とバイタリティは、現代にあっても人々の心を揺さぶるさまざまなエピソードで伝えられています。 牧野富太郎博士について学ぶ ②歩み 生誕から学者になるまで 世は幕末の1862年、生誕の前日 5月21日は京都で寺田屋事件が発生という動乱の時代に、牧野富太郎は造り酒屋を営むとても裕福な商家の一人息子として生を受けました。少年富太郎は幼少期にすでに英才ぶりを発揮し、12歳で入学した小学校の授業に飽き足らず、わずか2年で退学。その後15歳で、なんと退学した小学校で代用教員として教鞭をとることになりました。 後世に繋がる転機が訪れたのは、富太郎17歳の時。高知市の中学校教員・永沼小一郎と出会い、西洋の植物学や江戸時代の書物『本草綱目啓蒙(漢方医学の本)』に触れ、植物への知識をより本格的に深めていきました。この永沼先生との出会いこそが自分の原点であると、後年上梓する自叙伝にも記しています。 富太郎に影響を与えた『草綱目啓蒙』は国立国会図書館に保存されている。 国立国会図書館『本草綱目啓蒙』https://dl.ndl.go.jp/pid/2555472/1/1 22歳になった時に東京の植物学者・矢田部良吉教授を訪ね、植物研究を本格的に始めました。『植物学雑誌』や『日本植物志図篇』の刊行に携わるなど、若き研究者は持てる情熱の全てを自らの理想に注ぎ込みました。しかし研究のために財産をも使い果たすその金銭感覚は、後年結婚する妻にとっては頭痛の種でした。 学者になってから晩年まで 1889年(明治22年)、27歳の牧野富太郎は、矢田部教授の門弟・大久保三郎と共に地元高知で発見した新種の植物にヤマトグサと命名し、これを『植物学雑誌』第三巻に発表。国内で初めて日本人により植物に学名がつけられるという快挙を成し遂げました。 ところでプライベートでは、青年らしく、ちゃんと恋もしています。富太郎は大学への道中にある菓子屋の娘、小澤壽衛に恋をし、程なくして結婚しました。 こうして、公私共に順風満帆かと思われた矢先、自費出版していた『日本植物志図篇』が矢田部教授の逆鱗に触れ、発行中止になるばかりか、大学にも出入り禁止に。やむなく研究の場をロシアに移そうとするも、頼りにしていたロシア人植物学者の急死でこれも頓挫。負の連鎖はこれだけにとどまらず、祖母の逝去、実家の倒産など、富太郎は山あり谷ありの青年期を過ごすことになったのです。 しかしタダでは起きないのが富太郎。日本で初めて発見した水生の食虫植物のムジナモの論文が世界的な評価を受け、30歳を過ぎた頃には『大日本植物志』を発行。また、現在も薬品メーカー「ツムラ」に受け継がれて発行が続いている『植物研究雑誌』を発行するなど、持てる力と財の全てを植物研究に注ぎ込みました。 そして50歳にして東京帝国大学理科大学から講師として迎えられます。学歴を持たず権威にも無頓着だった学者が、最高学府の要職に就くことは当時としては極めて稀なことで、いかに日本の植物学界が牧野富太郎を必要としていたかがうかがえます。 1927年(昭和2年)、65歳で論文「日本植物考察」を発表したのを機に、東京帝国大学から理学博士号を授与されます。 植物学者として絶好調! 人生ようやく安泰か、と思われた矢先の翌年2月、最愛の妻壽衛に先立たれてしまいます。享年54歳でした。富太郎は亡き妻に感謝をこめて、前年に発見した新種の笹に、妻の名にちなみ「スエコザサ」と名付けました。 晩年 戦中戦後と、激動の昭和に晩年を送った牧野博士は、老いてもなお植物研究に情熱を注ぎ込み、その結果数々の栄誉称号を受けました。 75歳:各分野で傑出した業績と社会貢献を上げた人に授与される「朝日文化賞(現朝日賞)」を受賞。 78歳:植物研究と教育普及の集大成である「牧野日本植物図鑑」を刊行。 86歳:皇居に参内し、昭和天皇に植物学を御進講。 88歳:学術上顕著な功績を上げた科学者のための国の特別機関「日本学士院」の会員に選定。 89歳:文部省に「牧野博士標本保存委員会」が組織され、初代の「文化功労者」に選定。 91歳:「東京都名誉都民」に選定。 没後:従三位勲二等を叙任。また旭日重光章と文化勲章を追贈。 晩年に得たものとはいえ、これらの栄誉や称号は、先立った妻への最高のプレゼントになったのではないでしょうか。 そして1957年(昭和32年)に、牧野富太郎は妻壽衛のもとへと旅立ちました。享年94歳、まさにドラマ化にふさわしい激動の人生でした。 その翌年、高知県立牧野植物園が開園し、牧野博士の業績は今も語り継がれています。 【晩年の牧野博士に会える!?】 展示館では、晩年の牧野富太郎が「繇條書屋(ようじょうしょおく)」と名付けた書斎が再現されています。5万冊余の蔵書に囲まれ、日夜机に向かい研究に没頭していた牧野博士の姿を見ることができます。 NHKの連続テレビ小説「らんまん」 牧野富太郎の生涯をモデルにしたNHKの連続テレビ小説『らんまん』が、4月3日(月)よりスタートします。物語はオリジナルストーリーのため、主人公を務める神木隆之介さんの役名も牧野富太郎ではなく槙野万太郎となっており、ヒロインを務める浜辺美波さんの役名も富太郎の妻、牧野壽衛ではなく槙野寿恵子となっています。 物語は、真っ直ぐで純粋な槙野万太郎の人生が、幕末から明治、そして大正、昭和という激動の時代の渦中を、植物への愛と共に駆け抜ける様子を描きます。愛に満ち溢れた彼の人生が、主題歌を唄うあいみょんさんの歌に乗ってどのように描かれるのか、とても楽しみです! 【放送予定】2023年4月3日(月)より放送開始 【作】長田育恵 【音楽】阿部海太郎 【主題歌】あいみょん「愛の花」 【語り】宮﨑あおい 【出演】神木隆之介、浜辺美波、ほか 【植物監修】田中伸幸 取材後記 起伏の激しい植物園を歩き、牧野博士にゆかりの草木を見ながら思いました。もし私が同時期に生きていたら、牧野博士の好奇心に生で触れてみたい! 好奇心というのは誰しもが何かしらに抱くものですが、自分を制御せずに好奇心の赴くままに生きるというのは、誰もができるものではありません。皆がどこかで理由を作って置いてきてしまう好奇心に、生涯向きあい続けた牧野博士。そのエネルギーは凄いものだな、と、そう感じさせてくれた牧野植物園でした。 次回は、牧野植物園の内部をさらに深掘りし、園内のぜひ訪れてほしい場所を詳しくご紹介します。 おみやげプレゼント!※応募受付を終了いたしました。 取材途中に立ち寄った売店で人気No.1を誇る商品、バイカオウレンの葉を模ったスタンプを抽選で1名様にお送りします。 牧野博士にとって郷里土佐を思い起こさせる特別な植物バイカオウレンの葉は、牧野植物園のロゴマークにもなっています。このスタンプはその売れ行きから一時的に販売休止になっていて、多くの方が再販を望んでいましたが、今回偶然にも復刻版を手に入れることができました! 【応募方法】 応募受付を終了いたしました。 【応募締切】 2023年4月10日(月)23:59まで 【当選通知】 ご当選の方には別途メールでご当選の旨をお伝えし、送付先情報をうかがいます。
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フランス

【フランスの庭】パリのナチュラルガーデン「カルチエ現代美術財団の庭」
街中に季節を映す緑のショーケース 美術館の前に来ると、ショーケースのような高い透明なガラスの壁に囲まれた、自然の草地のような緑の風景が現れます。緑の空間の向こうには、ジャン・ヌーベル設計のガラス張りのシンプルモダンな美術館がそびえています。建築のボリュームはかなり大きいにもかかわらず、素材の透明感と緑の存在で、軽やかな心地よい空間になっているのはさすがです。 庭園には美術館の入場券がないと入れないのですが、ガラスの壁の外側からも、庭の様子が街に向かって展示されているかのようによく見えるので、近くを通行する人々も季節を映す緑を感じることができる設計になっています。 毎年この季節は、スノードロップ、スノーフレイク、水仙やクロッカスなどのスプリングエフェメラルが春の訪れを告げるように咲く姿が、じつにチャーミング。 早咲きの桜はいつも3月を待たずに満開になって、春先の庭に彩りを添えています。 街に自然を呼び込む庭「テアトラル・ボファニカム」 自然な草地といった雰囲気の庭園内。 庭の中に入ると、まるでごく自然な草地に来たよう。いわゆる雑草と呼ばれる、イラクサ(ネトル)など野生の植物たちにも居場所が提供されている、かといって放置された草地とは違う、庭らしく人の手が入った調和の取れたナチュラルな風景が広がります。 奥の小屋は映画監督アニエス・ヴァルダの作品「猫の小屋」(2016年)。 4,500㎡ほどのこの庭がつくられたのは、美術館の建物が建設されたのと同時期の1990年代前半。財団からのオーダーにより、ドイツ人アーティスト、ローター・バウムガルデンによって、アート作品として制作されたものです。中世の薬草書に由来する「テアトラル・ボファニカム Theatrum Bofanicum」という名がつけられたこの庭のコンセプトは、都市に自然を呼び戻すこと。それは植物のみならず、そこに集まる鳥や昆虫などを包括する生物多様性を回復しようとするプロジェクトでした。 18世紀には作家シャトーブリアンが住んだ大邸宅と古い庭園の跡地だった場所の由来を生かして、既存の大木などはできる限り残し、植栽にはイル=ド=フランスの気候に合った在来種を選んでつくられた庭には、鳥の声も心地よい、じつに自然な景観が育っています。 戻ってきた生物多様性 現在、この庭には200種ほどの植物が存在しますが、アーティストが気候に合った在来種を中心に選んで1994年に植栽した当初の181種のうち、いまも残るのは3割ほど。つまり当初のリストにはなかった多くの植物が、鳥や風に連れられ庭に招かれて、その一員となっています。 植栽の中には、フランスでも全国的に数が減少している在来種が多く含まれています。例えばジャイアント・ホグウィード(Heracleum mantegazzianum)は、樹液に触れると重篤な光線過敏を引き起こす危険な野草ですが、家畜に危険だという理由でフランスの田園風景からはほぼ消えてしまったその姿を残すために、植栽リストに入っているのだそう。 また、パリの街では巣作りができる場所が減ってしまい、生息する野鳥の種類も数も激減していますが、この庭は行き場をなくした野鳥たちの避難場所にもなっています。2012年と2016年に実施された自然史博物館の調査でも、保護を必要とするような希少な昆虫類、野鳥たちや、都会ではすっかり姿が見られなくなったコウモリの生息が確認されるなど、見かけがナチュラルというだけでなく、実際に生物多様性を迎え入れる場となった庭の姿が確認されています。 自然の庭を守る庭師 時とともに少しずつ植栽が変化し、庭を棲処とする生物たちが増えていくのをずっと見守ってきたのが、専属庭師のメタン・セヴァンさん。庭の始まりの時期からアーティストとともにその手入れをし、作庭意図を完璧に引き継いで管理を担ってきました。この庭の手入れは、除草剤や殺虫剤などの化学薬品は一切使わないナチュラルな方法で行われ、剪定した木や枯れ葉などを含む緑の廃棄物は園内でリサイクルすることによって外にゴミを出さない、灌水は夏場に長期にわたって雨が降らない時期の必要最低限に抑える、など環境に配慮したエコロジカルな管理が行われています。こうした環境への配慮は現在では当たり前になってきていますが、この庭が生まれた90年代前半には、まだまだ先駆的なアイデアでした。 運よく庭で作業をしているセヴァンさんを見かけたら、気さくに庭のいろいろなことを教えてくれます。例えば、手作業で行われる除草でも、すべて除去してしまうということではなく、それぞれがちょうどよく共存できるように、勢いの強すぎるものは数を減らし、あるいは場所を移すなどして、生物多様性に配慮しつつバランスを取っているのだそうです。 通常は雑草扱いだけれど、貧血予防などの薬効もあるネトルが白い花を咲かせていました。通常は葉っぱに触ると棘がチクチクしますが、花の時期は不思議と痛くありません。 温暖化時代への対応 手前右は、新たに加わったコルクガシ。倒木を避けるため切り倒さざるを得なかった古木も昆虫ハウスになって、新しい庭の景観を作ります。 作庭当初から30年近くが経ち、既存の老齢の大木も永遠の命というわけではないので、倒木の危険が出てくれば切り倒し、新たな植樹をせざるを得ません。また、パリ市内では気候温暖化の影響で、より暑さや乾燥に強い植栽が求められるようになってきています。庭の作者であるアーティストの意向を常に汲みつつも、セヴァンさんは環境の変化に対応した手入れの工夫を重ねています。新たに植樹する樹木には、地中海沿岸原産のコルクガシなど当初のリストにはなかった温暖化対応のチョイスが加わりました。長く庭を見守ってきたレバノン杉の大木は、倒木の危険から切り倒さざるを得ませんでしたが、昆虫ハウスという別の形で庭に生かされることになりました。 長年の間に少しずつ姿を変えながらも、心休まる空間とそこに宿るエスプリは変わらない自然の庭、そこには一人の人間が長く一つの庭を見守ってきたからこそ生まれる調和があるように思われます。 アートと庭の親和性 エントランスにはパトリック・ブランの垂直庭園、彼の初期の頃の作品です。 現代アート作品には、しばしば今の時代のその先を予感させるような先見的な眼差しが読み取れます。バウムガルデンの生物多様性の庭も、現在は当たり前になってきたエコロジカル、サステナブルな庭づくりを30年前から実現しているという点で先駆的だったといってよいでしょう。 階段状になった草地とカフェ広場。思い思いにくつろぐ人々。 アートから着想された、人も他の生物も心地よく居られる、心安らぐ調和に溢れた自然の風景が魅力の庭は、今日も庭に招かれた植物や動物たち、散策する大人も子どもも、みんな優しく迎え入れています。
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東京都

第1回 東京パークガーデンアワード 代々木公園【舞台裏レポ】5つの庭づくり大公開
コンテストの舞台は都立代々木公園の花壇 コンテストガーデンが作られる以前のオリンピック記念宿舎前広場。2022年10月中旬の様子。 都市公園を新たな花の魅力で彩るプロジェクトとしてスタートした「東京パークガーデンアワード」。第1回の舞台となるのは、都内でも屈指の利用者数がある「都立代々木公園」の中です。アクセスがとてもよく、JR山手線「原宿」駅から徒歩3分の原宿門から入ってすぐ右手の「オリンピック記念宿舎前広場」に、5つのコンテストガーデンと吉谷桂子さんによるモデルガーデン「the cloud」があります。 通路に沿った細長い敷地を花壇に変え、A〜Eの5つの植栽スペースが設けられました。1エリアにつき広さは72〜85 ㎡。 コンテストガーデンが作られる以前、この場所は通路に沿ってハナミズキやオリーブが植わり、地面は芝生に覆われていましたが、2022年10月には今回のコンテスト開催に先駆けて、5つのエリアが同じ土壌条件になるように花壇スペースが整地されました。 10月、花壇スペースを縁取る木枠を設置する様子。 花壇の整地は、既存の表土にある雑草とその種子を駆除する意味から厚み5cm分取り去ったあと、花壇用土には人工軽量土壌を厚み20cm客土し、ベースの土壌として整えられました。 木枠で縁取られた花壇内に所々ある四角い石は、既存の照明設備。灰色に見える土が人工軽量土壌。 「第1回 東京パークガーデンアワード」第1回作庭【12月】 「持続可能なロングライフ・ローメンテナンス」をテーマに、各ガーデナーが提案するガーデンコンセプトは、各人各様。それぞれが目指す庭のコンセプトに沿って、2022年12月5日から9日まで行われた第1回目の庭づくりの様子をレポートします。 *コンテスト開催の概要や各庭の月々の様子は、こちらをチェック! コンテストガーデンAChanging Park Garden ~変わりゆく時・四季・時代とともに~ 畑や かとうふぁーむ 渡部陽子(新潟県新潟市)さん率いる作庭チーム。 Aエリアは、培養土と肥料(かんとりースーパー緑水)を全体に敷き詰め、表面をならして基本の用土づくりは完了。この段階で耕さないのは植え付け時に耕すことを想定したためで、手間を最小限にしています。 平らにならした表土に、次々と苗が配置されて、あっという間に地面が隠れるほど数々の植物で埋め尽くされました。Aエリアは、大苗に仕立てられた根張りのよい丈夫な宿根草を用意。品種によって異なりますが、圃場で1~3年以上育てられた苗なので、一般で販売されているサイズの何倍も大きな株ばかりです。 大苗は育成管理に時間がかかりますが、その分株が充実しているといいます。大苗を使う利点は、4つ。① 既存植物とのバランスがとりやすく、周囲の環境にすぐに馴染む。② 植えた年から植物本来の個性が発揮され、しっかり開花する。 ③ イメージがすぐにカタチになるので、庭施工の際もお客様の満足度が高い。④ 大苗なら1ポットで十分ボリュームがでる場合も、市販の小さなサイズの苗だと数多く植栽しがちで、経済的にも苗の生育環境的にもよい。さらに、見頃を迎えた大苗は、ショーガーデンでも活用されることからも、この花壇には大苗が多数使われています。 配置が終わったら、端から順に次々と植え付けを開始。苗は、現地の土壌にスムーズに活着できるよう根の処理(根をほぐしたり、根きりをするなど)を事前に施していたため、現場では、ポットから抜いてすぐに植栽でき、作業時間短縮とストレス軽減になりました。 選ばれた植物は、春から秋に次々とバトンタッチして花を咲かせるものや、風に揺れるグラス類、雑草抑制が期待できるグラウンドカバープランツなど。どれも、特徴や性質を見極めることができる花卉生産者により選ばれているので、ロングライフでローメンテナンスでありながら、美しい花壇となる組み合わせ。 苗を植え付けたあと、原種チューリップやアリウム、カマシア。エレムルスなど、1,500球の球根も植え付けられました。 中段左から/スティパ・イチュー/ストケシア・ラエヴィス/スタキス・ビザンティナ(ラムズイヤー)/ユーフォルビア・ウルフェニー 下段左から/オレガノマルゲリータ/エリムス・アレナリウス/スタキス・オフィシナリス/ペンステモン‘ハスカーレッド 配置にこだわり、交互や列植、斜めなど、ほどよい距離感で植わる小さな植物は、小さいながらも青みがかった緑や銀がかった緑、赤や黄など彩り豊か。合計84種の植え付けが完了しました。 1回目の作庭が終了して1週間後、12月中旬の様子。 コンテストガーデンBLayered Beauty レイヤード・ビューティ 鈴木 学(宮城県伊具郡)さん率いる作庭チーム。 Bエリアは、作庭前の花壇の土壌を独自に検査した結果、pH調整用として無調整ピート(ラトビア産ピート)をまいた上に、肥料もちを高めたい理由から培養土(ベストブレンド)を追加して耕運機で攪拌。 平坦な花壇を山状に盛り上げるためにも、40ℓ200袋という多くの用土が追加されました。結果、元の地表よりも15〜10cm高い土壌が完成。植物を配置するガイドとして、グリッド状に水糸が張られました。 上写真の白く囲まれた部分(図内A)に、パニカム、ユーパトリウムやアガスターシェなどが配置されている。 「さまざまなレイヤーを組み合わせて美しさを構築する」という考えのもと、季節を感じる宿根草ガーデンを作庭。背の高いグラス類と宿根草で作る4つの島(図内A)が通路から眺めた時に奥行きを感じられるような視覚効果も狙って配置されました。 上左/用意された苗の一部。上右/花壇の中には、天然石のステッピングストーンを配置。下左/植物の配置が記された図面。下右/多くの苗がどんどん配置されていきます。 3月から10月まで、月ごとに見頃が移り変わるように選ばれた植物は、合計142種。丈夫な植物、持久性のある植物、病害虫予防、密植に耐える植物、耐陰性の高い植物、観賞期間の長い植物などを考慮して選ばれています。また、こぼれ種で増えたり、宿根草の生育の邪魔にならない一年草も入っています。 球根は、拳以上の大きなアリウムから、小さなクロッカスまで、全部で約5,200球。小球根は、器に小分けしてから配置したことで、植え付け位置の手直しや微調整がしやすい効果がありました。写真左上のオレンジ色の器具は、アリウムやフリチラリアなどを深く植える際に穴を掘るホーラー。フリチラリアは、高温の影響を受けずに長生きさせるため、通常より一段深く植えられました。 3月までに咲くフリチラリアとクロッカスなどの小球根、遅れて咲くアリウムやカマッシアを置いた後、最後にチューリップ、スイセン、アリウム‘パープルセンセーション’をばらまきし、配置具合を確認したあと植え付けられました。アリウム‘サマードラマー’のみ、このタイミングで植え付けると翌年(審査のある2023年)に開花しないと予想して、芽出しのポット苗を植え付けています。 球根の植え付けがすべて完了した後、表土に有機質肥料の「グアノ」と「モルト滓」を散布。どちらも長期的な効果を狙ったもので、グアノはリン酸とカルシウムで植物を丈夫にする目的、モルト滓はチッソ分の補給と土壌の微生物環境の改善を目的としています。最後にバーク堆肥でマルチングをして終了。所々にラベルがついた小枝が刺さっているのは、2月末に行われる2度目の作庭で植え付ける予定の植物の場所を示しています。 1回目の作庭が終了して1週間後、12月中旬の様子。 コンテストガーデンCGarden Sensuous ガーデン センシュアス GreenPlace(埼玉県朝霞市)代表の高橋三和子さんと山越健造さん(山越健造デザインスタジオ、宮城県仙台市)率いる作庭チーム。 園路を挟んで、対になったL字形のCエリアは、黒土と小粒の軽石、バーク堆肥、木酢液入り木炭を表土にまいたあと、耕運機で耕して基本の用土づくりは完了。基本用土は乾燥すると砂状になり、マウンドや窪みといった高低差を付けるのが難しそうだったため、造形をしやすいように黒土を追加。軽石は、黒土を加えたので通気性の向上のために、木炭と堆肥は保水性をよくし、有機物を足すことで土中微生物を増やすために加えられました。 丸の中に印を。「−(マイナス)」が書かれている場所は穴を掘り、「+(プラス)」の場所は盛り上げる。 土を攪拌してフカフカにしたあと、山越さん自ら有機石灰が入ったボトルを手に、図面を見比べながら花壇に数カ所、丸印が描かれました。これは、多様な植生と生物の場を創出するために作られる「マウンド(築山)」と「低地(レインガーデン)」、「フラット(平地)」という、凹凸のある地盤作りのためのガイドラインとなります。 この庭でいう「マウンド(築山)」とは、Hugel mound(Mound culture:ドイツなどが発祥の農法)と雑木林の循環管理方法を融合させたもので、土中に剪定枝などを埋めてから土を盛り上げて山のようにします。このマウンドを作ることで、① ゴミを焼却することにより、発生する二酸化炭素を削減する。② 保水性を高めることにより、水の使用を軽減。③ 微生物など生き物の棲処になる。④ 高さを出すことで周囲の低地に水が集まり、植生の異なる豊かな植栽が可能になるという4つの効果を狙っています。 窪ませた場所の底には、さらに軽石、木炭を入れて透水性を高める。 「低地」は、窪ませることで ① 降雨時の急激な下水道への排水を緩和。② 植栽や土壌によって水質を浄化。③ ヒートアイランド現象の緩和という3つの効果が期待できるレインガーデンとしてのデモンストレーションになっています。 起伏のある地盤が完成すると、全体にニームケーキ(植物性土壌改良材)と元肥をまいて、植物を配置するガイドに沿ってポット苗を配置し、1株ずつ植え付け。 図は審査時に対象だったBエリアの現状分析をベースにした植生ゾーニング例。実際に施工したCエリアに合わせたゾーニングで配置された。 植物は、地表面の形状や湿度、日照などを考慮したA〜Eの5つのエリアに区分され、それぞれに適したものを配置。 上左/築山とその周辺部分。下左/低地とその周辺部分。上右/用意された苗の一部。下右/小さな苗の生育を補うため、木酢液(キクノール)と天然活性液(バイオゴールドバイタル)を希釈した液を仕上げに散布。 盛り上がった築山には、乾燥に耐え、あまり背の高くならないレモンバームやオレガノなどを。窪んだ低地には、アスチルベやユーパトリウムなど、湿度や水に耐性のある種類が選ばれています。また、平地には、築山と低地との緩衝地帯としても機能する安定した植栽スペースとして、多様な表情が見られるようにと、エキナセアやイトススキ、ガウラ、バーベナなどが選ばれ、2〜3月の最終植え付けまでに合計65種が植えられます。 1回目の作庭が終了して1週間後、12月中旬の様子。 コンテストガーデンDTOKYO NEO TROPIC トウキョウ ネオ トロピック 西武造園 永江晴子 (東京都豊島区) さん率いる作庭チーム。 Dエリアは、植物性完熟堆肥(黒い堆肥)と赤玉土、ピートモスを表土にまき、しっかりスコップで耕して基本の用土づくりが行われました。有機質を混ぜ込む土壌改良を行って保水力や保肥力を高め、根を生育させることで、翌年からの灌水を抑える効果を狙っています。 レイズドベッドの枠に使うヤマハギの枝を仕分ける作業を行いながら、枠作りも進行。 また、土づくりと同時進行で、自然素材を使った「ウィービングレイズドベッド」作りもスタートしました。レイズドベッドとは、枠を設けて地面より高い位置に植える場所を作る手法で、ここでは地温を確保し、冬の寒さによるダメージを軽減する目的や、花壇をリズミカルに表現する目的で設置されました。 今回、この「ウィービングレイズドベッド」のイメージに近づけるためには、曲がりが少ない枝を見つける必要がありました。現場での枝選びの後、さらに事前にモックアップ制作。施工の手順やイメージ通りの仕上がりになるように太さの確認をしてから、実作業に臨んだといいます。レイズドベッドやコンポストの位置を決める角棒が枠の四隅に立てられたあと、黒竹を等間隔で挿し、その間を縫うようにヤマハギの細い枝を下から順に編み上げながら縁取りを作ります。手作業でレイズドベッドが1つ、また1つと組み上がっていきます。 レイズドベッドの枠を自然素材にしたことで、周囲の植物とも馴染み、通気性や排水性を確保。枠の内側に防草シートを張り、底には約10〜20cmほど軽石を敷き詰めてから用土を入れていきます。 高さや形状が異なるレイズドベッドが9個完成。金網の枠(写真上右)はコンポスト用で、この花壇から出る枯れ葉や枯れ枝、花がらなどを堆肥化するために設けられます。レイズドベッドの上とその外側などに苗と球根を配置。高低差がある花壇の中に次々と植え付けられました。 選ばれた植物は、ローメンテナンス・ロングライフであるコンセプトに合わせた宿根草を中心に、サブトロピカルな植物をポイントにしています。個性豊かな植物が東京の地で力強い姿を見せてくれるのを予想し、アロカシア、パンパスグラス、カンナ、アスパラガス、アガベなど合計40種超の植物が選ばれました。昆虫の棲処にもなるバイオネストの設置や一部のサブトロピカルの植物、芝生などは2月の作業で追加されます。 通常、亜熱帯系の植物は、暖かい時期に植栽すれば問題なく越冬するものですが、今回指定された施工時期(12月、2月)は亜熱帯系植物の植栽時期としてはベストなタイミングではありませんでした。そこで、屋外での植え付け時に植物がなるべくダメージを受けないようにと、養生も温室から無加温の温室に移動するなどの配慮がされました。 仕上げに、針葉樹の樹皮(バーク)を粉砕加工したリサイクルマルチング材(ランドアルファ)を表土全体に敷き、金網の内側に不織布が設置されたあと、レイズドベッドを作る際に出た不要な枝などをコンポストに投入して、作業は完了しました。 1回目の作庭が終了して1週間後、12月中旬の様子。 コンテストガーデンEHARAJUKU 球ガーデン 平間淳子(東京都目黒区)さん率いる作庭チーム。 コンテストガーデンのエリアで一番奥に位置し、「オリンピック記念宿舎」の前にあるエリアE。初日は雑草を丁寧に取り去ったあと、根が伸びやすくなるように、また、排水性を高めるためにシャベルで全体を掘り起こしました。それから日頃の庭づくりで使い慣れているという赤玉土と腐葉土を40ℓずつ各12袋を投入。少量のくん炭と元肥もプラスして、基本の用土づくりは完了。 ずらりと揃った植物を前に、どの場所に何を配置するか、段取りを整理しながら、傷んだ部位を切除するなど、苗の手入れも同時進行しました。 多数の植物の中から、まず骨格となる植物を選び、その配置からスタートします。このガーデンの作品タイトルは「HARAJUKU 球ガーデン」。某超有名ガーデンを原宿ならではの遊び心でもじったタイトルで、初夏にはまん丸の花が咲くアリウム、そして秋にポンポン状の花がダイナミックに咲くダリアまで、球状の花を多数組み合わせました。ポップに楽しく見せる植物が選ばれています。 配置図を頼りに、まず苗を配置。離れて見たり、角度を変えて眺めたりしながら、育った姿を想像して位置を微調整。植え付けて半年で見応えが出るように、骨格となるニューサイランやディエテスなどは、一般的なサイズよりも大きな株が用意されました。また、これらの草丈が高く大きな縦のラインとなるニューサイランやディエテス、グラスなどを多めに入れることで、メインとなる丸い花々を引き立てる効果を狙っています。 地面に置かれたレンガは、植え付け時の足場として。植え付けるまでに苗がいたずらされないようにと、一時的にカラス除けのCDが吊されました。 霧のような穂を立ち上げているのは、ミューレンベルギア・カピラリス。ほかにもディスカンプシア‘ゴールドタウ’など、秋にダリアが咲いた頃、幻想的に調和する効果を狙ったグラスが選ばれました。普段は“甘やかさず育てる派”ですが、テーマ通りの庭に最短で仕上げるため、1つずつ植え穴に肥料を入れながら植え付けています。また、植物によっては排水性を高めるために、パーライト、軽石などを植え込みました。 最終日は、全体に球根を配置して一気に植え付け。仕上げにバーク堆肥でマルチングして冬に備えます。特に多くの種類を植えたのがアリウムで、開花期間が少しでも長くなるようにと、球根で16種、苗は2種の合計18種が植えられました。 長く伸びていたディスカンプシアなどは短く切り戻し、常緑のニューサイランやカレックス‘エヴェレスト’などは、そのまま越冬させます。 1回目の作庭が終了して1週間後、12月中旬の様子。 日々成長するコンテストガーデンに注目を ご紹介の「第1回 東京パークガーデンアワード」は、5つの庭の魅力を競うコンテストですが、参加するガーデナーたちは、仕上がっていく互いの庭を見て刺激を受けたり、人手が足りないチームの植え付けを助ける場面もありながら、期間内に無事1回目の作庭が完了しました。 代々木公園を舞台に行われた「第1回 東京パークガーデンアワード」。5つの庭を一度に見学できるこの場所は、公共ガーデンに新しい息吹を吹き込むことが期待された2023年において東京の最新のガーデンでした。2023年11月からは舞台を神代植物公園(東京・府中市)に移し、「第2回 東京パークガーデンアワード」が開催されています。
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オランダ

【オランダの庭】 モダンガーデンデザインの先駆け「ミーン・ルイス庭園」<中編>
モダンガーデンの歴史を作ったミーン・ルイス 戸外でデザインするミーン・ルイス。Photo: Mien Ruys Garden Foundation ミーン・ルイス (Mien Ruys, 1904-1999) は、庭園建築家(ガーデンアーキテクト)、及び、景観建築士(ランドスケープアーキテクト)として、オランダ各地の個人や公共の庭園設計に携わり、活動を続けました。今から100年前ほどのこと、彼女は当時まだ珍しかった、宿根草を使った花壇づくりにいち早く取り組み、同時に、直線や斜線、円から成る、単純かつ効果的な幾何学模様をデザインに取り込んで、近代建築にふさわしいモダンガーデンの発展に寄与しました。シンプルで明快なデザインに、瑞々しく生い茂る植栽。それがミーンのトレードマークです。オランダにあるミーン・ルイス庭園では、時代の変化を敏感にとらえて新しいものに次々と挑戦し、試行錯誤を繰り返した、ミーンの軌跡をたどることができます。前編に続き、独創的な庭の数々を見ていきましょう。 〈ハーブ・ガーデン〉(1957年製作、1996年改修) 左/カフェテラスに続くゲートを覆う、長いシュートを伸ばしたつるバラ。赤いローズヒップもたくさん。その右下は芝生の腰かけ(ターフシート)。右/ゲートからのハーブ・ガーデン全景。手前はハーブの植わる小さな花壇スペース。 前編でご紹介した〈ウォーター・ガーデン〉から続くのは、〈ハーブ・ガーデン〉です。〈ウォーター・ガーデン〉をつくった後、ミーンは隣り合うこの区画が塀や建物で囲まれ中庭のようになっていたことから、ここに中世の僧院の中庭をモチーフにしたハーブ園をつくることを思いつきます。 四方を塀などで囲まれ、閉じられた空間となっていますが、木々の影が落ちずに日当たりがよく、開放感があります。庭の中心にあるのは、正方形のスペースに白い砂利が敷き詰められ、セイヨウツゲの生け垣があしらわれたフロア。訪れた時は高さ30cmにも満たない緑でしたが、以前の生け垣はもっと高さがあって、きっちりと刈り込まれた立派なものだったようです。セイヨウツゲが植え替えられたようですね。 周囲にはレンガと貝殻を使ったペイビングが広がっていますが、そこに大小の四角い植栽スペースがフロアを切り取るようにつくられています。ラベンダー、レモングラス、タイム、フェンネル、セントジョンズワート……、小さなスペースにはハーブが1種類ずつ植わります。ハーブは少量あればこと足りるという考えから、植栽スペースが小さいのだとか。 左奥、真っ赤なベンチの前には古い井戸が。 中央に配置された白い砂利敷きのフロアは、この空間をより明るくしています。白い砂利とセイヨウツゲの緑のコントラストが美しいデザインです。生け垣の真ん中に置かれた鉄のオベリスクの先端には、銀色の丸いボールが飾られていますが、これは、中世の英国で、悪霊や呪いをはねのけるものとして窓辺に飾られたガラス玉「ウィッチズボール(魔女の玉)」を思わせるもの。ここでは鳥よけとなっているのでしょうか。このほかにも、中世の僧院の庭でよく見られたものとして、左奥の井戸と、ゲート近くにある「ターフシート(芝生の腰かけ)」があります。ターフシートは座面部分、もしくは全体に芝生が生えたベンチのようなもので、腰かけるのに使われていました。 左/実をつけたマルメロ。右/立ち枯れのアーティチョーク。 中世の僧院では薬草が主に育てられていましたが、この庭に植わる植物も、すべて実用的なものが選ばれています。食用か薬用の植物がほとんどで、塗装に使われるものもあります。訪れた10月上旬、庭の隅にはマルメロの木が重そうに実をつけ、植栽スペースでは立ち枯れのアーティチョークが種子をつけていました。秋冬に楽しむオーナメンタルプランツとして切り取らずに残されているのでしょうか。さらに奥の足元付近には、オレンジに色づいたホオズキが実っていました。 〈サークル・イン・ザ・ウッド(森の中の円)〉(1987年製作) さて、〈ウォーター・ガーデン〉に戻り、木々が生い茂る中の小道を進むと、急に視界が広がりました。〈サークル・イン・ザ・ウッド〉です。森の中にぽっかりと、大きな円の空間が広がっています。訪れたのは、まだ日が完全に昇りきらない午前中だったので、陽光が遮られて薄暗く、神秘的な場所に感じられました。 〈サークル・イン・ザ・ウッド〉は、ミーンがデザインした庭としては後期のものになります。このヨーロッパナラの生える森は、19世紀にモーハイム・ナーセリーの風よけとしてつくられ、機能してきたものですが、1987年に庭園の一部として組み込まれることになりました。その際、森を計測すると、自然に生じた空き地があることが分かりました。そして、数本の木を切り倒しただけで、このような円形の空間が見事に出現したのでした。 ミーンがそこに作ったのは、円形の空間にぴたりとはまるような、大きな丸い花壇でした。花壇の大きな円に沿って歩きながら、足元に広がる緑の正体を確かめようと近寄ると、無数の小さな緑がひしめきあっています。まるで繊細に織り上げられた絨毯のよう。水を含んで、しっとりと鮮やかな緑色に発色しています。 ミーンは当初、この花壇に日陰に育つ植物を数種類合わせて育ててみましたが、「森の中の小さな庭」みたいになってやりすぎに感じられ、植物を1種類に絞ることにします。そして選んだのが、ここの酸性の土壌によく育ち、明るい葉色を持つコミヤマカタバミでした。しかし、単作を保つのは容易ではないとのことで、実際にはコケや他の植物が混じっています。単作を続けていると、土をよい状態に保つのも難しくなるそう。 円形の緑の絨毯はセイヨウシャクナゲでぐるりと囲まれていますが、背丈のあるシャクナゲに囲まれることで、この場所が閉じられているように感じます。一方、見上げれば木々のこずえの開口部から、円形の空間に優しい光が降り注ぎます。ミーンが〈大聖堂〉と呼んだこの場所は、シンプルだけれど印象深い空間です。 右奥に写っている人のサイズと比べると、このエリアの広さに驚くのでは。 1999年にミーンが亡くなった後、2010年の春からは、後輩デザイナーの計画によって、この花壇に白いラッパズイセンが植えられています。訪れた10月上旬は、まだスイセンの葉の存在はまったく感じられませんでしたが、今ごろはきっと、花咲く準備を始めたスイセンのツンツンとした葉が、この空間を面白い景色に変えていることでしょう。 〈ウィークエンド〉(1950年代製作) 〈サークル・イン・ザ・ウッド〉から先に進むと、開けた場所にいったん出ました。その先にある建物に引き寄せられるように、落ち葉を踏みながら進みます。 小道沿いの狭い場所にもグラスやゲラニウムが緑を添えていたり、建物に沿って真っ赤な花を吊り下げたフクシアの鉢が並んでいたり。ひとけの少ない場所にまで植物による演出が見られ、細やかな心遣いを感じます。 〈ウィークエンド〉の名には、庭の裏手にある水路にちなんだ「水路の行き止まり」と「週末」という2つの意味が。 この建物は〈ウィークエンド〉と名付けられたサマーコテージです。ミーンは1943年、庭園のあるデデムスファールトから首都アムステルダムに拠点を移して自身の設計事務所〈ブーロ・ミーン・ルイス〉を立ち上げ、建築家や芸術家と交流することで活躍の場を広げました。 1950年に父ボンヌが亡くなり、その後、両親の家が売却されることになると、ミーンは週末を庭園で過ごすための場所が必要となり、古い豚小屋を建築家に頼んでコテージに改装してもらいます。そして、普段はアムステルダムで働き、週末に庭園に戻るという生活を続けますが、晩年にはここで暮らすようになり、1999年に亡くなりました。 ミーンの設計事務所〈ブーロ・ミーン・ルイス〉は、1979年には父の興した種苗会社モーハイム・ナーセリーから離れて独立した会社となりました。現在は、ミーンから直接教えを受けた設計家のアネット・ショルマが会社を牽引し、庭園建築や景観建築、都市緑化の設計を行っています。また、〈ブーロ・ミーン・ルイス〉はミーン・ルイス庭園のアドバイザーとして、今も庭園の活動を支えています。 建物に対して芝生とテラスの境目が斜めになるよう配されています。Photo: Mien Ruys Garden Foundation 1950年代、戦後の再建期に、ミーンは共同住宅などの公共ガーデンを設計することが多々ありましたが、その際、四角い敷地に対角線を引いたような、斜めのラインをデザインに取り入れました。集合住宅の建物に対して、小道や植栽、テラスなどで斜めのラインを作り、コントラストをつけたのです。この斜めのライン使いによって、この時期の彼女は「斜めのミーン」と呼ばれていました。1960年代に入りしばらくすると、ミーンのデザインから斜めのラインは消え、再び直線や正方形を用いたデザインへと変化しています。 Photo: Mien Ruys Garden Foundation ウィークエンドの小さな庭でも、家に対してテラスと芝生の境目が斜めになるよう設計されています。こうすることで、芝生や植栽が家に近づき、扉を開ければすぐに花や緑が目に入るという効果があります。花壇には、長く咲く、明るい花色の丈夫な宿根草が植えられました。 このコテージは2013年に改修され、新しい屋根と、ガラスの明かり取りのある現在の姿となりました。今は資料館として使われている建物の中に入ってみると、中央に、ミーンと共に働いた建築家で家具デザイナーの、リートフェルトの代表作「赤と青の椅子」が2脚。部屋をぐるりと囲む明かり取りの高窓から自然光が入り、ドア脇の可愛い小窓のそばにはグラスが活けられています。 Photo: Mien Ruys Garden Foundation こちらは改修前の建物の写真。ミーンが暮らしていた頃は、このような姿をしていました。ウィークエンドの庭は、庭園に組み込まれる2006年まで非公開でした。 Photo: Mien Ruys Garden Foundation 庭の中にあるコテージ。ミーンが庭と共に生きたことが伝わります。 〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー(標準宿根草花壇)〉(1960製作、1987年修復、国定記念物) 左は3本のメタセコイア。右に実験用花壇が並びます。 〈ウィークエンド〉の建物から少し戻り、〈サークル・イン・ザ・ウッド〉を抜けて出た、開けたエリアにある最初のガーデンです。まだ日が高く昇りきる前に着いたので、高い木々が日差しを遮り、ひんやりとしています。うっすらとモヤのかかるガーデンでは、緑がとても濃く感じられました。 よく刈り込まれた芝生は厚みがあって、フカフカとして歩き心地もよく、振り返ると木漏れ日がとても幻想的。この大きな木々は、ここにいつからあるのでしょう。この庭をずっと見守っている頼もしい樹木に思えました。 調べてみると、この3本の大木はメタセコイアでした。メタセコイアは絶滅したと考えられていた樹木ですが、1940年代に中国で発見され、モーハイム・ナーセリーはその種子を入手していました。この庭のメタセコイアは、その種子から育った子どもたち。長い時の流れを感じます。 芝生の中には石づくりのアート作品が。まるで女性が椅子に座って庭を眺めているようです。このエリアでは、大きな木を引き立てるようにコの字に花壇が設けられています。くすんだ紫花を咲かせるセダム‘ハーブストフロイデ’を背景に、ルドベキア‘ゴールドストラム’の黄花が鮮やか。 ミーンがここに作ったのは「既製品」の花壇です。彼女は1950年代のプレハブ建築に着想を得て、「目的別の花壇キット」を作って販売することを思いつきます。土の質や日照、花壇の大きさや、草花の色合いなど、条件をいろいろと変えて何種類もの「花壇キット」を考え、その見本をここに作ったのでした。植物はどれも丈夫で育てやすく、開花期の長い宿根草が選ばれています。客が、例えば「日当たりがよくて土は酸性、花壇の大きさはこのくらい」と、自分の庭の条件や希望を伝えると、モーハイム・ナーセリーからその希望に合った「花壇キット」の植物苗と植栽図面、育て方の手引書が届くという仕組みでした。個人宅の小さな庭にもフィットする、小さなサイズの花壇もありました。 花壇と花壇は、丸みを帯びた形に刈り込まれた小さな生け垣で仕切られています。生け垣は仕切りというだけでなく、平坦な芝生に立体的な変化をつける役割も果たしています。芝生と花壇の間は、凹凸模様に石のステップが浮き立って、美しい縁飾りとなっています。 コの字形の花壇の向かい側には、株張りが3mほどもあるホンアジサイ‘オタクサ’が茂ります。花がらをそのままにしてあって、その褪せた花色が美しく感じられました。左から丈高く穂を伸ばすのは、タケニグサ。ケシ科の植物で、日本では空き地などにはびこっている地域もあるアメリカの帰化植物です。日本では新規で植えてはいけないケシ科の毒草のようですが、切れ込みがある大きな葉は、霜をまとって存在感がありました。 〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉を見渡して。 1954年、ミーンは人々にガーデニングの知識を伝えようと、夫のテオ・マウサウルトと共に"Onze Eigen Tuin"(オンズ・エイガン・テイネン、私たち自身の庭)というタイトルのガーデニング季刊誌を創刊しました。ミーンは雑誌や書籍を通じて知識や思いを伝えることで、人々のガーデニングへの興味を後押ししたのですね。この雑誌はオランダで最も古いガーデニング誌として、今も発行が続いています。 〈サンクン・ガーデン(沈床式庭園)〉(1960製作、2015年修復、国定記念物) 一段高い場所から見たサンクン・ガーデン全体。 〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉の隣のエリアは、一段低く下がった〈サンクン・ガーデン(沈床式庭園)〉です。とても小さいスペースですが、枕木に縁取られた花壇の中はまるでパッチワークのよう。植物リストには37の品種が記載されています。 左/〈サンクン・ガーデン〉から〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉を見ると、手前部分が枕木1本分ほど低くなっているのが分かります。右/隣り合う〈サン・ボーダーズ(日向の花壇)〉と比べても一段下がっています。 ミーンがこの庭で行ったのは、鉄道で使われた枕木を建材として使うことでした。そのきっかけは、砂丘に庭を設計するよう依頼されたこと。町で、使用済みになって積まれていた枕木を見かけたミーンは、砂丘の高低差を調整するのに使えるのではと考え、トラックの荷台いっぱいに積んで庭園に運び込みました。そして、隣り合うエリアから地面を15cmほど掘り下げて、枕木を仕切りに使って段差をつけてみたり、花壇を作ったりと、さまざまな実験をしながらこの庭をつくりました。 庭の主よろしく大きく枝を広げている樹木は、ヤマボウシです。赤い果実がいっぱい実っていて、美味しそう。春は白い花が咲いて、それもまた見事だろうとイメージできます。ひさしのような枝の下には、枕木の枠と似た、長い木製ベンチが置かれていますが、自由に葉を広げる植物の中で、まっすぐなラインが際立ちます。間仕切りとなって突き出ている枕木の上には石像が置かれて、アクセントに。直線の枕木がさまざまな四角を描くように組み合わさったデザインで、ここにも画家ピート・モンドリアンの色面構成のエッセンスが感じられます。 石像が置かれた向かい側には、丸く水をたたえた器が角に置かれ、これもまた、垂直に組まれた枕木の、四角ばかりの構図の中で、いいアクセントとなっています。這って広がる明るい緑のグラウンドカバーは、ペルシカリア‘ニードルハムズ・フォーム’。ヒメツルソバよりも柔らかな雰囲気で、小さな花が株一面に咲いていました。ここはかなり日陰の庭で、そのため、日陰でもよく見える明るめの花や葉の植物が選ばれています。 近くで見ると葉の形が特徴的な、ペルシカリア‘ニードルハムズ・フォーム’。 枕木の使い手となったミーンは、今度は「枕木のミーン」というあだ名を得ました。その後、庭における枕木の使用はオランダ国内で真似されて、どんどん広まったそうです。日本でも枕木を使った住宅のエクステリアやガーデンデザインを見かけますが、その始まりはミーン・ルイスだったのですね! 〈シェイド・ラビング・ボーダーズ(日陰の花壇)〉(1960年製作、国定記念物) 右手のメタセコイアの下が、セイヨウイボタの生け垣に仕切られた日陰の花壇。 〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉と〈サークル・イン・ザ・ウッド〉の間に通る幅広の道は、木々に日差しを遮られてひんやりしています。〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉で見たメタセコイアをはじめとする高木が森のようで、ガーデンは自然の一部なのだなと感じる空間。 この道に沿って、セイヨウイボタの生け垣に仕切られた、日陰の花壇が作られています。この花壇は〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉の一部として作られたもので、日陰で育つ、強くて育てやすく、花がある程度長く咲く宿根草を試す場となりました。もともとは日向の場所でしたが、両側の木々が育つにつれ、半日陰から日陰の場所となりました。生け垣にセイヨウイボタが使われているのは、大きく枝を広げる木々の下でも育つため。花壇には、多種のホスタやカンパニュラ、アネモネ、ルドベキアなど、さまざまな宿根草が混植されていました。 〈サン・ボーダーズ(日向の花壇)〉(1960年製作、国定記念物) 左右の生け垣も実験の一部。高さと木の種類を変えて作られています。左は落葉するセイヨウシデ、右は常緑のヨーロッパイチイ。 この花壇も〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉の一部として作られたもので、日向に咲く、丈夫で育てやすい宿根草の実験が行われました。庭の小部屋と小部屋をつなぐようなシンプルなエリアで、両側にある背丈より高い生け垣によって周囲の景色が遮られているため、見る者の意識が自然と、奥の開けたガーデンに集中します。朝早い時間だったためかまだ薄暗く、植物たちはしっとりと落ち着いた印象でした。 植栽は、はっきりとした明るい花色の宿根草が選ばれているとのこと。左奥に見える、風に揺れる細長い白い穂は、日本でも見かけるサラシナショウマ。その株元では紫のつぼみをつけた矮性のアスターやセダムが小道を縁取り、右奥には、フジバカマの仲間、ユーパトリウム‘ベイビー・ジョー’の花が、ちょうど見頃でした。 〈ポンド・ウィズ・リード(トキワススキの池)〉(1960年製作) 四角い池の大きさは2×3m。Tatyana Mut/Shutterstock.com 〈サンクン・ガーデン〉から〈サン・ボーダーズ〉の生け垣の間を抜けると、背の高いトキワススキが大きく茂る〈ポンド・ウィズ・リード(トキワススキの池)〉があります。小さな長方形の池とテラスを、トキワススキがダイナミックな緑のスクリーンとなって引き立てる、小さな空間です。 池には直立的なホソバヒメガマが生え、初夏には白花のスイレンが浮かびます。Tatyana Mut/Shutterstock.com この庭は、1960年代に市場に出た、プラスチック製の「池」を実験するためのものでした。製作時に「池」として設置されたプラスチック製の四角い容器は、およそ60年経った今もそのまま問題なく使われているとのことで、その耐久性に驚かされますね。池の3辺は水際まで芝生を生やし、残る1辺はテラスの敷石を水の上に少し出すことで、池の縁をうまく隠しています。 〈シティ・ガーデン〉(1960年製作、国定記念物) 第二次世界大戦後、町では小さな庭のある家が次々と建てられるようになり、一般の人々も時間的余裕が生まれて、庭やガーデニングに関心を寄せるようになりました。ミーンがここに作ったのは、町で見られる平均的なサイズ(6×10m)の小さな庭、〈シティ・ガーデン〉です。この庭も周囲を生け垣に囲まれて、屋外の小部屋のようです。赤い色に導かれ、飛び石をたどって中に入って行きました。 この庭では、敷石の小道が斜めに配置され、導かれる視線の先に樹木が1本植わっていますが、これはミーンが考案したデザイン上の工夫です。ミーンが庭を広く見せるために見つけた原理は、次のとおり。 斜めのラインを取り入れると、庭が広く見える。樹木を1本植えると、奥行きが生まれる。高さの違う生け垣や塀を配置すると、「長細い庭」に見えなくなる。芝生が端から端まで続くようにすると、庭が広く見える。飛び石の間も芝生を生やすと、小道によって芝生が分断されない。 小さな庭でも、デザインによって平凡でないものが作れるということを、ミーンはこの庭で示しています。 中央付近で振り返ると、赤いフクシアの花とベンチの座面の赤がなんともおしゃれ! 背景のフェンスの高さや椅子の配置、芝生の緑……絶妙なバランスです。よく見ると、右側のミズヒキの赤い穂も色を添えています。 一般家庭の庭を想定している〈シティ・ガーデン〉では、丈夫で育てやすい宿根草が花を咲き継ぐように選ばれていて、また、建材も安価なものが使われています。 左/生け垣の外から見た景色。右/シンボルツリーのように枝を広げるモクゲンジ。 幹肌が苔に覆われた木は、モクゲンジ。袋状の実をつけていました。夏には鮮やかな黄色い花を咲かせ、秋には黄色く紅葉する樹木です。日本では庭木としてあまり使われませんが、ミーンは小さな庭に向くと選んだようです。プラスチックの蓋がついた地面の赤い枠は何かと思ったら、子ども用の砂場。まさに一般家庭の庭ですね。左端の植木鉢にもバーベナの赤花が咲いて、緑に引き立っていました。 このエリアに入って出るまで10歩程度。シンプルなのに見飽きない、親しみを覚えるガーデンでした。シンプルだからこそ、タイムレスな美しさがあるのでしょう。 〈ガーデン・オブ・スクエア(正方形の庭)〉(1974年製作、2014年修復) 〈シティ・ガーデン〉に隣接するのは〈ガーデン・オブ・スクエア(正方形の庭)〉、70年代に作られた庭です。名前の通り、正方形が基本となる庭。正方形の敷石が敷き詰められ、前編でご紹介した〈ウォーター・ガーデン〉と同じく、芝生はありません。正方形の植栽スペースや、正方形の箱のような生け垣、正方形に切り取られた池があって、一番奥には、一段高くなったテラスにひさし付きの木製ベンチが置かれています。直線から成る整理された空間に、さまざまな植物がオブジェさながらに配置されて、美術展示のようです。 正方形の敷石の目地は、約2cm幅と広めです。そこにコケが生えて、格子状のラインがよりはっきりと分かるようになっています。大小の正方形を組み合わせたデザインが、ここでもモンドリアンの絵画を思わせます。正方形の植栽スペースはどれも同じサイズで、奥に見える池だけが、大きな正方形となっています。右手の白い壁の上には、こちらを見下ろしているような女神像がありますが、あの高さから眺めたら四角の配置が一目瞭然なことでしょう。 手前の植物は、黄花を咲かせる、草丈60cm程度のアキレア ‘ムーンシャイン’。その奥の細長い葉は、コアヤメ(シベリアアヤメ)。池の向こう側には、ソリダゴ ‘ファイアーワークス’が黄色の花をたっぷり咲かせています。植栽は、モンドリアンの3原色の絵画と同じく、赤、黄、青の花が咲く宿根草のみが選ばれています。 池のそばから左手を見ると、フェンスのように仕立てられたモミジバフウが緑の帯状に葉を伸ばし、見る者の視線を遮って、隣の庭との仕切りとなっています。その株元付近にも3つの四角い花壇があって、手前から奥に、ゲラニウム・マグニフィカム、コンパクトなルドベキア‘ゴールドストラム’、キレンゲショウマが植わっています。低いものから高いものへ、奥にいくほど草丈が高くなっていることで、遠近感を感じます。 このエリアの中央付近には、見慣れない実をつけた樹木が植わっています。直線で統一されたデザインの中で、波打つ幹が引き立っていました。この樹木は、赤みがかった実が香辛料として利用されているウルシ科のスマック(ルース)。紅葉が美しく、ヨーロッパの庭園ではよく使われる樹種のようです。植物選びも凝っていると感じました。 この庭を訪れた同行のガーデナー、新谷みどりさんは、こう振り返ります。 「この庭は予備知識を入れずに訪れるのも、しっかり勉強してから見るのもどちらも意味のある稀有なガーデンだな、と改めて思います。永遠に変わらないものと常に進化し続けるものが共存する庭だからなのでしょう。サークル・イン・ザ・ウッドに時折光が射し込む風景に感動したのを思い出します。木の実が落ちて、その音が少し響く感じがたまらなかったです」 後編に続きます。前編はこちら。 参考資料:https://www.tuinenmienruys.nl/en/ Many thanks to Mien Ruys Garden Foundation. 執筆協力/新谷みどり
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フランス

【フランスの庭】皇妃ジョゼフィーヌの夢の棲みか マルメゾン城の庭園
皇妃ジョゼフィーヌの夢の棲みか 城館正面。Kiev.Victor/Shutterstock.com ナポレオンとジョゼフィーヌがマルメゾンの土地と城館を購入したのは、2人の結婚から3年目の1799年。まだナポレオンが皇帝として戴冠する前です。ナポレオンの遠征中にジョゼフィーヌがこの地所に一目惚れして購入を決め、ナポレオンが後から承認したという流れだったそうで、最初からジョゼフィーヌのイニシアチブの強さを感じさせます。当時のフランスきってのファッションリーダーだった彼女は、帝政スタイルの室内装飾で自分の好みに合わせて城館と庭園を整えさせました。このマルメゾン城の書斎ではナポレオンにより数々の重要な国事決定がなされ、また多くの華やかなレセプションが行われました。 現在は博物館となっているマルメゾン城内。Kiev.Victor/Shutterstock.com マルメゾンのイギリス風景式庭園 絵画のようなイギリス風景式の庭園が広がる。 当時は塀に囲われた部分のみでも70ヘクタールあったという庭園の姿にも、時代の流れとジョゼフィーヌのこだわりが反映されているのは言うまでもありません(現在残る部分は6.5ヘクタール)。フランス18世紀後半のイギリス式庭園の大流行を受けて、マルメゾン城の主庭にはイギリス風の自然な風景を取り入れた庭園がつくられました。大きな木々の間を静かに流れる小川にはピトレスクな橋が架かり、古代風の彫刻などがフォーカルポイントとなって、絵画のように構成された自然風景の中を、緩やかに曲線を描く園路が続きます。鳥のさえずりを聞きながら緑の中を散策すれば、自然と心が落ち着いてくることに気づくでしょう。フランスの庭園といえば、ベルサイユの庭園のようなフォーマルガーデンがイメージされるかもしれませんが、18世紀以降はイギリス風の自然風景式庭園が数多くつくられています。 オールドローズガーデンの様子、円形のガーデンシェッドがポイントに。 ライムツリーの並木越しに、オールドローズガーデンを眺める。 英国風庭園の一角、人工の岩石や古代風彫刻などが絵画的なシーンを演出。 アプローチはフォーマルスタイル、カマイユーの植栽 Kiev.Victor/Shutterstock.com 一方、城館へのアプローチとなる前庭部分は、メイン・ガーデンとコントラストをなすフォーマルスタイルで構成されています。正面玄関に向かう通路脇は、毎シーズン変わる華やかなボーダー植栽で彩られます。このボーダーは、やはり当時の流行だったカマイユー植栽という、1色の濃淡を主調とする植栽デザインで構成されています。 赤を主調にしたカマイユーの植栽。 ジョゼフィーヌの植物への愛 大温室はもうないが、かつてジョゼフィーヌが収集したバナナの木やベゴニア、ユーカリ、フェイジョアなど、ゆかりのある植物が並ぶ。 マルメゾンでは、イギリス式庭園の絵画的な自然風景、カマイユーのボーダー植栽や、季節のよい時期に飾られるオレンジやレモンの木のコンテナなどから、現在でも当時の姿を十分に偲ぶことができます。しかし、マルメゾンの庭の最大の特徴は、なんといってもジョゼフィーヌが主導した多彩かつ希少な植物コレクションでした。 気候が温暖でさまざまな熱帯植物が繁茂する、植物にとっての楽園のような土地、マルティニーク諸島の貴族の出だったジョゼフィーヌにとって、植物や動物の存在は身近に欠かせないものだったのでしょう。大きな温室を作らせ、海外からもたらされた希少な亜熱帯植物などをどんどん収集しました。遠い南の植物たちの姿に、故郷を懐かしく思い描いていたのかもしれません。とはいえ、そこには常に科学技術の進歩への関心がありました。彼女は、世界中の植物学者や研究者との情報交換ネットワークを築いていたといいます。 ダリアのコレクションも豊富。 モダンローズの母、皇妃ジョゼフィーヌ さらに、ジョゼフィーヌの庭園を歴史の中で不朽のものとしたのは、何よりもまず世界各地から250種を集めたというバラのコレクションでした。英仏戦争の戦火の下、ジョゼフィーヌが取り寄せた英国からのバラ苗は、英仏海峡を越えてマルメゾンに届けられたといい、バラへの想いは戦闘下のいずれの国をも無事に行き来することができたようです。 マルメゾンの庭ではさまざまな品種のバラを栽培していたため、自然交配による新品種が生まれ、それは人工交配によって新品種を生むモダンローズ開発の発端となりました。ジョゼフィーヌが現代に続くモダンローズの母と呼ばれる所以です。また、彼女は生きたバラの花を愛でるばかりでなく、その姿をとどめるため、画家を雇ってコレクションの植物を描かせました。それが、ジョゼフィーヌの宮廷画家として歴史に名を残すことになったピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ(1759-1840)です。 花の画家ルドゥーテのバラ図譜 ロサ・ケンティフォリア Pierre-Joseph Redouté, Public domain, via Wikimedia Commons 写真などはない当時、植物の姿を残す方法は、植物標本とするか、細密な植物画を描くかでした。ルドゥーテの描いたマルメゾンのバラの数々は、そうした意図のもと『バラ図譜』として出版され、植物画の金字塔として大変な人気を博しました。というのも、彼が描いた数々のバラの姿の正確さや精彩さ、それに加わる優美さは、単なるテクニカルな植物画を超えた美術作品としての魅力を放ち、ルドゥーテの『バラ図譜』によって、植物画は芸術としての領域を切り拓くことになったのです。 ●「バラの画家」ルドゥーテ 激動の時代を生きた81年の生涯(1) 幻のオールドローズガーデン ルドゥーテの『バラ図譜』に描かれたオールドローズの姿から、私たちはジョゼフィーヌがマルメゾンの庭で愛でたバラの数々を知ることができます。では、マルメゾンのバラ園は、一体どんな姿だったのでしょうか? じつは、独立したバラ園としてのガーデンが構想されるようになったのは19世紀に入ってから(ライレローズのバラ園など)で、ジョゼフィーヌの当時のマルメゾンのバラは、バラ園としてまとまった形のデザインの中で栽培されていたわけではありませんでした。鉢植えで栽培され、寒い時期には温室で管理して、よい季節には庭園を飾ったバラもあれば、城館の室内を飾るため、あるいは衣裳の飾りや髪飾りとして使うために栽培されているバラもあるなど、さまざまだったようです。マルメゾンのバラは希少なコレクションとして存在するばかりでなく、生活の中にその美しい姿と香りが溢れていたことでしょう。 現在の庭園には、2014年にジョゼフィーヌ没後200年を記念して作庭されたオールドローズガーデンがあります。ここは、彼女のコレクションだったオールドローズの品種を集めた庭で、バラの季節にはジョゼフィーヌの愛でた数々のバラを堪能することができます。 オールドローズガーデンの様子。花期は短いが、バラの香りでいっぱいに。 ワイルドフラワーメドウ(花咲く草原) ワイルドフラワーのメドウガーデン。 最後に、城館内からもよく見えるワイルドフラワーメドウにご案内しましょう。自然といっても整った印象が強い英国式庭園の一角に広がる、ワイルドフラワーメドウの飾らない自然さは心和むとともに、とても印象的。現代のサステナブルな庭づくりを反映しているのかな、と思ったら、じつはジョゼフィーヌの時代に彼女の希望によりつくられていたものを再現しているのだそう。素朴なワイルドフラワーが咲く草原もまた、彼女が幼い頃に親しんだマルティニークの自然を思わせる風景だったのでしょう。 嫡子ができないことを理由に離婚した際、ナポレオンはジョゼフィーヌにマルメゾンを与え、美しい庭園の自然と花々に囲まれて、彼女は亡くなるまでをこの地で過ごします。曇り空の多いイル・ド・フランスにあって、遠い故郷へ想いを馳せることのできる植物が溢れるマルメゾンの庭園は、どれほどにか彼女の心を癒やしたことでしょう。
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庭の骨格を作りローメンテナンスでいつもきれいが叶う低木(シュラブ)
低木(シュラブ)の魅力 私が庭づくりをするとき、絶対に欠かせないのが低木(シュラブ)です。花好きさんが植栽計画を考えるときには、どうしても花ばかりを選びがちですが、花だけで庭を構成しようとすると、とてもたくさんの株数が必要になります。花がたくさんあれば、花がら摘みや切り戻しといったお手入れもそれだけ必要になり、メンテナンスに手がかかるもの。 シュラブはスーパーローメンテナンス カラーリーフのシュラブが美しい庭の実例。かたくり工房設計・施工 そこでおすすめしたいのが、シュラブです。シュラブは草花類と比較し緑の量感がたっぷりあり、花々をより美しく見せる緑のキャンバスとしても活躍してくれます。シュラブには常緑性と落葉性がありますが、落葉性であっても枝だけの期間は2〜3カ月。草花類と比較し圧倒的に見頃が長く、「いつも庭を緑で瑞々しく」という願いを叶えるには、シュラブが必須です。基本的に、手入れは年に1回程度の剪定のみ。ものによっては生育がとてもゆっくりなので、数年に一回の剪定で済む場合もあります。コンパクトなので剪定もしやすく、手入れも楽。シュラブはスーパーローメンテナンスな植物なのです。 シュラブには美しいカラーリーフがいっぱい! 英国のシュラブガーデン。 シュラブには緑の葉だけでなく、赤紫色や斑入り、ライムイエローなどさまざまなカラーリーフがあり、花を咲かせるものも多数あります。シュラブだけで構成しても上の写真のように美しい花壇ができるほど。ほぼ一年中、この風景がデフォルトとして庭にあり、次々に花を植え替える必要はありません。これだけでも十分見応えのある風景ですが、例えば、このシュラブの手前に季節の草花を少量入れると、季節ごとの変化が楽しめる花壇になります。 美しいシュラブを生み出す「小関園芸」 というわけで、庭づくりではとても頼りにしているシュラブですが、シュラブの中でもとても美しいカラーリーフを作り出す人が、私が拠点とする岐阜県にいます。40年以上の歴史がある「小関園芸」の小関正司さんです。「小関園芸」はアメリカンブルーの新品種 ‘ブルーコーラル’や‘サマースノー’など、たくさんのオリジナル品種を生み出してきた植物の生産農家です。2代目を継ぐ正司さんは、もともとはパソコンのプログラマーをしていましたが、家業を継ぐべくアメリカで植物生産の研修を経て、20年以上前に就農。すぐにシュラブの葉の美しさに魅せられ、自身でも育種を手掛けるようになりました。 生産・育種を手がける小関正司さん。 ほふく性で色変わりするヒペリカム‘ゴールドフォーム’ 最初に育種に着手したのが、ヒペリカム‘ゴールドフォーム’。一般的なヒペリカムは樹高0.2〜1m程度の低木で、夏から秋にかけて黄色の花が咲き、その後には可愛らしい赤い実ができ、フラワーアレンジメントでもよく使われます。 一方、小関園芸オリジナルのヒペリカム ‘ゴールドフォーム’は、ほふく性で這うように広がり、さらに葉の色変わりが楽しめるというユニークな特徴を持った品種。春先のライムグリーンからイエロー、オレンジ、チョコレートと、晩秋まで葉色が変化するのです。半日陰でより美しさを発揮し、耐寒・耐暑性にも優れ、庭作りではとても重宝します。 繊細な斑入り葉のヒサカキ‘ミスティーホワイト’ 「砂子斑(すなごふ)」と呼ばれ、まるで霧を吹いたかのような繊細な斑入り葉が美しいヒサカキ‘ミスティーホワイト’も小関園芸のオリジナル品種です。ヒサカキといえば、日本では古くから神棚に飾る習慣があり、日本の気候にとても適しています。白をベースに緑の極小砂子斑のミスティーホワイトは、とてもおしゃれな雰囲気。ヒサカキの「和」のイメージを覆し、モダンな住宅にもよく似合います。 コントラストが美しいヒサカキ‘残雪’ 斑入り葉のヒサカキ‘残雪’。じつは、この‘残雪’の生産中に小関さんが枝変わりを発見し、数年かけて固定させたのが‘ミスティーホワイト’です。白と緑のコントラストが美しく、やはりおしゃれな雰囲気。ヒサカキは常緑なので、一年中庭に緑を提供してくれます。こうした斑入り葉の品種は日陰に強く、葉色が明るいため、暗くなりがちな日陰エリアで重宝します。 「小関園芸」が生産する美しいシュラブ類 「小関園芸」が生産している黄金ユキヤナギ。古くから日本に自生する植物の中から、改めて美しい植物を再発見するのも小関さんの得意とするところ。 「小関園芸」ではヒサカキなど日本の自生種から斑入り葉などを育種し、さまざまなカラーリーフのシュラブを生産・育種しています。自生種が元になっているので、丈夫で育てやすく、私は庭づくりでとても頼りにしているのですが、その生産の仕方はじつに丁寧で、すべてのポットの水やりを手で行っています。生産農家では頭上からスプリンクラーで一斉に水まきをするところが多いので、3寸ポットの小さなものから一つひとつ手で水やりをしていると聞いて、とても驚きました。その理由を、小関さんは次のように話します。 1ポットずつ水分量を調節して水やりを行っている。 「シュラブは草花類と違って育つのがとても遅く、生育初期段階で最低3カ月はかかります。一年草のパンジーだったら、種を播いて開花している期間ですよね。でもシュラブはようやくそれらしい形になってくるのに1年以上かかることもあります。生育初期は葉があまりないため蒸散もしません。つまり水が乾きにくいんですが、少しの大きさの違いで、水を欲する量がひとつずつ違います。ですから、生育に合わせて、それぞれ異なる適量に水を調節する必要があるんですよ」(小関さん) 西洋イボタ(プリペット)‘カスタードリップル’ 特に「小関園芸」が多く生産している斑入り葉は、生育が遅い特性があります。斑が白く抜けている部分は葉緑素が少なく、育ちにくいのです。まるで盆栽のように気をつかいながら水やりを1ポットずつ丁寧にやるのには、そうした理由もありますが、もう一つ大きな理由があります。それがオリジナル品種の育種です。 1/30万の可能性で生まれる新品種 「新品種の育種は、突然変異や枝変わりを見つけるところからスタートするのですが、その発生率は、例えば斑入りのものだったら1万ポットに1個ほど。最初から他と違う個性がはっきりと出ているわけではなく、なんか違うぞという可能性を感じるところからスタートするものもあるので、そういうのを見逃さないという目的もあって、手灌水にこだわっています。出荷前にも全てのポットをもう一度自分の目でチェックして、可能性があるものを拾うのが育種のスタート地点なんです」 小関さんが最初に育種を手掛け大ヒットしたヒペリカム‘ゴールドフォーム’。 しかし、他と異なる個性のものを見つけたとしても、全てが新品種として世に出るわけではありません。突然変異は生育特性上弱く、育種の過程でダメになってしまうものがほとんど。新品種としてデビューできるのは、1/30万ほどしかありません。私たちの手元に届く新品種は、膨大な手間と時間をかけて生まれた奇跡の植物なのです。 「生産効率は悪いですよね。うちは一つひとつに目が届きやすいように、ポットを置くスペースもゆったり確保しているので、なおさら。僕はITの世界から植物生産の世界に来たので、最初はなんて労力がかかって効率が悪いんだと思っていたんですけど、でも面白いんですよね。昨日までこの世になかった美しい植物をこの手で生み出す喜びは、全ての原動力です。まず単純に美しいなぁという感動があるし、何年もかけて性質を固定させ、新品種として初めて市場に持って行く時のワクワク感。『何、これ?!』って興味津々で聞かれた瞬間、心の中でガッツポーズですよ(笑)」 ガーデンですぐに使えるプロ仕様のシュラブを近日限定販売! 左は一般に流通している3号ポット苗。右がガーデンストーリーWebショップで限定販売予定の大苗。 前述の通り、シュラブは生育がゆっくりで、斑入り葉などは特に生産に時間がかかるため、流通量は限られています。近年はカラーリーフが寄せ植えなどでも重宝され、小さなポットのものも流通していますが、3号ポットは庭植えで大きくなるまでに時間がかかりすぎます。造園家としては、庭植えですぐに効果を発揮して欲しいもの。そこで、造園設計の私たち「かたくり工房」特別発注で、「小関園芸」にシュラブの大苗生産を依頼。プロが庭づくりに使う大苗をガーデンストーリーショップで、一般の方にも近日販売できることになりました。生産に時間がかかるため、限定数で近日販売いたします。販売開始はガーデンストーリーのインスタグラムでご案内します。 1.ヒサカキ‘ミスティホワイト’2.ヒサカキ‘残雪’3.チリメンカズラ(白斑)4.黄金ユキヤナギ(ユキヤナギ‘オーレア’)5.西洋イボタ(プリペット)‘カスタードリップル’6.チリメンカズラ‘オーレア’ さまざまなカラーのシュラブが花壇の中央から後方へ配置されている。かたくり工房設計・施工 シュラブは庭の骨格、背景、彩りとして活躍し、なおかつスーパーローメンテナンスな素材です。「いつもきれいな庭」を叶えるために、庭に取り入れてみませんか?
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フランス

【フランスのバラ園】王妃の賭けから生まれたパリのバガテル公園、知られざる魅力
バガテルの誕生 マリー・アントワネットとアルトワ伯爵の賭け 現在のバガテル公園に繋がる城と庭園がつくられる契機となったのは、18世紀、王妃マリー・アントワネットの気まぐれから始まった、ルイ16世の弟アルトワ伯との賭けでした。1775年、フォンテーヌブロー城からの帰り道で、王妃はバガテルの土地を購入したばかりだった当時20歳のアルトワ伯に、100日で城を建てることができたならば10万リーヴル払うとの賭けを提案します。この遊び心の挑戦に、では2カ月後には拙宅での雅宴にご招待しましょう、と受けて立ったアルトワ伯。なんと64日間で小さな城(シャトー)と建物周りの庭園を完成させ、見事この賭けに勝利しました。 バガテル城、別名「アルトワ伯のフォリー」をフランス式フォーマル・ガーデンから眺める。 こうして誕生したのが、当時は「アルトワ伯のフォリー」と呼ばれたバガテルのシャトー(城)です。アルトワ伯の依頼を受けた建築家ベランジェは1日でプランを描き上げ、工事には900人を動員、パリ中の工事現場から建築資材などを集め、掛け金の10倍以上の予算を費やして完成させたといわれます。 「フォリー」とは、18世紀当時、大抵は庭園内や緑に囲まれた田舎に造られた、住居目的ではなく、休憩や食事、遊興などに使われる趣向を凝らした建物でした。アルトワ伯のフォリーは、破格の特急工事にもかかわらず、当時の最新流行だった新古典主義様式の建築の傑作の一つに数えられる出来栄えで、ラテン語で「小ぶりだが、非常によく構想された」という銘が建物に掲げられているほどです。 このシャトーは混乱のフランス革命期を経た今も現存するものの、保存状態が悪く立ち入りはできない状況。ですが、再オープンできるよう、目下修復工事が進められているところです。 18世紀の最新流行、アングロ=シノワ庭園 庭園の構成は伝統に従い、城の周りはフォーマル・ガーデン、そして、イギリス風景式庭園の影響を受けてアングロ=シノワ様式といわれる、フランスの18世紀に大流行したスタイルの庭園もつくられました。この庭園づくりで活躍したのが、スコットランド人の造園家で植物学者のトーマス・ブレイキー。自然の風景のように樹木が所々に配置された広い芝生を巡る園路が緩やかな曲線を描き、要所のフォーカルポイントには、彫刻などのほか、世界のさまざまな文明からインスパイアされたデザインの庭園建築「ファブリック(英:フォリー)」が配置されました。エキゾチックな中国風(シノワ風)の東屋や橋、オベリスクや人工洞窟などはその中でも定番ですが、そうしたファンタジックな装飾で彩られた庭園は、非日常感溢れる「おとぎの国」になぞらえられました。元来舞台装置のようにハリボテ的な素材が使われた当時のファブリックのつくりは脆弱で、残念ながら時の流れとともにその姿は失われてしまっています。 18世紀後半のフランスで流行したアングロ=シノワ様式と呼ばれる、自然の風景の中を散策する庭園。絵画のような理想の自然美、調和が表現される。 中国風デザインのファブリックの一つ「パゴダ」から庭園を眺める。 パリのイギリス貴族の邸宅と庭園に 拡張されたイギリス風景式庭園。 19世紀の第二帝政期下、パリ育ちのイギリス貴族で美術収集家でもあったハートフォード侯爵の手に渡ったバガテルの城と庭園は、大きな変化を迎えます。侯爵は南北の土地を買い足し、バガテルはほぼ現在の姿に近い24ヘクタールに拡大されます。平屋だった城に2階部分を増築するとともに、拡大した公園の北側には大きな池を囲む形のイギリス風庭園を、南側の庭園部分にはオランジュリーなどを作らせました。また、皇帝夫妻とも懇意だった侯爵は、皇太子が馬術のレッスンを受けるための特別の馬術場を設けます。パリ市内に近い南側には、ロココ調の豪華な鋳鉄の門のある正面入り口が新たに設けられました。 現在はバラ園を一望できる皇后のキヨスク(東屋)。現在のバラ園の場所には、かつては馬場があった。侯爵と懇意だった皇帝夫妻はしばしばバガテルを訪れ、皇后ウージェニーはこのキヨスクから皇太子が馬に乗るのを眺めた。 余談になりますが、このバガテルを引き継いだ子息リシャール・ウォーレスも名高い美術収集家。珠玉の個人コレクションの名にふさわしいロンドンのウォーレス・コレクションは、未亡人がイギリス政府に収集品を寄贈してできた美術館です。 公共公園とバガテルのバラ園の誕生 20世紀初頭のバガテルに、当時の遺産相続人が城の家具調度を売り払い、土地を分割分譲しようとする危機が訪れます。この危機に際し、パリ市が散逸しかけた城と庭園を買い上げ、1905年、バガテル公園は公共の都市公園となりました。 バラ園はスタンダード仕立てやトレリス仕立てのつるバラなどで構成されるフォーマル・スタイル・ガーデン。構造の中心となるのは、木材のアメリカンピラーとフェストン(花綱)を飾るバラの花々。 そのイニシアチブを取った造園家ジャン=クロード=ニコラ・フォレスティエが公園整備を行った際に、馬術場は現在のバラ園へと生まれ変わりました。バラ園を見下ろす東屋は、皇后が皇太子の乗馬の様子を見守った場所だったのだそうです。ライレローズの創設者として知られるグラブロー氏の惜しみない協力を得て、約9,500本のバラ、1,100品種を保持するバラ園が誕生して程ない1907年、現在は世界中のロザリアンが注目するイベントとなったバラ新品種の国際品評会が始まります。この種のバラのコンクールとしては、世界で最初の品評会でした。 バラ園の奥には、バラの季節が終わる頃に最盛期を迎える菖蒲園がつくられている。 フォレスティエは、バラをはじめとしたさまざまな植物コレクションを擁する庭園としてバガテル公園を構想しており、バラ園のみならず、アイリスガーデン、クレマチスや牡丹などの多年草ガーデンなどがつくられます。 19世紀ハートフォード侯爵の頃につくられた「庭師の家」。煉瓦造りはブーローニュの森の周りの建物に合わせたのだそう。コテージガーデンのような花が溢れる初夏の風景。 「庭師の家」の続きには、アスターなどさまざまな宿根草の「展示庭園」。春夏には連続するフジのアーチが見事。 変化し続けるバガテル、地中海ガーデン ロココ調のメインエントランスからは、常緑樹で冬でも緑溢れる落ち着いた園路が続く。 公園のメインエントランスであるロココ調の正面門からは、19世紀のパリの公園といった雰囲気の、大きく育った常緑樹に覆われたエレガントな園路が奥に向かって延びています。その先に進んでいくと、歴史的な面影が感じられる広い芝生面に大きな樹木の植栽、水のしつらいと、洞窟や滝などの風景式庭園とはまた違った、より明るくワイルド感のあるコーナーに行き当たります。 地中海性気候の植物で構成された地中海ガーデン。パリでも気候温暖化に適応する植栽が模索されている。 ここは、1999年末にフランスで各地の森林や庭園に甚大な倒木被害を引き起こした大嵐の際、バガテルでも多数の倒木があってすっかり様相が変わってしまった場所に、新たにつくられた地中海植物のガーデン。被害で空いてしまったスペースには、地中海植物の象徴的な存在であるオリーブやツゲの木々、エニシダやラベンダーなどが溢れ、現代的なナチュラル感とともに、植物コレクションの幅を広げる新しい庭空間に生まれ変わりました。 幾層もの歴史の面影を残しながら、常に変化し続けるバガテル公園。バラの季節はもちろん、いつ訪れても変化に富んだ穏やかな散策が楽しめる、とっておきの庭園です。 公園の中では孔雀や鴨が至る所を自由に優雅に闊歩しています 。
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オランダ

【オランダの庭】 モダンガーデンデザインの先駆け「ミーン・ルイス庭園」<前編>
20世紀のオランダ庭園史を体感する庭 1924年、ミーン・ルイスが初めてつくった庭〈ウィルダネス・ガーデン〉。 オランダの首都、アムステルダムから東に車で2時間ほど行ったデデムスファールトの町に〈テイネン・ミーン・ルイス(ミーン・ルイス庭園)〉はあります。20世紀を生きたミーン・ルイス (Mien Ruys, 1904-1999) は、オランダを代表する庭園建築家(ガーデンアーキテクト)、また、景観建築士(ランドスケープアーキテクト)として、70年にわたりこの地で実験を続け、オランダ各地の庭園設計に携わりました。 20世紀オランダを代表する庭園建築家ミーン・ルイス。Photo: Fred Zandvoort ミーンは今から約100年前に、当時まだ珍しかった宿根草を使った花壇づくりにいち早く取り組みました。この流れはやがて、現代オランダの世界的ガーデンデザイナー、ピート・アウドルフが牽引する〈ニュー・ペレニアル・ムーブメント(新しい宿根草の動き)〉につながります。また、ミーンは、直線や斜線、円から成る、シンプルだけれど効果的な幾何学模様をデザインに取り込んだり、鉄道の古い枕木を利用してステップや間仕切りにしたりと、次々と新しい要素にチャレンジしました。そういった彼女のアイデアは、多くの人々に取り入れられて広まり、今のガーデンデザインにも残されています。 ミーン・ルイス庭園はかつて、ミーンの両親が暮らし、ナーセリーを営んだ場所でした。1976年からは非営利団体のミーン・ルイス庭園財団によって管理され、一般公開されています。ミーンが植栽やガーデン建築の実験を行い、試行錯誤を続けたこの庭園は、20世紀のオランダ庭園史を生きた形で目にし、体感できる場所。彼女がデザインした庭の多くは国や自治体の記念物として認定を受け、当時からほぼ変わらない姿で残されています。また、庭園では、ミーンの志を継ぐガーデナーたちによって、今もさまざまな実験が続けられています。 左上/公道に掲示された庭を示す看板。右上/庭のエントランスに向かう道は森の中のよう。左下/奥へ進むと小川にかかる小さな橋と入り口を示す小さな看板(右下)が。 さて、朝一番で向かうミーン・ルイスの歴史的な庭。どのような景色が広がっているのか、期待に胸を躍らせながら庭園に続く小道を進みますが、辺りは木々が生い茂って、森の中を歩いているようです。入り口はどこ? と思いながら行くと、小川に小さな橋がかかっていました。手前には控えめな「入り口」の表示が。日本から同行するガーデナーから「なんて控えめで可愛い入り口! もうここからワクワクしちゃうね」という声が上がり、期待が高まります。 ミーンの父、〈モーハイム・ナーセリー〉を営むボンヌ・ルイスは、時代に先駆けてガーデン用の宿根草の交配に取り組み、カンパニュラなどの新しい優良品種を生み出して、20世紀初頭のヨーロッパ園芸界で注目を集める存在でした。一方、娘のミーンは、植物の育種より、庭の中で植物をどう使うかに興味を持ち、19歳から父の会社のデザイン部門で働き始めます。しかし、1920年代当時、ガーデンデザインを学べる学校などはなく、彼女は英国に行って、父の友人であった伝説的ガーデンデザイナー、ガートルード・ジーキルに手ほどきを受けたり、ドイツのベルリンでガーデン建築を学んだりしました。 1924年、ミーンは両親の家の裏手にあった果樹園に初めての庭をつくり、それから70年にわたって、この地でデザインのアイデアを形にしたり、新しい宿根草を試したり、新しい建材を使ってみたりと、実験を続けます。この庭園には、彼女の飽くなき探求心が刻まれています。 右/ミルストーン・ガーデン。木漏れ日に水面が輝いています。奥の生け垣にはカシワバアジサイの紅葉が見られました。 右手奥の方向に庭が広がっていることを感じながら、小道をさらに進むと、ガラス温室の建物が見えてきました。その手前に、人々を出迎える庭があります。〈ミルストーン・ガーデン〉(1976年製作、2008年改修)です。 丈高く茂る竹が背景となるスペースに、大小の石材が正方形に敷かれ、その中央に、水を湛えた丸い石臼が置かれています。和の庭の手水鉢のような佇まい。この石臼は、中心から静かに水が湧く水盤に細工されていて、縁から溢れた水は小石の間に吸い込まれていきます。そして、その向かいには、黒いフェンスを背にギボウシの植わるスリムなコンテナが5つ並んでいます。この庭のオリジナルのデザインは、ミーンが設立した設計事務所に属していたデザイナー、アレンド・ヤン・ファン・デル・ホルストによるものだそうですが、和モダンの雰囲気が感じられるデザインです。 左/ワイン瓶がツリーのように配置されたアート作品のようなフラワースタンドには、先が尖った楕円形のルナリアのタネがたっぷりと。ローズヒップも彩りになっています。 建物に入ると、ガーデンツールなどの販売コーナーやストーブを備えたカフェがあり、あちこちに、庭からの恵みかしらと思われる草花や種子がディスプレイされています。この建物を出ると、いよいよ庭めぐりが始まります。敷地のマップには、全部で30もの番号が! 約2.5ヘクタールのこの広い敷地につくられている庭の番号だそうです。迷子にならないよう、庭を巡っていきましょう。 ガーデン敷地図の左下から右へ行き、上へと進みます。 〈オールド・イクスペリメンタル・ガーデン(旧実験庭園)〉(1927年製作、国定記念物) 右側が日向に咲く宿根草の花壇。 カフェのテラスから木柵の向こうへ回ると、ミーン・ルイスがごく初期に手掛けた、この庭園で2番目に古い庭となる〈オールド・イクスペリメンタル・ガーデン(旧実験庭園)〉があります。この場所はもともと、ミーンの暮らした実家のキッチンガーデンでした。ミーンはイギリスの伝統的なボーダーガーデンに倣い、この庭の片側に奥行4m、幅30mの細長い花壇(ボーダー)をつくり、父の会社で交配された、日向に咲く宿根草を試す場としました。 若い頃のミーン・ルイス。Photo: Mien Ruys Garden Foundation 花壇の後ろには敷地を区切る縦格子の木製フェンスがあり、花壇の手前には、2列に並べられた敷石で小道が作られています。フェンス・植物・敷石の対比がくっきりと浮き立つデザインです。 敷石に使われているのは使い古されたコンクリート平板で、表面が削れて中の砂利が見え、いい風合いとなっています。ナーセリーで使われていたものを流用したといわれており、ミーンはのちに、これをまねて〈グリオンタイル〉と呼ばれる洗い出し平板の敷石を作ることになります。 ベンチはいつまでも座って景色を眺めていたくなる特等席。庭が美しく見える場所に置かれています。 ミーンにとって、庭のデザインは植栽同様に大切なもので、コントラストを意識していました。この庭では、片側に明るい花色の直線的な花壇を置き、中央には広い芝生のオープンスペースを設けて、反対側には波打つような生け垣を形作る灌木の植え込みを配しています。光と影、直線と曲線の、2つの対比が存在するデザインで、光の中にある花壇は明るく色鮮やかですが、日陰に植わる灌木は深い緑の陰を作ります。太陽の動きとともに、光と影は刻々と変わり、庭の景色が変化します。また、敷石の小道を歩くか、真ん中の芝生を歩くかによっても、目に映る景色に変化が生まれます。 左/花壇越しに、芝生エリアとその奥の灌木を望みます。灌木の茂みは、春になれば花色の彩りが。右/芝生エリアの中に、小島のように植えられたグラスの茂みは2つ。 庭の片側に伸びる花壇はかなり大きく、大邸宅でガーデナーを雇って管理するようなサイズのものです。ミーンが英国で教えを受けたガートルード・ジーキルは、色彩を重視した花壇の植栽を発展させた人物ですが、ミーン自身も何年にもわたって、色彩の実験を繰り返したといいます。アスチルベ、ユーフォルビア、カンパニュラ、ヘメロカリス、アスター、サルビア、ソリダゴ、デルフィニウム……。約80種の宿根草が植わるこのボーダーの植栽デザインは、制作当初からほとんど変わらないそうで、色鮮やかな、黄、オレンジ、赤、青、紫の花々が、5月半ばから9月まで咲き継ぎます。ピークは6月から8月の夏の時期で、訪れた10月上旬は色が少ない印象でした。植物は姿にもコントラストを持たせて面白みを出していますが、花がたくさん咲くピーク時の花壇もぜひ見てみたいものです。 庭の外から〈オールド・イクスペリメンタル・ガーデン〉の花壇奥側を見たところ。光と影が感じられる景色。 〈ウィルダネス・ガーデン(原生自然の庭)〉(1924年製作、国定記念物) この庭は、1924年、ミーン・ルイスが初めて手掛けた記念すべき庭で、ミーンの暮らした実家の裏手にあった果樹園の中に設計されました。目に飛び込んでくるのは、自然のままに生い茂る豊かな植栽です。この庭を訪れた10月上旬は、ルナリアの小判形をした半透明のタネが宙に浮かんで、濃い緑と美しい対比を見せていました。 ミーンは果樹園に生えていた数本のリンゴと洋ナシ以外のすべてを取り除くと、初めての「ガーデン建築」に取り組みました。まず思い描いたのは、思うままに植物が茂る豊かな植栽。そこにコントラストをつけるため、真四角の池と直線の小道というシンプルな構造物を加えました。小道はかつて、家とナーセリーをつないでいたもので、そこにもう1本の、ベンチへと続く行き止まりの小道がT字に配されています。そして、2本の道が交差する地点に、センターポイントとなる真四角の池があります。 緑の生い茂る植栽と、池や小道の直線が美しいコントラストを見せています。豊かな植栽と、構造物の描く幾何学模様。この対比はミーンのデザインにおける出発点であり、やがて、彼女のトレードマークとなっていきます。 ミーンは当初、この庭に、日陰を好むプリムラやオダマキ、カンパニュラ、ケマンソウなどを植えました。しかし、周囲の高い木々に日が遮られたこの場所は、これらの植物にとって光の量が足りず、また、このデデムスファールトの酸性土壌にも合いませんでした。これらはアルカリ性の白亜質土壌でよく育つものだったのです。植えた草花はすべて1年もたたないうちに消えてしまい、その現象は、ミーンに一つの教えをもたらします。「これからどうしたらよいのか? 選んだ植物に適した土壌に変えるのか、それとも、その土地の土壌に合わせて植物を選ぶのか。当然、後者だ!」。 古いセメント石板を用いてつくられた池と小道。 こうしてミーンは、この地の酸性土壌に合うような、ホスタやキレンゲショウマ、ヤグルマソウなどを選び直して植え、あとは茂るに任せました。これらはうまく育って、ミーンが思い描いた通りに自然に生い茂り、庭を埋め尽くします。そこに雑草が生える余地はなく、結果、雑草取りの必要がないローメンテナンスな庭となりました。また、樹木の落ち葉によって腐葉土ができるため、肥料をやる必要もありませんでした。ミーンはこれを「抑制された原生自然」と呼びました。 この庭の長い歴史に感動しながら、緑を映す水面を眺めました。 このガーデンデザインは一度も変えられたことはありません。1960年代に、嵐でリンゴとオークの木が倒れて新しいものに植え替えられた時は、光の量や湿度条件が変化してバランスが崩れてしまい、雑草が生えることもありましたが、しばらくするうちに戻ったそうです。 最初につくった庭がこんなに完成度の高いものだなんて、ミーンはきっと、生まれついてのガーデナーであり、ガーデンデザイナーだったのですね。 同行のガーデナーの一人、新谷みどりさんが、この庭を訪れた瞬間の感動をこう語ってくれました。 「ウィルダネス・ガーデンは、20代の頃に白黒の恐ろしくピンボケの写真を初めて見て、何か強く心惹かれた庭だったので、あの場を訪れることができたときは、なんとも言えない気持ちで胸がいっぱいになり、涙が出そうでした。初めて来たのに、ずっと昔から知っている庭のように感じて不思議でした」 20世紀、モダニズム建築の流れ 右/家具デザイナーとしてのリートフェルトの代表作「赤と青の椅子」。左/PGMart 右/Picture Partners/Shutterstock.com ミーンが仕事を始めた1920年代は、建築の世界に大きな転換期が訪れた時代でした。19世紀以前の伝統的な様式建築から離れ、機能的・合理的な造形理念に基づいたモダニズム建築(近代建築)の考えが成立していったのです。ル・コルビジェやミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライトといった建築家や、ドイツの芸術学校バウハウスが推進役となり、世界各地で、鉄やガラス、コンクリートなどの工業製品を使った、合理的でシンプルなデザインの建築が生まれました。 1924年にリートフェルトが設計した世界遺産の〈シュレーダー邸〉。オランダ、ユトレヒト市内。左/Wirestock Creators/右/Rini Kools/shutterstock.com 1930年代の数年間、ミーンはデルフトで建築を学びますが、その後、アムステルダムの〈8(アフト)〉とロッテルダムの〈Opbouw(オップバウ)〉という建築家グループの作品に共鳴し、協力するようになります。彼らの設計する、光と風通しのよい、大きな空間のあるシンプルな建物を、美しいと感じたのです。このときミーンは、20世紀オランダを代表する建築家で家具デザイナーのヘリット・トーマス・リートフェルト(Gerrit Thomas Rietveld, 1888-1964)にも出会います。彼は画家のピート・モンドリアン(Piet Mondrian, 1872-1944)らと芸術運動〈デ・ステイル〉(オランダ語でスタイルの意味。新造形主義)に参加した人物です。デ・ステイルの「垂直線と水平線、白、黒、グレーと3原色で構成される」という特徴は、のちに多くの芸術分野に影響を与えています。 こうして、モダニズムの流れをくむ、シンプルで明快な建築を設計するオランダの建築家たちと組んで、ミーンはその後、個人邸だけでなく、共同住宅の共有ガーデンなども設計することになります。 〈ウォーター・ガーデン〉(1954年製作、2002年改修、国定記念物) 庭の中央に流れる小川を跨ぐ石の橋は、高さがなくフラットな造り。小川の水は、レイズドベッド(高さのある花壇)の途中に設けられた水場に注がれます。 この庭は、第二次世界大戦後につくられました。戦後、オランダではさまざまな変化が起き、庭はというと小さくなって、ガーデナーが雇われることもなくなりました。手入れを必要とする大きな花壇は時代に合わなくなったのです。重要なのは手間がかからないこと。求められるガーデンデザインが変わったのです。 写真左側が一直線に作られた2段式のレイズドベッド。中央付近の窪んだ場所に水場があります。 ミーンはこの比較的小さなエリアに「手間のかかる芝生を使わない庭」を実験的につくりました。敷石のテラスに花の咲く花壇の小島が浮かぶようなデザインで、敷石の隙間はコケが生えるようにわざと広く取られています。時間の経過とともに緑が育って、石の硬さが和らぎ、緑と石がバランスよく共存しています。また、生け垣や2段式のレイズドベッド(高さのある花壇)で高さに変化がつけられ、日向と日陰のコントラストも考えられたデザインとなっています。 天然石を積んだレイズドベッド。その角を隠すように葉を茂らせるのは、ベルゲニアやゲラニウム。右奥は赤花のフクシア。ヨーロッパイチイの生け垣が濃い緑の背景に。 この庭がつくられた頃は戦後の物資不足で、敷石として使えるレンガや自然石がほぼ流通していませんでした。代わりにコンクリートが建築では多く使われるようになりましたが、庭づくりでは魅力的な建材とは考えられていませんでした。しかしミーンは、以前の庭で敷石として使った、古びて表面が削れ、中の砂利が見えるようになったコンクリート平板を、なかなかいい風合いだと思いました。そこで、セメント工場に頼んで、表面に砂利を散らしたコンクリート平板(日本でいうところの「洗い出し平板」)を作ってもらい、敷石としてこの庭に使いました。1970年代以降、この平板に似た商品が〈グリオンタイル〉と名付けられ、世の中に多く出回るようになりました。 この庭の実験的要素は建材だけでなく、植栽にも見られます。2段式のレイズドベッドには、乾いた場所に適した植物を植える一方で、水場周辺の湿った場所には、水辺や沼地に育つ、ミズバショウに似たオロンティウム・アクアティクムのような植物を植えてあり、対照的な植栽が隣り合っています。また、管理の楽な、支柱のいらない背丈の低い植物を選んだり、冬場の景色が寂しくならないように常緑の灌木を庭の骨格として植えたりと、よく考えられた植栽となっています。晩秋のレイズドベッドでは、シュウメイギクやセダムのくすんだピンクの花が優しい彩りを添えていました。 中編に続きます。 参考資料:https://www.tuinenmienruys.nl/en/ Many thanks to Mien Ruys Garden Foundation.
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フランス

【世界最古のバラ園】フレンチ・フォーマル・スタイルの元祖「ライレローズ」
フレンチ・フォーマル・スタイルのバラ園の元祖「ライレローズ」 バラ園の中心にあるトレリス仕立ての大きなドームを覆うのは、1907年フランスで作出された‘アレキサンダー・ジロー(Alexandre Girault)’。 「ライレローズ」は、パリから日帰りで訪れることができる近郊の街、ヴァル・ドゥ・マルヌ県のバラ園です。緑に囲まれた14ヘクタールの大きな公園の中に位置し、このバラ園のある村の名にちなんだ「ライレローズ」という愛称で広く親しまれています。 1.5ヘクタールほどの広い敷地に、3,000種11,000株を超えるバラが植えられたフレンチ・フォーマル・スタイルの庭園は、ベルエポックのロマンチックな雰囲気を湛えるガーデンであり、また生きたバラのコレクションを網羅するミュージアムでもあります。開園は5月から9月まで。バラの開花の季節のみという潔さで、特に開花の最盛期となる6月のライレローズのバラの風景は見事です。 シュラブ、ランブラー、クライミングと、さまざまな形状のバラが組み合わさって、立体的な色彩溢れる空間をつくる。 現在はヴァル・ドゥ・マルヌ県が維持管理するこのバラ園の歴史は長く、もともとは19世紀末に、事業家ジュール・グラヴロー(Jules Gravereaux 1844-1916))のバラへの情熱と博愛精神から、バラに捧げる庭園として誕生しました。 「ライレローズ」の創設者 ジュール・グラヴロー 彫像は創設者のジュール・グラヴロー。 創設者のグラヴロー氏は、パリの高級百貨店ボンマルシェの創設者のもとで見習いとして働き始め、最終的には株主にまで上り詰めて財を成した事業家として知られます。19世紀のサクセスストーリーを体現したグラヴロー氏は、その後48歳で早くもリタイアし、パリ近郊のライ村に地所を購入して引退生活に入りました。彼のバラ園によって名が知られるようになったこのライ村は、現在ではライレローズと呼ばれるようになっています。 当時、写真が趣味だったグラヴロー氏は、日々暗室に引きこもりっぱなしでした。夫の健康を心配したグラヴロー夫人は、彼を戸外に引き出そうと、自宅に飾るために庭で栽培していたバラの世話を手伝うように頼みます。それが契機となってバラの魅力の虜となったグラヴロー氏は、バラの収集と研究に没頭し、たちまちのうちに当時知られていたあらゆるバラ(Rosa)の品種約8,000種を集めた世界最大級のコレクションが誕生したのです。コレクションだけでなく、グラヴロー氏自身もバラ研究の第一人者として国際的に知られる世界有数のロザリアンになり、パリのバガテル公園のバラ園の創設や、マルメゾンのジョゼフィーヌのバラ園の復元、またエリゼ宮のバラ園設計にも協力しています。 世界初のバラ園の誕生 バラの風景によく似合うクラッシックな壺形彫刻をポイントにしたエリア。グラヴロー氏の彫像の裏側です。 膨大なバラのコレクションを蒐集したグラヴロー氏は、そうして集めたバラのための庭園をつくるべく、著名な造園家エドゥアール・アンドレ(Édouard François André、1840 - 1911)にその設計を依頼します。そして1899年に誕生したのが、世界初のバラのみで構成されたフレンチ・フォーマル・スタイルのバラ園でした。庭園づくりにあたっては、バラをより美しく見せる庭園空間を構成すべく、クラシカルな彫刻類に加え、トレリスやパーゴラなどの構造物のさまざまな利用方法が考案されました。近代のフォーマルなローズガーデンのイメージの発祥は、ここのデザインだと言っても過言ではありません。こうして生まれた構造物とバラの植栽の組み合わせは、「ライレローズ」の大きな見どころです。 満開のつるバラが絡んだアーチが連なる。 トレリスやパーゴラにも見どころがたくさん。 いったんバラ園が完成した後にもコレクションは増え続け、1910年には息子アンリがバラ園の拡張を行い、1.5ヘクタールほどの現在の大きさとなりました。 毎年の国際バラコンクールの受賞作品が植栽されるエリアも。 ジョゼフィーヌの愛したバラや種々のバラが織りなす「ライレローズ」のバラ・コレクション 「ライレローズ」の膨大なバラのコレクションは、よりよくバラという植物やその歴史を理解できるようにという教育的な配慮から、13のテーマに分類されています。 野生のバラから中世、近世へと年代順に植物学的なバラの進化を追う「バラの歴史の小道」に、さまざまな栽培種の親となる「原種のバラ」「ガリカ・ローズ」「ピンピネリフォリア・ローズ」「極東アジアのバラ」などのほか、「ティー・ローズ」「オールドローズ」などがセクション別に植えられ、スタンダード仕立てや、トンネルになったパーゴラ仕立てなどの変化に富んだ姿で観賞することができます。 オールドローズが彩るマルメゾンのジョゼフィーヌのバラ・コレクションの小道。 その中でもアジア系の観光客に特に人気なのが、「バラの歴史セクション」と「マルメゾンのジョゼフィーヌのバラ・コレクション」なのだそう。ですが、その部分だけではもったいない! 「ライレローズ」は、特にオールドローズの充実したコレクションで知られるバラ園でもあります オールドローズからモダンローズまで、数々のバラを見ることができる。 また、「外国の栽培種バラ」のエリアには、弓矢を引くキューピッドのいる東屋があり、エドゥアール・アンドレ設計の当初のバラ園の面影が色濃く残っています。古きよきベルエポックのロマンチックな雰囲気が素敵で、いつまでもそのまま佇んでいたいほど。 キューピッドの東屋のあるモダンローズ・セクション。スタンダード仕立てのバラが咲き溢れる。 ちなみに庭園にはサロン・ド・テも併設されており、テラスではモダンローズを眺めながらクレープやスイーツなどがいただけます。 開かれたバラのコレクションと庭園 グラヴロー氏のバラのコレクションは、完全にプライベートな、個人の趣味から生まれたものでしたが、同時に博愛主義的・公共福祉的な思想に基いたものでもありました。コレクションは研究者や愛好家に公開されており、グラヴロー氏は、接木苗や種子を惜しみなく分け与えています。 また、当時は「バラの劇場」がつくられ、一流の音楽家やダンサーによるスペクタクルが行われていたのだとか。昔日に思いを馳せ、バラに彩られたベルエポックの芸術と社交の野外空間を優雅に行き交う紳士淑女になった気分で園内のバラの小道の数々を散策してみたら、さらに気分も上がりそうです。 おおらかにバラの風景を守り育てる無農薬栽培 最後に、フランスでは数年前から公共緑地での農薬散布が法律で禁止されており、この庭園も例外ではありません。湿度などの気候の違いもあるので、日本よりはバラの無農薬栽培の難易度は低くなるようです。花がら摘みなどもそれほど頻繁にはされてないようですが、それはそれでナチュラルな雰囲気になるのもまたよし、ということなのかなと思います。おおらかにバラを楽しむ、そんな姿も参考になるかもしれません。
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滋賀県

咲き乱れる花々に癒やされる滋賀県「English Garden ローザンベリー多和田」
日本とは思えない美しい花々が咲く庭 僕が初めて「ローザンベリー多和田」の名前を聞いたのは、2015年の春のことでした。知り合いのガーデナーさんから「ローザンベリー多和田が綺麗らしいけれど、知ってる?」と聞かれたり、バラのシーズンになるとSNSでは関西の友人たちが入れ替わり立ち替わり毎日のように綺麗な庭の写真を投稿していました。 それらを見ていて、1枚の写真に引き込まれました。それは立派なレンガの柱と重厚なアイアンのゲートが写っている写真です。本当にイギリスで見たガーデンのようで、僕もこのゲートの前に立ってカメラを構えてみたいという思いが湧き上がってきました。そしてすぐにFacebookで既に友達になっていたこの庭のガーデナーである西居秀明さん、通称「ヒデさん」に連絡をして、「来年は一番きれいなときに必ず伺います」と約束をしました。 写真家としての一面もあるヒデさんとの出会い その日からちょうど1年が経った2016年6月3日。岐阜県可児市の「花フェスタ記念公園」での早朝のバラの撮影を終えたあと、滋賀県米原市の「ローザンベリー多和田」に向かいました。撮影は夕方からと決めていたので、高速道路は使わずにゆっくりと下道で、雲一つない爽やかな空気の中、美しい景色を眺めながら2時間弱のドライブを楽しみ、「ローザンベリー多和田」の駐車場に到着。 すぐにヒデさんに電話すると「お待ちしておりました。すぐに伺いますから少しお待ちください」とイメージ通りの明るい関西の訛り声が聞こえて、1分もしないうちに、ハンチングに革のベストをバシッときめたヒデさんが登場しました。 まだヒデさんを知る前でしたが、フォトコンテストの審査もさせていただいたことがあります。その中で、アマチュアの中に一人だけプロのカメラマンがいると思うほど際立っていた写真があったのを記憶しています。もちろん、優秀賞に選ばせていただきました。それがヒデさんでした。写真関係のお仕事をしていたというだけあって、とても印象的な写真でした。 さらにその数年後、雑誌『花ぐらし』の誌面づくりの時のことです。バラとクレマチスを取り上げる企画で京都のナーセリー「松尾園芸」に伺った際、「どこかバラとクレマチスをうまく使ったお庭があったら紹介してください」とお願いしたところ、滋賀県の米原にある庭をご紹介いただきました。バラもクレマチスも完璧で、さらに写真もうまい人がいますとのこと。 その方が投稿するブログを見せていただくと、僕から見ても完璧すぎるというのが第一印象でした。普段は自分と似たような年齢の女性と気楽な仕事ばかりをしていたものですから、こんな“完璧な男性”に会うのは気が引けたというのが正直なところでしょうか。こうしてヒデさんとの初対面の機会を逃してしまったのでした。あのとき思い切ってヒデさんと会っていれば、その後「バラとクレマチス」の企画で何回もご一緒に仕事をさせていただいていたかもしれないと思うと、ちょっと残念な気がします。 イギリスの田舎道を思わせる初感覚の庭 そのヒデさんに案内をお願いして園内に入ると、いきなり目の前に、会いたかった古いレンガの門柱が現れました。そしてゲートを潜るとナチュラルに野草を思わせる植物が集まる植栽エリアがあり、奥には古いレンガの大きなパーゴラにバラが満開! その奥の階段を降りると、カシワバアジサイの群落に遭遇したり、レンガの塀を過ぎると時代を経たように見える板塀に野バラが絡んでいたり……。 こんなにイギリスの田舎道を歩いているような気分にさせてくれるガーデンは初めてだなぁと思いながら、夕方の光になるのを待ちました。撮影後は、ガーデンのオーナーである大澤惠理子さんにもお会いして、正にイギリス風な美味しいお茶とお菓子をご馳走になりながらガーデンの話に花が咲きました。「きっとここには、何度もカメラを担いで伺うことになるだろうな~」という予感がするほど充実した時を過ごしました。 2016年以降は、毎年のように、春にはパンジー&ビオラフェアーやクリスマスローズの撮影を、バラの最盛期には撮影だけでなく写真講座もさせていただいたりしています。 ガーデンストーリーで紹介したいと撮影 今年2022年の撮影は5月28日。「ローザンベリー多和田」のガーデナーたちの愛情がこもった、素晴らしく綺麗なこのローズガーデンをガーデンストーリーに紹介したいと思い、去年からしっかりと撮影してきました。最高の写真を撮影するために、5月に入ってから何度も連絡をしてベストなタイミングを探りました。 そのお陰で、バラのコンディションも素晴らしく、天気も予報通り晴天に恵まれ、気分も上々! 足しげく通った“勝手知ったるローザンベリー”で、これ以上ない夕方の光に浮かび上がるガーデンを思う存分楽しんで撮影ができました。それぞれの写真に添えたコメントも併せて、ガーデン写真を堪能していただけたら嬉しいです。
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神奈川県

【ホリデーシーズン・おすすめ植物園】冬に咲く! カラフルなアイスチューリップが魅力の「花菜(かな)ガ…
園芸から収穫体験までできる植物園 神奈川県立花と緑のふれあいセンター「花菜ガーデン」は、2010年3月、園芸や農業を楽しみながら学べる施設としてオープン。園内は約9.2haと広大で、サクラやバラ、クレマチスなど約3,280品種の花々が植栽された「フラワーゾーン」、野菜の植え付け・収穫などの体験ができる「アグリゾーン」、展示室や図書室などがある「めぐみの研究棟」の3つのゾーンで構成されています。 ■花菜ガーデンのシンボル“カレル・チャペック”とは 『園芸家12か月』の著者であるチェコの作家で、園芸家としても知られるカレル・チャペック。プラハに現存するチャペックの家と庭をイメージし、「カレル・チャペックの家と庭」として園内に展示されています。 かつて“バラの切り花日本一”と言われた平塚市 花菜ガーデンのある神奈川県平塚市は、戦後いち早く温室でバラの切り花生産を開始し、昭和50年代には「日本一のバラの産地」と呼ばれていました。温室で花苗を育てている花の農家が現在でも多いのが特徴です。 関東有数の品種数を誇る花菜ガーデンバラ園のバラは、野生種から近年のバラまで合わせて約1,300品種。「風ぐるま迷図(フラワーゾーン)」にある[香りのバラ]には、モダンローズの中でも特に芳醇な香りの品種が集められ、クレマチスと一緒に展示されています。 これから春に向けて、バラの剪定と誘引作業が行われます。この時季になると、自宅でバラを育てている人から「誘引作業を見学したい」という声をいただくそう。もちろん、誘引作業の見学(入園料はかかります)は大歓迎。ご興味のある方は、自宅のバラ誘引の参考にされてみては。 カラフルで可愛いアイスチューリップに気分が上がる! 花菜ガーデンでは、毎年クリスマスシーズンに向けてアイスチューリップの植え付けをしています。2014年からスタートして9回目となる今年は、約7千球のアイスチューリップがフラワーゾーンの[花菜ガルデン]を中心に植え付けられ、来園者の目を楽しませてくれています。 花菜ガルデンに植え付けられたアイスチューリップは‘イルデフランス’(赤)、‘ピンクツイスト’(桃)、‘プリンセスイレーネ’(赤&白)、‘イエローフライト’(黄)、‘ダーウィスノー’(白)など16品種。 普通のチューリップの球根をポットの土に植え付けて根を成長させ、その後冷蔵施設に保存。一定期間低温管理した後、自然の環境下に戻すと「春が来た」と勘違いをして花を咲かせたのが“アイスチューリップ”。冬は気温が低いため花もちがよく、開花時期を長く楽しむことができます。 クリスマスの装飾で可愛いフォトスポット アイスチューリップの開花時期に合わせて園内には、クリスマスの装飾で飾られたワゴンやリース、ツリーなどの写真スポットがいっぱい。自分好みの写真スポットを見つけてくださいね。※クリスマス装飾は27日(火)まで。 新鮮な神奈川県産農水産物を使用したレストランやショップ [みのりの棟](めぐみの研究棟ゾーン)には、神奈川県産の農水産物を使用したレストラン「キッチンHana」とショップ「Dear CAPEK(ディア・チャペック)」があります。 レストラン「キッチンHana」は、シーズンやイベント限定のメニューもあり、バラエティー豊富。なかでもスペシャルメニューで、スパイスやフルーツを組み合わせた自家製の “ホットワイン(グリューワイン)”がおすすめ。アルコール入りとノンアルコールがあり、ノンアルコールはグレープ100%のウエルチジュースに、スパイスやフルーツを加えたホットワイン風。ほどよい甘さとクリスマスらしい香りでとても飲みやすく、冷えた体が温まります。 同じ[みのりの棟]には、ショップ「Dear CAPEK」があります。神奈川県の特産物や、バラに関連した雑貨がたくさん置いてあります。 Information ◆神奈川県立花と緑のふれあいセンター「花菜ガーデン」◆ ・開園時間:午前9時~午後4時(3月~11月は午後5時) ・休園日: 12月~2月は毎週水曜日(祝日の場合は翌日)および年末年始(12月28日~1月4日) ※2023年1月11日(水)は開園 ・入園料:[12月]大人550円、シニア(65歳以上)400円ほか、[1月] 大人200円、シニア(65歳以上)150円ほか ※2023年1月8日(日)は神奈川県民感謝の日のため、お得料金に ※開園時間・休園日・入園料はシーズンや年により変動するため、詳細はHP参照 ・所在地:平塚市寺田縄496-1 ・交通案内:JR平塚駅北口より神奈川中央交通バス「秦野駅(北口)行き71・74・75系統」で所要時間約20分「平塚養護学校前」下車徒歩約5分、小田急線秦野駅北口より神奈川中央交通バス「平塚駅(北口)行き 71・74系統」で所要時間約25分「平塚養護学校前」下車徒歩約5分 ・電話番号:0463-73-6170 ・HP:https://kana-garden.com Credit 取材・文・写真/ガーデンストーリー 編集部
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東京都

ピィト・アゥドルフ氏デザインが提案する ‘生命の輝きを放つガーデン’を訪ねて5
【「PIET OUDOLF GARDEN TOKYO」の植栽図】 アゥドルフ氏のガーデンの真骨頂が見られる季節・秋 昨年2021年12月に植えてから初めての秋を迎えた「PIET OUDOLF GARDEN TOKYO」。ガーデンのまわりのサクラがすっかり葉を落とし、生き生きと成長していた植物たちも落ち着きを見せ始めています。 まわりの紅葉・黄葉する木々と同様、植栽も茶色い枯れ穂などがあちこちに点在し、カラフルな花はポイントで色を添えている程度。牧歌的でロマンチックな趣は、この時季にクライマックスを迎えます。 ピンクのアネモネ‘クイーンシャーロット’が奔放に育ち、明るい彩りに。 秋の庭の見どころは、植物の‘終わり’と‘盛り’の対比が見せる「生命の営み」の美しさ。終わりを感じさせる枯れた穂や枝と、まだまだ咲き続ける花が見事に調和し、秋の爽やかなそよ風や澄んだ陽光が渾然一体となる、おおらかで自然な風景が広がっています。 花壇のコーナーに軽やかに広がる、カラミンサ・ネペタとフェスツカ・マイレイ。 ペルシカリア・アンプレクシカウリス‘アルバ’の花×アスチルベの枯れ穂が見せる、勢いのあるシーン。 常に自然からインスピレーションをもらいながら、植物それぞれに敬意を払って向き合うアゥドルフ氏。自然を眺めて感じたことを再創造してデザインしています。彼のデザインの大きな特徴である‘植物の色・葉色だけでなく、フォルムや構造、テクスチャーなどの個性を見極め、斬新なレイヤーで配置した組み合わせ’は、そういった自然へのまなざしから生まれるものでしょう。 ミューレンベルギア・カピラリスの赤みを帯びた穂を背景に、エキナセア・テネシーエンシスのユニークな花と枯れ穂が強調されている。 昨年植栽を手伝った上野ファームの上野砂由紀さんは、「植栽プランをひと目見て、すぐに春~秋まで季節を追って美しく変化していくことがよく分かりました。さまざまな植物をいろいろな角度から引き立てる、たくさんのオーナメンタルグラスたちに、とてもワクワクしますね」。 咲き終わったアスター‘レディインブラック’と、まだ瑞々しいアルソニア・フブリヒティのこんもりとした量感のある組み合わせ。 花後はすぐに次の植物に交換するのではなく 終わりに向かう‘味わい’‘おもしろさ’をも生かすのがアゥドルフ氏の信条。開花期以外の植物がつくる‘間や余白’が何ともいえない余韻を漂わせ、観る人の感情を揺さぶります。秋はそれを最も感じられる季節かもしれません。 ツルバキア・ビオラセアの細長い花茎の先につけたピンクの小花と瑞々しい緑葉が植栽のアクセントに。植えっぱなしでも毎年よく咲く強健種。 一度植えたら基本的に植え替えをしないアゥドルフ氏。今まで環境保護やサステナビリティについての主張を植栽に込めてきたわけではありませんが、結果として彼の提案するガーデンが今の時流に重なり、世界の庭園デザインのムーブメントとなっています。彼があるべき姿を早々と見抜き、それを当たり前のように自然に行っていたことが分かります。 リアトリス・スピカタ‘コボルト’の枯れた穂が直線的なラインを描き、植栽のデザイン性を強めている。 この庭の設置の立て役者であるランドスケープデザイナーの永村裕子さんがアゥドルフ氏の庭の一年を振り返る 「日本の気候は、特に梅雨以降から長期にわたって蒸し暑く、欧米とはまったく異なります。その間ずっと心配で、気温や天気、雨後の水はけの様子、その他の気づきなどをスタッフの日報で教えてもらいながら、植物の生育を遠隔で見守りました。 地上が枯れたリシマキアの退廃的な姿が芸術的。切り取らずにそのままにして独特な世界観を生み出している。 これからの心配は、暖地でのだらだらとした‘衰退の美モードの移行’。「なかなか凛とした冬景色になりません。緑の葉で花をぽつぽつつけたまま越冬するものと、夏に弱ってうどんこ病など不健康な状態で休眠に入ったものなどが混ざって景色がまとまらないんです。私の熊本の現場では、ドライフラワーの冬景色として残すものと、切り戻して緑のロゼット状で冬越しさせるものとを選別し、秋の景色を「強制終了」させます。そのほうが庭としての体裁が保てるのですが、本場をまねてすべて枯れた藪のような姿のままシーズン1を終えさせるか、いまだに逡巡しています」。 ヘレニウムやアガスタシェ‘ブラックアダー’(左)、パルテニウムなどの枯れ穂のフォルムが、ふわりと広がるエグロスティスを背景に効果的に浮かび上がっている。(右) 「ナチュラリスティックを通すのも、勇気がいりますね。現場のみんなや日本全国のガーデナー仲間を頼って、最適解へ導けたらいいなと思います。今年は初年度にしては想像以上にアゥドルフ氏の作品らしい景色をところどころ見られるようになりました。次はもっと全体にムラなく展開できるように、みんなと考えながら取り組んでいこうと思います。日々の植物の手入れを前向きに頑張ってくれたスタッフ、各方面からのさまざまなサポートに感謝しています」 パルテニウム・インテグリフォリウムなど似た姿の穂が連なり、シーンの印象をより深めている。 世界各地の庭のデザインを手掛けているアゥドルフ氏。いずれもオランダからは簡単に現地に赴くことができません。しかし、考え抜かれて選ばれた多年草によるガーデンは、一般の花壇のように植え替える必要は基本的にありません。庭を管理するスタッフたちと思いを共有しながら、ガーデンの維持と進化を図っています。もちろんここ「PIET OUDOLF GARDEN TOKYO」も永村さんやスタッフと連携を取りながら、多摩丘陵に広がるガーデンらしい世界を発信していきます。 秋の庭にさまざまな彩りを添える個性的な多年草たち 左から/エキナセア‘フェイタルアトラクション’、ルドベキア‘リトルヘンリー’、アネモネ‘クイーンシャーロット’ 左から/フロックス‘ブルーパラダイス’、ツルバキア・ビオラセア、ストケシア‘ブルースター’ 左から/ペロブスキア‘レイシーブルー’、スタキス ‘ハメロ’、ベロニカ・ロンギフォリア‘フェアリーテイル’ 左から/サクシセラ‘フロステッドパールズ’、アスター‘リトルカーロウ’、アスター‘トワイライト’ 左から/ペルシカリア・アンプレクシカウリス‘アルバ’、エリンジウム・ユッキフォリウム、パルテニウム・インテグリフォリウム 左から/カラミンサ、リモニウム・ラティフォリウム、ミューレンベルギア・カピラリス 左から/クランベ・マリティマ、エリンジウム・ブールガティ、アキレア‘ウォルターフンク’ 「PIET OUDOLF GARDEN TOKYO」以外の場所にも見どころがたくさん! いつも季節の草花で華やかに彩られている園路脇の花壇は見応えたっぷり。ぜひ、花合わせの参考にしてください。こちらはHANA・BIYORIスタッフによる植栽です。 艶やかな赤いダリアが主役のレイズドベッド。メインの建物前です。 入り口の園路脇の花壇では、春まで楽しめるストックがやさしい彩りでまとめられている。 敷地奥のスペースでは、季節感のある植栽が、見応えたっぷりに広がっている。 世界的に多くのガーデンを手掛けているピィト・アゥドルフ氏のアジア初のガーデンとなった「PIET OUDOLF GARDEN TOKYO」。欧米とは異なる「高温多湿」といった問題に配慮して選ばれた植物は、今年の猛暑を乗り越え、春に向かおうとしています。アゥドルフ氏によって再構築された自然が織り成す芸術性あふれる風景を、ぜひ堪能してください。 【ガーデンデザイナー】 ピィト・アゥドルフ (Piet Oudolf) 1944年オランダ・ハーレム生まれ。1982年、オランダ東部の小さな村フメロに移り、多年草ナーセリー(植物栽培園)を始める。彼の育てた植物でデザインする、時間とともに美しさを増すガーデンは、多くの人の感情やインスピレーションを揺さぶり、園芸・造園界に大きなムーブメントを起こす。オランダ国内のみならず、ヨーロッパ、アメリカでさまざまなプロジェクトを手掛ける。植物やガーデンデザイン、ランドスケープに関する著書も多数。2017年にはドキュメンタリー映画「FIVE SEASONS」が制作・公開された。
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埼玉県

素敵な発見がたくさん! 園芸ショップ探訪39 埼玉「沼ノ上農園」
効果的に配された植物苗に高揚感がアップ! 格好いい建物にとりどりのカラーリーフが映える、園芸ベテランも心浮き立つ店構え。多くのガーデナーに支持されるここ沼ノ上農園は、創業100年を超える園芸店です。敷地内には37台を収容する駐車場があり、毎朝オープン時から車がひっきりなしに出入りしています。 ショップのフロントには、ボリュームのあるカラーリーフの苗がウェルカムグリーンに。建物側面には寄せ植えに使いやすい小さめのポット苗が3段シェルフにずらりと並びます。ショップを美しく彩る陳列と、多品種を見比べやすい陳列をはっきり使い分け、お客さまに気持ちよくショッピングしていただけるよう工夫を凝らしています。 ゴールド葉のプリペットやノルウェーカエデ、さまざまな葉形のアカシアなど、人気のリーフ類が多彩に揃っている。 奥に広がる2つのハウスは花やオージープランツでいっぱい! 敷地奥のエリアには、季節の花苗を陳列する大きなハウスが2基。2つのハウス共通のエントランス周辺は、植物や雑貨類を巧みに組み合わせたディスプレイコーナーで、ワクワク感が高まります。 種類の豊富さに加え、求めやすい価格で提供することを第一に心がけている「沼ノ上農園」。オーナーの日暮浩司さんが良質な苗をタイミングよく仕入れ、お客様に喜んでいただける価格で販売しています。この努力が評判を呼び、初心者からベテランまで幅広い層のお客様に支持されています。 大人ほどの高さのあるハロウィン用の人形と、ジーンズをリメイクしたパラソルが目を引く。 大人っぽい空間づくりに活躍する樹脂製のコンテナも充実。 植物が映える空間づくりが徹底されている。 「苗の回転がとても速いので、週5回も仕入れに出ているんですよ」と息子の準さん。「父と一緒に仕入れに行くんですけれど、よいものを見つけ出す目、どんどん買い付けていく手際のよさなどに、いつも本当に感心させられます」。 季節の草花が並ぶ手前側のハウス内。ひと苗ずつ間隔をあけ、日当たりや風通しを確保して管理している。 あちこちに展示されている多彩な寄せ植え。繊細で愛らしい花合わせ。 もう一つのハウスは、近年注目されているオージープランツの売り場です。今人気のバンクシアやプロテア、グレヴィレアなどが揃っています。 オージーコーナーにも古いドラム缶やトランクなどを使い、メンズライクな楽しいディスプレイが施されています。 今、準さんが一番力を注いでいるのがオージープランツ。「日本の環境に合うものと難しいものがあり、同じ属でも地域が異なれば、好む環境が変わってきます。例えば一番人気のプロテアの場合、銀葉のクイーン系よりも緑葉のキング系のほうが断然育てやすい。個人的にはプロテアよりも育てやすいバンクシアがおすすめですが、バンクシアでもオーストラリアの西部・東部で性質や形が異なってきます。西部原産のもののほうが育てやすいものが多いですね」。 東京農業短期大学在学時代から芸人を目指し、5年の芸人生活を経て沼ノ上農園に入社した準さん。父・浩司さんに追いつくべく、ベテランの両親に厳しく鍛えられながら、日々あらゆる勉強を続けているそう。 【準さんおすすめのオージープランツ選】 ■プロテア 左/プロテア‘ポッサムマジック’(クイーン系)右/キングプロテア‘リトルプリンス’(キング系) ■バンクシア・グレヴィレア 左/バンクシア・アエムラ(光沢のある葉で、花穂の色はライムグリーン)右/バンクシア‘バースデーキャンドル’(細葉が特徴で、花穂の色は黄~オレンジ) 左/バンクシア‘ピグミーボッサム’(東部原産。枝を横に広げて育ち、とても丈夫)右/バンクシア・ブレクニフォリア(西部原産。ほふく性で比較的育てやすい) 左/バンクシア・スピヌロサ ‘ヘアピン’ (東部原産。花穂の色はオレンジ。細葉で丈夫)右/グレヴィレア‘ピーチアンドクリーム’(花色がきれいで、花付きがよく丈夫) メインの建物の中は見応えある品揃えとディスプレイ ショップの顔でもある建物は、屋内のほうが管理しやすい植物と資材類の売り場です。風雨をしのぐためのクリアパネルの天井が備え付けられた場所は、まるで植物園を思わせる温室仕様。観葉植物やサボテン、多肉植物がイキイキと葉を広げています。 こちらでは、あらゆるスタイルに対応できるよう、陶器や樹脂、プラスチックなどさまざまな素材の鉢が大小いろいろ揃っています。きっとお好みの鉢が見つかるはず。 カジュアル度の高いブリキのバケツ型コンテナ。鉢カバーとして使っても。 メンズライクにしつらえられたコーナーにはどんな空間にも合う雑貨がいっぱい ショップ内はまるでワンダーランド。ひしめくように雑貨とグリーンが飾られています。印象的なのは、フェイクグリーン。植物が育てにくい暗い場所や屋内はフェイクがおすすめ、効果絶大です。 長いタイプのさまざまなフェイクグリーンをいくつかまとめて吊すと、青々とした独特な空間を演出できる。 花瓶に挿すようなタイプも充実。いま流行のビカクシダやアガベなども並んでいる。 大小の観葉植物でいっぱいのエリア。ハンギングタイプやチランジアなどが青々と頭上を覆っているさまは、まるで熱帯温室のワンシーンのよう。冬の寒い日はここに来れば、植物たちから元気がもらえるはず。 大型の観葉植物コーナーの脇には、大小の鉢カバーが陳列。植物をおしゃれに彩るアイテムが揃っています。 雑貨感覚で植物に親しめる、楽しいガラス類のアイテムも充実。 多種多様なエアプランツがワイヤーラックにカッコよく収められている。 どこもかしこも、センスよく感心させられるディスプレイ。これは主に浩司さんと奥様の美智代さんの好みで統一されています。浩司さんは、かつて結婚式場のディスプレイ業の経験もあり、人目を引くメリハリの効いた飾り方が得意です。メンズライクテイストを好む美智代さんの助けも得て、「沼ノ上農園」の洒脱な空間づくりが徹底されています。 「沼ノ上農園」のディスプレイにひと役買っているのが、カジュアルな絵の額縁。こまごましたものが多く、雑然としがちな空間の‘間’や‘背景’になるだけでなく、見せたくないものを隠してくれる優れものアイテムです。いろいろ便利に使っています。 英国のHAWSのジョーロなど、ガーデンツールも揃っています。使わないときはかけておくだけでも絵になる、おしゃれなアイテムが目白押しです。 沼ノ上農園・日暮準さんのおすすめYouTubeチャンネル 「沼ノ上農園」では、YouTubeチャンネルの充実に力を注いでいます。寄せ植え、花壇の植え込み、観葉植物の管理方法などの動画をメインに随時アップ。案内役は ‘花屋のせがれのジュン’こと準さん。元芸人ならではのユニークなトークで、初心者にも分かりやすく教えてくれます。 「分からないことがありましたら、動画のコメントやインスタなどにお気軽にご質問ください。オージープランツは『どこよりも分かりやすい』を意識してご案内しています」 寄せ植えの動画も人気。 「新鮮」「お求めやすく」「分かりやすく」「おしゃれに」が、多くのガーデナーの支持を受けている「沼ノ上農園」。野菜などはホームセンターに任せ、専門家にしかできない方法を追求し、ガーデニングの今を提供しています。ぜひ訪れてみてください。 アクセスはJR「南浦和」駅から国際興業バス(南浦55・柳崎循環・南浦和東口行、柳崎先回り)で約6分、「二十三夜」停留所下車徒歩約2分


















