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【フランスのバラ園】王妃の賭けから生まれたパリのバガテル公園、知られざる魅力

【フランスのバラ園】王妃の賭けから生まれたパリのバガテル公園、知られざる魅力

パリの西、ブーローニュの森にあるバガテル公園は、毎年6月、バラの新品種の国際品評会が開催されるバラ園として世界的に有名です。それゆえバガテルといえばバラ園、と思われがちですが、25ヘクタールもの広大な公園の中で、バラが植栽されているエリアはわずか1.7ヘクタールのごく限られた面積と聞いて驚かれる方もあるかもしれません。フランス在住の庭園文化研究家、遠藤浩子さんが、歴史的にもさまざまな興味深いエピソードを持つ、知られざるバガテル公園の魅力をご案内します。

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バガテルの誕生 マリー・アントワネットとアルトワ伯爵の賭け

バガテル公園

現在のバガテル公園に繋がる城と庭園がつくられる契機となったのは、18世紀、王妃マリー・アントワネットの気まぐれから始まった、ルイ16世の弟アルトワ伯との賭けでした。1775年、フォンテーヌブロー城からの帰り道で、王妃はバガテルの土地を購入したばかりだった当時20歳のアルトワ伯に、100日で城を建てることができたならば10万リーヴル払うとの賭けを提案します。この遊び心の挑戦に、では2カ月後には拙宅での雅宴にご招待しましょう、と受けて立ったアルトワ伯。なんと64日間で小さな城(シャトー)と建物周りの庭園を完成させ、見事この賭けに勝利しました。

バガテル公園
バガテル城、別名「アルトワ伯のフォリー」をフランス式フォーマル・ガーデンから眺める。

こうして誕生したのが、当時は「アルトワ伯のフォリー」と呼ばれたバガテルのシャトー(城)です。アルトワ伯の依頼を受けた建築家ベランジェは1日でプランを描き上げ、工事には900人を動員、パリ中の工事現場から建築資材などを集め、掛け金の10倍以上の予算を費やして完成させたといわれます。

「フォリー」とは、18世紀当時、大抵は庭園内や緑に囲まれた田舎に造られた、住居目的ではなく、休憩や食事、遊興などに使われる趣向を凝らした建物でした。アルトワ伯のフォリーは、破格の特急工事にもかかわらず、当時の最新流行だった新古典主義様式の建築の傑作の一つに数えられる出来栄えで、ラテン語で「小ぶりだが、非常によく構想された」という銘が建物に掲げられているほどです。

このシャトーは混乱のフランス革命期を経た今も現存するものの、保存状態が悪く立ち入りはできない状況。ですが、再オープンできるよう、目下修復工事が進められているところです。

18世紀の最新流行、アングロ=シノワ庭園

庭園の構成は伝統に従い、城の周りはフォーマル・ガーデン、そして、イギリス風景式庭園の影響を受けてアングロ=シノワ様式といわれる、フランスの18世紀に大流行したスタイルの庭園もつくられました。この庭園づくりで活躍したのが、スコットランド人の造園家で植物学者のトーマス・ブレイキー。自然の風景のように樹木が所々に配置された広い芝生を巡る園路が緩やかな曲線を描き、要所のフォーカルポイントには、彫刻などのほか、世界のさまざまな文明からインスパイアされたデザインの庭園建築「ファブリック(英:フォリー)」が配置されました。エキゾチックな中国風(シノワ風)の東屋や橋、オベリスクや人工洞窟などはその中でも定番ですが、そうしたファンタジックな装飾で彩られた庭園は、非日常感溢れる「おとぎの国」になぞらえられました。元来舞台装置のようにハリボテ的な素材が使われた当時のファブリックのつくりは脆弱で、残念ながら時の流れとともにその姿は失われてしまっています。

バガテル公園
18世紀後半のフランスで流行したアングロ=シノワ様式と呼ばれる、自然の風景の中を散策する庭園。絵画のような理想の自然美、調和が表現される。
バガテル公園
中国風デザインのファブリックの一つ「パゴダ」から庭園を眺める。

パリのイギリス貴族の邸宅と庭園に

バガテル公園
拡張されたイギリス風景式庭園。

19世紀の第二帝政期下、パリ育ちのイギリス貴族で美術収集家でもあったハートフォード侯爵の手に渡ったバガテルの城と庭園は、大きな変化を迎えます。侯爵は南北の土地を買い足し、バガテルはほぼ現在の姿に近い24ヘクタールに拡大されます。平屋だった城に2階部分を増築するとともに、拡大した公園の北側には大きな池を囲む形のイギリス風庭園を、南側の庭園部分にはオランジュリーなどを作らせました。また、皇帝夫妻とも懇意だった侯爵は、皇太子が馬術のレッスンを受けるための特別の馬術場を設けます。パリ市内に近い南側には、ロココ調の豪華な鋳鉄の門のある正面入り口が新たに設けられました。

バガテル公園
現在はバラ園を一望できる皇后のキヨスク(東屋)。現在のバラ園の場所には、かつては馬場があった。侯爵と懇意だった皇帝夫妻はしばしばバガテルを訪れ、皇后ウージェニーはこのキヨスクから皇太子が馬に乗るのを眺めた。

余談になりますが、このバガテルを引き継いだ子息リシャール・ウォーレスも名高い美術収集家。珠玉の個人コレクションの名にふさわしいロンドンのウォーレス・コレクションは、未亡人がイギリス政府に収集品を寄贈してできた美術館です。

公共公園とバガテルのバラ園の誕生

バガテル公園

20世紀初頭のバガテルに、当時の遺産相続人が城の家具調度を売り払い、土地を分割分譲しようとする危機が訪れます。この危機に際し、パリ市が散逸しかけた城と庭園を買い上げ、1905年、バガテル公園は公共の都市公園となりました。

バガテル公園
バガテル公園
バガテル公園
バガテル公園
バラ園はスタンダード仕立てやトレリス仕立てのつるバラなどで構成されるフォーマル・スタイル・ガーデン。構造の中心となるのは、木材のアメリカンピラーとフェストン(花綱)を飾るバラの花々。

そのイニシアチブを取った造園家ジャン=クロード=ニコラ・フォレスティエが公園整備を行った際に、馬術場は現在のバラ園へと生まれ変わりました。バラ園を見下ろす東屋は、皇后が皇太子の乗馬の様子を見守った場所だったのだそうです。ライレローズの創設者として知られるグラブロー氏の惜しみない協力を得て、約9,500本のバラ、1,100品種を保持するバラ園が誕生して程ない1907年、現在は世界中のロザリアンが注目するイベントとなったバラ新品種の国際品評会が始まります。この種のバラのコンクールとしては、世界で最初の品評会でした。

バガテル公園
バラ園の奥には、バラの季節が終わる頃に最盛期を迎える菖蒲園がつくられている。

フォレスティエは、バラをはじめとしたさまざまな植物コレクションを擁する庭園としてバガテル公園を構想しており、バラ園のみならず、アイリスガーデン、クレマチスや牡丹などの多年草ガーデンなどがつくられます。

バガテル公園
19世紀ハートフォード侯爵の頃につくられた「庭師の家」。煉瓦造りはブーローニュの森の周りの建物に合わせたのだそう。コテージガーデンのような花が溢れる初夏の風景。
バガテル公園
バガテル公園
バガテル公園
「庭師の家」の続きには、アスターなどさまざまな宿根草の「展示庭園」。春夏には連続するフジのアーチが見事。

変化し続けるバガテル、地中海ガーデン

バガテル公園
バガテル公園
ロココ調のメインエントランスからは、常緑樹で冬でも緑溢れる落ち着いた園路が続く。

公園のメインエントランスであるロココ調の正面門からは、19世紀のパリの公園といった雰囲気の、大きく育った常緑樹に覆われたエレガントな園路が奥に向かって延びています。その先に進んでいくと、歴史的な面影が感じられる広い芝生面に大きな樹木の植栽、水のしつらいと、洞窟や滝などの風景式庭園とはまた違った、より明るくワイルド感のあるコーナーに行き当たります。

バガテル公園
地中海性気候の植物で構成された地中海ガーデン。パリでも気候温暖化に適応する植栽が模索されている。

ここは、1999年末にフランスで各地の森林や庭園に甚大な倒木被害を引き起こした大嵐の際、バガテルでも多数の倒木があってすっかり様相が変わってしまった場所に、新たにつくられた地中海植物のガーデン。被害で空いてしまったスペースには、地中海植物の象徴的な存在であるオリーブやツゲの木々、エニシダやラベンダーなどが溢れ、現代的なナチュラル感とともに、植物コレクションの幅を広げる新しい庭空間に生まれ変わりました。

幾層もの歴史の面影を残しながら、常に変化し続けるバガテル公園。バラの季節はもちろん、いつ訪れても変化に富んだ穏やかな散策が楽しめる、とっておきの庭園です。

バガテル公園
バガテル公園
公園の中では孔雀や鴨が至る所を自由に優雅に闊歩しています 。
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