NHKの連続テレビ小説「らんまん」で話題の牧野植物園を取材! 牧野博士と植物園の全てを教えちゃいます!
NHKの連続テレビ小説で、今春放映開始の「らんまん」のモデルとして。今、注目が集まる植物学者の牧野富太郎博士。五台山をまるまる植物園にするという壮大なスケールにも、博士の熱い植物愛が表れています。これだけダイナミックな植物園を作らせてしまった牧野博士って、どんな人なのでしょうか? 博士の足跡を訪ね、高知県立牧野植物園を取材してきました。
目次
牧野植物園を訪ねて、牧野博士の足跡をたどる
明治から昭和の時代、日本の植物学界に偉大な功績を残した植物学者「牧野富太郎」をご存じでしょうか? 彼は幼少期に植物に興味を持ち、以来独学で研究を続け、“日本の植物分類学の父”といわれるまでになりました。今年2023年は、数々の名作を生み出してきたNHKの連続テレビ小説で牧野富太郎をモデルとした物語「らんまん」が放映されることになり、今、その生涯に注目が集まっています。
高知県立牧野植物園とは
今から遡ること65年、1958年(昭和33年)に、高知県の五台山に、驚くべきスケールの植物園が開園しました。その名も「高知県立牧野植物園」。
日本の植物学界に偉大な功績を残した牧野富太郎博士を顕彰し、博士の故郷高知県に作られました。
世界にはいくつもの植物園がありますが、個人の名を冠し、それを顕彰する目的で作られた植物園は日本はもちろん、世界でもおそらくこの牧野植物園のみ。約8ヘクタール(東京ドーム約2個分)にも及ぶ園内には3,000種類以上の植物があり、そのほとんどが番号入りのタグで管理されています。
植物園のある高知県は「植物王国」
高知県といえば、鰹と坂本龍馬をまず思い浮かべる方が多いでしょう。しかし意外と知られていないのが、植物の宝庫という側面。日本で確認されている約7,000種にものぼる維管束植物(根、茎、葉、のある一般的な植物のこと)のうち、なんと40%に相当する3,170種が高知県に自生しているんです。日本の本州ほどの広さを持つ園芸大国イギリスでさえ、確認されている総数は約3,300種ほど。つまり高知県だけでイギリスの総数に近い植物が自生していることになります。豊かな日本の植生に改めて驚くとともに、3,000種以上の植物を擁する牧野植物園がいかにスケールの大きい植物園であるかが分かります。
【維管束植物数値データの参照元】
各国:OECD(経済協力開発機構) Environmental Data Compendium
高知県データ参照元:高知県植物誌
植物園内を歩いてみる
高知県の自然が再現されたエントランスまでのアプローチ
牧野植物園のスケールを物語る上で欠かせないのが、正面玄関からエントランスまでの約100mのアプローチ。ここでは「土佐の植物生態園」として、高知県の豊かな植物生態を、山→川→海辺と、段階的に体感することができます。ここだけで半日過ごす人もいるそうですが、それだけの価値と魅力にあふれたアプローチなのです。
建築家・内藤廣が牧野博士の偉業に彩りを添える
「土佐の植物生態園」で高知県の植物たちの出迎えを受けたら、エントランスのある本館に。そこで建屋が不思議な形をしていることに気づきます。
本館と展示館の建物を設計したのは、多くの公共建築や文化施設などを手掛ける、日本を代表する建築家の内藤廣氏。
スタイリッシュなデザインに目を奪われますが、設計した内藤氏は「この建物の主な目的は建築ではなく、牧野さんの生涯と、牧野さんがどのくらい興味深い人物だったかをプレゼンテーションすることです」と語ります。その意図は、建物が持つ機能を紐解くことで理解できます。
台風銀座と揶揄されるほど台風の通り道となっている高知県。植物園のある五台山頂付近は風が特に強くなるため、建屋にはその衝撃を分散する機能をもたせながらも、山の稜線美に溶け込むようなデザインが採用されました。木材は全て県産のものを使用しています。
屋根の急傾斜は、効率よく雨水を取り込み、それを再活用するためのもの。集められた雨水はいくつもの受け鉢や水盤に貯められ、その上を風が渡ると気化熱効果で周囲の空気がクーリングされるという仕組みです。受け鉢や水盤には水生植物も育ち、循環する生態系が生まれています。昨今巷でSDGsが高らかに唱えられていますが、ここではずっと前から“持続可能な循環型社会”が実現されています。
内藤氏の建築は、高知の自然を愛し、いつも人の1歩2歩先を行く牧野博士の姿を、入園者に体感という方法でプレゼンするものなのです。
展示館のスケジュールは要チェック
展示館では期間限定の展示やイベントが随時開催されているので、訪れる予定がある方は、牧野植物園のイベントカレンダーは要チェックです。
【牧野植物園イベントカレンダー】https://www.makino.or.jp/event/
私が取材に赴いた12月は、牧野富太郎生誕160年特別企画展「牧野博士と図鑑展」が開催されており(現在は終了)、展示館内では牧野博士ゆかりの品々を見ることができました。
建物を一歩出ると、まるで絵画の中を歩いているよう
建物を一歩出ると、そこには絵画のような光景が広がっています。春はパステルカラーに、夏は涼感を呼ぶ緑に、秋は燃えるような赤にと、季節ごとの色彩で楽しませてくれます。
【春】
【初夏】
【夏】
【秋】
【冬】
【植物園と竹林寺の深〜い関係】
牧野植物園のある五台山には、もともと四国霊場第31番札所の五台山竹林寺がありました。しかし「牧野博士のご人徳から、その敷地の一部を譲り受け、無事に開園することができた」そうです。そのため、園内には現在もお遍路道があり、園を散策していると、時折お遍路さんに出くわすことも!
牧野博士にゆかりの深い植物たち
開花している植物が少ない冬の園内でも、大変貴重な植物が出迎えてくれました。それは、園のシンボルマークにもなっているバイカオウレンの花と、牧野博士の夫婦愛がこめられたスエコザサ。
【バイカオウレン】
牧野博士が幼少期を過ごした生家の裏山にはバイカオウレンの花がたくさん咲いていました。牧野博士にとってバイカオウレンは、自分を育んだ高知を想起させる花として、大人になってからも特別な存在であり続けました。晩年、病床にあった博士は、お見舞いでもらったバイカオウレンを、顔をこすりつけるほど喜んだそうです。
【スエコザサ】
スエコザサは、1927年(昭和2年)に牧野博士が仙台で発見した新種の笹。翌年に他界した愛妻壽衛に感謝の意を込めて、和名をスエコザサ、学名をSasa suwekoanaと名付け、これを発表しました。
この2つ以外にも、園内には至る所に牧野博士が命名した草花があり、それらには全て説明が記載されたガイドプレートがついています。
広大で起伏も激しい園内は、歩きやすい靴で
2Dの案内図では分かりづらいのですが、実際の園内は起伏がとても多いので、スニーカーなどの歩きやすい靴と、動きやすい服装で来園されることをおすすめします。
園内にはカフェやレストラン、売店も
園内はとにかく広いので、歩き疲れたらカフェで休憩しましょう。
園内にはお腹を満たしてくれる場所も充実しています。本館にはレストラン「アルブル」、展示館にはカフェ「アルブル」があり、レストランでは本格的な料理とティータイム、カフェではくつろぎの時間が歩き疲れた体を癒やしてくれます。
スタッフのイチ推し「まきのロール」。大納言あずきの入ったロールケーキで、「の」の字に巻いてあるので「まきのロール」という名前がつきました。シンプルながらも、スポンジ生地のやさしい風味と、ふわっと軽いクリームが絶品! レストラン及びカフェで食べられるほか、テイクアウトも可能です。(写真提供:レストラン&カフェ「アルブル」)
売店では、食品からグッズまで、バラエティに富んだ牧野グッズが選べます。どれもここでしか買えない貴重なものばかり。
牧野富太郎博士について学ぶ ①偉業
さてここからの2章は、牧野富太郎博士について解説します。
まずは牧野博士の偉業をわかりやすく解説
日本の植物学界に偉大な功績を残した牧野富太郎博士。彼の代表的な功績として、以下の7つが知られています。
【牧野富太郎の代表的な功績】
- 独学で植物を研究し、新種、新品種合わせて約1,500種類以上にも及ぶ植物を命名。
- 94歳で亡くなる直前までに、約40万枚にも及ぶ植物標本を収集。
- 出版物や講演活動などを通じて植物の教育普及に尽力。
- 画才にも秀でていた牧野博士が描いた植物図は「牧野式植物図」と呼ばれ、美しさ、正確性、緻密性、その全てにおいて圧巻のレベルだった。
- 植物の世界を一般大衆に啓発するために『日本植物志図篇』を自費で刊行。
- 『植物研究雑誌』を創刊。博士亡き現在も発行され続けている。
- これらの業績が高知県立牧野植物園を作る礎を築く。
【今でも読める『植物研究雑誌』】
株式会社ツムラが隔月刊に発行している『植物研究雑誌』を、J-STAGE(電子ジャーナルプラットフォーム)上で読むことができます。
株式会社ツムラ『植物研究雑誌』https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjapbot/-char/ja
すべてがアナログな時代に、圧巻のクオリティでこれらを成し遂げた牧野富太郎博士。その才覚とバイタリティは、現代にあっても人々の心を揺さぶるさまざまなエピソードで伝えられています。
牧野富太郎博士について学ぶ ②歩み
生誕から学者になるまで
世は幕末の1862年、生誕の前日 5月21日は京都で寺田屋事件が発生という動乱の時代に、牧野富太郎は造り酒屋を営むとても裕福な商家の一人息子として生を受けました。少年富太郎は幼少期にすでに英才ぶりを発揮し、12歳で入学した小学校の授業に飽き足らず、わずか2年で退学。その後15歳で、なんと退学した小学校で代用教員として教鞭をとることになりました。
後世に繋がる転機が訪れたのは、富太郎17歳の時。高知市の中学校教員・永沼小一郎と出会い、西洋の植物学や江戸時代の書物『本草綱目啓蒙(漢方医学の本)』に触れ、植物への知識をより本格的に深めていきました。この永沼先生との出会いこそが自分の原点であると、後年上梓する自叙伝にも記しています。
富太郎に影響を与えた『草綱目啓蒙』は国立国会図書館に保存されている。
国立国会図書館『本草綱目啓蒙』https://dl.ndl.go.jp/pid/2555472/1/1
22歳になった時に東京の植物学者・矢田部良吉教授を訪ね、植物研究を本格的に始めました。『植物学雑誌』や『日本植物志図篇』の刊行に携わるなど、若き研究者は持てる情熱の全てを自らの理想に注ぎ込みました。しかし研究のために財産をも使い果たすその金銭感覚は、後年結婚する妻にとっては頭痛の種でした。
学者になってから晩年まで
1889年(明治22年)、27歳の牧野富太郎は、矢田部教授の門弟・大久保三郎と共に地元高知で発見した新種の植物にヤマトグサと命名し、これを『植物学雑誌』第三巻に発表。国内で初めて日本人により植物に学名がつけられるという快挙を成し遂げました。
ところでプライベートでは、青年らしく、ちゃんと恋もしています。富太郎は大学への道中にある菓子屋の娘、小澤壽衛に恋をし、程なくして結婚しました。
こうして、公私共に順風満帆かと思われた矢先、自費出版していた『日本植物志図篇』が矢田部教授の逆鱗に触れ、発行中止になるばかりか、大学にも出入り禁止に。やむなく研究の場をロシアに移そうとするも、頼りにしていたロシア人植物学者の急死でこれも頓挫。負の連鎖はこれだけにとどまらず、祖母の逝去、実家の倒産など、富太郎は山あり谷ありの青年期を過ごすことになったのです。
しかしタダでは起きないのが富太郎。日本で初めて発見した水生の食虫植物のムジナモの論文が世界的な評価を受け、30歳を過ぎた頃には『大日本植物志』を発行。また、現在も薬品メーカー「ツムラ」に受け継がれて発行が続いている『植物研究雑誌』を発行するなど、持てる力と財の全てを植物研究に注ぎ込みました。
そして50歳にして東京帝国大学理科大学から講師として迎えられます。学歴を持たず権威にも無頓着だった学者が、最高学府の要職に就くことは当時としては極めて稀なことで、いかに日本の植物学界が牧野富太郎を必要としていたかがうかがえます。
1927年(昭和2年)、65歳で論文「日本植物考察」を発表したのを機に、東京帝国大学から理学博士号を授与されます。
植物学者として絶好調! 人生ようやく安泰か、と思われた矢先の翌年2月、最愛の妻壽衛に先立たれてしまいます。享年54歳でした。富太郎は亡き妻に感謝をこめて、前年に発見した新種の笹に、妻の名にちなみ「スエコザサ」と名付けました。
晩年
戦中戦後と、激動の昭和に晩年を送った牧野博士は、老いてもなお植物研究に情熱を注ぎ込み、その結果数々の栄誉称号を受けました。
75歳:各分野で傑出した業績と社会貢献を上げた人に授与される「朝日文化賞(現朝日賞)」を受賞。
78歳:植物研究と教育普及の集大成である「牧野日本植物図鑑」を刊行。
86歳:皇居に参内し、昭和天皇に植物学を御進講。
88歳:学術上顕著な功績を上げた科学者のための国の特別機関「日本学士院」の会員に選定。
89歳:文部省に「牧野博士標本保存委員会」が組織され、初代の「文化功労者」に選定。
91歳:「東京都名誉都民」に選定。
没後:従三位勲二等を叙任。また旭日重光章と文化勲章を追贈。
晩年に得たものとはいえ、これらの栄誉や称号は、先立った妻への最高のプレゼントになったのではないでしょうか。
そして1957年(昭和32年)に、牧野富太郎は妻壽衛のもとへと旅立ちました。享年94歳、まさにドラマ化にふさわしい激動の人生でした。
その翌年、高知県立牧野植物園が開園し、牧野博士の業績は今も語り継がれています。
【晩年の牧野博士に会える!?】
展示館では、晩年の牧野富太郎が「繇條書屋(ようじょうしょおく)」と名付けた書斎が再現されています。5万冊余の蔵書に囲まれ、日夜机に向かい研究に没頭していた牧野博士の姿を見ることができます。
NHKの連続テレビ小説「らんまん」
牧野富太郎の生涯をモデルにしたNHKの連続テレビ小説『らんまん』が、4月3日(月)よりスタートします。物語はオリジナルストーリーのため、主人公を務める神木隆之介さんの役名も牧野富太郎ではなく槙野万太郎となっており、ヒロインを務める浜辺美波さんの役名も富太郎の妻、牧野壽衛ではなく槙野寿恵子となっています。
物語は、真っ直ぐで純粋な槙野万太郎の人生が、幕末から明治、そして大正、昭和という激動の時代の渦中を、植物への愛と共に駆け抜ける様子を描きます。愛に満ち溢れた彼の人生が、主題歌を唄うあいみょんさんの歌に乗ってどのように描かれるのか、とても楽しみです!
【放送予定】2023年4月3日(月)より放送開始
【作】長田育恵
【音楽】阿部海太郎
【主題歌】あいみょん「愛の花」
【語り】宮﨑あおい
【出演】神木隆之介、浜辺美波、ほか
【植物監修】田中伸幸
取材後記
起伏の激しい植物園を歩き、牧野博士にゆかりの草木を見ながら思いました。もし私が同時期に生きていたら、牧野博士の好奇心に生で触れてみたい!
好奇心というのは誰しもが何かしらに抱くものですが、自分を制御せずに好奇心の赴くままに生きるというのは、誰もができるものではありません。皆がどこかで理由を作って置いてきてしまう好奇心に、生涯向きあい続けた牧野博士。そのエネルギーは凄いものだな、と、そう感じさせてくれた牧野植物園でした。
次回は、牧野植物園の内部をさらに深掘りし、園内のぜひ訪れてほしい場所を詳しくご紹介します。
おみやげプレゼント!※応募受付を終了いたしました。
取材途中に立ち寄った売店で人気No.1を誇る商品、バイカオウレンの葉を模ったスタンプを抽選で1名様にお送りします。
牧野博士にとって郷里土佐を思い起こさせる特別な植物バイカオウレンの葉は、牧野植物園のロゴマークにもなっています。このスタンプはその売れ行きから一時的に販売休止になっていて、多くの方が再販を望んでいましたが、今回偶然にも復刻版を手に入れることができました!
【応募方法】
応募受付を終了いたしました。
【応募締切】
2023年4月10日(月)23:59まで
【当選通知】
ご当選の方には別途メールでご当選の旨をお伝えし、送付先情報をうかがいます。
取材協力
高知県立牧野植物園
〒781-8125 高知県高知市五台山4200-6
TEL(088)882-2601 / FAX(088)882-8635
- [開園時間]
- 9:00~17:00
(最終入園16:30)
- [休園日]
- 年末年始 12/27~1/1
メンテナンス休園 2023/10/30、11/27、
2024/1/29
- [入園料]
- 一般730円 (高校生以下無料)
団体630円 (20名以上)
年間入園券2,930円(1年間有効のフリーパス)
Credit
文&写真(クレジット記載以外) / ガーデンストーリー編集部
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