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【オランダの庭】 モダンガーデンデザインの先駆け「ミーン・ルイス庭園」<中編>

【オランダの庭】 モダンガーデンデザインの先駆け「ミーン・ルイス庭園」<中編>

20世紀オランダを代表する庭園建築家、ミーン・ルイス。彼女は宿根草を用いた自然主義的な植栽をいち早く実践し、また、第二次世界大戦後の変化する時代に応じた、モダンなガーデンデザインを次々と生み出しました。オランダ、デデムスファールトにある〈テイネン・ミーン・ルイス(ミーン・ルイス庭園)〉には、彼女が70年にわたり、新しいデザインや植栽、建材を試し、さまざまな実験を行った庭の数々が現存します。

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モダンガーデンの歴史を作ったミーン・ルイス

ミーン・ルイス
戸外でデザインするミーン・ルイス。Photo: Mien Ruys Garden Foundation

ミーン・ルイス (Mien Ruys, 1904-1999) は、庭園建築家(ガーデンアーキテクト)、及び、景観建築士(ランドスケープアーキテクト)として、オランダ各地の個人や公共の庭園設計に携わり、活動を続けました。今から100年前ほどのこと、彼女は当時まだ珍しかった、宿根草を使った花壇づくりにいち早く取り組み、同時に、直線や斜線、円から成る、単純かつ効果的な幾何学模様をデザインに取り込んで、近代建築にふさわしいモダンガーデンの発展に寄与しました。シンプルで明快なデザインに、瑞々しく生い茂る植栽。それがミーンのトレードマークです。オランダにあるミーン・ルイス庭園では、時代の変化を敏感にとらえて新しいものに次々と挑戦し、試行錯誤を繰り返した、ミーンの軌跡をたどることができます。前編に続き、独創的な庭の数々を見ていきましょう。

〈ハーブ・ガーデン〉(1957年製作、1996年改修)

ミーン・ルイス庭園
左/カフェテラスに続くゲートを覆う、長いシュートを伸ばしたつるバラ。赤いローズヒップもたくさん。その右下は芝生の腰かけ(ターフシート)。右/ゲートからのハーブ・ガーデン全景。手前はハーブの植わる小さな花壇スペース。

前編でご紹介した〈ウォーター・ガーデン〉から続くのは、〈ハーブ・ガーデン〉です。〈ウォーター・ガーデン〉をつくった後、ミーンは隣り合うこの区画が塀や建物で囲まれ中庭のようになっていたことから、ここに中世の僧院の中庭をモチーフにしたハーブ園をつくることを思いつきます。

四方を塀などで囲まれ、閉じられた空間となっていますが、木々の影が落ちずに日当たりがよく、開放感があります。庭の中心にあるのは、正方形のスペースに白い砂利が敷き詰められ、セイヨウツゲの生け垣があしらわれたフロア。訪れた時は高さ30cmにも満たない緑でしたが、以前の生け垣はもっと高さがあって、きっちりと刈り込まれた立派なものだったようです。セイヨウツゲが植え替えられたようですね。

周囲にはレンガと貝殻を使ったペイビングが広がっていますが、そこに大小の四角い植栽スペースがフロアを切り取るようにつくられています。ラベンダー、レモングラス、タイム、フェンネル、セントジョンズワート……、小さなスペースにはハーブが1種類ずつ植わります。ハーブは少量あればこと足りるという考えから、植栽スペースが小さいのだとか。

ミーン・ルイス庭園
左奥、真っ赤なベンチの前には古い井戸が。

中央に配置された白い砂利敷きのフロアは、この空間をより明るくしています。白い砂利とセイヨウツゲの緑のコントラストが美しいデザインです。生け垣の真ん中に置かれた鉄のオベリスクの先端には、銀色の丸いボールが飾られていますが、これは、中世の英国で、悪霊や呪いをはねのけるものとして窓辺に飾られたガラス玉「ウィッチズボール(魔女の玉)」を思わせるもの。ここでは鳥よけとなっているのでしょうか。このほかにも、中世の僧院の庭でよく見られたものとして、左奥の井戸と、ゲート近くにある「ターフシート(芝生の腰かけ)」があります。ターフシートは座面部分、もしくは全体に芝生が生えたベンチのようなもので、腰かけるのに使われていました。

マルメロとアーティチョーク
左/実をつけたマルメロ。右/立ち枯れのアーティチョーク。

中世の僧院では薬草が主に育てられていましたが、この庭に植わる植物も、すべて実用的なものが選ばれています。食用か薬用の植物がほとんどで、塗装に使われるものもあります。訪れた10月上旬、庭の隅にはマルメロの木が重そうに実をつけ、植栽スペースでは立ち枯れのアーティチョークが種子をつけていました。秋冬に楽しむオーナメンタルプランツとして切り取らずに残されているのでしょうか。さらに奥の足元付近には、オレンジに色づいたホオズキが実っていました。

〈サークル・イン・ザ・ウッド(森の中の円)〉(1987年製作)

ミーン・ルイス庭園

さて、〈ウォーター・ガーデン〉に戻り、木々が生い茂る中の小道を進むと、急に視界が広がりました。〈サークル・イン・ザ・ウッド〉です。森の中にぽっかりと、大きな円の空間が広がっています。訪れたのは、まだ日が完全に昇りきらない午前中だったので、陽光が遮られて薄暗く、神秘的な場所に感じられました。

〈サークル・イン・ザ・ウッド〉は、ミーンがデザインした庭としては後期のものになります。このヨーロッパナラの生える森は、19世紀にモーハイム・ナーセリーの風よけとしてつくられ、機能してきたものですが、1987年に庭園の一部として組み込まれることになりました。その際、森を計測すると、自然に生じた空き地があることが分かりました。そして、数本の木を切り倒しただけで、このような円形の空間が見事に出現したのでした。

ミーン・ルイス庭園

ミーンがそこに作ったのは、円形の空間にぴたりとはまるような、大きな丸い花壇でした。花壇の大きな円に沿って歩きながら、足元に広がる緑の正体を確かめようと近寄ると、無数の小さな緑がひしめきあっています。まるで繊細に織り上げられた絨毯のよう。水を含んで、しっとりと鮮やかな緑色に発色しています。

ミーンは当初、この花壇に日陰に育つ植物を数種類合わせて育ててみましたが、「森の中の小さな庭」みたいになってやりすぎに感じられ、植物を1種類に絞ることにします。そして選んだのが、ここの酸性の土壌によく育ち、明るい葉色を持つコミヤマカタバミでした。しかし、単作を保つのは容易ではないとのことで、実際にはコケや他の植物が混じっています。単作を続けていると、土をよい状態に保つのも難しくなるそう。

ミーン・ルイス庭園

円形の緑の絨毯はセイヨウシャクナゲでぐるりと囲まれていますが、背丈のあるシャクナゲに囲まれることで、この場所が閉じられているように感じます。一方、見上げれば木々のこずえの開口部から、円形の空間に優しい光が降り注ぎます。ミーンが〈大聖堂〉と呼んだこの場所は、シンプルだけれど印象深い空間です。

ミーン・ルイス庭園
右奥に写っている人のサイズと比べると、このエリアの広さに驚くのでは。

1999年にミーンが亡くなった後、2010年の春からは、後輩デザイナーの計画によって、この花壇に白いラッパズイセンが植えられています。訪れた10月上旬は、まだスイセンの葉の存在はまったく感じられませんでしたが、今ごろはきっと、花咲く準備を始めたスイセンのツンツンとした葉が、この空間を面白い景色に変えていることでしょう。

〈ウィークエンド〉(1950年代製作)

ミーン・ルイス庭園

〈サークル・イン・ザ・ウッド〉から先に進むと、開けた場所にいったん出ました。その先にある建物に引き寄せられるように、落ち葉を踏みながら進みます。

小道沿いの狭い場所にもグラスやゲラニウムが緑を添えていたり、建物に沿って真っ赤な花を吊り下げたフクシアの鉢が並んでいたり。ひとけの少ない場所にまで植物による演出が見られ、細やかな心遣いを感じます。

ミーン・ルイス庭園
〈ウィークエンド〉の名には、庭の裏手にある水路にちなんだ「水路の行き止まり」と「週末」という2つの意味が。

この建物は〈ウィークエンド〉と名付けられたサマーコテージです。ミーンは1943年、庭園のあるデデムスファールトから首都アムステルダムに拠点を移して自身の設計事務所〈ブーロ・ミーン・ルイス〉を立ち上げ、建築家や芸術家と交流することで活躍の場を広げました。

1950年に父ボンヌが亡くなり、その後、両親の家が売却されることになると、ミーンは週末を庭園で過ごすための場所が必要となり、古い豚小屋を建築家に頼んでコテージに改装してもらいます。そして、普段はアムステルダムで働き、週末に庭園に戻るという生活を続けますが、晩年にはここで暮らすようになり、1999年に亡くなりました。

ミーンの設計事務所〈ブーロ・ミーン・ルイス〉は、1979年には父の興した種苗会社モーハイム・ナーセリーから離れて独立した会社となりました。現在は、ミーンから直接教えを受けた設計家のアネット・ショルマが会社を牽引し、庭園建築や景観建築、都市緑化の設計を行っています。また、〈ブーロ・ミーン・ルイス〉はミーン・ルイス庭園のアドバイザーとして、今も庭園の活動を支えています。

ミーン・ルイス庭園
建物に対して芝生とテラスの境目が斜めになるよう配されています。Photo: Mien Ruys Garden Foundation

1950年代、戦後の再建期に、ミーンは共同住宅などの公共ガーデンを設計することが多々ありましたが、その際、四角い敷地に対角線を引いたような、斜めのラインをデザインに取り入れました。集合住宅の建物に対して、小道や植栽、テラスなどで斜めのラインを作り、コントラストをつけたのです。この斜めのライン使いによって、この時期の彼女は「斜めのミーン」と呼ばれていました。1960年代に入りしばらくすると、ミーンのデザインから斜めのラインは消え、再び直線や正方形を用いたデザインへと変化しています。

ミーン・ルイス庭園
Photo: Mien Ruys Garden Foundation

ウィークエンドの小さな庭でも、家に対してテラスと芝生の境目が斜めになるよう設計されています。こうすることで、芝生や植栽が家に近づき、扉を開ければすぐに花や緑が目に入るという効果があります。花壇には、長く咲く、明るい花色の丈夫な宿根草が植えられました。

ミーン・ルイス庭園

このコテージは2013年に改修され、新しい屋根と、ガラスの明かり取りのある現在の姿となりました。今は資料館として使われている建物の中に入ってみると、中央に、ミーンと共に働いた建築家で家具デザイナーの、リートフェルトの代表作「赤と青の椅子」が2脚。部屋をぐるりと囲む明かり取りの高窓から自然光が入り、ドア脇の可愛い小窓のそばにはグラスが活けられています。

ミーン・ルイス庭園
Photo: Mien Ruys Garden Foundation

こちらは改修前の建物の写真。ミーンが暮らしていた頃は、このような姿をしていました。ウィークエンドの庭は、庭園に組み込まれる2006年まで非公開でした。

ミーン・ルイス庭園
Photo: Mien Ruys Garden Foundation

庭の中にあるコテージ。ミーンが庭と共に生きたことが伝わります。

〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー(標準宿根草花壇)〉(1960製作、1987年修復、国定記念物)

ミーン・ルイス庭園
左は3本のメタセコイア。右に実験用花壇が並びます。

〈ウィークエンド〉の建物から少し戻り、〈サークル・イン・ザ・ウッド〉を抜けて出た、開けたエリアにある最初のガーデンです。まだ日が高く昇りきる前に着いたので、高い木々が日差しを遮り、ひんやりとしています。うっすらとモヤのかかるガーデンでは、緑がとても濃く感じられました。

ミーン・ルイス庭園

よく刈り込まれた芝生は厚みがあって、フカフカとして歩き心地もよく、振り返ると木漏れ日がとても幻想的。この大きな木々は、ここにいつからあるのでしょう。この庭をずっと見守っている頼もしい樹木に思えました。

調べてみると、この3本の大木はメタセコイアでした。メタセコイアは絶滅したと考えられていた樹木ですが、1940年代に中国で発見され、モーハイム・ナーセリーはその種子を入手していました。この庭のメタセコイアは、その種子から育った子どもたち。長い時の流れを感じます。

ミーン・ルイス庭園

芝生の中には石づくりのアート作品が。まるで女性が椅子に座って庭を眺めているようです。このエリアでは、大きな木を引き立てるようにコの字に花壇が設けられています。くすんだ紫花を咲かせるセダム‘ハーブストフロイデ’を背景に、ルドベキア‘ゴールドストラム’の黄花が鮮やか。

ミーンがここに作ったのは「既製品」の花壇です。彼女は1950年代のプレハブ建築に着想を得て、「目的別の花壇キット」を作って販売することを思いつきます。土の質や日照、花壇の大きさや、草花の色合いなど、条件をいろいろと変えて何種類もの「花壇キット」を考え、その見本をここに作ったのでした。植物はどれも丈夫で育てやすく、開花期の長い宿根草が選ばれています。客が、例えば「日当たりがよくて土は酸性、花壇の大きさはこのくらい」と、自分の庭の条件や希望を伝えると、モーハイム・ナーセリーからその希望に合った「花壇キット」の植物苗と植栽図面、育て方の手引書が届くという仕組みでした。個人宅の小さな庭にもフィットする、小さなサイズの花壇もありました。

ミーン・ルイス庭園

花壇と花壇は、丸みを帯びた形に刈り込まれた小さな生け垣で仕切られています。生け垣は仕切りというだけでなく、平坦な芝生に立体的な変化をつける役割も果たしています。芝生と花壇の間は、凹凸模様に石のステップが浮き立って、美しい縁飾りとなっています。

ミーン・ルイス庭園

コの字形の花壇の向かい側には、株張りが3mほどもあるホンアジサイ‘オタクサ’が茂ります。花がらをそのままにしてあって、その褪せた花色が美しく感じられました。左から丈高く穂を伸ばすのは、タケニグサ。ケシ科の植物で、日本では空き地などにはびこっている地域もあるアメリカの帰化植物です。日本では新規で植えてはいけないケシ科の毒草のようですが、切れ込みがある大きな葉は、霜をまとって存在感がありました。

ミーン・ルイス庭園
〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉を見渡して。

1954年、ミーンは人々にガーデニングの知識を伝えようと、夫のテオ・マウサウルトと共に”Onze Eigen Tuin”(オンズ・エイガン・テイネン、私たち自身の庭)というタイトルのガーデニング季刊誌を創刊しました。ミーンは雑誌や書籍を通じて知識や思いを伝えることで、人々のガーデニングへの興味を後押ししたのですね。この雑誌はオランダで最も古いガーデニング誌として、今も発行が続いています。

〈サンクン・ガーデン(沈床式庭園)〉(1960製作、2015年修復、国定記念物)

ミーン・ルイス庭園
一段高い場所から見たサンクン・ガーデン全体。

〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉の隣のエリアは、一段低く下がった〈サンクン・ガーデン(沈床式庭園)〉です。とても小さいスペースですが、枕木に縁取られた花壇の中はまるでパッチワークのよう。植物リストには37の品種が記載されています。

ミーン・ルイス庭園
左/〈サンクン・ガーデン〉から〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉を見ると、手前部分が枕木1本分ほど低くなっているのが分かります。右/隣り合う〈サン・ボーダーズ(日向の花壇)〉と比べても一段下がっています。

ミーンがこの庭で行ったのは、鉄道で使われた枕木を建材として使うことでした。そのきっかけは、砂丘に庭を設計するよう依頼されたこと。町で、使用済みになって積まれていた枕木を見かけたミーンは、砂丘の高低差を調整するのに使えるのではと考え、トラックの荷台いっぱいに積んで庭園に運び込みました。そして、隣り合うエリアから地面を15cmほど掘り下げて、枕木を仕切りに使って段差をつけてみたり、花壇を作ったりと、さまざまな実験をしながらこの庭をつくりました。

ミーン・ルイス庭園

庭の主よろしく大きく枝を広げている樹木は、ヤマボウシです。赤い果実がいっぱい実っていて、美味しそう。春は白い花が咲いて、それもまた見事だろうとイメージできます。ひさしのような枝の下には、枕木の枠と似た、長い木製ベンチが置かれていますが、自由に葉を広げる植物の中で、まっすぐなラインが際立ちます。間仕切りとなって突き出ている枕木の上には石像が置かれて、アクセントに。直線の枕木がさまざまな四角を描くように組み合わさったデザインで、ここにも画家ピート・モンドリアンの色面構成のエッセンスが感じられます。

ミーン・ルイス庭園

石像が置かれた向かい側には、丸く水をたたえた器が角に置かれ、これもまた、垂直に組まれた枕木の、四角ばかりの構図の中で、いいアクセントとなっています。這って広がる明るい緑のグラウンドカバーは、ペルシカリア‘ニードルハムズ・フォーム’。ヒメツルソバよりも柔らかな雰囲気で、小さな花が株一面に咲いていました。ここはかなり日陰の庭で、そのため、日陰でもよく見える明るめの花や葉の植物が選ばれています。

ペルシカリア‘ニードルハムズ・フォーム’
近くで見ると葉の形が特徴的な、ペルシカリア‘ニードルハムズ・フォーム’。

枕木の使い手となったミーンは、今度は「枕木のミーン」というあだ名を得ました。その後、庭における枕木の使用はオランダ国内で真似されて、どんどん広まったそうです。日本でも枕木を使った住宅のエクステリアやガーデンデザインを見かけますが、その始まりはミーン・ルイスだったのですね!

〈シェイド・ラビング・ボーダーズ(日陰の花壇)〉(1960年製作、国定記念物)

ミーン・ルイス庭園
右手のメタセコイアの下が、セイヨウイボタの生け垣に仕切られた日陰の花壇。

〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉と〈サークル・イン・ザ・ウッド〉の間に通る幅広の道は、木々に日差しを遮られてひんやりしています。〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉で見たメタセコイアをはじめとする高木が森のようで、ガーデンは自然の一部なのだなと感じる空間。

この道に沿って、セイヨウイボタの生け垣に仕切られた、日陰の花壇が作られています。この花壇は〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉の一部として作られたもので、日陰で育つ、強くて育てやすく、花がある程度長く咲く宿根草を試す場となりました。もともとは日向の場所でしたが、両側の木々が育つにつれ、半日陰から日陰の場所となりました。生け垣にセイヨウイボタが使われているのは、大きく枝を広げる木々の下でも育つため。花壇には、多種のホスタやカンパニュラ、アネモネ、ルドベキアなど、さまざまな宿根草が混植されていました。

〈サン・ボーダーズ(日向の花壇)〉(1960年製作、国定記念物)

ミーン・ルイス庭園
左右の生け垣も実験の一部。高さと木の種類を変えて作られています。左は落葉するセイヨウシデ、右は常緑のヨーロッパイチイ。

この花壇も〈スタンダード・ペレニアル・ボーダー〉の一部として作られたもので、日向に咲く、丈夫で育てやすい宿根草の実験が行われました。庭の小部屋と小部屋をつなぐようなシンプルなエリアで、両側にある背丈より高い生け垣によって周囲の景色が遮られているため、見る者の意識が自然と、奥の開けたガーデンに集中します。朝早い時間だったためかまだ薄暗く、植物たちはしっとりと落ち着いた印象でした。

植栽は、はっきりとした明るい花色の宿根草が選ばれているとのこと。左奥に見える、風に揺れる細長い白い穂は、日本でも見かけるサラシナショウマ。その株元では紫のつぼみをつけた矮性のアスターやセダムが小道を縁取り、右奥には、フジバカマの仲間、ユーパトリウム‘ベイビー・ジョー’の花が、ちょうど見頃でした。

〈ポンド・ウィズ・リード(トキワススキの池)〉(1960年製作)

ミーン・ルイス庭園
四角い池の大きさは2×3m。Tatyana Mut/Shutterstock.com

〈サンクン・ガーデン〉から〈サン・ボーダーズ〉の生け垣の間を抜けると、背の高いトキワススキが大きく茂る〈ポンド・ウィズ・リード(トキワススキの池)〉があります。小さな長方形の池とテラスを、トキワススキがダイナミックな緑のスクリーンとなって引き立てる、小さな空間です。

ミーン・ルイス庭園
池には直立的なホソバヒメガマが生え、初夏には白花のスイレンが浮かびます。Tatyana Mut/Shutterstock.com

この庭は、1960年代に市場に出た、プラスチック製の「池」を実験するためのものでした。製作時に「池」として設置されたプラスチック製の四角い容器は、およそ60年経った今もそのまま問題なく使われているとのことで、その耐久性に驚かされますね。池の3辺は水際まで芝生を生やし、残る1辺はテラスの敷石を水の上に少し出すことで、池の縁をうまく隠しています。

〈シティ・ガーデン〉(1960年製作、国定記念物)

ミーン・ルイス庭園

第二次世界大戦後、町では小さな庭のある家が次々と建てられるようになり、一般の人々も時間的余裕が生まれて、庭やガーデニングに関心を寄せるようになりました。ミーンがここに作ったのは、町で見られる平均的なサイズ(6×10m)の小さな庭、〈シティ・ガーデン〉です。この庭も周囲を生け垣に囲まれて、屋外の小部屋のようです。赤い色に導かれ、飛び石をたどって中に入って行きました。

この庭では、敷石の小道が斜めに配置され、導かれる視線の先に樹木が1本植わっていますが、これはミーンが考案したデザイン上の工夫です。ミーンが庭を広く見せるために見つけた原理は、次のとおり。

  • 斜めのラインを取り入れると、庭が広く見える。
  • 樹木を1本植えると、奥行きが生まれる。
  • 高さの違う生け垣や塀を配置すると、「長細い庭」に見えなくなる。
  • 芝生が端から端まで続くようにすると、庭が広く見える。
  • 飛び石の間も芝生を生やすと、小道によって芝生が分断されない。

小さな庭でも、デザインによって平凡でないものが作れるということを、ミーンはこの庭で示しています。

ミーン・ルイス庭園

中央付近で振り返ると、赤いフクシアの花とベンチの座面の赤がなんともおしゃれ! 背景のフェンスの高さや椅子の配置、芝生の緑……絶妙なバランスです。よく見ると、右側のミズヒキの赤い穂も色を添えています。

一般家庭の庭を想定している〈シティ・ガーデン〉では、丈夫で育てやすい宿根草が花を咲き継ぐように選ばれていて、また、建材も安価なものが使われています。

ミーン・ルイス庭園
左/生け垣の外から見た景色。右/シンボルツリーのように枝を広げるモクゲンジ。

幹肌が苔に覆われた木は、モクゲンジ。袋状の実をつけていました。夏には鮮やかな黄色い花を咲かせ、秋には黄色く紅葉する樹木です。日本では庭木としてあまり使われませんが、ミーンは小さな庭に向くと選んだようです。プラスチックの蓋がついた地面の赤い枠は何かと思ったら、子ども用の砂場。まさに一般家庭の庭ですね。左端の植木鉢にもバーベナの赤花が咲いて、緑に引き立っていました。

このエリアに入って出るまで10歩程度。シンプルなのに見飽きない、親しみを覚えるガーデンでした。シンプルだからこそ、タイムレスな美しさがあるのでしょう。

〈ガーデン・オブ・スクエア(正方形の庭)〉(1974年製作、2014年修復)

ミーン・ルイス庭園

〈シティ・ガーデン〉に隣接するのは〈ガーデン・オブ・スクエア(正方形の庭)〉、70年代に作られた庭です。名前の通り、正方形が基本となる庭。正方形の敷石が敷き詰められ、前編でご紹介した〈ウォーター・ガーデン〉と同じく、芝生はありません。正方形の植栽スペースや、正方形の箱のような生け垣、正方形に切り取られた池があって、一番奥には、一段高くなったテラスにひさし付きの木製ベンチが置かれています。直線から成る整理された空間に、さまざまな植物がオブジェさながらに配置されて、美術展示のようです。

ミーン・ルイス庭園

正方形の敷石の目地は、約2cm幅と広めです。そこにコケが生えて、格子状のラインがよりはっきりと分かるようになっています。大小の正方形を組み合わせたデザインが、ここでもモンドリアンの絵画を思わせます。正方形の植栽スペースはどれも同じサイズで、奥に見える池だけが、大きな正方形となっています。右手の白い壁の上には、こちらを見下ろしているような女神像がありますが、あの高さから眺めたら四角の配置が一目瞭然なことでしょう。

手前の植物は、黄花を咲かせる、草丈60cm程度のアキレア ‘ムーンシャイン’。その奥の細長い葉は、コアヤメ(シベリアアヤメ)。池の向こう側には、ソリダゴ ‘ファイアーワークス’が黄色の花をたっぷり咲かせています。植栽は、モンドリアンの3原色の絵画と同じく、赤、黄、青の花が咲く宿根草のみが選ばれています。

ミーン・ルイス庭園

池のそばから左手を見ると、フェンスのように仕立てられたモミジバフウが緑の帯状に葉を伸ばし、見る者の視線を遮って、隣の庭との仕切りとなっています。その株元付近にも3つの四角い花壇があって、手前から奥に、ゲラニウム・マグニフィカム、コンパクトなルドベキア‘ゴールドストラム’、キレンゲショウマが植わっています。低いものから高いものへ、奥にいくほど草丈が高くなっていることで、遠近感を感じます。

ミーン・ルイス庭園

このエリアの中央付近には、見慣れない実をつけた樹木が植わっています。直線で統一されたデザインの中で、波打つ幹が引き立っていました。この樹木は、赤みがかった実が香辛料として利用されているウルシ科のスマック(ルース)。紅葉が美しく、ヨーロッパの庭園ではよく使われる樹種のようです。植物選びも凝っていると感じました。

この庭を訪れた同行のガーデナー、新谷みどりさんは、こう振り返ります。

「この庭は予備知識を入れずに訪れるのも、しっかり勉強してから見るのもどちらも意味のある稀有なガーデンだな、と改めて思います。永遠に変わらないものと常に進化し続けるものが共存する庭だからなのでしょう。サークル・イン・ザ・ウッドに時折光が射し込む風景に感動したのを思い出します。木の実が落ちて、その音が少し響く感じがたまらなかったです」

後編に続きます。前編はこちら

参考資料:https://www.tuinenmienruys.nl/en/

Many thanks to Mien Ruys Garden Foundation.

執筆協力/新谷みどり

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