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イギリス
現在のイングリッシュガーデンのイメージを作った庭「ヘスタークーム」【世界のガーデンを探る19】
いかにも“イングリッシュガーデン”らしい庭 ヘスタークーム(Hester Combe Gardens) ロンドンから西へひた走りに走り、ウェールズの手前、ブリストルから少し南西に下ったサマセット州に、今回ご紹介するヘスタークームはあります。この庭はおそらく、数あるイギリスの庭の中でも、日本人の持つイングリッシュガーデンのイメージに最も合っている庭のように思います。まとまりもよく、大きさ的にも色合い的にも、いかにも我々が持っているガーデンのイメージに当てはまるイギリス庭園です。 現在のガーデニングに大きな影響を与えた ガートルード・ジーキルのコテージガーデン 前回ご紹介したように、18〜19世紀のイギリス式風景庭園は、多くの富裕層の屋敷につくられ、その権力の象徴的存在でした。しかし、18世紀中頃から19世紀にかけて始まった産業革命によって、富の主役が貴族や王室の手からブルジョアジー(中産階級)へと移っていきます。それに伴い、庭の形態も広大な敷地のピクチャレスクな庭から、見える範囲にまとめられたガーデニスクな庭へと移り変わり、植栽に使われる植物にも変化が生じます。プラントハンターたちによって世界中から集められた珍しい植物ではなく、世界中からのアトラクティブな植物を含めイギリス本来の土地にあった宿根草が使われるようになったのです。 このような時代を背景にして、現れるべくして登場するのがガートルード・ジーキル女史(Gertrude Jekyll)です。彼女はもともと美術工芸家だったのですが、目が不自由になってきたこともあって、大好きだったガーデニングの世界へと入ってきました。 彼女の持っていた植物への知識と思い入れ、それと芸術家としての配色と組み合わせが、建築家のラッチェンス(Edwin Lutyens)と融合したことで、素晴らしい庭の数々を後世の我々に残してくれました。それまでのランドスケープ的な男性的で広大な風景式庭園から、ジーキル女史の出現によって、花咲くコテージガーデンが誕生したのです。 土地の傾斜をうまく利用したテラスガーデン、その向こうにこぢんまりとした屋敷があります。何人かのオーナーを経て、今はサマセット州の消防本部になっているため、庭の管理も消防署がやっているとのことです。この庭も、ジーキル女史とラッチェンスが出現する前には風景式庭園でしたが、オーナーが変わり、20世紀初めに2人によって今のような素敵な庭がつくられたのです。 そもそも、この庭の歴史は9世紀ごろから始まります。ワーレス一族が管理するようになった14世紀頃に庭の原形ができ、18世紀には15ヘクタールにも及ぶ広大な風景式庭園がつくられました。その後オーナーが変わり、1904年からラッチェンスとジーキルによって、この庭は改めてつくり直されました。第二次世界大戦の頃には、荒れて廃墟同然になってしまったのですが、1997年から復興プロジェクトが始まり、ジーキル女史の書いた図面をもとに、現在はほぼ当時のままに再現されています。 フォーマルな雰囲気漂う 色彩にあふれたメインガーデン ヘスタークームのメインガーデンでは、石で作られたパーゴラにより、庭の向こうに広がる田園風景に繋がる景色をクローズさせながら、まとまった空間を作り出しています。これはラッチェンスの得意な手法の一つです。メインガーデンでは、園路を十文字に配するのではなく対角線状に配することにより、メソポタミアから連綿と受け継がれてきたフォーマルガーデンのスタイルをラッチェンス風に見事にアレンジさせ、そこにジーキル女史の花が咲き乱れる世界最高のコンビネーションを作り出しています。 この庭では、嬉しいことに、今も当時のままに再現された植栽を見ることができます。修景バラの向こうには、はっきりした青紫のデルフィニウムやオレンジのヒューケラが。その間をラベンダーがつなぎ、2つの色彩を優しくミックスさせています。遠くに見える薄い黄色の大きな花はバーバスカムの塊、その横のもっこりとした赤い色は日本のベニシダレモミジです。 庭の随所に散りばめられたジーキル女史の植栽センスと ラッチェンスのハードランドスケープ メインガーデンへと続く階段。もともとあった傾斜にストーンウォールでうまく変化をつけながら、ガーデンへ降りていくように設計されています。ゆったりとした石の階段には、エリゲロン(源平小菊)がぎっしり生えています。また、ジーキル女史のお気に入りのシルバーリーフプランツや淡い色彩で、彼女らしい雰囲気を作り出しています。 石垣に埋もれるようにベンチを置くことで、落ち着いたスペースができています。このベンチに座っていると、庭に溶け込んでしまいそうに感じられます。 さまざまなサイズの平石を組み合わせて、とかく単調で堅くなりがちなペイビング(舗装)のテイストを和らげると同時に、エリゲロンで石の断面を優しく隠しています。石材の小端積みにも所々隙間を空けて、植物の入るスペースを作っています。 階段脇の樽のポットも、全ての段に置かず、途中が抜けていることで、重々しさをなくして開放感が感じられます。手前の両脇にはシダが植えられていて、エリゲロンとうまく調和しています。 庭の奥の壁泉から続くのは、これぞ2人で共作したからこその見せ場ともいえる立体的な水の流れです。角ばった石にうまく立体的に植物を絡ませて、一つながりの素晴らしい空間を作り出しています。純白の花を多く使い、周りの宿根草ボーダーとのコンビネーションも絶妙です。ジーキル女史は芝の遠路とボーダーの幅、それと植物の高さにはかなりこだわりを持っていました。 オランジェリーの前に広がる花壇の植栽は、シルバーリーフを多く使ったジーキル女史らしいカラースキーム(配色)です。少し前までは、ここでしかジーキル女史の植栽が見られなかったのですが、最近は彼女が手がけた多くの庭が、残された植栽図によって、当時のように復元されてきたことは嬉しい限りです。 彼女の植栽方法が、今のイングリッシュガーデンのほぼ全てに強い影響を及ぼしていることは、疑う余地のないところです。このヘスタークームのガーデンでは、そんな彼女のセンスと色彩感覚が存分に発揮されています。 現代につながるイングリッシュコテージガーデンの基礎を作ったジーキル女史とラッチェンス、2人の最高傑作ともいえる「ヘスタークーム」いかがでしたでしょうか? 次回は、今まで見てきた花の植え方や庭のスタイルについて、イタリア、フランス、イギリス、そして日本と比較してみたいと思います。 併せて読みたい ・イングランド式庭園の初期の最高傑作「ローシャム・パーク」【世界のガーデンを探る旅17】 ・英国「シシングハースト・カースル・ガーデン」色彩豊かなローズガーデン&サウスコテージガーデン ・美しき家と庭 英国モリス・デザインの世界を体感する「スタンデン・ハウス・アンド・ガーデン」
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シンガポール
ガーデンズ・バイ・ザ・ベイとシンガポール植物園でランを巡る旅
国花のランを使った、「シンガポール植物園」のランのガーデン シンガポールは通年、一日の気温が25〜30℃程度と、熱帯植物が育つにはうってつけの気候。そんなシンガポールだけに、「国花」もやはり、熱帯植物のランです。 シンガポールの国花はバンダという種類のランですが、その中でも特に、‘ミス・ジョアキム’という品種が国の花として定められています。この‘ミス・ジョアキム’は、19世紀の末にシンガポールで作出された品種。作り出したのは、品種名にその名を残すアグネス・ジョアキムという女性です。 ヴァンダ・テレスとヴァンダ・フーケリアナの2つの種類を交配してつくられた‘ミス・ジョアキム’は、両親の性質を受け継いだ、濃淡のピンクの花色が美しい品種。栽培に適した環境では草丈2mにも及ぶ大株になり、旺盛に花を咲かせます。また、‘ミス・ジョアキム’は、単にシンガポールで生まれただけでなく、シンガポールから初めて品種登録されたラン。歴史的な花でもあります。 ユネスコ世界遺産にも登録されている「シンガポール植物園」には、有料エリアであるナショナル・オーキッド・ガーデンの一角に‘ミス・ジョアキム’をフィーチャーしたコーナーを設けているほか、無料エリアにも「バンダ・ミスジョアキム・ガーデン」がつくられています。 「バンダ・ミスジョアキム・ガーデン」は、ヨーロッパの整形式庭園を思わせる整然とした植栽をされていて、周囲の斜面に植えられているのも、その多くがラン。日本国内ではバスケット仕立てや着生仕立てにして育てることが多いヴァンダの仲間ですが、ここでは2m近い草丈の‘ミス・ジョアキム’が地植えにされており、ほかではなかなかお目にかかることができないランのガーデンになっています。 ※ヴァンダ・テレス(Vanda teres)、ヴァンダ・フーケリアナ(Vanda hookeriana)は現在はパピリオナンテ属(papilionanthe)に分類が変わっています。 ‘ミス・ジョアキム’も正しくは「パピリオナンテ・‘ミス・ジョアキム’」ですが、現在でも「バンダ‘ミス・ジョアキム’」として親しまれています。 今でもランの品種改良の取り組みは、国を挙げて行われており、ボタニックガーデンの一角にあるボタニーセンターには、ランの交配や繁殖を行う研究所が置かれています。ここでは日々、新しい魅力的なランの作出を目指して研究が続いていますが、その様子を見学することもできます。 「ナショナル・オーキッド・ガーデン」も必見! これだけランとの深いゆかりを持つシンガポールの植物園だけに、ランを集めた「ナショナル・オーキッド・ガーデン」もあり、こちらも見逃せません。園内の各所にはその時期に咲いている種類のポットが配置されているだけでなく、樹木やオブジェに着生させたものもあり、ほかの熱帯植物に囲まれ、自然な姿で咲いている景色を見ることができます。 日本では、ランを育てる場合には一鉢に一株だけを植えたり、あるいはランばかりをたくさん並べてディスプレイとして使ったりするのを目にすることが多いはず。しかしこのガーデンでは、ほかの植物と調和するように、ランが使われている姿を楽しむことができます。 また、株姿や草丈に合わせて、ガーデン草花のような使い方をしているコーナーもあるのは、さすが南国ならではの使いこなし方といえそうです。運よく訪れる時期が合えば、ランがプルメリアなどのほかの花と咲き競っているのを目にすることもできます。 花盛りのオーキッド・ガーデンでひときわ目を引くのは、色とりどりのバンダの仲間。お気に入りのバンダを探すもよし、‘ミス・ジョアキム’以来、ここまでバリエーションを増やしてきた歴史に思いをはせるもよし。百花繚乱のバンダを楽しんでみてはいかが? 人気の「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」にもランがいっぱい! シンガポールのベイエリアに2012年にオープンした植物園「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」。園内に建てられた樹木のようなオブジェ「スーパーツリー」はたびたびメディアで紹介されているので、見かけたことがあるという方も多いのでは? このガーデン・バイ・ザ・ベイでは、あちこちでランの花を見ることができますが、なんといっても注目は「クラウド・フォレスト」。 「クラウド・フォレスト」は、いわば大型のガラス温室です。 その内部には高さ30mにも及ぶ人工の小山がつくられており、山の各所からは滝が落ちているというダイナミックなもの。温室内部はミストやファンで湿度や通風がコントロールされており、標高0〜2000mまでの熱帯植物が育てられています。また、山の周囲には空中回廊が巡らされており、山の内部からだけでなく外からも植物を観察できるようになっています。 この山の外壁には、アンスリウムやフィロデンドロンなどのサトイモ科の観葉植物やネペンテスなどの食虫植物、ブロメリア科の植物、ベゴニアやシダなどが着生させてあり、もちろんランもあります。 「クラウド・フォレスト」の壁面に植えられた植物は、花壇のように簡単に株の入れ替えができないので、一般的な栽培品のように常に万全の状態で開花しているわけではありません。しかし、ほかの植物と混ざり合って育ちながら、けなげに花を咲かせる姿は、ランもまた本来は野山に咲く花なのだということを思い出させてくれます。 また、温室内ではランの特設展示を行うコーナーが設けられています。展示はシーズンごとに切り替わるので、訪れる度に違うランと出合うことができます。写真は2019年の初めに行われた展示、「Orchids of Andes(アンデス山脈のラン)」のもの。 こうして「クラウド・フォレスト」の植物を見て回った後は、出口に通じる地下の通路に向かいます。 すると、最後に姿を見せるのが、「シークレットガーデン」です。「シークレットガーデン」は熱帯雨林の林床をイメージしてつくられた、石灰岩が立ち並ぶ屋内庭園。ひんやりとした風がゆっくりと流れ、熱帯高地の雨林に迷い込んだかのような空間が広がります。 このガーデンにも、こうした環境に自生するシダやベゴニアなどとともに、ランが展示されています。その多くはミニチュア・オーキッドと呼ばれる、レパンテスやプレウロタリス、スカフォセパルムなどの小型のラン。いずれも花の直径が数cm、ものによっては1cm未満という極小の花を咲かせるものばかり。 でも、ご心配なく。花のそばにルーペを添えて展示してあるので、小さな花の細部までじっくり観察することができるようになっています。 ランで巡る、シンガポール植物園とガーデンズ・バイ・ザ・ベイ、いかがでしたか? ここでご紹介したのは、あくまでも2019年1月に訪れたときの様子。時期によっては異なる種類の花を楽しむことができるはず。シンガポールを訪れた際には、ぜひランを楽しんでみてください。
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イギリス
世界遺産にも登録された時代の中心地「ブレナム宮殿」【世界のガーデンを探る18】
一時代の中心となった庭 「ブレナム宮殿(Blenheim Palace & Gardens)」 数あるイギリスの庭の中にも、それぞれの時代ごとに、最もその話題の中心となってきた庭があるのではないでしょうか。今回取り上げるブレナム宮殿も、そんな印象を受ける庭の一つ。現在では世界遺産にもなっている由緒正しき庭をご紹介していきましょう。 ブレナム宮殿は、18世紀を代表するバロック建築の宮殿です。2,000エーカーを超える広大な土地を擁するこの宮殿は、後述のように、1705年初代マールボロ公爵ジョン・チャーチルが、ジョン・ヴァンブラに設計を依頼。アン女王のガーデナーであったヘンリー・ワイズも、ベルサイユ宮殿を手本としてこの庭の設計に加わっています。その後、アン女王からの援助が打ち切られて建築半ばで工事はストップしてしまいますが、さまざまな紆余曲折を経て、アン女王の死後にマールボロ公爵が自費で完成させました。しかし、建物の完成後も庭園は改造を重ね、1933年にようやく現在の姿になりました。 初代マールボロ公爵から宮殿の設計を依頼されたジョン・ヴァンブラは造園家でもあったので、その当時最先端であったフランス式やイタリア式のフォーマルガーデンを宮殿の周りに配置しました。残念ながら、当時の庭は、その後改修に当たったケイパビリティー・ブラウンによって跡形も無くなってしまっています。 もともとこの宮殿は、スペイン継承戦争の際、現在のドイツにあるブレンハイム(英語名でブレナム)という地で行われたフランスとの戦いに、初代マールボロ公爵のジョン・チャーチル率いるイギリス連合軍が勝利したため、当時のアン女王がこの土地と建築資金をマールボロ公爵に褒美として与えたことから、その歴史が始まります。この勝利は、イギリスをヨーロッパで二流国から一流国へとステップアップさせたものでもありました。ちなみに、イギリスで王室関係以外にPalace(宮殿)と名がついているのは、このブレナム宮殿だけ。個人所有としてはイギリス最大の広さであり、中世につくられたヨーロッパの宮殿の中でも指折りの壮麗さを誇っています。 ケイパビリティー・ブラウンの手による 広大なイギリス式風景庭園 ブレナム宮殿のガーデンは、18世紀半ばになって、かの有名な造園家のランスロット・ケイパビリティー・ブラウンにより、大々的な改修が行われました。彼はまず、宮殿の横を流れるグリム川を堰き止めて人工の大きな湖をつくり、広大なイギリス式風景庭園を生み出しました。 イタリア式庭園風にテラス状になった宮殿から降りてくると、ケイパビリティー・ブラウンがつくり出したピクチャレスクなランドスケープが眼下に広がります。この湖の先に、ジョン・ヴァンブラが設計した、半分水没した有名なヴァンプラの橋があります。 この風景は前回ご紹介したウィリアム・ケントのガーデンのように、まさにピクチャレスクな風景です。エデンの園から始まった西洋の庭の流れのフォーマルな整形式庭園は、前回のウィリアム・ケントと今回のケイパビリティー・ブラウンによって、自然復帰のイギリス式風景庭園に取って代わっていきます。 ところで、ランスロット・ブラウンを何故ケイパビリティー・ブラウンと呼ぶかというと、どんな場所でも彼流に風景式庭園をつくってしまうことに由来しています。アイルランドのお金持ちが彼に仕事を頼んだ時には、彼は「まだまだイギリスでやるべき仕事が終わっていないので」と断ったという有名な話もありますが、それほどイギリスで多くの庭を手掛け、それまでイギリス中にあったフランス式庭園を改修してしまいました。個人的なことですが、僕の一番尊敬するデザイナーは、このケイパビリティー・ブラウンです。ここで確認しておかなくてはいけないのは、ブラウンはランドスケーパーであるということ。ランドスケーパーというのは風景をつくり出す人という意味で、ガーデンデザイナーとは一線を画しています。皆さんがイングリッシュガーデンのイメージの一つとして思い描くボーダー花壇や花々が咲き乱れる植栽は、この後のもう一人の天才、ガートルード・ジーキル女史の登場を待たなくてはいけません。 話はブレナム宮殿に戻りますが、次にこのブレナム宮殿が歴史上に登場してくるのは1874年。イギリスの生んだ最も有名な政治家の一人、ウィンストン・チャーチルが生まれ育った場所として知られています。また、第一次・第二次世界大戦の時には、負傷者の病院としても活躍しました。 フォーマルガーデンから風景式庭園まで ブレナム宮殿のさまざまなガーデン ブレナム宮殿のガーデンは、ケイパビリティー・ブラウンによる改修後、20世紀には9代目のマールボロ公爵により2度目の大改造が行われました。その際、イタリアンガーデン、ウォーターガーデン、フォーマルガーデンなどがつくられ、現在に至っています。 宮殿の東側には、珍しい黄金キャラの生け垣とトピアリーが。その中にはフォーマルガーデンがつくられていますが、刈り込まれた生け垣が高くて外から全容を見ることはできません。その意味で、今もこの宮殿に住むマールボロ公爵のプライベートな庭というところでしょう。 フォーマルガーデンの奥にはオランジェリーが見えています。 宮殿から見たウォーターガーデン。幾何学模様に刈り込まれた生け垣と噴水に彩られたガーデンは、借景にもなっている緑の森に見事に溶け込むように見えます。この奥にはテラス状のイタリアンガーデンと、その向こうにケイパビリティー・ブラウンがつくったグリム川の池を望むことができ、この庭の広さを効果的に演出しています。 美しく管理された庭は、外壁のライムストーンの優しい色合いを見事に引き立てています。 宮殿の南東側には、イギリス特有の牧歌的風景が、無限の広がりを持って見る人を魅了しています。ケイパビリティー・ブラウンがつくり上げた風景式庭園は、まるで豊かな自然そのままの景色のよう。 宮殿の周囲には、100年先を見越したような新旧取り混ぜたパイネータム(針葉樹の森)が。森の中につくられた落ち着いた雰囲気のガゼボには、フジや常緑のクレマチスが絡んでいます。 敷地内の森の中にもいろいろな仕掛けがあり、訪れた人を楽しませています。斑入りギボウシやナンテンの赤い実が彩りを添え、その奥には斑入りのネグンドカエデなどが植えられています。 気まぐれなイギリスの天気に、日々さまざまな表情を見せるブレナム宮殿。その姿は、今なお訪れる人を魅了してやみません。 併せて読みたい ・イタリア式庭園の特徴が凝縮された「ヴィラ・カルロッタ」【世界のガーデンを探る旅5】 ・イギリス「ハンプトン・コート宮殿」の庭【世界のガーデンを探る旅11】 ・英国「シシングハースト・カースル・ガーデン」色彩豊かなローズガーデン&サウスコテージガーデン
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イギリス
イングランド式庭園の初期の最高傑作「ローシャム・パーク」【世界のガーデンを探る旅17】
地上の楽園とは、美しい自然の中にある 16~17世紀のイタリア・ルネッサンスやフランス式庭園のような、直線的で幾何学的な整形式庭園が、かつてはイギリスでも主流でしたが、緩やかな丘陵の自然風景に親しんできたイギリス人にとって、それはどこか、しっくりこなかったのではないでしょうか。 そこで、より自然な風景を創り出すことで、フォーマルなエデンの園から、インフォーマルなユートピア(理想郷)へと庭の形が変わっていきます。18世紀になると、ジョン・ミルトン作の叙情詩『パラダイス・ロスト(失楽園)』に記された、“地上の楽園とは、美しい自然の中にある”という考え方がイギリスに広がっていきました。 ウィリアム・ケントがつくり出した“ピクチャレスク”な庭園 また、“芸術は自然の模倣であり、庭園は自然に従う”という考えからも、イギリスらしい風景式庭園がつくられるようになっていきました。その代表作の一つとして今回取り上げるのが「ローシャム・パーク(Rousham Park House & Garden)」です。 この庭は、イギリスの造園家であり画家である、かの有名なウィリアム・ケント(William Kent、1685〜1748)によって、1738年からつくられ始めました。ケントは、庭園とはピクチャレスク(絵画的)であるべきだという考えから、イギリス人が理想とする美しい自然な風景を大地につくり出そうとしました。そしてこの地に彼の理想とする庭園が完成しました。幸運なことに現在の「ローシャム・パーク」では、ケントがつくった当時のままに近い形が残っています。 屋敷の前にはよく手入れされた芝生が広がり、今もイギリスで人気のスポーツ、ローンボウルズ(現代のテンピンボウリングの元となった)の競技場にもなっています。 ずっしりとした重厚なジャコビアン様式の屋敷は、1635年に建てられましたが、1738年にケントが改築し、建物の内部や絵画にまで手を加え、さらにその周りには、ピクチャレスク(絵のよう)な風景式庭園がつくられました。 ローシャム・パークは、平らな敷地があまりなく、不規則に蛇行しながら、ゆったりと流れるチャーウェル川を見下ろす丘の上にあります。今も当初の姿をほぼそのまま残すこの庭は、イングランド式庭園の初期の最高傑作といわれています。 イタリアルネッサンスへの憧れとイングリッシュ・ランドスケープが見事に融合した、ウピクチャレスクな空間。 植物がのびのびと生育し、花が彩る自然風な庭 重厚な庭門をくぐると、そこには草花がのびのびと生育する宿根草ボーダーが目の前に無限の繋がりのように城壁に沿って現れます(ウォールドガーデン)。 このデザインは、初期のボーダー花壇のスタイルをよく残しています。右側の白い花は、日本では見たことがない背が高くなるスカビオサ。ピンクの花はシュラブローズ、黄花は、リシマキアとバーバスカム。足元には少し、赤いジギタリスが頑張って咲いていました。左の白花はムスクマロウ(日本の土壌ではうまく育ちません)、足元にはアルケミラ・モリス。そして、手前にはヘメロカリスのつぼみが見えます。 ウォールドガーデン横のエリアは、「ピジョン・ハウスガーデン」。ノットガーデン風なローズガーデン で、バラの花の赤と白との単純な組み合わせが、ノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。 別の年に訪れた時のノットガーデンの花壇では、バラの背丈より高く咲くジギタリスが一面に。濃い色を避け、優しい色合いでまとめているのも、ウィリアム・ケントの作庭当時からの伝承なのでしょうか。ガーデンの中心を引き締めているのはサンダイアル(日時計)。 フォーマルな印象のノットガーデンには、自然風なアルケミラ・モリスとシレネが咲き、ベンチを包み込むように咲き乱れるイングリッシュラベンダーが……。6月上旬のこの季節、イギリスの村々には、むせかえるようなラベンダーの香りが満ち溢れます。僕の一番好きな季節です。 ピジョン・ハウス(鳩小屋)の壁面に放射状に這わせている植物は、なんと日本でもよく見かけるきれいな赤い実をつける西洋ザイフリボクです。足元には赤いケシが植えられていました。左奥の花は、ユッカの白花。 キッチンガーデンへの入り口のウォールドガーデンでは、左側の壁面にはシリンガ(ライラック)、つるバラ、クレマチスなどを這わせてあります。皆さんが思い浮かべるパッチワーク状のボーダー花壇の花の植え方は、ウィリアム・ケントからさらに時を経て現れる三巨頭のひとり、ガートルード・ジーキル女史まで待たなくてはいけません。この庭は、あくまでケントが意図した自然風な要素で構成されているので、より素朴な雰囲気が随所に見て取れます。 キッチンガーデンは現在も使われています。左の白い花はサルビア、手前にはシレネ、奥には白いモナルダ。右側の畑にはアーティチョークのザラザラした感触のシルバーリーフが茂り、足元にはナスタチウムが植えられていました。 自然との調和を示す池のあるガーデン 随所に花とベンチと人工的な池があります。自然との調和を目指していたウィリアム・ケントの意向が強く感じられます。宿根草のボーダー花壇の奥へ行くと、頭上をつるバラが囲み、中央に丸い池が配され、噴水から水音も響きます。足元の白い花は、シシリンチウム・ストリアツム、淡いピンクのジギタリスが優しい色を添えています。 これまでご紹介した花のエリアとは反対側にある森を思わせるエリアには、細い水路「リル」と八角形の池があります。ウィリアム・ケントの溢れ出る庭づくりのアイデアを反映したこのデザインは、200年を経た今も斬新さを感じることでしょう。 起伏に富んだ地形を楽しむかのようにつくられた「ヴィーナスの谷」。見事なまでに自然と調和したピクチャレスクな空間づくりです。ハーハー(牧草地に設けられる段差)を思わす2段の石橋の中はカスケード(連なった滝)、上にはビーナスの像があります。優しい起伏の斜面と周りの森が、あたかも一幅の絵のようです。 屋敷にはコンサバトリー風な温室も備えられています。この頃になると、オランジェリーではなく、板ガラスの温室が作られるようになりました。入り口の右手には、優しい色のバラが咲き、左手には白いガクアジサイ。イギリスには珍しいトウジュロも植えられています。 ウィリアム・ケントが目指したピクチャレスクなイングリッシュランドスケープには、心安らぐ理想郷が表現され、今もここ、ローシャム・パークには当時の様子そのままに維持されています。こんなベンチに座って、自然と一体となる贅沢な時間。庭を散策してその景色を楽しむだけでなく、自然と一体になる時間を提供するという新しい過ごし方を創造したのではないでしょうか。 併せて読みたい ・一年中センスがよい小さな庭をつくろう! 英国で見つけた7つの庭のアイデア ・イングリッシュガーデン以前の17世紀の庭デザイン【世界のガーデンを探る旅15】 ・スペイン「アルハンブラ宮殿」【世界のガーデンを探る旅1】
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】男爵夫人のデザインした庭 ヘルミンガム・ホール・ガーデンズ
赤レンガの屋敷を背景に広がる庭 名園として人気の高いヘルミンガム・ホールの庭。駐車場からガーデンに向かうと、濠に囲まれた赤レンガづくりの屋敷が見えてきます。 トルマッシュ家は大変古い家柄で、1066年のノルマン征服以前からサフォーク州に住んでいたといわれます。ジョン・トルマッシュがハーフティンバー様式の屋敷を建て始めたのは1480年。それから何度も改修が重ねられ、1760年頃に現在のような赤レンガとタイルを使ったつくりになりました。 幅18mの濠にかかる跳ね橋は、1510年以来、毎晩引き上げられて、朝になると下げられるとか。屋敷は夜間は濠に守られた「島」となるそうです。中世の習慣が脈々と続いているとは、驚きますね。 濠の脇を通る芝生の道には、セイヨウイチイの丸いトピアリーが並びます。モコモコと、森の妖精のようなユーモラスなトピアリーです。 きれいに刈り込まれたトピアリーに、メドウのような下草を合わせているのがおしゃれ。ナチュラルな雰囲気を醸し出しています。先を行く老夫婦の姿が、素敵でした。 さて、屋敷の西側に広がるメインのウォールド・ガーデンへと向かいます。 パーテアとハイブリッド・ムスク・ガーデン 屋敷の西側は、レンガ塀にぐるりと囲まれた、大きな長方形のウォールド・ガーデンになっていて、その中は、パーテア部分とキッチン・ガーデン部分に分かれています。 私たちをまず出迎えるのは、ツゲの低い生け垣が幾何学模様を描くパーテア。間には、サントリナが植わります。ツゲの生け垣自体は古くから残るものですが、現在の男爵夫人によって1978年に再設計され、今のような形になりました。 屋敷に伝わる資料によれば、15世紀末に屋敷ができる以前から、ここには家畜を守る場として、柵に囲まれた庭があったそう。ウォールド・ガーデンのレンガ塀は1745年にできたといわれ、長い歴史が感じられます。つるバラの絡んだアーバー(あずまや)がいい雰囲気。 レンガ塀に沿った花壇には、ラベンダー‘ヒドコート’に縁どられて、ハイブリッド・ムスク種のバラが植わっています。この花壇はハイブリッド・ムスク・ガーデンと呼ばれ、1965年につくられました。男爵夫人は、このような古い部分を守りつつも、より美しい庭となるよう、長い年月をかけて新しい要素を加えてきたといいます。 ユニークなトピアリーがいっぱい さて、パーテアとキッチンガーデンを分けるアイアン製のガーデンゲートをくぐり、キッチンガーデンの区画に入ります。まずは右へ進むと……カタツムリ発見! 面白いトピアリーが並ぶ、トピアリー・ボーダーです。 イヌツゲやセイヨウイチイのトピアリーを、ガーデナーが熱心に刈り込んでいます。トピアリーの間には、ラベンダーやデルフィニウム、アイリスなどが植わります。 ミツバチのトピアリーも! 羽根の立体感が見事です。かなり複雑に刈り込まれていますね。 花にあふれたウォールド・キッチンガーデン ガーデンゲートからの景色。ウォールド・キッチンガーデンの中心を芝生の小径が貫いていて、その両側に宿根草花壇がずっと伸びています。 小径を少し進んで、振り返ると、こちらには、ガーデンゲートと屋敷が背景となる、美しい庭景色がありました。宿根草花壇では、‘アルベルティーヌ’や‘ニュー・ドーン’、‘フェリシテ・エ・ペルペチュ’などのバラが、ワイヤーに誘引されて目の高さに咲いています。 そして、足元には、ポピーやアリウム、ゲラニウムなど、さまざまな宿根草や球根花が、優しい色合いで混ざり咲いています。 私たちが訪れた6月の花壇は、ピンク系のオールドローズに合わせて、ピンクやブルー、紫やクリーム色などの、柔らかな色合いでまとめられていました。ですが、盛夏に向かうにつれて、真っ赤や黄色、銅色など、インパクトのあるカラースキームに変わっていくとのこと。 中央の小径から脇に伸びる、スイートピーの長いトンネル。いろんな色のスイートピーが咲いていて、楽しさ満点です。他に、サヤインゲンとヒョウタンのトンネルもあります。ウォールド・キッチン・ガーデンは、芝生の小径とトンネルによって、8つのブロックに区切られています。 トンネルの先の壁際には、きっちりと刈り込まれたツゲの生け垣に囲まれて、優美なベンチが置かれていました。整形式庭園の要素とキッチンガーデンのナチュラルな要素が、うまく混ざり合っているのがこの庭の面白いところです。 この辺りは、野菜や果物を育てている区画です。たくさんの実をつけたスグリの木を発見。 こちらは、サラダによさそうな葉物。しっかりと葉を茂らせています。 園内には、来園者にも花の名前が分かるように、こんな看板が掲げてあります。気になった植物はこの看板でチェック。 そしてこちらは、花壇にどんな植物が植わっているかが分かる、デザイン図。各所に掲げられていました。 さて、キッチンガーデンを抜けて塀の外に出ると、小さな橋がありました。じつは、屋敷と同じように、ウォールド・ガーデン全体も濠でぐるりと囲まれています。この橋は、その濠にかかっているのです。 橋を渡った先には、男爵家の人々が楽しむのであろうテニスコートがあって、その周りは、グラスが軽やかに揺れるワイルドフラワー・メドウになっています。風を感じる、優しい花景色です。ここからは見えませんが、ヘルミンガムの庭園の外にはアカシカの棲む広大な草地が広がっていて、メドウとともに、野生生物の生態系を守るのに一役買っています。 華やかさ満点のスプリング・ボーダー 今度は、屋敷に戻る方向へ。ウォールド・ガーデンの外側を、南側のレンガ塀に沿って歩いてみます。すると、塀にはたくさんのつるバラが絡まり、その株元にはピオニーの見事なコレクションが! スプリング・ボーダーと呼ばれるこの花壇では、じつに豪華なバラとピオニーの競演が見られました。 ピンク、白、赤と、華やかなピオニー! 花心が盛り上がった大輪など、珍しい形もあります。重い花首が垂れないように、しっかり支柱がしてありました。5月から6月にかけてのピオニーの見頃に来られたのは、とてもラッキーでした。 クラシカルなノットガーデン 次は、屋敷の反対に回って、東側の庭に行きます。屋敷の正面、濠の脇道から階段を数段降りたところに、1982年につくられたという、ツゲのノットガーデンがあります。 手前の4つの正方形では、三角形の模様を埋めるように、ミントやタイムなどのハーブが低く茂っています。奥の4つの正方形には、トルマッシュ家にまつわる模様やイニシャルがデザインされています。 緑のツゲと赤レンガの屋敷が、美しいコントラストを見せています。歴史ある屋敷にふさわしい、クラシカルな雰囲気のノットガーデンは、屋敷の窓からも眺められるそうです。 甘い香りに満ちたローズガーデン ノットガーデンの先、紫のキャットミントが群れ咲く奥には、女神像を中心に、サークル状にバラが植わるローズガーデンが待っていました。 花と春の女神、フローラの像に見守られる、エレガントな雰囲気のローズガーデン。外側の大きな花壇には、さまざまな古い品種の、香りのよいシュラブローズが植わり、円を構成する内側の花壇には、たくさんの花をつけるデビッド・オースチン社作出のイングリッシュローズが植わっています。 セイヨウイチイの高い生け垣に囲まれている場所なので、バラの香りがとどまっているように感じます。辺りが甘い香りに満たされていました。 屋敷を背にした花景色。ヘルミンガム・ホールの庭は、やはりこの屋敷がポイントですね。赤レンガの美しい建物は、ヘルミンガム・ホールの庭を最も特徴づける要素といってよいでしょう。 さて、ガーデン散策を楽しんだ後は、ステイブル・ショップという小さなショップでハーブコーディアルのジュースを買って、ちょっと休憩。ショップでは、地元産の食べ物やクラフト、ガーデン用品などを扱っています。また、キッチンガーデンで採れた野菜なども販売。オーガニックとして登録されてはいませんが、伝統的な栽培方法で、化学肥料はほとんど使っていないそうです。 時間の都合で、一番外側にあるウッドランド・ガーデンなどは回れませんでしたが、ぐるりと巡って1時間半、充実の庭散歩でした。とてもよく手入れの行き届いた、花の風景が満喫できるガーデンでした。 〈ヘルミンガム・ホール・ガーデンズ〉 庭園情報 ロンドンから車で北東に約3時間。電車では、ロンドン、リバプール・ストリート駅からイプスウィッチ駅(Ipswich)まで約1時間。イプスウィッチ駅からタクシーで30分(約10マイル)。タクシーを使う場合はかなり距離があるので、往復を頼めるかなど、ご確認を。 イプスウィッチ駅から路線バスを使う場合は、駅近くのバス停(Railway Station)から、町中のオールド・カトル・マーケット・バス・ステーション(Old Cattle Market Bus Station)までバスで約8分移動。フラムリンガム(Framlingham)行きに乗り換えて、シェルター(Shelter)、もしくは、ホール(Hall)で下車、所要時間は約25分。庭園までは、徒歩約6~8分。乗り換えが複雑で、また路線バスのルートが変わることもあるので、事前によくお調べになってお出かけください。 2018年の開園期間は、5月1日~9月16日。火、水、木、日、祝(バンクホリデー)の11:00~16:30。料金は大人£7。 2019年は、5月1日から再び開園します。屋敷は非公開。 *2018年12月現在の情報です。 併せて読みたい ・玄関を花でコーディネート! 海外のおしゃれな玄関先8選 ・一年中センスがよい小さな庭をつくろう! 英国で見つけた7つの庭のアイデア ・世界のガーデンを探る旅15 イングリッシュガーデン以前の17世紀の庭デザイン
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イングリッシュガーデン旅案内【英国】王侯気分でアフタヌーンティーを! ハートウェル・ハウス
ロンドンから小1時間の別世界 ロンドンの喧騒から離れ、小1時間。オックスフォードに近いハートウェル・ハウスは、都会からのアクセスがよい場所にありますが、ひとたび敷地内に入ると、緑豊かで静かな別世界が待っています。 ハートウェル・ハウスの始まりは1,000年ほど昔に遡り、その長い歴史の中で、さまざまな王侯貴族がここで暮らしてきました。19世紀の初めには、亡命生活を送っていたフランス王、ルイ18世が5年間滞在したといいます。 20世紀に入ると、屋敷は億万長者のアーネスト・クックの手に渡り、第二次世界大戦中は軍の宿舎として使われました。その後、火災に見舞われるなどしましたが、1980年代に、寂れてしまった大邸宅をホテルとしてよみがえらせ経営する「ヒストリック・ハウス・ホテルズ」によって大規模な修復が行われ、ハートウェル・ハウスは美しいホテルに生まれ変わりました。 2008年、ホテルとしてよみがえったハートウェル・ハウスは、この先の未来も、屋敷と庭の美しい姿が維持され、開発の手から守られるようにと、英国ナショナル・トラストに寄贈されました。現在、ホテル経営による利益はすべて、ナショナル・トラストに寄付されています。 屋敷の周りには、広大な緑のスペースが広がっています。18世紀の初めに設計された、テンプルやオベリスクなどのモニュメントを配置した整形式庭園は、18世紀半ばになると、ケイパビリティ・ブラウンの系統を継ぐリチャード・ウッズによって再設計され、ランドスケープガーデン(風景式庭園)となりました。 敷地内には、静かに水をたたえる湖もあります。果樹園とベジタブルガーデンでは、古い品種のリンゴやアンズといった果物や野菜が栽培され、ホテルのレストランで提供されています。 よみがえった壮麗な屋敷 さて、17世紀のジャコビアン時代と18世紀のジョージアン時代の様式が混じる屋敷に入ってみましょう。ファサードの精巧な彫刻に思わず見入ってしまいます。 入り口にナショナル・トラストのマークがありました。ハートウェル・ハウスはトラストの他の庭園と違って、観光庭園として公開されているわけではありませんが、ホテルのお客さんは自由に庭園を散策することができます。 ローズピンクの壁紙と緑の絨毯、白いしっくい飾りが印象的な階段です。欄干にいくつもの彫像が立っています。 彫像は17世紀のジャコビアン時代のものと、現代のものが混じっているそうですが、素人目には見分けがつきません。その姿は、なんだかユーモラス! よく見ると、欄干を支える「手すり子」もすべて彫像になっています。この中に、英国の首相だったウィンストン・チャーチルに似せた彫像があるとのことですが、どれがそうでしょうか……。 豪華なライブラリーでアフタヌーンティーを 私たちが通されたのは、ロココ調の装飾が施され、大きな窓のある素敵なライブラリーでした。 窓の外には、ランドスケープガーデンの緑が広がっています。 窓から外を覗いてみると、木々の間に大きなトピアリーを発見。チェスの駒のようです。 トピアリーの前には、クローケー(クロッケー)ができる芝生が広がっていました。『不思議の国のアリス』にも出てくる遊びですね。日本のゲートボールは、クローケーを参考に考えられたものなのだとか。 ライブラリーの外はテラス席になっていて、ここでもお茶を楽しむことができます。右側の出窓の部分がライブラリーです。 再び、室内へ。大理石のマントルピースや、曲線を描くしっくい飾りが優雅です。ロココ調の装飾とはこういうものなのか、と実感。 本棚には、円をつないだデザインの、金箔を被せた真ちゅう製の針金細工が施されています。1760年頃に作られたもので、英国内でも貴重な古い針金細工です。 そして、待望のアフタヌーンティー! 3段トレイの上から、チョコレートケーキ、焼き菓子、スコーン。見ているだけで幸せになります。 小花柄の愛らしい食器や銀器を使ったテーブルセッティングに、気分も浮き立ちます。 キュウリ、トマト、サーモンなどのサンドイッチと、焼き立てスコーン。かなりボリュームのある内容で、紅茶をポットにたっぷり(コーヒーを選ぶこともできます)。これはどんな味、次はどれをいただこうと目移りしながら、時折外の風景を眺めつつ、優雅な気分で本場のアフタヌーンティーを満喫することができました。 こちらは違う年に訪ねた時の写真。この時はマカロンがあって、スコーンの形もちょっと違います。訪ねる時によって、トレイの内容が変わるのですね。クリスマス時期には、スパイスが効いたスコーンなど、クリスマス仕様のアフタヌーンティーをいただけるそう。 英国式の豪華な田園暮らしを体験 ホテルには、かつてのオランジェリー(温室)が改装されたスパやジムが完備されていて、テニスや釣りを楽しむこともできます。滞在すれば、都会を離れてのんびりと、しかし、優雅に自然の中でリフレッシュするという、英国貴族のような田園暮らしを体験できます。写真は、朝食、昼食、本格ディナーがいただける、本館のレストラン。 こちらは、イギリス・バロック様式の傑作、天井飾りが見事なグレートホール。1740年頃の完成以来、床を除いて変わらない姿を保っています。アフタヌーンティーをいただくのに、こちらの部屋に通されることもあるそう。どちらの部屋でも、優雅な気分が味わえますね。 本館には48部屋あり、それぞれ美しい調度品で設えられています。18世紀に馬小屋として使われていた所は、より豪華なスイートルーム専用の建物となっています。クラシカルな天蓋付きベッドのある部屋もありますよ。 併せて読みたい ・英国「シシングハースト・カースル・ガーデン」色彩豊かなローズガーデン&サウスコテージガーデン ・イギリス流の見せ方いろいろ! みんな大好き、チューリップで春を楽しもう ・花好きさんの旅案内【英国】 ベス・チャトー・ガーデン(1)乾燥に強い庭を実現
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プラントハンターの時代の庭【世界のガーデンを探る旅16】
世界の植物を発見するまでの ヨーロッパの歴史を、まずはおさらい バビロンの空中庭園から始まった「世界のガーデンを探る旅」は、イタリアやフランスからドーバー海峡を渡り、中世以降のイギリスに移ってきました。イギリスの庭文化は、プラントハンターによって大きな変革期を迎えるのですが、その前に、少しヨーロッパの歴史をおさらいしておきましょう。 ヨーロッパでは十字軍の遠征(11〜13世紀)以降、中近東からの情報が多くもたらされました。そして歴史的な交易路であるシルクロードによって、アジアの物品や香辛料が運ばれ、植物にも人々の関心が高まりました。ただ、途中にトルコのようなイスラム国家があり、キリスト教徒の西ヨーロッパには西アジアに行く安全なルートがなく、地中海ルートもイスラム教の国に支配されていたため、新しく安全なルートが求められている時代でした。15世紀の後半になると、大西洋に面したスペインとポルトガルが積極的にアフリカ西海岸を南に下ったことで、さまざまな品物が母国にもたらされました。 大西洋に面したポルトガルやスペインは、多くの冒険家や宣教師を航海へ送り出しました。1498年にはバスコ・ダ・ガマがインド航路を発見、多くの物品や香辛料をポルトガルに持ち帰り莫大な利益を得ました。スペインが送り出したクリストファー・コロンブスは、1492年にアメリカ大陸を発見しました。また、1519年にスペインを出発したフェルディナンド・マゼランは、世界一周航路を切り開き、地球が丸いことを実証しました。 各地の植物が世界に渡る時代 17世紀の中頃には、地球上のほぼ全ての地域にヨーロッパ人が訪れ、大航海時代は終わりを告げると、植民地時代が始まります。第二次世界大戦までにはヨーロッパと日本を除く、ほぼ全ての地域がヨーロッパ列強の植民地、あるいは支配下になり、本国に莫大な利益をもたらしました。 新しく発見された地域には冒険家、宣教師とともに植物採集のためのプラントハンターが多く訪れ、いろいろな香辛料をはじめ、食料や薬草などを持ち帰りました。また、その中には珍しい花や木も含まれていました。 日本はその当時鎖国をしていましたので、自由に植物を持ち出すことはできませんでしたが、かの有名な通称シーボルト(ドイツ人医師で博物学者のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト)とその前任者で植物分類の基礎を作ったカール・フォン・リンネ(スウェーデン人の植物学者)の弟子のカール・ツンベルク(スウェーデン人の植物学者、博物学者、医学者)などによって、多くの植物がヨーロッパに紹介されました。その後鎖国は解かれ、園芸品種も含む日本のさまざまな植物がヨーロッパに送られると、その園芸文化の高さに触れた当時の人々は驚いたようです。 プラントハンターが持ち帰った膨大な植物 さてそんな中、世界中に送られたプラントハンターがイギリスに持ち帰った植物は膨大な量となり、整理し分類する必要に迫られていました。そして1804年、ロンドンの植物好きが集まって、園芸文化の普及や奨励を目的とする慈善団体「ロンドン園芸協会」が設立されました。その協会が1861年に王室の許可を得て現在の名称となった「王立園芸協会」であり、当時世界中からもたらされた植物を一カ所に集めた植物園が「キュー・ガーデン(Royal Botanic Gardens, Kew)」です。 王立園芸協会は、庭文化の普及も目的の一つとして、ウィズレー(The Royal Horticultural Society's garden at Wisley)に最初の作庭の見本となる庭をつくりました。手がけたのは、実業家で王立園芸協会の会員であったジョージ・ファーガソン・ウィルソン(George Ferguson Wilson)氏で、1878年に約25ヘクタールの敷地に庭がつくられ、その後、拡張されて現在は約100ヘクタールになっています。 現代も世界中から多くの来園者が訪れる ウィズレーの植物園 ウィズレーへの来園者は、1905年には年間約5,000人ほどでしたが、近年は年間100万人以上の人が訪れています。イギリスで最も人気のあるキューガーデンには及びませんが、見本庭園に限らず、蔵書や植物のコレクションでも有名な場所です。 よく手入れされたキャナルガーデンは、長方形の池を中心に左右対称にデザインされ、水中のスイレンまでも左右対称に整っています。 エントランスから庭へ降りて行く途中にある正方形の庭は、なんとサニーレタスで彩られていました。野菜を使って図形を浮かび上がらせるとは、微笑ましいアイデア。 1910年に造園家のJames Pulham and Sonによって、ロックガーデンが築かれました。斜面地を巧みに利用して水はけをよくし、高山植物や球根植物が多く植えられています。また矮性の樹木や球根類も多く、スコットランドのエジンバラ植物園のロックガーデンとともに、世界中のロックガーデンの手本になっています。 なだらかな丘になっているので、高台から庭全体が見渡せます。園内の植物には全てネームプレートがつけられ、まるで生きた植物図鑑の。来園者が熱心に興味のある植物をチェックしていました。 2006年に新たにつくられた温室へ続く初秋の宿根草ボーダーには、いろいろな草花がパッチワーク状に植えられていました。 造園家のトム・スチュワート=スミス氏が関与した新しい温室は、白いフレームと曲面が多用されたデザイン。 家庭菜園サイズに区切られたベジタブルガーデンは、そのまま自宅につくれそうな見本となっています。こんなところにも、ウィズレーガーデンの本来の趣旨である、「来園者にとって参考になる庭」の展示が見られます。 きれいに刈り込まれたツゲに囲まれた空間では、低く茂る鮮やかなペチュニアと立ち上がる白いダリアが左右対称に。とてもシンプルですが、広い空間で花を引き立てるこのテクニックは、日本の街中の花壇植栽の参考になりそうです。 和を思わせるフェンスを設けて視線を遮り、盆栽が並んでいます。なかなか考えられた演出です。近年、海外の盆栽レベルもかなり向上し、イギリスでも多くの盆栽愛好家グループが活発に活動しています。 幾何学模様にきれいに刈り込まれた芝生がとてもフォーマルな雰囲気。残念ながら花の時期ではありませんが、落ち葉ひとつなく、すべての株が剪定されて清々しい景色になっていました。 花が少なく、落葉した木々に囲まれた冬でも多くの人たちが訪れて、散策を楽しんでいました。 毎年発表される多種の新品種などを比較する栽培場もありました。イギリスの園芸文化の奥の深さを感じさせます。 イギリスの庭園文化を支える植物園 プラントハンターによって多くの植物がイギリスに持ち込まれ、もともと自生の植物が少なかったイギリスに園芸文化が深く根付いた理由の一つが、王立園芸協会の存在です。植物分類はキューガーデン、植物の庭での使い方はここウィズレーガーデンと、2つの庭はイギリスの園芸文化を底辺で支える両輪となっています。ロンドンから車でもさほど遠くないので、ぜひ訪れてほしいガーデニングの聖地です。 併せて読みたい ・花好きさんの旅案内【英国】ロイヤル・ボタニック・ガーデンズ・キュー ・イギリス発祥の庭デザイン「ノットガーデン」【世界のガーデンを探る旅14】 ・カメラマンが訪ねた感動の花の庭。イギリス以上にイギリスを感じる庭 山梨・神谷邸
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英国「シシングハースト・カースル・ガーデン」色彩豊かなローズガーデン&サウスコテージガーデン
120年前のこと、英国の慈善団体ナショナル・トラストは、開発で失われていく自然や、歴史ある建物や庭といった文化的遺産を守り、後世に残そうと、活動を始めました。多くのボランティアの力によって守り継がれる、その素晴らしい屋敷と庭を訪ねます 時とまどろみに埋もれた庭 シシングハーストの庭園は、詩人、作家として活躍した妻のヴィタ・サックヴィル=ウェストと、外交官で作家でもあった夫のハロルド・ニコルソンによって、1930年からつくられました。 庭園の設計は、夫ハロルドの担当。彼は、もともとあった古いレンガ塀を生かしつつ、セイヨウイチイの生け垣を間仕切りとして効果的に設計するなどして、個性の異なる庭がつながっていくようにデザインしました。そして、感性豊かな妻のヴィタは、夫のデザインした古典的でエレガントな枠組みの中に、色彩豊かでロマンチックな植栽を施しました。 1930年、ヴィタは300年間打ち捨てられていたシシングハースト・カースルに出合うと、一目で恋に落ちました。彼女の目には、廃墟と化していたエリザベス朝時代の建物が「眠りの森の城」のように映り、芸術家としてのイマジネーションをかきたてられたのです。「時とまどろみに埋もれた」場所。ヴィタはのちに『シシングハースト』と題した自らの詩の中でも、そう表現しています。彼女がつくり上げたのは、時の中に埋もれるような、秘密の花園でした。 色彩躍るローズガーデン 庭園のシンボルである塔(タワー)の下に広がる芝生から、脇にある小さなゲートをくぐると、その先にローズガーデンが広がっています。この庭が最も美しいのは、6月下旬から7月上旬。ヴィタが愛した数々のオールドローズが咲き誇る季節です。 ヴィタとハロルドが庭園をつくり始めた当初、バラは現在のホワイトガーデンに植えられていました。しかし、バラが増えて手狭になったために、1937年、キッチンガーデンとして使われていたこの区画に移され、新たにローズガーデンがつくられました。 ローズガーデンの構造の中心となるのは、長方形の庭のほぼ中央にある、「ロンデル」と呼ばれる円形の生け垣です。長い年月を経て厚い壁のようになったセイヨウイチイの生け垣は、小さな苗木から育てたとは想像もできないほど立派です。このロンデルからは四方に小径が出ていて、その一つは西の端にある、弧を描く石塀を背にした芝生のステージに行き当たります。ハロルドの設計した生け垣や芝生のステージには、どこか舞台装置のような趣があって、古典的なデザインながらも、ちょっとした驚きが隠されています。 ヴィタが庭づくりを始めた頃に心に描いていたのは、「バラやハニーサックル、イチジク、ブドウが揺れる」花景色でした。赤味がかった古いレンガ塀には、それらのつる性植物が絡まって、風に葉を揺らし、時とまどろみに埋もれる花園の雰囲気を生み出しています。 花壇では、こんもりと茂るように仕立てられた数々のバラの合間に、ピオニーやアリウム、アイリス、シュウメイギク、エレムルスといった宿根草や球根花が、ヴィタいわく「泡立つように」茂って、バラの美しさをさらに引き出しています。 20世紀のジャーナリスト、アン・スコット=ジェームズによると、ヴィタは「オールドローズの美しさや香りだけでなく、そのロマンに惹きつけられた」といいます。彼女は「長い歴史を持つバラ、例えば、17世紀にアラブ人によってペルシャからもたらされたであろう、暗い赤色をしたガリカ種のバラ」や、「‘カーディナル・ドゥ・リシュリュー’のような、過去の記憶を呼び起こすような名を持ったバラ」を好みました。ヴィタにとって、バラは美しいだけでなく、歴史を偲ばせ、詩作のイマジネーションを誘うものだったのかもしれません。 ヴィタは園芸の正式な教育を受けたわけではありませんでしたが、試行錯誤の中で自ら多くを学んだ、才能あるガーデナーでした。彼女が英国の新聞、オブザーバー紙に毎週書いていたガーデンコラムは人気で、亡くなる前年まで14年余りに渡って掲載されました。 ヴィタはむきだしの土が見えているのがとにかく嫌いで、その植栽スタイルは「どんな隙間にもどんどん詰め込む」というものでした。草花があふれるように茂って、きらめくような色彩と香りを放つ花景色を好んだヴィタは、完璧さを求めず、直感の告げるままに庭と向き合って、美しい植栽を生み出しました。 夕暮れ色のサウスコテージガーデン ピンクを基調としたロマンチックな雰囲気のローズガーデンとは対照的に、サウスコテージガーデンでは、黄色やオレンジの花々がハッとするようなまぶしさを放っています。 かつてこの庭は、単にコテージガーデンと呼ばれていましたが、ヴィクトリア朝時代に流行った、いわゆるコテージガーデン(田舎家の庭)のスタイルではありません。シシングハーストの他の庭と同様に、この庭にもヴィタとハロルドの洗練された美意識が感じられます。 庭の中央で目を引くのは、たっぷりとして丸みのある、やや不安定なフォルムをした、4本のセイヨウイチイのトピアリーです。そして、レンガや石を敷いたまっすぐな小径が、長方形の花壇を囲むように縦横に伸びています。 植栽のカラースキームは、黄、オレンジ、赤を中心としたもので、「サンセット」がテーマ。日本の夕暮れは茜色のイメージですが、ヴィタがイメージしたのはおそらく、温かみのある、黄金色に輝く光が降り注ぐような、イギリスの華やかな夕暮れだったのでしょう。 ヴィタの時代には、この庭の見頃は晩夏から初秋にかけてでしたが、現在は、春から夏をピークに、庭の楽しみが長く続くような植栽になっています。夏の花壇は本当にまばゆいばかりで、黄やオレンジの花色の魅力を再発見できます。 夏、色鮮やかに咲き誇るのは、インパクトのある花姿のトリトマやカンナ、それから、華やかなダリアです。バーバスカムが長い花穂を上に伸ばす一方で、クロコスミアはオレンジ色の花穂をゆらゆらと揺らします。 そしてそこに、スイートピーや赤いヒマワリ、ヒナゲシといった一年草が加わって、可愛らしさを添えています。 一方、春の庭は、夏と比べると、より温かみのあるトーンの花で満たされます。チューリップ、エリシムム、オダマキ、アークトチス(ハゴロモギク)が、穏やかに春の歓びを告げています。 ヴィタとハロルドは、地所内に点在する、エリザベス朝時代の4つの建物を住居として使っていました。庭園の入り口付近の建物には図書室と兼用の居間が、塔(タワー)にはヴィタの書斎がありました。ホワイトガーデン脇の家は子どもたちが暮らし、家族で食事をする場所で、このサウスコテージには、ハロルドの書斎と、2人の寝室や浴室がありました。それぞれの建物は、距離はあるものの庭によってつながれ、ヴィタとハロルドは生活の場が分散していても、気にすることはなかったといいます。 サウスコテージにあるハロルドの書斎やヴィタの寝室の窓辺からは、この明るい庭を見渡すことができます。ハロルドは、庭に置いてある石のくぼみで、夜の間に降った雨の量を調べるのを毎朝の日課にしていました。この庭は2人にとって、すぐそこにあった庭。最も身近で、日々の暮らしに深く結びついた庭でした。 併せて読みたい ・ガーデナー憧れの地「シシングハースト・カースル・ガーデン」誕生の物語 ・ナショナル・トラスト2018秋冬コレクション 英国有数の保養地 イングランド南西部を訪ねる ・英国の名園巡り、ビアトリクス・ポターの愛した暮らし「ヒル・トップ」
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ドイツ
オーガニックコスメ「ヴェレダ」社のハーブガーデン・レポート! ヴェレダの商品を使った至福のトリートメ…
ドイツにあるヴェレダ社の広大なハーブガーデン ナチュラル・オーガニックコスメブランドのヴェレダ。「人と自然との調和」をモットーに、植物一つひとつがそれぞれ持つ力を引き出し、人の美しさや健康へと生かす商品を販売しています。ヴェレダの数々の商品に使われている原材料の一部は、世界各地にある自社農園で栽培・収穫された植物も含まれています。中でも最大の農園が、ドイツのシュヴェービッシュ・グミュント北方の高原にあるハーブガーデン。20ヘクタールの敷地にさまざまな植物が育つ、広大な薬用植物苑です。前回は、植物や虫など、そこに住まう生物たちが調和を保つこの美しい庭についてお話ししました。今回は、ハーブガーデンのガイドツアーを終えてから受けた、至福の体験についてご紹介します。 ガーデンの隣に建つヴェレダの工場 さて、ヴェレダ社の広大なハーブガーデンは、もちろん、ただ目で見て美しいだけの庭ではありません。ヴェレダの製品に使われている植物原料は、可能な限り、認証を受けたオーガニック栽培かバイオダイナミック有機栽培で収穫されたもの、または管理された野生採集のものが使用されています。このハーブガーデンも、そんな薬用植物の収穫の場の一つです。ハーブガーデンでは、多くの薬効あるメディカルプランツやハーブが育ち、その中から180種の植物が実際に収穫されてヴェレダの医薬品や化粧品の原料として利用されています。 収穫された薬用植物が、製品となるまでの工程の一部が行われているのが、ガーデン入り口のすぐ近くに立つ、鮮やかな赤色の工場の中。収穫されたさまざまな植物から、薬効成分を抽出するなどして、製品に使用できる形にしています。ちなみに、ヴェレダのボディオイルやバス用品は、すべてここ、シュヴェービッシュ・グミュントにて製造されているそうですよ。 見学では、工場内に足を踏み入れることはできませんが、収穫から製品に使用されるまでの工程の解説を見たり、サンプルを見学したりできます。植物の持つ力が引き出され、スキンケアやボディケアなどさまざまな製品に役立っている過程は興味深く、面白いものです。 至福のトリートメント体験 この日は広大なハーブガーデンを巡り、今まで知らなかった新しい知識の数々を得ることができました。ガーデンを巡る間はずっとワクワクしていましたし、とても充実した一日を過ごせたのも確かですが、ここを訪れるまでの長時間のドライブの疲れもあり、一通り見て回った後にはちょっとグッタリ。ちょうどそんなタイミングで、疲れが吹き飛ぶようなオーガニックなヴェレダ製品を使った至福のトリートメントを体験することができました。 場所はヴェレダのショップの2階。開放的なショップがある1階から2階に上がると、25人ほどが入れる大きな部屋がありました。ラッキーなことに、私たちが体験した時には貸し切りの状態。部屋に足を踏み入れると、ほのかにハーブのよい香りが鼻をかすめ、それだけでも疲れが軽くなるのを感じます。窓が大きくて光がたっぷり入る、暖かそうな部屋の中心には数組の椅子があり、壁沿いには、パイル地のタオルとバケツとともに、ヴェレダ製品が並んでいました。 これから何が始まるのか、ドキドキしながら椅子に座ると、感じのいい素敵な女性スタッフが、数種類のハーブオイルを見せてくれて、どんな香りが好みなのかを質問してきました。ヴェレダの製品には、それぞれシンボルとなる、効能や個性豊かなキープラントがあります。その中から、今回、私が選んだのはラベンダー。好みの香りを選ぶと、靴と靴下を脱ぐように促され、容器にお湯を張って、ヴェレダの「ラベンダー バスミルク」を入れた足湯に浸かることになりました。 足湯の温度は38~39℃ほど。もちろん、個人の習慣によっても異なりますが、10~20分くらい、あまり熱すぎないお湯を使うとよいとされています。爽やかな香りが漂う足湯は極楽気分で、しばらくすると疲れ切った足もすっかりリフレッシュ。 この足湯と同時に、首周りに蒸しタオルを巻いてもらうのもとても気持ちがよく、ドライブや取材で疲れていた体や首がほぐれ、頭痛が引いていくのを感じました。タオルからは、心身の調和を整えるというバラの香りが。座っていた椅子から一面に大きく開いた窓を見やると、緑の木々越しに輝く太陽と青い空が見え、鳥たちの歌声も聞こえます。ゆったりとリラックスできる、まるで天国のような素晴らしい時間でした。 足湯を終えると、最後にリラックスオイルを使ったハンドマッサージまで受けることができました。ヴェレダの製品体験の時間は、合わせて30~40分ほど。トリートメントを終え、すっかりリフレッシュした気持ちで帰途につきました。 ヴェレダのキープラント ヴェレダの製品にはどれも、シンボルとなる固有の薬用植物があり、それらはキープラントと呼ばれています。キープラントは、それぞれ私たちの健康や美容に生かすことのできるパワーを持っています。 例えば、今回の体験で私が選んだラベンダー。濃厚で爽やかな香りは、リラックスや鎮静効果があるとして、古代より親しまれてきた有名なハーブです。ラベンダーの花から採れる精油には、中枢神経系を鎮める働きや身体をリラックスさせてくれる効果があり、神経興奮や不眠症、けいれん、心血管疾患や消化不良にもいいとされています。ラベンダーは、疲れた心身のケアにぴったり。不眠気味の人は、お風呂にバスミルクを入れたり、眠る前にボディオイルでマッサージしたりすると効果が期待できます。 ローズマリーも一般的なハーブの一つ。すっきりとした強い香りは、リフレッシュや疲労解消に効果があるとされています。その精油は消化促進や循環機能、神経細胞の活性化などの効能を持ち、冷えの改善や、リューマチや偏頭痛の緩和に効果的だそう。また、殺菌作用にも優れていて、入浴剤にすれば、治りにくい傷に治癒効果があります。ハーブティーなどで口にしても、オイルを肌に塗ってスキンケアとしてもいい高性能なハーブです。 もう一つ、入浴時のバスミルクとして、ぜひオススメしたいのが、モミ(サパン)。一般的にクリスマスツリーとして使われる、モミの木から抽出した精油を用いています。常緑樹のモミの木は、冬でも葉が落ちることなくみずみずしい姿を保つことから、永遠の生命の象徴として、ローマ時代に欧州各地で行われていた冬至祭で崇拝されていました。また、ヴェレダの思想として重要な、アントロポゾフィー(人智学)的な視点からは、寒い北の国で内部に熱や力を蓄え、外界の刺激から身を守り、均衡を保ちながら育つ植物とされています。ちなみに、ヴェレダのモミの精油は、極寒の地シベリアに育つモミから採れたもの。そのバスミルクは、まるで森林浴をしているかのような心地よい香りで、しっかり体を温めてくれます。 ヴェレダのガーデンガイドツアーとトリートメント体験 今回私が訪れた、ドイツのシュヴェービッシュ・グミュント北方の高原にあるハーブガーデンでは、申し込みをすれば、誰でもガーデンガイドツアーやトリートメント体験に参加できます。体験できる主なトリートメントは、バスミルクを使った足湯や蒸しタオルなどのリラクゼーション、ボディオイルを使ったマッサージなど。手や脚、首のように、体の一部短い時間のみのマッサージでも、びっくりするほどリラックスできますよ。ボディオイルは季節により異なり、好きな香りを選ぶことができます。夏には、蒸しタオルの代わりに、レモンの香りがする冷たいタオルでリフレッシュするのもオススメ。ドイツを訪れた際には、ぜひ一度体験してみてくださいね。 日本ヴェレダHP https://www.weleda.jp/ 併せて読みたい ・オーガニックコスメのパイオニア「ヴェレダ」社のハーブガーデン・レポート! ・ドイツの秋冬の食卓に欠かせないバラエティー豊かなリンゴの実 ・お風呂でできる「ガーデンセラピー」、しませんか? Credit ストーリー&写真/Elfriede Fuji-Zellner ガーデナー。南ドイツ、バイエルン出身。幼い頃から豊かな自然や動物に囲まれて育つ。プロのガーデナーを志してドイツで“Technician in Horticulture(園芸技術者)”の学位を取得。ベルギー、スイス、アメリカ、日本など、各国で経験を積む。日本原産の植物や日本庭園の魅力に惹かれて20年以上前に日本に移り住み、現在は神奈川県にて暮らしている。ガーデニングや植物、自然を通じたコミュニケーションが大好きで、子ども向けにガーデニングワークショップやスクールガーデンサークルなどで活動中。 協力/WELEDA 取材/3and garden
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イギリス
イングリッシュガーデン以前の17世紀の庭デザイン【世界のガーデンを探る旅15】
イタリアやフランスへの憧れから イギリス独自の庭文化へ発展 ヨーロッパの中では、文化的にも経済的にも後発国であったイギリスは、イタリアルネッサンスやフランスの宮廷文化に憧れて、国内に多くのイタリア式庭園やフランス式庭園をつくっていきました。しかし、イギリスは緩やかな起伏の丘が続くつづく地形で、イタリアほど起伏も急流もなく、また、フランスのような広くて平らな土地にも恵まれていませんでした。そのためイギリスにおいては、両方の庭園様式が深く根付く事はありませんでした。 またその頃、“知識は力なり”の格言で有名な哲学者フランシス・ベーコンや文学“失楽園”の著者、ジョン・ミルトンなどが、自然なものへの憧憬、大陸文化からの脱却を提唱し始めます。 庭園も、今までの整形的なユートピアから、自然復帰こそが神が示してくれたものであるという英国的価値観へと移行していきます。 17世紀につくられた「ハンベリー・ホール」と庭 今回ご紹介する庭は、イギリス中西部、ウスターシャーにある「ハンベリー・ホール(Hanbury Hall)」です。この屋敷は、大地主のトーマス・ヴェルノンが1701年からつくり始めました。庭園のデザインは、その当時、イギリスで流行していたフランス式庭園で、設計はハンプトン・コートも設計した造園家、ジョージ・ロンドンとヘンリー・ワイズが担当。しかし、ここには広々としたフランス式庭園がつくれるような平地はなかったため、この土地に合った小規模な整形式庭園がつくられたのです。 まずは、屋敷前の車寄せから見ていきましょう。広々とした車寄せの向こうには、樹齢300年といわれる針葉樹、アトランティックシダーが高木となり、両側には落ち着いた雰囲気の、よく手入れがされたボーダー花壇が訪れた人を歓迎してくれます。 オレンジ色の石造りの建物や柱と対比する、きれいに刈り込まれた芝のエリアには、オレンジのヘメロカリスやライムグリーンの花が咲くアルケミラモリス、ピオニー、シュウメイギク、そして塀の向こう側にはスモークツリー(ケムリの木)など、現代の私たちがイングリッシュガーデンでよく名を聞く植物たちがボーダー花壇に使われています。手前には、経年変化で味が出た鉢から鋭い葉を広げているアガベが引き締め効果に。 2人の造園家が担当した整形式庭園 建物の向こう側には、ツゲで区切られたいくつかの庭が並んでいます。順番に、そのデザインを見ていきましょう。まずは、スタンダード仕立てのナシの木と鉢植えのリンゴを配した、オランダ風のフォーマルガーデンです。その向こうのエリアでは、ほかでは見たことのないような素敵な花壇が出迎えてくれます。 丸く刈り込まれたナシの木が並ぶエリアを、低いツゲで縁取られた四角い花壇が囲むなど、木々の組み合わせで、平坦な敷地に立体感のある景色をつくっています。 屋敷から見渡せる場所には、一段下がった土地にフォーマルな沈床花壇がつくられています。きれいに刈り込まれた緑のツゲの縁取りに、独特な花の組み合わせで明るい雰囲気を出しています。薄黄色の低い刈り込みはヒメツルマサキ、真ん中のボールは斑入りのヒイラギです。 四角や円錐、丸いトピアリーを複数組み合わせてたフォーマルな、整って見える庭デザインですが、花の数が少なく、手がかからない工夫を感じました。また、色合いがイギリスにしては、はっきりとした原色系の花が使われています。現代のコテージガーデン風な色合いに慣れてしまっている私たちには、新鮮な驚きをもってこのコンパクトな庭を楽しむことができます。植えられている植物も、驚くほど少量で小さなコニファーのトピアリーと緑や黄色のヘッジ、それらが土の色と相まってつくり出している不思議な雰囲気の庭です。このような植え方は他では見たことがありません。これはつくられた当時からのアイデアか、または、今のオーナーのアイデアかは分かりませんが、皆さまも一度ここを訪れて不思議な感覚を味わってみてはいかがでしょうか? 庭を見学していたら、ガーデナーが直線的なツゲのヘッジの刈り込みをしていました。水糸を引いて神経質に思えるほど緻密な作業でしたが、その向こう側では、別のガーデナーとオーナーらしき夫婦が何やら話し合い。秋の植栽計画でも相談しているのでしょうか? 富の象徴の一つ、オランジェリー 「ハンベリー・ホール」の敷地内には、オランジェリーも当時のまま残っていました。かなり緯度の高いイギリスでは、冬に吹く冷たい北風から寒さに弱い植物を守るために、大きなオランジェリーがつくられました。その頃、イタリアルネッサンスへの強い憧れを抱いていたイギリスの富裕層にとって、イタリアへ旅行することは一種のステータスでした。そして、寒さに弱いオレンジの木などを自宅に備えたオランジェリーで栽培することも、自慢の種になっていたようです。 植物が外へ持ち出されている夏の間のオランジェリーの中は、ガランとした空間。春から秋までは、コンサバトリーのようにも使われることもあります。現在のような温室が登場するのは19世紀に入ってからですので、それ以前の時代は、寒さに弱い植物の冬越しはオランジェリーの中で行っていました。 イギリスの地形に合わせた庭デザインを模索する時代へ 庭から広がる穏やかな起伏に富んだイングランドの丘陵地、最もイギリスらしい風景です。大きな木はアトランティックシダ―。複雑な樹形は、この土地の歴史を物語っているようです。 大陸文化の模倣から始まったイギリスの庭の歴史は、イタリア式庭園、フランス式庭園、オランダ式庭園などの要素を吸収し、咀嚼しながら、ソフトなイギリスのランドスケープにフィットするような独自の様式を少しずつつくり出していきます。16世紀後半から7つの海を支配したイギリスに世界中の富が集まり、世界の文化と経済の中心としてのイギリスの時代と相まって、世界中に送られたプラントハンターが持ち帰った植物を使った華やかなイングリッシュガーデンの時代が始まろうとしています。 併せて読みたい ・イギリス発祥の庭デザイン「ノットガーデン」【世界のガーデンを探る旅14】 ・【初めてのガーデニング講座】小さな花壇で育てる一年の花サイクル ・松本路子の庭をめぐる物語 フランス・パリの隠れ家「パレ・ロワイヤル」
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イギリス
イングリッシュガーデン旅案内【英国】ベス・チャトー・ガーデン(2)癒しの水の庭と森の庭
乾燥の地につくられたウォーター・ガーデン 『花好きさんの旅案内【英国】 ベス・チャトー・ガーデン(1)乾燥に強い庭を実現』では、乾燥に耐えられる植物を集めたグラベル・ガーデン(砂利の庭)をご紹介しましたが、そのグラベル・ガーデン脇の庭園入り口を抜けていくと、今度は、たっぷりと水をたたえ、青々と茂る水辺の植物に縁どられた池が現れます。 予期せぬダイナミックな水辺の景色に、思わず見とれてしまいます。じつは、この池は、泉から水を引いた水路をせき止めてつくった、人工の池です。エセックス州のこの辺りは、年間降雨量が少ないことで知られますが、ベスは、乾燥したこの地では育てるのが難しい、プリムラやホスタといった湿り気を好む植物を育ててみたいと思い、池をつくって、湿度を保った環境を整えることに挑んだのでした。 ウォーター・ガーデンには、ベスが厳選した、水辺を好む植物や、湿り気を好む植物が植えられています。彼女の庭づくりの合言葉は‘Right Plant, Right Place’(ふさわしい植物を、ふさわしい場所に)というものですが、グンネラやススキの仲間など、適切な環境に植えられた植物はよく茂って、夏には涼やかな空間をつくります。暑い夏場、水辺の気温は、庭園内の他の場所に比べて数度低くなるそうです。乾燥した土地にあって、この水の庭の豊かな景色は驚くべきものです。 ウォーター・ガーデンから緑の芝生を少し上っていくと、そこはもう、スクリー・ガーデン(がれ場の庭)です。ベス・チャトー・ガーデン(1)編でご紹介しましたが、こちらは水の庭とは対照的に、乾燥に強い植物を集めた庭。ベスが、正反対の性質を持つ植物をひとところで観賞できるガーデンをつくりだしたというのはすごいことだなぁと、歩きながら感心しました。 ふかふか芝生の小径 ウォーター・ガーデンの先には、ふかふかの芝生が続く、ロング・シェイディ・ウォーク(長い日陰の小径)があります。大きなオークの木々が葉を広げる下に、シダやホスタ、ティアレラ・コルディフォリア、ヴィオラ・リヴィニアナ‘プルプレア’など、日陰を好む植物が植えられています。 弾力のある芝生の小径は幅が広くゆったりしていて、庭を独り占めしているような感覚で散策を満喫できます。もし時間が許すなら、来た道を戻りながら違う角度から眺めるのもよいでしょう。新鮮な発見ができそうと感じました。 多彩な緑を楽しむウッドランド・ガーデン ウッドランド・ガーデンは、森の中の散策を楽しむ庭です。大きなオークの木々が葉を広げてつくる天蓋の下には、森の下草としてふさわしい、日陰を好む球根花や宿根草、灌木、シダなど、ベスが厳選した植物が植えられています。 森の中は、静けさに満ちた、安らぎのある空間です。他の庭に比べると、当然ながら花より葉の緑が多く、色彩はおとなしめですが、緑を背景に花々の清楚な姿が浮かび上がって、心引かれます。 足元に茂る植物に目をやると、さまざまな葉が美しいコンビネーションを見せています。緑色の濃淡の対比や、葉の形や模様の豊かさは、見ごたえ十分。フラワーアレンジメントに精通した、フローリストの目を持つベスならではの、繊細な植栽です。ここに派手な植物はありませんが、彼女らしい植栽の魔法が発揮されているように思いました。 受け継がれるチャレンジ精神 こちらは、オープンな日向のエリアが広がる、新しいリザーバー・ガーデン。デザインが一新されて、2017年に公開されました。ここには、あまり環境を選ばない植物が植えられていて、その一角は、ニュー・プランティングと呼ばれる、新しい品種の植物を試験的に育てる場所となっています。 2014年から2年近くかけて、ベスのチームはこの辺りの粘土質の土を改良しました。使われたのは、無農薬(オーガニック)のスペント(使用済み)・マッシュルーム・コンポストです。 英国では、商業的なマッシュルーム栽培で菌床として使われた、麦わらや馬ふんなどからなる堆肥(マッシュルーム・コンポスト)を、ガーデニングに再利用する動きがあります。ベス・チャトー・ガーデンによれば、使用済みのマッシュルーム・コンポストは、窒素の量は少ないものの、他の栄養素が多く含まれ、粘土質の土壌の改良や、栄養不足の土に使う腐葉土に加えるのに最適だそう(ここでは、蒸気殺菌された使用済みマッシュルーム・コンポストが使われています。コンポストはアルカリ性なので、酸性を好むツツジ科の植物には与えないことや、土のpHが偏りすぎないように使用に注意が必要です)。 コンポストを土に十分にすき込むためには、一度に薄くしか撒けません。ベスのチームは何度も何度も根気強く、大量のコンポストをすき込み、改良を続けました。 ニュー・プランティングのエリアでは、ベス・チャトー・ガーデンにとっても挑戦となる、新しい品種の植物を育てています。 1950年代後半からフラワーアレンジメントの活動に携わったベスは、海外から取り寄せた植物の種子を発芽させて、当時はまだ珍しかった、ナチュラルなテイストの植物を育て、紹介し続けていました。1977年から1987年にかけては、英国王立園芸協会のチェルシーフラワーショーで「珍しい植物」の展示を行い、連続で合計10個のゴールドメダルを受賞しています。 たしかに、ここで日本ではまだ耳にしたことのない、最新の植物に出合うことができました。みんなが喜ぶ新しい植物を紹介し続けた、ベスの精神が受け継がれているように感じました。 庭と連動したナーセリー ウォーター・ガーデンの脇と、ウッドランド・ガーデンの脇には、広いストックベッドがあります。ここは、ナーセリーで販売するための苗を育てる場所。毎年6万株を育てているそうで、庭に生えている植物と同レベルの、しっかりとした健やかな苗が育っています。 ナーセリーで売っている品種の数は、2,000を超えます。苗の多くは、この庭に生える植物から増やしたものなので、庭はいってみれば「商品カタログ」の役割を果たしています。例えば、樹木の下の日陰で育てるのによい植物は何かなど、実際の庭を見ながら目的にふさわしい植物を探し出して、その苗を持ち帰ることができるというわけです。 ナーセリーは、乾燥に強い植物、水を好む植物、日陰を好む植物など、植物の性質ごとに売り場の区画が分かれていて、どんな庭に植えるべき植物なのか、一目でわかります。庭園に植わっている植物には一つずつ名札がついているので、その品種名を頼りに苗を探すこともできますし、また、気になった植物の写真を撮ってナーセリーにいる園芸スタッフに見せれば、名前を教えてくれます。地元の人達にとっては、心強い味方に違いありません。とても活用されているガーデンなのだなぁと感じました。 庭園にはショップと小さなカフェレストランが併設され、窓の外に広がる庭を眺めながら、昼食を楽しむことができます。テーブルには庭の花が生けられていて、ほっこりした気持ちになります。 庭の植物が無農薬で育てられていると聞いたからか、庭の空気もなおさら気持ちよく感じられました。ベスは無農薬栽培を熱心に提唱した人でしたが、これだけの規模のガーデンを無農薬で管理するのは本当に志が高くないと継続できません。きっと彼女は芯が強くて、カリスマ性のある人物だったのだろうと、その庭に触れて実感しました。 併せて読みたい ・英国のオープンガーデン 秋まで美しい、オーナメンタル・グラスがおしゃれな庭 ・庭をつくろう! イギリスで見つけた、7つの小さな庭のアイデア ・玄関を花でコーディネート! 海外のおしゃれな玄関先8選
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イギリス
イングリッシュガーデン旅案内【英国】 ベス・チャトー・ガーデン(1)乾燥に強い庭を実現
20世紀の偉大なガーデンデザイナー ベス・チャトー(1923-2018)は植物の特性をよく知るガーデンデザイナーとして、また、経験に基づく豊富な園芸知識を伝えた作家、講師として活躍しました。その功績により、2002年に大英帝国四等勲爵士を授与されています。 晩年も電動カートに乗って庭に出て、ガーデンスタッフとの会話を楽しんだというベス。2018年5月、94歳で亡くなると、英国の主要メディアで訃報が報じられ、その死が惜しまれました。現在、ベスがつくり上げた庭園は孫娘のジュリア・ボルトンに引き継がれ、ベスとともに働いた有能なガーデナーチームによって管理されています。 乾燥に挑戦するグラベル・ガーデン 来園者をまず迎えるのは、グラベル・ガーデン(砂利の庭)です。風になびく柔らかなグラス類の穂や、すっと伸びるリナリアのピンクやバーバスカムの黄色の花穂。リズムを与える、紫の丸いアリウム。砂利が敷かれた広々とした区画に、さまざまな植物が茂る、軽やかで美しい植栽です。 じつは、この庭には秘密があります。それは、1991年につくり始めてから27年間、一度も人工的な水やりがされていないということ。この辺りは年間降雨量が少ない、英国でも最も乾燥している地域で、実際、2018年の夏は50日間も雨が降りませんでした。この庭の土は水を保たない貧しい土で、水を引き込むこともされていません。にもかかわらず、この素晴らしい庭景色は存在し続けています。 ここは、庭づくりには到底向かない乾燥した荒れ地で、かつては駐車場として使われていました。しかし、1991年、ベスはあえてこの場所に、実験的に庭をつくります。英国では日照りが続いて水が不足すると、庭の水やりに制限がかかります。そんな乾燥した状況にも対応できる、最低限の湿り気で育つ植物は何なのか、彼女は庭を愛する人々のために、模索を始めたのです。 適材適所、ローメンテナンスな庭づくり ベスの夫、故アンドリュー・チャトーは、世界の植物の生態系について研究を続けた人物でした。20歳で結婚したベスは、夫の影響でガーデニングに興味を持つようになります。ベスが新しい植物を持ち帰ってくると、アンドリューは、それが地球上のどこから来た植物なのかを教えたといいます。 ベスの庭づくりの合言葉は‘Right Plant, Right Place’(ふさわしい植物を、ふさわしい場所に)というものでした。野生の姿において、その植物はどんな場所に育っているのか。それを教えてくれる夫の知識に絶対の信頼を置いていたベスは、植物の性質を見極め、その植物にふさわしい環境に植えることを、基本理念としました。 ベスは、英国ガーデンデザイン界の巨匠であった、故クリストファー・ロイドと親交が深かったことでも知られていますが、2人はグラベル・ガーデンの水やりを巡って激論を交わしたといいます。今にも干からびそうな植物に水やりをしないのは、ペットに餌をやらないようなもの、と非難するクリストファーに対し、ベスは決して妥協をしませんでした。しおれそうな草花を見て苦痛を感じても、乾燥に強い植物を突き止めたいという情熱のほうが勝っていたのです。 若い頃、フラワーアレンジメントで草花に親しんだベスがつくったのは、さまざまな形や質感の草や葉が、流れるような美しいハーモニーを見せる庭。けれどもそれは、ローメンテナンスを突き詰めた庭でもあったのです。 高山植物を集めたスクリー・ガーデン 同じく、乾燥に強い植物を集めているのが、グラベル・ガーデンより前につくられた、スクリー・ガーデンです。スクリーとは、斜面に岩や石が転がっている、がれ場のこと。この庭は日当たりのよい小高い場所にあって、水はけのよい砂利の多い土が敷かれています。その状況に似た、がれ場で育つような乾燥に強い植物や高山植物が、ここには植えられています。 高山植物は高い山々でしか育たないと思われるかもしれませんが、英国で高山植物と呼ばれるものには平地でも育てられるものがあり、ロックガーデンやドライガーデンによく用いられます。日照りによる渇水が増える昨今、水やり不要のローメンテナンスの植物として、注目を集める存在です。 日本で高山植物と聞くと、維持管理が難しい植物のイメージがありますが、この庭に植わる高山植物には、アネモネやゲラニウム、フロックス、オダマキ、ナデシコ、ソリダゴ、タイム、エリゲロンなど、ガーデニングでよく耳にする植物の仲間であるものが、多々あります。 セダムの中にも、育てやすい高山植物に数えられるものがあります。他にも、陽光が好きで乾燥に強い多肉植物の鉢が、ここには並べられています。 ベスの庭は、敷地全体が一つにつながって、無数の植物が、周囲と調和する美しい組み合わせを見せながら、それぞれ環境に適した場所に植えられています。生け垣などで仕切られた、小部屋が連なるスタイルの、いわゆるイングリッシュガーデンとはだいぶ趣が異なった、ナチュラルな庭です。ゆったりとした道幅の小径をのんびり進むと、砂利の庭から水辺に出たり、森の中にいたり。時間をたっぷりかけて行き来したい庭です。 併せて読みたい ・イングリッシュガーデン旅案内【英国】ベス・チャトー・ガーデン(2)癒しの水の庭と森の庭 ・英国の名園巡り、オールドローズの聖地「モティスフォント」 ・デッドスペースにも花緑が育つ「寄せ鉢」ガーデニング
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イギリス
イギリス発祥の庭デザイン「ノットガーデン」【世界のガーデンを探る旅14】
イギリスの庭デザインの手法の一つ、ノットガーデン 今まで見てきたように、イギリスで庭ができ始める前に、イタリア、フランスなど大陸では富と文化の変遷がありました。十字軍や、大陸との文化・人的交流により、イギリスにも大陸文化の影響が色濃く見られるようになって、国内では多くの整形式庭園やフォーマルガーデンがつくられました。 起伏に富んだイタリアや平坦な大地のフランスに比べ、緩やかな丘が続くイギリスでは両国の庭園様式は何かしっくりこなかったのか、イギリスのアイデンティティーの一つとして、ノットガーデン(Knot garden)が生まれてきました。 そこで今回、解説する庭は「スードリー・キャッスル(Sudeley Castle)」。遡ること1442年、チューダー王朝の時代に建てられたお城です。イングランドでは、中世100年戦争から薔薇戦争と続いた内乱がやっと終わり、平和な時間が訪れました。このお城が歴史に登場してきたのもそんな時代で、かの有名なヘンリー8世の6番目の王妃であるキャサリン・パーがスキャンダラスな生涯を送ったことでも有名です。 庭のあちこちに登場する樹木の刈り込み 山形や円錐形など、きれいに整えられたイチイの刈り込みが圧巻の庭の一角。ひときわ明るく目にとまるのは、黄金キャラの刈り込みです。このような形で庭の中で見られるのは珍しいものです。 この庭は、16世紀になると廃墟となってしまいましたが、近年大規模な修復がなされたことで、現在はイギリスで屈指の庭園になっています。 芝生と長方形の池が同じ高さにつくられたシンプルなデザインの庭。廃墟がそのまま庭の一部として取り入れられていて、この庭の歴史の古さを感じさせてくれます。 イギリスで発祥したノットガーデンの名所 ツゲの生け垣の緑により模様が浮かび上がるガーデンのことを“ノットガーデン(結び目模様の庭)”と呼びますが、イギリスでもノットガーデンの代表的な場所として有名なのが、この「スードリー・キャッスル」です。チューダー王朝時代にあったであろう形をそのままに再現したノットガーデンですが、つくり出されたこの模様は、エリザベス1世のドレスの模様がもとになっているといわれています。 このように、刈り込みが一定の高さを保つノット(結び目模様)を維持管理するのは、日が均一に当たらず生育が不揃いになるところでは非常に難しく、緯度の低い日本では再現がほぼ不可能だと思います。濃い緑一色では暗い空間になってしまうので、中心に白いタイル張りのポンドと西アジアをイメージさせる噴水のオブジェがフォーマルな庭を演出しています。 ノットガーデンを維持するガーデナーの丁寧な仕事 ノットガーデンが維持されているのを見ると、きれいに刈り込みを行い続けている作業の苦労がうかがわれます。現代になっても電動器具を使わず、手作業での刈り込みをしているところが、イギリスらしいと感じます。この「スードリー・キャッスル」には8つの庭がそれぞれ生け垣で分けられていて、どこもきれいに管理されていました。 色とりどりの花々が咲き乱れるイングリッシュガーデンの登場は、世界中からプラントハンターが持ち帰る植物が栽培されだした17世紀以降になるので、今回ご紹介している「スードリー・キャッスル」をはじめとする中世のイギリスでは、まだまだ新大陸やアジアからの新しい植物はなく、限られた植物で庭をつくっていました。そこで、庭に変化をつけるためにも、きれいに刈り込んで形づくる「ノットガーデン」やイタリアの庭でご紹介した「トピアリー」、そして庭を取り巻くイチイの生け垣やメイズ(迷路)を取り入れることで、単調な庭を変化に富んだ空間に仕立て上げたのでしょう。 ここは長い間廃墟になっていたこともあり、ある意味、当時の雰囲気がそのまま残っています。 刈り込みによる庭デザインのバリエーション 右奥にはピジョンハウス、手前はハイドランジア‘アナベル’のグリーンの花の一群。そして、奥にきれいにシェイプアップされた刈り込みの壁。男性的なデザインの庭になっています。この‘アナベル’は北アメリカの植物なので、改修後に植えられたものでしょう。 一段高く茂るスクエアの刈り込みを中央に、外へ向かって二重、三重と生け垣と芝で丸く形づくった緑に白花が浮かび上がる落ち着いた雰囲気の庭。つくられた当時のことを思いながら眺めると、ガーデンデザイナーやガーデナーの工夫と苦労を感じられます。 区切られた庭ごとに工夫があるイギリスの庭 城の壁面に沿って続くボーダー花壇では、赤花が咲く植物が多く植えられ、シックな印象です。赤花はペンステモン、ダリア、カンナ。白花はエリンジウム。建物や園路の明るいベージュと、ナツヅタや芝生の緑に花色が引き立っています。 植栽に近づいてみると、ダリアとペンステモンに、赤葉のカンナが立ち上がっています。奥のほうではジニアの深紅の丸花が控えめに咲いています。アイリスのシルバーがかった葉も、引き立て役としてうまく調和しています。 宿根草のフラワーベッドのある庭では、レイズドベッド(立ち上がった花壇)の縁取りに、コッツウォルズ独特の板石のライムストーンを積み上げ、宿根草と低木が混ざり合って多種の植物が育っています。このように、一段高い場所に植物が茂っていることで、平面的なボーダー花壇と比べ、迫力のある景色になっています。 黄ケマンソウの茂みから、放し飼いの孔雀が現れました。孔雀はもともと東アジア原産の鳥ですが、時々ヨーロッパの庭で放し飼いになっているのを見かけます。奥の木陰にはシンプルなベンチが置かれていました。 ここでは、中央に変形の池を配し、その石材の手すりに植物が寄り添い茂っていました。このように小さく区切られた敷地ごとに、いろいろなタイプの庭をつくることで、訪れる人を決して飽きさせません。「スードリー・キャッスル」では、こうしたイギリスらしい庭づくりのエッセンスをたくさん見ることができました。 緑をふんだんに使うイギリス。ナショナルカラーのブリティッシュグリーンはこんなところから始まったのではないでしょうか。 「スードリー・キャッスル」の近くにある小学校の塀にも、植物の彩り。さすがイギリスですね。 スードリー・キャッスルへ向かう途中の小さな橋も石柱が配されて洒落ています。こんなアプローチが訪れる人の心を庭の歴史に対する興味へと導いてくれます。 併せて読みたい ・スペイン「アルハンブラ宮殿」【世界のガーデンを探る旅1】 ・イギリス「ハンプトン・コート宮殿」の庭【世界のガーデンを探る旅11】 ・イギリスに現存する歴史あるイタリア式庭園【世界のガーデンを探る旅13】
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イギリス
ベテランガーデナーが解説するイギリスの街景観とハンギングバスケット
ハンギングバスケットが街並み景観をレベルアップ 2018年6月にコッツウォルズを中心に庭巡りの旅に出かけた。ウイズリーやヒドコートなど、多数の庭園を巡って、改めてイギリスの園芸文化の伝統のすごさと、人々の園芸に対する造詣の深さに敬服し、多くの感動を経験すると同時に、ガーデニングのアイデアをいくつも膨らませることができた。そもそも庭巡りの旅なので、庭を見て感動するのは「想定内」のことだが、実は「想定外」の感動があった。それはハンギングバスケットのある美しい街並み景観であった。 日本でもハンギングバスケットづくりは行われているが、ガーデニングコンテストのような場面やネット上ではお目にかかるものの、街中で見かけるのは極めて稀である。そして僕のイメージでは、ハンギングバスケットといえば、コンテストで見かける“かなり力んだ作品”で、珍しい高価な花苗をふんだんに使用しているように感じられて、つい「花苗代はいくらになるのだろう?」と想像してしまい、少々、遠い存在だった。 今回の旅で見かけた、ありふれた花を上手に使用したハンギングバスケットと街並み景観に対する感動は、少々カルチャーショック的なものであった。 ストラトフォード・アポン・エイボンにて そのカルチャーショックの第一波は、2日目に訪れたシェイクスピアの生誕の街、ストラトフォード・アポン・エイボン。エイボン川の畔の静かな街だ。この日は、ウィズリーガーデンとモティスフォント・アビーガーデンで、たっぷりと美しい庭を堪能し、すっかり満ち足りた気分だった。夕方に着いて、シェイクスピア生誕の家などを見て回ったが、陽が西に傾きかけた頃、はっと視界に飛び込んできたのが、街角の絵になるハンギングバスケットのある風景だったのだ。 美しいハンギングバスケットが、横文字のお洒落な看板と共に。まさに「外国の風景」そのもので、その美しさに惹かれてシャターを押した。庭巡りの旅で出合った想定外の景色だった。日本でも、他の海外旅行でも見たことのない、街並みとハンギングバスケットの織り成す美しさにカルチャーショックを覚えたのだ。 立派なハンギングがこれほど生き生きとしているのは、気候のせいもあるだろうが、やはり人々の花に対する愛情、そして街景観に対する思いなのだろう。花で観光客をもてなす英国人気質のような、伝統に育まれた文化を感じた。 チッピングカムデンはハンギングバスケットの街 そして、いよいよコッツウォルズの街、チッピングカムデンへ。この街で、ハンギングバスケットと街並み景観に本格的なカルチャーショックを受けたのだ。チッピングカムデンはコッツウォルドストーンの名で知られる、この地方特産のハチミツ色の石造りの建物との調和が素晴らしい。 ハンギングバスケットがこれほど街並みを美しくしているのを見たのは初めてである。窓辺や玄関脇に飾られたハンギングバスケットが、街の美しさに文字通り花を添えている。その景色からは、コッツウォルドストーンで統一された建物がただきれいに並んでいるという表面的なものではなく、歴史と伝統を重んじ、自分たちで美しい街並み文化をつくり上げていくという、人々の熱い思いすら伝わってきた。 日本のよくある「これでもか!」と珍しい植物を詰め込んだ感のあるハンギングには抵抗があるが、ごく平凡な親しみのある花々を使用して、これほどの景観効果をプロデュースするハンギングの力に脱帽だ。さすがイギリスですね。 帰国後、この記事の執筆をするにあたって写真を整理していても、その時の感動が呼び戻されるほど本当に美しい街並みだ。街角の鉢物やハンギングも洗練されていて、景観を一層美しくしていた。 ハンギングに使われている植物の変化を眺めて散策 日本の街並みと何が違うのか? そうだ、電線が一本もない! 立て看板や宣伝ののぼり旗だってない。美観より経済優先できたこの数十年の日本との違いに気がついてしまったのだ。 ブラキカム、ブルーファンフラワーと青系統で爽やかなハンギング。グレコマなども見えます。 これまた赤一色で、なかなかのインパクト。見事な咲き姿のぺラルゴニウムでした。日本の気候では無理かも。 最近の日本にも見られるカラーリーフを中心にしたハンギング例。イギリスでもカラーリーフの組み合わせが流行なのだろうか? 使われているのは、ムラサキゴテン、ディコンドラ、イレシネ・ファイヤーワーク、ヒポエステスだろうか。 ちょっと乱れ気味ですが、やはりゼラニウムは強健ですね。 こうしていくつも観察していたら、ひとつの法則に気がついた。上に比較的大輪の花を置き、下にいくにつれ小輪の花を配置する。さらに、つる植物を垂らす。街並み同様に、ハンギングにも統一感が感じられるのは、そんな「掟」があるのかも。 チッピングカムデンの街は、美しいハンギングの数々と街並み風景がどこまでも続く。 バートン・オン・ザ・ウォーターのハンギング 可愛らしい街だ。そして目に飛び込むのがハンギングの花たち。平凡な花を使用しているのに、おしゃれで素敵なのだ。 明るい色づかいが石づくりの壁に映える。 通りに面した家々のフロントガーデンを美しく飾ってオープンにし、道行く人々に楽しんでもらうイギリスの庭づくりと、塀で囲んで敷地の中が見えないようにする日本の庭づくりの違いは、住宅事情等で仕方ないとしても、ハンギングバスケットによって街並みを美しく飾り、訪れる人々や観光客をおもてなしする園芸文化は羨ましくもあり、カルチャーショックでもあった。日本の観光地や街中にあふれる派手な看板やのぼり旗、そしてクモの巣のような電線を見るにつけ、街並み景観とガーデニングの今後の課題を感じさせられた。 あわせて読みたい ・庭をつくろう! イギリスで見つけた、7つの小さな庭のアイデア ・槇谷桜子のMY Botanical Life 1 見栄え抜群のハンギンググリーン ・夏のガーデニングのお手本にも! 花いっぱいのロンドン・パブ
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イギリスに現存する歴史あるイタリア式庭園【世界のガーデンを探る旅13】
当時のままの庭を見て知るイギリスの庭の歴史 イギリスの庭って、いつ頃から始まったのでしょうか? もともとイギリスという国自体が、前回の「ペンズ・ハースト・プレイス・アンド・ガーデン」で少し触れたように、歴史的にも国家的にも、日本人にはやや理解しづらい所があります。そもそもイギリスには建国の日はありませんし、他のスコットランドやウェールズにも建国の日はありません。イギリスとスコットランドが一緒になったのは1707年、国旗のユニオンジャックが制定されたのは1801年。憲法で統一されていない4つの国(イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランド)が集まった集合体のまま、一つの国として落ち着き始めた10世紀以降、十字軍遠征もあって、イギリスは他国の文化の影響を強く受けたのです。 ルネッサンスやフランス王宮文化に憧れを持ったイギリスは、その後もさまざまなものを他国から取り入れていきました。その中の一つが、イタリア式やフランス式の庭園です。きっとその洗練された庭の姿に憧れた当時のイギリスの領主や富豪が、こぞってイタリア式やフランス式の庭をつくったことで、国中にそれをまねた庭が溢れかえったのでしょう。しかし、その頃の庭で現存しているものが少ないのは、一人の天才造園家“ケイパビリティ-ブラウン”の存在が大きいと考えていますが、それはまた後日、お話ししましょう。 その頃使われていた植物は、イギリスに自生する数少ない植物や、大陸から持ち帰ったヨーロッパ大陸原産の植物であったはずです。今のように多様な植物が使えるようになるのは、ずっと後のプラントハンターの出現まで待たなくてはなりません。 イギリスに庭ができ始めるのは17世紀の初頭で、そのうちのいくつかは今も残っていて見ることができます。その一つは、イングランド中部のピーク・ディストリクトにある「ハドン・ホール」です。ルネッサンスの雰囲気を色濃く残すイタリア式庭園が、「ハドン・ホール」に今もほぼ当時の姿のまま残っています。この庭がつくられたのは、イギリスで最初に国立公園に指定された地域で、イギリスには珍しく起伏に富んだ地形の、中世の雰囲気を感じさせるノスタルジックなエリアです。 ハドン・ホールの庭 「中世から生き残るもっとも完璧な家」と呼ばれ、“1000 Best Houses”にも選ばれているハドン・ホールの歴史は12世紀から始まりますが、2段のテラスのあるイタリア式庭園は、17世紀前半につくられました。近年になり少し改修されましたが、ほぼ原形のまま残っています。 ハドン・ホールの庭は、もともとの地形をうまく利用して、庭の中に階段を設け、上下2つのテラス状になっています。 屋敷の周りにはいろいろな植物が植えられていますが、これには理由があります。イギリスは冬に“ゲイル”と呼ばれる冷たくて強い北西の風が吹くので、植物をゲイルによるダメージから守るために建物に沿って植えられているのです。 屋敷の広い壁面を生かして、つるバラを誘引し、たわわに咲く花が窓や入り口を彩っています。 一段下がると、敷地の中央は池を配した整形式庭園になっています。 おそらく、日本の皆さんがイメージするイングリッシュガーデンと違って、この庭は色彩的にも地味で、シンプルなデザインではないでしょうか。色とりどりの花が咲き乱れる、イギリス独自の庭の形式ができる以前の庭であると意識して観賞すると、とても興味深く感じます。またここにかけられていたタペストリーの花モチーフが、イギリスの陶磁器ブランド‘Minton(ミントン)’のハドンホールシリーズのもととなったことでも有名です。ロンドンから北に車で3〜4時間と、ちょっと距離がありますが、イギリスの庭の始まりを感じられる絶好の名所です。 もう一つの古い庭「ハム・ハウス」 ここも17世紀の前半に建てられたカントリーハウスが当時のままに残っている数少ない場所の一つです。ロンドン市内からそれほど離れていない高級住宅地で、多くの著名人たちが住んでいることでもよく知られているリッチモンドにあります。屋敷の正面中央に立つと、建物も植栽も見事なまでに左右対称に配置されています。 建物の反対側には整形式の庭園があります。ここはガラス温室ができる前に普及していた防寒用の部屋である「オランジェリー」が当時のまま残っています。ちなみに、大きなガラス温室が世界で最初につくられたのは、ロンドン郊外にある「キュー・ガーデン」だといわれています。 建物の横には、ラベンダーが列植されたイタリア式庭園があります。 ここもハドン・ホールと同様に、イギリスの庭が色とりどりの花で彩られる以前につくられた庭なので、ちょっと物足りないかもしれませんが、当時のままを頑なに守るイギリスらしさを感じさせてくれます。 今回の2つの庭は、大陸からの影響(模倣)そのものであるといってもいいでしょう。しかしあまりにも人工的な左右対称のデザインにイギリス人が違和感を抱いたのか、その後徐々に崩れていきます。しかしそれはずっとあとのこと。話は飛びますが、日本も最初は中国から左右対称の律令制を導入するのですが、独自の文化が花開く平安時代になると、それが崩れていきます。平らなフランスと中国、起伏に富むイギリスと日本。大陸と島国、お互い世界でまれに見る独自の庭文化を育んだイギリスと日本には、大変興味深い共通点があります。庭の歴史を探っていく過程で、なぜイギリスと日本だけが、庭文化が今も進化し続けているかを考えてみたいと思います。 次回は、プラントハンターによって世界中から集められたさまざまな植物達によって彩られた庭を見ていきましょう。 併せて読みたい ・スペイン「アルハンブラ宮殿」【世界のガーデンを探る旅1 】 ・イタリア式庭園の特徴が凝縮された「ヴィラ・カルロッタ」【世界のガーデンを探る旅5】 ・イギリス「ペンズハースト・プレイス・アンド・ガーデンズ」の庭【世界のガーデンを探る旅12】