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フランス
フランス・パリの隠れ家「パレ・ロワイヤル」【松本路子の庭をめぐる物語】
パリを訪れるとよく立ち寄るところが何箇所かある。時間ができると、ふらりと足が向く場所。その一つがパレ・ロワイヤルの中庭だ。今年、2018年7月にも木陰のベンチとカフェで数時間を過ごした。 パレ・ロワイヤルはルーブル宮殿の隣に位置している。当初はリシュリュー宰相の城館として建てられたが、ルイ14世がルーブルから移り住んだことから、パレ・ロワイヤル(王宮)と呼ばれるようになった。数奇な運命に見舞われた場所でもあり、フランス革命はここから起こったとされるなど、歴史の舞台にも登場する。 サントノーレ通り側から入ると、現代アートの作品である白と黒のストライプの円柱がいくつも立ち並ぶ広場があり、その奥が庭園になっている。 両側には幾何学的に整えられた並木、その木陰のベンチではバイオリンの稽古をしているカップルなどが。庭園をコの字に囲む建物の1階の回廊には、レストランやカフェ、骨董店などがあるが、木々にさえぎられて庭園からはほとんど見えない。 中央にある花壇にはいつも季節の花々があふれているが、今年のパリの夏の暑さは尋常ではなく、植物もじっと耐え忍んでいるように見える。それでもいくつかの夏バラが咲き、花壇のダリアが色彩のハーモニーを奏でていた。 庭園に面した建物の2階部分には、かつて作家のシドニー=ガブリエル・コレットやジャン・コクトーが住んでいた。私は『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』という自著で、コレットゆかりの地を訪ね歩いたことがある。コレットは植物に並々ならぬ想いを寄せていた。 『コレット 花28のエッセイ』(八坂書房刊)は、コレットがさまざまな花について綴った、いわばアンソロジーなのだが、まさに言葉の花束といってもよい一冊だ。 その本の中で、彼女はしばしば部屋の窓から見えるパレ・ロワイヤルの庭のことを書いている。バラについては特別な思いを抱いていたようだ。 「噴水の捕虜となった虹が、このパリの真ただ中で目覚めさせるバラ。お前たちを何にたとえたらいいのか。お前たちに匹敵する花は、いかなる楽園へ行けば摘むことができるだろう」(森本謙子訳) 中庭からコレットの住んでいた部屋の窓を見上げ、また彼女が見ていたであろう庭の方向に目を転ずる。バラの花がかすかに風に揺れた。 コレットはパレ・ロワイヤルの自室で亡くなった。1954年、81歳だった。その葬儀は国葬として、この中庭で執り行われたという。彼女が亡くなったのは8月だったので、その時バラが咲いていたか定かではなかった。だが夏の庭を訪れた時、私は確信した。バラたちは彼女の旅立ちを見送ることができた、ということを。 パリの庭園の素敵なところは、ベンチだけでなく、一人掛けのイスが置かれてあること。噴水を囲む広場では、人々は水辺に椅子を移動し、思い思いの姿で、読書や日光浴を楽しんでいた。 眺めることや散策のためだけではなく、そこで自由に時間を過ごすことができる、憩いの空間。パリの中心部に位置していながら、パレ・ロワイヤルの庭園は、自宅の隣にあるような、隠れ家のような、愛すべき場所ともいえるのだ。 併せて読みたい 松本路子の庭をめぐる物語 フランス・パリ「ロダン美術館の庭園」と秋バラ ナショナル・トラスト2018秋冬コレクション 英国有数の保養地 イングランド南西部を訪ねる【PR】 世界のガーデンを探る旅1 スペイン「アルハンブラ宮殿」
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イギリス
イギリス「ペンズハースト・プレイス・アンド・ガーデンズ」の庭【世界のガーデンを探る旅12】
ガーデニングの本場といわれるイギリスの庭の発祥とは イギリスの庭の歴史はいつ頃から始まったのでしょう? これまで、イスラムの庭からイタリアルネサンス、そしてフランス、オランダとヨーロッパ大陸での庭の連綿たる歴史を見てきましたが、イギリスではどうだったのでしょうか? そもそもこの地には、石器時代から先住民が住んでいました。有名なストーンヘンジはその頃(紀元前2500〜2000年頃)のものです。その後、ケルト人が紀元前から住み着きました。紀元後になるとローマ帝国に侵略(西暦43年)され、その後4世紀まで支配されます。今でもイギリス南部にはローマ時代の遺跡や村が所々に残っています。その後、ゲルマン人やバイキングなど、さまざまな外圧、支配を受けながら現在の大英帝国(Great Britain)になっていきますが、その辺りの詳しい説明は、歴史の教科書に任せましょう。 イギリスに現存する庭の中で、最も古いものの一つ そこで今回ご紹介したいのは、僕の大好きな庭の一つ「ペンズハースト・プレイス・アンド・ガーデンズ」です。きれいに手入れが行き届いたこの庭は、イギリスで現存する庭の中で最も古いものの一つとされています。 ここでもう少しイギリスの歴史についてお話ししましょう。イギリスは11世紀から約200年に渡って行われた十字軍に参加し、帰還した兵士たちがイスラムの文化をいろいろ持ち帰ったと思われますが、この庭の歴史がはっきりしてくるのは、その後半の13世紀のイタリアルネサンスが始まった頃からです。ペンズハースト・プレイスがあるこの地は豊かな丘陵地帯で、ロンドンから馬で半日の距離にあるという立地条件も含めて、別荘としても便利なことから選ばれたようです。建物は14世紀にほぼでき上がり、建物の前にあるイタリア式整形庭園と、そこに続くウォールガーデンがつくられたようです。また、この庭は多くの詩や物語の中にも読まれていることでも有名です。 ペンズハースト・プレイスの散策を始めましょう 1554年に植えられたという記録が残るオークのアプローチです。このアプローチを歩いていくだけで、左側の城壁の向こう側に展開する庭への期待感が、歴史をバックにした重々しさとともに強まります。 屋敷の前は、この地の緩い傾斜を巧みに利用した一種のサンクンガーデン(沈床式花壇)になっています。この庭は整形式の中でも正方形に近い形で、草ツゲの段になった低い刈り込みの緑とピンクのバラを組み合わせて、他では見られない独特な雰囲気を醸し出しています。庭の向こうに低く連なる遥かな丘陵を巧みに借景として利用することで、高い場所に位置するこの地が、大きく広がる天上の楽園(ユートピア)を表しているような気がします。 庭の横に置いてあるベンチが、いかにもイングリッシュガーデンといった趣です。 イギリスらしい色彩調和が随所に見られるボーダー花壇 城壁の南側に続くボーダー花壇には、日本ではちょっと考えられない、日向が好きな植物と日陰が好きな植物の組み合わせ。淡い色のヘメロカリスが咲き、その足下には斑入りのホスタやボリジ、ニコチアナ、ラベンダーなどが咲いています。もうすぐアガパンサスも咲きそうです。ボーダーの左側には、イチイの生け垣がその背後の花壇を隠すように茂っています。 ボーダー花壇の端には小さな池があり、屋敷の明るい色の石壁に銅葉のノムラモミジが映え、広い空間のアクセントになっています。スクエアのポットの中心にはスタンダード仕立ての月桂樹、その株元に薄黄色のペチュニアと控えめな紫のロベリアを組み合わせる色彩センスは、イギリスらしさを感じさせます。 ここでは、赤いスモークツリーを中心に、ペンステモンや黄花のツキミソウ、白いフランネル草や2種類のゲラニウム、金露梅に白い花のブッシュはエリカでしょうか? 低木と宿根草がうまく立体的に混じり咲いています。左側はアスター、アルケミラモリス、そして自然樹形に伸びた白バラが見えます。 刈り込んだイチイのヘッジ(生け垣)に囲まれたバラ園 イチイの生け垣を抜けるとバラ園があります。白バラ‘アイスバーグ’のスタンダード、その株元はシルバーリーフのラムズイヤーがカーペットに。視線の先には、アイストップとしてアイボリーホワイトのベンチが配され、素敵な空間を演出しています。 ラムズイヤーのカーペットの左右には、きっちり四角くトリミングされた赤い葉のバーベリス(メギ)の生け垣があり、中にはオレンジ色のバラが植えられています。バラ園の中に、銅葉のバーベリスを使い、さらにはオレンジ色を組み合わせる例は他に見たことがありません。僕個人としては、もう少しヘッジを低く刈り込むか、バラをハイブリッドティーのような背の高い種類にすれば、より調和の効果があるような気がします。 小道を進むと、優しいカーブを描く低いツゲの模様の繋がりが楽しい細長いガーデンが。ヘッジの中にラベンダーが咲き、トーテムポールを思わせるモダンなオブジェがアクセントになっています。ポールの頭には、赤いドラゴンやその他の動物が象られていますが、もしやこのシドニー家の家紋の動物でしょうか? イギリスでもっとも古いとされる庭で、こんなモダンな演出に出合ったことに驚きました。ツゲの外側は、背丈より高く仕立てられたリンゴやナシのエスパリエで視線が遮られていることで、よりポールが引き立って見えます。 今見た庭から次の庭へと導く道の左右には、きれいに刈り込まれたヘッジの壁があります。これは、前の庭のイメージをシンプルな空間に入ることでリセットさせて、次の庭へ進むことができるイギリス独特の仕掛けです。 このエリアは、緑のイチイの生け垣で周囲をぐるりと囲み、真ん中に真四角の池があるというシンプルな庭です。池に咲く睡蓮が、この庭デザインの人工的な構図を和らげてくれています。庭としては、ある意味とても大胆なデザインです。一条の噴水が何か物悲しげな感じがします。 ペンズハースト・プレイスで一番華やかな庭 睡蓮が咲く池の隣のエリアは、なんとユニオンジャックの庭です。青地に白のクロスのスコットランド、白地に赤のクロスのアイルランド、白地に赤の十字のイングランドの旗が重なってできた現在のグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリスの正式な国名)の旗が浮かび上がる花壇です。何度か訪れたなかでも、初めてユニオンジャックに見えた時の写真です。紅白のバラとイングリッシュラベンダーが同時に咲くことで成立する植栽デザイン。この遊び心、なかなか真似できませんね。 さまざまな庭デザインのバリエーションが敷地内に凝縮している「ペンズハースト・プレイス・アンド・ガーデンズ」。14世紀に建てられた邸宅としては保存状態もよく、内部の部屋も一般公開されている観光名所で、貴族の日常がどのようなものであったかを知ることができる貴重な場所。いにしえに思いを馳せながら庭をあとにすると、駐車場横には、子どもたちの歓声が響く賑やかなアドベンチャー公園が。その元気な声が、人々に愛されている生きた場所なんだと、この庭の今を感じさせてくれました。
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イギリス
ガーデナー憧れの地「シシングハースト・カースル・ガーデン」誕生の物語
詩人のヴィタと外交官のハロルド この類まれなる庭をつくり上げたのは、詩人、作家として活躍した妻のヴィタ・サックヴィル=ウェストと、外交官で作家でもあった夫のハロルド・ニコルソン。確かな審美眼を持ち合わせた2人は、設計や植栽に互いの個性を反映させながら、静かな美しさに満ちた庭景色を実現していきました。今ではよく見られる、白花で埋め尽くされたホワイトガーデンのスタイルも、彼らが始めたものです。 ともに貴族の出で、高い教養を持ったヴィタとハロルドは、若くして出会い、結婚しました。2人は因習にとらわれず、互いが恋人を持つことに寛容な新しい結婚形態を認め、それぞれ同性の恋人を持つこともありました。 ヴィタの恋人の一人は、作家のヴァージニア・ウルフでした。ウルフの小説『オーランドー』に登場する、性別と時空を超えて旅をする主人公は、ヴィタがモデルになっています。時に、恋人との恋愛に身を焦がすこともあったヴィタ。しかし、ヴィタとハロルドの2人はそれでも深く愛し合い、特に、シシングハーストの庭をともに創作することで強く結びついていたといいます。 廃墟との運命的な出合い 1930年のある日、ヴィタとハロルドは、廃墟と化していたシシングハースト・カースルに出合います。むき出しの土には、がれきの山が置かれ、15世紀末に建てられた歴史ある建物も、到底人が暮らせるものではありませんでした。16世紀のエリザベス朝にはイングランド女王を迎えるほどに立派だったマナーハウスは、18世紀には牢獄、19世紀には救貧院、20世紀には陸軍用地に使われ、打ち捨てられた存在になっていたのです。 しかし、ヴィタにとってこの廃墟との出合いは運命的といってもいいものでした。レンガづくりの古びた建物と、どこからでも見えるエリザベス朝時代の古い塔。彼女にはきっと、シシングハーストの未来にある、美しい庭景色が見えたのでしょう。「一目見るなり、恋に落ちた。私にはここがどんなところか分かった。眠り姫の城だ」と、書き残しています。 ピンクがかった古いレンガ塀を熱心に見つめながらヴィタがつぶやいた「私たちはここでとても幸せに暮らせるはずよ」という言葉に、当時13歳だった息子のナイジェルは驚きます。彼には、とてもそう思えなかったからです。 ヴィタとハロルドは、同じ年にシシングハーストの建物とその周辺の広大な土地を購入します。そして、契約を交わしたその日に、バラ‘マダム・アルフレッド・キャリエール’をサウスコテージの扉の脇に植えて、庭づくりの一歩を踏み出しました。それから長い年月を費やして、建物の大改修と庭の創造に取り組んだのです。 ハロルドによる古典的で優美な設計 庭の設計はハロルドが担当し、植栽は主にヴィタが行いました。ハロルドは、直線を用いた、古典的でありながらも洗練された構造を好みましたが、しかし、芝生や生け垣を設計通りに実現するのはとても難しいものでした。 また、図面と向き合い、難解なパズルを解くように何週間も案を練っているうちに、ヴィタが小径となるべき場所に樹木や灌木を植えてしまうこともありました。 ハロルドは伝統的な整形式庭園の様式を重視していました。「芝生は私たちのガーデンデザインの基本だ」。「よきイングリッシュガーデンの土台となるのは、水、樹木、生け垣、そして芝生だと、ガーデンデザイナーなら認めるべきだ」。彼はそう書き残しています。 かつて広大な鹿狩場を見渡すために建てられた塔は、屋上まで上ることができ、そこから庭園全体を見下ろすことができます。ハロルドがつくり上げた庭の構造を理解する、絶好のビューポイントです。 レンガ塀や生け垣で仕切られたガーデンは小部屋が連なるように配置され、ところどころに、高いイチイの生け垣に挟まれて一直線に伸びる‘ユー・ウォーク’の小径や、円形の生け垣といった、ダイナミックな構造がつくられているのが分かります。 シシングハースト・カースルの敷地は450エーカー(東京ドームおよそ39個分)という広さがあり、庭園は、森や小川、農地の広がる敷地の、ほぼ中央に位置しています。ケント州に生まれ育ったヴィタは、この地の森林風景を深く愛していました。庭が周囲の景色と一体となっていることは、2人にとって大切なことでした。 色彩が躍るヴィタの植栽 才能あるアマチュア・ガーデナーだったヴィタは、きっちりとした性質のハロルドとは対照的に、完璧を求めず、本能的に庭に向き合うタイプでした。植栽スタイルも、土が見えるのがとにかく嫌で「どんな隙間にもどんどん詰め込む」というもの。草花がこぼれんばかりに茂り、色彩があふれ出すような植栽を好みました。 中庭にあるパープル・ボーダーでも、ヴィタは巧みに色彩を操って、印象的な花景色をつくりました。紫色の花壇といっても、紫色の花ばかりではなく、ピンク、ブルー、ライラックといった色をうまく取り混ぜて、色彩の広がりを出しています。 ハロルドによる洗練された構造設計と、感性豊かで情熱的なヴィタの植栽。この2つの要素が相まって、他にはないシシングハーストの魅力は生まれています。 永遠に生き続ける花園 1937年、2人は初めて、2日間の一般公開を行いました。ヴィタはまた、1947年から亡くなる前年まで、英オブザーバー紙で〈イン・ユア・ガーデン〉という人気ガーデンコラムを毎週書き続け、ローズガーデン、サウスコテージガーデン、ホワイトガーデンといった、彼らが生み出した独創的なシーンは、時とともに知られるようになりました。 ヴィタは1962年に70歳で亡くなり、シシングハーストを息子のナイジェルに遺します。庭を分身のように思っていた生前のヴィタは、他人の手に庭を渡すことを頑なに拒んでいました。しかし、莫大な相続税を課せられたナイジェルには、周辺の農地を売って屋敷と庭だけを残すか、もしくは、英ナショナル・トラストにすべてを譲るかという選択肢しか残されていませんでした。 ナイジェルは、両親の手による偉大な創造物を、周辺の景色とともに守っていくよう英ナショナル・トラストを説得し、1967年、ついに地所を譲りました。それは、ヴィタの本意ではなかったかもしれません。しかし、彼女の愛した花園は、こうしてトラストによって守られ、生き続けることになったのです。 取材協力 英国ナショナル・トラスト(英語) https://www.nationaltrust.org.uk/
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海外
旅して感じたイングリッシュガーデンと日本庭園の共通点
日本庭園を巡って感じた共通点を探る 2年前の6月、イングリッシュガーデン巡りの旅を終えた時、なぜか心にふと芽生えた日本庭園への想い。その理由を確かめるために、翌年、同じ時季に京都の日本庭園を巡りました。 イングリッシュガーデンと日本庭園。それまでは、どちらかというと接点がないように感じていましたが、実際に訪れてみると、いくつか共通点を見つけることができました。 重厚な門構え 訪れた庭園の入り口には、どこも素晴らしい門構えがありました。中でも印象的だったのが湖水地方のホッカー・ホール&ガーデンと、大徳寺の塔頭高桐院です。ホッカー・ホール&ガーデンは、重厚な褐色の石壁とエレガントな鉄製の門扉が、いかにも貴族の庭園らしく、シンメトリーに設置された品のよい色彩のコンテナとオブジェにイギリスらしさが溢れていました。 高桐院は、大胆に組まれた大木と瓦が力強く凛とした佇まい。ひと枝ひと枝手入れされた松とみずみずしい苔の緑が鮮やかでした。石と木、鉄と瓦、素材やデザイン、植栽の相違はありますが、どちらも堂々たる風格。互いの伝統と美意識がひと目で伝わってくる門構えです。 また、その他にも、一直線に伸びた石畳と芝生アプローチ、竹と常緑樹のシンプルな植栽など、類似した景色をいくつか見ることができました。 歴史ある建物と植栽の調和 回訪れたイングリッシュガーデンは、20世紀のイギリスを代表する有名な庭園ばかり。庭園内の建物も100年以上経過した歴史あるものでした。例えば、ヒドコートマナーガーデンの茅葺きの家、シシングハーストカースルガーデンの塔や母屋、キフツゲートコートガーデンやバーンズリーハウスガーデンのエレガントな館など。古い雰囲気を損なうことなく修復された建物が、イギリスの風土に合った草花のクラシカルな植栽と調和し、得も言われぬ美しさを醸し出していました。 同じように、日本庭園でも歴史ある貴重な建物を見ることができました。京都御所から移築された平安神宮神苑の橋殿と尚実館、南禅寺の山門や永観堂の本堂です。ここでは、松や桜、モミジなどの日本古来の樹木が多用されていました。選び抜かれた植物と色彩を抑えた植栽が、格式高い日本建築と調和し、清らかで凛とした空気が漂っていました。 歴史ある建物とその国の風土に合った植栽が調和しているからこそ、このような素晴らしい景観が生まれるのですね。 魅力ある壁面 イングリッシュガーデンの魅力の一つは、壁面の華やかさ。味わいある蜂蜜色や褐色のレンガ壁を、さらに魅力的に演出しているのが、つるバラやクレマチス、つるアジサイなどのつる性植物です。壁一面に誘引された満開の花々が咲く様は、もはや芸術。その美しさに幾度となく目を奪われました。 日本庭園の壁面は、主に漆喰や石、木材が用いられています。モノトーンの上、イングリッシュガーデンのように壁面を花で彩ることもないので、どちらかというと地味な印象。 けれども、埋め込まれた瓦が美しい文様を刻む漆喰塀、端正な石積みなど、随所に丁寧な職人技が光る素晴らしいものでした。そんな壁面の背景に清々しく映えていた青モミジ。イングリッシュガーデンも日本庭園も、どちらも壁と植物とのバランスが美しく、魅了されます。 心和む自然と一体化した景色 イングリッシュガーデンを訪れて特に心に残ったことの一つは、自然と一体化した景色です。不思議なことに、日本庭園でも同じような景色を見ることができました。 例えば、ヒドコートマナーガーデンで見た、鬱蒼とした樹木に囲まれた場所でひっそりと咲いていたピンクや白の可憐な野花。その景色にとてもよく似ていたのが、平安神宮神苑の巨木に囲まれた池に群れ咲く花菖蒲と睡蓮です。 どちらも、まるで森の中のオアシス。一瞬、ここが庭園であることを忘れてしまうほど自然に溶け込み、秘密の場所を見つけたようなワクワク感を味わえました。 そのほかにも、草木で覆われた先が見えない小径や南禅寺の天授庵の池にかかった橋は、自然の奥深くへ誘われるような神秘的な景色でした。 今まで経験したことのない感動を与えてくれたイングリッシュガーデン。実際に目と肌で感じた美しさは、想像を遥かに超えていました。そして、その感動は、改めて日本庭園の素晴らしさに気付かせてくれました。 イングリッシュガーデンと日本庭園に間違いなく共通していたのは、国の伝統や文化、美意識、自然への敬意。「イングリッシュガーデンにようこそ!」と、誇らしい笑顔で迎えてくれたイギリスの人たちのように、わたしも日本人として日本庭園を誇れるように、もっと見聞を広めていきたいと思いました。 Credit 写真&文/前田満見 高知県四万十市出身。マンション暮らしを経て30坪の庭がある神奈川県横浜市に在住し、ガーデニングをスタートして15年。庭では、故郷を思い出す和の植物も育てながら、生け花やリースづくりなどで季節の花を生活に取り入れ、花と緑がそばにある暮らしを楽しむ。小原流いけばな三級家元教授免許。著書に『小さな庭で季節の花あそび』(芸文社)。 Instagram cocoroba-garden
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イギリス
イギリス「ハンプトン・コート宮殿」の庭【世界のガーデンを探る旅11】
スペインのアルハンブラ宮殿からスタートして、ヨーロッパの歴史とともに、イタリア、フランス、そしてオランダと、いろいろな庭を見てきましたが、いよいよナポレオンもヒトラーも渡れなかったドーバー海峡を渡って、イギリスの庭を見ていくことにしましょう。 今回はロンドン郊外、テニスで有名なウィンブルドンの近くにあるハンプトン・コート宮殿です。 ハンプトン・コート宮殿を正門からご案内 まずはハンプトン・コート宮殿(Hampton Court Palace)の全敷地を確認してみましょう。写真手前の広場に正門があり、建物の奥に放射状に広がるのが、中央に大きなプールがあるオランダ式とも呼ばれる整形式庭園で、まっすぐ奥へと長いプールが続いています。毎年7月上旬に行われている大イベント「ハンプトン・コート宮殿 フラワー・ショー」は、このプールの周りで開かれています。 テムズ川河畔に沿って広がるハンプトン宮殿ですが、空から見ると写真右手が南側になり、テムズ川と微妙な角度で、宮殿とその周りに庭が配置されていることがよく分かります。宮殿を東に抜けると大きなオランダ式ともいわれる整形式のグレート・ファウンテン・ガーデンが、まるで無限の広がりを持っているかのように目の前に現れます。そして、その右側には、フランス式整形庭園が南側のテムズ川に向かって広がっています。川沿いには船着き場があり、下流のロンドン中心部(写真奥側)から船で来ることも可能です。 宮殿は、1521年に、イングランドの聖職者で政治家だったトマス・ウルジー氏によって建てられました。しかし、そのあまりの美しさにヘンリー8世が妬んだので、すぐに王のものとなりました。元々はイタリアルネサンスへの憧れのもとつくられた、チューダー様式とゴシック様式の入り交じった左右対称の幾何学的模様の宮殿で、幾度もの改築や改修が施されながら、18世紀にほぼ現在の形になりました。その後、1838年に大改修の工事が終わると、当時のビクトリア女王によって一般公開されるようになったのです。敷地内にある「プリヴィ・ガーデン」は、1995年の大改修により建設当時の姿に復元されて現在に至っています。 庭は、宮殿の東側と北側に広がっていますが、東側の大きい場所から順に「グレート・ファウンテン・ガーデン」、テムズ川に向かって伸びる「プリヴィ・ガーデン」、その横、宮殿の南側に2つの庭「サンクンガーデン」と「ポンドガーデン」があります。宮殿の北側には「ローズガーデン」や「キングサリのトンネル」、さらには有名な「メイズ(迷路)」、高く刈り込まれた生け垣の迷路などが宮殿を取り巻くように配置されています。 庭園を散策しながら特徴をご紹介 きれいに刈り込まれたイチイは、デアーライン(家畜が下枝を食べたような形)と呼ばれる下枝の刈り込みによって、見通しを確保し広がりを見せています。 シルバーリーフのシロタエギクと、紫花のヘリオトロープとを組み合わせた落ち着いた色合いで、フランスやイタリアの花壇植栽とはまったく違うテイストです。 宮殿から南に広がる「プリヴィ・ガーデン」 当時は新興国だったイギリスの、イタリアルネサンスとフランス文化への憧れが顕著に現れた、見事なまでのフォーマルガーデンです。 この庭は1995年に再現されましたが、完璧なまでに幾何学的な左右対称庭園です。イギリスらしく両側は小高い土手に囲まれ、きれいにメンテナンスされたフォーマル庭園が俯瞰できるようになっています。左側の土手の上には5m以上の高いシデのトンネルがあり、あまりにも人工的な幾何学模様にイギリスらしさが加味されているように思われます。 宮殿横に可愛らしい「ノットガーデン」とオランジェリー 草ツゲの緑のフレームの中は、ベゴニア・センパフローレンスが。はっきりとした色の対比がイタリアの庭を思い出させます。これも、ルネサンスへの憧れの表れなのでしょう。その奥にはオランジェリー(温室)があります。 大きく立派なオランジェリーの前には、テンダー(寒さに弱い植物)な植物の鉢植え。これらの鉢は、すべて冬前にはオランジェリーの中へ入れ、寒さから守ります。 一番の見せ場「サンクンガーデン(沈床花壇)」 オープンで広い「プリヴィ・ガーデン」は緑が中心でしたが、このサンクンガーデンは周りを高い生け垣で囲み、完全に周囲から隔離された空間になっています。 春は、チューリップとパンジー、夏はサルビアやマーガレット、デージー、シロタエギク、そして赤いゼラニウムとベゴニアでカラフルに植栽され、ここではイギリスらしい色とりどりの花が主役になっています。 隣のポンドガーデンは、サンクンガーデンより一回り小さくて色合いもデザインもシンプルです。素敵な2つの庭が並んでいるのも何かもったいないような気がしますが、はっきりと生け垣で区切られているのはイギリスらしい庭の見せ方です。 世界最高齢のブドウの木は、1768年にケイパビリティー・ブラウン氏によって植えられたと伝えられています。イギリスの庭づくりを根底から変えた天才造園家であるランスロット・ケイパビリティー・ブラウン氏については、また今後ご紹介する予定です。 北側の園路には、ゴミ箱さえもブリティッシュグリーンにペイント。ご存じのようにイギリス人が大好きな色です。 イギリスらしい庭のデザインといえば、ボーダー花壇。冬の寒い西風から植物を守るレンガの壁(ウォール)に沿って手前に低い植物、奥へ高い植物を組み合わせて、細長く配置する手法で、イタリアでは見られないスタイルです。さまざまな植物をパッチワークのように組み合わせて植えていく、イギリスでは当たり前に見られる手法は、イギリス庭園史上もう一人の偉人として知られるガートルード・ジーキル女史が始めたもので、今もイギリスの花壇植栽はこの手法がもとになっています。 日本でも憧れて育てる人が多いキングサリをトンネルに仕立てた場所もあります。イギリスでも、なかなかここまで見事な景色にはお目にかかれません。 ハンプトン・コート宮殿は、さまざまなタイプの庭や歴史が詰まっていて、一日いても飽きることはありません。ある意味、ここからイギリスの庭は始まったともいえるでしょう。次回からは、今、ガーデニングの本場といわれているイギリスの庭巡りの旅を始めるとしましょう!
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イギリス
ロンドンの公園歩き 春のケンジントン・ガーデンズ編
故ダイアナ元皇太子妃ゆかりのケンジントン・ガーデンズ かつてはハイド・パークの一部だったというケンジントン・ガーデンズは、18世紀前半に、現在の形に整えられました。南北に抜ける道を隔てて、東側がハイド・パーク、西側がケンジントン・ガーデンズ。合わせた面積は、ロンドン中心部の公園として一番の広さを誇ります。北側の地下鉄クイーンズウェイ駅から一歩入ると、とにかく広い! ケンジントン・ガーデンズは、園内に建つケンジントン宮殿に15年間住まわれた、故ダイアナ元皇太子妃にゆかりの深い公園です。子ども好きだった彼女を偲んでつくられた、ダイアナ・メモリアル・プレイグラウンド(12歳までの子どもとその保護者専用の遊び場)が近くにあるせいか、親子連れを多く見かけます。今回は訪ねることができませんでしたが、流れる川のような噴水、ダイアナ・メモリアル・ファウンテンも、園内の見どころの一つです。 広い園内に花壇はほとんどありませんが、花や葉の美しい低木や灌木が植わっています。もちろん、大きな木々もたくさん生えていて、この緑の景観を途切れなく守っていくために、綿密な植林計画が立てられています。2023年までに年30~50本ペースで植林を続けるという計画ですが、それだけのスペースがあることに、まず、驚きます。 園内に、貸自転車のドッキング・ステーションを見つけました。ロンドン交通局が運営する貸自転車のシステムで、市内中心部に750カ所のステーションがあります。そばにある機械を操作して、予約なしですぐに使える仕組み。交通量の多い市内の道路を走るのは旅行者にはかなり怖いですが、公園内のサイクリングなら楽しめそうですね。 ここではまた、身体の不自由な方が楽に園内を回れるよう、リバティ・ドライブというカート運行サービスが、慈善団体によって行われています(予約制)。 芝生の広がるエリアでは、リスに出合いました。19世紀後半に北米から持ち込まれた、トウブハイイロリスです。在来種の赤い毛皮のキタリスは、南イングランドではほぼ見かけなくなってしまいました。トウブハイイロリスはガーデナーにとっては害獣といわれ、そういえば、筆者もかつて鉢植えの苗を食べられてしまったことがありましたが、緑の中で遊ぶ姿は可愛いですね。 今も王室メンバーの住まうケンジントン宮殿 とうとうケンジントン宮殿までやってきました! 19世紀に大英帝国を躍進させたヴィクトリア女王(石像)の生家であり、現在も、ウィリアム王子とキャサリン妃のご一家や、先日ご結婚されたハリー王子とメーガン妃をはじめとする、王室の方々が住まわれています。宮殿の一部は一般公開されていて、王室の歴史を垣間見ることができます。 そして、こちらがケンジントン宮殿のサンクンガーデン! 噴水のある長方形の池を、花壇が幾重にも囲むつくりです。庭園の3辺は、シナノキの仲間を誘引したトンネルがあって、異なる角度から庭を眺められるようになっています。 春の花壇は、チューリップ、ストック、パンジーなどを使った、明るい植栽。暗いトーンのピンクのストックの上に咲く、白、黄、ピンクのチューリップがなんともキュートです。夏になると、ゲラニウム、ベゴニア、カンナといった、より色鮮やかな植物に変わっていきます。 2017年4〜9月の間、この庭園は、故ダイアナ元皇太子妃の逝去から20年を記念して期間限定でつくられた、〈プリンセス・ダイアナ・メモリアル・ガーデン〉として公開されました。白を好んだ元皇太子妃を偲んで、白いチューリップやバラ、ユリを中心に、スイセンやヒヤシンス、ワスレナグサなどを可愛らしく挿し色に使った、ホワイト・ガーデンでした。 先日ご結婚されたハリー王子は、この庭で婚約発表をされました。もしかすると、このカラフルな明るい植栽は、王子のご結婚を祝って計画されたのかもしれませんね。 ケンジントン宮殿への入場は有料ですが、このサンクンガーデンは無料で見学することができます。また、サンクンガーデンの東側にあるケンジントン・パレス・パビリオンでは、庭園を眺めながら食事やアフタヌーンティーを楽しむことができます。ぜひおしゃれをして、優雅な気分でお出かけください。 〈ケンジントン・ガーデンズ 庭園情報 2018〉 通年開園、6:00~日没まで(季節によって、冬の16:15から夏の21:45の間で変動します)。最寄りの地下鉄の駅は、ランカスター・ゲート駅、クイーンズウェイ駅、ベイズウォーター駅、ハイ・ストリート・ケンジントン駅。 *ケンジントン・パレス・パビリオンは、18世紀に建てられたオランジェリー(近年はレストランとして使われていた)が改修中のため、期間限定で設営されたレストラン兼イベント会場です。オランジェリーは2021年に再オープンの予定。 Kensington Gardens, London W2 2UH https://www.royalparks.org.uk/parks/kensington-gardens 併せて読みたい ロンドンの公園歩き 春のセント・ジェームズ・パーク&グリーン・パーク編 イギリス流の見せ方いろいろ! みんな大好き、チューリップで春を楽しもう センスがよい小さな庭をつくろう! 英国で見つけた7つの庭のアイデア
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オランダ
オランダ「ヘット・ロー宮殿」と「キューケンホフ」の庭【世界のガーデンを探る旅10 】
前回までフランス式庭園についてご紹介してきました。フランス革命(1789年)により、かのマリー・アントワネットも処刑され、時代は貴族から庶民へと移り、ナポレオンの出現(1799年)によりヨーロッパは大きく動きました。ヨーロッパ中の憧れの的であったフランス式庭園は、イギリスをはじめ、あちこちでつくられるようになっていました。その動きがドーバー海峡を渡る前に、もう少し大陸の中の庭園のお話をしましょう。 オランダ王室の夏の離宮「ヘット・ロー宮殿」 15世紀、バスコ・ダ・ガマやコロンブスなどの活躍で大航海時代が始まりました。ポルトガルやスペイン、16世紀には、オランダやフランスも加わって、17世紀に入るとオランダ、イギリスが世界の海を支配し、世界中の富がそれぞれの国へ集まってきました。オランダでは、16世紀にトルコで見つかったチューリップが引き金になって、「チューリップ狂時代」が始まりました。 今回ご紹介する「ヘット・ロー宮殿」も、オランダ大航海時代に、オランダ王室の夏の離宮、狩猟の場所として1684年に建てられ、1975年まで実際に使われていました。広大な庭園は幾何学模様のバロック式庭園です。オランダ人の友達から聞いた話ですが、ナポレオンがフランスから攻め上がってきた19世紀初頭に、その素敵な庭園をナポレオンに見られるのが悔しくて、なんと埋めてしまったそうです。その後、近年になって庭は掘り起こされ、当時のままの姿に再建されて、1975年から貴重な博物館として一般公開されています(2018年1月8日から2021年頃まで宮殿の博物館部分は改修工事のため休館予定。工事期間中は、4〜9月のみ、庭園と厩、レストランのみ一般公開)。 アッペルドーン郊外の森を背景に、宮殿の各部屋の窓から遠くに見下ろす広大な幾何学模様の整形式庭園。きれいに低く刈り込まれた緑一色の草ツゲの間に、色砂利を敷き詰めて彩りを見せています。 春限定の公開庭園「キューケンホフ」 オランダにはもう一つ、必ず訪れてほしい庭があります。それは春の季節にだけ開園する「キューケンホフ」です。 3月中旬から5月中旬の春の間だけ一般公開されるこの庭は、あまりにも有名で、世界中から観光客が押し寄せます。元々ここは、かつてはハーブを育てていたことから「キューケンホッフ(台所の畑)」と呼ばれるようになりました。1949年に「キューケンホフ」があるリッセ市の市長のアイデアにより、球根を使った庭のコンテストが開催されたことをきっかけに、現在のような素晴らしい庭になりました。 実は、この場所は個人の持ち物で、リッセの球根生産者が春の期間だけ借りて、地域の自慢の球根や新品種を植え込んで、商談を進める見本市の要素も持ち合わせているのです。ですから、春の季節が終われば静かな森に戻ります。僕も以前、このキューケンホフで、鳥取の花回廊の寄贈による日本庭園をつくったことがありました。つくった当初は球根は植え込まれていなかったのですが、やはりそこはオランダ。翌年からは、球根で花いっぱいになっていたのです。 リッセ市のカラフルな球根畑 ここリッセは、球根の世界的産地でもあります。キューケンホフへ行くまでに、色とりどりの球根による縞模様の畑を見ることができます。この地域でなぜ球根栽培が盛んなのかというと、すぐ西側が砂丘になっている砂地であること、また偏西風が球根栽培に向いているためだと思われます。 球根の熟成のため、満開になってから花摘みをするので、毎年花のカーペットがリッセ市中に出現します。ただまったく平らな土地なので、空撮でなければこの壮大な景色を見ることはできません。 ムスカリとスイセンのあとは、ヒヤシンス。色合いはぐっと落ち着いて、よい香りが園内に溢れます。 そしていよいよ主役のチューリップが咲き始めると、世界に類を見ない光景で観光客を驚かせます。 球根でいえば、チューリップが終わると百合の季節ですが、ここではヨーロッパブナの芽吹きが始まって、黄緑色の世界が静かに広がり、それまでの華やかさとは打って変わって静かな公園に戻るのです。
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イギリス
ロンドンの公園歩き 春のセント・ジェームズ・パーク&グリーン・パーク編
ロンドン最古の王立公園 セント・ジェームズ・パーク セント・ジェームズ・パークは、ロンドンにある王立公園として最も古いものです。周辺にあるのは、トラファルガー広場やナショナル・ギャラリー、ウェストミンスター大寺院といった名所や、首相官邸や国会議事堂をはじめとする官庁、そして、バッキンガム宮殿。まさにロンドンの中心地にあります。東京で言ったら、さしずめ日比谷公園といったところでしょうか。 実は、筆者はかつてこの近くにある職場に通っていたので、ここはまさに「庭」のようなもの。水辺があり、鳥やリスが遊ぶ公園を突っ切って、仕事のおつかいに出かけるのは、とても楽しいことでした。セント・ジェームズ・パークは美しく手入れされた花壇が多く、いつでも花が咲いているので、花の公園のイメージがあります。今回は、春の花木が迎えてくれました。 元々は湿地の荒れ野だったというこの場所は、16世紀前半にヘンリー8世によって鹿の狩場となります。17世紀前半には、ジェームズ1世によって、なんと、ラクダやワニ、ゾウといった珍しい動物が飼われていました。 17世紀後半、チャールズ2世の時代になると、再計画されて、ぐっと公園らしくなります。木々や芝生が植えられ、今の湖の原型となる運河がつくられて、市民も入ることを許されるようになりました。そして、19世紀前半、名建築家で都市計画を任されたジョン・ナッシュによって、公園は自然主義的な形につくり直されます。直線的な運河はより自然な形の湖になり、ゆるやかに曲がる小径がつくられ、伝統的な花壇は灌木の茂みに変わりました。今ある公園の姿は、その時の設計からあまり変わっていないといいます。ジョン・ナッシュ、偉大ですね! 園内には緑の芝生が広がる一方で、花壇もたくさんがあって、季節ごとに植え替えられます。春の花壇は、やはりチューリップが主役級。 こちらはコントラストのある、かなりパンチの効いた配色です。背景となる灌木の暗い葉色を意識しての花選びでしょうか。 観光客も地元民もほっこり 緑あふれる水辺 テムズ川の方向を見ると、緑の向こうに、観覧車のロンドン・アイが覗いています。都心にこんな豊かな緑があって、そのスペースが市民に開放されているというのは、さすが、園芸大国イギリスならではですね。 セント・ジェームズ・パークの中央には、運河からつくり変えられた細長い湖が伸びていて、この茂みの向こうも湖です。園内のカフェは、緑と水辺、そして、湖の噴水が見られるベストポジションにあります。朝8時から開いているので、まだ静かな時間に景色をゆっくり眺めながら、朝食を楽しむことができますよ。 水辺に生えるのは、白い小花を咲かせるワイルド・キャロット(ノラニンジン)とブルーベル。ずっと昔から自生しているような、ナチュラルな植栽です。 細長く伸びるセント・ジェームズ湖。コブハクチョウやカモなど、17種の水鳥の棲みかとなっていて、身近に観察できます。この時は見られませんでしたが、ペリカンもいます! ペリカンの飼育は、1664年にロシアの大使から贈られたことが始まり。以来、40羽の歴代ペリカンがここで暮らしてきたそうです。 広がる芝生の上では、人々がデッキチェアにもたれて日光浴を楽しんでいます。実は、このデッキチェアは有料で、1時間で£1.80(約270円)。腰掛けると、どこからともなく係員さんが現れて、しっかり賃料を徴収されるのでご注意を。 ザ・マルを通ってバッキンガム宮殿へ 公園を出て、北側には、アドミラルティ・アーチからバッキンガム宮殿へと続くまっすぐな道、ザ・マルがあります。王室騎兵隊の日々の交代ルートとなるほか、戴冠式や結婚式など、王室の重要な行事の際には、パレードのルートとして使われます。道の先に、遠く宮殿が見えます。 宮殿まで行くと、待っているのはメモリアル・ガーデンズと呼ばれる花壇です。1901年、ヴィクトリア女王の逝去を悼んで、宮殿前に金色の像が載ったヴィクトリア記念堂と、それを囲む半円形の花壇がつくられました。 冬から春にかけての花壇は、チューリップとストックを使った、赤と黄の華やかな植栽です。夏になると、真っ赤なゲラニウムを中心に、オリヅルラン、サルビアなどに植え替えられます。赤い花が選ばれているのは、近衛兵や王室騎兵隊の軍服に使われる赤に合わせるため。世界的に有名な衛兵交代には、そんな配慮があったのですね。 花壇のポイントに、トピアリーがちょこんと生えているのがキュートです。バッキンガム宮殿に向かって右手に、たくさんの大木が葉を茂らせるグリーン・パークが見えてきました。豪華なカナダ門を通って、入ってみましょう。 大木が緑の天蓋をつくるグリーン・パーク グリーン・パークには、見上げるような大木が立ち並びます。これは、ロンドン・プレーン(和名モミジバスズカケノキ)と呼ばれる、プラタナスの仲間。夏には大きな枝葉を広げて涼しい木陰をつくり、排気ガスの汚染物質を取り除くフィルターの役割も果たして、都市の環境保全に貢献しています。 ロンドンの公園に生える樹木の半分は、このロンドン・プレーンといい、まさに、この町を象徴する樹木です。成木は樹高30mというので、ひょっとしたら、まだ大きくなるのかも…! 芝生と樹木ばかりで緑一色。花壇や灌木の茂みはありません。このシンプルさがグリーン・パークの大きな魅力だと、わたしは思うのですが、では、この公園にはなぜ花がないのでしょうか? 一説によると、17世紀、多くの愛人を持ったことで知られるイングランド王、チャールズ2世が、愛人のために公園で花を摘んでいるところを、妻のキャサリン王妃に見つかって、公園から花を一切なくすよう求められたからだとか。 本当の話なら、面白いですね。もっとも、春だけは景色が変わります。木々の根元で25万本のラッパズイセンが咲いて、明るい黄色のじゅうたんをつくるのです。この春の風物詩は、訪ねた時には残念ながら終わっていました。 普段は市民の憩いの場であるグリーン・パークは、女王の公式誕生日を祝うパレードなど、国の特別な行事の際には、大砲で祝砲を撃つ会場として使われます。 バッキンガム宮殿のお膝元にある、個性の異なる2つの公園。ロンドンを訪れる際には、ぜひ立ち寄ってみてください。 〈庭園情報 2018〉 セント・ジェームズ・パーク 通年開園、5:00~0:00。最寄駅は、地下鉄セント・ジェームズ・パーク駅、チャリングクロス駅、ウェストミンスター駅。 St. James’s Park, London SW1A 2BJ https://www.royalparks.org.uk/parks/st-jamess-park グリーン・パーク 通年開園、5:00~0:00。最寄駅は、地下鉄グリーン・パーク駅、ハイド・パーク・コーナー駅。 The Green Park, London SW1A 1BW https://www.royalparks.org.uk/parks/green-park 併せて読みたい ロンドンの公園歩き 春のケンジントン・ガーデンズ編 イギリス流の見せ方いろいろ! みんな大好き、チューリップで春を楽しもう センスがよい小さな庭をつくろう! 英国で見つけた7つの庭のアイデア
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オーストリア
オーストリア「シェーンブルン宮殿」【世界のガーデンを探る旅9】
ここまでは、フランス王室のシンボルであったベルサイユ宮殿のお話をしてきましたが、今回は、中世ヨーロッパのもう一つの富と文化の中心で、ウィーンのハプスブルク家の住まいであった「シェーンブルン宮殿」の庭を見ていきましょう。 東ヨーロッパの富と文化の中心地 中世のヨーロッパは、西半分はパリのブルボン王朝が、東半分はウィーンのハプスブルク家が富と文化の中心として君臨していました。ブルボン王朝はフランス革命により終わりを告げましたが、ウィーンのハプスブルク家は第一次世界大戦まで東ヨーロッパの富と文化の中心として、また音楽の都の頂として長く繁栄していました。当時、フランスの貴族文化の象徴であるヴェルサイユ宮殿(17世紀〜)はヨーロッパ中の憧れの的。その頃、ヨーロッパの東半分の富をある意味独占していたハプスブルク家も例外ではありませんでした。広大なフランス式庭園を持つ憧れのヴェルサイユ宮殿を手本に、このシェーンブルン宮殿がつくられたのです。 ハプスブルク家の夏の離宮としてウィーンの郊外につくられたこの宮殿には、1,441室もの部屋があり、さらには、ベルサイユ宮殿に勝るとも劣らない素敵なフランス式庭園がつくられて、それらは現在まで残っています。この宮殿は、女帝マリア・テレジアの居城として、そしてその娘マリー・アントワネットの数奇な運命とともに現在まで語り継がれています。 現在、この宮殿一帯に、年間670万もの人々が訪れる、ウィーンでもっともポピュラーな観光地になっています。 宮殿から広がるシンメトリックなフランス式庭園は、はるか遠くの小高い丘のグロリエッテまで続きます。 グロリエッテの手前には大きな噴水があり、宮殿と噴水の間には広大な毛氈花壇がシンメトリックに広がります。 原色の植物が緑に浮かび上がる平面的な花壇 ウィーンはパリに比べるとかなり寒い場所なので、この庭を楽しむには、やはり夏から秋が一番でしょう。僕が訪れたのも初夏でしたが、何も遮るものがないこの庭園を、グロリエッテまで歩いた時、陽射しが強烈だったことを鮮明に覚えています。 この花壇は芝生の緑をベースに原色系の植物を、おもに線状に並べて模様を描くことによって、はるか遠くに見えるグロリエッテまでの距離感をより強調しています。鮮やかな色と人工的な幾何学模様を際立たせるために、平面的な花壇の横には、小高く刈り込まれた濃い緑の生け垣が巡らされ、大理石の真っ白な彫刻が気持ちを和らげてくれます。 宮殿から数百メートルも離れた噴水の周りには、夏の花のベゴニアで赤と白のはっきりとした曲線が描かれ、背の高い黄色いカンナが立体感を出しています。ここでは前回解説したようなフランス式の花の混植は見られません。 ウィーンのもう一つの有名な宮殿である「ベルヴェデーレ宮殿」の早春の花壇は、春の空気までも表しているかのような優しいカラーリングです。宮殿の壁や屋根の色と調和する、白と黄色のチューリップの混植に、ガーデナーの優れたセンスが溢れています。 世界で2番目に古い温室「パルメンハウス」 有名なパルメンハウスとその前の線描花壇。パルメンハウスは1882年に建てられた世界で2番目に古い温室です。世界最古の温室は、これより4年前に建てられたイギリスのキューガーデンのパームハウスです。さて、パルメンとはドイツ語で手のひらを意味し、ヤシの木を指します。このような大規模な温室ができたことにより、世界中の植物がプラントハンターによって集められ、寒いウィーンでもさまざまな植物が栽培されるようになりました。これは、産業革命と技術革新により曲面ガラスの製造が可能になったことも大きく影響しています。 それにしても、なんと重厚で美しい姿なのでしょうか! 園路両脇のイチイのトピアリーもこの温室をひときわ優美に引き立てています。 巨大な生け垣と彫刻を配置する効果 視線を遮る西洋シデ(Carpinus beturus)の刈り込みが高く幾重にもつながり、正面はるか彼方にある大理石の彫刻に視線を集めています。 訪れた人に、この庭の奥行きと重厚感を伝えるデザインです。この手法は、後のイングリッシュガーデンにも多く取り入れられています。 こちらは緑の芝生に立ち並ぶ直線的なトピアリーと、生け垣に埋め込まれた大理石の彫刻。これもベルサイユ宮殿の影響なのでしょうか? 補色関係にある赤い屋根と深い緑が白い彫刻をアクセントとして上手にまとまった空間をつくりだしています。 最後に紹介するのは、あまりにも有名なモーツァルトの大理石の像と、その前にあるト音記号のマークの花壇です。ハプスブルク家歴代の皇帝の居城にして音楽の都、ウィーンの中心にあるホーフブルク庭園が、やはりウィーンの庭巡りの始まりでしょう。
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イギリス
美しき家と庭 英国モリス・デザインの世界を体感する「スタンデン・ハウス・アンド・ガーデン」
120年前のこと、英国の慈善団体ナショナル・トラストは、開発で失われていく自然や、歴史ある建物や庭といった文化的遺産を守り、後世に残そうと、活動を始めました。多くのボランティアの力によって守り継がれる、その素晴らしい屋敷と庭を訪ねます。 ビール家の愛しの我が家 ロンドンから車で南へ向かい、2時間余り。ウェスト・サセックス州の美しい田園風景を見渡す丘に、スタンデン・ハウス・アンド・ガーデンはあります。この屋敷は、19世紀の終わりに、ロンドンで成功した裕福な弁護士、ジェームズ・ビールの別宅として建てられました。7人の子を持つビール氏は、家族や友人が、週末や休暇を楽しく過ごすことのできる、居心地のよい田舎の家を求めたのです。 屋敷の設計は、モリスの友人で、アーツ・アンド・クラフツ運動の建築家として知られたフィリップ・ウェッブに任され、内装はモリス商会が手掛けました。風景に馴染む、落ち着いた外観の屋敷には、一方で、電気や暖房といった、当時の最新の設備がありました。住み心地がよく、美しい家具やテキスタイルで整えられた屋敷は、ビール夫妻の子や孫の代まで、楽しい我が家として愛されました。 アーツ・アンド・クラフツ運動を提唱したウィリアム・モリス ウィリアム・モリスは、19世紀の後半に、思想家、デザイナー、詩人、作家と多岐にわたって活躍した人物です。職人による昔ながらの美しい手仕事を愛したモリスは、産業革命の流れの中で失われつつあった、暮らしの中の芸術を取り戻そうと、自ら壁紙をデザインしたり、美しい装飾が施された本を出版したりしました。 一体感のある家と庭 モリスは「家は庭に(衣服のように)包まれるべきだ」という言葉を残しています。庭は家の延長であって、そのように使われるべきだと考えていたのです。その考えを受けて、スタンデンの屋敷と庭は、お互いを補い合う、一つのものとして存在していたのですが、じつは、その庭は長い時の流れの中で失われていました。 5年にわたる庭の修復プロジェクト 今から10年余り前のこと、庭にはびこる竹の下から、古い水遊び用の池が発見されました。その後も、塀やロックガーデンなど、かつての庭の名残が次々と発見され、2012年、ついに庭の修復プロジェクトが発足します。プロジェクトチームは、家族写真や地図、支払いの領収書、そして、ビール夫人のガーデンダイアリーといった膨大な歴史的資料から、ここにどんな庭があったのかを探りました。 広さ約5万㎡の庭を、屋外の部屋をいくつもつなげるように設計したのは、独学で園芸知識を身につけ、優れたガーデナーだったビール夫人でした。ピンクのチャイナ種のバラが植わるローズガーデンや、シナノキの並木道、時にパーティーが開かれたクロッケー用の芝生など、植物好きの夫人が設計し、世話をした庭の数々が、プロジェクトによって再発見され、美しくよみがえりました。 リンゴの古木が見守るキッチンガーデン 屋敷の食卓を支えたキッチンガーデンも修復され、野菜や果物の大きな花壇が整えられました。ここには、屋敷が建った当時に植えられたという、ブラムリー種のリンゴの古木が4本、残っています。扇を広げたような形をした見事なエスパリエ仕立てのリンゴは、今も秋になると、美味しい実をたくさんつけます。 18世紀の古い納屋にはカフェがあって、キッチンガーデンで栽培された、ポロネギ、ニンジン、ルバーブ、アスパラガス、イチゴ、リンゴといった、採れたての旬の野菜や果物を使った料理を楽しむことができます。美しい景色の中、ビール夫妻の客人になった気分で楽しむ食事は、格別の味わいに違いありません。 取材協力: 英国ナショナル・トラスト(英語) https://www.nationaltrust.org.uk/ ナショナル・トラスト(日本語) http://www.ntejc.jp/ Information 〈The National Trust〉Standen House and Garden スタンデン・ハウス・アンド・ガーデン ロンドンからは車で約2時間。電車の場合は、ロンドン・ヴィクトリア駅から最寄り駅のイースト・グリンステッド駅(East Grinstead)まで約1時間。駅からはタクシー(約3km、約10分)、または、クローリー(Crawley)行きのメトロバス84番に乗り、スタンデン・ナショナル・トラスト(Standen National Trust)で下車(日曜は運休)。バス停からは徒歩(約800m、約8分)。 12月25、26日を除き、通年開園。庭園の開園時間は、2~10月は10:00~17:00、11~1月は10:00~16:00。屋敷の開館時間は、2~10月は11:00~16:30、11~1月は11:00~15:30。 *2018年度の情報です。開園予定が変わることもあるのでHP等で確認してください。 住所:West Hoathly Road, East Grinstead, West Sussex, RH19 4NE 電話:+44(0)1342323029 https://www.nationaltrust.org.uk/standen-house-and-garden Credit 文/萩尾 昌美 (Masami Hagio) ガーデン及びガーデニングを専門分野に、英日翻訳と執筆に携わる。世界の庭情報をお届けすべく、日々勉強中。5年間のイギリス滞在中に、英国の田舎と庭めぐり、お茶の時間をこよなく愛するようになる。神奈川生まれ、早稲田大学第一文学部・英文学専修卒。
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イギリス
イギリス流の見せ方いろいろ! みんな大好き、チューリップで春を楽しもう
120年前のこと、英国の慈善団体ナショナル・トラストは、開発で失われていく自然や、歴史ある建物や庭といった文化的遺産を守り、後世に残そうと、活動を始めました。多くのボランティアの力によって守り継がれる、その素晴らしい庭の数々で見つけたチューリップの開花シーンをご紹介します。 存在感ある鉢植えで魅せる まずは、世界中のガーデナーが憧れるシシングハースト・カースル・ガーデンの、鉢植えアレンジ術を覗いてみましょう。 春のコテージガーデンにドーンと置かれているのは、明るいオレンジ色のチューリップが溢れんばかりに咲く銅製の大鉢。存在感たっぷりで、見る者の視線を集めます。このガーデンの春の植栽は、黄色とオレンジがテーマカラー。鮮やかなオレンジ色の花が、トピアリーの緑や鉢の緑青によく映えて、快活な春の景色をつくっています。 こちらは一転して、ニュアンスカラーの、優しいトーンの花景色です。鉢にしているのは、かつて家畜用に使われていた、古い石の餌入れ。イギリスの田舎ならではの発想ですね。温かみのあるレンガ造りの家壁にしっくり合う石鉢と、それにマッチする花色のチューリップをうまく選んでいます。 花壇に置かれたこちらの鉢植えは、素焼きの大鉢を使い、赤や紫の同系色の花色でまとめたもの。色とりどりの春の花が咲いて、野原のような、のどかで可愛らしい印象の花壇に大鉢を置くことで、面白味のある変化を生み出しています。 フォーマルガーデンの彩りに イギリスの屋敷でよく見られる整形式庭園は、きれいに刈り込んだトピアリーや生け垣などで幾何学的な模様を描いた庭。その花壇は季節の花で彩られますが、花色が豊富なチューリップは、春の整形式庭園を彩るのにもぴったりです。 こちらは、ウェールズにあるエルディグのヴィクトリア朝様式の庭園。緑の球状のトピアリーと、赤い玉が浮かぶように連続するチューリップの花が、リズム感のある楽しげな景色をつくり出しています。 チェシャー州、ライム・パークのダッチガーデンでは、幾何学模様を塗りつぶすように、明るい花色のチューリップが咲き誇ります。 デザインの幅を広げる2色づかい 花壇に咲かせる場合、異なる2色のチューリップを組み合わせると、植栽のデザイン性がぐっと高まります。こちらは、コッツウォルズの名園、ヒドコートの花壇。先が尖り、反りかえった花弁を持つ、ユリ咲きの白と黄のチューリップが、きらめく星のように花壇を明るく彩ります。 次は、ウェールズ、ダフリン・ガーデンの、ビビッドなマゼンタ色とオレンジ色の組み合わせ。ライトグレーの抑えた色調で統一された敷石や植木鉢が、鮮やかな花色を引き立てる、現代的な印象のテラスガーデンです。カラフルな宝石のような色合わせには、子どもも思わずかくれんぼしたくなる楽しさがありますね。 一方、こちらはウェールズ、トレデガー・ハウスの整形式庭園。きっちりと刈り込まれたツゲの生け垣に囲まれて咲くのは、白と黒のチューリップ。可愛らしいというチューリップの一般的なイメージを覆す、モダンでシックな雰囲気の組み合わせです。 草原や森にナチュラルに咲き広がる チューリップは、広い面積に咲き広がる様も素敵です。こちらは、ウェスト・サセックス州、スタンデンの庭。クロッケー用の芝生の脇にある土手に、芝草に交じってさまざまな色柄のチューリップが咲き広がります。キャンディが散りばめられたような、にぎやかな花景色は、花色や花姿が豊富なチューリップならではでしょう。 最後は、ケンブリッジにあるアングレジー・アビーのウィンターガーデンです。ヨーロッパシラカンバの林でピンクのチューリップが一面に咲き広がる様は壮観。色の少ない時期を明るくしようと、ガーデンデザイナーが計画した見事な花景色です。白く輝く樹皮とピンクの花色の組み合わせが、おとぎ話の世界のようにロマンチックですね。 さて、いろいろな見せ方のあるチューリップ、いかがでしたか。ぜひ、庭づくりのヒントにしてみてくださいね。 取材協力 英国ナショナル・トラスト(英語) https://www.nationaltrust.org.uk/
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フランス
フランス「リュクサンブール宮殿」の花壇【世界のガーデンを探る旅8】
『フランス「ヴェルサイユ宮殿」の花壇編【世界のガーデンを探る旅7】』で、フランスにつくられる花壇における色彩感覚について解説しましたが、場所をパリ市内のリュクサンブール宮殿に変えて引き続きフランス独特の植栽について話をしたいと思います。 「リュクサンブール宮殿」は、パリの中心部にあり、元老院の議事堂として使用されていた宮殿で、現在は公園として一般に公開されています。毎日パリ市民が三々五々集まってきて、気ままに花を眺めながらそれぞれの時間を楽しんでいます。特に春に植えた花壇の花々がちょうど見頃になる初夏には、毎日晴天が続くうえ夜は22時頃まで明るいことも手伝って、パリ市民には人気スポットになっています。 フランス式の混植花壇はここにも 「リュクサンブール宮殿」も、やはり混植の花壇です。まずご紹介するのは、宮殿の前庭です。オレンジ色のダリアにピンクのペチュニア、それぞれの個性的な色合いを和らげているその他の花は、ブルーのサルビアやフレンチマリーゴールド、濃い紫のペチュニア、ブルーサルビアなど。それぞれが混ざり合って、緑の芝生に映えてきれいです。 角度を変えて、花壇に近づいてみましょう。左の背の高いえび茶色の植物は銅葉ヒマ(別名トウゴマ、‘ニュージーランド・パープル’)です。渋い色合いといい、ボリュームといい存在感のある植物で、夏花壇のフォーカルポイントとしてぜひ使いたい植物です。 植栽リスト Case1 【赤~オレンジ色系】銅葉ヒマ、ダリア、ペチュニア 【黄色系】フレンチマリーゴールド、カルセオラリア、ルドベキア 【青~紫系】ペチュニア、サンジャクバーベナ、サルビア(メドーセージ) 【葉物】スイスチャード、タイム 園内には、あちこちに椅子がいくつも置いてあります。色も渋いモスグリーンで、人どめの柵も低くて花壇の観賞の邪魔にならず、足掛けとしてもちょうどよい高さ。こんなところにもフランスのセンスを感じます。全体が、それぞれ心憎いまでに、色彩のハーモニーをつくりだしています。 宮殿のサイドにある花壇は、螺旋状に花が植えられています。結構自己主張が強いピンクのペチュニアを赤や黄色のコリウス、オレンジのマリーゴールドなどが独特の調和を見せています。ベージュ色の園路の砂利までもが、うまく引き立て役にまわっています。 植栽リスト Case2 【赤~オレンジ色系】銅葉ヒマ、ダリア、ペチュニア、ジニア 【黄色系】フレンチマリーゴールド、カルセオラリア、ルドベキア 【青~紫色系】ペチュニア、サンジャクバーベナ、サルビア、ヘリオトロープ 【葉物】スイスチャード、コリウス 宮殿に近い花壇です。ここの特徴は、高さを低く抑えて絨毯のような彩りで、明るく宮殿の荘厳さを引き立てている点です。手前と奥の花壇でマリーゴールドの色を微妙に変えることで、単調な配色にならないように奥行きを出す工夫があります。左奥に見えるヤシの木は、冬にはオランジェリー(温室)に運び込まれて、翌年の出番まで静かに春を待ちます。 植栽リスト Case3 建物側 【黄色系】マリーゴールド 【紫色系】ペチュニア、サルビア、ヘリオトロープ 【白色系】ジニア 手前の花壇 【オレンジ色系】マリーゴールド 【紫色系】ペチュニア、サルビア 【白色系】ジニア 違う年の春の花壇です。丈の低い紫のチューリップと、花茎が長く背の高い紫とピンクの斑が入ったチューリップの2種の、シンプルな組み合わせ。3種のチューリップだけで、立体感のある色彩の帯ができています。低いツゲの黄緑色の縁取りがくっきり現れて、花壇をより引き立てています。 参考までにイギリスのハンプトンコートの花壇と比べてみてください。フランスとは明らかに違った感覚の植栽です。皆さんはどちらが好みでしょうか? イギリスの花壇に使われている植物は、外側からロベリア、マリーゴールド(白)、マーガレットコスモス(黄色)、斑入りのカンナ。 再び「リュクサンブール宮殿」に戻り、他の花壇の彩りをご紹介しましょう。 公園の森のあちこちに銅像などのモニュメントがあり、その足元は花壇に囲まれています。ゆるく盛り上がったここの花壇も、混植されていますが2〜3種類程度の限られた数の植物を使いながらも、はっきりとした色合いで演出されています。驚くことに、公園内のあちこちに点在するモニュメントのすべての場所で、花の組み合わせは異なっていました。 ここまでご紹介した花壇に植えられているほとんどの植物は、日本でも栽培されています。夏にはほとんど雨の降らないフランスとは違い、ダリアや球根ベゴニア、ゼラニウムなどは、雨が多く蒸し暑い日本では夏花壇での使用は真似ができませんが、花の色使いや組み合わせは、とても参考になります。 フランスの花壇、いかがでしたか? 『フランス「ヴェルサイユ宮殿」の花壇編【世界のガーデンを探る旅7】』でも解説したように、フランスにはいまだに印象派の色合いが受け継がれているように思いましたが、もしやその色彩感覚は、フランス人が生まれつき持っているセンスなのかもしれません。ちょうど日本人が墨色の濃淡で風景や感情を感じられることと同じかもしれませんね。
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イギリス
英国の名園巡り 侯爵夫人の人生の喜びが散りばめられた「マウント・スチュワート」
120年前のこと、英国の慈善団体ナショナル・トラストは、開発で失われていく自然や、歴史ある建物や庭といった文化的遺産を守り、後世に残そうと、活動を始めました。多くのボランティアの力によって守り継がれる、その素晴らしい庭の数々を訪ねます。 マルチな才能を持った侯爵夫人 イーディス イーディスは父親譲りのポジティブな性質で、乗馬やヨットの旅を楽しむ、行動力のある女性でした。夫の第7代ロンドンデリー侯爵チャールズが政界に入ってからは、支援のために社交界で動き、また、第1次世界大戦時には、女性による後方支援部隊の統率役も担って、上流社会で影響力を持つようになります。一方で彼女は、庭づくりに加え、伝記や子ども向けの物語を執筆するなど、芸術性や文才にも秀でていました。5人の母でもあり、じつにエネルギッシュで、多面的な才能にあふれた人物でした。 朝日と夕日の庭 イタリアン・ガーデン イーディスは結婚当初、ヨットでスペインやイタリアへ旅し、また、持病の療養のため、夫と共にインドに長期滞在したこともありました。そうした旅先で目にした歴史的な庭園の数々が、彼女の植物や庭づくりへの興味を育てたといいます。 第1次世界大戦後の1920年、41歳の時に、イーディスは末娘となるマイリを期せずして身ごもり、その妊娠中に庭園の設計を始めます。それから始まる庭づくりの日々は、彼女にとってこの上なく幸せで、創造的な時間でした。 イーディスが最初に取り組んだのは、屋敷の南側、入り江を見下ろす斜面に広がるイタリアン・ガーデンです。子ども時代を過ごした思い出の場所、スコットランド、ダンロビン城の庭園に似せた整形式庭園(パーテア)が東西に2つ並ぶ構図に、彼女はイタリアで目にしたボボリ庭園のようなルネッサンス期の名園のエッセンスを加えました。 1921年、イタリアン・ガーデンは、熟練庭師と復員してきた21人の男性の力を借りて形づくられました。この庭はもともとローズガーデンとして計画されましたが、海沿いの土地にバラの生育条件が合わず、数年後にまた新しいカラースキームを考えることになりました。 イーディスは2つのパーテアのうち東側(写真左)を、中心から、鮮やかな赤、オレンジ、ブルー、シルバーと同心円状に変化する朝日のイメージで、また、西側は、深紅、薄ピンク、藤色、黄色、濃い赤紫色と変化する夕日のイメージでデザインしました。そして、英国に導入されたばかりの珍しく美しい異国の植物と、主流の宿根草や球根を合わせるという独自のスタイルで、植栽を構成しました。また、異国の花木をスタンダード仕立てにして、そこに新しいつる性植物を這わせるなど、見せ方も工夫しました。 イタリアン・ガーデンの東側には、動物などのセメント製のユーモラスな彫像が並ぶドードー・テラスと開廊(ロッジア)があります。絶滅した大型の鳥ドードーの像は、イーディスの父、チャップリン子爵を表現したもの。というのは、政治家だった子爵は、かつて風刺画でドードー(まぬけ)と揶揄されたことがあったのです。それを笑いに変えてしまう、イーディスのユーモアセンスが感じられます。また、ノアの方舟(アーク)は、アーク・クラブという、侯爵夫妻が主催した上流階級の私的な集まりを記念して置かれました。 イトスギの壁が印象的なスパニッシュ・ガーデン イタリアン・ガーデンの先に続くスパニッシュ・ガーデンは、スペインへの旅の記憶が詰まっています。インスピレーションの源となったのは、王族に案内されて訪ねたアルハンブラ宮殿やヘネラリフェのペルシャ式庭園です。両側に立つ印象的なイトスギの壁は、16世紀のベネチア人の旅人がヘネラリフェの庭へと続くアーケードを描写した記述をもとに、デザインされました。イーディスの構想通りに生け垣を仕立てられる、庭師の腕にも驚きます。 大好きな花が植わるサンクン・ガーデン 屋敷の西側にあるサンクン・ガーデン(沈床式庭園)と、その先につながるシャムロック・ガーデンは、屋敷の1階から見ることのできる唯一の庭です。サンクン・ガーデンの三方はパーゴラで囲まれていますが、イーディスは、そこに珍しい異国のつる性植物を絡めました。その内側に植わるのは、彼女が愛してやまなかったロドデンドロンとユリ。イーディスは香りのよい花が大好きでした。 イーディスにとって庭づくりは、知的活動と身体を動かすことの、両面の楽しみがありました。植物を育てること、そして、その場所にぴったりの植物の組み合わせを見つけることに、夢中になったのです。 イーディスは博識な知人に学んで、植物の知識を深めていきました。庭園のあるアーズ半島は、暖流のおかげで暖かい、地中海性気候の土地。イーディスはプラントハンターを支援して、似たような気候を持つ世界各地からたくさんの新しい植物を集め、この庭で実験的に育てました。 アイルランド神話の世界 シャムロック・ガーデン イーディスを魅了するものの一つに、アイルランド神話がありました。この庭では、アイリッシュハープをはじめ、アイルランドや神話にまつわるモチーフの、たくさんの小さなトピアリーが楽しめます。手前の、手の形をした花壇は、〈アルスターの赤い手〉という神話がモチーフ。セイヨウイチイの生け垣に囲まれた庭園自体も、上から見るとアイルランドの国花である三つ葉(シャムロック)の形を表しています。 他にも、イーディスが末娘のためにつくったマイリ・ガーデンや、大好きなユリを育てたリリー・ウッド、湖畔の墓地、それから、美術品がたくさん飾られた新古典主義建築の屋敷と、見どころがたくさんあります。北アイルランドの至宝を、ぜひ訪ねてみてください。 取材協力 英国ナショナル・トラスト(英語) https://www.nationaltrust.org.uk/ ナショナル・トラスト(日本語)http://www.ntejc.jp/
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フランス
フランス「ヴェルサイユ宮殿」の花壇編【世界のガーデンを探る旅7】
フランス式庭園を彩る花々から色彩感覚を探る 『「フランス「ヴェルサイユ宮殿」デザイン編【世界のガーデンを探る旅6】』では、ヴェルサイユ宮殿とフランス式庭園の誕生、そして庭全体のデザインについてご紹介しましたが、今回はフランス独特の植栽について、花壇を例に解説します。 ベルサイユ宮殿の春の花壇です。黄色系のスイセン(3種類)に赤系のチューリップ(4〜5種類)が混植されています。ポイントは濃紫の八重のチューリップでしょう。黄色や赤だけではぼやけた印象になるので、濃い紫を差し色にして、花壇の色彩を引き締めています。また白いスイセンを入れることにより、全体の色合いが単調に混ざるのを防ぐと同時に優しさをプラスしています。 低い草ツゲに揃えて、草丈の低い球根類に限定し、黄緑の草ツゲと深緑のイチイの刈り込みが花壇の色彩を引き立てています。特にイチイの深緑を点在させることで、広大な敷地に立体感と奥行きを生み、遥か向こうにあるアイボリーホワイトの宮殿までの距離感と重厚さを効果的に演出しています。 ヴェルサイユ宮殿の花壇づくりのテクニックを探る 植栽リスト Case1 【宿根草】ガウラ、マーガレット、ルドベキア、デルフィニウム、ダリア 【一・二年草】ニコチアナ、三尺バーベナ、クレオメ、サルビア、デージー他 こちらは、ヴェルサイユ宮殿の北側の花壇です。少し高めのツゲの刈り込みの中に、いろいろな花が植栽されています。一見無秩序に咲き乱れているかのようですが、それぞれ一塊のブロックになっています。写真の時期は初夏ですが、宿根草と一年草が入り乱れる植栽は、英国庭園に見られるナチュラルな植栽とは違い、モダンな印象を受けます。 植栽リスト Case2 【白色系】ニコチアナ、ストック、ペチュニア 【桃色系】ダイアンサス(セキチク系)2種類、ストック 【黄色系】コレオプシス 南側の花壇は、低い草ツゲのエッジが整ったカーペット花壇です。幾何学的な模様の中に背の低い花々が植え込まれています。一年草と二年草の組み合わせで1ブロック2mほどを1パターンとして、黄色、ピンク、白と繰り返して花色がつながり、まるで絵画の印象派を思わせる淡い彩りがガーデンに浮かび上がっています。 このように花色を混ぜ合わせる手法は、やりすぎると色が濁ってしまうのでセンスを要します。 黄花のコレオプシスに濃い桃色のダイアンサス…およそ調和し難いこの2色をニコチアナ、ペチュニア、ストックの白花がうまくつないでいます。このように10種類近くの草花を組み合わせながらも、色の混乱を避けることは、植物知識と色彩感覚、美的センスなど、さまざまな能力が必要です。しかも、この広大な敷地にタイミングよく植え込むのです。苗の確保と植え込み作業、その後のメンテナンスまでトータルに考え実行する…ガーデナーとは、なんとクリエイティブな仕事なのでしょう。 植栽リスト Case3 【赤〜桃色系】ゼラニウム、ベゴニア、セキチク 【青〜紫色系】バーベナ、ヒエンソウ 【黄色系】不明 【白色系】ペチュニア、ニコチアナ 初夏の植え込み直後と思われる花壇です。20〜25㎝間隔で苗が植え込まれています。これが1カ月も経てば、隙間なくお互いにくっつき合うように育ってくれるとはうらやましい限りです。日本は梅雨や夏の高温多湿により、病気や蒸れで草花へのダメージが大きいのですが、フランスでは高緯度による優しい日の光がぐるっと根元まで届くことや、涼しい夏のおかげで、ある程度の密植は問題がないようです。もちろん、有機物がいっぱい入った土づくりにも力を入れていることでしょう。 現代の花壇にも表現されている印象派‘モネ’の色 初夏の中央花壇です。なんて素晴らしい混植花壇なのでしょう。フランスの人たちの美意識の高さがうかがえる、とても魅力的な植物の組み合わせです。 植栽リスト Case4 【赤色系】ゼラニウム 【桃色系】ダリア(2種類)、ストック(八重)、バーベナ 【青〜紫色系】デルフィニウム 【白色系】デルフィニウム、ニコチアナ、シロタエギク 淡い桃色のダリアを中心に、ゼラニウムの独特な緋色がアクセントになっています。こんもり盛り上がったフラワーベッドには、垂直に立ち上がる縦のラインと、低く広がる淡い色。この色合いは、もしやあの絵画で見た色構成ではないでしょうか? オランジュリー美術館で展示されている、有名なクロード・モネの描いた‘睡蓮’です。ヴェルサイユ宮殿の花壇の色合いは、まさにこの絵そのものではないかと私は思うのです。晩年のモネは、目が徐々に不自由になり、ものの形がはっきり識別できなくなっていたそうですが、その中で描かれたこれら一連の作品‘睡蓮’は、色彩の魔術師と称され、今もなお多大な影響力を持つモネの集大成といわれています。この‘睡蓮’の色使いと、ベルサイユ宮殿の花壇の色づかいには多くの共通点があるように思います。フランスには、今もモネの色彩感覚が脈々と息づいていると感じるのです。 植栽リスト Case5 【赤色系】ゼラニウム、ダリア(2種類) 【白色系】クレオメ、コレオプシスデージー 【シルバーリーフ】不明 晩夏の中央花壇です。緋色のゼラニウム、桃色のダリア、そこに白花のコレオプシスデージーが独特の葉色とともに混植されています。初夏のデルフィニウムに変わって、白のクレオメがふわりと立ち上がり、咲き誇っています。桃色のダリアも草丈を伸ばし、初夏とは違ったボリューム感を見せています。 ヴェルサイユ宮殿のカーペットベディング ヴェルサイユ宮殿のずっと西の端、あまり人が訪れないエリアにまでカーペットベディング(毛氈花壇)がありました。白いエケベリアをうまく使って、赤いベゴニア・センパフローレンスやハゲイトウ、アルテルナンテラなどが使われています。日本では考えられない組み合わせですが、是非チャレンジしたいものです。ベッドを円錐状に盛り上げたり、斜面を生かした花の見せ方には感心します。 植栽リスト Case6 【赤色系】ベゴニア・センパフローレンス、アルテルナンテラ 【葉物】エケベリア、アスパラガス、シロタエギク フランスには、いまだに印象派、特にモネの色合いが色濃く残っているような気がしますが、いかがでしょうか? イギリスをはじめ、他の国ではこのような混植は見たことがありません。ぜひ皆さんも、フランスへ旅する機会があったらフランス式花壇をじっくり観察してください。フランスの草花が特に美しい季節は8〜9月です。
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イギリス
英国の名園巡り 大邸宅のスケールを楽しむ「ブリックリング・エステート」
120年前のこと、英国の慈善団体ナショナル・トラストは、開発で失われていく自然や、歴史ある建物や庭といった文化的遺産を守り、後世に残そうと、活動を始めました。多くのボランティアの力によって守り継がれる、その素晴らしい庭の数々を訪ねます。 英国史の舞台となった屋敷 ブリックリングの歴史は古く、11世紀には、ヘイスティングスの戦いでウィリアム1世に敗れた、イングランド王ハロルド2世の領主館がありました。16世紀には、ヘンリー8世の妻となったアン・ブーリンの父親が所有しており、アンはここで生まれたともいわれています。王室に近い貴族や主教など、ブリックリングは時の有力者の手に次々と渡ってきました。 現在見られるジャコビアン様式の赤レンガ造りの屋敷は、法律家で准男爵のヘンリー・ホバートによって、1619年から建てられたもので、ヘンリーの死後、地所はホバート家の親族によって受け継がれてきました。そして1940年、ブリックリングの最後の主であり、2つの世界大戦の間に政治家、外交官として活躍したフィリップ・カー、第11代ロージアン侯爵によって、ナショナル・トラストに遺贈されました。 ブリックリングの風景でまず目を引くのは、赤レンガの屋敷とシックなコントラストを見せる、堂々たるイチイの生け垣です。エントランスの生け垣は17世紀初めに屋敷が建てられて以来、400年にわたって引き継がれているもの。長い時の流れが感じられます。そして、庭園にチェスの駒のように点在するトピアリーも印象的です。遠目では可愛らしく見えますが、じつは大人が見上げるほどの大きさ。これほど立派なトピアリーには英国でもそうそうお目にかかれません。 ノラ・リンゼイが設計したパーテア 館の東側には、美しいパーテア(植物で幾何学模様を描く整形式庭園)が広がっています。19世紀後半には、大小80の花壇とトピアリーによって凝った模様が描かれていましたが、現在見られるデザインは、第11代ロージアン侯爵の依頼を受けて、1932年にガーデンデザイナーのノラ・リンゼイによって再設計されたものです。 ノラ・リンゼイは上流階級の出身で、独学で園芸知識を身に着けてデザインセンスを磨き、20世紀を代表するガーデンデザイナーとして活躍しました。彼女の友人には、名園ヒドコートをつくったローレンス・ジョンストンや、シシングハーストのヴィタ・サックヴィル=ウェストがいます。 ノラは、噴水を中心に、4つの大きな正方形の宿根草花壇を配置するという、ごくシンプルなデザインに変え、花壇をピンク、ブルー、藤色、白の花々で埋めました。時代の先端をだったその植栽デザインは、今でも古さを感じさせません。 咲き広がる春のスイセン ブリックリングの敷地には広い草地や農場があり、その総面積は2,000万㎡に及びます。屋敷から少し離れた野原のエリアは、春は黄色いスイセンで埋め尽くされ、人々が散策を楽しむ憩いの場となります。 小さな谷のエリアでは、冬はヘレボレス、初夏にはジギタリスが咲き広がって、人々を出迎えます。5月にブルーベルが咲く森もあって、一年を通じて、英国らしい季節の移ろいが楽しめます。 英国ナショナル・トラストでは、会員になって年間パスポートを手にすれば、何度でも庭園に入場することができます。こんなに美しい場所をいつでも楽しめるなんて、地域に暮らす人々が羨ましいですね。 取材協力 英国ナショナル・トラスト(英語) https://www.nationaltrust.org.uk/ ナショナル・トラスト(日本語) http://www.ntejc.jp/