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ガーデナー憧れの地「シシングハースト・カースル・ガーデン」誕生の物語

ガーデナー憧れの地「シシングハースト・カースル・ガーデン」誕生の物語

©National Trust Images/Andrew Butler

エリザベス朝時代の古い塔を背景に広がる、エレガントでロマンチックな花景色。イギリス、ケント州の緑豊かな田園にあるシシングハースト・カースル・ガーデンは、世界中のガーデナーが一度は訪れたいと願う名園です。ここでは、20世紀を代表する世界的名園の誕生秘話に迫ります。

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詩人のヴィタと外交官のハロルド

7月のホワイトガーデン。©National Trust/Marianne Majerus

この類まれなる庭をつくり上げたのは、詩人、作家として活躍した妻のヴィタ・サックヴィル=ウェストと、外交官で作家でもあった夫のハロルド・ニコルソン。確かな審美眼を持ち合わせた2人は、設計や植栽に互いの個性を反映させながら、静かな美しさに満ちた庭景色を実現していきました。今ではよく見られる、白花で埋め尽くされたホワイトガーデンのスタイルも、彼らが始めたものです。

晩年のヴィタ(1892-1962)とハロルド(1886-1968)。サウスコテージの前で。©National Trust

ともに貴族の出で、高い教養を持ったヴィタとハロルドは、若くして出会い、結婚しました。2人は因習にとらわれず、互いが恋人を持つことに寛容な新しい結婚形態を認め、それぞれ同性の恋人を持つこともありました。

ヴィタの恋人の一人は、作家のヴァージニア・ウルフでした。ウルフの小説『オーランドー』に登場する、性別と時空を超えて旅をする主人公は、ヴィタがモデルになっています。時に、恋人との恋愛に身を焦がすこともあったヴィタ。しかし、ヴィタとハロルドの2人はそれでも深く愛し合い、特に、シシングハーストの庭をともに創作することで強く結びついていたといいます。

廃墟との運命的な出合い

赤バラに彩られる古いレンガづくりの建物。庭園への入口部分。©National Trust Images/Arnhel de Serra

1930年のある日、ヴィタとハロルドは、廃墟と化していたシシングハースト・カースルに出合います。むき出しの土には、がれきの山が置かれ、15世紀末に建てられた歴史ある建物も、到底人が暮らせるものではありませんでした。16世紀のエリザベス朝にはイングランド女王を迎えるほどに立派だったマナーハウスは、18世紀には牢獄、19世紀には救貧院、20世紀には陸軍用地に使われ、打ち捨てられた存在になっていたのです。

庭のシンボル、エリザベス朝時代の塔(タワー)。©National Trust Images/Arnhel de Serra

しかし、ヴィタにとってこの廃墟との出合いは運命的といってもいいものでした。レンガづくりの古びた建物と、どこからでも見えるエリザベス朝時代の古い塔。彼女にはきっと、シシングハーストの未来にある、美しい庭景色が見えたのでしょう。「一目見るなり、恋に落ちた。私にはここがどんなところか分かった。眠り姫の城だ」と、書き残しています。

ピンクがかった古いレンガ塀を熱心に見つめながらヴィタがつぶやいた「私たちはここでとても幸せに暮らせるはずよ」という言葉に、当時13歳だった息子のナイジェルは驚きます。彼には、とてもそう思えなかったからです。

サウスコテージの壁に今も伝うバラ‘マダム・アルフレッド・キャリエール’。©National Trust Images/Andrew Butler

ヴィタとハロルドは、同じ年にシシングハーストの建物とその周辺の広大な土地を購入します。そして、契約を交わしたその日に、バラ‘マダム・アルフレッド・キャリエール’をサウスコテージの扉の脇に植えて、庭づくりの一歩を踏み出しました。それから長い年月を費やして、建物の大改修と庭の創造に取り組んだのです。

ハロルドによる古典的で優美な設計

塔の南側の眺め。周辺の土地もトラストによって守られています。©National Trust Images/Andrew Butler

庭の設計はハロルドが担当し、植栽は主にヴィタが行いました。ハロルドは、直線を用いた、古典的でありながらも洗練された構造を好みましたが、しかし、芝生や生け垣を設計通りに実現するのはとても難しいものでした。

また、図面と向き合い、難解なパズルを解くように何週間も案を練っているうちに、ヴィタが小径となるべき場所に樹木や灌木を植えてしまうこともありました。

塔の前に広がる芝生(タワー・グリーン)。古いレンガ塀にはつるバラが。©National Trust Images/Andrew Butler

ハロルドは伝統的な整形式庭園の様式を重視していました。「芝生は私たちのガーデンデザインの基本だ」。「よきイングリッシュガーデンの土台となるのは、水、樹木、生け垣、そして芝生だと、ガーデンデザイナーなら認めるべきだ」。彼はそう書き残しています。

塔のアーチ道から果樹園のディオニューソスの像に続く眺め。©National Trust Images/Andrew Butler

かつて広大な鹿狩場を見渡すために建てられた塔は、屋上まで上ることができ、そこから庭園全体を見下ろすことができます。ハロルドがつくり上げた庭の構造を理解する、絶好のビューポイントです。

塔の北側にあるホワイトガーデン。中央は白いつるバラに覆われたガゼボ。©National Trust Images/Andrew Butler

レンガ塀や生け垣で仕切られたガーデンは小部屋が連なるように配置され、ところどころに、高いイチイの生け垣に挟まれて一直線に伸びる‘ユー・ウォーク’の小径や、円形の生け垣といった、ダイナミックな構造がつくられているのが分かります。

塔の南側。円形の生け垣があるローズガーデンや、田舎家を囲むサウスコテージガーデンが見えます。©National Trust Images/Andrew Butler

シシングハースト・カースルの敷地は450エーカー(東京ドームおよそ39個分)という広さがあり、庭園は、森や小川、農地の広がる敷地の、ほぼ中央に位置しています。ケント州に生まれ育ったヴィタは、この地の森林風景を深く愛していました。庭が周囲の景色と一体となっていることは、2人にとって大切なことでした。

塔の中にあるヴィタの書斎。©National Trust Images/John Hammond

色彩が躍るヴィタの植栽

赤バラ‘アレン・チャンドラー’に縁どられるアーチ道。©National Trust Images/Jonathan Buckley

才能あるアマチュア・ガーデナーだったヴィタは、きっちりとした性質のハロルドとは対照的に、完璧を求めず、本能的に庭に向き合うタイプでした。植栽スタイルも、土が見えるのがとにかく嫌で「どんな隙間にもどんどん詰め込む」というもの。草花がこぼれんばかりに茂り、色彩があふれ出すような植栽を好みました。

4月のパープル・ボーダー。©National Trust Images/Andrew Butler

中庭にあるパープル・ボーダーでも、ヴィタは巧みに色彩を操って、印象的な花景色をつくりました。紫色の花壇といっても、紫色の花ばかりではなく、ピンク、ブルー、ライラックといった色をうまく取り混ぜて、色彩の広がりを出しています。

ハロルドによる洗練された構造設計と、感性豊かで情熱的なヴィタの植栽。この2つの要素が相まって、他にはないシシングハーストの魅力は生まれています。

永遠に生き続ける花園

塔にあるヴィタの書き物机。晩年はここで多くの時間を過ごしました。©National Trust Images/John Hammond

1937年、2人は初めて、2日間の一般公開を行いました。ヴィタはまた、1947年から亡くなる前年まで、英オブザーバー紙で〈イン・ユア・ガーデン〉という人気ガーデンコラムを毎週書き続け、ローズガーデン、サウスコテージガーデン、ホワイトガーデンといった、彼らが生み出した独創的なシーンは、時とともに知られるようになりました。

ヴィタがとても大切にしていたロサ‘ゲラニウム’(ロサ・モイエシーの交配種)。©National Trust Images/Andrew Butler

ヴィタは1962年に70歳で亡くなり、シシングハーストを息子のナイジェルに遺します。庭を分身のように思っていた生前のヴィタは、他人の手に庭を渡すことを頑なに拒んでいました。しかし、莫大な相続税を課せられたナイジェルには、周辺の農地を売って屋敷と庭だけを残すか、もしくは、英ナショナル・トラストにすべてを譲るかという選択肢しか残されていませんでした。

果樹園からの眺め。©National Trust Images/Andrew Butler

ナイジェルは、両親の手による偉大な創造物を、周辺の景色とともに守っていくよう英ナショナル・トラストを説得し、1967年、ついに地所を譲りました。それは、ヴィタの本意ではなかったかもしれません。しかし、彼女の愛した花園は、こうしてトラストによって守られ、生き続けることになったのです。

取材協力

英国ナショナル・トラスト(英語) https://www.nationaltrust.org.uk/

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