世界遺産にも登録された時代の中心地「ブレナム宮殿」【世界のガーデンを探る18】
日本庭園やイングリッシュガーデン、整形式庭園など、世界にはさまざまなガーデンスタイルがあります。そんなガーデンの歴史やスタイルを、世界各地の庭を巡った造園家の二宮孝嗣さんに案内していただく歴史からガーデンの発祥を探る旅第18回。今回は牧歌的な風景を模したイギリス庭園(イングリッシュ・ランドスケープ)時代の立役者、ケイパビリティー・ブラウンが手がけた風景式庭園を持つ壮麗な宮殿、「ブレナム宮殿」をご案内します。
目次
一時代の中心となった庭
「ブレナム宮殿(Blenheim Palace & Gardens)」
数あるイギリスの庭の中にも、それぞれの時代ごとに、最もその話題の中心となってきた庭があるのではないでしょうか。今回取り上げるブレナム宮殿も、そんな印象を受ける庭の一つ。現在では世界遺産にもなっている由緒正しき庭をご紹介していきましょう。
ブレナム宮殿は、18世紀を代表するバロック建築の宮殿です。2,000エーカーを超える広大な土地を擁するこの宮殿は、後述のように、1705年初代マールボロ公爵ジョン・チャーチルが、ジョン・ヴァンブラに設計を依頼。アン女王のガーデナーであったヘンリー・ワイズも、ベルサイユ宮殿を手本としてこの庭の設計に加わっています。その後、アン女王からの援助が打ち切られて建築半ばで工事はストップしてしまいますが、さまざまな紆余曲折を経て、アン女王の死後にマールボロ公爵が自費で完成させました。しかし、建物の完成後も庭園は改造を重ね、1933年にようやく現在の姿になりました。
初代マールボロ公爵から宮殿の設計を依頼されたジョン・ヴァンブラは造園家でもあったので、その当時最先端であったフランス式やイタリア式のフォーマルガーデンを宮殿の周りに配置しました。残念ながら、当時の庭は、その後改修に当たったケイパビリティー・ブラウンによって跡形も無くなってしまっています。
もともとこの宮殿は、スペイン継承戦争の際、現在のドイツにあるブレンハイム(英語名でブレナム)という地で行われたフランスとの戦いに、初代マールボロ公爵のジョン・チャーチル率いるイギリス連合軍が勝利したため、当時のアン女王がこの土地と建築資金をマールボロ公爵に褒美として与えたことから、その歴史が始まります。この勝利は、イギリスをヨーロッパで二流国から一流国へとステップアップさせたものでもありました。ちなみに、イギリスで王室関係以外にPalace(宮殿)と名がついているのは、このブレナム宮殿だけ。個人所有としてはイギリス最大の広さであり、中世につくられたヨーロッパの宮殿の中でも指折りの壮麗さを誇っています。
ケイパビリティー・ブラウンの手による
広大なイギリス式風景庭園
ブレナム宮殿のガーデンは、18世紀半ばになって、かの有名な造園家のランスロット・ケイパビリティー・ブラウンにより、大々的な改修が行われました。彼はまず、宮殿の横を流れるグリム川を堰き止めて人工の大きな湖をつくり、広大なイギリス式風景庭園を生み出しました。
イタリア式庭園風にテラス状になった宮殿から降りてくると、ケイパビリティー・ブラウンがつくり出したピクチャレスクなランドスケープが眼下に広がります。この湖の先に、ジョン・ヴァンブラが設計した、半分水没した有名なヴァンプラの橋があります。
この風景は前回ご紹介したウィリアム・ケントのガーデンのように、まさにピクチャレスクな風景です。エデンの園から始まった西洋の庭の流れのフォーマルな整形式庭園は、前回のウィリアム・ケントと今回のケイパビリティー・ブラウンによって、自然復帰のイギリス式風景庭園に取って代わっていきます。
ところで、ランスロット・ブラウンを何故ケイパビリティー・ブラウンと呼ぶかというと、どんな場所でも彼流に風景式庭園をつくってしまうことに由来しています。アイルランドのお金持ちが彼に仕事を頼んだ時には、彼は「まだまだイギリスでやるべき仕事が終わっていないので」と断ったという有名な話もありますが、それほどイギリスで多くの庭を手掛け、それまでイギリス中にあったフランス式庭園を改修してしまいました。個人的なことですが、僕の一番尊敬するデザイナーは、このケイパビリティー・ブラウンです。ここで確認しておかなくてはいけないのは、ブラウンはランドスケーパーであるということ。ランドスケーパーというのは風景をつくり出す人という意味で、ガーデンデザイナーとは一線を画しています。皆さんがイングリッシュガーデンのイメージの一つとして思い描くボーダー花壇や花々が咲き乱れる植栽は、この後のもう一人の天才、ガートルード・ジーキル女史の登場を待たなくてはいけません。
話はブレナム宮殿に戻りますが、次にこのブレナム宮殿が歴史上に登場してくるのは1874年。イギリスの生んだ最も有名な政治家の一人、ウィンストン・チャーチルが生まれ育った場所として知られています。また、第一次・第二次世界大戦の時には、負傷者の病院としても活躍しました。
フォーマルガーデンから風景式庭園まで
ブレナム宮殿のさまざまなガーデン
ブレナム宮殿のガーデンは、ケイパビリティー・ブラウンによる改修後、20世紀には9代目のマールボロ公爵により2度目の大改造が行われました。その際、イタリアンガーデン、ウォーターガーデン、フォーマルガーデンなどがつくられ、現在に至っています。
宮殿の東側には、珍しい黄金キャラの生け垣とトピアリーが。その中にはフォーマルガーデンがつくられていますが、刈り込まれた生け垣が高くて外から全容を見ることはできません。その意味で、今もこの宮殿に住むマールボロ公爵のプライベートな庭というところでしょう。
フォーマルガーデンの奥にはオランジェリーが見えています。
宮殿から見たウォーターガーデン。幾何学模様に刈り込まれた生け垣と噴水に彩られたガーデンは、借景にもなっている緑の森に見事に溶け込むように見えます。この奥にはテラス状のイタリアンガーデンと、その向こうにケイパビリティー・ブラウンがつくったグリム川の池を望むことができ、この庭の広さを効果的に演出しています。
美しく管理された庭は、外壁のライムストーンの優しい色合いを見事に引き立てています。
宮殿の南東側には、イギリス特有の牧歌的風景が、無限の広がりを持って見る人を魅了しています。ケイパビリティー・ブラウンがつくり上げた風景式庭園は、まるで豊かな自然そのままの景色のよう。
宮殿の周囲には、100年先を見越したような新旧取り混ぜたパイネータム(針葉樹の森)が。森の中につくられた落ち着いた雰囲気のガゼボには、フジや常緑のクレマチスが絡んでいます。
敷地内の森の中にもいろいろな仕掛けがあり、訪れた人を楽しませています。斑入りギボウシやナンテンの赤い実が彩りを添え、その奥には斑入りのネグンドカエデなどが植えられています。
気まぐれなイギリスの天気に、日々さまざまな表情を見せるブレナム宮殿。その姿は、今なお訪れる人を魅了してやみません。
併せて読みたい
・イタリア式庭園の特徴が凝縮された「ヴィラ・カルロッタ」【世界のガーデンを探る旅5】
・イギリス「ハンプトン・コート宮殿」の庭【世界のガーデンを探る旅11】
・英国「シシングハースト・カースル・ガーデン」色彩豊かなローズガーデン&サウスコテージガーデン
Credit
写真&文 / 二宮孝嗣 - 造園芸家 -
にのみや・こうじ/長野県飯田市「セイセイナーセリー」代表。静岡大学農学部園芸科を卒業後、千葉大学園芸学部大学院を修了。ドイツ、イギリス、オランダ、ベルギー、バクダットなど世界各地で研修したのち、宿根草・山野草・盆栽を栽培するかたわら、世界各地で庭園をデザインする。1995年BALI(英国造園協会)年間ベストデザイン賞日本人初受賞、1996年にイギリスのチェルシーフラワーショーで日本人初のゴールドメダルを受賞その他ニュージーランド、オーストラリア、シンガポール各地のフラワーショウなど受賞歴多数。近著に『美しい花言葉・花図鑑-彩と物語を楽しむ』(ナツメ社)。
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