日本庭園やイングリッシュガーデン、整形式庭園など、世界にはいろいろなガーデンスタイルがあります。世界各地の庭を巡った造園芸家の二宮孝嗣さんに案内していただく、歴史からガーデンの発祥を探る旅第16回。ここからは、プラントハンターの登場でイギリスの庭文化が大きく変革していきます。その第一歩となったのは、世界中から集まった植物を分類し、展示する場所としてスタートした慈善団体「ロンドン園芸協会」と見本庭園の「ウィズレー」です。
目次
世界の植物を発見するまでの
ヨーロッパの歴史を、まずはおさらい
バビロンの空中庭園から始まった「世界のガーデンを探る旅」は、イタリアやフランスからドーバー海峡を渡り、中世以降のイギリスに移ってきました。イギリスの庭文化は、プラントハンターによって大きな変革期を迎えるのですが、その前に、少しヨーロッパの歴史をおさらいしておきましょう。
ヨーロッパでは十字軍の遠征(11〜13世紀)以降、中近東からの情報が多くもたらされました。そして歴史的な交易路であるシルクロードによって、アジアの物品や香辛料が運ばれ、植物にも人々の関心が高まりました。ただ、途中にトルコのようなイスラム国家があり、キリスト教徒の西ヨーロッパには西アジアに行く安全なルートがなく、地中海ルートもイスラム教の国に支配されていたため、新しく安全なルートが求められている時代でした。15世紀の後半になると、大西洋に面したスペインとポルトガルが積極的にアフリカ西海岸を南に下ったことで、さまざまな品物が母国にもたらされました。
大西洋に面したポルトガルやスペインは、多くの冒険家や宣教師を航海へ送り出しました。1498年にはバスコ・ダ・ガマがインド航路を発見、多くの物品や香辛料をポルトガルに持ち帰り莫大な利益を得ました。スペインが送り出したクリストファー・コロンブスは、1492年にアメリカ大陸を発見しました。また、1519年にスペインを出発したフェルディナンド・マゼランは、世界一周航路を切り開き、地球が丸いことを実証しました。
各地の植物が世界に渡る時代
17世紀の中頃には、地球上のほぼ全ての地域にヨーロッパ人が訪れ、大航海時代は終わりを告げると、植民地時代が始まります。第二次世界大戦までにはヨーロッパと日本を除く、ほぼ全ての地域がヨーロッパ列強の植民地、あるいは支配下になり、本国に莫大な利益をもたらしました。
新しく発見された地域には冒険家、宣教師とともに植物採集のためのプラントハンターが多く訪れ、いろいろな香辛料をはじめ、食料や薬草などを持ち帰りました。また、その中には珍しい花や木も含まれていました。
日本はその当時鎖国をしていましたので、自由に植物を持ち出すことはできませんでしたが、かの有名な通称シーボルト(ドイツ人医師で博物学者のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト)とその前任者で植物分類の基礎を作ったカール・フォン・リンネ(スウェーデン人の植物学者)の弟子のカール・ツンベルク(スウェーデン人の植物学者、博物学者、医学者)などによって、多くの植物がヨーロッパに紹介されました。その後鎖国は解かれ、園芸品種も含む日本のさまざまな植物がヨーロッパに送られると、その園芸文化の高さに触れた当時の人々は驚いたようです。
プラントハンターが持ち帰った膨大な植物
さてそんな中、世界中に送られたプラントハンターがイギリスに持ち帰った植物は膨大な量となり、整理し分類する必要に迫られていました。そして1804年、ロンドンの植物好きが集まって、園芸文化の普及や奨励を目的とする慈善団体「ロンドン園芸協会」が設立されました。その協会が1861年に王室の許可を得て現在の名称となった「王立園芸協会」であり、当時世界中からもたらされた植物を一カ所に集めた植物園が「キュー・ガーデン(Royal Botanic Gardens, Kew)」です。
王立園芸協会は、庭文化の普及も目的の一つとして、ウィズレー(The Royal Horticultural Society’s garden at Wisley)に最初の作庭の見本となる庭をつくりました。手がけたのは、実業家で王立園芸協会の会員であったジョージ・ファーガソン・ウィルソン(George Ferguson Wilson)氏で、1878年に約25ヘクタールの敷地に庭がつくられ、その後、拡張されて現在は約100ヘクタールになっています。
現代も世界中から多くの来園者が訪れる
ウィズレーの植物園
ウィズレーへの来園者は、1905年には年間約5,000人ほどでしたが、近年は年間100万人以上の人が訪れています。イギリスで最も人気のあるキューガーデンには及びませんが、見本庭園に限らず、蔵書や植物のコレクションでも有名な場所です。
よく手入れされたキャナルガーデンは、長方形の池を中心に左右対称にデザインされ、水中のスイレンまでも左右対称に整っています。
エントランスから庭へ降りて行く途中にある正方形の庭は、なんとサニーレタスで彩られていました。野菜を使って図形を浮かび上がらせるとは、微笑ましいアイデア。
1910年に造園家のJames Pulham and Sonによって、ロックガーデンが築かれました。斜面地を巧みに利用して水はけをよくし、高山植物や球根植物が多く植えられています。また矮性の樹木や球根類も多く、スコットランドのエジンバラ植物園のロックガーデンとともに、世界中のロックガーデンの手本になっています。
なだらかな丘になっているので、高台から庭全体が見渡せます。園内の植物には全てネームプレートがつけられ、まるで生きた植物図鑑の。来園者が熱心に興味のある植物をチェックしていました。
2006年に新たにつくられた温室へ続く初秋の宿根草ボーダーには、いろいろな草花がパッチワーク状に植えられていました。
造園家のトム・スチュワート=スミス氏が関与した新しい温室は、白いフレームと曲面が多用されたデザイン。
家庭菜園サイズに区切られたベジタブルガーデンは、そのまま自宅につくれそうな見本となっています。こんなところにも、ウィズレーガーデンの本来の趣旨である、「来園者にとって参考になる庭」の展示が見られます。
きれいに刈り込まれたツゲに囲まれた空間では、低く茂る鮮やかなペチュニアと立ち上がる白いダリアが左右対称に。とてもシンプルですが、広い空間で花を引き立てるこのテクニックは、日本の街中の花壇植栽の参考になりそうです。
和を思わせるフェンスを設けて視線を遮り、盆栽が並んでいます。なかなか考えられた演出です。近年、海外の盆栽レベルもかなり向上し、イギリスでも多くの盆栽愛好家グループが活発に活動しています。
幾何学模様にきれいに刈り込まれた芝生がとてもフォーマルな雰囲気。残念ながら花の時期ではありませんが、落ち葉ひとつなく、すべての株が剪定されて清々しい景色になっていました。
花が少なく、落葉した木々に囲まれた冬でも多くの人たちが訪れて、散策を楽しんでいました。
毎年発表される多種の新品種などを比較する栽培場もありました。イギリスの園芸文化の奥の深さを感じさせます。
イギリスの庭園文化を支える植物園
プラントハンターによって多くの植物がイギリスに持ち込まれ、もともと自生の植物が少なかったイギリスに園芸文化が深く根付いた理由の一つが、王立園芸協会の存在です。植物分類はキューガーデン、植物の庭での使い方はここウィズレーガーデンと、2つの庭はイギリスの園芸文化を底辺で支える両輪となっています。ロンドンから車でもさほど遠くないので、ぜひ訪れてほしいガーデニングの聖地です。
併せて読みたい
・花好きさんの旅案内【英国】ロイヤル・ボタニック・ガーデンズ・キュー
・イギリス発祥の庭デザイン「ノットガーデン」【世界のガーデンを探る旅14】
・カメラマンが訪ねた感動の花の庭。イギリス以上にイギリスを感じる庭 山梨・神谷邸
Credit
写真&文 / 二宮孝嗣 - 造園芸家 -
にのみや・こうじ/長野県飯田市「セイセイナーセリー」代表。静岡大学農学部園芸科を卒業後、千葉大学園芸学部大学院を修了。ドイツ、イギリス、オランダ、ベルギー、バクダットなど世界各地で研修したのち、宿根草・山野草・盆栽を栽培するかたわら、世界各地で庭園をデザインする。1995年BALI(英国造園協会)年間ベストデザイン賞日本人初受賞、1996年にイギリスのチェルシーフラワーショーで日本人初のゴールドメダルを受賞その他ニュージーランド、オーストラリア、シンガポール各地のフラワーショウなど受賞歴多数。近著に『美しい花言葉・花図鑑-彩と物語を楽しむ』(ナツメ社)。
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