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シンガポール
シンガポール「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」【花好きさんの旅案内】
ここは、シンガポール政府が2005年にコンペを呼びかけてプロジェクトがスタートした、植物と近未来の建造物を融合したアミューズメントパークです。70もの応募の中から英国のランドスケープデザイナー、アンドリュー・グラント氏の案が採用されて実現しました。敷地面積100万㎡、屋外に1,500種30万株の植物、温室には1,000種10万株という規模。こんなに広く充実した施設ですが、特別な場所以外は基本的に無料ということにも驚きます。写真は、世界各国の植物が展示されているガラスのドーム「フラワードーム」(有料施設)です。 ここでまず圧倒されるのは、高さ25〜50mもある巨大な人工木「スーパーツリー」。園内には18本のツリーが立っていて、その表面には生きたつる植物やシダ類など200種の植物が茂り、SF映画の森に迷い込んだような不思議な驚きがあります。ツリーはそれぞれソーラーパネルを備えていたり、レストランが入っていたり。夜は赤、青、緑と何色もの光でツリーが闇に浮かび上がり、一日中楽しめます。 有料ゾーンの巨大なガラスドーム「クラウドフォレスト」は、天井高が最高で54mという中に、高さ35mの人工の山が丸ごと入っています。何本もの滝が流れる山の斜面には標高1,000〜2,000mの植生が再現され、低地の植物まで一度に観賞できるというもの。「ロストワールド」と名付けられた頂上付近では、高山の珍しいランやシダが見られ、雲を思わせる霧を漂わせる演出まで。あたりは涼しくて温室にいることを忘れてしまいます。 クラウドフォレストには、山をぐるりと見学できる空中散策路があり、高い所はまるで渓谷の吊り橋のよう。ちょっと足がすくみます。滝壺の裏から水流を見上げることができたり、大興奮の演出があちこちにあります。 世界中の植物を集めて‘永遠の春’を表現している「フラワードーム」では、日本でも人気のビカクシダの巨大な株や、ここまで伸びるのか! と驚かせてくれる多肉植物の一群、バオバブやオリーブなどが。次々と現れる植物のバリエーションに、飽きずに散策ができます。外に比べて涼しく、温室内でも過ごしやすいのもよいところ。 形がユニークな食虫植物のコーナーでは、本物の植物に混じって鮮やかなオブジェが。よーく見ると、レゴブロックで作られていました。子どもも興味を持つようなユーモアのある展示法に、思わずパチリ。 家族連れなら、ぜひ行って欲しいのが「ベイ・サウス」。ゲートを入って、まっすぐ行くと「チルドレンズガーデン」に。ジャングルみたいに緑もたくさん茂った場所で、子どもたちがつい駆け出したくなるエリアです。 子ども心をくすぐる遊具が次々と現れる「アドベンチャー・トレイル」や、アスレチックのようなツリーハウスの「ザ・ツリーハウス」コーナー、噴水やシャワーで水しぶきが気持ちよいウォーターパークなど。地元の子どもたちはもちろん、観光客のキッズも一緒に思い思いに遊べる無料エリアです。 シンガポールは国土が東京23区ほどで、移動時間があまりかからない小さな都市。子どもたちと楽しめるスポットもあり、子連れ旅にオススメです。ちょっと足を伸ばせば「シンガポール動物園」や世界遺産の「ロイヤルボタニックガーデン」などがあり、花緑に触れながら休暇をゆったり過ごせます。初の子連れ海外旅に、ここを選ぶ人が増えているというのもうなずけます。 併せて読みたい 花の庭巡りならここ! エキゾチックな植物の宝庫「夢の島熱帯植物館」 オージーガーデニングのすすめ「オーストラリアの木生羊歯」 花好きさんの旅案内、シンガポール「ナショナル・オーキッド・ガーデン」
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イギリス
花好きさんの旅案内【英国】ロイヤル・ボタニック・ガーデンズ・キュー
ロンドン郊外にあるキュー・ガーデンは、1759年にオーガスタ皇太子妃によって創設された、英国の王立植物園。植物コレクションの多様性においては世界一と言われ、また、植物と菌類に関する最高峰の学術機関として、世界をリードしています。2003年には、ユネスコの世界文化遺産の指定を受けました。 さて、広さ120万㎡、見どころは100を超えるという、広大な園内。一日ですべてを見て回るのは至難の業ですが、とにかく、歩き始めましょう。 地下鉄キュー・ガーデンズ駅からアクセスのよい、ヴィクトリア・ゲートから入場して、まずは、キュー・ガーデンを象徴するガラス温室、〈パーム・ハウス(Palm House)〉へ向かいます。温室前の芝生の広場には、無数のアリウムが列植された季節の花壇が。この花と温室のコンビネーションは、思わずカメラを向けてしまう、絵になる風景でした。 パーム・ハウスは、ヴィクトリア朝時代のプラントハンターが熱帯雨林から持ち帰った植物を育てる場として、1844年に建てられました。建造には当時の造船技術が応用されましたが、鉄製のフレームとガラスによって、こんなにも美しい曲線を描けることに感心します。屋外も汗ばむ初夏の陽気でしたが、温室内は熱帯雨林と同じ環境。入った瞬間から、むわっとした暖かい空気と、360度の熱帯の緑に囲まれました。 パーム・ハウスを出ると、南西側に、ブッシュローズとシュラブローズによるローズガーデンがあります。植物園らしく、それぞれのバラに品種名が書かれたプレートが添えられているので、好みのバラを探すのにもよい庭です。日本でオールドローズがブームになった頃によく耳にした、少し懐かしいオーソドックスな品種にも多々出合えました。 バラは、低く咲くものから、背丈以上に枝を伸ばして、重そうに花首を垂らして咲くものまで、品種ごとの樹形を生かしたナチュラルな仕立てになっていました。バラの茂みとパーム・ハウスの風景も、やっぱり絵になります。 この温室は、ヴィクトリア朝の園芸家を魅了した、アマゾン原産のオオオニバスを育てる目的で、1852年に建てられたというもの。珍しい植物を世界中から集めて栽培しようとする英国人の情熱には、本当に驚いてしまいます。 建物の中は、直径約10mの丸池でほとんど占められていて、池の周りをぐるりと一周しながら、水面に浮かぶスイレンの類や、ふわふわしたパピルス、吊るされたヒョウタンの類といった、熱帯植物を見ることができます。 池では今もオオオニバスが栽培されていますが、葉が大きすぎるため、現在は、それより小ぶりなサンタクルス・ウォーターリリーを多く育てているのだそうです。 道の両側に、ずっと先まで続いていく、ゆったりと幅の広い花壇です。全長320m、3万株の宿根草が植わる花壇は、英国最長のダブル・ハベーシャス・ボーダー(小径を挟んで対になってつくられる宿根草花壇のこと)。この道は元々、パーム・ハウスに至る散歩道でしたが、2016年の春に、現在のような形になりました。 リーガルリリーが今にも咲きそうにつぼみを膨らましていたかと思えば、アルケミラモリスが、まるで絨毯のように広がっています。そして、トリトマやバーバスカム、イヌラ・マグニフィカといった、オレンジや黄色の元気な色の花が、鮮やかに園路を彩ります。花壇に見とれて歩くうちに、あっという間に長い距離を進んでいました。 カモミールなど34種の植物からなるメドウに囲まれて建つのは、17万個のアルミ製パーツと1,000個のLED電球からなる「巣」を、ハチになった気分で体感するという、高さ17mのインスタレーション・アート。2015年ミラノ万博の英国館展示品として、アーティストのウォルフガング・バットレスによって作成されたものが、移築されました。 ハチの研究にインスピレーションを受けてデザインされたというこのアート作品は、人間が食べる食物の受粉を担っているハチの重要性を訴えかけるものです。キュー・ガーデンでは、ハチの食糧となるさまざまな植物を確保するなど、近年危惧されるハチの減少を食い止めようと、対策を試みています。 ロックガーデンは、1882年に、3,000株の高山植物の寄付を受けたことをきっかけにつくられました。ピレネー山脈の生息環境を模して、階段状に砂岩を組んだ花壇の中に、草丈30㎝もないような、小さな高山植物が植えられています。普段なら見落としてしまいそうな、小さな花の繊細な咲き姿が、ここではよく観察できます。綿のような花や針のような花など、これまで見たことのない植物にもたくさん出合えるコーナーです。 ロックガーデンを眺めながら歩くと、いつのまにか、鮮やかなバラに彩られた、ローズパーゴラの入り口に到着していました。長いパーゴラには、数多の花を咲かせるつるバラが何種類も絡んでいて、豪華な回廊を形作っています。 ここは、〈プラント・ファミリー・ベッド(Plant Family Beds)〉と呼ばれる一画。102に区分けされた花壇には、シソ科やナデシコ科というように、さまざまな植物が93の科に仲間分けされ、紹介されています。学術的な花壇ですが、ガーデンとしての見応えも十分の美しい場所です。 その昔、ここはキュー・パレスに住まうジョージ3世のために食物を育てた畑でしたが、現在は、BBCのテレビ番組のためにつくられた、新しいキッチンガーデンがあります。有名フレンチシェフのレイモンド・ブランが案内役となって、250種の野菜や果物を一年を通じて収穫しながら、料理や食の歴史を紹介する番組で、このキッチンガーデンはテレビを通じてとても人気があるのだとか。 小さな実をつけた、エスパリエ仕立てのリンゴやナシの仲間、これから支柱に絡まるであろう、まだ小さな苗のインゲン類、それから、花茎を立ち上げ始めたラベンダー。ハーブも野菜も、花も実も、一緒に楽しめるガーデンになっています。 支柱の先端には、作業中にかがんでも怪我をしないようにと、小さな植木鉢がかぶせてあります。そんなところからも、「本当に庭づくりを長年続けた国の植物園だなぁ」と、実感させられます。 〈プラント・ファミリー・ベッド〉の一角には、デザインの異なるハチの巣箱が3タイプ並んでいました。これは、マルハナバチやミツバチの巣箱。メドウに囲まれていて、近くに寄ることはできません。キュー・ガーデンでは、近年危惧されている、受粉を担うハチの減少を食い止めようと、ハチの好む植物を植えるなど、生育環境を整えています。ここで待っていれば、ころんとした可愛らしいマルハナバチを観察できるそうですよ。 あ、あの花、私が好きな花だ! あ、あんなところにバラが咲いている! なんて言いながら、次から次へと歩くうちに、広い広いガーデンの北の端近くまで来ていました。ヴィクトリア・ゲートを入ってから、あっという間に2時間。今回巡ったのは、植物園の北の方面ですが、まだ敷地の8分の1も見ていないかもしれません。 ゲートまで戻っていくと、パーム・ハウスの南側で、高さ3mほどの大木に絡まった、一重のつるバラが満開となって、驚きの花景色を見せていました。名札には「‘HIMALAYAN MUSK ROSE’ Rosa brunonii」とありました。 さて、これで庭巡りもおしまいです。 またの機会に恵まれたなら、庭の南側にある〈テンペレート・ハウス(Temperate House)〉にもぜひ訪れてみたいもの。パーム・ハウスの2倍の広さを持つ、ヴィクトリア朝に建てられた中で世界最大の温室です。温帯気候の植物が集められていて、その中には、希少種や絶滅危惧種もあるのだとか。現在修復中ですが、2018年に再びオープンの予定です。 もし、春の桜の頃に訪れる機会を得たら、テンペレート・ハウス近くのチェリー・ウォークを歩くのもオススメです。英国に暮らす日本人が故郷を思い出すという、サクラの素晴らしい景色が待っています。 〈ロイヤル・ボタニック・ガーデンズ・キュー〉 庭園情報 ロンドンの中心地から、公共交通機関を使って30分ほどという、旅行者には嬉しい立地にあります。最寄り駅、地下鉄ディストリクト・ラインのキュー・ガーデンズ駅(Kew Gardens)から植物園のヴィクトリア・ゲートまでは徒歩約6分。 12月24日、25日を除いて、毎日10:00に開園。 閉園時間は8月までは、月~木が18:30(最終入場18:00)、金~日、祝日は20:30(最終入場20:00)。9月は、月~木が18:30(最終入場18:00)、金~日、祝日は19:00(最終入場18:30)。 10月以降は、季節によって閉園時間が変わります。冬場はかなり早く閉園するので、詳しくはHPで要確認。入園料は£15.50(寄付込み)。*2017年現在の情報です。
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イギリス
英国の名園巡り、プランツマンの情熱が生んだ名園「ヒドコート」
昔ながらの村々が点在する美しい田園として知られる、グロスターシャー州のコッツウォルズ地方。その北部に、世界中から年間17万人もが訪れる名園、ヒドコートはあります。 この庭園の最大の魅力は、園内を巡っていると、個性的な小さな庭が次から次へと現れることでしょう。ヒドコートの庭は、高い生け垣や塀によって20余りの「部屋」に仕切られていますが、どれもが印象的。見る者は足を踏み入れるなり、それぞれの異なる美しさに惹きつけられます。 小鳥のトピアリーが白い花々と戯れる〈ホワイト・ガーデン〉、生け垣に囲まれた丸池が静かに水を湛える〈ベイジング・プール・ガーデン〉、そして、直線的な芝生の道が遠くまで続く〈ロング・ウォーク〉。角を一つ曲がる度に、新たな驚きが待っています。 この素晴らしい庭をつくったのは、園芸家のローレンス・ジョンストン(1871-1958)です。彼はアメリカの裕福な家に生まれ、フランスや英ケンブリッジ大学で教育を受けました。 1907年、ジョンストンは母が買い取ったヒドコート・マナーに暮らし始めます。その時、屋敷周辺に庭らしきものはなく、彼は独学で庭をつくり始めました。ジョンストンは、幾何学模様や噴水といった、伝統的なイタリア式庭園の要素を取り入れる一方で、当時流行していたアーツ・アンド・クラフツ・スタイルの庭づくりにも目を向けて、独自の世界をつくり出しました。何人ものガーデナーを雇い、40年に渡って、精力的に庭をつくり、守り続けたのです。 親密な雰囲気に満たされた、特徴ある小さな庭が連続する彼のスタイルは、後に続いたシシングハースト・カースルの庭だけでなく、現代における庭づくりにも大きな影響を与えています。 ジョンストンは植物の蒐集に熱心なプランツマンで、国内のみならず、オーストラリアや日本などの遠い国々のガーデナーとも種の交換を行っていました。そして、「どんな植物でも最良の姿のものだけを植える」という信条を持って、庭に植えるべき植物を吟味しました。 1920年代に入ると、ヒドコートの庭はほぼ完成を迎え、ジョンストンの関心は次第に、南仏のマントンに設けた〈セール・ドゥ・ラ・マドン〉というもう一つの庭をつくることに移っていきます。また、植物の蒐集にますます情熱を傾け、プラントハンティングの旅に資金提供をするだけでなく、自ら、アルプスの山々や南アフリカ共和国、中国などに出かけていきました。 こうして自らの手で集めた珍しい植物の数々は、ヒドコートと南仏の2つの庭に植えられ、また、英国内の植物園にも寄付されました。ヒドコート・ラベンダーやヒペリカム・ヒドコートのように、ジョンストンが持ち帰り、彼自身やヒドコートの名を冠した植物は、今も多く残されています。 ヒドコートの庭が最も美しかったのは、1920年代から1930年代にかけてと言われています。その頃、庭はジョンストンと園芸界の友人たちだけが知る、ごく私的な空間でした。年に数回、チャリティーで公開されることはありましたが、その素晴らしさを耳にしても、実際に目にした者は少ないという、伝説のような庭だったのです。 1948年、70代となったジョンストンは、ヒドコートをナショナル・トラストの手に委ね、自身は南仏の庭へと移ります。庭園はその後、変化が加えられましたが、近年また、ジョンストンが丹精していた頃の庭園を再現しようとする取り組みが行われています。ナショナル・トラストの手によって守られたヒドコートは、100年前の美しさを今も私たちに伝えています。 ヒドコートは2月から12月まで開園していますが、毎日開園するのは気候のよい3月から10月にかけて。季節によって開園日時が変わるので、詳しくはHPでご確認ください。 ロンドンからは車で2時間半、電車の場合は、ロンドン・パディントン駅から最寄り駅のハニーボーン(Honeybourne)まで2時間ほど。駅からはタクシーで約15分。 近くの村、チッピング・カムデンはコッツウォルズの名所なので、合わせて観光するのもオススメです。ヒドコートでは、手入れの行き届いた芝生の上で、『不思議の国のアリス』にも出てくる英国伝統の遊び、クロッケーに挑戦することもできます。また、駐車場から、遊歩道パブリック・フット・パスが伸びているので、イヴシャムの谷やコッツウォルズの景色を見渡しながら少し歩いてみるのも楽しいでしょう。 Text by Masami Hagio Information 〈The National Trust〉Hidcote ヒドコート 住所Hidcote Bartrim, near Chipping Campden, Gloucestershire, GL55 6LR 電話+44 (0)1386-438333 https://www.nationaltrust.org.uk/hidcote
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イギリス
花好きさんの旅案内【英国】チェニーズ・マナー・ハウス・アンド・ガーデンズ
チェニーズ・マナーは隣接するチェニー村とともに、中世から存在するとても古い場所です。マナーは12世紀から350年の間、村の名の由来となっているチェイン家の所有であり、16世紀に入ると、ヘンリー8世の廷臣、ジョン・ラッセルの手に渡って、その後400年ほど、ラッセルの子孫となるベッドフォード伯爵(のちに侯爵)家の屋敷として使われました。 さて、まずは15世紀から16世紀にかけて建てられたという、歴史あるレンガ造りのお屋敷の中を、現オーナーのマシューズ夫妻に案内していただきました。 屋敷にヘンリー8世やエリザベス1世が訪れたという話を聞きながら、大小の部屋を20分ほどかけて巡ります。はるか昔の王様や女王様が登場する話は、想像を超える歴史物語ですが、当時の建物が今もそのまま残され、また、数々の逸話が語り継がれていることに、驚かされました。 屋敷では、時に階段を降りる不気味な足音が聞こえるという幽霊話もあって、それは、足の悪いヘンリー8世が、妻キャサリン・ハワードの不貞を探る足音なのだとか……。英国人は本当に幽霊話が好きです。 さて、庭巡りに移りましょう。 チューダー朝の頃から屋敷の周りには庭があって、16世紀末に暮らした第3代ベッドフォード伯爵夫人のルーシーは園芸が得意だったといわれています。 しかし、長い歴史の中で庭は変わり続け、半世紀ほど前には修復が必要な状態になっていました。 現在の庭は、1950年代後半から現オーナーの母であったエリザベス・マックレオド・マシューズ夫人が手をかけて整えたものです。夫人はチューダー朝のレイアウトを基に庭を修復し、また、新しい庭を創作しました。 屋敷の外壁にはつるアジサイが隙間なく伝い、柔らかい印象です。訪れた7月中旬は、どの庭でもつるアジサイが花盛りでした。 屋敷に面したローズ・ローン(Rose Lawn)。美しい芝生の緑を囲むように、ユーモラスな形に刈り込まれたツゲのトピアリーがポイントとなって植わり、その間をスタンダード仕立てのバラが彩ります。株元には、ふわふわと軽やかな小花が咲いていました。 その昔はチェニーズ・パレスと呼ばれ、歴史の舞台ともなった2階建ての屋敷。立派な胸壁や塔、煙突があります。 装飾性の高い煙突は、ヘンリー8世の城、ハンプトン・コート・パレスにあるのと同様のもの。16世紀、ヘンリー8世の廷臣であったジョン・ラッセルは、城の豪華な煙突とまったく同じように、おそらくは同じ職人を使って、これらの煙突をつくらせたといわれています。 屋敷に沿った細長い芝生の庭は、一見平らな大地に見えていましたが、奥まで行くと、実は少し傾斜地だったと判明。傾斜の途中には、まるでだまし絵のように3段の階段があります。苔むした石造りの階段にアルケミラモリスが茂って、さりげなく可愛いコーナーになっていました。 屋敷の周りの庭をぐるりと眺め、生け垣や柵に仕切られた区画をいくつか通ると、開けた区画にたどり着きました。ここは敷地の中心付近に位置するサンクンガーデン(Sunken Garden / 沈床庭園)です。中世の頃に流行りはじめたデザインスタイルだとか。春はチューリップがカラフルに咲いていましたが、訪れた頃はアルケミラモリスやギボウシが生き生きと茂り、ゲラニウムの花は終わりかけていました。ちょうど端境期で、庭のあちこちで何人ものガーデナーが植え替え作業をする様子を見ることができました。 ティールームの前には芝生の広場があって、庭を堪能しながらお茶や軽食が楽しめるよう用意されています。なんとも贅沢なティータイムです。 ティールームに面したボーダー花壇には、赤系や青系に色分けされた宿根草が混ざり咲いていました。ちょうど大輪の八重咲きピオニー(シャクヤク)が花盛り。花火のように放射状に花が咲くアリウム・シューベルティと美しい競演を見せています。 ナーセリーやショップを見るのも庭巡りの楽しみの一つです。庭ごとにオススメの植物やディスプレイの方法が違って、それを見比べるのも新鮮です。日本でもお馴染みの植物を見つけると、英国でも親しまれているのね、と嬉しくなります。 チェニーズ・マナーのショップには、ハサミや靴の泥落とし、オーナメントなどのガーデングッズのほか、小鳥や草花が描かれたマグカップなどのオリジナル製品や、庭で採取された手作り感のある種子袋なども並んでいました。 キッチンガーデンの手前で、芝生の中に道が浮かび上がる、ラビリンス(迷宮)が見えてきました。かつてこの庭にあったと思われるものを再現したラビリンスで、道に沿って中心に向かって歩いていると、いつのまにか円の外側へ向かい、通り抜けてしまいます。中世では祈りや懺悔の場として使われていました。 この庭にはほかに、高さ2mのイチイの生け垣が幾何学模様に刈り込まれた、立派なメイズ(迷路)もあります。20年ほど前、ハンプトン・コート・パレスの有名なメイズの100周年を祝ってデザインコンペが行われ、それを基につくられたものです。17世紀に編み出された数学の定理にのっとってデザインされたという幾何学模様は、とても複雑。入ってみたいけれど迷ってしまいそうで、忙しい庭巡りの旅の途中ではチャレンジし難い迷路でした。 ダイナミックに絡むライムグリーンのつる植物がアーチを彩るキッチンガーデンの入り口。キャットミントの紫花に縁取られた小道を進みます。 スグリやリンゴ、洋ナシの木がぐるりと囲むキッチンガーデンの中には、これからぐんぐん大きくなりそうなナスタチウムやレタス、スイートコーンの若い芽がびっしりと育っていました。 ここで全てのコーナーをお見せできないのは残念ですが、植物名と効用がひとつずつ表示されているフィジック・ガーデン(薬草園)や、女王が木陰で休んだ際に宝石を無くしたという逸話から〈エリザベス1世のオーク〉と呼ばれる、樹齢千年を超えるオークの巨木など、チェニーズ・マナーの見どころはたくさんあります。きれいに形づくられたたくさんのトピアリーなども大変よく手入れされていて、庭での散策はとても気持ちがよいものでした。 チェニーズ・マナーでは、室内から外の緑や花の風景を見て楽しむことができるように、母屋の近くには美しいガーデンが広がっています。一方、敷地の奥では、キッチンガーデンや薬草園で、食べたり利用したりする植物をたくさん育てていて、広大な敷地を活用していることが分かりました。 チューダー朝の暮らしが感じられる、歴史あるチェニーズ・マナーをぜひ楽しんでください。 〈チェニーズ・マナー・ハウス・アンド・ガーデンズ〉 庭園情報 ロンドンから車でも電車でも1時間ほど。電車の場合、ロンドン・メリルボン駅からチャルフォント&ラティマー(chalfont & Latimer)駅に向かい、駅からはミニキャブで15分ほどです。 開園は、4月から10月の水、木、祝日、14:00~17:00。 4月末から5月初めにかけて、数千球のチューリップが一斉に咲くチューリップ祭が、また、8月の終わりにはダリア祭が行われます。 入場料(屋敷と庭)は£8。*2017年現在の情報です。
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イギリス
英国の名園巡り、ビアトリクス・ポターの愛した暮らし「ヒル・トップ」
緑豊かな山々と、静かに水をたたえる湖。丘の斜面に広がる牧草地と、その脇に伸びる、風情のある石垣。そんな昔ながらの、美しくのどかな風景が残されている湖水地方は、英国人が最も愛する田舎の一つ。人々はくつろぎと、ウォーキングなどの野外の楽しみを求めて、この地にやってきます。 さて、17世紀に建てられた石造りの田舎家、ヒル・トップは、この湖水地方のニア・ソーリー村にあります。小さいけれど、この家はとても有名で、年間10万人もの観光客が訪れます。というのも、ここは、世界中の子どもたちに読み継がれる絵本『ピーターラビットのおはなし』の著者、ビアトリクス・ポター(1866-1943)が暮らした家なのです。 ポターは今から150年ほど前、ロンドンの裕福な中産階級の家に生まれました。幼い頃から聡明で画才があり、小動物や草花を、じっくり観察して描くのが好きだったといいます。一家は夏になるとロンドンを離れ、緑豊かな北部の田舎で長い休暇を過ごしました。ポターは16歳の時、初めて湖水地方に滞在し、以来、この地の自然に魅せられていきます。 1905年、39歳の時に、ポターは『ピーターラビットのおはなし』の成功から資金を得て、ヒル・トップ農場を買い取ります。じつはその時、愛する婚約者を病気で亡くしたばかりでした。失意の底にあったポターにとって、湖水地方の自然と自分だけの場所は、大きな慰めとなるものでした。彼女は未婚女性として両親とロンドンに暮らしつつも、ヒル・トップに足しげく通って、大切な自分の城をつくっていったのでした。 ヒル・トップはポターにとって、自分のお気に入りだけを集めた、愛すべき空間でした。ガーデニングにも精を出して、家に続く小径沿いに伸びる花壇や、石塀に囲まれた菜園、果樹園をつくります。そして、絵を描くように、宿根草や球根花、ハーブや野菜、花や実のなる灌木を配して、実用的で美しい、見事なコテージガーデンをつくり上げました。 ここはまた、彼女のアトリエであり、創作のインスピレーションを得る場でもありました。ポターにはきっと、「おはなし」に登場する動物たちの遊ぶ姿が見えていたのでしょう。ヒル・トップの庭景色は、ピーターラビットシリーズの『こねこのトムのおはなし』などに描かれています。 ポターはその後結婚して、新しい住まいを持ちますが、ヒル・トップを生涯大切にしました。 晩年は、この地特有の希少種の羊を守り育てることと、湖水地方の美しい景観を開発から守ることに力を注ぎます。彼女は絵本の売り上げで土地を買い足し、亡くなる際に、4,000エーカー(約1,600万㎡)の土地と、ヒル・トップを含む15の農場をナショナル・トラストに遺しました。 ヒル・トップの家と庭は、ポターの願った通りに、彼女の生きていた頃のままに再現され、公開されています。また、15の農場は今も昔のままに営まれ、周辺の牧草地も守られています。その眺めは、今となってはとても貴重なもの。ポターは自らが愛した湖水地方の景色を、後世の私たちにそのまま遺してくれたのです。 ロンドンから湖水地方までは、車で5時間ほど。電車の場合は、ロンドンのユーストン駅から湖水地方の入り口となるウィンダミア駅に向かい、そこから路線バスやフェリーなどの公共交通機関を使って、主な観光スポットを回ることができます。 ヒル・トップの開館は2月中旬から10月末まで。近くの村、ホークスヘッド(Hawkshead)には、ビアトリクス・ポター・ギャラリー(Beatrix Potter Gallery)があって、ポターの遺した絵画やイラストを見ることができます。また、近隣のパブやホテルでは、美味しい食事やアフタヌーンティーが待っています。 詳細情報 店舗・施設名 The National Trust - Hill Top(ヒル・トップ) 住所 Near Sawrey, Hawkshead, Ambleside, Cumbria, LA22 0LF 電話番号 +44 (0)1539-436269 ホームページ https://www.nationaltrust.org.uk/hill-top
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スペイン
スペイン「アルハンブラ宮殿」【世界のガーデンを探る旅1】
ヨーロッパの庭の歴史をひもとくと、紀元前600年頃、チグリス・ユーフラテス文明のバビロンの空中庭園から始まります。当時の世界の七不思議の一つにも数えられていて、宮殿のテラスや屋上につくられた緑の庭園だったようです。乾いた灼熱砂漠を旅してくると遥か陽炎の彼方に緑の庭園が、あたかも蜃気楼のように浮かび上がって見えたということから、空中庭園と呼ばれるようになりました。 その後、庭の文化は、一方は地中海の北側沿いにギリシャからローマ、もう一方はイスラム教とともに北アフリカからモロッコ、さらにジブラルタル海峡を渡ってスペインのグラナダへと流れていきます。その到達地である小高い丘に建てられた「アルハンブラ宮殿」は、ヨーロッパに現存するガーデンとして最古のものと考えられています。いにしえの人々が過ごしていたであろう当時のガーデン風景を見ることができる貴重な場所で、今も世界中から観光客が訪れています。 まずは、アルハンブラ宮殿の起源を探ってみましょう。この地に最初にやってきたのは、7世紀にジブラルタル海峡を渡ってきた北アフリカのムーア人(ベルベル人)たちで、コルドバの平野に突き出た小高い丘に城塞都市として、アルハンブラ宮殿の原形を築きました。その後、イベリア半島の大半を支配するまでになりましたが、当時の首都はイベリア半島をもう少し中に入ったコルドバであり、ここアルハンブラは単なる一城塞都市でした。 8世紀にはイスラム教徒が、その後もいろいろな人々によって増改築が行われました。15世紀にキリスト教のレコンキスタ(国土回復運動)が始まり、ピレネー山脈を越えてイベリア半島を徐々に南下してきましたが、イスラム王国は最後までグラナダを手放しませんでした。しかし15世紀の終わりになると、ついにキリスト教徒の手によって陥落し、ヨーロッパからイスラム王国はなくなりました。 では、アルハンブラ宮殿の中を見ていきましょう。このライオンの中庭は、宮殿のほぼ中央に位置し、メソポタミア時代のアラブ人が、チグリス川のほとりで世界のというものを考えた時、きっとこのようになっているのであろうと想像した世界観がもとになっているといわれています。世界の中心(バビロン)は平らで、きれいな水があふれており、そこから四方に流れ出て大地(世界)を潤す。 その世界は12頭のライオンによって下から支えられているのでは! と考えられていました。旧約聖書の中でも<花が咲き乱れるエデンの園(パラダイス)から4本の河が流れ出し、世界を潤す>と書かれています。この四分割庭園(四分庭園)がもとになり、のちにフォーマルな形としてイタリア、フランス、イギリスへと受け継がれていきます。 皮肉にもレコンキスタで北から徐々にグラナダにキリスト教徒が迫ってきた頃、アルハンブラのスルタン(王様)によって多くの手が加わり、現存する建物や庭がつくられました。ライオンの中庭を取り巻く回廊状の建物の部屋にはイスラム文化を象徴するドーム天井(モカベラ)がつくられ、幾何学模様(アラベスク)によって隙間なく埋め尽くされています。 アラベスク模様の意図するものは、イスラム教では自然の中にある秩序であり、神との統一性を表すものです。この部屋の中に入ると、誰もが何とも不思議な感覚に襲われます。 アルハンブラ宮殿より少し北へ歩いていくと、「ヘネラリフェ」という美しい庭園があります。ここは、14世紀に王の別荘として建てられた所で、城塞を兼ねたアルハンブラ宮殿より少しくつろいだ雰囲気があります。 中央に噴水をあしらった水路があり、その周りには色とりどりの植物が植えられています。命の象徴であるきれいな水をふんだんに使って季節の花が咲き乱れるさまは、あたかもパラダイスのようです。同じ頃イタリアでは、噴水を使ったイタリア式庭園(ルネッサンス時代)が多くつくられていましたので、その影響があったのかもしれません。 アルハンブラ宮殿は、長い歴史の中で何度も増改築が行われました。また、城塞から居住地となり、別荘、避暑地としても使われましたので、いろいろな庭のタイプを見ることができる、世界でも類を見ない特別な場所です。 特にイスラムからキリスト教へと文化的背景が大変貌をとげても、大きく破壊されることなく今に引き継がれているのは驚きです。デザイン的にはシンメトリックを基調にしていますが、さまざまなタイプの庭を見ることができるアルハンブラ宮殿は、今もなお現代の庭に大きな影響とインスピレーションを与え続けています。
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イギリス
個人のお庭が見られるオープンガーデン・イギリスの賢い仕組み
英国ナショナル・ガーデン・スキームの物語 The Story of the National Garden Scheme 英国でオープンガーデンを始め、広めたのは、ナショナル・ガーデン・スキームという慈善団体です。 ことの始まりは1926年。当時、まだ今ほど一般的ではなかった、看護師という職業を支援する団体が、その育成と、引退した看護師の生活支援を目的に、特別な基金を立ち上げようとしました。資金を集めるにはどうしたらいいだろう? 委員会のメンバーが考えを巡らせていると、参加していた1人の女性に名案が浮かびました。 「あなたの素晴らしい庭をみんなに見せてください。そして、ささやかな入園料を集めて、どうぞ私たちに寄付してください」。それは、ガーデニング好きな英国人にぴったりの、じつにユニークな方法でした。こうして、全国の美しい庭を持つオーナーたちに向けて、オープンガーデンの呼びかけが始まったのです。 1927年、オープンガーデンを実行するために、慈善団体ナショナル・ガーデン・スキーム(以下、NGS)が設立され、初めての試みが行われました。呼びかけに応じ、イングランドとウェールズで公開された庭の数は609。〈1人当たり1シリング(英国の旧貨幣)〉の入園料から、総額8,000ポンドもの寄付金を集めることに成功しました。4年後にはスコットランドでも、姉妹団体スコットランズ・ガーデンズ(Scotland’s Gardens)による同様の活動が始まり、オープンガーデンは徐々に広まっていきました。 それから90年後の2017年、イングランドとウェールズで公開される庭の数は3,700に増え、また、2016年度の寄付金総額は、300万ポンド(約4億3200万円)という驚くべき額となりました。現在、それらの寄付金は、看護師の支援団体だけでなく、がん患者や在宅医療への支援を行う、いくつもの医療系慈善団体に贈られ、その活動を支える大きな力となっています。 NGSのオープンガーデンには、じつにさまざまな庭が参加しています。古城やマナーハウスなどの観光庭園もありますが、その多くは、オープンガーデンでなければ決して見ることのない、個人の庭。よそ様の素敵なお庭を覗ける、めったにない機会だからこそ、公開日には多くの人が集まります。ガーデンオーナーの多くは年に1度か2度の公開日を設けますが、1日で400人もの来訪者を迎えることもあるのだそうです。 NGSガーデンには、田舎にある広々とした変化に富む庭もあれば、ロンドンの町中にあるコンパクトな庭もあります。参加の審査基準に、庭の大きさは関係ありません。NGSは、「自分の庭を、質が高く、個性があって、興味深いと思うなら、ぜひ人々と庭を分かち合って、私たちの活動を手伝って」と、呼びかけています。大事なのは、見ごたえのある庭かどうか、なのです。 毎年3月になると、NGSからその年に公開される庭の情報を載せたハンドブックが発行されます。団体のイメージカラーである黄色の装丁から‘イエローブック’の愛称で親しまれているハンドブック。それを片手に、今年はどこに出かけようか、と思いを巡らせるのが、英国の庭好きたちの春の楽しみです。 NGSのオープンガーデンに参加する、つまり、イエローブックに載るには、地域を管轄するスタッフによる、なかなかに厳しい審査に通らなくてはなりません。英国のアマチュア・ガーデナーにとって、自分の庭がそこに掲載されるということは、大変な名誉なのです。 2017年は、NGSにとって90周年を迎えるメモリアル・イヤー。5月末にはイングランドとウェールズにある370の庭が一斉に公開される「アニバーサリー・ウィークエンド」のイベントが行われ、お祝いムードが盛り上がりました。驚くことに、その中には、写真のハイ・グラノー・マナーのように、1927年の第1回オープンガーデンを経験している庭が12もありました。脈々と続く、英国の庭の歴史が感じられます。 オープンガーデンで見知らぬ人々を庭に招き入れるのは、かなり勇気のいることですが、参加したオーナーの多くは、来訪者から感謝や励ましの言葉をもらって、大変だけれど素晴らしい経験をしたと、充実感を得ています。来訪者は庭を楽しみ、オーナーはやりがいを感じながら、寄付によって人々を助け、喜ばせる。庭が生み出すこの好循環は、まさに園芸大国イギリスならではの奇跡といえるでしょう。
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イギリス
憧れのイングリッシュガーデン、ヒドコートマナーガーデンを訪ねる
コッツウォルズ滞在2日目は、いよいよヒドコートマナーガーデンへ。ここは、アメリカ人のフローレンス・ジョンストンが40年もの歳月をかけて作庭した、20世紀のイギリスを代表する有名な庭園。現在は、ナショナルトラストが所有し一般公開されています。かれこれ20年ほど前、ガーデン雑誌でこの庭園の写真を見たときからずっと、私の憧れの場所でした。 庭園のエントランスには、蜂蜜色の石壁に白いクレマチスモンタナが絡む立派な建物があり、そこを通り抜けると、何と29もの小庭園が続いています。「The Old Garden」「The Red Border」など、一つひとつに名前がつけられた趣の異なる小庭園は、緑の生け垣で仕切られているので、外からは中の様子が見えません。迷路のような細路を進むたびに現れる別世界に、ワクワクドキドキ。目に映るすべてが夢のような美しさでした。その中で、特に印象に残った光景をご紹介します。 オリエンタルな植栽と藤の美しさ 「The Maple Garden」は、コッツウォルズ地方の古い茅葺き屋根の家を背景に、緑葉や赤葉の楓と、下草のシダ、アマドコロ、ゲラニウムが植栽された、しっとりとした風情の庭。中でも目を引いたのが、石塀に誘引された藤の花でした。花穂が短く、日本の山藤に似ています。どこかオリエンタルな植栽に、ほっと心が和みました。また、ここ以外にも藤の花をあちらこちらで見ることができました。 その一つが、庭主のジョンストンさんのガーデンシェッドの屋根を覆い尽くさんばかりに咲いていた藤。花穂が長い野田藤のようでした。長い花穂を揺らしながら優雅に枝垂れ咲き、何と美しいこと。あまりの美しさに、「わが家のガーデンシェッドにも、藤を誘引できたらどんなに素敵だろう〜」と、妄想が膨らんで、しばらくその場から動けなくなりました。 更にもう一つ、「The Rose Walk」の樹木に誘引されていた白藤です。バラは、まだ三分咲きでしたが、混植されているアリウムやジギタリス、アルケミラモリスの花と華やかに競演していました。純白の花穂の下には白いガーデンチェアーが置かれ、溜め息がでるほどエレガント。どこを切り取っても絵になるシーンに、次から次へと椅子に座ってたくさんの人が写真を撮っていました。もちろん、わたしもそのひとり。今でも思い出す度に幸せな気持ちになります。 小川が流れるナチュラルガーデン ヒドコートマナーガーデンの真ん中に位置する「The Upper Stream Garden」は、緩やかな斜面に小川が流れる自然味溢れる庭。湿地を好むシダや大葉ギボウシ、葉の大きさが50cmほどもあるグンネラなどが、小川に沿って緑豊かに植栽されていました。 水辺には、ひと際鮮やかに色とりどりのクリンソウが。まるで森の妖精のような愛らしさに、心を奪われました。実は昔、わが家の庭にもオレンジクリンソウを植えていました。けれども、翌年には絶えてしまったのです。その後も諦めきれず、もう一度場所を変えて植えてみましたが、やっぱりダメでした。それ以来、クリンソウは片想いし続けている大好きな花。もう想いは届かないと諦めかけていたけれど、もう一度アタックしてみたくなりました。 コッツウォルズの絶景へと誘う ナチュラルガーデン 「The Upper Stream Garden」の先にある「The Wilderness Garden」は、木々が鬱蒼と茂る野趣溢れる庭。木陰はひんやりとした空気に包まれ、小径の両脇には、庭の奥へと誘うかのように白いアストランチアや野花が群生していました。 さらに進むと、マーガレットやシレネが咲く白とピンクのメドウガーデンが。柔らかな木漏れ日に照らされて、何と清らかなこと。そこは森の中のオアシスのようでした。薄暗い小径を抜けると、緑が眩しい野原のような景色が現れました。 足元には、素足で歩きたくなるようなフサフサの芝生、その上に何気なく置かれていたブルーのベンチに座ると、見渡す限りコッツウォルズの絶景が広がっていました。そう、ここがヒドコートマナーガーデンの南端。ガーデンとコッツウォルズの原風景が一体化した素晴らしい景色に、言葉では言い尽くせないほどの開放感と幸福感で胸がいっぱいになりました。 Credit 写真&文/前田満見 高知県四万十市出身。マンション暮らしを経て30坪の庭がある神奈川県横浜市に在住し、ガーデニングをスタートして15年。庭では、故郷を思い出す和の植物も育てながら、生け花やリースづくりなどで季節の花を生活に取り入れ、花と緑がそばにある暮らしを楽しむ。小原流いけばな三級家元教授免許。著書に『小さな庭で季節の花あそび』(芸文社)。 Instagram cocoroba-garden
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イギリス
イングリッシュガーデン旅案内【英国】バートン・ハウス・ガーデン
バートン・ハウスは16世紀から伝わる古い地所で、長い歴史の中で、多くの人の手に渡ってきました。18世紀に建てられた屋敷を囲む、広さ3エーカー(約1万2,000㎡)の現在の庭は、前オーナーのペース夫妻によって、1983年からつくられたものです。夫妻は、その頃寂れた状態にあった屋敷と庭を修復するとともに、優れたガーデナーたちの助けを得ながら、新しい庭をつくり上げていきました。庭は見事に成熟し、2006年には、HAA(歴史的家屋協会)の栄えあるガーデン・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。 さあ、ロートアイアン製の門扉をくぐって、庭散策を始めましょう。 庭への入り口となるのは、16世紀にはちみつ色のコッツウォルズ・ストーンを使って建てられた、古い石造りの納屋です。ティールームのあるこの納屋を通り抜けて、重厚な扉の外に出ると、目の前に広がるのは、青々としたきれいな芝生。思わず、「わぁ!」と歓声を上げてしまいます。大樹の木陰には、思い思いにくつろぐ人々の姿が見えます。のんびり庭で過ごすには、今日はじつに快適なお天気です。 ふかふかと感触のよい芝を踏みながら、石階段の向こうに進みます。 まず、私たちを出迎えるのは、トピアリー・ウォーク(Topiary Walk)です。その名の通り、渦巻き形やまん丸、台形、円錐など、さまざまな形に整えられた、たくさんのトピアリーが、広場をぐるりと囲んでいます。 芝や、トピアリーを形作るツゲやイチイ、そして、遠くで高く伸びる木々。さまざまな色合いの緑と青い空が清々しい空間です。 幅の広い、白い砂利の小径がまっすぐに伸びて、その両脇に、白い花を咲かせる植物がこんもりと植わります。足元の白い砂利がよい引き立て役となって、白い花をより美しく見せています。写真では見えませんが、小径の中央には長方形の池があって、フォーカルポイントの役割を果たしています。 ロートアイアン製の門扉の外には牧草地が広がっていて、奥行きのある景色です。 ロートアイアンの扉を見ると、鍵がしっかりとかかっていました。小さな鍵には繊細な装飾が施されていて、細部まで妥協しないという、庭づくりへのこだわりが感じられます。時々、風の音に混じって、牛の鳴き声が聞こえてきます。ゆっくり座って遠くの景色を眺めていたいところですが、限られた時間でガーデンのすべてを見なくては! 名残惜しい気持ちを抑えて、先に進みましょう。 屋敷の窓からきっと一番よく見えるであろう、芝生の大空間、メイン・ローン(Main Lawn)に入ると、花壇に見慣れないものを見つけました。これからぐんぐんと育っていく植物が乱れないようにする、支柱のようです。初夏は、植物ごとに工夫された、さまざまなタイプのサポートが添えられる時期。こういった発見は、庭づくりの参考になりますね。 メイン・ローンを挟んで、屋敷の反対側にある、18世紀のレイズド・ウォーク(18th century raised walk)に来ました。芝生より数段高くなった、ボーダー花壇のある石造りの小径で、ここからお屋敷を眺める景色は、じつに絵になります。 花壇にはブッシュローズやポピー、ゲラニウム、ペンステモンなど見慣れた宿根草が多種類混植されていて、とってもカラフル。隣の丘から吹いてきた風に植物が揺れる姿も美しく、ここも見応えのあるコーナーでした。 花壇に植わる植物の種類と組み合わせは、レイズド・ウォークの大きな見どころですが、18世紀につくられたという構造物も必見です。花壇を囲む石材や、小径のペイビングのデザイン、コーナーのアクセントとなる柱の丸い飾り。どれも興味深いもので、味わいのある石材の表情に、時の流れを感じます。そして、つる植物がびっしり絡みついて骨組みが隠れてしまった、ベンチのあるガゼボも、すごい存在感! 中央に楕円形の池があって、その両脇に、ツゲの刈り込みが配置されています。四角い迷路のような刈り込みは、ところどころにピラミッド形のトピアリーが立っていて、直線的なデザインです。刈り込みには全く剥げたところがなく、その完璧な仕上がりは、植物でつくられていることを疑ってしまうほどです。籐かごの形をした池は、1851年のロンドン万国博覧会で展示されたもの。古い物を大切にし、そこに価値を見出す英国人気質を感じます。 少し日差しが強くなってきたので、大樹の木陰に入るとほっとします。 他のコーナーに比べて、それぞれにボリュームのある植物が、芝生の周りを縁取ります。シダやギボウシなど、緑の変化がおしゃれ。奥にはさわさわと風に揺れる、丈高い笹のような茂みがあります。 次は、屋敷の西側にあるファウンテン・ガーデン(The Fountain Garden)。シックな佇まいの噴水を囲んで、ここにもまた、形の違うツゲの刈り込みやトピアリーがありました。 屋敷を背に立つと、奥にクロッケー・ローンが見えます。芝生を縁取る植栽の優しい花色が、緑の中に明るく浮かびます。 屋敷の北側に回ると、またまた、これまで見たことのない複雑な形をしたトピアリーや刈り込みが出現しました。ここは、屋敷の正面を飾る、パーテア(The Parterre)と呼ばれる庭です。この手の込んだ庭は、屋敷に招かれた多くの客人を驚かせ、喜ばせてきたに違いありません。直線的なデザインのノット・ガーデンとは対照的に、曲線だけで構成されているのが印象的です。この難しい刈り込みを維持するために、きっと何人もの熟練ガーデナーが手入れに励んでいるのでしょう。 次々と現れる、部屋のように仕切られた、それぞれの庭。花と緑で、こんなにも幅広い変化を見せられることに驚きを感じた、充実の庭散策でした。時々出会うガーデナーたちの熱心に働く姿に、「この庭は、人の手が入って、その庭づくりの情熱が続いたことで、美しく保たれてきたのだ」と実感します。 アガパンサスとフジ、そして、終わりかけのバラに彩られた庭は、季節が移ろうにつれて、次はどんな植物を主役に据えるのでしょう。違う季節にまた訪れてみたいと、親しみがわいた庭散策でした。
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イギリス
英国の名園巡り、ウェールズの誇る世界的名園「ボドナント・ガーデン」
緑豊かな、北ウェールズ。スノードニア国立公園の山々を見晴らす丘の斜面に、世界的に有名なボドナント・ガーデンはあります。年間19万人を集める、80エーカー(約32万㎡)の広大な庭園には、見どころがたくさん。格調高い5つのテラスガーデンや、壮麗なキングサリのアーチ、そして、小さな谷に沿って伸びる森。変化に富む庭園は、一日中巡っても見飽きません。驚きの景色が待っている、花と緑のワンダーランドです。 ボドナント・ガーデンは、ヴィクトリア朝時代の実業家、ヘンリー・ポーチンによってつくられました。1874年に屋敷と地所を買い取ったポーチンは、景観建築士エドワード・ミルナーの助けを得て、木と芝が生えるばかりの屋敷周りに庭をつくり始めます。彼の庭づくりへの情熱は、娘のローラ、そして、孫となる、第2代アバコンウェイ男爵のヘンリー・マクラレンに受け継がれ、庭園は発展を続けました。 孫のヘンリーは、屋敷の西側の、スノードニアの山々を見渡す斜面を切り崩して、階段状に5つのイタリア風テラスガーデンをつくり、庭園を現在の形に整えました。優美な2つのローズテラスや、池をうまく使ったテラスガーデンは、屋敷を見事に引き立て、風格を与えています。 孫のヘンリーは、プラントハンターの支援者となって、世界中の珍しい植物を集めることにも力を注ぎました。そのため、この庭にはプラントハンターが中国から持ち帰った、モクレンやツバキ、ロドデンドロンといった、当時の最先端の植物や、ヒマラヤ原産のブルー・ポピーといった珍しい植物がたくさんあります。 ヘンリーはまた、ロドデンドロンの品種改良にも力を入れました。園内では、大きく育ったさまざまな色合いのロドデンドロンが、春になるとじつに鮮やかな姿を見せます。森には初代のポーチンや孫のヘンリーが植えた、樹齢100年を超す針葉樹などの大木が何十本とあって、見る者を圧倒します。 庭園はヘンリーの意向により、1949年にナショナル・トラストへ寄贈されました。 花木やロドデンドロンが満開を迎える春から初夏は、庭園全体が華やぐ季節。そして、そのハイライトとなるのは、まばゆいばかりのキングサリのアーチです。初代のヘンリー・ポーチンによって1880年につくられたアーチは英国で最も古いもので、55mというその長さも英国一。5月下旬から6月上旬にかけての花の見頃には、多くの人が訪れます。このアーチは手入れがとても大変で、真冬の剪定は、熟練ガーデナー2人がかりでも3週間かかるのだとか。 ボドナント・ガーデンは秋の景色も見事で、カエデなどの木々が燃えるような赤や黄に紅葉するさまは、まさに圧巻です。冬には真っ白な霜に凍る静寂の世界があり、その後に、スノードロップやモクレンが咲き始めて、また春が来る。一年を通じて、季節ごとの楽しみが途切れることはありません。 ロンドンからボドナント・ガーデンまでは車で4時間半ほど。電車の場合は5時間ほどかかり、スランディドノ・ジャンクション駅(Llandudno Junction)からタクシーまたは路線バスで約20分(バスは本数が限られます)。ロンドンからだと長旅になるので、イングランド中部の観光都市、チェスターを経由するのもよいでしょう。 12月24~26日を除き、通年で開園していますが、時期によって開園時間が変わるので、HPで要確認。季節ごとに、ガイドウォークや家族向けのイベントがあります。食事や喫茶は、2つのティールームと園内の売店で。屋敷周辺のテラスガーデンや芝生以外なら、ピクニックもできます。併設のガーデン・センターや、ウェールズの手工芸品を扱うクラフト・センターもぜひ立ち寄りたいスポットです。 Text by Masami Hagio Information 〈The National Trust〉Bodnant Garden ボドナント・ガーデン 住所:Tal-y-Cafn, near Colwyn Bay, Conwy, LL28 5RE 電話:+44 (0)1492-650460 https://www.nationaltrust.org.uk/bodnant-garden
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イギリス
イギリスで3代にわたって受け継がれる庭園「キフツゲイト・コート・ガーデンズ」
その始まりは1920年頃。キフツゲイト・コートに住まうヘザー・ミュアは、お隣にある名園、ヒドコート・マナーをつくったジョンストンの良き友人でした。ヘザーは彼から多くの刺激を受けて庭づくりに励み、この庭園の原形をつくり上げます。その後、庭は1950年代に娘のダイアニー・ビニーに受け継がれて発展し、一般公開されるようになりました。現在は、孫娘のアン・チャンバースの手によって、時代の流れに沿った新しい庭が加えられ、さらなる魅力を持った庭園へと進化しています。 人々をまず出迎えるのは、屋敷のジョージ王朝様式のポルチコ(柱廊玄関)の前に広がる整形式庭園です。ツゲに縁取られた4つの四角い花壇の中央に日時計が置かれたテラスで、初代ヘザーの手によって生まれました。 整形式庭園のスタイルではあるものの、「きっちり計画するよりも、ある程度自然に任せる」のがヘザーの流儀でした。その流れを受けてか、おおらかさが感じられる植栽です。ピオニーやバラ、ゲラニウムが、生き生きと茂っています。 花壇には、年間を通じて楽しめるようにと、さまざまな種類の珍しい灌木や宿根草が植えてあります。6月上旬は、ピオニーの大株が花盛りを迎えていました。これほど状態のよい開花を、日本では見たことがありません。こんな大株に育つのに、どれほどの年月がかかったのだろうかと、先人に想いを巡らせます。 芝生の縁がカーブを描き、その両側をリズミカルに宿根草が彩る、ダブルボーダーの庭。小木や灌木もある、変化に富んだ植栽です。夏の花壇のテーマカラーは、ピンク、藤色、紫で、アクセントに銀葉が加えられています。一歩進むたびに現れる愛らしい花々は、どれも興味深いものばかり。芝生もフカフカと優しい踏みごこちで、ゆったりした気分になります。 花壇にはゲラニウム、ヒューケラ、ホスタ、ハクセンなどの宿根草に混じって、コンパクトに仕立てられたつる植物のハニーサックルも見られました。真紅のマルタゴンリリーの繊細な花姿に、目を奪われます。 周囲より数段下がるようにつくられた、このサンクン・ガーデン(沈床庭園)は、初代ヘザーによりつくられ、2代目ダイアニーの時に再設計されました。庭にあるウツギなどの主な灌木がすべて白花を咲かせるため、ホワイト・ガーデンの名が付いていますが、下生えの宿根草はカラフルでチャーミング。大きな紫のアリウムは、こぼれ種で増えたものです。 ホワイト・サンク・ガーデンを抜けると、その先にはまた違った景色が広がります。 白い縁取りのホスタを白花のゲラニウムが包み込む脇で、鮮やかなピンクの一重のピオニーが目を引きます。その奥は、蕾をつけたアジサイと銀葉のホスタ。季節が進むと、この区画はまた違った色に染まるのでしょう。 バンクとは斜面のこと。じつは、キフツゲイトの庭は、イヴシャムの谷を西に見下ろす崖の上にあります。屋敷から離れて庭の外れに来ると、急斜面を切り開いてつくられた階段に行き当たります。吹き上げる風を受けながら、導かれるままに下へ下へと降りていきます。 すると、その先にキラキラと輝く半円形のスイミング・プールが見えてきました。 オープンスペースに芝生と水面で構成される、端正なこのロウワー・ガーデンは、2代目ダイアニーの手によるものです。断崖という難しい立地を最大限に生かしたデザインから、彼女の豊かな創造性が感じられます。 芝生に囲まれた池の先には、イヴシャムの谷ののどかな風景がどこまでも広がります。遠くに小さく羊の群れも見える、開けた景色を前に、清々しい気分。 地面は池の先で突然切れますが、その先にも景色は続いて見えます。これは、見晴らしを妨げないように地面を掘り下げて垣根をつくる、ハーハーと呼ばれる構造に似ています。 下りてきたのとは別の石造りの階段を上っていくと、大きな屋根のサマーハウス(東屋)がありました。4人は座れる大きなブランコがあって、そこからまた違った景色が眺められるので、つい長居をしてしまいます。 1930年代のヘザーの時代には、もうこの階段とサマーハウスがつくられていました。高低差が激しいこの敷地に階段を作り、池を掘り、芝を張って、粗野な空間を、植栽豊かな空間に変えていく。それには相当の体力と精神力を要したことだろうと、感動を覚えます。 ツゲの生け垣に囲まれた四角い池の端に、ブロンズ製の葉っぱが浮かぶ、モダンな空間です。2000年に、現オーナーのアンによって、古いテニスコートがあった場所につくられました。 この庭は閉ざされていて、ツゲの生け垣にあけられた小窓から覗き見るような仕掛け。時折、噴水が上がって、静かな水音を楽しむこともできます。白、黒、緑を基調とした、抑制の効いたデザインの庭で、他の区画で見られる豊かな色彩の庭と、とても良いコントラストを見せています。 膝丈以下に低く仕立てられたピンクのロサ・ムンディが、両側を鮮やかに彩るという、ローズ・ボーダー。しかし、残念ながら、バラの時期には早すぎました。 彫像が置かれている、シダやグラスの茂る奥のエリアは、以前はガーデンの突き当たりでしたが、今は右に行くとロートアイアンの扉があって、新エリアへと続きます。 扉の先には、咲き終わったアリウムのまん丸の花殼も可愛い、メドウがありました。季節が合えば、黄色いキンポウゲと紫のアリウムの、対照色のキュートな競演が見られます。 メドウはなかなか管理が難しく、この庭はまだまだ発展途上とのこと。試行錯誤の結果、今後は二年草の野草を育てていくそうです。 メドウを進んで10段ほどの階段を上ると、今年オープンを迎えたばかりの新エリアが出現します。馬蹄形に築かれた土手には芝生が張られ、その周りに、ピンクと白の半八重の花を咲かせるロサ・ルゴサの垣根が巡らされています。シンプルな構造ですが、遠くまで見渡せて気持ちのよい庭です。じつは、この土手は、2000年にウォーター・ガーデンをつくった際に出た、大量の土を使ってできたもの。果樹園に置かれたままだった土は、数年かけて有効利用されました。 構想を着実に形にしていく、アンのエネルギッシュな庭づくりは、急斜面を切り開いてこの庭園をつくった、先の2人に通じるものがあります。 Kiftsgate Court Gardens(キフツゲート・コート・ガーデンズ) キフツゲイトは、美しい村が点在するコッツウォルズ地方の北に位置し、すぐ隣に、英国ナショナル・トラストの名園、ヒドコート・マナーがあります。シェイクスピアで有名なストラットフォード・アポン・エイボンにも近く、楽しい旅程が組める場所です。 ロンドンからは車で約2時間。電車で行く場合は、ロンドン・パディントン駅からハニーボーン駅(Honeybourne)まで1時間50分程度、駅からタクシーで約15分、というのが庭園お勧めのルートです。 入園料は£8.50。開園期間は4~9月の夏季のみで、開園する曜日と時間は月によって変わります。 庭をゆっくり見て回るには、1時間半は欲しいところ。下の庭に下りる階段は相当急なので、足に自信のない方は無理のないようにご注意ください。併設のティールームでは、手作りのスコーンやケーキ、サンドイッチが頂けます。また、ガーデングッズを取り揃えたショップに立ち寄るのも、どうぞ忘れずに。 *2017年の情報です 詳細情報 店舗・施設名 Kiftsgate Court Gardens(キフツゲート・コート・ガーデンズ) 住所 Chipping Campden, Gloucestershire GL55 6LN 電話番号 01386 438 777 +44-1386-438777 営業時間 4月と9月:月、水、日の14~18時。 5~7月:月、火、水、土、日の12~18時。 8月:月、火、水、土、日の14~18時。 ホームページ http://www.kiftsgate.co.uk/
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オーストラリア
オーストラリアの庭と住まい 土地の特性を活かす自然に寄り添う暮らし
緑も笑っている庭 ここは世界的なガーデンコンテストで数々の賞を受賞しているランドスケープデザイナー、ジム・フォガティ氏の自邸です。 庭はもちろん、自らデザインしたもの。 都市の水不足への配慮から大量の散水が必要になる芝生を敷き詰めることを止めたジムは、石張り貼りのテラスと通路以外の地面を様々な植物で美しくカバーすることにしました。 それが個性的な植物が織りなす豊かな風景になり、家族や訪れる人の目を楽しませ、また、水まきをしなくても、緑の葉で派手オーストラリア独特の強い日差しを遮り、地面を乾燥から守ることにもつながるからです。 もしここが平坦な緑の芝生だったら、あるいは、わずか数種類の植物を単調に並べただけの庭だったら、彼女はこんな素敵な笑顔になれたでしょうか? ジムのスタイル 世界的なランドスケープデザイナーであり、ガーデナーであるジム・フォガティ氏は、オーストラリア人らしい、自然でおおらかなデザインスタイルを持ち、イギリスで開催される由緒ある英国王立園芸協会主催のチェルシーフラワーショー2011でゴールドメダルを受賞するなど、世界各地のコンテストで数多くの賞を受けています。 ジムは「人と人が出会い、自然の中でリラックスして心を開き、有意義な時間を過ごす場所として、庭ほどふさわしいところはない」という信念を持って、今も第一線のデザイナーとして活躍しています。 建築と庭との調和 ジムの自宅は決して大きくありませんが、美しい緑と風のそよぎ、そして水の輝きで、訪れる人の心を豊かにしてくれる「モダンな最小限住宅」です。それに合わせるように、ガーデンも色とりどりの花を咲かせるのではなく、統一された葉の「色」とさまざまな「形」を楽しむものに仕上げました。 庭は、住宅に調和し単にそれを補うものであるのではなく、住まいの主役ともなって、人の心を開放する自然との共感の場となり、豊かな暮らしのステージとなる大切な存在だと考えるからです。 自然をそのまま楽しむシンプルさ 家族の時間を豊かにする庭 「これからはさらに多くの人が緑に親しみ、美しい自然がもっと愛されるようになるでしょう」とジム。 「人は自宅でもっと庭を楽しみ、それは暮らしの質を上げ、家族の時間を豊かにします。 それは決してお金では買えない価値なのです」。 庭は建物を建てた後の「敷地の余白」ではありません。庭こそがこれからの新しい住まいの価値を高めるのです。 楽しく暮らすためのエンターテインメント性 ジムのシンプルな住まいの奥には、スマートなプールもあります。光、風、緑、そして水が、住まいとそこで暮らす家族に大きなやすらぎを届けます。木々の間を抜け、水の上を渡る風の爽やかさ、さらに車を外に出せばガレージもエンターテイメントスペースとしてオージースタイルの立ち飲みが楽しめるバーカウンターになります。 そして人が歩いたり、車を止めると、爽やかな香りを発するレモンバームもゲストの訪れを楽しみに待っているのです。 design:Jim Fogarty ジム・フォガティー Photo: Ken Takagi, Jay Watson, Kenji Hotta 引用元:『HomeGarden&EXTERIOR vol.1』より
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イギリス
憧れのイングリッシュガーデン コッツウォルズ地方へ旅する
湖水地方を後に、私たちが次に向かったのは、憧れのコッツウォルズ地方。ウィンダミア駅から電車を乗り継ぎ、チェルトナム・スパ駅に到着しました。そこからタクシーで宿泊先のあるアッパー・スローター村へ向かいます。 途中、車窓から見える可愛らしい石積みの家々、小高い丘が連なる長閑な田園風景は、おとぎの国に迷い込んだよう。高鳴る胸に何度も手を当てながら、景色に見とれました。小さな村々をいくつも通り過ぎ、いつの間にか、景色は見渡す限りの牧草地へと変わっていきました。車一台ほどの狭い一本道を、タクシーの運転手さんは猛スピードで走ります。 行けども行けども変わらない景色に、「本当に、こんな場所に宿泊先があるのかな」と、不安になった頃、ようやく「Upper Slaughter」という看板が見えました。 宿泊先は地図にも載っていない 小さな村Upper Slaughter それもそのはず、アッパー・スローター村は、地図にも載っていない小さな村なのです。そこからひと走りした先に、私たちの宿泊先「Lords of the Manor」がありました。門を入った途端、そこはまるで別世界。味わい深い蜂蜜色の重厚な建物は、辺りに点々と佇む素朴な民家や景色からは、違和感を感じてしまうほど、優美な風格を放っていました。 この「Lords of the Manor」は、17世紀の教区牧師の邸宅を利用した、広さ8エーカー(約9,700坪)の閑静な庭園と緑地に囲まれたマナーハウス。何年か前に雑誌で写真を見た時から、「いつか、もしコッツウォルズを訪れることがあったら、ここに宿泊したい」と、夢見ていました。 タクシーを降り建物の中に入ると、笑顔の素敵な若い女性が迎えてくれました。無事チェックインを済ませ案内された部屋は、美しい中庭が見える廊下を進んだ先の角部屋。イギリスらしい上品な内装と、清潔感あるバスタブ付きの浴室に感動しました。部屋の中に用意されていたエルダーフラワーのドリンクを飲み、暫し旅の疲れを癒やした後、庭園へ。 Lords of the Manorと絵画のような村の家々 広い庭園は、手入れの行き届いた青々とした芝生とキャットミントやサルビア、フウロソウ、オダマキなどのピンク色、さらには紫色のグラデーションのエレガントな植栽。まん丸のアリウムがリズミカルなアクセントになり、背景の蜂蜜色の建物が、それらをより引き立てています。 庭園の先は、白と黄色の可憐な野花が咲く緑地が広がり、顔の黒いコッツウォルズ羊がのんびりと草を食んでいました。聞こえてくるのは、彼らの「メェー」という鳴き声と、これまでに聞いたことのない美しい野鳥の声。そして、心地よい鐘の音だけでした。 その鐘の音に誘われてマナーハウスの敷地の外に出ると、近くに小さな教会がありました。教会の脇には細い小道があり、カウパセリという白い野花が満開。あまりに素敵な景色だったので、小道を下って行くと、アイ川という小川が流れていました。 浅瀬の透き通った水は、ひんやりと冷たく湧き水のよう。野鴨たちが、心地よさそうに泳いでいました。そして、川を渡った突き当たりの空き地の脇に、素敵な庭のある家が点々と並んでいました。不思議なことに、きちんとお手入れされているのに、全く人の気配がありません。まるで絵画のような美しい佇まいに引き込まれ、暫く動けなくなりました。 アイ川沿いのPublic footpath 散策の途中、思いがけず「Public footpath」と書かれた看板も見つけました。そう、イギリスで有名な「公衆が自由に歩ける自然歩道」です。嬉しくて、木製のゲートを開けて歩いてみることに。 アイ川沿いに続くフットパスは、まず、木々の間を縫うように進みます。きらきらと差し込む木漏れ日の中、聞こえるのは、清らかな川のせせらぎと青草を踏みしめる足音、そして野鳥たちの奏でる美しいメロディーだけ。歩きながら「このまま時が止まってしまえばいいのに…」と心の中で呟いていると、今まで味わったことのない感動と幸福感で胸がいっぱいになりました。 しばらく歩くと、緩やかな丘の上へ。そこから、何とLords of the Manorが見えました。その景色は、17世紀から変わっていないアッパー・スローター村の原風景のようでした。丘の上は牧草地になっていて、羊が何頭も放牧されています。彼らはとても穏やかで、近づいても全く気にする様子がありません。こんな場所で過ごせるなんて、なんて幸せな羊たちでしょう。 再び木製のゲートを開け、更に道を進むと、広い草原に出ました。そこは、黄色の野花が敷き詰められた花畑。私たちは「天国だね〜!」と、思わず両手を広げて叫びました。それほど美しい場所だったのです。天国の花畑を抜けると、お隣のロウアー・スローター村へ着きました。 後に解ったことですが、私たちが歩いたアッパー・スローター村からロウアー・スローター村までのフットパスは、あのチャールズ皇太子とダイアナ妃が、好んで何度か訪れた「ロイヤル・フットパス」だったようです。お二人と同じ景色を見て歩いていたなんて…。やっぱりここは、イギリスで数あるフットパスの中でも特別な場所だったのですね。今でも、あの時の感動が鮮明に甦ってきます。 Credit 写真&文/前田満見 高知県四万十市出身。マンション暮らしを経て30坪の庭がある神奈川県横浜市に在住し、ガーデニングをスタートして15年。庭では、故郷を思い出す和の植物も育てながら、生け花やリースづくりなどで季節の花を生活に取り入れ、花と緑がそばにある暮らしを楽しむ。小原流いけばな三級家元教授免許。著書に『小さな庭で季節の花あそび』(芸文社)。 Instagram cocoroba-garden