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イギリス

英国のオープンガーデン 秋まで美しい、オーナメンタル・グラスがおしゃれな庭
ロンドン郊外、一軒家の庭 ここは、ロンドンから車で約1時間の、ハートフォードシャー州にあるドゥバート夫妻の庭。広さは1,300㎡ほど。夫のエイドリアンさんは1999年に退職すると、妻のクレアさんとともに本格的に庭づくりに取り組むようになりました。ガーデニングの本を読んだり、参考になりそうな庭を訪ねたり、2人は独学で試行錯誤しながら、腕を磨いてきました。 オーナメンタル・グラスとの運命の出合い 庭づくりを始めてしばらくしてのこと、ふらりと訪れたナーセリーショップで、エイドリアンさんは運命の出合いを果たします。彼の目を引いたのは、初秋の光と風を受けて軽やかに踊り、きらきらと輝く、イネ科のオーナメンタル・グラス。思わず見とれるエイドリアンさんに、店主は、有名なオランダ人ガーデンデザイナー、ピート・アウドルフの著書『Gardening with Grasses(グラス類を使ったガーデニング)』を見せてくれました。 アウドルフは、野趣あふれる宿根草やオーナメンタル・グラスを大きな塊にして植え、草原のような自然な景観をつくり出す、世界的なガーデンデザイナー。ロンドン五輪の、クイーン・エリザベス・オリンピック・パークの植栽を手掛けたことでも有名です。エイドリアンさんは、アウドルフの現代的なデザインにすっかり魅せられて、彼の設計した庭園をいくつも訪ね、ついにはオランダで公開されている彼の私邸まで訪ねて行ったのでした。 アウドルフ流の、野趣あふれる植栽 中央の広い芝生をぐるりと囲む長い花壇には、アウドルフの庭でよく見られる宿根草やグラスが、所狭しとばかりに植わっています。明るい花色の塊をつくるエキナセアやアスチルベ。それとは対照的に、長く花穂を伸ばすリスラム。エイドリアンさんのお気に入りの宿根草は、北米原産の香りのよいモナルダです。グラス類も背が高いもの、こんもりと茂るもの、葉のしっかりしたもの、フワフワしたものなど、形も質感もさまざま。それら多種多様な植物を、リズミカルにバランスよく植えているのが見事です。 日本人にとってはお馴染みの、ススキの生える景色を思い浮かべるとよく分かりますが、高さのあるグラス類は植栽に立体感を与え、庭づくりでとても重宝する植物。冬もそのまま立ち枯れて、味のある景色をつくってくれます。エイドリアンさんのグラス・コレクションは年を経るごとに充実。今年もペルー原産の新しい品種を取り入れました。 海外への旅もインスピレーションの源 中央の広い芝生と、ついたてのような立派な生け垣の緑は、花壇の植え込みを引き立てます。グラスをもっとたくさん育てるために花壇を広げたいと思うエイドリアンさんと、芝生を広く残したいと願う妻のクレアさんの間で、何度か攻防が繰り広げられたのだとか。 写真の奥、生け垣に囲まれた小さなスペースでは、旅好きな夫妻が北米や南米、アフリカ、アジアへの旅で見つけた、異国情緒たっぷりの植物を育てていて、趣の異なる空間となっています。この写真では見えませんが、なんとバナナも生えています。 10年間続けているオープンガーデン 宿根草が見頃を迎える7月、夫妻は2007年から毎年、NGSのオープンガーデンを行っています。2年に1度は10月にもオープンして、秋の景色を楽しんでもらいます。夫妻は2017年には約300人の、10年間の累計では約3,000人の訪問客を迎え、その入園料をチャリティに寄付してきました。 「私たちはオープンガーデンが大好きです。もし素敵な庭を持っているなら、少しの間、他の人と分かち合ってみるといいでしょう。地域活性のよい機会にもなりますよ。確かに疲れるけれど、深い充足感が得られます。それに、なんといっても、困っている人を助けるチャリティの資金集めに貢献できる。オープンガーデンは、みんなが幸せになれるのです」。 夫妻の充実したガーデニングライフは続きます。 『エイドリアン&クレア・ドゥバートさん夫妻の庭情報』はこちら。
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イタリア

イタリア「ボッロメオ宮殿」【世界のガーデンを探る旅3】
中世の世界へタイムスリップ イタリア北部の湖水地方の庭 ミラノの北側から東にかけたスイスとの国境近く、ピエモンテ州にはイタリア湖水地方と呼ばれる地域があり、古くからローマ人たちに避暑地として使われていました。そこにはいまだに多くの名園が残っています。湖水地方というとイギリスが有名ですが、イタリア湖水地方は明るく、歴史を感じさせる温暖な場所です。アクセスが不便なので、ミラノからレンタカーで目的地「ボッロメオ宮殿」へ向かいます。ブドウ畑の中を快適なドライブを楽しみながら東へ走ると、絵はがきのような山と湖、中世そのままの町並みが見えてきます。イタリア湖水地方は、昔も今も避暑地としてイタリアの人々に愛され、中世に贅を尽くしてつくられた多くの宮殿(ヴィッラ)と庭が当時のまま残っています。 数々の庭園が残るイタリア湖水地方 蒼い空と遠く雪をいただくアルプスを背景にするマッジョーレ湖には、パッラビッチーニ邸公園、ベッラ島やマードレ島のボッロメオ宮殿やターラント邸庭園があります。またコモ湖にはヴィラ・デステのイタリア式庭園、セルベローニ邸、メルツィ邸、カルロッタ邸などがあり、これら多くの庭が春から秋まで一般公開されています。イタリアの数ある宮殿の中でも有名なマッジョーレ湖に浮かぶイソラ・ベッラ島のボッロメオ宮殿(PALAZZO BORROMEO)もその一つ、とても素晴らしい場所です。ボッロメオ宮殿は、イタリアバロック建築最高峰の宮殿と庭園といわれ、春から秋まで見ることができます。 遊覧船から眺めるベッラ島の南側につくられた10段の庭園 マッジョーレ湖観光の中心地、ストレーザから遊覧船に乗ると、「美しき島」という名がついたイソラ・ベッラ島が近づいてきます。ボッロメオ宮殿は、この島の地形を巧みに利用して、ヨーロッパアルプスから湖面を渡って吹き下ろしてくる北風を防ぐよう北側に建てられ、南斜面に10段の階段状のテラスを巡らせています。まわりの庭園も含めて季節の花が咲き乱れ、ベッラ島全体がひとつの花園となり、訪れた人々をあたかも“エデンの園”に迷い込んだような気分にさせてくれます。イタリアでは花の色の組み合わせがフランスともイギリスとも違い、はっきりした原色系をマッシブ(塊)に配置することにより、大理石の重厚なバロック調のオーナメントとうまく引き立て合っています。 重厚な彫刻と噴水がお出迎え 宮殿から狭い門をくぐる巧みな演出のアプローチが、秘密の園へと誘われる期待感を一足ごとに高めてくれます。 アプローチの階段を上っていくと、ユニコーンを頂点に、バロック様式の重厚な彫刻が北イタリアの真っ青な空に突き刺さるような大迫力で現れてきます。ピラミッドのような左右対称のグロット風の噴水、それとテラスの花が絶妙なコンビネーションとなって、一つの異次元の世界をつくり出しています。訪れた者に何とも不思議な威圧感を醸し出しているように思えました。 フォーマルガーデンを見下ろす 水面から30mも高い最上段には、石が広く敷き詰められ、彫刻で囲まれた劇場広場があります。ここからは、はるか北にはスイスアルプスを望み、南には10段のテラス状の庭を見下ろすことができます。10段のテラスの途中には、四隅に大きなイチイの刈り込みがあるフォーマルガーデンがつくられ、その先にある船着き場まで、花で縁取られた素敵なアプローチが、地中海を思わせる深い青色の湖面まで続きます。 イタリアの庭のシンプルで明瞭な色づかいに注目 寒さに弱いオレンジの木やキョウチクトウは、テラコッタの大きな鉢に植えられて、夏を彩ったあとはオランジェリーに移動されることでしょう。階段を縁取るスタンダード仕立ての白バラ‘アイスバーグ’や真っ赤に花を咲かせるベゴニア・センパフローレンスが、大理石の白、湖と空の青をバックに際立っています。イチイの濃い緑と淡い芝の緑も加わり、そのすべてが競い合うようにイタリアらしさをつくりだしています。 起伏を生かした立体的な庭 遠く雪をいただいたスイスアルプスを背景にこの庭を巡れば、どんなアングルでも絵はがきのような景色になってしまいます。イタリアといえば、本場のピザとパスタ、それに美味しいワイン。どれもとっても日本人好みの味ですから、食の楽しみも存分に味わってください。以前はイタリア語とドイツ語しか通じませんでしたが、今は英語も十分通じます。ミラノからの運転も、治安も問題はありません。ぜひ一度ならず2度、3度と行かれることをオススメします。 併せて読みたい 世界のガーデンを探る旅2 イタリア「チボリ公園」 世界のガーデンを探る旅1 スペイン「アルハンブラ宮殿」 世界のガーデンを探る旅14 イギリス発祥の庭デザイン「ノットガーデン」
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イギリス

初夏のイングリッシュガーデンを巡る旅 キフツゲートコートガーデン
ヒドコートマナーガーデンからのどかな道を歩いて約15分。ヒドコートの次は、キフツゲートコートガーデンへ向かいました。現在、イギリスの名園の多くがナショナルトラストによって管理されていますが、この庭園は、今なお、母娘3代の女性によって受け継がれていることで有名です。初代のヘザー・ミュアー夫人が、庭づくりを始めたのが1918年といわれているので、なんと約100年もの間、ミュアー家の女性たちによって守られてきたのです。わが家の小さな庭でさえ、一年一年維持していくことは容易ではないのに、その費やした時間と労力を想像するだけで気が遠くなります。 しかも、ヘザー・ミュアー夫人が植えたバラが絶えることなく、初夏には満開の花を咲かせるのだそう。後に新品種‘ロサ・フィリッペス・キフツゲート’と命名された有名な白いつるバラです。まさに、キフツゲートコートガーデンを象徴する花。ひと目見られたらと胸が高鳴りました。 エレガントな建物と植栽のハーモニー 庭園の入り口には、庭主さんと思しき女性が簡素な椅子に座って受け付けをしていました。訪問者の一人ひとりに、にこやかな笑みを浮かべながらチケットを渡しています。これまで見て来た庭園と違って、とてもアットホームな雰囲気。「ようこそ、わが庭へ」と、お招きされたような気分になりました。 ワクワクしながら庭園に入ると、まず目の前に現れたのが、ルーフバルコニーのあるエレガントなお屋敷。蜂蜜色の明るい石壁には、満開の藤の花が絡んでいました。まるで、「ロミオとジュリエット」の映画のような光景に、しばしうっとり。その正面のツゲで囲われた花壇には、紫〜ピンク色のグラデーションの優しい色調の花々が植栽されていました。 中でも目を奪われたのが、変わり咲きのシャクヤク。アジア原産のこの花は、古来より、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と、高貴で華やかな女性を表す花として、日本人に愛されてきました。その優美さが、国を超えてイギリスでも愛されていることに、親しみと感動を覚えました。きっと、ミュアー家の女性の皆さんは、このシャクヤクのような方々に違いありません。 ロイヤルブルーの椅子と噴水のある憩いの場所 以前、ガーデン雑誌でキフツゲートコートガーデンの写真を見た時、目に焼きついた一つが、ロイヤルブルーの椅子です。草花よりも目立つ鮮やかすぎる色に、実は、ちょっと違和感を感じていました。けれども、実際に見てみると、その鮮やかな色こそが、広い花壇の引き締め役になっていることに気がつきました。しかも、アイキャッチ効果が抜群なので、思わず座って写真を撮りたくなります。実際、訪れていた方のほとんどが、噴水の水音を聞きながら、この椅子に座って写真を撮っていました。「庭づくりにガーデンチェアーの色選びは重要」、そう学んだ気がしました。 ロックガーデンからローアーガーデンへ 庭園の地図には、噴水の庭の先のローズボーダーの脇に、楽しみにしていた‘ロサ・フィリッペス・キフツゲート’があると記されていました。けれども、残念なことに、花も蕾さえも見ることができませんでした。やはり、訪れた時期が早かったようですね。それでも、歩く度に変わる景色を楽しみながら進むと、斜面に沿ってロックガーデンが現れてきました。 次第に針葉樹や落葉樹の大木が辺りを囲み、山の斜面を下っているような感覚に。心なしか空気もひんやりと感じました。足元には、樹木の微かな木漏れ日を浴びるように、フウロソウやオダマキ、エリゲロン、シレネなどの可憐な愛らしい花がたくさん咲いていて、なかなか前に進めませんでした。 そして、樹木の間から斜面の下に見えてきたのが、緑鮮やかな芝生と半月形のプール。どうやら、ここがローアーガーデンのようです。手入れの行き届いた芝生に降りると、目の前がパーッと開け、コッツウォルズの町並みが広がっていました。高台から見下ろすその景色のなんと美しいこと。まるで、一幅の絵画を見ているようでした。私たちはベンチに座り、野鳥の楽しげなハーモニーと爽風に擦れる木々の葉音を聞きながら、暫くその景色に見とれました。 同時に、このキフツゲートコートガーデンに注がれ、脈々と受け継がれてきたミュアー家の女性たちのガーデニングへの情熱と、コッツウォルズの美しい自然への敬意。まさに、イングリッシュガーデンの真髄を目の当たりにしたような気がして、痺れるような感動が心の底から湧き上がってきました。 Credit 写真&文/前田満見 高知県四万十市出身。マンション暮らしを経て30坪の庭がある神奈川県横浜市に在住し、ガーデニングをスタートして15年。庭では、故郷を思い出す和の植物も育てながら、生け花やリースづくりなどで季節の花を生活に取り入れ、花と緑がそばにある暮らしを楽しむ。小原流いけばな三級家元教授免許。著書に『小さな庭で季節の花あそび』(芸文社)。 Instagram cocoroba-garden
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イタリア

イタリア「チボリ公園」【世界のガーデンを探る旅2】
華やかな幾何学式庭園 チボリ公園 イタリア式庭園は華やかな幾何学式庭園で、高低差のある斜面につくられるテラス状(階段状)の棚田のような庭園の中にふんだんに水を使った噴水を配したり、庭の随所には、国宝級の大理石の彫刻が効果的に配置されています。また、園路はタイルなどでモザイク模様が施され、それを引き立たせる糸杉や傘のような丸い形をしたイタリアマツが茂っています。そんなイタリア式庭園の原形ともいえる庭が、このチボリ公園です。デンマークのコペンハーゲンにも、この公園をまねた同じ名の庭園があります。 ルネサンス華やかなりし頃(15~16世紀)、イタリアの貴族たちは、暑い夏のローマを嫌って北イタリアや丘陵地に避暑に出かけました。ローマ平野の東の端、ここチボリの丘も避暑地として古くからローマの富裕層や貴族に利用されてきた場所です。避暑とは、暑さを避ける目的だけではなく、いろいろな病気を運んで来る蚊を避けるためでもありました。今も昔もオリーブとぶどう畑が周辺に広がるこの場所へ、1550年、エステ家がアニエーネ川から水を引いて、500もの噴水を持つ庭園を急斜面につくったのです。 宮殿に入り、壁にかかったフレスコ画や壁や天井の装飾に目を奪われながら歩いて行くと、突然視界が開けます。足下には、イタリア式庭園の特徴である高低差を巧みに利用した、いくつものテラスとさまざまな噴水を持つ壮大な庭園が現れます。そして、そのはるか向こうには、遠くローマ平野を見渡すことができます。 宮殿から庭に下りて行くと、数々の噴水に驚かされます。しぶきを上げて水を噴き上げるものや、滝のように高所から流れ落ちる水、たっぷりと水を貯め絶え間なく波打つ水面など、あちこちから聞こえてくる水音と勢いのある水の姿。これほど贅を尽くした演出がほかにあるでしょうか。 苔むした名所「100の噴水」 今ではすっかり苔むした名所「100の噴水」も、迫力満点の演出です。何段にもなった噴水は、当時のままの姿で絶えることなく水を噴出させています。水の噴き出し口がいろいろな動物にかたどられていたり、孔雀の羽を模した扇状に広がる噴水、それらの噴水の中央にはエステ家の紋章の鷲が配置されています。100mにも及ぶこの噴水は、自由な発想の中にもフォーマルな雰囲気が漂う実に見事なデザインだと思います。じつは、噴水はイタリア人が考え出した大発明の一つで、この庭では地形の落差を利用しながら、アニエーネ川から引いた水を使って、さまざまな形の噴水がつくられました。 宮殿から眼下に広がる庭園を見渡す。水面の輝きとしぶきが左右対称となり、たっぷりとした木々の緑が周囲を覆うチボリ公園。「アルハンブラ宮殿」をつくったアラブ人の考え、‘流れ出した水が世界を潤す’という世界観が、ここにも受け継がれています。 庭園の最大の噴水「オルガン噴水」 かつては流れる水がパイプオルガンを奏でるようになっていたそうですが、今では残念ながら曲を奏でてはいません。ここがこの庭の最下部。ここまで下りてくると、初めて庭の全貌が明らかになります。 次々現れるいろいろな噴水を見ながら歩を進めているうちに、いつの間にか急な斜面につくられているはずのガーデンの下方にたどり着いてしまうという心憎い演出に、ただただ感心するばかりです。 チボリ庭園と共に世界遺産となっているハドリアヌス邸、紀元1世紀にローマ皇帝ハドリアヌスがつくった別荘の遺構が、チボリ庭園から少し下った所にあります。ここでは、ハドリアヌスがギリシャを偲んでつくったというギリシャ式庭園を見ることができます。ぜひチボリ庭園を訪れた際には、時間をたっぷりつくって、当時の面影を残すこの地域を散策し、思いを巡らせてください。 併せて読みたい 世界のガーデンを探る旅1 スペイン「アルハンブラ宮殿」 世界のガーデンを探る旅14 イギリス発祥の庭デザイン「ノットガーデン」 松本路子の庭をめぐる物語 フランス・パリ「ロダン美術館の庭園」と秋バラ
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イギリス

英国の名園巡り メッセル家の愛した四季の庭「ナイマンズ」
ロンドン郊外にあるナイマンズは、都会に暮らす人々が広々とした緑の空間を楽しめる場として、ナショナル・トラストの中でも人気の高い庭です。メッセル家が有した13万㎡の庭園は、優美なローズガーデンから、ロックガーデンや樹木園といった野趣のある庭まで、さまざまな要素が美しく構成され、また、園内にはプラントハンターによって世界中から集められた、珍しい植物がたくさん植わっています。 春を告げるモクレンやスイセン、夏の鮮やかな一年草とバラ、燃えるような紅葉を見せる木々、そして、ウィンター・ウォークの冬咲きの植物。豊かな森に囲まれた庭には、四季折々の楽しみがあります。 サマーボーダーの中央に据えられた、大理石の噴水と複雑な形に刈り込まれたトピアリー。カラフルな植栽を引き締める、美しいセンターピースです。 レオナルドの妻、モードが愛したローズガーデン。ピンクと白のつるバラやシュラブローズが見事に咲き誇ります。 ナイマンズの庭は、株式仲買人のルードヴィッヒ・メッセルとその家族により、1890年から半世紀かけてつくられました。ドイツから英国に亡命したルードヴィッヒは、ロンドンの金融市場で大成功を収めると、6人の子どもたちをのびのびと育てられる理想の田舎家を持とうと、ナイマンズの地所を買い求めます。 もともと美術に造詣が深かったルードヴィッヒは、新たな趣味として庭づくりに取り組みます。知識豊富な庭師のジェイムズ・コーマーの力を借りながら、彼は美的センスを発揮して、ロックガーデンやヒースの庭、針葉樹園などをつくり、園芸界の注目を集めます。彼はまた、世界の珍しい樹木や植物を集めたり、それらの耐寒性を実験したりと、新しいものに取り組むチャレンジ精神も持っていました。 石造りの鳩小屋を背にアリウムが咲く、ウォールガーデンの一角。 古風なガーデンゲートに切り取られた、のびやかな花景色。 1915年、ルードヴィッヒが亡くなると、長男のレオナルドが地所を受け継ぎます。彼は父のような芸術家気質ではなかったものの、植物の蒐集に大いなる情熱を注ぎ、特に、モクレン、ツバキ、ロドデンドロンのコレクションを充実させました。兄弟のように親しく育った、庭師のジェイムズ・コーマーとともに、モクレンやツバキなどの新しい品種を作出することにも熱心で、家族やナイマンズの名を冠した30以上の品種を生み出しています。 ナイマンズで育った、庭師ジェイムズの息子、ハロルド・コーマーは植物学者となり、1920年代にチリやタスマニアに植物採集の旅に向かいました。彼が持ち帰った南米の植物は、いまも英国有数のコレクションとして、ウォールガーデン内で大切に育てられています。 ロックガーデンからの屋敷と廃墟の眺め。 消失を免れた屋敷の内部は、20世紀後半にレオナルドの娘、アンが暮らした頃のままに残っています。アンは、母モードの手による美しいしつらえを大切にしました。 レオナルドの妻モードは、芸術家肌の創造性豊かな人物で、古風でロマンチックなものが大好きでした。彼女はいささか平凡だった屋敷を、美しい中世の邸宅風に建て直させ、卓越した審美眼で室内も美しく設えました。しかし、残念ながら、屋敷の半分は、1947年に起きた火事で失われてしまいます。夫妻は別宅へと移りますが、皮肉なことに、廃墟のようになった外壁は、まるでおとぎ話に出てくるような美しい背景となって、ナイマンズの情緒ある庭景色に不可欠なものとなったのでした。 1953年、レオナルドの死後、ナイマンズはナショナル・トラストに遺贈されます。娘のアンは、社交界の華として注目され貴族と結婚して伯爵夫人となった人物ですが、未亡人になると幼少期を過ごしたナイマンズに戻り、愛しい庭で余生を送りました。母譲りの美的センスを持つアンは、庭の花々を自ら摘んで、部屋の雰囲気に合わせて生けるのを楽しんだといいます。 大きな花を咲かせて散らすモクレン。園内にはさまざまなモクレンがあります。 咲き広がる黄色のラッパズイセンは、明るい春の象徴です。 ロンドンからナイマンズへは、車でブライトン方面に向かって約1時間。電車の場合は、ロンドン・ヴィクトリア駅からクローリー駅(Crawley)、またはヘイワーズ・ヒース駅(Haywards Heath)に向かい約45分、路線バスに乗り換えて約20分。 庭園は12月24・25日を除き、毎日10:00から17:00(もしくは日没)まで開園します。屋敷は保全作業のため、11月から2月の冬場は閉館されます。 ナイマンズの庭園の外には素晴らしい森が広がっていて、ウォーキングや野生動物の観察を楽しむことができます。1987年、イングランド南東部を大嵐が襲い、ナイマンズの庭園や森では樹齢数百年の大木を含め、500本を超える木々が失われました。30年が経った今、庭や森は美しく再建されていますが、森の奥では今も倒木を見ることができます。 取材協力 英国ナショナル・トラスト(英語) https://www.nationaltrust.org.uk/ ナショナル・トラスト(日本語)http://www.ntejc.jp/ Information 〈The National Trust〉 Nymans ナイマンズ 住所:Handcross, near Haywards Heath, West Sussex, RH17 6EB 電話:+44-(0)1444-405250 https://www.nationaltrust.org.uk/nymans 併せて読みたい ・宿根草植栽に織り交ぜて楽しみたい秋植え球根 6選【乙庭Styleの植物4】 ・イングリッシュガーデン旅案内【英国】ジーキル女史のデザインがよみがえった「マナーハウス、アプトン・グレイ村」 ・カメラマンが訪ねた感動の花の庭。イギリス以上にイギリスを感じる庭 山梨・神谷邸 Credit 文/萩尾 昌美 (Masami Hagio) ガーデン及びガーデニングを専門分野に、英日翻訳と執筆に携わる。世界の庭情報をお届けすべく、日々勉強中。5年間のイギリス滞在中に、英国の田舎と庭めぐり、お茶の時間をこよなく愛するようになる。神奈川生まれ、早稲田大学第一文学部・英文学専修卒。
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イギリス

イングリッシュガーデン旅案内【英国】ヒドコート
ヒドコートの庭は、20世紀前半に、園芸家のローレンス・ジョンストンによってつくられました。ジョンストンはアメリカの裕福な資産家に生まれ、フランスや英ケンブリッジ大学で教育を受けた人物。その後、軍役で赴いた南アフリカの植物に強く惹かれ、園芸に興味を持つようになったと言われます。ジョンストンは30代半ばにヒドコートに移り住むと、独学によって庭づくりを始めます。そして、ガーデナー達と力を合わせて、屋敷の周りに広がる農地を次々と、独創的な美しい庭に変えていきました。20世紀、そして、現代の庭づくりに大きな影響を与えたと言われるこの庭は、現在は英国ナショナル・トラストによって管理されています。 コッツウォルド地方を巡るガーデンツアーでは、ヒドコートと、ここから歩いて10分程の距離にあるキフツゲイトの2つの庭を、よくセットにして訪れます。ヒドコートの主人ジョンストンと、キフツゲイトの女主人ヘザー・ミュアは、実際に花友だちだったそうで、一世紀近くが経った今も2つの庭が美しく保たれているのは、嬉しいことです。 さて、今回の訪問は、7月の中旬。バラが咲き始め、色とりどりの宿根草も丈高く伸び始める季節でした。ヒドコートの庭には、庭づくりのヒントがたくさん。細かいところにも注目しながら、庭を巡っていきましょう。 エントランスの建物を抜けると、緑の生け垣で仕切られたメイプルガーデンとホワイトガーデンから庭散策がスタートします。 緑の生け垣がつくる背景に、白のカンパニュラや優しい色のバラが引き立つホワイトガーデン。庭はきっちりと刈り込まれた生け垣によって、部屋のように仕切られています。生け垣や構造物を使って庭園を部屋のような小さめの空間に仕切り、それらの小さな「部屋」をつなげていくというスタイルは、ここヒドコートで生み出されました。 ホワイトガーデンの奥へ進むと、次にあるのはオールドガーデン。蜂蜜色のコッツウォルドストーンで建てられた屋敷を背景に、愛らしいピンクのバラや花穂を伸ばすジギタリス、紫花のゲラニウムが元気に茂っています。 特に支柱もなくナチュラルに茂って咲くパステルカラーの花々の競演に、目を奪われます。柔らかな日差しを受けて、花色がとても美しく見えます。写真にも花色がきれいに再現され、カメラの腕が上がったようで嬉しくなります。庭巡りには絶好のお天気です。 フーシャガーデンとベイジングプールガーデンをつなぐ階段は、鳥のトピアリーで飾られています。石造りの階段の手すりにはつる性植物が這わせてあるため、石材が庭になじんで見えます。 この階段を降りると、目の前に大きく丸い池が現れて、鏡のように周囲の緑を映し出します。 左は、複数の花色が混ざり合って美しい調和を見せる、群植のコーナー。右は対照的に、黄色いユリという単一の植物が、背景の緑の中に美しく引き立つ例です。 歩を進めるたびに出合う花々の美しい姿に、思わずため息が出ます。 日本では、大型のポピーのほとんどは栽培禁止になっているので、この美しい大きな花を愛でることができるのは、イギリスならではの貴重な機会です。ポピーに限らず、日本では流通していない草花もたくさん植えてあって、初めて見る植物を前に、これはいったい何の仲間だろうと、新たな興味が広がります。 小径や階段といった構造物のデザインも、英国ガーデンを観賞するポイントです。シンプルな緑の生け垣や植え込みなどで、周囲をすっきりとまとめている場所では、その分、構造物のデザインが凝っています。小径の丸いペイビングや、小口積みの階段の石など、オリジナリティがあって、庭づくりの参考になりますね。 ヒドコートの中でも、特に有名なレッドボーダー。サルビア、ダリア、バーベナといった赤い花々や、銅葉の植物を集めたこの庭は、盛夏に見頃を迎えます。7月はまだメンテナンス中で、残念ながら入ることはできませんでした。入り口付近には柵が設けられ、来園客の侵入を防ぐスタッフの姿もあります。パーフェクトな植栽を目指す、ガーデナーたちの強い想いが感じられました 高山植物が集められた、アルパイン・テラス。石垣で縁取られたひな壇状の花壇に、繊細な植物の数々がコレクションされています。このようなひな壇状の花壇だと、小型の植物が大きな植物に埋もれることがなく、また、近づいてその繊細な姿をよく鑑賞することもできます。用土には砂利が混ざっているようで、水はけがよさそうです。 ジョンストンが生きた時代、英国では、富裕層の支援を受けたプラントハンターが世界中に出向いて、珍しい植物を集めていました。ジョンストン自身も植物の蒐集に熱心で、資金を提供するほか、自らもスイス・アルプスや中国などに植物採集の旅に出かけています。彼の庭づくりの資料はほとんど残されていないのですが、この庭には、彼のその手で採集された高山植物が、そのまま残されているのかもしれません。 木々がつくる木陰の中を抜ける小径。足元には、ピンクやブルーのゲラニウムやアストランティアがふわふわと咲いています。道幅は狭いものの、草丈が低い花壇なので、ゆったり歩けます。この先はピラーガーデンです。 背の高い、いくつもの柱状のトピアリーがリズミカルな雰囲気をつくっているピラーガーデン。そのトピアリーの間を、フクシアやピオニーなどが明るい花色で彩ります。整然としたトピアリーと、ナチュラルで軽やかな植栽がよいコントラストを見せる、ジョンストンの独創性が感じられる庭です。 人がやっとすれ違うくらいの細い小径と、対照的な広々とした空間が交互に現れる、ヒドコートの庭。それぞれの空間で、植物の持つ色合いや形、質感が異なっていて、飽きることがありません。夢中になって歩いていると、今どこにいるのか、どれだけ時間が経ったかも忘れてしまいます。 キッチンガーデンにある小屋の中。ドライフラワーが天井から下がり、摘んだばかりの花々が活けられていました。黒板には、今年のカッティングガーデンの草花リストが書かれています。このような広い庭では、雨や太陽を避けられる小屋があると、作業がはかどりそうです。 キッチンガーデンでは、枝や竹を組んださまざまなタイプの支柱があり、害獣からの防除の工夫も見られました。 ヒドコートは、本当に広いガーデンです。すべてのコーナーをじっくり見るには1日かけることをオススメします。今回、1時間半と限られた時間での見学でしたが、一番印象に残ったエリアは、ハイドランジア・コーナーの奥でした。腰丈ほどまで葉を伸ばすシダの間に、アストランティアが混ざり咲くという、初めて目にする光景。木々の間を抜ける風でふわふわと葉が揺れ、鳥の声がしたその瞬間、心がほどけました。 ヒドコートは、ガーデンショップも充実。ナショナル・トラストのマークが入ったガーデングッズをはじめ、書籍やお菓子、ウェアなど、自分のため、花友だちのためのお買い物が楽しめます。 併せて読みたい ・イングリッシュガーデン旅案内【英国】ジーキル女史のデザインがよみがえった「マナーハウス、アプトン・グレイ村」 ・イングリッシュガーデン旅案内【英国】21世紀を代表するガーデンデザイン「ブロートン・グランジ」 ・イングリッシュガーデン旅案内【英国】王侯気分でアフタヌーンティーを! ハートウェル・ハウス
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フランス

花好きさんの旅案内【フランス】モネの庭
モネの庭は、池を中心としたエリア〈水の庭園〉と、モネが晩年までを過ごした家の前に広がる、〈クロ・ノルマン〉と呼ばれる庭で構成されています。さあ、タイプが異なる2つの庭を散策してみましょう。 入園すると、まず右手の地下道をくぐって、水の庭園に向かいました。竹が生い茂る、少し狭い通路を抜けると、絵にも描かれた、太鼓橋のような日本風の橋と、大きなしだれ柳が水面に葉を垂らす姿が見えます。訪れたのは7月の中旬。朝方は小雨が降っていましたが、ときどき晴れ間がのぞく穏やかな天気に変わったことで、池の水面には空と雲が映り、植物もみずみずしく見えました。 モネがジヴェルニーの美しい田園風景に一目ぼれし、移り住んだのは、1883年、43歳の時でした。モネは画家ならではの色彩センスで、田舎家を愛すべき我が家へと変身させ、また、家族総出で前庭をつくり始めました。そして、その10年後には、道の向こうの土地を買い増し、近くを流れるエプト川から水を引いて、この水の庭園をつくり出したのでした。 池の周りをぐるりと巡る散策路を行くと、進むにつれ景色が変わっていきます。柳の葉が池を隠すかと思えば、次は開けた場所に出ます。足元付近には、ホタルブクロやアスチルベ、ニコチアナなど、小さくて鮮やかな赤、白、ピンクの素朴な植物が、緑の中で一際引き立っていました。 池には、睡蓮を手入れするために船に乗ったガーデナーの姿がありました。モネの作品に、たくさん描かれてきた睡蓮。この角度からは白花のほとんどが閉じていましたが、いっせいに花が開く頃の素晴らしさが容易に想像できました。 モネははじめ、ただ楽しみのために睡蓮を植え、手入れをしていました。しかし、ある日突然、啓示を受けたかのように睡蓮の池が持つ魅力に気づき、パレットを手にしたのだそうです。それ以降、モネはほぼ睡蓮だけを描き続けました。毎朝、池のほとりに数時間立って、池の上に広がる空や、流れる雲を眺めていたといいます。 モネが晩年に制作し、フランス国家に遺贈した『睡蓮』の作品は、彼の亡くなった翌年となる1927年に、友人で政治家のジョルジュ・クレマンソーの尽力によって、パリ、オランジュリー美術館で公開されました。当初、世間の反応は控えめなものでしたが、第二次世界大戦後に、パリにいたアメリカ人画家たちにより再評価されたことで、『睡蓮』は美術史に残る傑作となったのでした。 水の庭園では、モミジやツツジ、竹など、日本の雰囲気を醸し出す植物がたくさん育ち、竹を組んだ柵もありました。大木の幹を伝い上るように誘引されたバラも、迫力のある仕立てです。バラのガゼボの近くに、モネの自画像が撮られたのは、もしやここ? と思われる緑のベンチを発見! モネと同じポーズで座り、記念写真を撮りました。 水の庭園を一周した後は、モネの住まいの前に広がる庭、クロ・ノルマンに向かいます。園内の散策路は、どこもカラフルな花でいっぱいでした。 ジヴェルニーを心から愛したモネは、1926年に86歳で亡くなるまでの43年間、ここで庭づくりと創作を続けました。モネの亡き後、義理の娘で画家のブランシュが家と庭を維持しますが、彼女が亡くなると住む人もいなくなり、地所は荒れるがままになっていきました。 ジヴェルニーとモネの遺した数々の作品は、次男ミシェルによりフランス芸術アカデミーに遺贈されます。ジヴェルニーに関心が集まり、家と庭の修復作業が始まったのは、1977年のこと。その時、家は荒れ、クロ・ノルマンは雑草だらけの草地となり、水の庭園も泥の川と化して、橋も朽ち果てていました。また、モネが世話した当時の植物は何も残っておらず、庭の修復作業は難航を極めました。しかし、修復チームは彼が描いた何枚もの庭の絵や、アーカイブに残されていた植物の種の注文書などを読み解きながら、2つの庭を構築し、その3年後に一般公開にこぎ着けました。 現在の庭は、モネの庭の完全なる再現ではありません。しかし、資料の綿密な考証や科学的アプローチによって、モネの世界観は十分に再現されています。 クロ・ノルマンの中央には、家の正面へと抜ける、大きなアーチのかかった小径があります。小径は残念ながら入ることはできませんが、地際にナスタチウムが茂り、頭上にちらほら咲き始めたバラが絡む様子を見ることができます。夏の終わりになると、ここはナスタチウムの鮮やかなオレンジ色の花に溢れ、バラやコスモス、ダリアなどの、明るい花色と混じり合います。 もし、小径がたくさんの来訪者で混雑していたら、この景色をじっくり眺めるのを諦めてしまったかもしれませんね。 アーチのかかる中央の小径に並行する小径を歩きながら、立体的に花が咲く、個性的な庭デザインを楽しみました。ダリアやポピー、クレマチス、オダマキ……。黄色のエリア、紫花のエリア、ピンクのエリア、そして、花色が混じり合うエリアなど、モネの色彩がここにあふれていると感じました。 モネは、まるで色調の異なる絵を並べるように、整然と並ぶ四角い花壇を、花で埋めていきました。 モネの庭は、初期は簡素なものでしたが、次第に複雑な構成を持つようになります。モネは数カ月にわたって庭全体に色が満ちるように植栽を計画し、より複雑な色の調和を求めました。そのために、庭師頭を雇って、自らも園芸の知識を深めていきました。 フランスの作家、マルセル・プルーストは、ジヴェルニーの庭を考察して、「花よりもさらに色調や色を主体とした」「いわば、花の庭というよりも色の庭」と評しています。この庭は、モネの絵画に多く描かれていますが、単なる絵画の題材ではなく、彼の芸術作品の一つである。そのような解釈の下に、ジヴェルニーの庭は日々手入れされています。 さて、家の近くまでやってくると、建物の外壁の色に呼応した、ピンク色のスタンダード仕立てのバラが、平行して咲いています。株元には、赤とピンクのゼラニウムが鮮やかです。 家の中も見学できるので、行ってみましょう。 建物の中からも、モネの気分で庭を眺めてみましょう。部屋ごとに窓が必ずありますが、部屋の雰囲気に合わせたカーテンの違いにもご注目ください。美しい窓辺のつくり方の参考になります。 1階には壁一面にモネの作品(複製)が飾られている、彼の最初のアトリエがあります。この部屋は後に、友人や画商に絵を見せるためのサロンとして使われました。大きな窓から柔らかな光が差し込み、天井が高い素敵な空間です。部屋のレイアウトはモネの暮らしていた当時と同じで、花模様の布張りのソファやカウチも当時のままに再現されています。壁にかかる絵はどれも、彼が手放そうとしなかったもの。それらは、モネにとって大切な思い出でした。 青と白のタイルが貼られた近代的なキッチンのほか、友人や印象派の若手画家の手による作品が飾られたモネの寝室、鮮やかな黄色で統一されたダイニングなど、どの部屋も見学することができます。部屋ごとに異なるテーマカラーや、インテリアの変化など、見どころがいっぱいです。モネの優れた色彩感覚に、改めて驚きます。 また、1階のいたるところに飾られている浮世絵(複製)もお見逃しなく。日本の美術を愛したモネは、歌麿や北斎、広重など、浮世絵の巨匠による231点もの版画コレクションを持っていました。 庭では、ガーデナーが手入れする様子も見られました。世界中からたくさんの見学者が訪れるモネの庭。維持管理も大切な仕事です。多くの人にとって、人生で一度きりのジヴェルニー来園を印象深いものにしようと、ガーデナーは常にベストの状態を目指しています。 モネの庭を実際に訪れてから、また改めて作品を見たいと思いました。庭に接するようになった自分が、モネの作品にどんなことを思うのか。新しい楽しみができました。 出口にある建物は、ショップになっていて、傘やTシャツ、お菓子などが並んでいます。モネの作品集や絵葉書はもちろん、絵画をイメージした草花の種のセットなど、オリジナルグッズもありました。 じつは、この建物は、『睡蓮』のアトリエと呼ばれる、モネが『睡蓮』を描くためにつくった3番目のアトリエです。天窓から降り注ぐ柔らかな光の中で、キャンバスに向かうモネの姿を想像してみてくださいね。 参考文献: 『ジヴェルニーのモネ』アドリアン・ゲッツ著 Gourcuff Grandinigo出版 併せて読みたい 『松本路子の庭をめぐる物語 フランス・パリの隠れ家「パレ・ロワイヤル」』 『最も歴史あるバラのナーセリー「フランス・ギヨー社 GUILLOT」』 『世界のガーデンを探る旅6 フランス「ヴェルサイユ宮殿」前編』
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イギリス

英国の名園巡り、オールドローズの聖地「モティスフォント」
日本で愛される桜のように、古くから英国の人々に愛されているバラ。英国にはバラの名園がたくさんありますが、愛好家たちが初夏にこぞって訪れるのが、モティスフォントのウォールド・ローズガーデンです。 ロンドンの南西、ハンプシャー州にあるモティスフォントは、13世紀に修道院として始まり、18世紀には大邸宅が建てられて、芸術家の集う場として賑わいました。広大な敷地の中には緑の森や牧草地が広がり、小川も流れます。その美しい田園風景の中に、この魅惑のバラ園はあります。 6月の花の盛り、四方をレンガ塀に囲まれたローズガーデンの門をくぐると、そこには500種を超えるバラが咲き揃う、夢の世界が待っています。5枚の花びらをひらひらさせる可憐な一重のバラに、幾重もの花弁を持つ優美なロゼット咲きのバラ、それから、小ぶりな花でアーチを覆い尽くすつるバラ。園内にはさまざまな色と形のバラが、歌うように咲き、甘く香ります。 バラ好きにとってこの庭が特別なのは、一般にオールドローズと呼ばれる、古い品種のバラの一大コレクションがあるからです。いまやナショナル・コレクションにも認定されるそれらのバラを集めたのは、高名な園芸家でバラ栽培家のグラハム・トーマス(1909-2003)。彼は、モダンローズの人気の陰で消えようとしていた古風なバラたちに魅せられ、同好の士を訪ねて精力的に苗を集めていましたが、1970年代にナショナル・トラストのガーデン・アドバイザーを務めたことから、それらの安住の地となるこの庭をつくる機会に恵まれました。救われたバラの中には、絶滅の危機に瀕しているものもあります。オールドローズの多くは1年に1度しか咲きませんが、トーマスが愛したその優雅な花姿は、今も人々を魅了し続けています。 トーマスは庭を設計する際、バラはバラだけでなく、宿根草と合わせることで、美しさがより引き立つと考えました。まず背景となるのは、常緑の生け垣やトピアリー、そして、芝生がつくる端正な緑。そこに、バラの花色に合わせて、青や紫、ピンク、白の花を咲かせる宿根草が寄り添います。カンパニュラ、ゲラニウム、フロックス、ピオニー、ナデシコ、ネペタ、ジギタリス、クレマチス、アガパンサス。これらの宿根草は、バラのない時期にも庭を美しく保ってくれます。 園内には、現代の偉大なバラ育種家、デビッド・オースチンによって作出された、豊かな色合いの黄色いイングリッシュローズ‘グラハム・トーマス’も咲いています。トーマスは生前、オースチンと親交があり、彼のナーセリーをよく訪れてバラ談義を交わしました。このバラは、トーマス自身が気に入って名付けたといわれます。 モティスフォントへはロンドンから車で2時間ほど。庭園の開園時間は10~17時ですが、バラの見頃となる6月第2~4週の木~土は20時まで開園。バラの放つ甘い香りに満ちた、夕暮れのバラ園を体験することができます。 モティスフォントは一年を通して楽しめる場所で、ウィンターガーデンは、スノードロップ、クリスマスローズやシクラメン、ラッパズイセンなど、早春から花が溢れています。また、英国でも珍しいプラタナスやマロニエの巨木が、秋にはダイナミックな紅葉を見せます。広い芝生でピクニックをしたり、小川沿いを散歩したりという、田園ならではの楽しみ方も。無料のガイドウォークも充実しているので、本場英国のウォーキングにチャレンジするのもよいでしょう。 Text by Masami Hagio Information 〈The National Trust〉Mottisfont モティスフォント 住所:Mottisfont Lane, Mottisfont, Nr Romsey, Hampshire SO51 0LP 電話:+44 (0)1794 340757 https://www.nationaltrust.org.uk/mottisfont
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イギリス

イギリス 湖水地方 初夏のイングリッシュガーデンを巡る旅
湖水地方 〜B&BとHolehird Gardens〜 まず初めに、私たちが訪れたのは、イギリス北西部の湖水地方。かの有名なピーターラビットのお話が生まれた場所です。宿泊先は、ウィンダミア湖畔の街ボウネスのB&B。ここで私たちを迎えてくれたのが、満開の藤でした。まさにウェルカムサプライズ!建物の壁面に誘引された藤の美しさに、長旅の疲れも一瞬で吹き飛んでしまいました。 翌日は、のんびりとボウネスの街を散策し、ウィンダミア湖のクルーズに参加しました。湖面に吹くひんやりとした風、澄んだ空気が心地よく、対岸のみずみずしい緑の中に点々と見える石造りの建物は、どこを切り取っても絵になる景色でした。 次の日は、いよいよチャーターしておいたタクシーでガーデン巡り。幸運にも、タクシーの運転手さんが日本好きな方で、片言の日本語を交えながらとても親切に接してくれました。初めに向かった先は、Holehird Gardens。庭好きの私たちのためにわざわざ立ち寄ってくれたガーデンです。何と、そこで生まれて初めて青いケシの花を見ることができたのです。手漉き和紙のような青い花びらに朝日が透ける様はとても神秘的で、暫く見とれました。 小さいながらもお手入れの行き届いた庭は、ボーダーガーデンやロックガーデン、ウォーターガーデンもあり見応え十分。ナチュラルな植栽も親しみやすく、特に、斑入りの葉が美しい黄色のカキツバタや、赤いクリンソウが鮮やかな水辺の植栽に目を奪われました。 湖水地方〜Rydal Mount garden〜 次に向かった先は、詩人ウィリアム・ワーズワースの邸宅Rydal Mount。1万8,000㎡(約5,500坪)にも及ぶ広大な庭園は、ガーデニング好きだったワーズワース自身によって造園されたことで有名です。山の中腹につくられた庭は、周りの自然と溶け込みダイナミック。山の中を散策しているような気分でした。 また、ワーズワース一家が暮らしていた当時の様子が再現された家の中も見学できるので、その暮らしぶりを垣間見ることができました。中でも、つる植物が無造作に絡まる窓辺は、まるで絵画のよう。どの窓からも庭の豊かな緑が見えました。この場所で、湖水地方の美しい景色をモチーフに数々のロマンチックな詩を残したことが頷ける、叙情的な眺めでした。 湖水地方〜ピーターラビットのお話が生まれたHill Top~ Rydal Mountを後に、次に向かったのが、かの有名なピーターラビットのお話が生まれたHill Top。その道中で、ウィンダミア湖を見下ろす丘の上で、素晴らしい景色を見ることができました。 実はこの場所も、タクシーの運転手さんが立ち寄ってくれたお勧めのビューポイント。これぞ湖水地方!というイメージにぴったりの絶景でした。「もし天国があるとしたら、きっとこんな所かもしれない」、そう思いました。 そこから車で約15分。Hill Topのあるニアソーリー村に到着した途端、お天気が一変、急に雨が降り出しました。とはいえ、ずっと憧れていたHill Top のなだらかな坂道のボーダーガーデンやピーターの菜園が目の前に広がっているのです。 迷うことなく雨に濡れながら興奮気味に写真を撮っていると、すれ違う人たちから、「Hello!」「Enjoy!」と声をかけてもらったり、笑顔で手を振ってもらったり…。こんな温かなコミュニケーションが生まれるのも、ビアトリクス・ポターさんとピーターラビットたちの魔法のおかげ。Hill Topは、世界中の人を笑顔にさせてくれる場所でした。 湖水地方〜Holker Hall Garden〜 そして、この日最後に訪れたのがHolker Hall Garden。ここは、昔、貴族の地主が建てた邸宅の庭で、現在でもキャヴェンディッシュ卿が住んでいるのだとか。その邸宅の一部を見学できるようになっていて、豪華でエレガントな室内を堪能することができました。 1991年に英国園芸界の最高峰「Garden of the Year」を受賞したという庭園は、何と約3万坪(99,000㎡)。装飾の美しい門扉の先や、柵の向こうに羊が放牧されていて、どこまでが庭園なのかわからないほどでした。そんな広い庭園で、ひと際目を奪われたのが、重厚な屋敷の屋根付近まで壁面にびっしりと誘引された白藤。垂れた白い花穂の優美さは圧巻でした。他にも鉢植え仕立ての藤があちらこちらに置かれていました。「いったい、あの高さまでどうやって誘引しているの?」「鉢植えの藤のつるは、どう処理しているの?」と、興味津々でした。 藤やバラが咲くメインガーデンの先には、森の中の散歩道のようなウッドランドガーデンが。日向は、アヤメやチドリソウのような紫と白で統一された涼やかな花々、日陰にはシダやギボウシ、鮮やかなクリンソウがバランス良く植えられていました。更に奥へ進むと、樹木に囲まれた薄暗い場所に噴水がありました。木漏れ日にキラキラと輝く水しぶきが美しくて、水音を聞きながら暫く眺めていました。 こうして、丸一日かけて巡った湖水地方のイングリッシュガーデン。豊かな自然の景色を取り入れた広大な庭園は、ゆったりとした時間が流れ、ナチュラルな草花の植栽が印象的でした。そして、何と言っても心が震えた満開の藤の美しさ。万葉の時代から愛されてきた日本原産の藤「wisteria」が、イギリスの人々にこんなにもが愛されているということに驚きと感動を覚えました。イングリッシュガーデンが、改めて藤の魅力を教えてくれたような気がします。 Credit 写真&文/前田満見 高知県四万十市出身。マンション暮らしを経て30坪の庭がある神奈川県横浜市に在住し、ガーデニングをスタートして15年。庭では、故郷を思い出す和の植物も育てながら、生け花やリースづくりなどで季節の花を生活に取り入れ、花と緑がそばにある暮らしを楽しむ。小原流いけばな三級家元教授免許。著書に『小さな庭で季節の花あそび』(芸文社)。 Instagram cocoroba-garden
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シンガポール

シンガポール「ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ」【花好きさんの旅案内】
ここは、シンガポール政府が2005年にコンペを呼びかけてプロジェクトがスタートした、植物と近未来の建造物を融合したアミューズメントパークです。70もの応募の中から英国のランドスケープデザイナー、アンドリュー・グラント氏の案が採用されて実現しました。敷地面積100万㎡、屋外に1,500種30万株の植物、温室には1,000種10万株という規模。こんなに広く充実した施設ですが、特別な場所以外は基本的に無料ということにも驚きます。写真は、世界各国の植物が展示されているガラスのドーム「フラワードーム」(有料施設)です。 ここでまず圧倒されるのは、高さ25〜50mもある巨大な人工木「スーパーツリー」。園内には18本のツリーが立っていて、その表面には生きたつる植物やシダ類など200種の植物が茂り、SF映画の森に迷い込んだような不思議な驚きがあります。ツリーはそれぞれソーラーパネルを備えていたり、レストランが入っていたり。夜は赤、青、緑と何色もの光でツリーが闇に浮かび上がり、一日中楽しめます。 有料ゾーンの巨大なガラスドーム「クラウドフォレスト」は、天井高が最高で54mという中に、高さ35mの人工の山が丸ごと入っています。何本もの滝が流れる山の斜面には標高1,000〜2,000mの植生が再現され、低地の植物まで一度に観賞できるというもの。「ロストワールド」と名付けられた頂上付近では、高山の珍しいランやシダが見られ、雲を思わせる霧を漂わせる演出まで。あたりは涼しくて温室にいることを忘れてしまいます。 クラウドフォレストには、山をぐるりと見学できる空中散策路があり、高い所はまるで渓谷の吊り橋のよう。ちょっと足がすくみます。滝壺の裏から水流を見上げることができたり、大興奮の演出があちこちにあります。 世界中の植物を集めて‘永遠の春’を表現している「フラワードーム」では、日本でも人気のビカクシダの巨大な株や、ここまで伸びるのか! と驚かせてくれる多肉植物の一群、バオバブやオリーブなどが。次々と現れる植物のバリエーションに、飽きずに散策ができます。外に比べて涼しく、温室内でも過ごしやすいのもよいところ。 形がユニークな食虫植物のコーナーでは、本物の植物に混じって鮮やかなオブジェが。よーく見ると、レゴブロックで作られていました。子どもも興味を持つようなユーモアのある展示法に、思わずパチリ。 家族連れなら、ぜひ行って欲しいのが「ベイ・サウス」。ゲートを入って、まっすぐ行くと「チルドレンズガーデン」に。ジャングルみたいに緑もたくさん茂った場所で、子どもたちがつい駆け出したくなるエリアです。 子ども心をくすぐる遊具が次々と現れる「アドベンチャー・トレイル」や、アスレチックのようなツリーハウスの「ザ・ツリーハウス」コーナー、噴水やシャワーで水しぶきが気持ちよいウォーターパークなど。地元の子どもたちはもちろん、観光客のキッズも一緒に思い思いに遊べる無料エリアです。 シンガポールは国土が東京23区ほどで、移動時間があまりかからない小さな都市。子どもたちと楽しめるスポットもあり、子連れ旅にオススメです。ちょっと足を伸ばせば「シンガポール動物園」や世界遺産の「ロイヤルボタニックガーデン」などがあり、花緑に触れながら休暇をゆったり過ごせます。初の子連れ海外旅に、ここを選ぶ人が増えているというのもうなずけます。 併せて読みたい 花の庭巡りならここ! エキゾチックな植物の宝庫「夢の島熱帯植物館」 オージーガーデニングのすすめ「オーストラリアの木生羊歯」 花好きさんの旅案内、シンガポール「ナショナル・オーキッド・ガーデン」
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イギリス

花好きさんの旅案内【英国】ロイヤル・ボタニック・ガーデンズ・キュー
ロンドン郊外にあるキュー・ガーデンは、1759年にオーガスタ皇太子妃によって創設された、英国の王立植物園。植物コレクションの多様性においては世界一と言われ、また、植物と菌類に関する最高峰の学術機関として、世界をリードしています。2003年には、ユネスコの世界文化遺産の指定を受けました。 さて、広さ120万㎡、見どころは100を超えるという、広大な園内。一日ですべてを見て回るのは至難の業ですが、とにかく、歩き始めましょう。 地下鉄キュー・ガーデンズ駅からアクセスのよい、ヴィクトリア・ゲートから入場して、まずは、キュー・ガーデンを象徴するガラス温室、〈パーム・ハウス(Palm House)〉へ向かいます。温室前の芝生の広場には、無数のアリウムが列植された季節の花壇が。この花と温室のコンビネーションは、思わずカメラを向けてしまう、絵になる風景でした。 パーム・ハウスは、ヴィクトリア朝時代のプラントハンターが熱帯雨林から持ち帰った植物を育てる場として、1844年に建てられました。建造には当時の造船技術が応用されましたが、鉄製のフレームとガラスによって、こんなにも美しい曲線を描けることに感心します。屋外も汗ばむ初夏の陽気でしたが、温室内は熱帯雨林と同じ環境。入った瞬間から、むわっとした暖かい空気と、360度の熱帯の緑に囲まれました。 パーム・ハウスを出ると、南西側に、ブッシュローズとシュラブローズによるローズガーデンがあります。植物園らしく、それぞれのバラに品種名が書かれたプレートが添えられているので、好みのバラを探すのにもよい庭です。日本でオールドローズがブームになった頃によく耳にした、少し懐かしいオーソドックスな品種にも多々出合えました。 バラは、低く咲くものから、背丈以上に枝を伸ばして、重そうに花首を垂らして咲くものまで、品種ごとの樹形を生かしたナチュラルな仕立てになっていました。バラの茂みとパーム・ハウスの風景も、やっぱり絵になります。 この温室は、ヴィクトリア朝の園芸家を魅了した、アマゾン原産のオオオニバスを育てる目的で、1852年に建てられたというもの。珍しい植物を世界中から集めて栽培しようとする英国人の情熱には、本当に驚いてしまいます。 建物の中は、直径約10mの丸池でほとんど占められていて、池の周りをぐるりと一周しながら、水面に浮かぶスイレンの類や、ふわふわしたパピルス、吊るされたヒョウタンの類といった、熱帯植物を見ることができます。 池では今もオオオニバスが栽培されていますが、葉が大きすぎるため、現在は、それより小ぶりなサンタクルス・ウォーターリリーを多く育てているのだそうです。 道の両側に、ずっと先まで続いていく、ゆったりと幅の広い花壇です。全長320m、3万株の宿根草が植わる花壇は、英国最長のダブル・ハベーシャス・ボーダー(小径を挟んで対になってつくられる宿根草花壇のこと)。この道は元々、パーム・ハウスに至る散歩道でしたが、2016年の春に、現在のような形になりました。 リーガルリリーが今にも咲きそうにつぼみを膨らましていたかと思えば、アルケミラモリスが、まるで絨毯のように広がっています。そして、トリトマやバーバスカム、イヌラ・マグニフィカといった、オレンジや黄色の元気な色の花が、鮮やかに園路を彩ります。花壇に見とれて歩くうちに、あっという間に長い距離を進んでいました。 カモミールなど34種の植物からなるメドウに囲まれて建つのは、17万個のアルミ製パーツと1,000個のLED電球からなる「巣」を、ハチになった気分で体感するという、高さ17mのインスタレーション・アート。2015年ミラノ万博の英国館展示品として、アーティストのウォルフガング・バットレスによって作成されたものが、移築されました。 ハチの研究にインスピレーションを受けてデザインされたというこのアート作品は、人間が食べる食物の受粉を担っているハチの重要性を訴えかけるものです。キュー・ガーデンでは、ハチの食糧となるさまざまな植物を確保するなど、近年危惧されるハチの減少を食い止めようと、対策を試みています。 ロックガーデンは、1882年に、3,000株の高山植物の寄付を受けたことをきっかけにつくられました。ピレネー山脈の生息環境を模して、階段状に砂岩を組んだ花壇の中に、草丈30㎝もないような、小さな高山植物が植えられています。普段なら見落としてしまいそうな、小さな花の繊細な咲き姿が、ここではよく観察できます。綿のような花や針のような花など、これまで見たことのない植物にもたくさん出合えるコーナーです。 ロックガーデンを眺めながら歩くと、いつのまにか、鮮やかなバラに彩られた、ローズパーゴラの入り口に到着していました。長いパーゴラには、数多の花を咲かせるつるバラが何種類も絡んでいて、豪華な回廊を形作っています。 ここは、〈プラント・ファミリー・ベッド(Plant Family Beds)〉と呼ばれる一画。102に区分けされた花壇には、シソ科やナデシコ科というように、さまざまな植物が93の科に仲間分けされ、紹介されています。学術的な花壇ですが、ガーデンとしての見応えも十分の美しい場所です。 その昔、ここはキュー・パレスに住まうジョージ3世のために食物を育てた畑でしたが、現在は、BBCのテレビ番組のためにつくられた、新しいキッチンガーデンがあります。有名フレンチシェフのレイモンド・ブランが案内役となって、250種の野菜や果物を一年を通じて収穫しながら、料理や食の歴史を紹介する番組で、このキッチンガーデンはテレビを通じてとても人気があるのだとか。 小さな実をつけた、エスパリエ仕立てのリンゴやナシの仲間、これから支柱に絡まるであろう、まだ小さな苗のインゲン類、それから、花茎を立ち上げ始めたラベンダー。ハーブも野菜も、花も実も、一緒に楽しめるガーデンになっています。 支柱の先端には、作業中にかがんでも怪我をしないようにと、小さな植木鉢がかぶせてあります。そんなところからも、「本当に庭づくりを長年続けた国の植物園だなぁ」と、実感させられます。 〈プラント・ファミリー・ベッド〉の一角には、デザインの異なるハチの巣箱が3タイプ並んでいました。これは、マルハナバチやミツバチの巣箱。メドウに囲まれていて、近くに寄ることはできません。キュー・ガーデンでは、近年危惧されている、受粉を担うハチの減少を食い止めようと、ハチの好む植物を植えるなど、生育環境を整えています。ここで待っていれば、ころんとした可愛らしいマルハナバチを観察できるそうですよ。 あ、あの花、私が好きな花だ! あ、あんなところにバラが咲いている! なんて言いながら、次から次へと歩くうちに、広い広いガーデンの北の端近くまで来ていました。ヴィクトリア・ゲートを入ってから、あっという間に2時間。今回巡ったのは、植物園の北の方面ですが、まだ敷地の8分の1も見ていないかもしれません。 ゲートまで戻っていくと、パーム・ハウスの南側で、高さ3mほどの大木に絡まった、一重のつるバラが満開となって、驚きの花景色を見せていました。名札には「‘HIMALAYAN MUSK ROSE’ Rosa brunonii」とありました。 さて、これで庭巡りもおしまいです。 またの機会に恵まれたなら、庭の南側にある〈テンペレート・ハウス(Temperate House)〉にもぜひ訪れてみたいもの。パーム・ハウスの2倍の広さを持つ、ヴィクトリア朝に建てられた中で世界最大の温室です。温帯気候の植物が集められていて、その中には、希少種や絶滅危惧種もあるのだとか。現在修復中ですが、2018年に再びオープンの予定です。 もし、春の桜の頃に訪れる機会を得たら、テンペレート・ハウス近くのチェリー・ウォークを歩くのもオススメです。英国に暮らす日本人が故郷を思い出すという、サクラの素晴らしい景色が待っています。 〈ロイヤル・ボタニック・ガーデンズ・キュー〉 庭園情報 ロンドンの中心地から、公共交通機関を使って30分ほどという、旅行者には嬉しい立地にあります。最寄り駅、地下鉄ディストリクト・ラインのキュー・ガーデンズ駅(Kew Gardens)から植物園のヴィクトリア・ゲートまでは徒歩約6分。 12月24日、25日を除いて、毎日10:00に開園。 閉園時間は8月までは、月~木が18:30(最終入場18:00)、金~日、祝日は20:30(最終入場20:00)。9月は、月~木が18:30(最終入場18:00)、金~日、祝日は19:00(最終入場18:30)。 10月以降は、季節によって閉園時間が変わります。冬場はかなり早く閉園するので、詳しくはHPで要確認。入園料は£15.50(寄付込み)。*2017年現在の情報です。
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イギリス

英国の名園巡り、プランツマンの情熱が生んだ名園「ヒドコート」
昔ながらの村々が点在する美しい田園として知られる、グロスターシャー州のコッツウォルズ地方。その北部に、世界中から年間17万人もが訪れる名園、ヒドコートはあります。 この庭園の最大の魅力は、園内を巡っていると、個性的な小さな庭が次から次へと現れることでしょう。ヒドコートの庭は、高い生け垣や塀によって20余りの「部屋」に仕切られていますが、どれもが印象的。見る者は足を踏み入れるなり、それぞれの異なる美しさに惹きつけられます。 小鳥のトピアリーが白い花々と戯れる〈ホワイト・ガーデン〉、生け垣に囲まれた丸池が静かに水を湛える〈ベイジング・プール・ガーデン〉、そして、直線的な芝生の道が遠くまで続く〈ロング・ウォーク〉。角を一つ曲がる度に、新たな驚きが待っています。 この素晴らしい庭をつくったのは、園芸家のローレンス・ジョンストン(1871-1958)です。彼はアメリカの裕福な家に生まれ、フランスや英ケンブリッジ大学で教育を受けました。 1907年、ジョンストンは母が買い取ったヒドコート・マナーに暮らし始めます。その時、屋敷周辺に庭らしきものはなく、彼は独学で庭をつくり始めました。ジョンストンは、幾何学模様や噴水といった、伝統的なイタリア式庭園の要素を取り入れる一方で、当時流行していたアーツ・アンド・クラフツ・スタイルの庭づくりにも目を向けて、独自の世界をつくり出しました。何人ものガーデナーを雇い、40年に渡って、精力的に庭をつくり、守り続けたのです。 親密な雰囲気に満たされた、特徴ある小さな庭が連続する彼のスタイルは、後に続いたシシングハースト・カースルの庭だけでなく、現代における庭づくりにも大きな影響を与えています。 ジョンストンは植物の蒐集に熱心なプランツマンで、国内のみならず、オーストラリアや日本などの遠い国々のガーデナーとも種の交換を行っていました。そして、「どんな植物でも最良の姿のものだけを植える」という信条を持って、庭に植えるべき植物を吟味しました。 1920年代に入ると、ヒドコートの庭はほぼ完成を迎え、ジョンストンの関心は次第に、南仏のマントンに設けた〈セール・ドゥ・ラ・マドン〉というもう一つの庭をつくることに移っていきます。また、植物の蒐集にますます情熱を傾け、プラントハンティングの旅に資金提供をするだけでなく、自ら、アルプスの山々や南アフリカ共和国、中国などに出かけていきました。 こうして自らの手で集めた珍しい植物の数々は、ヒドコートと南仏の2つの庭に植えられ、また、英国内の植物園にも寄付されました。ヒドコート・ラベンダーやヒペリカム・ヒドコートのように、ジョンストンが持ち帰り、彼自身やヒドコートの名を冠した植物は、今も多く残されています。 ヒドコートの庭が最も美しかったのは、1920年代から1930年代にかけてと言われています。その頃、庭はジョンストンと園芸界の友人たちだけが知る、ごく私的な空間でした。年に数回、チャリティーで公開されることはありましたが、その素晴らしさを耳にしても、実際に目にした者は少ないという、伝説のような庭だったのです。 1948年、70代となったジョンストンは、ヒドコートをナショナル・トラストの手に委ね、自身は南仏の庭へと移ります。庭園はその後、変化が加えられましたが、近年また、ジョンストンが丹精していた頃の庭園を再現しようとする取り組みが行われています。ナショナル・トラストの手によって守られたヒドコートは、100年前の美しさを今も私たちに伝えています。 ヒドコートは2月から12月まで開園していますが、毎日開園するのは気候のよい3月から10月にかけて。季節によって開園日時が変わるので、詳しくはHPでご確認ください。 ロンドンからは車で2時間半、電車の場合は、ロンドン・パディントン駅から最寄り駅のハニーボーン(Honeybourne)まで2時間ほど。駅からはタクシーで約15分。 近くの村、チッピング・カムデンはコッツウォルズの名所なので、合わせて観光するのもオススメです。ヒドコートでは、手入れの行き届いた芝生の上で、『不思議の国のアリス』にも出てくる英国伝統の遊び、クロッケーに挑戦することもできます。また、駐車場から、遊歩道パブリック・フット・パスが伸びているので、イヴシャムの谷やコッツウォルズの景色を見渡しながら少し歩いてみるのも楽しいでしょう。 Text by Masami Hagio Information 〈The National Trust〉Hidcote ヒドコート 住所Hidcote Bartrim, near Chipping Campden, Gloucestershire, GL55 6LR 電話+44 (0)1386-438333 https://www.nationaltrust.org.uk/hidcote
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イギリス

花好きさんの旅案内【英国】チェニーズ・マナー・ハウス・アンド・ガーデンズ
チェニーズ・マナーは隣接するチェニー村とともに、中世から存在するとても古い場所です。マナーは12世紀から350年の間、村の名の由来となっているチェイン家の所有であり、16世紀に入ると、ヘンリー8世の廷臣、ジョン・ラッセルの手に渡って、その後400年ほど、ラッセルの子孫となるベッドフォード伯爵(のちに侯爵)家の屋敷として使われました。 さて、まずは15世紀から16世紀にかけて建てられたという、歴史あるレンガ造りのお屋敷の中を、現オーナーのマシューズ夫妻に案内していただきました。 屋敷にヘンリー8世やエリザベス1世が訪れたという話を聞きながら、大小の部屋を20分ほどかけて巡ります。はるか昔の王様や女王様が登場する話は、想像を超える歴史物語ですが、当時の建物が今もそのまま残され、また、数々の逸話が語り継がれていることに、驚かされました。 屋敷では、時に階段を降りる不気味な足音が聞こえるという幽霊話もあって、それは、足の悪いヘンリー8世が、妻キャサリン・ハワードの不貞を探る足音なのだとか……。英国人は本当に幽霊話が好きです。 さて、庭巡りに移りましょう。 チューダー朝の頃から屋敷の周りには庭があって、16世紀末に暮らした第3代ベッドフォード伯爵夫人のルーシーは園芸が得意だったといわれています。 しかし、長い歴史の中で庭は変わり続け、半世紀ほど前には修復が必要な状態になっていました。 現在の庭は、1950年代後半から現オーナーの母であったエリザベス・マックレオド・マシューズ夫人が手をかけて整えたものです。夫人はチューダー朝のレイアウトを基に庭を修復し、また、新しい庭を創作しました。 屋敷の外壁にはつるアジサイが隙間なく伝い、柔らかい印象です。訪れた7月中旬は、どの庭でもつるアジサイが花盛りでした。 屋敷に面したローズ・ローン(Rose Lawn)。美しい芝生の緑を囲むように、ユーモラスな形に刈り込まれたツゲのトピアリーがポイントとなって植わり、その間をスタンダード仕立てのバラが彩ります。株元には、ふわふわと軽やかな小花が咲いていました。 その昔はチェニーズ・パレスと呼ばれ、歴史の舞台ともなった2階建ての屋敷。立派な胸壁や塔、煙突があります。 装飾性の高い煙突は、ヘンリー8世の城、ハンプトン・コート・パレスにあるのと同様のもの。16世紀、ヘンリー8世の廷臣であったジョン・ラッセルは、城の豪華な煙突とまったく同じように、おそらくは同じ職人を使って、これらの煙突をつくらせたといわれています。 屋敷に沿った細長い芝生の庭は、一見平らな大地に見えていましたが、奥まで行くと、実は少し傾斜地だったと判明。傾斜の途中には、まるでだまし絵のように3段の階段があります。苔むした石造りの階段にアルケミラモリスが茂って、さりげなく可愛いコーナーになっていました。 屋敷の周りの庭をぐるりと眺め、生け垣や柵に仕切られた区画をいくつか通ると、開けた区画にたどり着きました。ここは敷地の中心付近に位置するサンクンガーデン(Sunken Garden / 沈床庭園)です。中世の頃に流行りはじめたデザインスタイルだとか。春はチューリップがカラフルに咲いていましたが、訪れた頃はアルケミラモリスやギボウシが生き生きと茂り、ゲラニウムの花は終わりかけていました。ちょうど端境期で、庭のあちこちで何人ものガーデナーが植え替え作業をする様子を見ることができました。 ティールームの前には芝生の広場があって、庭を堪能しながらお茶や軽食が楽しめるよう用意されています。なんとも贅沢なティータイムです。 ティールームに面したボーダー花壇には、赤系や青系に色分けされた宿根草が混ざり咲いていました。ちょうど大輪の八重咲きピオニー(シャクヤク)が花盛り。花火のように放射状に花が咲くアリウム・シューベルティと美しい競演を見せています。 ナーセリーやショップを見るのも庭巡りの楽しみの一つです。庭ごとにオススメの植物やディスプレイの方法が違って、それを見比べるのも新鮮です。日本でもお馴染みの植物を見つけると、英国でも親しまれているのね、と嬉しくなります。 チェニーズ・マナーのショップには、ハサミや靴の泥落とし、オーナメントなどのガーデングッズのほか、小鳥や草花が描かれたマグカップなどのオリジナル製品や、庭で採取された手作り感のある種子袋なども並んでいました。 キッチンガーデンの手前で、芝生の中に道が浮かび上がる、ラビリンス(迷宮)が見えてきました。かつてこの庭にあったと思われるものを再現したラビリンスで、道に沿って中心に向かって歩いていると、いつのまにか円の外側へ向かい、通り抜けてしまいます。中世では祈りや懺悔の場として使われていました。 この庭にはほかに、高さ2mのイチイの生け垣が幾何学模様に刈り込まれた、立派なメイズ(迷路)もあります。20年ほど前、ハンプトン・コート・パレスの有名なメイズの100周年を祝ってデザインコンペが行われ、それを基につくられたものです。17世紀に編み出された数学の定理にのっとってデザインされたという幾何学模様は、とても複雑。入ってみたいけれど迷ってしまいそうで、忙しい庭巡りの旅の途中ではチャレンジし難い迷路でした。 ダイナミックに絡むライムグリーンのつる植物がアーチを彩るキッチンガーデンの入り口。キャットミントの紫花に縁取られた小道を進みます。 スグリやリンゴ、洋ナシの木がぐるりと囲むキッチンガーデンの中には、これからぐんぐん大きくなりそうなナスタチウムやレタス、スイートコーンの若い芽がびっしりと育っていました。 ここで全てのコーナーをお見せできないのは残念ですが、植物名と効用がひとつずつ表示されているフィジック・ガーデン(薬草園)や、女王が木陰で休んだ際に宝石を無くしたという逸話から〈エリザベス1世のオーク〉と呼ばれる、樹齢千年を超えるオークの巨木など、チェニーズ・マナーの見どころはたくさんあります。きれいに形づくられたたくさんのトピアリーなども大変よく手入れされていて、庭での散策はとても気持ちがよいものでした。 チェニーズ・マナーでは、室内から外の緑や花の風景を見て楽しむことができるように、母屋の近くには美しいガーデンが広がっています。一方、敷地の奥では、キッチンガーデンや薬草園で、食べたり利用したりする植物をたくさん育てていて、広大な敷地を活用していることが分かりました。 チューダー朝の暮らしが感じられる、歴史あるチェニーズ・マナーをぜひ楽しんでください。 〈チェニーズ・マナー・ハウス・アンド・ガーデンズ〉 庭園情報 ロンドンから車でも電車でも1時間ほど。電車の場合、ロンドン・メリルボン駅からチャルフォント&ラティマー(chalfont & Latimer)駅に向かい、駅からはミニキャブで15分ほどです。 開園は、4月から10月の水、木、祝日、14:00~17:00。 4月末から5月初めにかけて、数千球のチューリップが一斉に咲くチューリップ祭が、また、8月の終わりにはダリア祭が行われます。 入場料(屋敷と庭)は£8。*2017年現在の情報です。
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イギリス

英国の名園巡り、ビアトリクス・ポターの愛した暮らし「ヒル・トップ」
緑豊かな山々と、静かに水をたたえる湖。丘の斜面に広がる牧草地と、その脇に伸びる、風情のある石垣。そんな昔ながらの、美しくのどかな風景が残されている湖水地方は、英国人が最も愛する田舎の一つ。人々はくつろぎと、ウォーキングなどの野外の楽しみを求めて、この地にやってきます。 さて、17世紀に建てられた石造りの田舎家、ヒル・トップは、この湖水地方のニア・ソーリー村にあります。小さいけれど、この家はとても有名で、年間10万人もの観光客が訪れます。というのも、ここは、世界中の子どもたちに読み継がれる絵本『ピーターラビットのおはなし』の著者、ビアトリクス・ポター(1866-1943)が暮らした家なのです。 ポターは今から150年ほど前、ロンドンの裕福な中産階級の家に生まれました。幼い頃から聡明で画才があり、小動物や草花を、じっくり観察して描くのが好きだったといいます。一家は夏になるとロンドンを離れ、緑豊かな北部の田舎で長い休暇を過ごしました。ポターは16歳の時、初めて湖水地方に滞在し、以来、この地の自然に魅せられていきます。 1905年、39歳の時に、ポターは『ピーターラビットのおはなし』の成功から資金を得て、ヒル・トップ農場を買い取ります。じつはその時、愛する婚約者を病気で亡くしたばかりでした。失意の底にあったポターにとって、湖水地方の自然と自分だけの場所は、大きな慰めとなるものでした。彼女は未婚女性として両親とロンドンに暮らしつつも、ヒル・トップに足しげく通って、大切な自分の城をつくっていったのでした。 ヒル・トップはポターにとって、自分のお気に入りだけを集めた、愛すべき空間でした。ガーデニングにも精を出して、家に続く小径沿いに伸びる花壇や、石塀に囲まれた菜園、果樹園をつくります。そして、絵を描くように、宿根草や球根花、ハーブや野菜、花や実のなる灌木を配して、実用的で美しい、見事なコテージガーデンをつくり上げました。 ここはまた、彼女のアトリエであり、創作のインスピレーションを得る場でもありました。ポターにはきっと、「おはなし」に登場する動物たちの遊ぶ姿が見えていたのでしょう。ヒル・トップの庭景色は、ピーターラビットシリーズの『こねこのトムのおはなし』などに描かれています。 ポターはその後結婚して、新しい住まいを持ちますが、ヒル・トップを生涯大切にしました。 晩年は、この地特有の希少種の羊を守り育てることと、湖水地方の美しい景観を開発から守ることに力を注ぎます。彼女は絵本の売り上げで土地を買い足し、亡くなる際に、4,000エーカー(約1,600万㎡)の土地と、ヒル・トップを含む15の農場をナショナル・トラストに遺しました。 ヒル・トップの家と庭は、ポターの願った通りに、彼女の生きていた頃のままに再現され、公開されています。また、15の農場は今も昔のままに営まれ、周辺の牧草地も守られています。その眺めは、今となってはとても貴重なもの。ポターは自らが愛した湖水地方の景色を、後世の私たちにそのまま遺してくれたのです。 ロンドンから湖水地方までは、車で5時間ほど。電車の場合は、ロンドンのユーストン駅から湖水地方の入り口となるウィンダミア駅に向かい、そこから路線バスやフェリーなどの公共交通機関を使って、主な観光スポットを回ることができます。 ヒル・トップの開館は2月中旬から10月末まで。近くの村、ホークスヘッド(Hawkshead)には、ビアトリクス・ポター・ギャラリー(Beatrix Potter Gallery)があって、ポターの遺した絵画やイラストを見ることができます。また、近隣のパブやホテルでは、美味しい食事やアフタヌーンティーが待っています。 詳細情報 店舗・施設名 The National Trust - Hill Top(ヒル・トップ) 住所 Near Sawrey, Hawkshead, Ambleside, Cumbria, LA22 0LF 電話番号 +44 (0)1539-436269 ホームページ https://www.nationaltrust.org.uk/hill-top
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スペイン

スペイン「アルハンブラ宮殿」【世界のガーデンを探る旅1】
ヨーロッパの庭の歴史をひもとくと、紀元前600年頃、チグリス・ユーフラテス文明のバビロンの空中庭園から始まります。当時の世界の七不思議の一つにも数えられていて、宮殿のテラスや屋上につくられた緑の庭園だったようです。乾いた灼熱砂漠を旅してくると遥か陽炎の彼方に緑の庭園が、あたかも蜃気楼のように浮かび上がって見えたということから、空中庭園と呼ばれるようになりました。 その後、庭の文化は、一方は地中海の北側沿いにギリシャからローマ、もう一方はイスラム教とともに北アフリカからモロッコ、さらにジブラルタル海峡を渡ってスペインのグラナダへと流れていきます。その到達地である小高い丘に建てられた「アルハンブラ宮殿」は、ヨーロッパに現存するガーデンとして最古のものと考えられています。いにしえの人々が過ごしていたであろう当時のガーデン風景を見ることができる貴重な場所で、今も世界中から観光客が訪れています。 まずは、アルハンブラ宮殿の起源を探ってみましょう。この地に最初にやってきたのは、7世紀にジブラルタル海峡を渡ってきた北アフリカのムーア人(ベルベル人)たちで、コルドバの平野に突き出た小高い丘に城塞都市として、アルハンブラ宮殿の原形を築きました。その後、イベリア半島の大半を支配するまでになりましたが、当時の首都はイベリア半島をもう少し中に入ったコルドバであり、ここアルハンブラは単なる一城塞都市でした。 8世紀にはイスラム教徒が、その後もいろいろな人々によって増改築が行われました。15世紀にキリスト教のレコンキスタ(国土回復運動)が始まり、ピレネー山脈を越えてイベリア半島を徐々に南下してきましたが、イスラム王国は最後までグラナダを手放しませんでした。しかし15世紀の終わりになると、ついにキリスト教徒の手によって陥落し、ヨーロッパからイスラム王国はなくなりました。 では、アルハンブラ宮殿の中を見ていきましょう。このライオンの中庭は、宮殿のほぼ中央に位置し、メソポタミア時代のアラブ人が、チグリス川のほとりで世界のというものを考えた時、きっとこのようになっているのであろうと想像した世界観がもとになっているといわれています。世界の中心(バビロン)は平らで、きれいな水があふれており、そこから四方に流れ出て大地(世界)を潤す。 その世界は12頭のライオンによって下から支えられているのでは! と考えられていました。旧約聖書の中でも<花が咲き乱れるエデンの園(パラダイス)から4本の河が流れ出し、世界を潤す>と書かれています。この四分割庭園(四分庭園)がもとになり、のちにフォーマルな形としてイタリア、フランス、イギリスへと受け継がれていきます。 皮肉にもレコンキスタで北から徐々にグラナダにキリスト教徒が迫ってきた頃、アルハンブラのスルタン(王様)によって多くの手が加わり、現存する建物や庭がつくられました。ライオンの中庭を取り巻く回廊状の建物の部屋にはイスラム文化を象徴するドーム天井(モカベラ)がつくられ、幾何学模様(アラベスク)によって隙間なく埋め尽くされています。 アラベスク模様の意図するものは、イスラム教では自然の中にある秩序であり、神との統一性を表すものです。この部屋の中に入ると、誰もが何とも不思議な感覚に襲われます。 アルハンブラ宮殿より少し北へ歩いていくと、「ヘネラリフェ」という美しい庭園があります。ここは、14世紀に王の別荘として建てられた所で、城塞を兼ねたアルハンブラ宮殿より少しくつろいだ雰囲気があります。 中央に噴水をあしらった水路があり、その周りには色とりどりの植物が植えられています。命の象徴であるきれいな水をふんだんに使って季節の花が咲き乱れるさまは、あたかもパラダイスのようです。同じ頃イタリアでは、噴水を使ったイタリア式庭園(ルネッサンス時代)が多くつくられていましたので、その影響があったのかもしれません。 アルハンブラ宮殿は、長い歴史の中で何度も増改築が行われました。また、城塞から居住地となり、別荘、避暑地としても使われましたので、いろいろな庭のタイプを見ることができる、世界でも類を見ない特別な場所です。 特にイスラムからキリスト教へと文化的背景が大変貌をとげても、大きく破壊されることなく今に引き継がれているのは驚きです。デザイン的にはシンメトリックを基調にしていますが、さまざまなタイプの庭を見ることができるアルハンブラ宮殿は、今もなお現代の庭に大きな影響とインスピレーションを与え続けています。




















