- TOP
- ガーデン&ショップ
ガーデン&ショップ
-
フランス
フランス「ヴェルサイユ宮殿」の花壇編【世界のガーデンを探る旅7】
フランス式庭園を彩る花々から色彩感覚を探る 『「フランス「ヴェルサイユ宮殿」デザイン編【世界のガーデンを探る旅6】』では、ヴェルサイユ宮殿とフランス式庭園の誕生、そして庭全体のデザインについてご紹介しましたが、今回はフランス独特の植栽について、花壇を例に解説します。 ベルサイユ宮殿の春の花壇です。黄色系のスイセン(3種類)に赤系のチューリップ(4〜5種類)が混植されています。ポイントは濃紫の八重のチューリップでしょう。黄色や赤だけではぼやけた印象になるので、濃い紫を差し色にして、花壇の色彩を引き締めています。また白いスイセンを入れることにより、全体の色合いが単調に混ざるのを防ぐと同時に優しさをプラスしています。 低い草ツゲに揃えて、草丈の低い球根類に限定し、黄緑の草ツゲと深緑のイチイの刈り込みが花壇の色彩を引き立てています。特にイチイの深緑を点在させることで、広大な敷地に立体感と奥行きを生み、遥か向こうにあるアイボリーホワイトの宮殿までの距離感と重厚さを効果的に演出しています。 ヴェルサイユ宮殿の花壇づくりのテクニックを探る 植栽リスト Case1 【宿根草】ガウラ、マーガレット、ルドベキア、デルフィニウム、ダリア 【一・二年草】ニコチアナ、三尺バーベナ、クレオメ、サルビア、デージー他 こちらは、ヴェルサイユ宮殿の北側の花壇です。少し高めのツゲの刈り込みの中に、いろいろな花が植栽されています。一見無秩序に咲き乱れているかのようですが、それぞれ一塊のブロックになっています。写真の時期は初夏ですが、宿根草と一年草が入り乱れる植栽は、英国庭園に見られるナチュラルな植栽とは違い、モダンな印象を受けます。 植栽リスト Case2 【白色系】ニコチアナ、ストック、ペチュニア 【桃色系】ダイアンサス(セキチク系)2種類、ストック 【黄色系】コレオプシス 南側の花壇は、低い草ツゲのエッジが整ったカーペット花壇です。幾何学的な模様の中に背の低い花々が植え込まれています。一年草と二年草の組み合わせで1ブロック2mほどを1パターンとして、黄色、ピンク、白と繰り返して花色がつながり、まるで絵画の印象派を思わせる淡い彩りがガーデンに浮かび上がっています。 このように花色を混ぜ合わせる手法は、やりすぎると色が濁ってしまうのでセンスを要します。 黄花のコレオプシスに濃い桃色のダイアンサス…およそ調和し難いこの2色をニコチアナ、ペチュニア、ストックの白花がうまくつないでいます。このように10種類近くの草花を組み合わせながらも、色の混乱を避けることは、植物知識と色彩感覚、美的センスなど、さまざまな能力が必要です。しかも、この広大な敷地にタイミングよく植え込むのです。苗の確保と植え込み作業、その後のメンテナンスまでトータルに考え実行する…ガーデナーとは、なんとクリエイティブな仕事なのでしょう。 植栽リスト Case3 【赤〜桃色系】ゼラニウム、ベゴニア、セキチク 【青〜紫色系】バーベナ、ヒエンソウ 【黄色系】不明 【白色系】ペチュニア、ニコチアナ 初夏の植え込み直後と思われる花壇です。20〜25㎝間隔で苗が植え込まれています。これが1カ月も経てば、隙間なくお互いにくっつき合うように育ってくれるとはうらやましい限りです。日本は梅雨や夏の高温多湿により、病気や蒸れで草花へのダメージが大きいのですが、フランスでは高緯度による優しい日の光がぐるっと根元まで届くことや、涼しい夏のおかげで、ある程度の密植は問題がないようです。もちろん、有機物がいっぱい入った土づくりにも力を入れていることでしょう。 現代の花壇にも表現されている印象派‘モネ’の色 初夏の中央花壇です。なんて素晴らしい混植花壇なのでしょう。フランスの人たちの美意識の高さがうかがえる、とても魅力的な植物の組み合わせです。 植栽リスト Case4 【赤色系】ゼラニウム 【桃色系】ダリア(2種類)、ストック(八重)、バーベナ 【青〜紫色系】デルフィニウム 【白色系】デルフィニウム、ニコチアナ、シロタエギク 淡い桃色のダリアを中心に、ゼラニウムの独特な緋色がアクセントになっています。こんもり盛り上がったフラワーベッドには、垂直に立ち上がる縦のラインと、低く広がる淡い色。この色合いは、もしやあの絵画で見た色構成ではないでしょうか? オランジュリー美術館で展示されている、有名なクロード・モネの描いた‘睡蓮’です。ヴェルサイユ宮殿の花壇の色合いは、まさにこの絵そのものではないかと私は思うのです。晩年のモネは、目が徐々に不自由になり、ものの形がはっきり識別できなくなっていたそうですが、その中で描かれたこれら一連の作品‘睡蓮’は、色彩の魔術師と称され、今もなお多大な影響力を持つモネの集大成といわれています。この‘睡蓮’の色使いと、ベルサイユ宮殿の花壇の色づかいには多くの共通点があるように思います。フランスには、今もモネの色彩感覚が脈々と息づいていると感じるのです。 植栽リスト Case5 【赤色系】ゼラニウム、ダリア(2種類) 【白色系】クレオメ、コレオプシスデージー 【シルバーリーフ】不明 晩夏の中央花壇です。緋色のゼラニウム、桃色のダリア、そこに白花のコレオプシスデージーが独特の葉色とともに混植されています。初夏のデルフィニウムに変わって、白のクレオメがふわりと立ち上がり、咲き誇っています。桃色のダリアも草丈を伸ばし、初夏とは違ったボリューム感を見せています。 ヴェルサイユ宮殿のカーペットベディング ヴェルサイユ宮殿のずっと西の端、あまり人が訪れないエリアにまでカーペットベディング(毛氈花壇)がありました。白いエケベリアをうまく使って、赤いベゴニア・センパフローレンスやハゲイトウ、アルテルナンテラなどが使われています。日本では考えられない組み合わせですが、是非チャレンジしたいものです。ベッドを円錐状に盛り上げたり、斜面を生かした花の見せ方には感心します。 植栽リスト Case6 【赤色系】ベゴニア・センパフローレンス、アルテルナンテラ 【葉物】エケベリア、アスパラガス、シロタエギク フランスには、いまだに印象派、特にモネの色合いが色濃く残っているような気がしますが、いかがでしょうか? イギリスをはじめ、他の国ではこのような混植は見たことがありません。ぜひ皆さんも、フランスへ旅する機会があったらフランス式花壇をじっくり観察してください。フランスの草花が特に美しい季節は8〜9月です。
-
フランス
フランス「ヴェルサイユ宮殿」デザイン編【世界のガーデンを探る旅6】
絶対王政の象徴 ヴェルサイユ宮殿 メソポタミアから始まった西洋の庭の流れは、イタリア・ルネサンスを経てフランス王朝へと受け継がれていきます。それまでは地中海が世界のすべてでしたが、バスコ・ダ・ガマやコロンブスなどの登場によって、大きな世界が認知され、植民地支配による莫大な富がフランスへと流れ込みました。ここに世界の富の中心がイタリアからフランスへと移り、絶対王政の象徴としてのヴェルサイユ宮殿がつくられたのです。 今回取り上げる「ヴェルサイユ宮殿」の庭は、後につくられる数々の庭へあまりにも大きな影響を与えた重要な存在。まずは、ヴェルサイユ宮殿の庭について、詳しくご紹介したいと思います。 フランス式庭園の誕生 フランスの王ルイ13世の狩猟場であったヴェルサイユの丘の上に建てられたヴェルサイユ宮殿。バロック建築の代表作とされるこの美しい建物は、太陽王ルイ14世の命で建築家ル・ヴォーとマンサールが設計し、建造に5年の歳月をかけて1665年に完成しました。 その後50年に渡ってさまざまに手が加えられ、全長550m、部屋数700室を超える豪華で重厚な宮殿が完成したのです。フランス式庭園の最高傑作といわれる庭園は、1667〜1670年に、アンドレ・ル・ノートルによってつくられました。ル・ノートルは、ルイ14世の依頼を受けてイタリアに旅し、かの地でいろいろな庭園を見て回ったといいます。イタリアの旅先で受けたインスピレーションを、彼なりにフランス風にアレンジし、重厚なヴェルサイユ宮殿の建物に負けない1,000ヘクタールもの庭園をつくり出したのです。 ヴェルサイユ宮殿とその庭園は、左右対称の配置になっています。宮殿正面広場には花や緑はまったく見られず、石の重厚感に圧倒されながら、バロック、ロココ調の宮殿に入ります。宮殿の中は外観とは打って変わって豪華絢爛。太陽王ルイ14世の名にふさわしい、きらびやかさを今も放っています。 宮殿を通り抜けると、目の前にはラトナの泉と見渡す限りのシンメトリックな庭園を見下ろすことができます。1919年に、ここでドイツと連合国によって締結されたヴェルサイユ条約により、第一次世界大戦が終わりました。 ル・ノートルがつくったフランス式庭園の特徴は、中心を通る軸線に対して左右対称に幾何学模様をデザインし、いろいろな要素を完璧なまでに配置しているところにあります。この庭園の誕生によって、自然をも支配する絶対君主の存在を人々に示しました。 もともと宮殿は、周囲を見下ろす丘の上に建てられたため、近くに水源がありませんでした。そこで、10㎞も離れたセーヌ川に「マルリーのポンプ」と呼ばれる揚水機をつくって、庭園内の噴水に使う水を水路で運び込んだのです。 宮殿を出て、左右に高く茂る緑の生け垣と真っ白な大理石の彫刻を見ながら丘を下っていくと、楕円形の「太陽神アポロンの噴水」にたどり着きます。ギリシャ神話の神アポロンが、4頭の馬が引く戦車に乗って海から出てくる様子を黄金色の彫像で表現しています。その場所から見上げる宮殿の威容は、まさに自然をも支配したいと願ったルイ14世の心意気を感じさせます。 毛氈花壇とボックスウッド 宮殿を出て左へ行くと、ペルシャ絨毯を思わせる毛氈花壇が広がる南の花壇があります。円錐形に刈り込まれた濃緑のイチイが効果的なアクセントとなり、低く刈り込まれたボックスウッドにより緑の幾何学模様が浮かび上がっています。緑の縁取りの中には、フランス独特の色合いの花々が咲き、訪れる人を引き込んでしまいます。 ルーフガーデンから見下ろすオランジェリー 緑と花の毛氈花壇を楽しみながら進むと、花壇の先に不思議な空間が広がります。と同時に自分がいた場所が、いつの間にかルーフガーデンでになっていることに驚かされます。石の手すり越しに見下ろすと20mほど下には、丸い池を配したフォーマルガーデンの緑とベージュ色の庭が広がっています。ここはオランジェリーに囲まれた春から秋までがシーズンの庭です。よく見てください。ほとんどの植物は緑の木箱に植えられていることにお気付きでしょうか? 植えられている植物は、オレンジの木や月桂樹、それに南の植物のヤシなどです。 これらの木々は、左側に建つ高い窓が配された部屋「オランジェリー」で冬越しをします。オレンジは、もともとインドのアッサム地方が原産地なので、フランスの寒さに弱く、また当時はまだガラスで囲まれた温室はなかったため、オレンジなどの木々は建物の中で加温して冬越しさせました。イタリア・ルネサンスで始まったオランジェリーも、庭とともに着実にフランスへと受け継がれていきます。当時の貴族の人々は、オレンジの実を楽しむだけでなく、冬にはオランジェリーでその香りも楽しんだことでしょう。 トピアリーの道とラトナの噴水 宮殿の裏から右、北の花壇へ行くと、ゆるいスロープの両側に、さまざまに刈り込まれたトピアリーが並ぶ園路があり、下ったその先には「ラトナの噴水」があります。ここでは4〜10月の毎週日曜日に音と水の祭典が開かれています。 ヴェルサイユ宮殿の庭は、基本は左右対称で東西に中心線が走っています。基本的な配置は左右対象ですが、それぞれのパートは必ずしも左右対称ではありません。場所ごとにデザインと工夫が施され、考えられるほぼすべてのタイプの庭がヴェルサイユ宮殿にはあり、そのアイデアの豊かさに驚かされます。ル・ノートルが残したこの庭が、現在までのフランス式庭園のすべてのモデルになっているといっても過言ではないでしょう。 このあと大航海時代に入り、フランス王朝の没落とともに世界の富と文化の中心がドーバー海峡を渡っていきます。イギリスでも最初はフランス式庭園が多くつくられますが、その話はまだまだ先のこと。次回『フランス「ヴェルサイユ宮殿」の花壇編【世界のガーデンを探る旅7】』では、ヴェルサイユ宮殿の花壇や、パリの庭の話をしましょう。
-
フランス
花好きさんの旅案内【フランス】モネの庭
モネの庭は、池を中心としたエリア〈水の庭園〉と、モネが晩年までを過ごした家の前に広がる、〈クロ・ノルマン〉と呼ばれる庭で構成されています。さあ、タイプが異なる2つの庭を散策してみましょう。 入園すると、まず右手の地下道をくぐって、水の庭園に向かいました。竹が生い茂る、少し狭い通路を抜けると、絵にも描かれた、太鼓橋のような日本風の橋と、大きなしだれ柳が水面に葉を垂らす姿が見えます。訪れたのは7月の中旬。朝方は小雨が降っていましたが、ときどき晴れ間がのぞく穏やかな天気に変わったことで、池の水面には空と雲が映り、植物もみずみずしく見えました。 モネがジヴェルニーの美しい田園風景に一目ぼれし、移り住んだのは、1883年、43歳の時でした。モネは画家ならではの色彩センスで、田舎家を愛すべき我が家へと変身させ、また、家族総出で前庭をつくり始めました。そして、その10年後には、道の向こうの土地を買い増し、近くを流れるエプト川から水を引いて、この水の庭園をつくり出したのでした。 池の周りをぐるりと巡る散策路を行くと、進むにつれ景色が変わっていきます。柳の葉が池を隠すかと思えば、次は開けた場所に出ます。足元付近には、ホタルブクロやアスチルベ、ニコチアナなど、小さくて鮮やかな赤、白、ピンクの素朴な植物が、緑の中で一際引き立っていました。 池には、睡蓮を手入れするために船に乗ったガーデナーの姿がありました。モネの作品に、たくさん描かれてきた睡蓮。この角度からは白花のほとんどが閉じていましたが、いっせいに花が開く頃の素晴らしさが容易に想像できました。 モネははじめ、ただ楽しみのために睡蓮を植え、手入れをしていました。しかし、ある日突然、啓示を受けたかのように睡蓮の池が持つ魅力に気づき、パレットを手にしたのだそうです。それ以降、モネはほぼ睡蓮だけを描き続けました。毎朝、池のほとりに数時間立って、池の上に広がる空や、流れる雲を眺めていたといいます。 モネが晩年に制作し、フランス国家に遺贈した『睡蓮』の作品は、彼の亡くなった翌年となる1927年に、友人で政治家のジョルジュ・クレマンソーの尽力によって、パリ、オランジュリー美術館で公開されました。当初、世間の反応は控えめなものでしたが、第二次世界大戦後に、パリにいたアメリカ人画家たちにより再評価されたことで、『睡蓮』は美術史に残る傑作となったのでした。 水の庭園では、モミジやツツジ、竹など、日本の雰囲気を醸し出す植物がたくさん育ち、竹を組んだ柵もありました。大木の幹を伝い上るように誘引されたバラも、迫力のある仕立てです。バラのガゼボの近くに、モネの自画像が撮られたのは、もしやここ? と思われる緑のベンチを発見! モネと同じポーズで座り、記念写真を撮りました。 水の庭園を一周した後は、モネの住まいの前に広がる庭、クロ・ノルマンに向かいます。園内の散策路は、どこもカラフルな花でいっぱいでした。 ジヴェルニーを心から愛したモネは、1926年に86歳で亡くなるまでの43年間、ここで庭づくりと創作を続けました。モネの亡き後、義理の娘で画家のブランシュが家と庭を維持しますが、彼女が亡くなると住む人もいなくなり、地所は荒れるがままになっていきました。 ジヴェルニーとモネの遺した数々の作品は、次男ミシェルによりフランス芸術アカデミーに遺贈されます。ジヴェルニーに関心が集まり、家と庭の修復作業が始まったのは、1977年のこと。その時、家は荒れ、クロ・ノルマンは雑草だらけの草地となり、水の庭園も泥の川と化して、橋も朽ち果てていました。また、モネが世話した当時の植物は何も残っておらず、庭の修復作業は難航を極めました。しかし、修復チームは彼が描いた何枚もの庭の絵や、アーカイブに残されていた植物の種の注文書などを読み解きながら、2つの庭を構築し、その3年後に一般公開にこぎ着けました。 現在の庭は、モネの庭の完全なる再現ではありません。しかし、資料の綿密な考証や科学的アプローチによって、モネの世界観は十分に再現されています。 クロ・ノルマンの中央には、家の正面へと抜ける、大きなアーチのかかった小径があります。小径は残念ながら入ることはできませんが、地際にナスタチウムが茂り、頭上にちらほら咲き始めたバラが絡む様子を見ることができます。夏の終わりになると、ここはナスタチウムの鮮やかなオレンジ色の花に溢れ、バラやコスモス、ダリアなどの、明るい花色と混じり合います。 もし、小径がたくさんの来訪者で混雑していたら、この景色をじっくり眺めるのを諦めてしまったかもしれませんね。 アーチのかかる中央の小径に並行する小径を歩きながら、立体的に花が咲く、個性的な庭デザインを楽しみました。ダリアやポピー、クレマチス、オダマキ……。黄色のエリア、紫花のエリア、ピンクのエリア、そして、花色が混じり合うエリアなど、モネの色彩がここにあふれていると感じました。 モネは、まるで色調の異なる絵を並べるように、整然と並ぶ四角い花壇を、花で埋めていきました。 モネの庭は、初期は簡素なものでしたが、次第に複雑な構成を持つようになります。モネは数カ月にわたって庭全体に色が満ちるように植栽を計画し、より複雑な色の調和を求めました。そのために、庭師頭を雇って、自らも園芸の知識を深めていきました。 フランスの作家、マルセル・プルーストは、ジヴェルニーの庭を考察して、「花よりもさらに色調や色を主体とした」「いわば、花の庭というよりも色の庭」と評しています。この庭は、モネの絵画に多く描かれていますが、単なる絵画の題材ではなく、彼の芸術作品の一つである。そのような解釈の下に、ジヴェルニーの庭は日々手入れされています。 さて、家の近くまでやってくると、建物の外壁の色に呼応した、ピンク色のスタンダード仕立てのバラが、平行して咲いています。株元には、赤とピンクのゼラニウムが鮮やかです。 家の中も見学できるので、行ってみましょう。 建物の中からも、モネの気分で庭を眺めてみましょう。部屋ごとに窓が必ずありますが、部屋の雰囲気に合わせたカーテンの違いにもご注目ください。美しい窓辺のつくり方の参考になります。 1階には壁一面にモネの作品(複製)が飾られている、彼の最初のアトリエがあります。この部屋は後に、友人や画商に絵を見せるためのサロンとして使われました。大きな窓から柔らかな光が差し込み、天井が高い素敵な空間です。部屋のレイアウトはモネの暮らしていた当時と同じで、花模様の布張りのソファやカウチも当時のままに再現されています。壁にかかる絵はどれも、彼が手放そうとしなかったもの。それらは、モネにとって大切な思い出でした。 青と白のタイルが貼られた近代的なキッチンのほか、友人や印象派の若手画家の手による作品が飾られたモネの寝室、鮮やかな黄色で統一されたダイニングなど、どの部屋も見学することができます。部屋ごとに異なるテーマカラーや、インテリアの変化など、見どころがいっぱいです。モネの優れた色彩感覚に、改めて驚きます。 また、1階のいたるところに飾られている浮世絵(複製)もお見逃しなく。日本の美術を愛したモネは、歌麿や北斎、広重など、浮世絵の巨匠による231点もの版画コレクションを持っていました。 庭では、ガーデナーが手入れする様子も見られました。世界中からたくさんの見学者が訪れるモネの庭。維持管理も大切な仕事です。多くの人にとって、人生で一度きりのジヴェルニー来園を印象深いものにしようと、ガーデナーは常にベストの状態を目指しています。 モネの庭を実際に訪れてから、また改めて作品を見たいと思いました。庭に接するようになった自分が、モネの作品にどんなことを思うのか。新しい楽しみができました。 出口にある建物は、ショップになっていて、傘やTシャツ、お菓子などが並んでいます。モネの作品集や絵葉書はもちろん、絵画をイメージした草花の種のセットなど、オリジナルグッズもありました。 じつは、この建物は、『睡蓮』のアトリエと呼ばれる、モネが『睡蓮』を描くためにつくった3番目のアトリエです。天窓から降り注ぐ柔らかな光の中で、キャンバスに向かうモネの姿を想像してみてくださいね。 参考文献: 『ジヴェルニーのモネ』アドリアン・ゲッツ著 Gourcuff Grandinigo出版 併せて読みたい 『松本路子の庭をめぐる物語 フランス・パリの隠れ家「パレ・ロワイヤル」』 『最も歴史あるバラのナーセリー「フランス・ギヨー社 GUILLOT」』 『世界のガーデンを探る旅6 フランス「ヴェルサイユ宮殿」前編』