まつもと・みちこ/世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2024年、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルム『Viva Niki タロット・ガーデンへの道』を監督・制作し、9月下旬より東京「シネスイッチ銀座」他で上映中。『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。
松本路子 -写真家/エッセイスト-
まつもと・みちこ/世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2024年、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルム『Viva Niki タロット・ガーデンへの道』を監督・制作し、9月下旬より東京「シネスイッチ銀座」他で上映中。『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。
松本路子 -写真家/エッセイスト-の記事
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ガーデン&ショップ
フランス・パリ「ロダン美術館の庭園」と秋バラ【松本路子の庭をめぐる物語】
ロココ様式の館の美術館 制作中のアートフィルムの撮影で、秋のパリを訪れた。撮影の合間に立ち寄ったのがロダン美術館。2015年に3年間の改装期間を経て、リニューアルオープンした美術館は、彫刻家オーギュスト・ロダンが住んでいた当時の館の様相を再現している。 かつての所有者である将軍の名前から「ビロン館」と呼ばれる邸宅は、パリ7区の閑静な住宅地にある。18世紀に建てられたロココ様式の建物と優美な庭園で知られる場所だ。 ロダンは1908年から亡くなるまでの10年間をこの館で過ごしている。この館は当時の所有者によって一時期若いアーティストたちに提供され、ロダンとともに詩人のリルケやジャン・コクトー、画家アンリ・マティス、舞踊家イサドラ・ダンカンなどが住んでいた時代もあった。 パリ市が館を所有することになった時、ロダンは自身の作品を市に寄贈することを条件に、ロダン美術館の設立を持ちかけたのだという。1919年、ロダンの死の2年後に開館された美術館には、6,600点の彫刻、7,000点のデッサン、ロダンの収集した美術品などが収蔵されている。 ロダンの弟子で愛人でもあったカミーユ・クローデルの作品を収めた部屋もあり、改めて彼女の才能とその生涯に思いを馳せた。 ローズガーデンと「考える人」 美術館の正門を入ると、館の前庭にローズガーデンが広がり、その庭の右手にロダンの作品の中で最も知られた「考える人」のブロンズ像が立っている。像は原型から何点か鋳造されているので、オリジナルといえるものがほかの場所にもあるが、ロダンの暮らしていた館の庭で見るのは、また格別だ。 10月の中旬だったので、春のバラの最盛期ほどではないが、秋バラに彩られた「考える人」には趣が感じられた。 前庭の彫刻たち 「考える人」の向かい側のローズガーデンには「三つの影」、そして奥にはこれも有名な「地獄の門」、ヴァレンヌ通りに面した場所には「カレーの市民」が。バラの花や端正に整形された木々の間に、ロダンの代表作が並んでいる。何とも贅沢な空間だ。 館の庭を散策 美術館の庭園は3万㎡の広さで、内庭にはイギリス式庭園と、木々に囲まれた彫刻の林が連なっている。秋の木漏れ日の中で見る彫刻は美しく、ロダンが自然の光の中で見てほしいと希望した展示方法であるという。 また庭園の奥の池のほとりから望む館と、水面に映ったその優美な姿も忘れがたい。庭園の一角にはカフェもあり、散策の途中にひと息入れることも。パリの中心地とは思えない静寂と豊かな緑を満喫できる。 ‘ロダン’という名前のバラ 館を取り囲むようにコの字形につくられた植え込みに咲くピンクのバラ。半八重のそのバラにはロダンの名前が冠されている。2005年にフランスの育種家メイアンによって作出され、ロダンに捧げられたものだという。バラの名前に関心があり、その名前のゆかりの地を訪ね歩いている私にとって、思いがけず嬉しい出合いだった。 庭園に秋バラは咲いていたが、6月に訪れたらローズガーデンはさらに華やいでいるのではないだろうか。いつかまたバラの季節に訪れたい、そんな風に思える場所だ。 併せて読みたい ・松本路子の庭をめぐる物語 フランス・パリの隠れ家「パレ・ロワイヤル」 ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「秋バラの楽しみ」 ・最も歴史あるバラのナーセリー「フランス・ギヨー社 GUILLOT」
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ストーリー
秋バラの楽しみ【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
今しか楽しめない秋バラの魅力 四季咲きの品種のバラは、秋には春の最盛期とはまた違った魅力を見せてくれる。わが家のバルコニーでは、9月初めに弱剪定した苗木に、10月中旬、秋バラが真っ盛り。秋バラの特徴は、木立ちバラの花のシュートが長いこと、そして茶色系や赤系の花がより際立った色彩を見せてくれることだ。 茶色のバラの‘ジュリア’、‘ブラック・ティ’、‘レオニダス’などは、気温が高いとオレンジ色が濃くなるが、秋には茶色が際立ち、ミステリアスな様相をより強める。 思い入れの強いバラ‘ウィリアム・シェイクスピア2000’の秋バラ ‘ウィリアム・シェイクスピア2000’は鮮やかなマゼンタ色で、ピンクが強く出ることもあるが、秋は黒みがかった大人の色に変貌する. 16世紀から17世紀にかけて活躍したイギリスの劇作家の名前を持つこのバラは、ストラトフォード・アポン・エイボンの彼の生家の庭にもたくさん咲いていた。『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』という著書で、シェイクスピアゆかりの地を訪ね歩いた私にとって、思い入れの強いバラの一つ。 ちなみにシェイクスピアの全作品の中には、100種類近くの草花が登場する。とりわけバラの登場回数は多く、70~100回を数えるといわれている。 つるバラにも秋バラが咲く つるバラは秋には咲かないと思っている人もいるが、木が十分に育つと秋にも花をつける。我が家では今年、‘つるアイスバーグ’や‘デンティ・べス’がたくさん咲いて、春秋ともに楽しませてくれている。どちらとも丈夫で育てやすいので、バラ初心者にもオススメの品種だ。 今年の秋バラのお気に入りは‘クロード・モネ’ 今秋目を見張ったのが、‘クロード・モネ’の開花。春にあまり花をつけず、残念に思っていたが、その分秋にたくさん咲いてくれた。あたかも「私を忘れないで!」というように。 印象派の画家の名前が冠されたこのバラに出合ったのは15年ほど前、パリのバガテル公園だった。パステルカラーの複雑な色合いとその名前に惹かれて写真を撮ったが、当時日本では苗を手に入れるのが難しく、3年前にやっと我が家にやってきた。 フランスのジヴェルニーのモネの庭はよく知られているが、2回ほど訪れ、そのうち1回は撮影のため休館日に招かれている。広い庭をただひとりで巡り、モネの描いた庭の情景を堪能できたことは至福の出来事だった。 バラとの出合いの火花 バラをめぐる物語は尽きないが、あまたある種類の中からこうしたバラたちと出合ったことには不思議なものがある。ある時は花姿、また色、名前など、その折々に私の琴線のどこかに触れたもの、また私の中の何かとシンクロし、小さな火花が散ったものたちが、我が家にやってきて育っている、としか言いようがないのだ。 縁があった、とも言えるのかもしれない。ある意味で同居人のようなものだから。 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「バルコニーとリビングを結ぶ観葉植物たち」 ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「小さなバラ園誕生! 初めの一歩」 ・バラの夏剪定を解説【樹高が高くなる】四季咲きバラ編
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ストーリー
バルコニーとリビングを結ぶ観葉植物たち【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
友人から贈られて26年、成長を続けるパキラ 東面のバルコニーに面した窓辺には、天井まで届くパキラが葉を茂らせている。26年前にこの部屋に移り住んだ時、友人から引っ越し祝いに贈られたものだ。高校時代をともに過ごした女友達は、その木が届いた2年後に40代の若さで亡くなった。 鉢の土を替えることもなく今に至っていて、その生命力には驚嘆させられる。時折茂りすぎて乱れた枝を剪定するほかは、水やりと年数回の液肥だけの手入れだ。 朝の光を浴びて輝く葉を見ていると、心穏やかに一日が始まるように思える。凛として美しかった友が、今も見守ってくれているような気もしている。 インテリアに明るさをプラスするハイビスカス パキラの隣にはハイビスカスの鉢植えが置かれている。これも20年来我が家で育っている植物。毎年5月から10月にかけて、花を咲かせ続ける。観葉植物の緑の中に鮮やかな赤が点在すると、灯がともったような華やぎが生まれる。 伊豆の熱帯植物園で育った私には、ハイビスカスやブーゲンビリアなどのトロピカルな花々は、原風景の一部ともいえ、これもまた生活の中に欠かせない。 パキラとハイビスカスの挿し木苗 パキラやハイビスカスの枝が伸びすぎて剪定した後、どうしてもその枝を捨てることができなくて、つい水に挿してしまう。根が出たところで、また小さな鉢植え苗をつくるのだ。苗が増えすぎて困るので、我が家には一鉢だけ残し、あとは客人に持ち帰ってもらっている。いずれも丈夫な木なので、友人たちの家の窓辺でのびやかに育っているようだ。 ランナーで増え続けるヒロハオリヅルラン 緑に白い斑が入った葉が曲線を描き、放射線状に伸びて美しい。30年ほど前に、小さな鉢植えを求めたものが大株になり、たくさんのランナーを伸ばしている。ランナーの先に白い花をつけ、そこから子株が生まれ育ってゆく。小さな子株が折り鶴に似ているので、その名がつけられたのだろう。 バルコニーに置かれている大株は思いっきりランナーを伸ばし、あちこちの鉢に子株を移してゆく。子株の勢いが強く、ほかの鉢の植物を侵食するほどなので、それらを集めて小さな鉢に移し替える。また早めに摘み取って、しばらく水に浸けたのち、鉢植えに仕立てる。今までにいったいいくつの鉢をつくったことか。これもまたバルコニーのバラの宴に参加した友人たちに持ち帰ってもらっている。 野鳥たちにも人気のアスパラガス アスパラガスの苗には、花をつけたのちに小さな実が生る。その実を小鳥たちがついばんで、フンをするのだろう。いつの間にかバラの鉢にアスパラガスが顔を出す。それを見つけて、別の鉢に移すのも私の仕事。 アスパラガスの苗は、ニューヨークのロフトに住むアーティストの部屋を借りた時に、窓辺に茂っていて気に入り、東京で買い求めたものだ。だが倉庫を改造した広いロフトと違い、狭い部屋の中で鋭いとげのある枝を大きく広げるので、ギブアップ。バルコニーに移ってもらった。その実が小鳥たちの大好物なのだった。 手作りのネットでハンギングした挿し木苗のポトス 観葉植物の定番ともいえるポトス。仕事場にある苗は、なんと40年以上も前に求めたもの。無数に枝を伸ばすので、長くなった枝先を切り取り水栽培している。切った枝の節から根が出てくるので、鉢植え苗として増やすことも簡単だ。 自宅には一鉢だけ天井から吊るしてある。鉢を吊るすネットは、園芸用のグリーンの麻ひもを使い、自分で編んだ手作り。自己流で不格好なものだが、その夜なべ仕事が殊の外楽しかった。 芽出しが楽しくて、つい育ててしまうアボカド 果物のタネが捨てられなくて困っている。タネはたいていが芽を出すからだ。特にアボカド。80年代にニューヨークに長期滞在していた時、友人の家で見かけた涼やかな葉の植物がアボカドと知った時の驚きが、いまだに忘れられない。それで実を食した後のタネをついついコップの水の中に入れてしまう。夏の暑い季節には、コップの中で芽を出し、また種を半分ほど土に埋めても発芽する。 ニューヨークで育てた苗は、その部屋を去る時に、街の小さな公園や道路脇の茂みにひそかに植えて帰った。しばらくは、街で成長しているであろう図を思い描き、ひとり悦に入っていた。 観葉植物と暮らしをともにする日々は、ゆったりとした時の流れの中にある。丈夫な種類を選べば手入れも簡単で、挿し木や水栽培で増やすことも可能だ。私にとってこうした植物は、バルコニーとリビングの動線を結んでくれるもの。バルコニーもリビングの一部に思え、都会のマンションのリビングでも、自然の息吹を感じることができる。 ずっと以前、友人の3歳になる女の子がパキラを見上げて、「ここんちは家の中に木が生えている」と叫んだ言葉を、今も愛しく思っている。 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「小さなバラ園誕生! 初めの一歩」 ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「夏の収穫」
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ストーリー
多くのバラ愛好家が通った東京のバラ園「駒場ばら園」と「駒場バラ会」の物語
東京・目黒の「駒場ばら園」との出会い ある時、井の頭線の電車に乗っていて、何気なく車窓からの風景を見ていた私の目に、バラ苗が並ぶ一角が飛び込んできた。渋谷駅にほど近い住宅地の真ん中にバラ園があるのだろうかと、気になって訪ねてみたのが、駒場ばら園を知るきっかけだった。1990年代半ばのことだ。 以来何度か立ち寄って、ほかでは見かけることのなかった‘バター・スコッチ’などのバラ苗を手に入れた。バラ園では入澤正義、嘉代さんという高齢のご夫妻が客を迎えてくれ、園内には彼らが育てた苗が何千種と並んでいた。希望するバラの名前を告げると、嘉代さんが即座に手渡してくれるのには、いつも感嘆させられた。 当時存命だった大正生まれの父にその話をすると、なつかしそうな顔で「学生時代によく行った場所だ」という。なんと創業は明治44年。現存する国内最古のバラ園なのだった。 常連の顧客と地元住民の力で残されたバラの苗 2005年、駒場ばら園が遺産相続の関係で、その敷地を大幅に縮小するという事態が発生した。大半のバラ苗を引き抜かなければならないという。その話を聞いた常連の顧客や地元住民が中心となり、苗を駒場のほかの場所に移植することを検討し始めた。 バラ移植のスペース確保のためのさまざまな提案や働きかけが繰り広げられ、やがて行政を動かすまでになった。その結果、55本の苗を目黒区が管理する駒場公園に植栽することになった。特に元前田侯爵邸前の築山に植えられたバラは、西洋館の瀟洒なたたずまいに彩りを添えるもので、美しい景観を現出させた。さらに東京大学駒場キャンパスの正門脇の用地にも18本の苗が移植された。そうした活動から生まれたのが「駒場バラ会」で、正式な設立は2006年1月。会員は150名ほどだった。 各地で咲く「駒場ばら園」のバラ 東大正門脇の植栽地は、その後整備、拡張されて、2007年「駒場 バラの小径」と名づけられた。67mに渡る遊歩道のかたわら、既存のフェンスに加え、アーチやオベリスクに誘引されたつるバラ、その前面に配置された木立のバラなどが40本以上植えられ、開花期には通学途中の学生や散策する地元の人を楽しませている。 そのほか駒場野公園バラ花壇、駒場小学校と植栽地が増え、この間専門家による剪定や誘引などの講習会、地方のバラ園への見学旅行などが実施された。駒場バラ会の素晴らしいところは、植栽や手製のオベリスク設置などに加え、年間を通じてのバラの栽培管理をすべて会員のボランティアで行っていることだ。 バラ栽培と普及に尽力する「駒場バラ会」の活動 10名ほどの委員で構成される運営委員会が月1回開かれ、活動予定などが決められる。週1回の定例作業では、毎回10名から40名の参加者が集まり、4カ所の植栽地のバラの手入れを行う。また月1回の月例会では首都圏各地の会員が集まり、作業後は交流会を行うなど、活発な活動が続いている。 会員はバラ栽培の情報交換などのほか、いくつかのチームに分かれ、お菓子づくり、フラワーアレンジメント、雑貨制作、地域との交流イベント企画などを行っている。会の案内リーフレット、5周年、10周年の記念小冊子などの印刷物からも、多彩な会員がそれぞれの分野で力を出し合い、思い思いに楽しんでいるのがよく分かる。2018年度の総会にお邪魔したが、懇談会でバラ栽培について熱を込めて語る人が多いのに驚かされた。 「バラは人を呼ぶ」嘉代さんの思いをつなぐ人たち 5年前に98歳で亡くなった駒場ばら園の嘉代さんは「バラは人を呼ぶんですよ」という言葉を残している。会の副会長で、発足時から活動している森重玲子さんは、「バラ栽培の作業の後、皆さんが満足した顔で帰っていく。バラが人と人を結び、笑顔を生み出している。嘉代さんの言葉通りの嬉しい情景です」と語る。 日本のバラ栽培の歴史の中で重要な役割を果たした駒場ばら園は、規模は縮小されたが嘉代さんの息子さん夫妻の手によって今も受け継がれている。園ゆかりの品種を守り、多くの人に見てもらいたいと駒場バラ会を設立したメンバー、そして会の活動に惹かれ参加したバラを愛する会員たち。東京という都会での、バラをめぐる素敵な物語だ。 Information 駒場ばら園 住所:東京都目黒区駒場1-2-2 (駒場東大前徒歩5分) Tel:03-3467-6066 HP: https://sites.google.com/site/komababaraen/ 開園:10:00~17:00 水曜日休園 駒場バラ会 事務局:東京都目黒区駒場3-5-9 辻様方 Tel/Fax:03-3467-1365 HP: http://komababarakai.com Email:komabarose@excite.co.jp 併せて読みたい ・バラの庭づくり初心者が育んだ5年目の小さな庭 ・知っておきたい! 流行中のバラトレンドとオススメ品種10選 ・雑草対策をプロが本気で考えた! 雑草を生えなくして庭づくりをもっと楽しく!
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ストーリー
マンションで叶える野菜&果実・夏の収穫【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
8月のバルコニーで思うこと 盛夏のバルコニーでも、バラは少しずつだが開花を続けている。9月に入ったら木バラの軽い剪定を行い、肥料を施して秋バラの開花に備える予定。あまりまめに手入れをしない私だが、いくつかの外せない庭仕事は、心に留めている。 四季咲きのバラは、1月から3月の休眠期を除いてほぼ一年中、その花姿を楽しませてくれるのだ。 夏の収穫その1「ゴーヤ」 東に面したバルコニーでは、バラ以外の植物の生育が盛んだ。例年寝室の日除け用に植えるゴーヤは、つるを這わせ葉を繁らせる。初めてゴーヤを植えた年、枝に突然真っ赤な物体を発見した時は「何が起こったのか」と目を見張った。実が完熟し破裂して、タネがあらわになっただけだと分かったが、ゴーヤの青い実しか知らない身には強烈な印象だった。 収穫期をのがした実の赤いタネはこぼれ落ち、翌年発芽して、その生命力にも驚かされた。熟した黄色い実もタネの周りのゼリー状の部分も食用になると聞いたが、なんだか気おくれして、まだ試してはいない。 夏の収穫その2「パッションフルーツ」 子どもの頃、伊豆の熱帯植物園の敷地内で育った私にとって、パッションフルーツは最高のおやつだった。国内ではまだ栽培化されていない時代で、実験的につくられていた。当時は“果物時計草”と呼ばれていた。 雄しべが時計の針に似ており、その花の形から時計草と名付けられた。パッションフルーツという名を知ってからは、長い間パッションは「情熱」だと思っていた。だがある時、パッションはキリストの受難を意味すると知った。 十字架や釘のほかに、花弁にも象徴する意味があるという。それからはトロピカルな花の形が、なんだか別の顔を持って現れたような気がする。 実ははじめ青く、やがて紫色に色づくと食べごろの合図。表面が少しシワシワになれば、完熟の証だ。実を2つに割って、スプーンでタネごとすくって食する。その甘酸っぱい味は、伊豆で過ごした子ども時代の記憶を呼び覚ます。幼い頃は母がガーゼで絞り、ジュースにするのをじっと待っていた。 夏の収穫その3「ストロベリー・グアバ」 これも子どもの頃の思い出の味。植物園ではこの木がいたる所に露地植えされていたので、毎日口いっぱいにその実をほおばって歩いた。今バルコニーでは、2mほどのストロベリー・グアバの木が3本育っている。1本は父の庭から挿し木した苗で、2本は自宅近くの花屋で7年前に手に入れたもの。花屋の店先で見つけた時には信じがたい思いだった。植物園でしか見たことがなかったが、今はどこかで栽培、商品化されているのだろう。 グアバといっても、その実は2㎝ほどの小粒で、青から黄色くなると食べ頃だ。南国の果物特有の濃厚な甘さが口の中に広がる。味の記憶は鮮明だが、その花を見たのはバルコニーが最初だった。多分どこかで見ていたのだろうが、覚えていなかったのだ。白い花が一斉に開いたときは、ちょっとした感動だった。 ハワイでは赤い実が一般的で、黄色はイエロー・ストロベリー・グアバと呼ばれているらしい。 こうした収穫は、バルコニーでの鉢植え栽培なので、ほんの少し、数えるほどの量に過ぎない。だが居室から手を伸ばせば届くところで、花が開き、小さな実が育っていくのを見るのは、ベランダ園芸の醍醐味の一つではないか、と思えるのだ。 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「小さなバラ園誕生! 初めの一歩」 ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「芸をする朝顔」 ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「バルコニーとリビングを結ぶ観葉植物たち」
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ガーデン
フランス・パリの隠れ家「パレ・ロワイヤル」【松本路子の庭をめぐる物語】
パリを訪れるとよく立ち寄るところが何箇所かある。時間ができると、ふらりと足が向く場所。その一つがパレ・ロワイヤルの中庭だ。今年、2018年7月にも木陰のベンチとカフェで数時間を過ごした。 パレ・ロワイヤルはルーブル宮殿の隣に位置している。当初はリシュリュー宰相の城館として建てられたが、ルイ14世がルーブルから移り住んだことから、パレ・ロワイヤル(王宮)と呼ばれるようになった。数奇な運命に見舞われた場所でもあり、フランス革命はここから起こったとされるなど、歴史の舞台にも登場する。 サントノーレ通り側から入ると、現代アートの作品である白と黒のストライプの円柱がいくつも立ち並ぶ広場があり、その奥が庭園になっている。 両側には幾何学的に整えられた並木、その木陰のベンチではバイオリンの稽古をしているカップルなどが。庭園をコの字に囲む建物の1階の回廊には、レストランやカフェ、骨董店などがあるが、木々にさえぎられて庭園からはほとんど見えない。 中央にある花壇にはいつも季節の花々があふれているが、今年のパリの夏の暑さは尋常ではなく、植物もじっと耐え忍んでいるように見える。それでもいくつかの夏バラが咲き、花壇のダリアが色彩のハーモニーを奏でていた。 庭園に面した建物の2階部分には、かつて作家のシドニー=ガブリエル・コレットやジャン・コクトーが住んでいた。私は『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』という自著で、コレットゆかりの地を訪ね歩いたことがある。コレットは植物に並々ならぬ想いを寄せていた。 『コレット 花28のエッセイ』(八坂書房刊)は、コレットがさまざまな花について綴った、いわばアンソロジーなのだが、まさに言葉の花束といってもよい一冊だ。 その本の中で、彼女はしばしば部屋の窓から見えるパレ・ロワイヤルの庭のことを書いている。バラについては特別な思いを抱いていたようだ。 「噴水の捕虜となった虹が、このパリの真ただ中で目覚めさせるバラ。お前たちを何にたとえたらいいのか。お前たちに匹敵する花は、いかなる楽園へ行けば摘むことができるだろう」(森本謙子訳) 中庭からコレットの住んでいた部屋の窓を見上げ、また彼女が見ていたであろう庭の方向に目を転ずる。バラの花がかすかに風に揺れた。 コレットはパレ・ロワイヤルの自室で亡くなった。1954年、81歳だった。その葬儀は国葬として、この中庭で執り行われたという。彼女が亡くなったのは8月だったので、その時バラが咲いていたか定かではなかった。だが夏の庭を訪れた時、私は確信した。バラたちは彼女の旅立ちを見送ることができた、ということを。 パリの庭園の素敵なところは、ベンチだけでなく、一人掛けのイスが置かれてあること。噴水を囲む広場では、人々は水辺に椅子を移動し、思い思いの姿で、読書や日光浴を楽しんでいた。 眺めることや散策のためだけではなく、そこで自由に時間を過ごすことができる、憩いの空間。パリの中心部に位置していながら、パレ・ロワイヤルの庭園は、自宅の隣にあるような、隠れ家のような、愛すべき場所ともいえるのだ。 併せて読みたい 松本路子の庭をめぐる物語 フランス・パリ「ロダン美術館の庭園」と秋バラ ナショナル・トラスト2018秋冬コレクション 英国有数の保養地 イングランド南西部を訪ねる【PR】 世界のガーデンを探る旅1 スペイン「アルハンブラ宮殿」
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ストーリー
芸をする朝顔【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
7月のバルコニーに咲く朝顔の美 夏のバルコニーに初めて朝顔が登場したのは、10年ほど前になるだろうか。大輪の西洋朝顔が最初だった。バラの花が少なくなったところに咲く、白いパラソルがいくつも開いたような趣に惹かれ、朝顔という花を見直した気分だった。そのあと「かざぐるま」という、花の中にまた花が咲く変化朝顔の市販の苗をちょっとした遊び心で手に入れた。 そして今や定番になったのが、千利休ゆかりの朝顔。変化朝顔に興味を抱き、取材する中で、種子を分けてもらうことができた。利休の庭に咲く朝顔が見事だと聞きつけた太閤秀吉が早朝庭を訪れると、すべての花が切り取られ、一輪だけが残されていた、という逸話がある。その真意の解釈は多々あるが、おおむね秀吉の華美を戒めたものとされている。 利休ゆかりの朝顔という真偽は確かめようもないが、楚々とした姿が好ましく、他と交配しないようにその朝顔だけを育てるようになった。ちなみに利休の時代は青色の朝顔しかなかった。元来、その種子に下剤となる成分を有することから、奈良時代に薬草として渡来したものが園芸種になったのだという。 日比谷公園の展示で眺める変化朝顔 変化朝顔については、興味を持って資料を調べると、その様相は想像をはるかに超え、驚嘆させられるものだった。これが朝顔! という花姿が続々と登場。すっかり虜になって、実物を見に、東京千代田区の日比谷公園で開かれていた変化朝顔の展示会に出かけた。 展示会で出会ったのが、変化朝顔研究会の面々。高校生の頃から朝顔の交配を始めたという伊藤重和さんをはじめとして、研究会の方々から多くのことを教授された。また、伊藤さんの柏市にある農場で、多種多彩な花姿の撮影もさせていただいた。 江戸時代に流行した変化朝顔の愛で方 そもそも変化朝顔が多く生まれたのは江戸時代。珍花奇葉の朝顔が江戸の大名や商人たちを夢中にさせ、栽培した朝顔を互いに競い合う「花合わせ」が行われ、相撲番付ならぬ「朝顔番付」がつくられた。また、木版彩色刷りの『朝顔図譜』も出版され、今見ると、当時の交配における高等技術が偲ばれる。 変化朝顔は、いわば突然変異の産物なので、際立って変化したものからは種子が採れない。単純な変化のものからは種子が採れるので、それらの種子から突然変異に至った遺伝子の組み合わせを探り、変異する苗をつくり出す。4,000個の種子から、一つだけ思い描いた花が得られたという話も残されている。 そうしてできた朝顔の名前は、一見すると呪文のようだ。まず葉の色、葉の形、花の色、花の模様・形と、その名が連なったものが総合され、一つの名前となる。「黄斑入林風縮緬葉白地紅吹掛絞台咲牡丹」(きふいりりんぷうちりめんはしろじべにふきかけしぼりだいざきぼたん)というように。 珍花奇葉が際立つ朝顔を「芸をする花」と呼ぶ。最初にそのことを知った時、言い得て妙なことに感心した。鉢植えされた朝顔は観賞され、「今一つ芸が足りない」などと評されるのだ。 江戸時代から現代ヘと受け継がれる朝顔文化 こうした話を友人にすると、彼女が梶よう子さんの小説『一朝の夢』のことを教えてくれた。北町奉行の同心である主人公が幻の花色の朝顔を咲かせることに生涯をかける物語で、実在した商人や大名をモデルに、当時の変化朝顔をめぐる人間模様を、実に面白く描いている。 江戸の時代に多くの品種が生み出された変化朝顔は、今も脈々と受け継がれ、伝統文化の一つとなっている。研究会の方々は下町が第二次世界大戦の戦火に見舞われた際、種子だけを持って逃げ延びたという。そうした人々によって守られ、受け継がれた江戸の朝顔が、今日もまたさまざまな芸を見せてくれる。我が家に千利休の朝顔が咲き始めると、私もまた『一朝の夢』に思いを馳せるのだ。 Information 変化朝顔展示&大輪朝顔 共催展示会 2018年7月28日~8月3日 午前中開催 変化朝顔展示会 8月24日~26日 午前中開催 場所:両日とも東京・千代田区「日比谷公園」テニスコート場となり、陳列場。 併せて読みたい ・どんな花が咲くのかな? 変化朝顔のタネを播いて咲かせてみました ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「夏の収穫」 ・夏の花といったらやっぱりコレ アサガオを咲かせよう
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ストーリー
初夏に輝くユリとアジサイの思い出【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
6月のバルコニーに咲く多種のユリ バルコニーに育つバラには、繰り返し開花する四季咲き性の品種も多いので、12月から早春の休眠期を除いて、ほぼ一年中開花している。しかし、例年二番花が楽しめるはずの6月になっても、5月の猛暑の影響か、今年は花数が少ないように見える。 60鉢のバラが中心の我が家のバルコニーだが、それぞれの季節特有の花も絶やさないようにしている。なかでも6月に元気なのが、ユリの花。まずは白とピンクが淡いグラデーションを見せるテッポウユリの一種、トライアンフェターが一番乗り。次に白ユリ。テッポウユリのこの2種が終わった頃、続けてピンクのカサブランカが悠然と姿を現す。さらに白のカサブランカ、さらにはわが国自生の原種、ヤマユリへと、7月まで開花が続く。 テッポウユリとカサブランカは、園芸会社から球根を取り寄せたのが10年ほど前。鉢植えの球根苗の割には長い年月咲いているのではないだろうか。花後にお礼肥を欠かさず、青々とした葉が黄変して枯れるまで球根を育てて、秋にはそれを掘り起こして新しい土に植え込む。こうしたひと手間が元気な花を育て、翌年も美しい姿を見せてくれる秘訣だ。 ミステリアスな花色に魅了されたユリ 10年来のユリに新たに加わったのが、ヒマラヤ原産の原種に近いクシマヤ。幻のユリともいわれるネパレンシスとオリエンタルリリーを掛け合わせたものだという。そのミステリアスな花色に惹かれ球根を求めたが、さて都心のマンション4階のバルコニーで何年生き延びてくれるだろうか。 友人に贈ったヤマユリの球根 昨年の秋には親しい友人にヤマユリの球根を贈った。毎年7月末に彼女が社会学者の鶴見和子さんの命日の偲ぶ会に参加することは聞いていたが、その集まりが「山百合忌」と名づけられているのを知ったのが昨年のこと。友人は球根から芽が出たことさえ喜びだったようで、その後も夢中になって成長の記録写真を撮っては私へ報告してくれる。山百合忌にちょうど咲くとよいが、今年の開花はかなり早くなりそうだ。切り花を墓前に捧げたいという彼女の願いは叶えられないかもしれない。それでもつぼみが膨らむさまを楽しんでいてくれて、私は少しほっとしている。 挿し木から育てている思い出のアジサイ 6月のバルコニーで忘れてはならないのがアジサイ。4年前に鎌倉在住の友人宅に遊びに行った折、いただいたひと枝を挿し木した白いアジサイが元気に育っている。我が家のアジサイはすべて挿し木苗で、鎌倉をはじめとして真鶴、伊豆などの庭から来たものだ。開花すると、現地の風景や同行した友人など、旅の時間を思い起こさせてくれる。 さらに毎年自宅近くの歩道にこぼれんばかりに咲く、‘墨田の花火’とおぼしきアジサイの兄弟も加わった。これも散歩の途中にひと枝分けてもらっただけなのに、3年目の今年は楚々とした花をたくさん見せてくれた。 折々の季節、旬の鉢を特等席に登場させる こうした植物は5月のバラの最盛期が過ぎるまで、バラの葉に隠れてほとんど姿が見えない。バルコニー園芸のよいところは、開花寸前の鉢を特等席に移動させられること。リビングルームの窓の正面に鎮座した鉢は、開花と同時に、さながら舞台に登場する名優のように、誇らしげなたたずまいを見せてくれる。梅雨の季節もバラエティー豊かな俳優たちの演技で、しばし潤いのあるひとときを過ごすことができるのだ。
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ガーデン&ショップ
武蔵野の小麦畑の一角にオープンした市民のための憩いの庭「タネニハ」
花の生産農家が育てる「タネニハ」の庭 小麦の青い穂が初夏の風にそよいでいる。その広大な小麦畑の一角に、市民のための憩いの庭、タネニハが2017年秋のプレ・オープンを経て、2018年3月正式にオープンした。東京の多摩地区東部、東久留米市にある花の生産農家、秋田緑花農園の秋田茂良さんが3年前に企画し、自ら基本設計した庭だ。 400㎡の敷地内には、農園で生産された花苗や多摩地区に自生している野草など、多彩な植物が植えられている。タネニハという名前の「ニハ」は、古語で場を意味する。人と人、人と植物が出会い、さまざまなタネが育ってほしいという思いを込めて名づけられた。 秋田緑花農園のある一帯は、約300年前、江戸時代の半ばに開拓された農地で、茂良さんは農家の12代目にあたる。小麦やさつま芋畑は主に父親の貞夫さんが担当し、茂良さんは17年前から本格的に温室での花卉(かき)栽培を始めた。 温室ではゼラニウム、ビオラ、ヒューケラなどのポット苗が並び、中でも農園で育種し、第66回関東東海花の博覧会で金賞を受賞した極小ビオラ「多摩の星空」がひときわ可憐な姿を見せていた。 12代続く農家ならではの庭づくりを模索 秋田さんは小学生の頃、作文に「街を緑でいっぱいにしたい」と書いたが、その思いを強くしたのは、2011年の東日本大震災がきっかけだった。その年の7月から3年間、ヒマワリなどの苗を届け、被災した多くの人に喜ばれた。花によって人々の心が和らぐのを目の当たりにして、改めて植物の持つ癒しの力を教えられたという。 そうした経験から、「誰もが訪れて庭いじりに参加でき、のんびりと散策もできる、花農家ならではの庭をつくりたい」と思い立ったのが、タネニハ誕生の物語だ。農園のスタッフや友人のガーデナーたちに、多くの市民ボランティアが加わり、園内にある自宅付近の木々を移植。芝生の庭を囲むように季節の花々が植栽された。 東久留米は「平成の水100選」に選ばれた南沢湧水のある地で、その湧水池をイメージした池も設置された。農園やタネニハの水やりも、地下深くから汲み上げた豊富な地下水を利用しており、丈夫な植物が育つ一因になっている。 花農家は卸売りが中心だが、タネニハの前には直売コーナーが設けられた。自転車や車で通りかかった人たちが、鮮やかなゼラニウムの色に誘われるように足をとめ、時間をかけて花苗を選んでいく。 庭は人をつなぎ、新しい街の形を創造していく 植物の寄せ植えや、ハボタンの苗などを使ったリースづくり、またヒンメリ(麦のストロー・アート)づくりなどのワークショップも共催。農園の無農薬の小麦粉で、天然酵母のパンづくりをしているプチ・フールの宮沢ロミさんをはじめとして、東久留米の地域の仲間とのネットワークも充実し、公園でのマルシェ開催や、アートプロジェクトの実現などにも取り組んでいる。 「街と社会は人でつくられている。花から生まれた人との関係が広がってくれたら嬉しい」と語る秋田茂良さん。タネニハの芝生に寝転んで空を見上げていると「武蔵野の自然の中にいる」…そんな心地よさに包まれる庭だ。 Information タネニハ(taneniwa) 所在地:東京都東久留米市南町2-3-19 TEL:042-452-3287(受付8:00〜17:00) Blog: http://blog.kaobana.com/ Email:info@kaobana.com アクセス:公共交通機関/西武池袋線「ひばりヶ丘駅」または西武新宿線「田無駅」からバスで「イオンモール東久留米南下車」徒歩約10分。 車/「イオンモール東久留米」を目指し、所沢街道「南町4丁目交差点」から約600m。 オープン期間:火~土曜日、12:00〜16:30 閉園:日・月曜日、雨天・荒天日 季節閉園:1〜2月、7〜8月
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ストーリー
マンションで叶える小さなバラ園! 初めの一歩【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
第1章 都会のバルコニーでバラを育てて生活が変わった “バラの園”というにはあまりにささやかな場所だが、60鉢のバラがいっせいに花開く5月。そこは私にとって最高のバラ空間となる。25㎡のバルコニーのあるマンションの最上階に移り住んだのが26年前。何もないがらんとした空間を前にしてひらめいたのが、そこをバラで埋め尽くすこと。 当時、鉢植えのバラは一般的ではなく、特につるバラは「困難」「ノー」というのがおおかたの専門家の意見だった。それでも大きなプランターを運び込んで、10株の苗木を植えたのが、事の始まりである。 圧巻だったのは、2年目の5月だった。つるバラが2mにも成長し、枝一面に花をつけた。初夏の風に吹かれ、花に囲まれたテーブルで好きなミルクティーを味わうひととき。それは至福の時間となった。 実はその頃、学生時代から20年間ともに暮らした連れ合いを突然亡くし、ひっそりと過ごす生活が続いていた。仕事の現場では精力的に動き回っていたが、一人暮らしを始めたその自宅は、電話番号さえ誰にも知らせず、まさに隠れ家だった。 それが写真を撮ってカードをつくったことがきっかけで、親しい友人たちがバラを見に来るようになった。以来、花の最盛期になると「バラの宴」と称して、シャンパンに花びらを浮かべて楽しむ会が今も続いている。 鉢植えのバラ栽培については、それに適した土づくりや、休眠期に行う土替えのタイミングなど、まさに試行錯誤の連続だった。それでも一鉢も枯らさずやってこられたのは、私の生い立ちと無縁ではないだろう。 父の仕事の関係で、伊豆の熱帯植物園の敷地内で育ち、家の庭には数株のバラが植えられていた。特に教わったわけではないが、父の庭仕事を見ていたことや、常に植物が身近にあったことから、植物の声を聞き取る力を得ていたのかもしれないと、今にして思うのだ。 第2章 バラづくりを続けて見えた、次へのステップ バラを中心に季節の花々の栽培を始めて十数年が経った頃、初めてのエッセイ集『晴れたらバラ日和』を出版した。バラづくりは趣味の領域にとどめるつもりでいたが、新聞のエッセイ連載をきっかけに、私なりのバラ文化へのアプローチができるのでは、と思い始めたのだ。 バルコニーでの交遊録(友人たちとのバラを介しての交流によって私は元気になっていった)、さらに名前にまつわる物語など、それまで綴る人がほとんどいなかった事柄を中心に、私のバルコニー園芸の第2章は始まった。 マンションのバルコニーでは、ほぼ10年に一度の割合で、防水工事が行われる。すべてのコンテナを一度外に運び出して、工事終了後に元の位置に戻すという作業。7m以上にも伸びたつるもあるので、大仕事だ。 すでに2回ほど経験したが、そのタイミングに数鉢の苗を里子に出すことにしている。友人たちの庭にもらってもらうのだ。60以上の鉢は置けないので、ニューフェイスのためのスペースづくり。別れはちょっと淋しいが、友人たちが開花の様子を写真で送ってくれるので、それもまた楽しい。 バルコニーという限られたスペースでの庭仕事は困難もあるが、建物の4階に位置しているので、風通しや陽当たりもよく、害虫・病気が少ないというよい面もある。25年間無農薬で栽培しているので、花びらをシャンパンとともに飲み干したり、バラ風呂などができるのも自家栽培ならでは。 何よりもありがたいのは、季節の花々、レモンやパッション・フルーツの収穫などが、暮らしとともにあることだ。開花や果物の収穫の瞬間のときめき、苦も楽も彩りとなる折々の庭仕事を、写真とともに綴ってみたいと思っている。 *写真は2018年の5月のバルコニーから。 併せて読みたい 写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「バルコニーで楽しむ3種の桜」 写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「鉢植えバラの冬仕事」 バラを育てたい! 初心者さん必見 バラの花びらの枚数・花の形・花のつき方の違いを詳しく解説