まつもと・みちこ/世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2024年、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルム『Viva Niki タロット・ガーデンへの道』を監督・制作し、9月下旬より東京「シネスイッチ銀座」他で上映中。『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。
松本路子 -写真家/エッセイスト-
まつもと・みちこ/世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2024年、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルム『Viva Niki タロット・ガーデンへの道』を監督・制作し、9月下旬より東京「シネスイッチ銀座」他で上映中。『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。
松本路子 -写真家/エッセイスト-の記事
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樹木
バラの原種「ハマナス」【松本路子のバラの名前・出会いの物語】
バラの原種、ハマナス ハマナスがバラだと知ると驚く人がいる。花屋の店先のバラをイメージすると、かけ離れて見えるのだろう。バラを西洋の花と思っている人も多い。だが、日本にも古来より原種のバラが自生していた。その数、十数種といわれている。 なかでも人々の身近にあって、古くから詩歌に詠まれたのが、ノイバラとハマナス。この2つの代表的な日本のバラは西洋に渡り、モダンローズの誕生に大きく貢献している。 赤く熟したハマナスの実(ローズヒップ)。 野生のハマナスは、本州の日本海側では島根県以北、太平洋側では茨城県以北、さらに北海道を中心に海岸線に沿って分布している。花は5弁の一重で、濃桃色と白色がある。名前の由来は諸説あるが、球形の実が梨の形に似ていることから「ハマナシ」、それがなまって「ハマナス」になったとされるのが有力だ。学名は「ロサ・ルゴサ」(Rosa rugosa)。 東京、皇居東御苑バラ園のハマナス。ここでは日本の原種バラ、数種を見ることができる。 日本の野生バラに惹かれ、数年前に『日本のバラ』という本を出版した。万葉集や源氏物語に登場し、江戸中期の絵師・伊藤若冲にも描かれた日本古来のバラを辿ってみたいと思ったのだ。 皇居東御苑のシロバナハマナス。北海道ではかつて自生のシロバナハマナスの群落が見られたが、今ではほとんどが姿を消したという。 ハマナスの群生を訪ねて知床へ 知床半島のハマナス自生地。 オホーツク海に面した砂浜に咲くハマナス。遠くに知床岬の先端が霞んで見える。 ハマナスの花は各地のバラ園などでも出合えるが、その艶やかな姿を自生地で見たいと、北海道の知床半島を訪ねた。かつては至る所にあったハマナスの群落も、開発や護岸工事の影響でかなり少なくなっているという。 ウトロを基点に海岸線を南下し、斜里町から網走にかけての浜辺でかろうじて花を見ることができた。オホーツク海と知床連峰を背景にした雄大な景色のもと、ここでは海からの風を受け砂地に這うように枝を伸ばすもの、また周囲の雑草に守られ1mほどの背丈を維持しているものなど、北の厳しい自然の中に咲く本来のハマナスの姿に出合うことができた。この花の凛として、またどこか妖しげな風情は、こうした環境で育まれてきたのだ。 野付濃紅を訪ねて半島へ ハマナスの中に、特に紅色が濃い花で、野付濃紅(のつけこいくれない)と呼ばれるものがある。知床半島を東に横断し、その自生地である野付半島に向かった。野付は半島というより海砂の堆積によってできた日本最大の砂嘴(さし)で、二十数kmの長さを誇っている。そこにハマナスをはじめとし、センダイハギ、チシマアザミ、ハマエンドウなど多種多様な植物が群生している。 原生地だが、自然公園となっているのでハマナスは保護され、50㎝から150㎝の低木で繁っている。花期は6月中旬から9月にかけて。私が訪ねた時、花は咲き始めで少なかったが、それでも朝の光の中できらめく様は見事だった。満開になれば、陶酔を誘う風景となるに違いない。 ハマナスの栽培品種 ベニハマナス。バラの育種家、故鈴木省三氏によって作出され、学名ロサ・ルゴサ‘スカーレット’(Rosa rugosa ‘Scarlet’)と名付けられた。栽培品種として正式登録はされていないが、神代植物公園や佐倉草ぶえの丘バラ園などで見ることができる。 ハマナスは日本以外でも東南アジアの北部に分布し、現在はヨーロッパ北部などにも帰化している。丈夫で耐寒性に優れているので、園芸バラの作出に貢献し、多くの栽培品種が生まれている。 ‘ピンク・グローテンドルスト’(Rosa rugosa ‘Pink Grootendorst’)。カーネーションに似た‘グローテンドルスト’の花には、赤・白・ピンクの3色がある。 ‘ロズレ・ドゥ・ライ’(Rosa rugosa ‘Roseraie de I’Hay’)。フランス、パリ郊外にあるバラ園の名前を冠した大輪のバラ。 栽培品種には、‘スカブローサ’、‘ハンザ’、‘グローテンドルスト’などがあり、フランスのバラ園の名前を冠した ’ロズレ・ドゥ・ライ’もその一つである。ドイツやオランダでは交差点や街路に植え込まれ、「交差点のバラ」とも呼ばれている。 詠われたハマナスの花 知床のハマナス。花びらや葉には紙細工に似たかすかな皺があり、学名のルゴサはラテン語の「皺のある」を意味するという。 ハマナスの花の名前が広く知られるようになったのには、1960年に森繁久彌が作詞作曲した歌「知床旅情」の存在がある。 「知床の岬に はまなすの咲く頃 思い出しておくれ 俺たちのことを」で始まる歌は、映画「地の涯に生きるもの」のロケ先・羅臼町(らうすちょう)で作られた。加藤登紀子をはじめとして、多くの歌い手がこの曲をカヴァーしている。 明治時代の歌人、石川啄木は「潮かをる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや」と詠んでいる。啄木は1907年、21歳の時に函館に職を得て岩手から移り住んだ。わずか132日でこの地を去ったが、のちに函館で生涯を終えることを熱望したという。 函館市近郊、大森浜の石川啄木碑。背後に見えるのは立待岬で、そこには啄木とその一族の墓がある。墓所からは大森浜を望むことができる。 その後の放浪の人生に比して、函館はつかの間だが穏やかな日々を過ごした場所だった。その象徴がハマナスだったのだろう。 津軽海峡が目の前に広がり、遠くに下北半島を望む大森浜を啄木はよく散策した。その砂丘は砂山と呼ばれ、当時ハマナスが群生していた。だが、もうこのあたりの海岸にハマナスは見られない。 啄木碑の傍に咲いていたハマナス。 大森浜に建つ啄木像の台座には、彼が詠んだハマナスの歌が刻まれている。傍らに植えられたハマナスが1輪だけ咲いていた。
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みんなの庭
「バラ遊び」を暮らしの中で楽しむ【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
バラの最盛期を迎えて 早いもので、Garden Storyへ「ルーフバルコニー便り」を綴り始めて一年。再びバラの最盛期を迎えた。例年5月はバラ三昧の日々を送っている。四季咲きの苗も多いので、休眠期を除いてほぼ一年中花を見ることができるが、いっせいに花開くこの季節は格別だ。 14年前に出版したフォト&エッセイ集『晴れたらバラ日和』の中で、バラとの日々を「バラ遊び」と名付けた。今もその遊びは続いている。 連載第1回のバルコニーをバラ園に変えたストーリーはこちらをご覧ください。 バラの宴 客人を招き、バルコニーで花見の宴を開いて二十数年が経つ。古くからの友人たちなので気の置けない会だ。最初の数年は張り切って料理を作っていたが、宴が何回か続くと疲れ果てる。何よりも久しぶりに会った友とゆっくり話ができないことが残念だった。 そこで、お誘いの文面に「飲み物、料理、お持ち寄り大歓迎」の一行を忍ばせた。結果は大成功! それから毎年バルコニーのテーブルには、友人たちの手料理、気に入った店の惣菜、さらに地方からのお取り寄せの珍味が並ぶようになった。 室内のテーブルに用意するのは、シャンパンとちょっとした前菜。あとは長年集めた古伊万里の食器やヨーロッパで求めたアンティークのグラス類で、いずれも空の器だ。 各自が好きな皿や鉢に料理を盛り付け、飲み物と小皿を持ってバルコニーに出る。そこでの会話はバラと食べ物に始まり、多岐にわたり、再びバラと美味を愛でるといった具合だ。 何よりも乾杯のシャンパングラスに花びらを浮かべて飲み干す恒例の行事が大好評。「最高の贅沢」と褒められるのが嬉しい。長年無農薬でバラを育てているご褒美ともいえるだろう。「本日は‘コレット’です」「‘レイニー・ブルー’です」と浮かべたバラの名前とともに、友と集えることを祝している。 バラのカード バラの季節は忙しい。つぼみについた虫を取り除き、花がらを摘む。と同時に陽の具合や咲き加減の良い花を見つけると、すかさずカメラを向ける。写真は自然光のもとで、花を瑞々しく撮ることを心掛けている。早朝や夕方の斜光で撮ることが多い。あえて逆光で花に露光を合わせたものなど、光を味方につけるのがコツだ。 通常のL判の写真プリントをポストカード大の2つ折りの台紙に貼り込めば、簡単にたくさんの種類の花のカードができる。手作りの素朴なものだが、生写真のよさが際立つ。 お気に入りの写真を印刷して何種類かのカードも作ってみた。2つ折りのグリーティングカードとポストカード。いずれも5枚1組にして、それぞれのバラの名前の由来を書いた紙を添えている。 バラのカードは、ちょっとした挨拶状や、何かのお礼に手渡したりしている。そうしたカードがさまざまに旅をして、意外なところで出くわすことがある。初めて訪れたオフィスの壁に留められているのを発見するなど、カードならではの神出鬼没さで、ドキリとさせられることも多い。 クレオパトラ風呂 このところ5月なのに真夏のような暑さが続き、お披露目を待たずにはらはらと散るバラも多い。散る寸前の花びらを集め、水を張ったガラス鉢に貯める。その日集めた花弁は、夜にバスタブのお湯に浮かべるのだ。ほのかな香りと、花びらが肌にふれる感触が心地よい。 その時の花によって「ロココ風呂」「スピリット・オブ・フリーダム風呂」などと名付ける。やがて「ミックス風呂」となって、色や香りもさまざまに混じり合い、むせ返るほど。そこで私は「気分はクレオパトラ!」とひとり悦に入っている。 マンションの狭いバスルームなので、あくまで「気分は……」なのだが。 この雰囲気を伝えると、帰り際に花びらを所望する客人がいる。後日感想を聞くと、異口同音に「クレオパトラになったみたいだった」との答えが返ってくる。それほどクレオパトラとバラ風呂は知られているらしい。 エジプトや古代ローマでは、バラの持つ薬効や美容効果が珍重されていた。僧院などの薬草園で栽培されていた記録もある。思い付きで始めたバラ風呂だが、バラの季節に疲れ知らずでいられるのは、毎日のバスタイムのおかげかもしれない。 自宅のバラならではのバラ遊び シャンパンに花びらを浮かべたり、クレオパトラ風呂を楽しんだりが可能なのは、二十数年にわたり無農薬でバラを育てているからこそ。市販の切り花は農薬漬けといっても過言ではないので、残念ながらあまりオススメできない。庭やベランダに数株の苗があれば、バラ遊びの日々を楽しむことができる。ぜひバラ遊びをオススメしたいと思っている。 季節のバルコニー便り これまでご紹介してきた松本路子さんのルーフバルコニー便り。季節ごとの楽しみも併せてご覧ください。 5月 マンションで叶える小さなバラ園!初めの1歩 6月 初夏に輝くユリとアジサイの思い出 7月 芸をする朝顔 8月 マンションで叶える野菜&果実・夏の収穫 9月 バルコニーとリビングを結ぶ観葉植物たち 10月 秋バラの楽しみ 11月 ベルギーゆかりのバラたち 12月 鉢植えバラの冬仕事 1月 レモンの収穫 2月 バルコニーで楽しむ3種の桜 3月 早咲きのバラをめぐる物語〜その1 4月 早咲きのバラをめぐる物語〜その2
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ストーリー
庭に個性をプラス! 陶芸家が創作する植木鉢と、寄せ植え植物
存在感のある植木鉢との出合い 数年前『更紗 いのちの華布』という本を出版し、東京・目白にある古民家ギャラリーで出版記念展を行った。その時、お祝いの品物として届いたのが陶器の植木鉢に寄せ植えされた花々。 植物のアレンジの見事さと同時に、私が目を見張ったのはダイナミックな鉢の存在感だった。独創的なフォルムでありながら、屋敷の入り口に長年置かれてあったかのようにその場に馴染んでいた。 お客様を出迎えるウェルカムフラワー 陶器の鉢は今、私の自宅マンションの玄関脇にあり、ウェルカムフラワーの寄せ植え鉢としてお客様を迎えている。鉢の作者は、陶芸家の清水順子さん。お祝いにいただいた寄せ植えのアレンジは、秋田緑花農園の秋田茂良さん。二人は東京・日本橋のギャラリーで「風にのって 花・器らくらく二人展」という展示会をこれまでに3回ほど開催している。オリジナルの植木鉢と植物の寄せ植えの展示会は、ユニークな試みではないだろうか。 草花が好きで植木鉢をつくった! 秋田緑花農園には何度かお邪魔し、秋田さんのつくった市民のための庭「タネニハ」で寛いだ時間を過ごしている。今回はかねてより念願の清水さんの自宅兼工房を訪ねた。 東京の多摩地区東部、東久留米市の閑静な住宅街にあるご自宅の庭には草花があふれていた。「ミヤコワスレやワスレナグサなど、野の花の風情を持つ花が好き」という。最初は鉢カバーをつくっていたが、やがて好きな植物に合った鉢が欲しいと、植木鉢の制作に取り掛かった。 陶芸を始めて30年 中学校の教師だった清水さんが陶芸を始めたのは、約30年前のこと。最初は陶芸教室に通いながら、食器や花器をつくっていた。本格的に取り組むようになったのは、現在の家に移り住んだ22年前から。自宅内に作業場をつくり、庭の一角に陶器を焼くガス窯を設えた。10年前に定年退職してからは、陶芸中心の日々を送っている。 庭で楽しむ植木鉢 家の庭は落合川に面していて、川堤の桜の巨木がすぐ近くまで枝を伸ばし、深い緑に囲まれている。窯の前にはいくつかの植木鉢が並んでいた。なかでもユニークなのは豊かな胸の女性のトルソーを模った鉢。パンダすみれの細い枝が、黒い釉薬の器に絶妙な曲線を描いている。 バスケット形の器にはクローバーの葉が。どっしりとした重量感と軽やかさが同居して、幸せな感じがあふれている。白い釉薬の鉢には鮮やかな青色のベルフラワー、縄文土器を模った器にはミヤコワスレが、それぞれに調和した姿を見せている。縄文土器風の器は試作品で、これから本格的に取り組んでいきたいという。 器と寄せ植え植物とのコラボレーション そんな清水さんが秋田さんと出会ったのは今から6年前。 「それまで器だけの個展を20回以上続けてきましたが、秋田さんの寄せ植えを見て、ぜひ一緒に展示したいと思いました」。 以来、2014、2015、2018年と、3回にわたり二人展を行ってきた。 出展された鉢はいずれものびやかで、鋭い三角錐の鉢も2~3個つなげることで、飛び立つ翼のようにも見える。また、コロンと丸みを帯びた器は、作者のおおらかさと温かさを感じさせるものだ。 秋田さんは清水さんの鉢の魅力を「とにかく個性的で、こちらの感性を刺激してくれます。大地を思わせる安定感も感じます」と語る。 「寄せ植えを始めた頃、自分の個性をどのように表現していいか分からなかった時に、ずいぶんと助けられました。器に添って花を組み合わせるだけでオリジナリティーが生まれてくるのです」。 さらに「焼き物だからでしょうか。植えた植物がとても元気に育ちます」と続ける。 寄せ植えアレンジのコツ この日の撮影のために秋田さんが届けてくれたのが、清水さんの大鉢にアレンジした寄せ植え。赤と黄色のラナンキュラス「ラックス」にハーブゼラニウム、ブラキカムなどが配されている。 「アレンジのコツは対照を考えることです。色、形、感情など、表現したいイメージの要素はたくさんありますが、自分のイメージだけでつくり上げるのではなく、少し対照的な要素を取り入れる、そんな気持ちの余裕を持つことですかね」。 「例えば全体を落ち着いたトーンの花でまとめたい時には、明るめの色をどのくらい加えたらよいか、また自分の感情がポジティブな時にはあえて暗めの花を差し色にする、などと考えます。そうすると形に重層感が生まれます」。 「まん丸い葉には直線的な葉の植物を合わせたりして。面白いことに目に見える形が違う植物同士を組み合わせると元気に育ちます。形が違うと根の張り方も違うし、かかりやすい病気も違うので、結果としてうまく育つのでは、と仮説を考えています」。 「基本は植物を優しく扱い、よく観察すること。それが楽しみながら寄せ植えを上達させるコツではないでしょうか」。 農園でさまざまな草花を愛しみ育てている秋田さんならではのアドバイスだ。 これからの展示について 二人展に際して、当初秋田さんはギャラリーでの展示への不安から、負担を感じる部分もあったという。だが蓋を開けてみると、想像以上に花に対して興味を持ってもらえ、不安が喜びに変わったそうだ。 2019年秋にも、前3回と同じ日本橋のギャラリーでの展示が予定されている。清水順子さんは「今後、縄文土器のように土と火の力をより醸し出す作品をつくりたい」と語る。秋田茂良さんは「器とぴったり合う草花だけでなく、意外性が感じられるアレンジにも取り組みたい」と意欲的だ。 オリジナル陶器の植木鉢と草花たちのハーモニーがどんな音色を奏でるか、今から楽しみにしている。 Information 「風にのって 花・器 らくらく二人展」 日程:2019年11月5~10日 会場:ギャラリー日本橋 梅むら 東京都中央区日本橋室町1-13-1 梅むらビルB1 お問い合せ:info@kaobana.com (秋田緑花農園) 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「早咲きのバラをめぐる物語〜その2」 ・いくつ知ってる? 押さえておきたい基本の植木鉢の種類とその特徴 ・備前焼の魅力を伝える新プロジェクト「Bizen×Whichford」コラボイベント報告
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みんなの庭
早咲きのバラをめぐる物語〜その2【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
4月後半から5月にかけて開花するバラたち 4月も後半になると、早咲きのバラが徐々に咲き始める。我が家のほとんどのバラは、5月になってから開花し、5月中旬に最盛期を迎えるが、早咲きのバラはその先駆けともいえるものだ。『早咲きのバラをめぐる物語〜その1』で綴ったバラは野生種だが、それに続くバラは野生種に近いバラといえるだろう。 ‘ムタビリス’ チャイナ系のオールドローズ、‘ムタビリス’(Mutabilis)が我が家にやってきたのは10数年前のこと。一つの花が時間を経るごとに、アプリコット色からピンク、さらに深紅へと微妙に変化していくさまに惹かれて苗を手に入れた。 4月に開花して、繰り返し初冬まで咲き続ける強健種。5弁のバラが風に乗って蝶のようにひらひらと舞う姿から、バタフライローズとも呼ばれている。 来歴は不明だが、1894年以前に生まれたものとされる。深紅のバラのルーツともいえる中国の野生種のロサ・キネンシス・スポンタネア(Rosa chinensis var. spontanea)の系列と思われるので、数年前、我が家に両方の苗が揃った時は嬉しかった。ヨーロッパの人々にも花色の移ろうさまが珍重されたのだろう。ムタビリスという名前はラテン語で「変わりゆくもの」という意味だという。 このバラのことは折に触れ語ってきたので、我が家ではお馴染みのバラとして通っている。半横張り性で枝を広げるが、バルコニーではあまり横幅をとっても困るので、昨年は思い切った剪定を施した。現在は2mほど直立に伸びて、すっきりとした姿を見せている。 ‘デンティ・べス’ 我が家のバルコニーにある、つる性の‘デンティ・べス’(Dainty Bess)。モッコウバラやタカネバラなどの野生種と競うほどの早咲きだ。シルバーピンクの一重の大輪で、花心と雄しべが赤紫色。風に揺れる花の風情はしばし見とれるほど優美である。 木立性の‘デンティ・べス’は、1925年にイギリスで作出され、つる性はその10年後にアメリカで作られた。「優雅なべス」という名前は、作出者の妻べス(エリザベスの愛称)に捧げられたものだという。 我が家ではすでに20年以上咲き続けているが、まだ小さな苗の時、一度ひん死の状態になったことがある。もうダメかと思ったが、植え替えをすることで何とか持ちこたえた。今ではフェンス沿いに3~4mほど枝を伸ばして、多数の花をつけるようになった。 ‘ゴールデン・ウィングス’ 花開いた直後はまさにゴールド。そしてクリームイエローから白色へと鮮やかな姿を見せる。一重の5弁花だが、時折内部に小さな花弁が加わる半つる性のバラ、‘ゴールデン・ウィングス’(Golden Wings)。我が家には20数年前にやってきた。 バラの花見に我が家を訪れるのは古くからの友人たちだが、その中の一人がこの花を特に気に入っていた。花姿と同時に「金色の翼」という名前にも惹かれていた。「金色の翼」を持ち、軽やかに飛びたいという願望があったのかもしれない。 編集者であるその友人は、歴史に残るような名著を世に送り出していた。「いた」と過去形で語らねばならないのは、3年前に病を得て旅立ってしまったからだ。彼女が去って、改めて私の大切な友人たちの何人かは、彼女の仲立ちで出会っていることに気付かされた。以来、‘ゴールデン・ウィングス’は私にとって特別なバラとなった。花が咲き始めると、楚々として、凛とした友の面影を、その花に重ねて見ている。 ‘ウィンチェスター・キャシードラル’ 早咲きのバラは野生種かそれに近い種類だが、我が家の近代バラの中で一番乗りをするのが、‘ウィンチェスター・キャシードラル’(Winchester Cathedral)。1988年にデビッド・オースチンによって作出された、イングリッシュ・ローズの白色の銘花だ。 同じくイングリッシュ・ローズのピンク色の銘花、‘メアリー・ローズ’の枝代わりの品種である。‘メアリー・ローズ’とは、花色以外はほとんど同じ性質を持ち、繁った株にたくさんの花をつける(ちなみに薄ピンク色のバラ、‘ルドゥーテ’もまた‘メアリー・ローズ’の枝代わりである。こちらはやや後に開花する)。 白バラだが、時折ピンク色が混じることがある。さらに驚かされたのは、‘メアリー・ローズ’そのものの花が一輪咲いた時だ。同じ株に白とピンクの花が同時に咲いているのは不思議な光景だった。 バラの名前はイギリス、ハンプシャー州、ウィンチェスターにある大聖堂に捧げられたもの。イングランド国教会の大聖堂である現在の建物は、1093年に建設が開始され、ゴシック様式を中心とするさまざまな建築様式で長年建設が続けられてきた。 ウィンチェスターはイングランドのかつての首都であり、古都の佇まいを残した街だ。大聖堂は映画『ダヴィンチ・コード』のロケ地となったことでも知られている。ロンドンから南西へ向かう列車に乗り、1時間ほどで訪れることができる。 私が苗を手に入れた時、その販売収益の一部が大聖堂の修復費用に充てられると聞かされた。我が家のバラが大聖堂の片隅のどこかの部分の修復に貢献しているのでは、と想像を逞しくしている。 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「早咲きのバラをめぐる物語〜その1」 ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「小さなバラ園誕生! 初めの一歩」 ・ベランダガーデンを植物と雑貨でおしゃれに飾る1「素敵なコーディネートとは?」
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みんなの庭
早咲きのバラをめぐる物語〜その1【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
4月に開花するバラたち わが家のバルコニーのほとんどのバラは5月になってから開花し、5月中旬に最盛期を迎える。だが、4月から花が開き始める早咲きのバラも何株かあり、そのほとんどは野生種か、それに近いバラである。季節を告げるこうしたバラが、わが家にやってきた由来を紐解くと、いくつかの物語が存在することに気づかされる。 ロサ・キネンシス・スポンタネア ロサ・キネンシス・スポンタネア(Rosa chinensis var. spontanea)がわが家にやってきたのは最近のこと。ネット上でバラのサイトを展開している加藤淳子さんと知り合い、主に原種のバラを育てている彼女から贈られた。到来した3年前は20cmほどの苗だったが、今は1m以上に枝を伸ばし、花数もかなり多くなってきた。開花時期は早く、年によっては4月初旬のこともある。 花色が薄いピンクから徐々に濃い赤に変化する珍しい品種。さらに中国西南部に自生するこのバラの花弁だけが、世界でただ一つ鮮やかな赤色の花色素を持つ、という。かつてヨーロッパには、赤紫色のバラしか存在しなかった。18世紀末に中国からヨーロッパに渡ったチャイナローズが現在の真紅色のバラの元となったということは、まさにこのバラこそがすべての赤いバラのルーツであるといえるのだ。 長い間、「幻のバラ」とされていたが、日本人の植物学者でプラントハンターである荻巣樹徳さんが1983年に中国四川省でこのバラを新たに発見している。そうした功績で、英国王立協会からヴィーチ賞を授けられた。バラの歴史を物語る花として、貴重な存在だ。 ナニワイバラ ナニワイバラが我が家にやってきたのは、23年前。以来、毎年白い大きな5弁の花を枝いっぱいに咲かせ、優美な姿を見せてくれる。この花は私と友人たちの間では「葉山のバラ」と呼ばれている。葉山に住む友人宅に何人かで遊びに出かけ、散策していた折、一軒の家の垣根にこのバラが一面に咲いているのを見かけた。 あまりの見事さにその家の住人に頼んで、30cmほどの枝をいただいて帰り、挿し木したのが始まりだ。その苗木数本が友人たちの家に行きわたり、旺盛な成長ぶりから「葉山のバラ」として親しまれ、今に至っている。 そのバラの名前は当時あまり知られておらず、父の本棚の古いバラ事典の写真から「ナニワイバラ」という名前を見つけたのは、それから4、5年経ってからだった。中国南部や台湾に自生する原種バラで、江戸時代、浪速の商人が苗木を取り扱ったので、日本ではこの名で呼ばれるようになったという。学名は「ロサ・ラエヴィガータ(Rosa laevigata)」で、花が一回り大きいブータンナニワイバラや、ピンク色の変種ハトヤバラがある。ベルギーのバラ園で、ビルマの名前がついたものを見かけたこともあった。 北アメリカでは野生化し、ネイティブ・アメリカンの部族の名前を冠した「チェロキー・ローズ(Cherokee Rose)」として知られている。日本でも四国、九州地方では野生化したものが見られるそうだ。 モッコウバラ 中国原産のモッコウバラには、白花と黄花があり、多く見られるのは八重咲きの黄モッコウ「ロサ・バンクシアエ・ルテア(Rosa banksiae‘Lutea’)」である。我が家にあるのは一重咲きの黄モッコウ「ロサ・バンクシアエ・ルテスケンス(Rosa banksiae‘Lutescens’)と、八重咲きの白モッコウ「ロサ・バンクシエ・バンクシアエ(Rosa banksiae var. banksiae)」の2種。7年前に『日本のバラ』という本を出版した時、江戸時代に日本に伝来したバラとして紹介した。その折、写真を撮影したお宅からいただいた枝を挿し木したものだ。 中国で最初に発見されたのは白花の八重咲きで、香りが強く「木香」という名がついたという。バラには珍しく棘がなく、園芸ブームに沸く江戸で特に好まれたそうだ。 タカネバラ タカネバラは日本にのみ分布する原種バラで、主に本州の高山で見られ、学名の「ロサ・ニッポネンシス(Rosa nipponensis)」は、まさに「日本のバラ」を意味する。 『日本のバラ』の本を編集していた頃、千葉にあるバラ園で1輪だけ咲いているのを見つけて撮影することができたが、翌年にはその苗は見当たらなかった。 富士山の5合目付近で自生しているという話を聞き、撮影に出かけたが、そこでもほとんどの木は姿を消していた。私にとってまさに「高嶺の花」だった。 それが本を出版してすぐ、鎌倉に住むエッセイストの甘糟幸子さんのお宅に招かれた時、彼女の庭にタカネバラの苗木が2鉢置かれているのを発見。その出所を聞くと、長野の山中に自生していた苗で、知人から送られてきたものだという。甘糟さんに我が家のバルコニーから彼女が好きそうなバラ‘黒真珠’をお届けしたら、なんとその返礼に「タカネバラ」の鉢が届いた。 高山に自生するバラが、都心のマンションのバルコニーでどれだけ長らえるか心もとないが、以来毎年けなげに花を咲かせて、「高嶺の花」らしい凛としたたたずまいを見せている。 バラの季節を待ちわびて こうした早咲きのバラたちは、その年によって最初に開花する種類が異なる。今年の一番乗りはどの花かと、毎年蕾の膨らみ具合を見るのが楽しみだ。来たるべきバラの季節に胸弾ませる、至福の時ともいえるだろう。 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「小さなバラ園誕生! 初めの一歩」 ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「ベルギーゆかりのバラたち」 ・松本路子のバラの名前・出会いの物語「ダーシー・バッセル」
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みんなの庭
バルコニーで楽しむ3種の桜【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
鉢植えの桜が咲き誇る春 わが家のバルコニーには3種4本の桜の木がある。鉢植えのささやかな苗木だが、それでも春を先取りする河津桜は2mほどの高さで、毎年たくさんの花を付ける。 河津桜が最初に我が家にやってきたのは、二十数年前のこと。伊豆から届いた苗木だったが、成長しすぎて初代のレモンの木同様、千葉・鴨川の友人の庭にもらっていただいた。当時は鉢植えの木の扱い方がよく分かっていなかったのだ。 1mほどの苗木を再び手に入れたのは、10年ほど前。バラと同様に鉢の土替えをすると、2mの高さで安定して育つようになった。考えてみれば、桜もまたバラ科の植物なのだ。 河津の桜並木 河津桜は野生種のカンヒザクラと他種の桜の種間雑種とされる。伊豆半島の河津町で1955年に原木が発見され、60年代から増殖が始まった。現地では今や8,000本が植栽されている。なかでも河津川の両岸の桜並木は4kmにわたり続く見事なもので、多くの人が花のトンネルの散策を楽しんでいる。 いち早く春を告げる花 かなりの早咲きなのが河津桜の魅力の一つで、我が家の日当たりのよい東面のバルコニーでは1月下旬から花開き始める。同じ桜でも染井吉野が一斉に咲いて10日ほどで散るのに比べ、河津桜はたくさんのつぼみが徐々に開いて、また花もちもよいので、1カ月ほど楽しむことができる。2月の花見は、これから訪れる春を予感させるもので、まだまだ寒い季節にほっこりと気持ちを緩めてくれる。 雪中の桜 早咲きの桜は、時に雪に見舞われる。昨年(2018年)は都心でもかなりの積雪があり、バルコニーの桜花も凍えていた。だが、雪の中の桜を愛でる「桜隠し」や「綿かぶり」といった美しい言葉があることを知り、雪中の桜もゆかしいと思えるようになった。雪に凍った蕾も、陽の光を浴びてゆっくりと花開く。 桜木への訪問客 桜が咲くと早速訪れてくるのが、メジロ。花の蜜が大好物なのだ。東面のバルコニーは枝が窓辺近くまで伸びているので、メジロが夢中で蜜を吸うのを、リビングから眺めることができる。また4月に実が熟すと、小鳥たちが驚喜してそれをついばむさまが楽しめる。 鉢植えの良いところは、木を動かせること。北面の広めのバルコニーの河津桜はつぼみがほころび始めたところで、中央に置かれたテーブルの脇に移動させる。こちらは日当たりの関係で、東面バルコニーの桜が終わった3月頃に開花するので、暖かい日中は花の下でお茶の時間を過ごすことができる。 染井吉野 北面バルコニーの玄関側には染井吉野の鉢植えが置かれている。これは全国の桜木のほぼ8割を占める花だが、その歴史は意外に新しい。日本古来の野生の桜は数千年の歴史があるのに比べ、染井吉野が生まれたのは江戸末期。明治になって流行した桜である。 接ぎ木が容易で、根付きがよくて大量に増殖可能なうえ、成長も早いことから各地で植栽されるようになった。実生ではなく、いわばクローンなので、全国どこでも同じ花が咲き、日本の桜というイメージが定着していった。 長い間観賞の対象だったヤマザクラに比べ、葉が出る前に枝一面に花を付けるのも、花見の理想に近く、人気が出た理由だろう。 陽光という桜 数年前から友人の実家での花見に参加している。目当ては、都心の住宅地の庭に10m以上の高さで枝を広げる陽光という桜だ。陽光は愛媛県の作出家が二十数年かけて丈夫な苗に改良した栽培品種で、近年庭園や街路で見かけることも多くなってきた。「天地に恵みを与える太陽」という意味で、この名が付けられたという。誕生の物語が映画化されるなど、注目されている。 2階の茶室の窓越しに見る風景が屏風絵のように艶やかで、これぞ眼福と思える。常には住む人がいないこの家に人知れず咲く花で、一日限りのお披露目であることもまた格別だ 花見の帰り道、自宅近くの花屋の店先に30cmほどの陽光の苗木が2鉢並んでいるのに出くわした。花は終わりかけていたが、早速我が家に一鉢持ち帰り、一回り大きな鉢に植え替えた。ちょっと背が伸びたので、今年の開花が待ち遠しい。陽光は染井吉野より10日ほど早く花開く。 東京の桜 わが家に桜が咲くようになって、いつしかその多様な品種に興味を抱くようになり、2015年、『東京 桜100花』という本を著してしまった。数年にわたって桜の写真を撮り、文献を読みふける日々を送った。 染井吉野もよいけれど、古来より人々の暮らしとともにあったヤマザクラやオオシマザクラなどの野生の桜や、各地方独自の桜など、多種多様な桜を愛でてほしいとの思いが募った時間だった。 思えば拙著『ヨーロッパ バラの名前を巡る旅』も、出発は我が家のバルコニー。この狭い空間から世界とつながり、悠久の時に遊ぶことができたのだ。そう思うと、植物や木々の底知れぬ力に動かされていることに、あらためて驚かされる。 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「レモンの収穫」 ・春の花・ラナンキュラスの大人かわいい寄せ植え おすすめ品種と苗の選び方&寄せ植えのポイントをJunk Sweet Garden tef*tef*が解説 ・「私の庭・私の暮らし」インスタで人気! 雑木や宿根草、バラに囲まれた大人庭 千葉県・田中邸
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ストーリー
イングリッシュローズ「ダーシー・バッセル」【松本路子のバラの名前・出会いの物語】
真紅のバラ‘ダーシー・バッセル’ 数年前、デビッド・オースチン・ロージズ社から送られてきたバラ苗のカタログの中に‘ダーシー・バッセル’という名前のバラを見つけた。その時の驚きと感動は、今思い出しても胸が高鳴る。 ダーシー・バッセル(Darcey Bussell)は20年の長きにわたり、英国ロイヤル・バレエ団を代表するバレエ・ダンサーとして、世界的に活躍した踊り手だ。私は何回か彼女に会い、ポートレートを撮影した。 彼女の人柄に魅せられていたので、いくつかのバラ園で‘ダーシー・バッセル’の花に出会うたび、その人に思いを馳せてきた。 ダーシー・バッセルは世界各国から優れたダンサーが集まる英国ロイヤル・バレエ団の中でも、ロンドン生まれということで、ロンドンっ子たちに特別に愛される存在だった。 13歳でロイヤル・バレエ・スクールに入学。バーミンガムのバレエ団を経て、1988年にロイヤル・バレエ団に入団。ケネス・マクミラン振付の『パゴダの王子』の主役を踊り、翌年、20歳の若さでバレエ団の最高位であるプリンシパルに任命された。その時の役名が「プリンセス・ローズ」であるのも、今思えば、バラとの縁を感じさせる。 女性アーティスト、ダーシー・バッセルの人生 最初にバッセルに出会ったのは1993年、彼女が24歳の時だった。当時私は世界各地で女性アーティストの肖像を撮影していた。ロンドンで彼女の舞台を見てすぐに申し込み、バレエ団の楽屋で撮影することができた。その時の写真は『Portraits 女性アーティストの肖像』、『DANCERS エロスの肖像』という2冊の写真集に収められている。 舞台上のバッセルは背が高く、バネのような強靭な肉体を生かしたダイナミックな踊りと、繊細でしなやかな精神性を醸し出し、観客を魅了していた。楽屋で会った時も凛とした佇まいながら、親しみやすい笑顔の持ち主で、ごく自然にそこに在るといった風情でカメラに向かってくれた。 何度か来日公演も行い、代表作の『3人姉妹』『マノン』などの主役を踊っている。特に『マノン』は愛と享楽を求めて堕ちていく女性を現実感あふれる姿で描き、情熱的なパ・ド・ドゥを展開。優雅で気品に満ちたロイヤル・スタイルと濃厚なドラマ性が融合した舞台を見せてくれた。 プライベートではオーストラリア人の銀行家と結婚。2001年、2004年と2人の娘をもうけている。女性ダンサーが子どもを育てながらバレエの舞台の主役を務めるのは、当時としては画期的なことだった。 その頃、同じバレエ団のプリンシパルとして舞台に立っていた吉田都と楽屋を共有していて、吉田を撮影に訪れた時、バッセルの化粧鏡の前に飾られた娘たちの写真を見ることができた。一緒に写っている彼女の姿はまさに母親そのもの。 美しい家族写真だった。 2007年『大地の歌』の舞台で、ロイヤル・バレエ団のプリンシパルを引退。その後もゲスト・プリンシパルとして同バレエ団の舞台に立っている。現役時代、舞踊界への功績から2度に渡り、バッキンガム宮殿にてエリザベス女王から大英帝国の勲章を授与された。 劇場の舞台以外でも、2012年のロンドン・オリンピックの閉会式で、200人のロイヤル・バレエ団のダンサーを率いて、[Spirit of the Flame]という演目を踊っている。またダンスの団体の総裁や各種審査員なども務め、こうした多岐に渡る活動から、2018年に3度目の勲章(大英帝国二等勲爵士)を授与されている。 英国で発表された美しいバラ‘ダーシー・バッセル’ バラ‘ダーシー・バッセル’はデビッド・オースチンによって作出され、2007年のチェルシー・フラワーショーでお披露目された。その年、バッセルはロイヤル・バレエ団を退団しているので、バラは20年間プリンシパルとして君臨した彼女へのオマージュとして捧げられたものだろう。フラワーショーで初めてこのバラと出合ったロンドンっ子たちの喜んだ顔が目に浮かぶようだ。 赤色系のバラは育種が難しいとされるが、‘ダーシー・バッセル’は丈夫な品種で、連続してよく返り咲く。樹高は低めで、ブッシュ状態の姿で花壇でも鉢植えでも育てやすい。咲き始めと満開時の姿が微妙に変化し、花色がクリムゾンからモーヴに変わっていくのも味わい深い。 ‘ダーシー・バッセル’の花を愛でながら、彼女の舞台を記録したDVDで舞い姿を堪能する。バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、庭仕事とともに、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるのだ。 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「秋バラの楽しみ」 ・鉢植えバラの冬のお手入れ「来春よく咲かせる!とっておきの話」 ・ベランダガーデンを植物と雑貨でおしゃれに飾る2 「無粋な場所を隠すテクニック」
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みんなの庭
レモンの収穫【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
バルコニーでレモンを収穫する わが家の北向きの広めのバルコニーに、1本のレモンの木がある。バラがメインの場所なので、小さめに設えてある鉢植えの苗木だ。それでも育て始めて15年目の今年2019年は、30個ほどの実を収穫した。 父の庭からの挿し木苗 レモンは、伊豆の父の庭にあった木から挿し木したものだ。2、3年に1度鉢増しをして、現在の大きさの鉢に落ち着いた。父の庭では枝を大きく広げ、毎年200個近い実がなっていた。最初に数本の挿し木用の枝を持ち帰ったのは、20年ほど前だろうか。 バーミキュライトの土に挿した枝からいくつかの苗が育った。伊豆の庭の木を一代目とすると、それが二代目。現在ある木は、そこからさらに挿し木をしたので、三代目、いわば孫苗にあたる。 最初の1本 最初に育てた苗は大きくなりすぎて、友人のエッセイスト、鶴田静さんの千葉・鴨川の庭に引き取ってもらった。パートナーの写真家、エドさんが軽トラックで来宅し、数本のバラ苗とともに鉢ごと運んでくれた。 当時はレモンの木の育て方がよく分かっていなかった。インターネットもない時代、かといって園芸書をひもとくほどの熱意もなかったから、木は自然に任せて伸び放題、ゆうに2mは超え、手に負えないと思えたのだ。 三代目登場 現在の苗が1mほどに育った頃、イタリアで料理の修業をして帰国した友人が我が家を訪れた。レモンの木を見るなり、枝の剪定の時期や方法、肥料、水遣りをレクチャーし始めた。現地のレモン農園でアルバイトをしたことがあるのだという。 イタリア仕込みの栽培方法を伝授され、その頃父が亡くなったこともあり、三代目レモンは、我が家のシンボルツリーとなった。 レモンの花咲く頃 レモンは例年5月から6月にかけて開花する。あたり一面甘く爽やかな香りが漂い、すがすがしい気持ちにさせられる。新葉を摘むと、手に移る香りもまた楽しめる。 花とほぼ同時に1cmにも満たない実が顔を出し、私はそれをべイビィ・レモンと名付けて、毎日見つけるのを楽しみにしている。花の季節、蜜蜂が飛来し受粉を助けてくれるのだ。 いくつもの花や実が自然落下する。最初はそれを残念に思ったが、やがて木の体力に見合った数の実だけが残ってゆくのだろう、と思い至った。 アゲハチョウの幼虫 レモンなどのかんきつ類はアゲハチョウの大好物。卵を産み付け、幼虫は葉を食べて成長する。 ある時、葉陰にかなり大きくなった幼虫を見つけた。よく見ると目のような可愛い模様がある。風通しをよくするため葉を何枚か取り除いたら、翌日幼虫は姿を消していた。バルコニーを訪れる小鳥たちに見つかってしまったのだろう。我が家のバルコニーが無農薬で成り立っているのは、こうしたスズメやメジロたちのおかげでもあるのだ。蝶が生まれ、羽ばたくことを期待した私は、複雑な思いに捕らわれた。 レモン果実の収穫 夏の間、まだまだ小さかった実は、秋になると収穫時とほぼ同じ大きさに成長する。青い実が黄色味を帯びるのは12月くらいになってから。木で完熟するのを待ち、1月から2月が収穫の時期だ。 バルコニーの植物はすべて無農薬で栽培しているので、収穫したレモンは、例年皮ごと輪切りにして蜂蜜に漬けている。自家製のヨーグルトに加えたり、またレモネードにして味わう。今年は少し多めに収穫できたので、塩レモンや、皮を冷凍保存するのも試してみたい。 父が亡くなり、心残りなのは、レモンの品種名を聞きそびれたこと。都心のバルコニーで、ひと冬に数回雪に見舞われても大丈夫なので、かなり耐寒性が強い品種なのだろう。 二代目の挿し木苗の兄弟苗を育てている友人宅で、出入りの庭師さんが「イタリアの品種だろう」と推測したと聞くが、定かではない。 伊豆の家は住む人もなくなり、人手に渡った。レモンの木も今はない。我が家の三代目を「父のレモン」と名づけ、ささやかな収穫の時を寿いでいるのだ。 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「小さなバラ園誕生! 初めの一歩」 ・オージーガーデニングのすすめ「感動の果樹栽培 〜レモン〜」 ・やってみよう! 初めてのガーデニング。失敗しないベランダガーデニングの始め方
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ストーリー
鉢植えバラの冬仕事【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
20数年間の試行錯誤 都心のマンション4階のルーフバルコニーで、バラづくりを始めて26年。今では60鉢のバラ苗に囲まれて日々を過ごしている。 広めのバルコニーのある部屋に移り住んだ時、直感的にその空間をバラで埋め尽くしたいと思った。だが当時、鉢植えのバラは育てるのが難しいとされ、特につるバラは専門家ほど「無理」との意見だった。それでも「何とかやってみたい!」との思いで、10本の苗木からスタートしたのが事始めである。 何年か経った頃、鉢植えバラにとっての2大ポイントは、水やりのタイミングと冬の土替え作業であることが、実感として分かってきた。特に限られた土での鉢栽培では、植えつけ後の土管理を怠ると、翌年から徐々に花数が減ってくる。肥料を加えるだけでは補えないのだ。 20数年にわたる試行錯誤の末、何とかわが家なりの冬仕事の方法が定着した。その頃から苗木がぐんぐんと成長して花数も増えてきた。中でも‘シティ・オブ・ヨーク’の苗木は7mほど枝を伸ばし、バルコニーのへりを縁取っている。 休眠期をつくる 通常、バラは冬の数カ月は葉を落とし、休眠期を迎える。3月初旬に新芽が膨らむまで苗を休め、養分を蓄えるのだ。だが気候の温暖化のせいだろうか。近年、四季咲きバラは冬になっても咲き続け、そのままにしておくと1月、2月までも花をつける。 わが家ではクリスマスシーズンになると、12月に咲くバラをカットして部屋に飾ることにしている。さらにすべての葉を取り除く。「さあ休んでください」と、人の手で休眠期をつくり出すのだ。 無農薬栽培を続ける 葉を取り除くのにはもう一つ意味がある。バラ栽培を始めてから一度も農薬を使用していないので、バラ特有の黒点病(黒星病)を予防するためだ。 3月の新芽から、5月中旬の春バラの最盛期を迎えるまで、葉は何とか美しいまま保たれるが、秋にはやはり黒点病が現れる。それを翌春まで持ち越さないため、すべての葉を取り除く作業が不可欠。 さらに土替えの際にはまず鉢の表面の土を3cmほど取り除く。これも同じ理由で、土中に潜む病原菌を残さないためだ。 真冬の土替え作業 1月から2月にかけての休眠期に、枝の剪定と鉢の土替え作業を行う。つるバラがほとんどなので、剪定は枝の先端15〜20cmほどをカットすることが多い。我が家の鉢はほとんど10号以上の大きさなので、毎年すべての土を入れ替えることは行っていない。ただ苗ごとに根の状態を見て、生育の状態がよくない場合は、新しい土に植え替えて再生させる。 ほとんどの苗は鉢いっぱいに健康的に根を張っているので、土の1/3〜1/4を取り除いて、新しい土と入れ替える。その際にバラ園から取り寄せた乾燥馬糞を混ぜ込む。以前は鶏糞や牛糞も試したが、それに比べ馬糞の力はかなり大きいようだ。 マルチング 土替え作業の最後は、鉢の表面数cmに腐葉土を敷き詰める。さらに、土壌改良と同時に株元のマルチングのため、ココナツヤシの繊維でできたチップを載せる。 マルチングは防寒対策、さらに水やり時による菌の跳ねを防ぐ役割もある。ココナツヤシチップは、コガネムシの幼虫対策。コガネムシは地中に潜り込み、卵を産みつける。その幼虫が根をすべて食べつくすのだ。ある年、数本の苗木が弱ってきたので鉢土の中を見ると、たくさんの幼虫が根を食い荒らしていた。虫を取り除くと元気を取り戻したが、以来、コガネムシが産卵に飛来する6月から夏にかけてはチップを増やしている。 春を思い描いて 日頃からバラ苗を見回り、その声に耳を傾けていれば、必ず何らかのSOSの信号が目にとまる。葉やつぼみの病虫害は早期発見で取り除けるし、また苗の状態がよくない時は、土の中を見れば、水や肥料不足、根腐れなどほとんどの原因が発見できる。そうして冬に土を改良し、苗を丈夫にしておけば、無農薬でもトラブルが少ないバラ栽培が可能となる。 冬の寒さの中、外での土替え仕事は厳しいが、60鉢すべての作業を終えた後のすがすがしさには格別なものがある。何よりもこの季節に枝だけになった苗木が、春を迎え芽吹いた時のときめき、さらにバルコニーがバラの花で溢れんばかりになる光景を思い描くと「苦もまた楽し」となる。 毎年5月にバルコニーを訪れることを心待ちにしている親しい友人たちの笑顔や、バラたちへの称賛の言葉も心強い味方だ。バラの花びら入りのシャンパンでの乾杯の光景が目に浮かぶ。 写真を撮り、カードをつくり、バラ風呂に浸る。こうしたバラ遊びの数々は、毎年の冬仕事を過ごした私への、バラからの贈りものに他ならない。 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「ベルギーゆかりのバラたち」 ・鉢植えバラの冬のお手入れ「来春よく咲かせる!とっておきの話」 ・バラの大敵・黒星病の予防&対策をバラの専門家が解説
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樹木
ベルギーゆかりのバラたち【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
思い出を想起させるバルコニーのバラ ベルギーとフランスの旅から帰った私を迎えてくれた、バルコニーの秋バラ。中でも‘ルドゥーテ’と‘ロザリータ’が咲く様子には感慨深いものがあった。9年ほど前にベルギーのバラの庭園を巡る旅に出かけた時の記憶がよみがえってきたのだ。 ‘ルドゥーテ’という名のバラ 旅は南西部の小さな町、サン・チュベールから始まった。ここは植物画家のピエール=ジョゼフ・ルドゥーテが生まれ育った町。記念館があり、館長はルドゥーテの画家としてのルーツはすべてこの町にあると語った。彼が絵の修業をした教会の裏手には「ルドゥーテバラ園」がつくられ、市民の憩いの場となっている。 そこで私が出合ったのが‘ルドゥーテ’という名前のバラ。デビッド・オースチンが1992年に作出したバラは、19世紀に『マルメゾンの庭園』の挿絵を描き、またその時代のバラのほとんどを収めた『バラ図譜』3巻を出版した画家へのオマージュとして、その名を冠された。ほんのりとピンク色がかった美麗な花姿のイングリッシュ・ローズは旅の記念にと、その年我が家のバルコニーにやってきた。 ベルギー王妃のバラ‘ロザリータ’ 庭園巡りの旅の途中に立ち寄ったのが、ベルギー北西部、北海に面した町オステンド近郊にあるレンズバラ園。ここは創立が1870年という歴史あるナーサリーで、800種を超える苗を育て、新種の開発にも力を注いでいる。レンズ作出のバラで知られているのは、‘ラッシュ’、‘パスカリ’、‘オミ・オズワルド’など。だが、私はそこで見かけた‘ロザリータ’という名前のバラに心惹かれた。半つる性の房咲きで、株一面に白い5弁の花をつける。 その名前の由来を聞くと、いっそう興味が湧いてきた。ベルギーのパオラ前王妃のプリンセス時代の愛称から名付けられたのだという。イタリアで800年続く名家出身の彼女は、バラをこよなく愛し、しばしばナーサリーを訪れたという。 1997年に新たに作出されたバラが王妃に捧げられ、‘ロザリータ’が生まれた。そういわれれば、ベルギーの庭にはたくさんの白いバラが咲いていた、と思い当たる。ベルギー国王アルベール2世の妃として、2013年まで王妃の座にあった彼女は、今も現国王フィリップの母として、国民に愛され続けている。 わが家の‘ロザリータ’は、苗が日本に輸入されるようになってすぐに入手した。以来毎年たくさんの花を見せてくれる(日本での販売名は‘ロザリタ’)。 ヘックス城のデュッセル伯爵夫人のバラ ベルギー東部のトングレン近くにあるヘックス城は18世紀に建てられ、優美な姿と広大な庭園をもつ。そこで年2回開かれる、ローズフェスティバルがよく知られている。庭園のバラのコレクションの大部分は、現城主の今は亡き母デュッセル伯爵夫人の手になるもの。夫人は特に野バラやオールドローズを愛し、それらを中心に1,200種ものバラが咲く庭園をつくり上げた。さらに城内の主だったバラ61種に自ら解説を加えた『ヘックス城のバラ』という図譜を出版している。 夫人に捧げられたバラは、彼女の希望で夫である伯爵の名前を冠し、‘グラヴァン・ミッシェル・デュッセル’と名づけられた。これもまたレンズバラ園作出のバラである(日本での販売名は‘グラヴァン・ミッシェル・デュルセル’)。 伯爵夫人もイタリア出身で、パオラ前王妃とは幼馴染だったという。バラを愛する2人の女性が、ともに異国の地で何を語らっていたのだろうか。ヘックス城の正面の庭には伯爵夫人に捧げられたピンクのバラと、王妃に捧げられた白いバラが並び、咲き誇っていた。その光景が今でも鮮明に思い出される。 併せて読みたい ・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「秋バラの楽しみ」 ・初心者にもオススメ! バラをもっと素敵にみせる名バイプレーヤーの草花たち ・バラの物語・つるバラの名花‘ジャクリーヌ・デュ・プレ’