早咲きのバラをめぐる物語〜その2【写真家・松本路子のルーフバルコニー便り】
都会のマンションの最上階、25㎡のバルコニーがある住まいに移って26年。自らバラで埋め尽くされる場所へと変えたのは、写真家の松本路子さん。「開花や果物の収穫の瞬間のときめき、苦も楽も彩りとなる折々の庭仕事」を綴る松本さんのガーデン・ストーリー。今回は、本格的なバラのシーズンを知らせる早咲きの品種とエピソードをご紹介します。
目次
4月後半から5月にかけて開花するバラたち
4月も後半になると、早咲きのバラが徐々に咲き始める。我が家のほとんどのバラは、5月になってから開花し、5月中旬に最盛期を迎えるが、早咲きのバラはその先駆けともいえるものだ。『早咲きのバラをめぐる物語〜その1』で綴ったバラは野生種だが、それに続くバラは野生種に近いバラといえるだろう。
‘ムタビリス’
チャイナ系のオールドローズ、‘ムタビリス’(Mutabilis)が我が家にやってきたのは10数年前のこと。一つの花が時間を経るごとに、アプリコット色からピンク、さらに深紅へと微妙に変化していくさまに惹かれて苗を手に入れた。
4月に開花して、繰り返し初冬まで咲き続ける強健種。5弁のバラが風に乗って蝶のようにひらひらと舞う姿から、バタフライローズとも呼ばれている。
来歴は不明だが、1894年以前に生まれたものとされる。深紅のバラのルーツともいえる中国の野生種のロサ・キネンシス・スポンタネア(Rosa chinensis var. spontanea)の系列と思われるので、数年前、我が家に両方の苗が揃った時は嬉しかった。ヨーロッパの人々にも花色の移ろうさまが珍重されたのだろう。ムタビリスという名前はラテン語で「変わりゆくもの」という意味だという。
このバラのことは折に触れ語ってきたので、我が家ではお馴染みのバラとして通っている。半横張り性で枝を広げるが、バルコニーではあまり横幅をとっても困るので、昨年は思い切った剪定を施した。現在は2mほど直立に伸びて、すっきりとした姿を見せている。
‘デンティ・べス’
我が家のバルコニーにある、つる性の‘デンティ・べス’(Dainty Bess)。モッコウバラやタカネバラなどの野生種と競うほどの早咲きだ。シルバーピンクの一重の大輪で、花心と雄しべが赤紫色。風に揺れる花の風情はしばし見とれるほど優美である。
木立性の‘デンティ・べス’は、1925年にイギリスで作出され、つる性はその10年後にアメリカで作られた。「優雅なべス」という名前は、作出者の妻べス(エリザベスの愛称)に捧げられたものだという。
我が家ではすでに20年以上咲き続けているが、まだ小さな苗の時、一度ひん死の状態になったことがある。もうダメかと思ったが、植え替えをすることで何とか持ちこたえた。今ではフェンス沿いに3~4mほど枝を伸ばして、多数の花をつけるようになった。
‘ゴールデン・ウィングス’
花開いた直後はまさにゴールド。そしてクリームイエローから白色へと鮮やかな姿を見せる。一重の5弁花だが、時折内部に小さな花弁が加わる半つる性のバラ、‘ゴールデン・ウィングス’(Golden Wings)。我が家には20数年前にやってきた。
バラの花見に我が家を訪れるのは古くからの友人たちだが、その中の一人がこの花を特に気に入っていた。花姿と同時に「金色の翼」という名前にも惹かれていた。「金色の翼」を持ち、軽やかに飛びたいという願望があったのかもしれない。
編集者であるその友人は、歴史に残るような名著を世に送り出していた。「いた」と過去形で語らねばならないのは、3年前に病を得て旅立ってしまったからだ。彼女が去って、改めて私の大切な友人たちの何人かは、彼女の仲立ちで出会っていることに気付かされた。以来、‘ゴールデン・ウィングス’は私にとって特別なバラとなった。花が咲き始めると、楚々として、凛とした友の面影を、その花に重ねて見ている。
‘ウィンチェスター・キャシードラル’
早咲きのバラは野生種かそれに近い種類だが、我が家の近代バラの中で一番乗りをするのが、‘ウィンチェスター・キャシードラル’(Winchester Cathedral)。1988年にデビッド・オースチンによって作出された、イングリッシュ・ローズの白色の銘花だ。
同じくイングリッシュ・ローズのピンク色の銘花、‘メアリー・ローズ’の枝代わりの品種である。‘メアリー・ローズ’とは、花色以外はほとんど同じ性質を持ち、繁った株にたくさんの花をつける(ちなみに薄ピンク色のバラ、‘ルドゥーテ’もまた‘メアリー・ローズ’の枝代わりである。こちらはやや後に開花する)。
白バラだが、時折ピンク色が混じることがある。さらに驚かされたのは、‘メアリー・ローズ’そのものの花が一輪咲いた時だ。同じ株に白とピンクの花が同時に咲いているのは不思議な光景だった。
バラの名前はイギリス、ハンプシャー州、ウィンチェスターにある大聖堂に捧げられたもの。イングランド国教会の大聖堂である現在の建物は、1093年に建設が開始され、ゴシック様式を中心とするさまざまな建築様式で長年建設が続けられてきた。
ウィンチェスターはイングランドのかつての首都であり、古都の佇まいを残した街だ。大聖堂は映画『ダヴィンチ・コード』のロケ地となったことでも知られている。ロンドンから南西へ向かう列車に乗り、1時間ほどで訪れることができる。
私が苗を手に入れた時、その販売収益の一部が大聖堂の修復費用に充てられると聞かされた。我が家のバラが大聖堂の片隅のどこかの部分の修復に貢献しているのでは、と想像を逞しくしている。
併せて読みたい
・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「早咲きのバラをめぐる物語〜その1」
・写真家・松本路子のルーフバルコニー便り「小さなバラ園誕生! 初めの一歩」
・ベランダガーデンを植物と雑貨でおしゃれに飾る1「素敵なコーディネートとは?」
Credit
写真&文 / 松本路子 - 写真家/エッセイスト -
まつもと・みちこ/世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2024年、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルム『Viva Niki タロット・ガーデンへの道』を監督・制作し、9月下旬より東京「シネスイッチ銀座」他で上映中。『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。
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