100年間に渡り、バラの育種の世界を彩り続けてきた育種家サム・マクレディ。もちろん一人の人物ではなく、同じ名前を受け継いだ一族の4人の育種家たちが、バラを作り続けてきたのです。今回は、「サム・マクレディ」たちにより育種されたバラと、その一家の物語を、ローズ・アドバイザーの田中敏夫さんに解説していただきます。

Print Friendly, PDF & Email

バラの育種家「サム・マクレディ」

2019年、育種家サム・マクレディ4世が亡くなりました。後継者はありませんでした。それ以降、育種者サム・マクレディと銘打った新品種が公表されることはなくなってしまったのは、残念なことです。

これからお話しする「マクレディ家」とは、北アイルランドを発祥の地とするバラ育種一家です。当主は代々サム・マクレディと名乗っていました。今回は、マクレディ一家のバラ育種がどのように始まりどう終わったか、たどることにしましょう。

マクレディ一家の始まり

サム・マクレディ1世(Samuel McGredy I:1828-1903)
サム・マクレディ2世(Samuel McGredy II:1861-1926)

Portadown,Pinned
Dmitrijs Kaminskis/Shutterstock.com

マクレディ農場は1880年、北アイルランド、中心都市ベルファーストから西へ30kmほどに位置するポータダウン(Portadown)で始められました。創業当初はパンジーなどの園芸植物を栽培していましたが、父の家業を手伝っていたサム2世は1895年頃から家業とは別にバラ育種を始めました。

当初は趣味的なものでしたが、1905年ロンドンの品評会へ出品したミディアム・ピンクのHT、‘コンテス・オブ・ゴスフォルド(Countess of Gosford)’でゴールド・メダルを獲得したことをきっかけに、本格的にバラ育種へ取り組むようになりました。サム2世は、その後も品評会で多くの賞を得たことから、“アイルランドの魔術師”と呼ばれるようになりました。代表的な品種は次のようなものです。

サム・マクレディ2世のバラ

レディ・アリス・スタンリー(Lady Alice Stanley) – 1909年

バラ‘レディ・アリス・スタンリー’
右上のバラが‘レディ・アリス・スタンリー’。ナーセリーのカタログより。Conard & Jones Co. (West Grove, Pa.); Henry G. Gilbert Nursery and Seed Trade Catalog Collection. [Public domain, via Wikimedia Commons]
花心が色濃く染まる明るいピンク、大輪のHT。育種当時、英国エドワード7世の王妃であったアレキサンドラ王妃付きの女官をしていたアリス・M・O・スタンリー=ダービー伯爵夫人(Alice Maud Olivia Stanley, Countess of Derby, 1862-1957)に捧げられたものと思われます。

ミセス・ハーバート・スティーブンス(Mrs. Herbert Stevens)-1910年

バラ‘ミセス・ハーバート・スティーブンス’
‘ミセス・ハーバート・スティーブンス’ Photo/田中敏夫

白花、高芯咲きのHT。元品種はブッシュですが、1922年に枝変わりのクライマーが出回るようになり、現在ではそちらのほうが多く流通しています。

ザ・クィーン・アレキサンドラ・ローズ(The Queen Alexandra Rose)-1918年

花弁表が赤、裏がイエローとなる2色咲きのHT。この品種がこの後、交配親として数多く用いられ、マクレディ農場特有の豪華・絢爛たるHTの元となりました。

しかし、1926年、サム2世は急死してしまいました。息子のサム3世が家業を継ぎましたが、1934年に3世も37歳の若さで心臓発作を起こし急死してしまったのです。このとき、サム4世はまだ3歳にも満たない幼児であったため農場は経営の危機におちいりましたが、3世の義兄ウォルター・ジョンストン(アンクル・ウォルター)が3世夫人を支えて運営を続けました。

サム・マクレディ3世とアンクル・ウォルターのバラ

サム・マクレディ3世(Samuel Davidson McGredy III:1897-1934)
ウォルター・ジョンストン(Walter Irwin Johnston:?-?)

サム3世およびアンクル・ウォルターが育種した品種をいくつかご紹介しましょう。

マーガレット・マクレディ(Margaret McGredy)- 1927年 by 3世

オレンジまたはカーマイン・レッドのHT。サム3世の母(サム2世夫人)へ捧げられました。

前出のサム2世作出の‘ザ・クィーン・アレキサンドラ・ローズ’の実生から生じました。2色咲き品種が先祖返りしてオレンジ一色になったという印象です。現在、入手は難しくなっていますが、サム4世によって、オレンジや赤などの交配親として盛んに使われたバラです。

グレー・パール(Grey Pearl)- 1945年 by アンクル・ウォルター

バラ‘グレー・パール’
‘グレー・パール’ Photo/田中敏夫

ラベンダー色のバラの元品種となった不思議な色の品種です。‘グレー・パール’は1945年サム3世による作出と記録されていますが、3世死去から10年後の公表であり、当時農場を運営していたアンクル・ウォルターによって育種されたと考えるのが自然なように思います。

‘グレー・パール’についてはサム4世が詳しい記述を残していますので、ご紹介しましょう。

「われわれは苦労を重ね、一から別の青バラ(幻の青バラの話が伝えられています。後述します)の育種に取り組み、(ようやく)青灰色のバラを得た。それはグレー・パールとして戦争直前に公表された。それは変わったバラだった。農場ではマウス(鼠)と綽名をつけて呼んでいた…

この品種の価値に気づいたのはジーン・ボーナー(註)だった。

彼は1株を米国へ持ち帰り、この品種からラベンダー・ピノキオを育種した。あるアマチュアの婦人が実生種とピースとの交配により(最初のブルー・ローズとされる)スターリング・シルバーを育種したが、この無名の実生種はグレー・パールかもしくはその系統から生じたものだと思っている。

タンタウ(コルデスとならび賞されるドイツの育種農場)はスターリング・シルバーからブルー・ムーンを得ることができた。このようにして、すべてのラベンダー(色のバラ)がもたらされたのだと私は信じている」(“A Family of Roses”, Sam McGredy and Sea’n Jennett, 1971)

註:パパ・フロリバンダと呼ばれた米国J&P所属の育種家。精妙な花色の品種、とくにフロリバンダの育種に秀でていました。個人的にはひそかに”ハラハラ色の魔術師“と呼んでいます。

アンクル・ウォルターは、サム4世が20歳に達すると農場の運営を託し、引退しました。

サム・マクレディ4世の時代

サム・マクレディ4世(Samuel Darragh McGredy IV:1932-2019)

アンクル・ウォルターから農場を引き継いだサム4世は、故郷ポータダウンで20年ほど農場を運営した後、1972年、ニュージーランドへ本拠地を移して育種を続けました。ポータダウンでのバラ育種にはグリーン・ハウスが必須でしたが、ニュージーランドでは屋外での栽培が可能だったからというのが4世自身の説明です。

しかし、1960年代末の北アイルランドは、強権化を深める英国政府およびそれを支持するプロテスタント系住民と、両者に反発するカソリック系住民との間で流血にいたる闘争や爆弾によるテロなど、はげしい抗争が頻発した時代でした。ポータダウンはオレンジ・オーダー(the Orange Order)と呼ばれるプロテスタント、オレンジ・オーダー(註)が多く住む地域で、とりわけ対立が先鋭化した地域でした。

註:オランダのウィリアム3世、オレンジ公(1650-1702)からの伝統を受け継ぐプロテスタントの集団。

1971年3月11日、オレンジ・オーダーは毎年恒例となっている集会を開催した後、行進を開始しましたが、そのままカソリック系住民を襲撃する暴挙にいたりました。この事件から始まって30年近く、1998年のベルファースト合意(聖金曜日協定)と呼ばれる和平合意にいたるまで、ポータダウンは警察、英国軍、プロテスタント住民対IRA暫定派、カソリック住民による抗争が続き、多くの住民が死傷しました。

オレンジ・オーダーの行進
‘2011年、平和的に行われたオレンジ・オーダーの行進’ Photo/Ardfern [CC BY-SA3.0 via. Wikipedia Commons]
サム4世が、移住を決心した背景には、ザ・トラブルズ(The Troubles:”アイルランド問題”)と呼ばれたこの不穏な情勢を嫌ったためという一面もあったように思います。

サム4世が育種にあたってどんな考えで臨んだかは、1971年に公刊した彼の著作『バラ家族:“A Family of Roses”, Sam McGredy and Sea’n Jennett』から読み取ることができます。少し長いですが、引用してみます。

「生涯における私のバラについての考えは、庭師がどんな用途で、どんな色のバラ(ブッシュだったり、クライマー、ミニバラ)を買い求めるかに対応することだった。

わたしの考えは、ハイブリッド・ティー、フロリバンダというカテゴリーから離れ、バラを用途に応じてクラス分けすることだった。すなわち、ハウス・デコレーションとして、ガーデン・ディスプレイとして、展示用として、クライマーまたはランブラーとして、グラウンド・カバーや、グリーン・ハウス向けとしてだった」

こうした方針は生涯変わることはなかったように思います。大輪でビビッドなバラ、あるいは鮮やかなコントラストの覆輪種など、力感のある個性的な品種を数多く生み出しました。しかしながら、サム4世は3人の娘に恵まれたものの育種の後継者を得ることなく、2000年に一線から退き、2019年に死去しました。

それでは、サム4世による個性あふれる品種をご紹介しましょう。

サム・マクレディ4世のバラ<アイルランド時代>

エヴリン・フィソン(Evelyn Fison)- 1957年

バラ‘エヴリン・フィソン’
‘エヴリン・フィソン’ Photo/Stan Shebs [CC-BY-SA-3.0 via. Wikipedia Commons]
オープン・カップ型、鮮やかなスカーレットとなる花色。

スカーレットのフロリバンダ‘ムーラン・ルージュ(Moulin Rouge)’と、オレンジのフロリバンダ‘コロナ(Korona)’の交配によります。エヴリン・フィゾンは、サム4世の友人の妻とのこと。

アンクル・ウォルター(Uncle Walter)- 1959年

バラ アンクル・ウォルター(Uncle Walter)
‘アンクル・ウォルター’ Photo/Salicyna [CC BY-SA 4.0 via. Wikipedia Commons]
大輪、クリムゾンの花色、ときに400cmを越える大株となるクライマー。

サム3世急死ののち、農場を支えた義伯父アンクル・ウォルターに捧げられました。

コルデス作出のクリムゾンのHT‘デトロイター(Detroiter)’と、やはりコルデス作出のクライミング・フロリバンダ‘ハイデルベルグ(Heidelberg)’の交配による育種と記録されています。

バントリー・ベイ(Bantry Bay)- 1960年

バラ バントリー・ベイ(Bantry Bay)
‘バントリー・ベイ’ Photo/田中敏夫

大輪、オープン・カップ型。花弁数は多くはありませんが、中心部が大きく開いて、ちょうど皿を重ねたような花姿となるのがいかにも不思議です。明るいソフト・サーモン・ピンクの花色。

400cmを越えることもあるほど旺盛に枝を伸ばすクライマーです。

‘ニュー・ドーン(New Dawn)’とオレンジ・レッドのフロリバンダ‘コロナ’との交配により生み出されました。

アイルランドの景勝地、バントリー湾にちなんで名づけられました。サム4世はいくつかアイルランドの湾名にちなんだバラを公表しています。

ヘンデル(Händel)- 1960年

バラヘンデル(Händel)
‘ヘンデル’ Photo/Rudolf [CC BY-NC-SA 3.0 via. Rose Biblio]
開花時、高芯咲きであった花は次第に丸弁咲きの花形へと変化します。花色は、クリーム色をベースとした花弁、縁が深いピンクまたは赤に染まる覆輪。

この品種も大株となるクライマーです。枝ぶりは比較的柔らかめですので、いろいろな用途に使用できる汎用性の高い品種です。

クリーム色とピンクの覆輪となるフロリバンダ‘コロンバン(Columbine)’と、クリムゾンの‘ハイデルベルグ’との交配により生み出されました。

公表当時、画期的な覆輪のクライマーとしてセンセーションに近い賞賛を浴びましたが、今日でもそのユニークさは少しも衰えていないように思います。

ハイドン、モーツァルト、ベートーベンに影響を与えたドイツ・バロック音楽の巨匠である、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel:1685-1795)にちなんで命名されました。ドイツ人ですが英国で活躍し、没後はウェストミンスター寺院に葬られました。”詩人コーナー”と呼ばれる南回廊に詩人や作家たちとともに埋葬されています。

カジノ(Casino)- 1963年

バラ カジノ(Casino)
‘カジノ’ Photo/田中敏夫

大輪、カップ型、ロゼット咲きの重厚な花形となります。ライト・イエロー、多少濃淡がでたり、また、ときに一部の花弁にピンクが出ることもあります。

太めで硬い枝ぶりの大株となるクライマー。

米国ジーン・バーナーが育種したコーラル・ピンクのクライマー‘コーラル・ドーン(Coral Dawn)’と、同じく米国のハーバート・S・スミスが育種したイエローのHT‘バカニーヤ(Buccaneer:”海賊”)’の交配により生み出されました。

花弁が密集した大輪花、濃厚な香り。サム4世の面目躍如たる名品種です。

シティ・オブ・ベルファースト(City of Belfast)- 1968年

バラ シティ・オブ・ベルファースト
‘シティ・オブ・ベルファースト’ Photo/田中敏夫

中輪、房咲きとなるフロリバンダ。

鮮やかな、オレンジ・レッドの花色。非常に華やかで花壇のフォーカルポイントとなります。

横張りする傾向の強い、こぢんまりとしたブッシュとなります。

交配親については、以下のように公表されています。

種親:オレンジ・レッドのフロリバンダ‘エヴリン・フィソン’
花粉:無名の実生種(イエロー・ブレンドのフロリバンダ‘サーカス(Circus)’とオレンジ・レッドのフロリバンダ‘コロナ’との交配によるもの)

北アイルランドの都市ベルファーストにちなんで命名されました。

サム・マクレディ4世のバラ<ニュージーランド時代>

ダブリン・ベイ(Dublin Bay)- 1975年

バラダブリン・ベイ(Dublin Bay)
‘ダブリン・ベイ’ Photo/田中敏夫

中輪、房咲きとなる丸弁咲きの花。

あふれるように豊かなと表現したいクリムゾンの花色。クリムゾンの花色品種は褪色することが多いのですが、そんな欠点の改良をめざした育種したサム4世の自信作。

中型の比較的柔らかな枝ぶりのクライマー。

ダブリンはアイルランド東海岸に位置する首都、その前に広がる湾がダブリン・ベイです。

ピンクの美しいつるバラ‘バントリー・ベイ’と、深い赤のクライマー‘アルティシモ(Altisimo)’との交配により育種されました。

アイ・ペイント(Eye Paint)- 1975年

バラ アイ・ペイント(Eye Paint)
‘アイ・ペイント’ Photo/田中敏夫

中輪、シングルの平咲き、赤い花弁。花心が白く染まり、鮮やかなコントラストとなります。いかにもサム4世らしいフロリバンダです。

育種用の無名種と、赤・白の2色咲き(縞、花心だけ白などに変化)のフロリバンダ‘ピカソ(Picasso)’との交配により生み出されました。

世界バラ協会で殿堂入りしたメイアン農場育種の‘カクテル(Cocktail)’とよく似た品種です。

バラ‘カクテル’
‘カクテル’ Photo/田中敏夫

セクシー・レクシー(Sexy Rexy)-1982年

バラセクシー・レクシー(Sexy Rexy)
‘セクシー・レクシー’ Photo/田中敏夫

中輪または大輪、オープン・カップ型の丸弁咲き。花色は明るい、輝かしいサーモン・ピンクとなります。

多花性で、シーズンを通して返り咲きします。

小ぶりでこんもり茂るブッシュ。

ピンク・ブレンドのフロリバンダ‘シースプレイ(Seaspray)’と、オレンジ・ブレンドのフロリバンダ‘ドリーミング(Dreaming)’との交配により育種されました。

耐病性、耐寒性に優れた、よく返り咲く、完成度の高いフロリバンダです。

サム4世の親密な友人、レックス・(セクシー・レクシー)・ホッティン(Rex “Sexy Rexy” Hotchin)にちなんで命名されました。いったい、どんな人なのでしょう。

オールド・ポート(Old Port)- 1991年

バラオールド・ポート(Old Port)
‘オールド・ポート’ Photo/田中敏夫

大輪、丸弁咲き、ときにほとんどロゼット咲きになるといってよい花形となります。フロリバンダにクラス分けされていますが、オールドローズの風合いを色濃く漂わせています。

花色はピンクの要素が濃いクリムゾン。気候、温度条件などにより濃淡の出やすい色合いです。中型のブッシュ。

交配親について次のように公表されています。

種子:実生種(オレンジのミニバラ‘エニータイム(Anytime)’とレッド・ブレンドのフロリバンダ‘アイ・ペイント’との交配種)と、モーヴ(藤色)のフロリバンダ‘パープル・スプレンダー’との交配種(無名)
花粉:モーヴ(藤色)巨大輪のHT‘ビッグ・パープル(Big Purple)’

複雑な交配ですが、巨大輪の‘ビッグ・パープル’の性質を色濃く継いでいるように感じます。

「サム4世、渋いな~」とうならせる一品。

オレンジ・アンド・レモン(Oranges ‘n’ Lemons)- 1994年

バラオレンジ・アンド・レモン(Oranges 'n' Lemons)
‘オレンジ・アンド・レモン’ Photo/Salicyna [CC BY-SA 4.0 via. Wikipedia Commons]
中輪、丸弁咲き、花色はオレンジとイエローのストライプとなる華やかさ。

フロリバンダにクラス分けされていますが、250~350cm高さのクライマーとするほうが適切のように思います。

交配親は、

種子:オレンジ、イエローのフロリバンダ‘ニュー・イヤー(New Year)’
花粉:やはりオレンジのフロリバンダ‘アンブレラ(Umbrella)’

とされています。

華やかな品種の育種に定評のあるマクレディ4世の真骨頂を発揮した品種の一つ。じつは、この品種は‘パパゲーナ(Papagena)’という別名で呼ばれることもあります。

モーツァルトのオペラ『魔笛』に登場する愉快な鳥刺しはパパゲーノ(Papageno)。彼が愛する女性の名がパパゲーナ(Papagena)です。

第2幕、終幕近く、恋人を失ったと悲観して首を吊ろうとしているパパゲーノが魔法の鈴を鳴らすと、パパゲーナが現れます。「子供をおおぜい作るんだ!」とはしゃぎ回るふたりのデュエットは、ほんとうに愉快です。

マクレディ4世には、この品種以前に公表した赤白のストライプ種‘パパゲーノ(Papageno)’もあります。2品種並べて植え、オペラ『魔笛』で歌われるアリアを「パッ、パッ、パッ」と口ずさむのも楽しいかと思います。

パパゲーノ(Papageno)-1982年

バラパパゲーノ(Papageno)-1982年
‘パパゲーノ’ Photo/Anna reg [CC BY-SA 3.0 via. Wikipedia Commons]

以前からマクレディ4世が育種したバラは好きでした。豪快で繊細、やさしい男らしさが育種した品種から強く感じられたからです。

彼の著書『バラの家、“A Family of Roses”』(Sam McGredy & Seán Jennett, 1971)から、個人的に気に入った記述を少しご紹介して、終わりにしたいと思います。

「もし香りだけのために育種するなら、他の多くのこと(旺盛な生育、耐病性、持続性のある花色)を失うことになる…最近のプリマ・バレリーナ(Prima Ballerina by タンタウ)、スパルタン(Spartan by ジーン・ボーナー)はすばらしい性質を有し、しかも例外的に香るまれな例だが…」

「アマチュア・ガーデナーやバラ愛好家は香りこそが最も大切だと言うのが常だが、じっさいに購入する段になるとその信念に従って行動しない。ピース(Peace by メイヤン)とスーパースター(Super Star by タンタウ)は世界でもっとも売れ行きのよい品種だが、両品種とも強く香るわけではない…」

「年に3日ほどは天国にいる気分に浸れる。夏、バラの開花の季節に気候に恵まれ、(友であり育種家仲間である)ニールス・ポールセン(Niels Dines Poulsen:1919- 2003)やレイマー・コルデス(Reimer Kordes:1922-1997) がいっしょであれば…」

「失望と悔恨、それはもちろん有名な祖父の純青バラのことだ。(註)

おそらく、それは実際には深いラベンダー色だったのではないかと思うが、当時は今日みられるライラック・タイム、スターリング・シルバー、ブルー・ムーンやシルバー・スターといった品種の(成功)に思いが至らなかったのだと思われる」.

註:4世の祖父サム2世は偶然、純粋な青バラを実生種のなかに見出したが、それを廃棄してしまったという言い伝えがある。

Credit

田中敏夫

写真&文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたいという思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

Print Friendly, PDF & Email