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【バラ物語】オールドローズ最古の由来を持つガリカ

【バラ物語】オールドローズ最古の由来を持つガリカ

花の女王と称され、世界中で愛されているバラ。数多くの魅力的な品種には、それぞれ誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りするこの連載で今回取り上げるのは、最古のオールドローズ、ガリカ。バラ育種の源流であり、古くから愛されてきたガリカの辿ってきた道のりや数多の品種を、写真とともに紐解きます。

オールドローズの源流 ガリカの辿ってきた道筋

バラ園
6月の中之条ガーデン。Photo/田中敏夫

春、庭を彩る美しいオールドローズ。その中にあって、ガリカは系統上では最も古いものであり、ダマスクやアルバ、モスなどよりも先に生み出され、その後のバラ育種の源流となったことは、改めて言うまでもないことかもしれません。

しかし、これも以前に言及していることですが、ヨーロッパにおいて、18世紀の終わり頃から人々に深く愛されるようになった最初のバラは、ガリカではなく、多弁の花を持つケンティフォリアでした。明るいピンクの花色がほとんどであったケンティフォリアに、赤やパープルの花色を持つガリカが多弁化して加わったことも過去にご紹介しました。

今回は、ケンティフォリアがベルギーやオランダからもたらされる以前、主に薬用として利用されていた古い由来のガリカについて改めて整理してみました。

以前の記事、『オールドローズ~黎明期の育種家たち』と『ヴィベール~もっとも偉大な育種家』で品種解説した内容と重なる部分がありますが、ガリカの育種史を辿ってゆくとき、どうしても解説が重なってしまいがちです。ご容赦ください。

ケンティフォリア到来前のガリカ~クリムゾンとバーガンディ/パープルの時代

13世紀、十字軍の帰還に伴ってヨーロッパにもたらされたガリカでしたが、その当時は、渋みのあるクリムゾン、あるいはバーガンディやパープルの花色でした。

アポシカリーズ・ローズ(Apothecary’s Rose)/ ロサ・ガリカ・オフィキナリス(Rosa gallica officinalis)

アポシカリーズローズ
Photo/田中敏夫

1241年、フランスのシャンパーニュ伯が、ティボー4世率いる十字軍の遠征を終え、エルサレムから故国へ向かう帰途で、ダマスキナ(Damascina)と呼ばれるバラを持ち帰ったと伝えられていますが、そのダマスキナは名前から容易に連想されるダマスクではなく、このアポシカリー・ローズ(“薬剤師のバラ”:英語)であったといわれています。

1759年、植物分類学の父と呼ばれるカール・フォン・リンネは、フランスから送られてきたこのバラのサンプルに、ロサ・ガリカ(ガリカはフランスの古名)と命名しました。サンプルはシングル咲きではなく、ダブル咲きのものだったので、このアポシカリー・ローズが原種として登録されたようです。

命名のときに使われたと思われる標本は、「リンネ・コレクション(652.26)」として英国のリンネ協会に保管されています(“LINN 652.26 Rosa gallica (Herb Linn), http://linnean-online.org/4815/)。

このアポシカリー・ローズ、つまりロサ・ガリカ・オフィキナリス(“薬剤師のガリカ”:ラテン語)は、英国において薔薇戦争が繰り広げられた際にランカスター家の象徴として用いられたことから、「レッド・ローズ・オブ・ランカスター」という別名でも呼ばれています。

コンディトルム(Conditorum)

コンディトルム
Photo/田中敏夫

1866年に「コンディトルム」(“創設者”)と改めて命名され、市場へ提供されましたが、はるか以前からさまざまな名称で知られていた品種です。アポシカリー・ローズよりも大輪で香り高く、株丈もより大きくなります。

1588年に刊行されたドイツのヨアヒム・カメラリウス(Joachim Camerarius)の著作”Hortus medicus et philosophicus”でズッカーローゼン(Zuckerrosen:”甘いバラ”)と記述されているバラはこの品種ではないか、また1656年に公刊されたイングランドの医師・植物学者であったジョン・パーキンソン(John Parkinson)の著作”Paradisi in sole paradisus terrestis”の中で述べているロサ・ハンガリカ(Rosa Hangarica:”ハンガリアン・ローズ”)はこの品種のことだろうとされています。

The Hungrian Rose
‘The Hungarian Rose’-左最下部( “Paradisi in sole paradisus terrestis” 、1656)[Public Domain via BHL]

ハンガリアン・ローズと呼ばれるのは、このバラが16世紀初めのオスマン帝国によるアナトリア侵攻の際にもたらされたからではないかという解説も見受けられます。

トスカニー(Tuscany)

トスカニー
Photo/田中敏夫

この品種は、非常に古いという説と、19世紀の前半に市場に出てきたという説があり、よく分かっていません。

有力な説は2つです。

1つは、英国のジョン・ジェラルド(John Gerard)が1597年に公刊した”Herball, Generall Historie of Plants”に”The old velvet Rose”と記載された品種が、このトスカニーであるという説。もう1つが、1820年、シデンハム・エドワード(Sydenham Edwards)が公刊した園芸誌”The Botanical Register: Consisting of Coloured Figures of Exotic Plants Cultivated in British Gardens”に記載された”The Double Velvet Rose”こそが、現在‘トスカニー’として流通している品種だという説です。

個人的には、花形や樹形などに非常に由来が古いという印象を抱いています。16世紀にはあったと考えてもいいのではないでしょうか。

The Veluet Rose
‘The Velvet Rose’ “The haerball, or, Generall historie of plantes p.1266”, John Gerard 1596, [Public Domain via BHL(Biodiversity Heritage Library)]

トスカニー・サパーブ(Tuscany Superb)

トスカニー・サパーブ
Photo/田中敏夫

1837年以前、イングランドのウィリアム・ポール(William Paul)により見いだされ、市場に公表されたといわれています。「トスカニー・サパーブ」は「トスカニーを超えるもの」という意味になります。

‘トスカニー’とは大きな違いはないのですが、あえて比較すると、花色は、‘トスカニー’は赤みを含んだバーガンディ気味なのに対し、この‘トスカニー・サパーブ’はパープル気味、香りは‘トスカニー・サパーブ’のほうが強めといったところでしょうか。

シャルル・ド・ミユ(Charles de Mills)

シャルル・ド・ミユ(Charles de Mills)
Photo/Rudolf [CC BY SA-3.0 via Rose-Biblio]

1746年にはその存在が知られていたなど、古い由来の品種であるため詳細は明らかではありませんが、米国のバラ研究家、スザンヌ・ヴェリエール(Suzanne Verrier)によれば、この品種はドイツで育種され、当初はCharles Willsと呼ばれていたものが、フランスで流通する際にフランス風にシャルル・ド・ミユと呼ばれるように変化したのだということです(“Rosa Gallica”)。

よく整ったクォーター咲きの花。ガリカの中でも最も深いとされるカーマインの花色。最も完成されたガリカという高い評価も得ています。「すべてのバラのなかで最も素晴らしい花を咲かせるものの一つだ… (Roger Phillips & Martyn Rix, “Best Roses Guide”)」とまで評されています。

「ビザール・トリオンフォント(Bizarre Triomphante)」という別称で呼ばれることが多くなりつつありますが、これはジョワイオ教授によるこの品種の由来を精査した結果の主張に同意するものがあるのでしょう。解説の抜粋は次のようなものです。

「…現在、‘シャルル・ド・ミユ’という名前で市場に出回っている、このもっとも美しいガリカの1品種は、1790年以前に遡ることができる。というのは、その年に発行されたフランソワのカタログに記載されているからだが、1803年のデスメのカタログにも記載されているし、マルメゾン宮殿に植栽されていたことも知られている。…

アルディ(ティレリー宮の庭園丁)は、この品種はオランダで育種され、デュポン(マルメゾン庭園のアドバイザー)によって(フランスへ)紹介されたと記述している。
…‘シャルル・ド・ミユ’という品種名は、1836年以前には現れていない。おそらく、1840年以前にはその名前では呼ばれていなかったのだろう。ロワズロ=デスロンチャムは1844年、イングランド人ミルズのイタリアン・パーゴラは旺盛に成長したチャイナ・ローズでカバーされていて有名であったことに言及している。
…この名前(”Chales Mills”)がビザーレ・トリオンフォン(Bizarre Triomphant)に変わってしまったのだろうか?
…この品種は、シャルル・ド・ミユではなく、グラブロー(ロズレ・デ・ライの創設者)が呼んだとおり、ビザーレ・トリオンフォンと呼ばれるべきだろう」(”La Rose de France”)

多弁化(ケンティフォリア化)したガリカの出現~ピンクの花色も加わる

この記事の冒頭で触れましたが、18世紀末頃から、オランダ、ベルギーからケンティフォリアがフランスにもたらされ、王侯貴族の間で深く愛されるようになりました。ケンティフォリアの人気を追いかけるように、ドイツからケンティフォリアのように大輪・多弁化したガリカがもたらされました。

これらのガリカをもたらしたのは、ドイツのヴァイセンシュタイン城の庭園丁であったダニエル・A・シュヴァルツコフです。育種された品種は葉、茎、株姿などにガリカ特有の特徴があり、ケンティフォリアとは一線を画す品種でした。

ヴァイセンシュタイン城
‘ヴァイセンシュタイン城(1740年頃?)’ Ilustrait/Johann August Corvinus [Public Domain via Wikimedia Commons]

今日でも、シュヴァルツコフが育種した品種をいくつか目にすることができます。よくもまあここまで成し遂げたものだと、感嘆せざるを得ないほどの高い完成度です。

 ベル・サン・フラットリ(Belle sans flatterie)

 ベル・サン・フラットリ(Belle sans flatterie)
Photo/Krzysztof Ziarnek, Kenraiz [CC BY SA4.0 via Wikimedia Commons]

「ベル・サン・フラットリ」とは「お世辞抜きの“美”」といった意味。1783年以前にシュヴァルツコフにより育種されたというのが最近の見解です。

香り高く、極大輪、ライト・ピンクのロゼット咲きとなる見事なガリカです。ライト・ピンクに花開く最も初期のガリカで、今日でも最良のピンク・ガリカの一つだと言っていいのではないかと思います。

繰り返しになりますが、この品種の完成度の高さは驚くべきレベルに達しており、フランスのデスメやヴィベールなどが熱心に育種に取り組みながらも、同じレベルに達するには40年から50年もかかってしまったという印象を持っています。

最新のゲノム検査の結果によると、この‘ベル・サン・フラットリ’は、アポシカリー・ローズの配列と酷似しているとのことです。中輪、25弁ほどの赤いバラであるアポシカリー・ローズと、この‘ベル・サン・フラットリ’が、同じ遺伝子から生み出されているというのも、また信じがたいことです。

エイマブル・ルージュ(Aimable Rouge)

エイマブル・ルージュ(Aimable Rouge)
Photo/Rudolf [CC BY SA-3.0 via Rose Biblio]

この品種も、1783年以前にシュヴァルツコフにより育種されました。‘エイマブル・ルージュ’(“親しみのある赤”)という品種名は、1818年頃、園芸植物の販売業者であったルイ・ノワゼット(ノワゼットの生みの親であるフィリップ・ノワゼットの実兄)が市場へ提供するときに命名したようです。

しかし、この品種についての古い記述では、ピンクで花弁縁が白く色抜けすると書かれていることなどから、ジョワイオ教授などは、オリジナルの品種はすでに失われてしまい、今日見られるものは、1819年、ヴィベールにより同名の品種名で市場に出回るようになったものではないかと解説しています(“La Rose de France”、1998)。

マントー・プープル(Manteau Pourpre)

マントー・プープル(Manteau Pourpre)
Photo/Rudolf [CC BY SA-3.0 via Rose Biblio]

‘マントー・プープル’(紫の外套)と命名されたこの品種も、1783年以前にシュヴァルツコフにより育種されたとされています。

これら‘ベル・サン・フラットリ’ ‘エイマブル・ルージュ’および‘マントー・プープル’といった品種は、今では失われてしまった他の品種とともに、18世紀の末にオランダ、ベルギーなどを通じてフランスへ輸出されてゆきました。それまで、ガリカ・オフィキナリスや‘トスカニー’など、中輪のガリカしか知らなかった王妃や貴婦人たちは、このケンティフォリアと競うほどの美しいガリカを見て、さぞ驚いたことだろうと思います。

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