埼玉県川越市は、今や国内外から年間780万人が訪れる一大観光地──。蔵造りの町並みが続き、江戸時代さながらの情緒が漂う市中心部の一番街は、連日たくさんの人でにぎわっています。一方、市の南部には総面積約200万㎡の広大な森があります。林床に四季折々の植物が生い茂り、樹上では野鳥たちが鳴き交わす大きな森。かつての武蔵野の面影を残すこの森をこよなく愛し、散歩を日課とする二方満里子さん。初夏の森に咲く白い花をご紹介します。
目次
ヤマタズ(ニワトコ)

うらうらと暖かい日差しを浴びて農道を歩いていると、このコロナ禍のあれこれ鬱陶しい気分がだんだん鎮まっていく。ついでにマスクも取って、深呼吸。
ああ、いい気持ち!
すると、森と畑の境のよく日の当たるところにある、2~3mくらいの木に目が留まった。白い大きな花房をいくつもつけている。花房は10cmくらいはあるだろうか。3〜5mmほどの小さな白い5弁の花が多数集まっている。花の中心の赤紫色は雌シベ、中心から突き出ている5本の黄色の棒状のものは雄シベだろう。小さいけれど精巧なつくりに見とれる。
さて、この木の名前は何?
分からないままに数週間が過ぎてしまったが、偶然に判明した。
スイカズラを調べている時、スイカズラ科ヤマタズの花の写真が、名前が分からないままになっていた白い花房にそっくりだったのである。
現在の分類ではスイカズラ科ではなく、レンプクソウ科。ヤマタズは万葉集に出てくる古名。現在の和名はニワトコ、漢字では接骨木と表記する。
日本全国及び朝鮮半島、中国に分布。山野の林辺に自生するが、栽培もされているという。「接骨木」と表記されるのは、枝や幹を煎じて煮詰めたものを骨折の治療の際の湿布剤に用いたためだそうだ。
また、さまざまな薬効があり、古来より葉、枝、幹、花、果実にいたる全草が利用されてきたということも分かった。
ふ〜ん、そうなんだ。しかし、今の私の暮らしの中で「ヤマタズ」はむろんのこと、「ニワトコ」ですら初めて聞く名前だ。まして、それを服用したことなどないだろう。

しかし、しかし、ニワトコの英名が「Japanese red elder」と知って、ニワトコジュースを飲んだことがあるのを思い出した。正確にいえば、セイヨウニワトコの「elder juice(エルダージュース)」である。
10年前の6月半ば、私はイギリスガーデンツアーに参加した。ある邸宅のバラと宿根草であふれた華麗な庭を堪能した日本人たちを前に、その家の家政婦さんと思われる婦人が言った。
「さあ、皆さん。これは当家自家製のエルダージュースです。これを飲むと健康になりますよ!」
彼女はにこやかに、誇らかに私たちにエルダージュースを勧めた。
味はどんなだったか? 10年の時の彼方に記憶が薄れてしまったが、淡く、樹の香りがしたように思う。
添乗員さんの解説によれば、その屋敷の周りの森に生育しているセイヨウニワトコの花を砂糖と煮て作ったそうである。
イギリスのセイヨウニワトコの実は、日本の赤い実とは違い黒い色をしている。薬効は広く知られていて、花を砂糖と煮たシロップが風邪やアレルギー症状の緩和に利用されているそうだ。
今では、日本にも「エルダーフラワーシロップ」が輸入されている。
今度、通販で購入して10年ぶりの味に再会してみようか。

エゴノキ

エゴノキの白い花はこの森ではよく見るが、そのたびに「美しい!」と感嘆してしまう。
まず、花のつき方が豪勢だ。枝いっぱいにびっしりと小さな鈴のような花を下向きに咲かせる。3cmほどの5弁の白い花の中心に明るい黄色の雄シベをのぞかせ、風に揺れていると、リンリンという音が聞こえてくるような気がする。そして咲いた形のまま、クルクル回りながら落花していく様は、なんとも可愛らしい。
エゴノキは日本及び朝鮮半島、中国に自生する落葉小高木。果実を口に入れると喉や舌を刺激してえぐい(エゴい)ことから、「エゴノキ」と命名されたという。
美しい花に比して、無粋な名前だと思っていたところ、英名で「Japanese snowbell」と呼ばれていることを知った。英名のほうがずっといい。花の様子にぴったり。これからは、「Japanese snowbell」と呼ぶことにしよう。
秋になると、緑のさくらんぼうのような実をつける。その時に数粒もらってすりつぶし石鹸のように泡が立つかどうか確かめたい。エゴノキ にはエゴサポニンが含まれていて、昔は洗濯石鹸の代用にしたといわれているから。
スイカズラ

今日は曇り空。
今年は梅雨の訪れが例年より早く、沖縄や九州地方では3週間も早かったというニュースが流れている。関東地方ももう梅雨入りしたのだろうか。
最近は「梅雨入り宣言」とか「梅雨明け宣言」とか言わずに、「梅雨に入ったと思われる」という言葉が気象庁から発表されるので、なんだか肩透かしを食ったような気分になることがある。
ぶらぶら森の散歩を始めると、微かな甘い香り。白い花弁をくるりと上下に反り返らせ、中から雄シベと雌シベが飛び出ている独特の姿の花がたくさん咲いている。
スイカズラだ。花を取って口に含むと、甘い。細長い花の奥に蜜があり、かつて子どもが好んでこれを吸ったという。それでスイカズラと呼ばれている。
別名はニンドウ(忍冬)。冬季、葉が落ちずに丸くなって寒さに耐えている様子から、この名が付けられた。
日本全国の他、朝鮮半島、中国など東アジアに分布。つる性の低木だが、他の木に絡みついて驚くほど高く這い上っている姿を見たことがある。電信柱をよじ登っているたくましい姿も目にした。
花は、葉腋から2個並んで咲く。夕方から朝まで甘い香りを漂わせる。最初は微かに爽やかな香り。夜がふけるにつれ、濃厚な甘さになる。若い恋人たちにふさわしい香り!
そんな香りとたくましい蔓の様子から、花言葉は「愛の絆」と「友愛」である。
熊井明子氏の著書『シェイクスピアの香り』によれば、『夏の夜の夢』にもスイカズラの花が登場する。『夏の夜の夢』は、妖精の世界と人間界が入り乱れる幻想的なラブ・ロマンス。妖精パックが大活躍し、恋人たちを仲違いさせたり、またくっつけたりする陽気なおとぎ話風の喜劇である。
パックが仕える妖精王のお妃様のベッドの天蓋は、スイカズラ(英名ハニーサックル)と野バラが絡み合ってできたものという記述がある。2つの花の香りが優しく混ざり合い、さぞかしうっとりする魅惑的なかぐわしさだったことだろう。

現在スイカズラから香り成分を抽出して、香水やアロマオイルが作られていることを知り、エッセンシャルオイルをネットで注文してみた。
去年、我が家の金木犀の花でポプリを作ったことがある。金木犀の香りを浴びてお風呂に入ったらどんなに気持ちがいいだろう。それを想像して、2時間もかかって枝から小さな金色の花を取り続けた。ガラスの小瓶に金木犀の花と塩を交互に詰めて、待つこと2週間。出来上がって、お風呂に入れたら、いい香りはしたが、金木犀の香りとは違っていた。だから、アロマオイルのスイカズラの香りも実際の花の香りと同じか、違うかを知りたかったのだ。
爽やかな優しい甘い香りか?
濃厚でクラクラするようなセクシーな香りか?
ネットで注文すると、あっという間に届く。次の日届いたのは、しかし、エッセンシャルオイルではなかった。
「フラワーレメディ」に使う、ちっちゃな小瓶だった。エッセンシャルオイルを注文したつもりが、隣に紹介されていたフラワーレメディを注文してしまったらしい。
フラワーレメディとは聞いたことがない名称。添付の説明書によれば、イギリスのバッチ博士が考案した花や草木から作られた、癒やしのシステム。花の持つエネルギーが心の歪みを整えてくれるそうだ。1日数回、2~3滴を飲み物に入れて飲むとよいという。にわかには信じ難いが、英国大使館推薦文なるものもついている。
説明書によると、ハニーサックルは「過去の思い出に囚われる」人が「今に気持ちを向けられる」ようになる効能があるそうだ。
試してみたら、全く香りがせず、なんの味もしない。文字どおりの無味無臭なのに拍子抜けしてしまった。
それにしても、「思い出に囚われる」特別な過去など私にあっただろうか?
にわかには思い至らないので、今後の服用を続けるかどうか、思案中である。
註 シェイクスピアの『夏の夜の夢』に登場するハニーサックルは、ヨーロッパ、西アジア、北アフリカ原産のスイカズラ科のつる性植物。日本に自生するスイカズラと姿も香りもほとんど変わらない。
ガマズミ

秋の陽に輝く真っ赤な宝石のような小さな実をぎっしりつけるガマズミ。ガマズミは5月から6月にかけて、白い小さな花が集まった集合花序をつける。5mmほどの5片の花から5本の雄シベを長く突き出しているので、全体がフワフワした白い円盤状の塊に見える。
この森でガマズミの存在を知ったのは、秋。真っ赤な実を見てからだ。白い花と赤い実が結びついたのは近年である。白い花には香りがないと思っていたが、じつは虫を呼び寄せる匂いがあった。虫にとっては媚薬のような独特の香りで、たくさんの虫を誘惑しているという記述(「樹木シリーズ45 ガマズミ、ミヤマガマズミ あきた森づくり活動」より)を目にした。虫は、花と実の仲人。香りは、秋の実りに重要な役割を果たしていたのだ。
どうりで、ガマズミは秋の実のつき方が大変いい。
私は、白いクサイチゴの花が思い浮かんだ。草藪に点々と咲く結構な数の花を見つけて、今年こそはと実を期待するものの、たいてい期待外れに終わってしまう。
なぜだろう? その理由は、もしかして香りの欠如だったのではあるまいか?
小鳥の贈り物

ウグイスカグラの実は、茂った葉の陰に隠れていてなかなか目につかない。が、一度見つけてしまうと次々に見つかる。1cmくらいの透き通った赤い実だ。ひとついただいて味わってみる。さらっとしたクセのない甘味。口に残った種を遠くに飛ばす。なんだか小鳥になった気分。
小鳥がついばんだ実の種が森のあちこちに散らばり、やがて芽吹いてまた花や実をつける。ウグイスカグラやマンリョウなどは、こうしてこの森で増えていくのだろう。
樹上から「ツツピー、ツツピー」と、澄んだシジュウカラの声が降ってきた。
しばらくこの天界からの音楽の贈り物に耳を傾け、心満ちて帰路についた。
Credit
写真&文/二方満里子(ふたかたまりこ)
早稲田大学文学部国文科卒業。CM制作会社勤務、専業主婦を経て、現在は日本語学校教師。主に東南アジアや中国からの語学研修生に日本語を教えている。趣味はガーデニング、植物観察、フィギュアスケート観戦。
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