えんどう・ひろこ/東京出身。慶應義塾大学卒業後、エコール・デュ・ルーヴルで美術史を学ぶ。長年の美術展プロデュース業の後、庭園の世界に魅せられてヴェルサイユ国立高等造園学校及びパリ第一大学歴史文化財庭園修士コースを修了。美と歴史、そして自然豊かなビオ大国フランスから、ガーデン案内&ガーデニング事情をお届けします。田舎で計画中のナチュラリスティック・ガーデン便りもそのうちに。2026年10月14日に初めての著書『名画の庭 拡大でみる60の庭園文化事典』(創元社)を発売。
遠藤浩子 -フランス在住/庭園文化研究家-
えんどう・ひろこ/東京出身。慶應義塾大学卒業後、エコール・デュ・ルーヴルで美術史を学ぶ。長年の美術展プロデュース業の後、庭園の世界に魅せられてヴェルサイユ国立高等造園学校及びパリ第一大学歴史文化財庭園修士コースを修了。美と歴史、そして自然豊かなビオ大国フランスから、ガーデン案内&ガーデニング事情をお届けします。田舎で計画中のナチュラリスティック・ガーデン便りもそのうちに。2026年10月14日に初めての著書『名画の庭 拡大でみる60の庭園文化事典』(創元社)を発売。
遠藤浩子 -フランス在住/庭園文化研究家-の記事
-
ガーデン

「まるで地上のエデン」ヨーロッパ最古の王宮庭園へ! 南スペインの美しき世界遺産と絶景邸宅
歴史と美が交差する、セビーリャ庭めぐり 前編(アドレス入れる)では、バイオマス発電にも活用される名物の街路樹オレンジや初夏を彩る青紫色のジャカランダ、さらには歴史と緑が織りなすセビリア大聖堂やマリア=ルイサ公園の魅力をご案内しました。セビーリャの庭めぐり後半は、街の中心に鎮座する壮麗極まる「アルカサル王宮」の庭園と、歴史地区にたたずむ貴族の邸宅「カサ・デ・ピラト」へご案内します。 アルカサル王宮庭園 アルカサル王宮と庭園は、ヨーロッパ中世期のイスラム王朝時代に最初に建設された王宮と庭園。歴史とともに絶え間ない変貌を重ねた、特にスペイン特有のイスラム建築とキリスト教建築の融合であるムハデル様式の代表例であるとともに、ヨーロッパ最古の王宮と庭園として、ユネスコ世界遺産にもなっています。 全体面積の4/5を占める約6万㎡の庭園は、多数の池や水路、噴水や園亭などで構成され、180種類、2万本を超える植物が植えられた花と緑の豊かな空間です。庭園の一角では、「ゲーム・オブ・スローンズ」のエピソードの幾つかの撮影も行われたのだそうで、確かに、独特の世界観を感じることができます。 アルカサル王宮庭園の略史 玄関アプローチ。 庭園の基礎は、10世紀アルモハド朝のイスラム支配下で作られました。水路や噴水などの水施設と対称的なデザイン、植物を主要な要素とするイスラムの庭園建築の伝統に則った建物の中庭(パティオ)や、果樹園が設けられ、果樹や豊かな香りの花々が栽培されていたと言われます。 13世紀のレコンキスタにより、キリスト教国であるカスティーリャ王国の支配下に入り、既存のイスラム様式に加えて、ゴシック様式やロマネスク様式の要素が加わったムハデル様式、さらに後の時代には、ルネサンス様式、バロック様式などの影響を色濃く受け、歴史の変遷の軌跡を示す多様なデザインが融合した庭園へと発展していきます。 色とりどりの香り高い花々と果樹 「詩人の庭」のバラの風景。 現在のアルカサル王宮の正門プエルタ・デル・レオン(獅子門)から王宮前庭へと入っていくと、まず来訪者を迎えるのはバラの香り。私が訪れた5月初め、南欧ではバラの盛期は過ぎているはずでしたが、通路脇のわずかな咲き残りのバラからでも感じられる香りが印象的でした。季節によってはオレンジの花の香りやジャスミンの香りが庭園を満たすことでしょう。 オレンジが実をつけるころ。Anastasiia Bogdanova/Shutterstock.com いくつものパティオ(中庭)や大小の庭園で構成される広大な庭園内には、バラばかりでなくジャスミンやスイカズラ、ラベンダー、ローズマリー、月桂樹やマートルなど香り高い花やハーブ、またブーゲンビリア、キョウチクトウ、ジャカランダ、フジやアカシアといった花木やナツメヤシ、ワシントンヤシなど南欧らしさが溢れる植物とともに、イチジク、カリン、オレンジ、レモンなどの果樹が豊富に植えられています。 パティオ(中庭)と大庭園 パティオ・デ・ラス・ドンセラス。 小庭園と出入り口タイル模様。 ムハデル様式の宮殿内のパティオ・デ・ラス・ドンセラスは、アラベスク模様のアーチの壮麗な回廊に囲まれた、左右対称・幾何学形の中心の細長い池をオレンジの木々が整然と囲む空間。21世紀に入ってからの考古学調査と修復工事により、オリジナルに基づいた形に修復された中庭の、建物に沿って連なる小さな庭を、それぞれを区切るフレスコやタイルで装飾された壁を通って散策していくと、いつの間にか大きな庭園空間に出ます。 中庭からアクセスできるセビリアの王宮、マリア・デ・パディーリャの浴場。水面に映るアーチが美しい。 ロッジアからの眺め。 パーゴラをつる植物が覆うひと休みのための緑陰、グロリエタ。 17世紀に庭園を見渡せるようにと改装されたロッジア(開廊)からの、緑溢れる大庭園の眺めはまさに壮観。刈り込まれた緑で整然と仕切られた庭園には、ナツメヤシが伸び、池があったり、スペイン語でグロリエタ(glorieta)と呼ばれるベンチが置かれた円形の寛ぎ空間、16世紀につくられたというシャルル5世のパビリオン、また少し離れた場所には迷宮庭園など、庭園の長い歴史を感じさせるさまざまな要素が見られます。 また同時に、暖かな土地ならではの植物が繁茂し、水の音や鳥のさえずりが聞こえる静かで平和な空間が広がり、街の喧騒をすっかり忘れてリラックスできる場所でもあります。今もそうであるように、昔々にも、この庭は地上のエデンの園のような存在だったに違いなかろうと感じられます。 カサ・デ・ピラト、貴族の邸宅庭園 アーチに囲まれたパティオ。 16世紀、イベリア半島と新大陸との貿易を一手に担う専用港を持ち、繁栄を極めたセビーリャの街には、多くの貴族の邸宅がありましたが、現在に残るものはそう多くはありません。15世紀から16世紀に建てられた名門貴族エンリケス家の邸宅、カサ・デ・ピラト(ピラトの家)は、ムハデル様式、そしてゴシック様式、ルネサンス様式が幾つかのパティオと庭園を囲むように組み合わされた、中世からルネサンス期に至る時期の典型的な建築と庭園のスタイルを現在も見ることができる、貴重な歴史的建築のひとつです。邸宅ならではの、豪華ながらもこぢんまりとしたサイズ感が魅力的です。 パティオの中心と回廊。 中央に噴水の水盤がある、ルネサンス様式のアーチに囲まれたパティオ(中庭)には、要所要所にルネサンス風の彫像や胸像が飾られるとともに、ムハデル様式が融合した、アラベスク紋様や、彩色タイル(アズレージョ)の壁面装飾が、独特のアンダルシア風の美的な空間を創出しています。 日差しの強い午後でも、回廊の日陰には心地よく座ることができます。ここでは、建物の中と外が繋がり風が通り、またアーチ越に庭の緑が垣間見えたりと、建築と緑を繋ぐ点でも、パティオの存在は重要なのが実感できます。 庭園の様子。 アンダルシアの庭を飾る水と花々 庭園の様子。 建築物の延長のように幾何学的な形で池を中心に、刈り込まれた植込みや植木、花の植栽で対称的に構成された庭には、王宮の庭園にも見られたオレンジの木や多種多様なバラ、ジャスミン、ローズマリーやラベンダー、ゼラニウムなど、香り高い地中海植物たちが植えられています。庭園を飾るのは古代風のルネサンス彫刻で、イタリア的な要素を交えながらも、強い日差しに映えるカラフルな花々はまさにアンダルシアらしい庭の雰囲気を醸し出しています。 イスラム庭園の伝統を引き継ぐセビーリャの庭園には、天国の豊かさや平和、生命、豊穣といった象徴性が息づいています。涼を運ぶ水や、オレンジの木やバラなどの花々の芳香、豊かな緑と色彩は、視覚だけでなく嗅覚や触覚など、多様な感覚を楽しませてくれます。セビーリャの庭園の多様な魅力の一端を発見していただけたら嬉しいです。 スタンダード仕立ての黄色のバラも、南欧の光によく映える。
-
ガーデン

街路樹のオレンジで発電⁉︎ 南スペインの古都セビーリャで出会った「美しき庭園と街づくり」
スペインの古都、街路樹はオレンジの木 スペイン南部、アンダルシア地方はヨーロッパの中でも太陽でいっぱいの温暖な気候に恵まれた土地。セビーリャの街を訪れた5月初旬はすでに初夏の陽気でした。17世紀、ルイ14世は、当時は貴重品だった庭園のオレンジの木を、フランスの冬の寒さから守るためにオランジュリーを作らせました。年間を通して温暖なセビーリャでは、そのオレンジなどの柑橘類が街路樹として植えられていて、南欧らしい雰囲気が素敵です。 街の中心に位置するセビリア大聖堂のコートヤードを埋めるのも、やはりオレンジの木。オレンジの木は日差しや乾燥に強い常緑樹で、春咲く花には芳醇な芳香があります。夏には緑陰を作り、オレンジ色の実もアクセントになります。またスペインやイタリアでは、オレンジの木は豊穣や幸福の象徴ともされていて、庭園や街の中のそこかしこで見ることができます。 セビーリャの街とセビリア大聖堂 セビリア大聖堂は、ローマ、バチカンの聖ピエトロ大聖堂を除き、ヨーロッパで一番大きなカテドラルで、中には新大陸の発見者コロンブスの墓などもあります。カテドラル建築にしてはちょっと不思議な形をしているのですが、じつはモスクだった建物がカテドラルに改修されたもの。セビーリャを一望するヒラルダの塔もモスクのミナレット(尖塔)だった部分だそう。 すべて破壊して作り直すのではなく、すでに造られていた優れた建造物を利用する、それが独特のデザインを創る面白さがあります。イスラム文化圏であったのちに、13世紀のレコンキスタでカスティーリャ王国となり、16世紀から17世紀にかけては、スペインで一番人口の多い都市であったこともあるセビーリャ。イスラム文化とヨーロッパ文化の交わる古都であったゆえに、建築的にも庭園的にも見所がたくさんあるのです。 大聖堂から、セビーリャの街の眺め。 ちなみにの街路樹のオレンジは苦すぎて食用には適さないため、冬には大量に実った果実の処理が問題になるほどだそうです。一部はグランマルニエ、コアントローやマーマレードに加工されたり、また近年では、市営の下水処理場のテクノロジーを活用し、街のサスティナビリティ、循環型経済の一環として、不要なオレンジの果実からメタンガスを抽出、グリーン電力を作り出すプロジェクトが行われているのだとか。 スペインの古都のジャカランダの花々 さて、5月から6月の時期に見事なのが、青紫色のジャカランダの花々。セビリア大聖堂のヒラルダの塔から眺めた街の所々にある青紫色は、ジャカランダの花。年間を通じての温暖な気候が必要なため、日本では静岡・宮崎・長崎などで近年、街路樹に採用されはじめた花木ですが、5~6月の開花シーズンに満開の青紫色の花で覆われた姿はじつに見事。ぜひ一度は見てほしい花風景です。 スペイン広場とマリア=ルイサ公園 セビーリャの街の中心的なランドマークの一つであるスペイン広場は、1929年のイベロアメリカ博覧会の際につくられた場所です。長い運河の水景を前に、イスラム様式の影響がヨーロッパ・ルネサンス様式に融合して生まれたムハデル様式に特徴的な、レンガ造りやアーチのデザインにタイル装飾、木工細工などが多用された半円形の曲線の美しい建物。 隣のマリア=ルイサ公園(34ha)は、元はスペイン王室所有だった地所が、1914年に都市公園となり、イベロアメリカ博覧会の機会に会場の一部ともなるべく、大幅に改修・拡張されたものです。設計は、パリのバガテル公園のバラ園なども作ったフランスの造園家ジャン=クロード・ニコラ・フォレスティエ。 彼は、豊かな自然を生かしつつ、庭園デザインにムハデル様式を取り入れ、フランスやイタリアの庭園様式の要素も融合させた独特の風景を創り上げ、その後、20世紀前半の数十年間に渡って、ヨーロッパの都市公園設計に大きな影響を与えることになりました。 園内を散策していくと、自然風だけれども人工の岩場と池や、彫像と円形の植栽など、どこか19世紀から20世紀初頭のフランスの都市公園に通じる要素があり、また、イスラムの庭園を思わせるような、タイル装飾が多用された直線幾何学的で対称的な配置の池と噴水、パーゴラやアーチなどのムハデル様式的な要素が、明るく静謐な雰囲気の溢れる緑の空間を作り出しています。 イスラム庭園と同様、水の要素は重要で、水路や池や噴水などの水景は景観の中心となり、水音が涼しく穏やかに響きます。 また、印象的なのは圧倒的に豊かな緑を織りなす植物たち。ブーゲンビリアなどのつる植物が繁茂し、立ち並んだヤシの木がエキゾチックな雰囲気を運び、地中海沿岸原産の植物だけあって元気に群生するアカンサスは、ほとんどグラウンドカバーのよう。ナチュラルというよりも、よく整備された庭園ながら、緑に抱かれるような心地よさがあります。 さて次回、後編では、やはりムハデル様式の代表例でもあるゴージャスなアルカサル王宮の庭園と、歴史的な個人邸カサ・デ・ピラトにご案内いたします。 タパスを楽しめるビストロが並ぶ、夕方のセビーリャの街。
-
ガーデン&ショップ

【夏の癒やし旅】フランスの美しい石壁に囲まれた「五感の庭」で多様な1,500種の植物に触れる
中世へタイムスリップ。レマン湖畔の美しい村から レマン湖畔のフランスの最も美しい村のひとつ、イヴォワールの中心にある「五感の庭」は中世インスピレーションの現代の庭。小規模ながらさまざまな個性をもったロマンチックな庭空間が広がる、小さな宝石のような庭です。 イヴォワール村の港から城塞を眺める。 湖側からイヴォワール村へのアプローチに見えるのは、ハンギングバスケットに飾られたシャレーや中世の城塞で、一気に中世の世界に迷いこんでいくよう。古い街並みの坂を登っていくと、風情のある石壁に囲まれたこの「五感の庭」があります。 中世の佇まいの村の中心の石壁に囲まれた庭園の入口。 かつて14世紀に湖上を運行する船舶を監視するために建設された城塞の近隣には、ポタジェ(菜園)がつくられていました。17世紀以来の所有者の末裔であるイヴとアンヌ=モニク・ド・イヴォワールが、その菜園跡を再生するプロジェクトに着手したのは今から40年ほど前の、1986年のこと。当時デザインを担当したのはフランスの庭園デザイナー、アラン・リシェール(1947-2014年)です。 中世の庭のイメージ ところで、中世の庭が現在までそのまま残っていることは、残念ながらまずありません。現代の私たちが想像するヨーロッパ中世の庭のイメージは、絵画や文学作品、また近年では庭園の考古学からくるものです。中世の庭は、外敵から身を守るための石壁や垣根などで囲まれた、安全な空間、心身の休息の場として捉えられていました。 庭園散策のスタートは、小川が流れるアルプスの植物コーナー。エーデルワイスも満開。 中世の庭に典型的な、中心に噴水をおいた四分割の配置は、一見シンプルに見えますが、天国の4つの川、エデンの園といった多くの象徴に溢れています。さらに生垣で構成されるラビリンス(迷宮)も、中世以来の庭と深く結びつけられてきたモチーフで、迷宮は一種の人生の通過儀礼の場になぞらえられ、中心へと導かれる散策者たちは、そこで宗教的または哲学的な啓示に到達すると考えられてきました。 イヴォワールでは、そうした中世の庭を着想源として、迷路のように構成された園路を巡って、五感を覚醒する庭の空間でさまざまな植物と触れ合い、自分自身の感覚で、その世界を再発見していくような散策が仕組まれています。心地よく、大人も子どもも一緒に楽しめる体験型の散策であり、かつ、いつのまにやら不思議と心も落ち着き、生命力が静かに蘇るような、癒やしの庭でもあります。 五感を巡るラビリンス(迷宮)の庭 青~紫~ローズ系の鮮やかな色あいの草花で飾られた「視覚の庭」。 入り口すぐ、散策の最初を飾るのは、土地柄を反映するアルプスの草原の植物たちの植栽コーナーです。アルプスといえば山野草、エーデルワイスもしっかりこちらで確認できます。そして、ヒイラギやクマシデなどの生け垣と、エスパリエ仕立てのリンゴの木々で仕切られた迷宮に迷いこんでいきましょう。 迷路のような細い園路で繋がる、それぞれに異なるテーマの庭は、生け垣とエスパリエ仕立ての果樹で完全に囲まれ、外からは見えないようなっています。 コスモス、ラベンダー、サルビア、バラやアリウムなど、青紫~ローズ系を中心にした鮮やかな色彩に迎えられる「視覚の庭」、続く「触覚の庭」には、グラス類、トゲトゲしたアザミや、ふわっとやわらかな葉っぱの植物などを触ってみます。 ふわふわとグラスが揺れる「触覚の庭」で、多彩なテクスチャーの葉っぱたちに触れてみる。 そして、次は香り高いバラやユリが咲く「嗅覚の庭」へ。クラシックな花の香りばかりでなく、チョコレートやイチゴの香りのミント、カレーやコーラなどユニークな香りが体験できます。少し高めの位置のバスケットの中に何十種類のミントやセージ、ペラルゴニウムの鉢が設けられているのは、見た目に整うばかりでなく、触って香りを嗅ぐにもちょうどよく、いいアイデアです。 「嗅覚の庭」では、ユリやバラなどの古典的な花の香りを愛で、チョコレートやカレーなど変わった香りを発見。大人も子どももウキウキしてきます。 「味覚の庭」ではステビアの鉢やカマンベールチーズの味! がする植物が展示されていて、実際葉っぱを食べてみることができます。少しずつちぎって食べられた葉っぱをみていると、私たちもポタジェにくる虫たちも、あまり違いがないのかも、とすら思ってしまうほどです。そして「聴覚」を司る、庭園全体の中心部に設られた鳥たちのための噴水に耳をすましてみましょう。 可愛いポタジェ(菜園)は食用植物の「味覚の庭」。ステビアなどを試食できます。 徐々に植物世界に開かれる感覚で辿り着くのが、クロワートル(回廊)と名付けられた薬草の庭。中世の修道院のクロワートルを思わせる、噴水を囲んで四分割された空間には、薬草植物園になっています。こちらはそのままでは有毒な植物もあるゆえに、味見は厳禁です。 噴水を囲んで、薬用植物が植栽された「クロワートル(回廊)の庭」。 「魔法の植物」コーナーには、白いケシの花やマンゴンドラ。 そして迷宮の終わりには、ルネサンス時代に大人気だった「ティサージュ」と呼ばれるモチーフの庭。香りの高い白バラと野生のオーツ麦の列がチェッカーボードのように交差する、シンプルな幾何学模様の美しい植栽です。ティサージュは「調和」を象徴するモチーフなのだそうで、人と自然の調和、生物多様性の調和、など現代の庭が目指す調和の世界をも象徴しているようなのが見事でした。 白バラと野生のオーツ麦の列が交差する、コントラストと調和がテーマのルネサンス風「ティサージュ」の庭の様子。シンプルながら印象深い。 今なお深まる植物たちの物語 2,500㎡と決して広くはない全体面積のなか、8つのテーマの庭で構成される迷宮仕立ての庭には、当初の900種から大幅に増えて、現在1,500種以上の植物が植栽され、また庭や植物の歴史から着想されるさまざまな象徴が散りばめられた、豊かな物語が語り継がれています。 規模の関係で庭のほとんどの手入れは手作業で行わなければならないのだそうですが、つくられて40年が経過した庭園の様子は、大きく育った樹木からはその成熟が感じられるとともに、美しく管理が行き届いており、時間を味方にして進化してきた様子が窺えるのも魅力的です。 西日が美しい閉園間際の庭園ではガーデナーが丁寧に花がら摘みをする姿が。
-
ガーデンデザイン

なぜ日本庭園は「常緑樹」が多いのか? 世界が憧れる日本の庭木文化と美意識
世界が憧れる、日本独自の庭木の文化 樹芸で名高い江戸時代の大名庭園、栗林公園(香川・高松市)。長い歳月をかけて形づくられた曲がりくねったマツの樹幹の造形が美しい。 前回までの「日本庭園 超・入門」シリーズの記事では、日本庭園史をたどりながら、池泉庭園や枯山水、露地といった代表的なスタイルを、文化財庭園の実例とともにご紹介してきました。 今回は、そこから視点を少し変えて、「植物」に注目します。なぜなら、日本庭園の印象を最終的に決定づけている大きな要素の1つに、日本独自の庭木の文化があるからです。 日本庭園の植物は「飾る」ためではない 西洋庭園では、ボーダー植栽や刺繍花壇など、色とりどりの花が主役になることがよくあります。一方、日本庭園の植物は、どこか控えめです。満開の花で魅せるよりも、枝の流れや葉の重なり、光と影がつくる表情が風景を形づくるのです。 銀閣寺庭園(京都)も、常緑の庭木によって主要な景観が構成される。 自然の素材を主に作庭が行われる日本庭園では、常緑樹が多く使われます。それは、四季を通じて庭の骨格を保つためです。そこに落葉樹や下草が加わり、春夏秋冬の移ろいをそっと伝えてくれます。1年中華やかである必要はない。時間の流れを感じられることこそが、日本庭園の魅力なのです。 マツをはじめとする常緑の庭木が、全体の景観を形づくる。栗林公園(香川・高松市)。 理想的な調和のとれた自然の風景を志向しつつ、あたかも人の手など加わっていないかのように感じさせる景観がよしとされる日本庭園。 少々矛盾を感じるかもしれませんが、計算された手入れによって自然を表現する。その繊細な美意識の上に、日本庭園は成り立っています。植物たちは、その要となる存在です。 「庭木」という、日本独自の文化 見事に剪定されたマツの木々が並ぶ景観、修学院離宮庭園(京都)。 そうした伝統的な日本庭園に使われる木々は、長い時間をかけて、庭にふさわしい樹種が選ばれ、育てられ、仕立てられ、「庭木」と呼ばれる特別な存在となりました。 たとえば、マツ、モミジ、ツツジ、サツキ、マキ。 どれも身近な木ですが、日本庭園の中では独自の進化を遂げています。自然に生えている姿をそのまま持ち込むのではなく、定期的な剪定などの手入れによって、理想とされる姿へと導かれてきたのです。 庭木は、言ってみれば人と自然が一緒につくりあげる存在です。年月をかけて木々を形づくり、育てていく。その過程そのものが、日本の庭園文化なのです。 南禅寺の庭(京都)。モミジをはじめとする落葉樹の紅葉で、庭園は秋の気配に包まれる。Blanscape/Shutterstock.com 剪定が、景観を 作る 秋、綺麗に刈り込まれたツツジの緑と、紅葉のモミジとの対比。ツツジの季節には、刈り込み部分に白やピンクの花が咲き、モミジは柔らかな緑となって、いずれも季節感をより引き立てる。詩仙堂庭園(京都)。seaonweb/Shutterstock.com さて、日本庭園を語るうえで欠かせないのが、剪定技術です。 剪定というと「伸びた枝を切る作業」と思われがちですが、日本庭園における剪定は、単なる管理作業ではありません。木々の健康を守り、景観そのものをつくる、極めて重要な技術です。 剪定作業中の庭師たち。修学院離宮庭園(京都)。熟練の技術が必要とされる繊細な作業。HanzoPhoto/Shutterstock.com 日本の剪定技術として、典型的なのが「透かし剪定」。枝を一様に刈り込むのではなく、不要な枝を選んで間引き、あえて空間を残します。そうすることで風が通り、病害虫を予防し、光が差し込み、枝ぶりそのものが美しく浮かび上がります。 マツの木を囲む、「玉もの」と呼ばれる丸い刈り込みの灌木は、全体で蓬莱思想の亀島を構成する。曼殊院庭園(京都)。 一方で、日本庭園の剪定技術は、これだけではありません。ツツジやサツキなどで見られる「玉もの」と呼ばれる刈り込みも、その1つです。丸く整えられた樹形は、庭にリズムや奥行きを与え、景観のアクセントとして機能します。また「大刈り込み」では、いくつもの木々をまとめて刈り込み、ダイナミックな風景を作り出します。 透かす剪定、刈り込む剪定。そのどちらも、木の性質や庭全体の意図を読み取ったうえで使い分けられています。 修学院離宮庭園(京都)の浴龍池を望む景観をつくる、ダイナミックな大刈り込みの例。AaronChenPS2/Shutterstock.com こうした日本独特の剪定技術は、海外からも羨望のまなざしを集めています。近年では、日本庭園や日本式剪定を学ぶために来日する庭師やランドスケープ関係者も少なくありません。 自然に逆らわず、木々の個性を読み取り、その魅力を最大限に引き出す。この考え方そのものが、日本ならではの美意識なのです。 庭木の王様・松(マツ) 日本庭園を象徴する庭木といえば、やはりマツでしょう。 マツは常緑で、長寿で、格式を感じさせる存在です。古くは神の依代となる神聖な存在とも考えられてきました。そのため、神社仏閣や大名庭園など、重要な庭園には欠かせない樹木とされてきました。 庭木の王者は、やはりクロマツ。これだけで、日本庭園の雰囲気が完成。栗林公園(香川・高松市)。 ただし、マツは放っておいて美しくなる木ではありません。剪定をしてこそ、本来の姿が現れます。春には、新芽を一本一本摘み取り成長を調整する「みどりつみ」、秋には古くなった葉を落として樹形を整える「もみあげ」という、マツ独特の手入れがあります。いずれも木の状態を見極めながら行う繊細な作業で、熟練の庭師の仕事とされています。また、クロマツ、アカマツ、ゴヨウマツなど、種類ごとに性質が異なり、庭の役割や景観に応じて仕立て方も変わります。 大変に手間がかかる庭木ではありますが、それゆえに、庭の中に1本マツがあるだけで空間は引き締まり、風景に格が生まれます。「マツがあるだけで日本庭園らしくなる」といわれる理由も、そこにあります。 苔(コケ)がつくる、日本庭園の静けさ コケといえば苔寺の通称で世界的に知られる西芳寺庭園(京都)。現在は120種以上のコケが生育しているという。時間の経過、侘び寂びを体現する植物。zzz555zzz/Shutterstock.com また、日本庭園と聞いて、多くの人が思い浮かべる植物の1つに、コケがあります。コケは庭木のように目立つ存在ではありませんが、庭全体の雰囲気を大きく左右する重要な要素です。 コケは地表を覆い、土を隠し、庭に静けさと落ち着きをもたらします。光をやわらかく受け止め、雨に濡れることで、いっそう深い表情を見せてくれます。 また、コケがあることで、庭は一気に「時間を重ねた風景」に見えるようになります。 コケが庭園全体を緑の絨毯のように覆う光景は圧巻。気候によっては生育が難しいことから、コケの美しい庭は羨望の的ともなる。西芳寺庭園(京都)。yuyugreen/Shutterstock.com 常緑樹が庭の骨格をつくり、庭木が景観を形づくり、コケがその足元を静かに支える。苔は、日本庭園に欠かせない名脇役なのです。 花は控えめ、だからこそ美しい 日本庭園にも桜やツツジといった花木は使われます。しかし、それらが主役になりすぎることはありません。花は、視線を留め、季節を知らせる存在。咲いていない時間も含めてこそ、庭の美しさが成り立っています。 一斉に咲き誇る華やかさよりも、ふと目に留まる一瞬を尊ぶ。 それが、日本庭園が大切にしてきた植物のあり方です。 冬の終わりにひっそりと庭に彩りを添えるツバキの花。苔むした地表に落ちた姿も風情を誘う。銀閣寺庭園(京都)にて。 植物を見る目が変わると、庭園はもっと楽しい 次に日本庭園を訪れるときは、ぜひ植物の「姿」に注目してみてください。枝の流れや重なり、マツがどこに置かれているか、コケがどのような空間をつくっているか。それぞれの植物が景観の構成のなかで、どのような役割を担っているのか。そうした点に気づくと、庭園の見え方は、また大きく変わります。 兼六園庭園(金沢市)のマツの雪吊り風景。日本海側の重い雪からマツの枝を保護するためのしつらいは、冬の風物詩となった。linegold/Shutterstock.com 日本庭園は、植物とともに生き、育ち続ける風景です。 季節に沿って変化する庭木をはじめ、さまざまな植物の姿に目を向けながら歩いてみると、庭は決して一度きりの景色ではないことに気づくはずです。同じ庭でも、季節や時間が変われば、また違った表情に出会える。その変化を味わいながら庭を歩くことも、日本庭園の大きな楽しみのひとつとなるでしょう。
-
ガーデンデザイン

日本庭園は「里山」か「モダンアート」か。近代を変えた2人の天才、小川治兵衛と重森三玲
近代日本庭園の誕生と革新 無鄰菴(京都)rolling rock/Shutterstock.com 明治以降の日本では、政治や産業だけでなく、人々の暮らし方そのものが大きく変化しました。西洋建築が都市に姿を現し、人々が別荘や庭園に「心の余裕」を求め始めるなかで、日本庭園もまた新しい姿へと歩み始めます。いわゆる「近代日本庭園」です。その特徴は、単なる伝統の継承にとどまらず、新しい自然観や美意識をどのように庭として形づくるかという問いへの挑戦でした。 本記事では、その代表的存在である造園家たち、小川治兵衛(植治)と重森三玲に焦点を当て、彼らがどのように作庭に革新をもたらしたのかを見ていきたいと思います。 小川治兵衛―都市に“自然”を呼び込んだ庭師 無鄰菴(京都)。東山を借景に、明るい芝地を小川が流れる里山の風景。伝統的な日本庭園の技法を、新たな感性で昇華させた革新的な庭。 明治時代、京都に琵琶湖疏水という大事業が完成したことはよく知られていますが、この新しい水の流れは、じつは京都の庭文化にも大きな影響を与えました。この時代に活躍したのが、近代日本庭園の基礎を築いた七代目植治こと小川治兵衛(1860~1933年)です。 彼の代表作として知られる無鄰菴(むりんあん)では、京都・東山を借景に、まるで田園風景の中を歩いているかのような自然な小川の流れとなだらかな地形が再構成されています。この里山の流れの風景には、琵琶湖疏水が使われ、東山地区には治兵衛による庭園が次々とつくられました。 庭の中心で、かつては大海を表した池が、ここでは流れる小川となる。浅瀬の小石は水の動きを際立たせ、等身大の自然に触れる爽やかな印象を与える。 治兵衛の庭づくりの革新性は、地形を読み、そこに水を通わせることで景色に「動き」を生み 出したことにあります。また、それまでの枯山水中心の庭や、境界が明確な武家屋敷の庭とは異なり、無鄰菴は視線を座敷から遠くまで通し、空間を外へ外へと広げる開放性が特徴です。これは、西洋建築や洋風生活が取り入れられていく時代において、都市の中に自然を取り込む新しい庭の姿となりました。 家屋内外から庭へと連続する眺望。計算された自然の演出の近代性が感じられる。右写真/Marie Zedig/Shutterstock.com また無鄰菴の庭は、施主である山縣有朋という近代国家の立役者との二人三脚によって実現した点でも興味深い存在です。山縣の構想と植治の技術が組み合わさることで、単なる庭の美しさを超え、近代日本が求めた思想や生活観までもが反映された空間が生まれたのです。 従来の日本庭園は、山や海の自然風景を縮景として庭の空間に表現してきました。しかし治兵衛の庭では、単に自然を模倣するのではなく、せせらぎの水音や木々の揺れといった、自然の中に身を置いているかのような感覚そのものが追求されています。暮らしに寄り添いながら自然のリズムを日常に取り戻そうとする、いわば自然主義的な庭は、近代日本庭園への第一歩となりました。 平安神宮庭園(京都)も無鄰菴とほぼ同じ頃に治兵衛によって作庭された。かつての三条大橋や五条大橋の架け替え時に廃棄された橋脚の石材を再利用した「臥龍橋」の意匠はよく知られる。cowardlion/Shutterstock.com 重森三玲 ― 庭園を「モダンアート」に押し上げた作庭家 重森三玲庭園美術館(京都)EvergreenPlanet/Shutterstock.com 一方、昭和の時代に活躍した重森三玲(1896~1975年)は、まったく別の方向から日本庭園の革新に挑みました。彼の代表作である東福寺本坊庭園は、伝統的な枯山水の形式を継承しながらも、大胆な幾何学模様や抽象表現を取り入れ、庭をモダンアートの領域へと近づけた作品です。 三玲は美術・生け花・茶道に通じた人物であり、歴史的庭園の研究を通じて作庭の素養を独学で身につけました。日本の美の伝統様式を熟知したうえで、あえて石や苔を方形に配し、砂紋をモダンデザインのように引くことで、伝統の内部に潜む「形の力」を現代的に引き出したのです。これは、単に奇を衒ったものではなく、伝統と現代をつなぐ橋渡しとしての革新でした。 東福寺本坊南庭(京都)。蓬莱神仙思想*に基づき、四神仙島を象徴する石組によって構成されている。伝統に立脚した意匠でありながら、立石と伏石に大胆なコントラストを与えた構成は、重森三玲ならではの独創性を示している。*「蓬莱」とは、古代中国思想において不老不死の仙人が住む理想郷を指す。Yoshihide KIMURA/Shutterstock.com 東福寺の庭は、既存の素材を無駄にせず、すべて用いるといった禅の精神や、蓬莱島の意匠など、作庭の伝統を形の上でも精神的にも受け継いでいます。そのうえで、庭を見る鑑賞者を「なぜこの形なのか」「この配置は何を意味するのか」と思索へと誘います。三玲は、庭を「鑑賞の対象」から「思考する場」へと昇華させました。まさに近代以降の芸術が求めた知的刺激を、庭という伝統的な媒体に持ち込んだのです。 同じく東福寺の西庭、井田の庭。日本古来の市松模様が、ここではサツキの刈り込みと再利用の敷石の縁石で構成される。水田の風景を抽象・象徴化した眺めは、人の営みを象徴するという。SOREAU/Shutterstock.com 重森三玲の庭は、戦後以降、海外の建築家やデザイナーからも高く評価され、日本庭園が伝統文化としてだけでなく、国際的な現代美術やデザインの文脈で語られる契機となりました。枯山水の形式を保ちながら抽象的な構成を取り入れたその作庭は、日本庭園の新たな可能性を世界に示したといえるでしょう。 近代庭園の2つの革新と現代へのつながり 小川治兵衛作「無鄰菴」Marie Zedig/Shutterstock.com こうして見ると、近代日本庭園は2つの方向からの革新によって形づくられてきたことが分かります。1つは、小川治兵衛が押し進めた、地形と水を生かし、視線や景色が自然に流れ広がっていく庭です。もう1つは、重森三玲が伝統様式を受け継ぎながらそれを抽象化し、形や線の美しさを読み解いて楽しむ知的な庭へと転換させたことです。 重森三玲作「東福寺方丈庭園の東庭」Yoshihide KIMURA/Shutterstock.com 一見すると対照的な2人ですが、共通しているのは、どちらも伝統をそのまま守るのではなく、時代の感性に合わせて創造的に作り直したという点にあります。そして、その姿勢こそが、現代の庭づくりへと脈々と受け継がれています。 自然とともに暮らす喜びを感じさせてくれる庭。 そして、見る者に問いを投げかける庭。 近代日本庭園の始まりは、その両方の可能性を切り開いた豊かな時代でした。治兵衛の自然主義の庭と三玲のモダンアート的庭園を知ることは、日本の庭の多様性と奥深さを再発見する旅でもあります。2人の庭に触れると、庭という空間がいかに人間の感性や社会の変化と密接に関わっているかを、改めて感じることができるでしょう。
-
ガーデンデザイン

【日本庭園 超・入門】なぜ日本庭園には“飛び石”があるのか? 茶の湯が育んだ「露地」の美学
茶の湯のための庭、露地・茶庭 「露地(ろじ)」という言葉、日常生活ではあまり耳にしないかもしれません。「露地」は、茶室へ向かう小径がつくられた、茶の湯のための庭を指します。室町時代以降の茶の湯の発展とともに現れた「露地または茶庭」は、日本庭園に新たな姿を与えていくことになります。 露地の発祥 愛知・犬山市「有楽苑」にある国宝茶席の1つ「如庵」の露地。Lanhang Ye/Shutterstock.com 村田珠光に始まり、千利休が完成した侘び茶とともに、茶庭を意味して使われるようになる「露地」は、仏教用語における、露に打たれた野外の自然の場であり、建物の外側、修行の場として、修行僧が清浄な心で歩く、俗世から悟りへの道という意味も重ねられています。 茶の湯においての庭は、俗世から離れ、歩を進めながら、茶事に向かって心を清め整えるための、移行の空間としての役割を担います。そのため露地には「市中の山居」と表現されるような、茶の湯の侘び寂びの精神を反映する、野趣あふれる自然の雰囲気が大切にされました。茶庭で理想とされる自然風景は、それまでの島々が浮かぶ海景などの開かれた風景から離れ、深山幽谷に踏み入ったような、侘びた自然のままの素朴な景観へと変化していきます。 構成と特徴 愛知「有楽苑」の茶室「如庵」を囲む庭園。Lanhang Ye/Shutterstock.com 茶室に向かう露地では、すでに茶事へのプロセスが始まっています。表門を入って客が亭主の迎えを待つ待合の外腰掛け、客が亭主の迎えを受ける中門、その奥の内腰掛け、腰掛けそれぞれには雪隠(せっちん)が付随し、茶事の前に手と口を清める蹲踞(つくばい)、それぞれの場所をつないで客を茶室へと導く飛び石を渡した園路や、暗い時間帯には足元を照らす灯りともなる灯籠(とうろう)など、庭の景物(または添景物)と呼ばれる設備は、一定の約束事をもってつくられる、露地に特有の構成要素として導入されたものです。 比較的限られた露地の空間を囲む、簡素でありながら洗練された竹垣なども、その景観に欠かせません。また、露地の景の一部でもある、簡素の美を旨とする茶室の建築は、数寄屋造建築の源流となりました。 臥龍山荘(大洲市)、四万十川を借景にしつつも、露地の要素が強く取り込まれた庭園。茶室不老庵に向かう道筋に据えられた基本形の石灯籠(※ミシュラングリーンガイド・ジャポンの一つ星)。 小径を囲む深山幽谷の景には、余計な装飾は避け、季節による変化の少ない常緑樹が用いられることが多いのは、小径を歩く人の、心の落ち着きを乱さないようにといわれています。飛び石は、地面の苔などを保護し、足元を汚さないようにというばかりでなく、庭園空間の歩行のリズムをつくり、連続する場面(シークエンス)の展開を司る装置でもあります。茶庭では、一歩進むごとに細やかに変化する景を視線で捉えるばかりでなく、歩く、佇む、といった動きとともに、身体感覚で味わうという、新たな側面が加わります。 露地の三大景物 松江にある大名茶人・不昧公ゆかりの茶室「明々庵」の庭の蹲踞、灯籠、飛び石の風景。背景には竹垣の中でも基本の四つ目垣も見える。 茶道の所作が無駄なく美しいように、露地の景物も、それぞれが実用と装飾を兼ね備えた用の美を体現しています。さらに興味深いのは、露地に取り入れられた景物が、今日では伝統的な日本庭園をイメージさせるアイコン的な存在となっていることでしょう。中でも一般に広く普及していく主な景物に、飛び石・灯籠(とうろう)・蹲踞(つくばい)が挙げられます。 飛び石(とびいし) 同じく「明々庵」の茶室に至る自然石の飛び石の様子。園路の役割を果たしつつ、簡素で美的な景観の演出にもなっている。 自然石を用いて有機的な曲線を描きつつ、庭園の連続するシークエンスの展開に散策者を導く飛び石は、それ自体が景を完成する要素にもなります。露地に限らず、日本庭園に広く使われる要素になっており、フランスでは、飛び石が「パ・ジャポネ(直訳すると日本の歩)」と呼ばれているのも面白いところです。 灯籠(とうろう) 奈良の春日大社、参道に並ぶ石灯籠。もともとは神社仏閣で使われる献灯のためのものでした。Wirestock Creators/Shutterstock.com 元来は仏教寺院や神社での献灯のための祭祀具だった灯籠に、露地に通ずる美を見いだし、夜の茶会の灯りとして露地に導入したのは利休だと伝えられています。 単なる照明というよりは、光と影をつくり、空間を結界化するような効果をももたらす灯籠は、空間のアイストップとして、景の演出にも活躍します。神社仏閣で使われていた基本的な形から、露地での使用に適した形、サイズ、さらに特別な創作されたものまで、さまざまな形の灯籠が作られており、中には庭園のトレードマークとなった名物灯籠もあります。 金沢・兼六園。流れ沿いに見えるのは「雪見灯籠」と呼ばれるもので、背は低く安定感があり、光を水面によく反射させるよう笠が広い、水辺のための灯籠。 金沢・兼六園。主池、霞ヶ池を背景にした徽軫(ことじ)灯籠は創作灯籠で、この庭園を代表する名物になっている。Travellingdede/Shutterstock.com 蹲踞(つくばい) 蹲踞は、茶事の前に手と口を清める儀礼のための手水鉢(ちょうずばち)とその周囲を囲う石組で構成されます。寺院の参道や堂前に同様の用途の手水鉢があったところから、利休が着想したもので、露地には不可欠な要素です。蹲踞の呼称は、「踞(つくば)う」という身を低くかがめる所作からきていますが、これは、謙虚をもって心身を清めることを象徴する所作でもあります。後世には、本来の機能や精神性を離れ、美的な要素として評価されて、茶庭以外にも、装飾的に、和風の庭の雰囲気を演出する景物として設置されるようになります。 臥龍山荘(大洲市)の蹲踞と石灯籠。茶道においては、茶室に入る前に、手水鉢手前の前石の上につくばって、手や口を清めるためのもの。 これら3つの景物は、茶事と一体となった露地において、それぞれの機能と精神的な象徴性を持った中心的な存在で、設置場所や型の選択などには細やかな決まりがあります。しかしながら、これまでの歴史の中で、典型的な日本庭園のイメージを象徴的に示す記号・アイコン的な存在として国内外に普及し、露地の約束事を離れた場所にも広く使われるようになっているのは興味深いところです。 侘び寂びの美の空間 京都・桂離宮の一角。園路を構成する延段(のべだん)の中央に見えるシュロ縄が結ばれた石は「関守石」。この石が置かれていたら、この先は通行禁止のサイン。 私たちに日本庭園らしさを感じさせる象徴的な景物の多くが、露地に由来するのだとすれば、実際にその場所を訪れてみたくなるのではないでしょうか。茶事に付随する庭園であるがゆえ、露地にはどこか閉ざされた印象があります。しかし、伝統的な寺院や旧家、あるいは大名庭園の一角には、茶室とともに茶庭が整えられ、公開されている場所も少なくありません。 京都・ 妙心寺に見る関守石。 さらに、たとえ「茶庭」と明確に位置づけられていなくとも、多くの日本庭園には露地の美意識が取り込まれています。日本文化の中心的な要素ともいえる侘び寂びの精神や美学を庭園空間の中で体感できるのは、何よりの魅力です。心の静けさにそっと触れるような、非日常のひとときを過ごせることでしょう。
-
ガーデンデザイン

【日本庭園 超・入門】なぜ水がないのに「海」が見えるのか? 京都・枯山水が600年以上も人々を魅了する「見立て」の魔力
枯山水の誕生 鎌倉時代から室町時代にかけてかたちづくられていく「枯山水」は、水を使わずに石や砂によって象徴的に自然を表現する庭であり、日本独自の庭園文化を象徴する存在として定着していきます。 枯山水は主に禅宗寺院で作庭されたことから、禅の精神を体現する庭園空間として発展してきました。海外では枯山水をそのまま「カレサンスイ(Karesansui)」と呼ぶこともあれば、「ドライ・ランドスケープ・ガーデン」という説明的な訳、あるいは「ゼン・ガーデン」という意訳的な呼称が使われることも少なくありません。 とくにフランスでは、「ゼン(Zen)」という言葉そのものが、日常的な文脈のなかで、心の平静やリラックス、ミニマル、簡素、調和といった意味合いを含んで使われるようになっています。そうした背景もあり、外国人にとっては、禅という言葉の響きがもつ精神性《静謐さや簡素さ》を体現した枯山水の風景そのものが、日本庭園のイメージとして受け取られることもあるようです。 amosfal/Shutterstock.com 枯山水における「山水」とは、文字どおり山や水の風景、すなわち山々や川、滝、湖、海といった自然景観全般を指します。ただしそれは、実際の風景を写し取るのではなく、哲学的、精神的な意味合いを込めて、自然を理想化し、象徴化した風景です。 宋代中国から伝わった山水画に見られる美意識の影響を受け、禅僧の修行や瞑想の場として理想的な自然風景を象徴する空間として整えられてきた枯山水。簡素、静寂、余白を重んじ、観る者の心を整えるための庭であると同時に、京都など都市部においては、限られた水資源という作庭上の制約を克服するための手法でもありました。 Sigit Hananto Gallery/Shutterstock.com 池や流れによって海洋や自然の風景を表現する日本庭園にとって、水はきわめて重要な要素です。しかし敷地条件によっては、豊富な水資源を用いることが難しい場合もあります。水を白砂に置きかえ、水なき場所に象徴的に水景を出現させる……枯山水は、なんとも巧みな「見立て」の世界ともいえるでしょう。 大徳寺大仙院庭園 京都・紫野にある大徳寺の塔頭・大仙院の枯山水庭園は、室町期枯山水の完成形として知られます。方丈を囲む庭園では、石組と白砂によって水の流れや周囲の風景が表され、山深い滝を源流にした川が、京都の市中を経て大海へと注ぐまでの景観が象徴的に描かれています。 大徳寺大仙院、枯山水庭園。岩石と白砂で構築された深山幽谷の自然風景は立体化された山水画のようでもある。 その構図は、自然の本質を凝縮した風景であると同時に、紆余曲折しながら流れていく人生を重ね合わせた、悟りへと至る物語とも解釈されます。静謐な観照と瞑想にふさわしい空間であり、省略と余白を生かした抽象的な造形は、立体化した山水画と呼ぶにふさわしいものです。 このように、深い精神性をもって高度に抽象化された造形美は、モダンアートにも通じる普遍性を備えています。文化背景の違いを超え、誰もが自由に「感じ」、物語に「感動」できること――それこそが、枯山水が持つ独特でありながら普遍的な魅力であり、世界の人々の心をとらえ続ける理由なのかもしれません。 龍安寺石庭 京都の世界遺産、龍安寺石庭。john901/Shutterstock.com 世界に知られる枯山水の代表は、ほかでもない龍安寺石庭でしょう。故エリザベス2世やスティーブ・ジョブズといった、一流の海外セレブリティをも感動させたこの庭園の魅力とは、どのようなものなのでしょうか。 方丈の縁側から眺める、壁に囲まれた平庭。白砂の上に配置された15個の石組は、一般には大海と島々を表現するといわれています。日本庭園の伝統的なモチーフである蓬莱島を重ね合わせた理想世界を表しているとも解釈されます。 極めて簡素な構成と豊かな余白は、ただ眺めるだけで心が整うような観照の空間でありながら、鑑賞者に自由な想像の余地を与えます。海洋風景や山々の連なり、あるいは虎の親子が川を渡る様子(虎の子渡し)を表現するという説もあれば、15個の石を一度に見渡すことができない配置から、禅における不完全性を象徴するという解釈もあります。じつに数十通り以上の解釈が存在する庭園なのです。 龍安寺石庭。寺の建立は室町時代だが、石庭は江戸時代の作庭と考えられる。Randy Runtsch/Shutterstock.com 近年の研究成果によれば、実際にはすべての石を見渡せるごく狭い地点は存在することも分かってきました。しかし通常の拝観においては、やはりいくつかの石が視界から隠れることがほとんどでしょう。寺院の建立は室町時代にさかのぼりますが、庭園自体は江戸時代に改修されていることが分かっている一方で、確実な作庭者の意図は伝わっていません。今なお多くの謎に包まれた庭園空間なのです。 砂紋・箒目 Serg Zastavkin/Shutterstock.com 枯山水の庭の白砂に描かれる「砂紋」(さもん)や「箒目」(ほうきめ)と呼ばれるさまざまな模様は、静かな水面、小波、さざ波、大波など、水のさまを表現したものです。そのなかには、「青海波」や「市松紋様」といった形式化された紋様もあり、それぞれに吉祥の意味合いを持ち、ほかの装飾美術と共通する意匠として見受けられる点も興味深いところです。 また、砂紋は一度描けば終わりというものではありません。枯れ葉が落ちたり、雨風にさらされたりすることで容易に崩れるため、定期的な手入れが欠かせません。かつて砂紋を描くことは、禅僧の日々の修行の一環でもありました。一度作られた形がそのまま永続するのではなく、繰り返し引き直されることで立ち現れる無常と変化の美。そこにはまさに日本独自の価値観を見いだすことができます。 近現代の枯山水へ 銀閣寺の向月台と銀沙灘。非常にモダンな造形といった印象もあるが、室町時代の建物・庭園と不思議に調和している。 室町時代の創成期を経た枯山水は、露地・茶庭や池泉庭園の一部にも取り入れられるようになります。たとえば銀閣寺庭園には、江戸時代の造営と伝えられる、円錐状の砂山「向月台(こうげつだい)」と、白砂を段状に敷き詰めた大きな砂段「銀沙灘(ぎんしゃだん)」があります。 白砂を敷き詰めるところに浄土的な清浄の世界観を表したという説がある一方、月の光が白砂を照らす観月の装置であったという説もあり、ここにも複数の解釈が存在します。いずれにしても、非常にモダンな造形性をもつ白砂面は、銀閣の建物を引き立てると同時に、庭園空間のアクセントとして秀逸な景観を生み出しています。 東福寺方丈庭園。世に広がっていく仏の教えを表現したともいわれる、苔と石で形づくられた市松紋様は、そのモダンな造形性、象徴的な意匠で世に広く知られるようになった。KS.studio/Shutterstock.com また、昭和の作庭家・重森三玲は、京都・東福寺方丈庭園の改修に際し、枯山水の伝統を取り込みながらも独自の作庭を行いました。古典的な手法を踏まえつつ、白砂と苔による市松模様や、北斗七星を意匠化して宇宙を表す構成など、その試みは、枯山水の精神や象徴・抽象表現を現代的に再解釈した代表例といえるでしょう。それはまた、モダンアートとしての庭園の創作を志向するものでもありました。 東福寺方丈庭園の東庭では、作庭時の条件でもあった、旧東司(便所)部分の廃材の再利用によって形作られた北斗七星が宇宙を表す。Masanao/Shutterstock.com シンプルに抽象化された景観が、哲学や宇宙観までも表現しうる――その枯山水の魅力は、世界中の人々を魅了してきました。そして現在、枯山水がつくられる場は、歴史的な寺院等にとどまらず、現代建築にも広がっています。古典的な意匠を継承する庭も、革新的なデザインを取り入れた庭もまた、国内外で脈々とつくり続けられているのです。 現代的な都市空間に馴染んだ、カナダ大使館テラスの石庭。枯山水の手法で太平洋の彼方にあるカナダの風景を象徴的に表現した、禅僧・庭園デザイナー枡野俊明氏の作品。
-
ガーデンデザイン

【日本庭園 超・入門】金閣寺、兼六園、桂離宮……世界が絶賛する「池泉庭園」の美と歴史を紐解く
「池泉庭園」の歴史を辿る さて、平安時代には、日本庭園の発祥の背景にあった思想や世界観の上に、池泉庭園のすがたの基礎が出来上がったことを、前回記事「超・入門①」で解説しました。そして続く鎌倉・室町時代には、武士の台頭という大きな社会的変化が、ほぼ同時期に導入された禅宗の思想文化と相まって、庭園づくりの方向性や美意識を大きく変えていくことになります。 寺院と庭園 簡素な日常の行いを修行とする実践的かつ心の制御が求められる禅宗は、武士の要請に応えるもので、また、修行のために大陸に渡る僧侶は、最新の学問・技術・文化を持ち帰る外交官・文化ブレーンとなったがゆえに、武士の文化基盤は禅宗寺院に置かれることになりました。寺院は庭園文化を育む揺籃ともなり、特にあとで見る「枯山水」の発祥・発展にも繋がっていきます。寺院庭園の豊かさは、日本の庭園文化の大きな特徴の1つといえるでしょう。 庭師の出現 Atiwat Witthayanurut/Shutterstock.com 禅宗の一派、臨済宗の高僧であった夢窓疎石(1275-1351年)は、宗教・文化的な権威として足利幕府将軍の相談役であった一方、後世に名を残した最初の庭師・造園家としても知られます。寺院における作庭、維持管理は修行の一部をなすものであり、そうしたなかから、特に優れた能力を発揮する作庭の専門家が現れるようになります。作庭はまた、室町時代の芸能活動の担い手となった河原者の守備範囲にもなっていきます。 庭園文化の黄金期 ニューヨーク・タイムズ紙による「訪れるべき最も素晴らしい世界の25庭園 2025年版」に選出された西芳寺庭園(京都)。 京都・西芳寺庭園は、夢窓疎石が改修した、苔寺の通称で親しまれる世界的な名園の1つです。庭園は2段構造で、下段には回遊路が池を囲み、静謐な美が佇む浄土の世界を表し、上段には枯山水庭園の先駆けとなる石組による山水風景が、厳しい禅の修行の世界を示すといわれます。長い間、手入れもなく荒れ果てた時期の後、再び門が開かれたとき、そこには時間と自然の力が刻まれ、侘び寂びの美を体現する苔むした庭のすがたがありました。 苔寺と称され、世界文化遺産にも登録されている西芳寺庭園(京都)。 また、借景の最初期の例として知られる天龍寺庭園も、疎石の作庭によるものです。借景は、遠景を意図的に庭園の景観に取り込むことによって、限られた庭園空間を外に向かって開く、日本で特に洗練されていく空間構成の手法です。 嵐山を借景とした池泉庭園で知られる天龍寺庭園(京都)。Aleksandr Dyskin/Shutterstock.com 室町時代には、歴代将軍、なかでも義満と義政が夢窓疎石の創作を敬愛し、作庭に力を入れました。これにより今日世界遺産として知られる金閣寺庭園、銀閣寺庭園をはじめとする、伝統的日本庭園の典型となるものが次々と誕生し、庭園文化の黄金期となっていきます。 金閣寺庭園(京都)。世界遺産。金閣を水面に映す鏡湖池(きょうこち)に浮かぶ島々は、それぞれに仙境や日本の国土などの象徴世界を構成する。 いずれも池泉を中心に構成される回遊式の庭園であり、さまざまな象徴を持った石組、また武家の建築様式である書院造り建築に合わせた、室内からの眺めを重視する座観式の構成といった、日本庭園の伝統となる手法が展開されていきます。 銀閣寺庭園(京都)。庭園内には最古の書院造り建築「東求堂」も現存。 戦国時代から安土桃山時代にかけては、武士の権力の表象としての側面が重要視された豪奢な庭園がつくられる一方で、千利休の侘び茶とともに出現した、対極的な侘び寂びの美学を体現する露地・茶庭が発展していくのも興味深いところです。これについても、連載の続編でご紹介しましょう。 銀閣寺庭園(京都) 江戸時代・大名庭園の発展 浜離宮庭園(東京・中央区)。東京湾の海水を引き込んだ「潮入の庭」。かつては園内から富士山が眺められるビュースポットも備えられていた。T.Kai/Shutterstock.com 戦乱の時代に統一をもたらした徳川幕府の時代は、新たな庭園文化の最盛期を迎えます。参勤交代や御成といった幕府の政策によって、地方大名らは江戸の武家屋敷の造営に注力を余儀なくされ、江戸には庭園都市といってもよいほどの多数の庭園が整備されます。 小石川後楽園(東京・文京区)。京都の名所、大井川を模した景観。散策を通じて日本各地や中国の名所を楽しむことができる。Takashi Images/Shutterstock.com 大きな池や川の流れ、滝や築山などを巡り歩いて観賞していく大規模な池泉回遊式の庭園が主流となった大名庭園は、船遊びや花見、月見、歌会など四季を通じて、藩の権威を示す応接・社交の舞台であり、余暇・文化活動の場として活用されました。 六義園(東京・文京区)。現在に残る数少ない江戸時代の大名庭園で、こちらは和歌の情景をたどる庭。Mistervlad/Shutterstock.com この時代、庭園に縮景として再現される景観には、文学作品などを通じて広く知られる名所の風景などが取り入れられ、庭園の散策には居ながらにして各地を旅するかのような楽しみが加わります。また、植栽は防火帯、池や水路は防火のための水域としても利用され、都市の防災に寄与する施設にもなりました。 金沢・兼六園(石川)の霞が池と唐崎の松。松の木に施された「雪吊り」は典型的な冬の風物詩になった。Joaquin Ossorio Castillo/Shutterstock.com 地震や空襲、その後の都市化により、東京に現在まで残るこの種の庭園はごく一部ですが、小石川後楽園や浜離宮庭園、六義園などが、わずかながらも江戸の大名庭園の姿を伝えています。また、地方藩主は国元でさらに広大な規模での庭園造営を盛んに行うようになり、三大大名庭園とされる、水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園をはじめ、各地方に大名庭園がつくられ、庭園芸術が普及していきます。 金沢・兼六園(石川)。左手前はツツジ、庭園には季節の花々や紅葉が華を添える。徽軫灯籠(ことじとうろう)はこの庭のアイコン的な存在。Wesley At Large/Shutterstock.com 一方、江戸時代初期の京都では、首都としての役割を終えたものの、伝統的な日本庭園の精華ともいえる桂離宮庭園、修学院離宮庭園などの公家による庭園文化が花開きました。池を中心にさまざまな景観を巡る池泉回遊式の形式は、豪壮さを重んじた大名庭園と共通ながらも、庭園の随所に見られる公家の雅の洗練を極めた簡素の美は、ブルーノ・タウトをはじめとする世界の文化人を唸らせました。 桂離宮(京都)。日本庭園の美の最高峰ともされる桂離宮での散策は、歩をすすめる度に、一幅の絵画が広がるよう。州浜から松琴亭をのぞむ景観は、京都の景勝地・天橋立を象ったもの。 桂離宮は数寄屋建築の最高峰であり、建物と庭園、随所に配置された茶屋を巡る全体の調和と完成度によっても、庭園芸術の最高傑作と評価されています。 次回は禅宗寺院から発展していった枯山水について見ていきましょう。
-
ガーデンデザイン

海外が憧れる日本の美。じつは「理想世界の表現」だった? 日本庭園の意外なルーツ
世界のセレブリティも絶賛する日本庭園の世界 日本最大の広さを誇る回遊式庭園、栗林公園(香川)。 フランスの方々を対象に、パリで日本庭園の入門講座を行うようになって、7年が経ちます。根強い日本庭園人気を目の当たりにするのは嬉しく、また日本人として身が引き締まる思いもあります。古くから世界のセレブリティの絶賛を受け、愛好家たちを持つ日本庭園の世界ですが、日本に居ながらも意外によく分からない、という方もいらっしゃるかもしれません。本連載では、私たち自身のルーツに深くつながる日本庭園の世界をご紹介していきます。 日本庭園のはじまり 平城京・東院庭園(奈良) Takashi Images/Shutterstock.com 日本庭園のはじまりは学説によって異なりますが、庭園的な造形要素と呼べるものは、古墳時代から見受けられます。私たちが今日イメージするような日本庭園のかたちが整ってくるのは飛鳥~奈良時代以降、平城京の東院庭園などの庭園遺構からはっきりうかがえる、水を使った庭園(池泉庭園)の自然風の構成の原型が現れるのがこの頃です。 日本庭園を育んだ2つの源泉 東アジア最大級のブナ原生林が広がる白神山地のブナ林(青森・秋田) Scirocco340/Shutterstock.com 現在につながる日本庭園のかたちが生まれた背景には、大きく2つの要素があります。1つは、古代中国・朝鮮半島から伝わった庭園芸術。稲作や文字など多くの渡来技術のなかに、造園技術がありました。同様に大陸からもたらされた哲学思想、仏教も庭園づくりに大きな影響を与えます。もう1つは、日本の風土気候と、森羅万象に生命や霊性が宿ると感じる世界観、古来の日本人がもつアニミズム*です。南北に長い国土、降雨量の多い温帯気候にあって、植生の多様性に恵まれた反面、台風や地震などの自然災害に常にさらされてきた日本人の自然観こそが、日本庭園を育む土台となります。 *アニミズム(animism)とは、人間に限らず、動物や植物、石、山、川などのあらゆる自然物や現象に霊魂(魂)が宿っていると考える思想や信仰のこと。 海洋風景と理想世界 文化の違いを超えて、庭園のはじまりは、理想世界、楽園、天国を表すことが多いのですが、じつは日本の庭園もそうでした。有機的な曲線を描くゆるやかな汀(みぎわ)をもった池は大海を、池の中島は、古代中国の伝説にある理想郷である蓬莱島を表します。それは、自然の海洋風景の再現のなかに、理想世界が象徴的に表された庭園空間だったのです。島国日本の心象風景は、何よりもまず、島々を囲む海にあったのでしょうか。 春は桜が満開の平等院鳳凰堂(京都)。cowardlion/Shutterstock.com この頃にはすでに、やはり日本庭園らしさの重要な要素である、自然石による石組(いわぐみ・いしぐみ)も見られます。早い段階から幾何学構成でつくられた西洋の庭園とは異なり、日本では、自然風景を縮尺して再現しながら、たとえば、聳え立つ自然石は仏教における世界の中心である須弥山(しゅみせん)を表すなどの象徴が重ねられ、典型的な日本庭園の空間へと発展していきます。空間づくりの要となる自然の風景の再現へのこだわりは、日本的な自然観、自然への畏敬の念の現れといえるでしょう。 『源氏物語絵巻』(国文学研究資料館所蔵) 出典:国書データベース 国風文化が完成される平安時代は、この海になぞらえた池を中心にした「池泉庭園(ちせんていえん)」の基礎的な構成が整ったとされます。寝殿造りの貴族邸宅を完成するのは、南側に設けられた池泉庭園であり、四季の移ろいを愛で、大きな池では船遊びや釣りを楽しんだ様子が、源氏物語などからもうかがえます。庭と建築を一体とした空間とする「庭屋一如(ていおくいちにょ)」の思想も日本の庭園の重要な要素であり、建築と庭園の姿は常に密接につながりつつ、変遷していくことになります。 3つの様式 ところで、ひと言で日本庭園といっても、イメージする庭の姿は一様ではないかもしれません。睡蓮池に太鼓橋がかかった風景をイメージする方もあれば、枯淡な枯山水の庭を思い浮かべる方もあるでしょう。日本庭園は大きく3つの異なる様式で捉えることができます。 ここまでに見てきたように、池を大海になぞらえ、自然風景を再現した「池泉庭園」は、日本の庭園のすがたの基礎であり、時代によってさまざまなかたちをとって発展していきます。 池泉回遊式庭園の例:銀閣寺庭園(世界遺産・京都)。 しかし、そればかりではありません。海外で日本庭園といえば、圧倒的にゼン・ガーデンなどと呼ばれる、いわゆる「枯山水」がイメージされることも多いのです。「枯山水」とは、水を使わず、石や砂で山水(風景)を表現した庭(ドライ・ランドスケープ・ガーデン)です。室町時代に禅宗寺院の修行にふさわしい象徴的な空間として禅的思想と密接な関係を持って生まれ、その後はより幅広く、大名や公家の書院造り庭園などでもつくられるようになっていきます。 枯山水庭園の例:龍安寺石庭(世界遺産・京都)。 さらに日本庭園の発展に大きな影響を与えたのが「露地・茶庭」です。これは室町から桃山時代の茶の湯文化の発展にともなって現れた庭園の様式で、茶の湯の精神に従って構成される野趣を旨とし、茶の湯に臨む心身を整えるための場として構想されました。 千利休による侘び茶とともに完成した露地の理念が、今日の茶庭の原型をつくったとされます。仏教的には俗世と悟りの世界をつなぐ小径を意味する露地は、禅的な思想からくる侘び寂びの美学、簡素・枯淡の美を志向する、新たな庭園空間を拓くことになります。また、露地の出現とともに庭園に取り込まれた、灯籠、蹲(つくばい)、飛び石などの構成要素が、現在では日本庭園になくてはならないアイコン・イメージとなっているのも興味深いところです。 茶庭の例:宝の庭(神奈川・北鎌倉) フランス庭園といえば、17世紀のフランス整形式庭園、イギリス庭園というと、まずは18世紀のイギリス自然風景式庭園というように、庭園様式は主にある国のある時代のものを指すことが多いのですが、日本庭園では、これまで見てきたように、歴史上で発展してきた異なる様式が重なる多面性が、さらに豊かな世界観を醸成しています。 次回は、これら3つの様式を、著名な庭園の例を交えて見ていきます。
-
ガーデン

【一度は行きたい】花好きを魅了するフランス「シュノンソー城」王妃たちの庭園を巡る旅
フランス王妃たちの庭園、花々が溢れるシュノンソー城 フランスの中央部を流れるロワール川の支流、シェール川のほとりに位置するルネサンス様式の優美な古城シュノンソー。古くは王室の居城であり、歴代女城主によって守られてきたことから、貴婦人たちの城とも呼ばれてきました。 フランス国王アンリ2世の王妃カトリーヌ・ド・メディシスと美貌で知られた寵妃ディアーヌ・ド・ポワティエのこの城をめぐる確執は有名です。そして現在のシュノンソー城では、歴史的な面影に新たな見どころが加わり、さらに魅力的になった庭園が見逃せません。 シェール川の水景を生かしたディアーヌの庭 ディアーヌの庭全景。 16世紀中葉、アンリ2世は最愛の寵妃ディアーヌ・ド・ポワティエに、王室所有であったシュノンソー城を与えます。ディアーヌはルネサンス様式の城をさらに整備し、美しい庭園をつくらせました。洪水対策として川面よりも高い位置につくられ、石壁で囲まれた構造を当時のままに残す12,000㎡ほどの「ディアーヌの庭」には、穏やかなシェール川の水景を生かした景観設計がなされています。外の景観を取り入れ、建物と調和したエレガントな庭園です。 ディアーヌの庭のポイントにはスタンダード仕立てにしたムクゲなども使われている。中央は芝生とミネラル素材で形づくられたアラベスク模様。 城から庭を見下ろした時に最もよく映える、芝生の上に描かれた端正な幾何学模様は、19~20世紀の著名な造園家アシール・デュシェンヌ(1866-1947)によるものです。 カトリーヌの庭 カトリーヌの庭。バラやラベンダーが使われたクラシカルで優雅なフォーマル・ガーデン。 城の建物を挟んで反対側には、アンリ2世が逝去するとすぐ、ディアーヌからシュノンソー城を奪回した王妃カトリーヌ・ド・メディシスがつくらせた「カトリーヌの庭」があります。かつては川向こうまで広がっていた庭園ですが、現在残る部分は約5,500㎡と、こぢんまりとした親密な雰囲気のあるルネサンスの整形式庭園です。 カトリーヌの庭正面のシェール川の向こう側にも森が広がる。 イタリアの庭園芸術の流れを汲んで、城の建築と一体化したシンメトリーな整形式のデザインは、城の景観を見事に引き立てています。庭園に動きを与える中央の噴水を囲み、リズムよく配置された壺などの彫刻を用いた装飾も、やはりイタリアの影響を受けたもの。 カトリーヌの庭から見たシュノンソー城。ロワールの古城の中でもひときわ優雅。 こうした整形式庭園の構成要素は、17世紀のフランス絶対王政の時代に、ル・ノートルによって完成されるフランス整形式庭園に引き継がれていきます。 スタンダード仕立てのバラや、ラベンダーなどが多用された植栽には、シュノンソー城らしい女性的でロマンチックな雰囲気が醸し出されているように感じます。 城内の窓から見た、穏やかに流れるシェール川と、川に面したカトリーヌの庭。城の周りは御伽話の世界にトリップしそうな、こんもりとした森に囲まれています。 ラッセル・ページの庭 ラッセル・ページ記念庭園。シンプルな洗練された緑の空間に、ラランヌの羊の彫刻が点在してユーモラス。 カトリーヌの庭から少し離れると、かつてカトリーヌが動物小屋や鳥小屋を作らせていた、現在はさまざまな木々が主体となった「緑の庭」があります。その先には、20世紀を代表するイギリスの造園家ラッセル・ページ(1906–1985)へのオマージュの庭があります。 全体にシンプルなシンメトリー構成のラッセル・ページの庭。庭を囲む壁に沿って、イギリス風のボーダー植栽が。 現代の造園家によって十数年前につくられたもので、城の建築に隣接した歴史的庭園空間とは異なり、モダンな美意識が感じられる、グッとシンプルに洗練された庭です。ページのモットーであった「自然と建築の調和」に則りつつ、シンプルな緑を生かした構成に、フランスの彫刻家フランソワ=グザビエ・ラランヌによるアート作品が彩りを加え、現代アートと庭園の融合を楽しめる空間でもあります。 フローリストの庭 フローリストの庭。 さらに、現在のシュノンソーの城と庭園の新たな魅力になっているのが「フローリストの庭」です。かつてルネサンス期には、実用のためのハーブ園やポタジェ(菜園)はあったにしても、 花々はあくまでも庭園の装飾要素、またはポタジェの一部であったに過ぎなかったようです。 訪れた9月はダリアが盛り。城内のアレンジメントの花々が花畑でも見られるので、散策するのもとても楽しい。 現在のシュノンソー城のポタジェはまさに「花のポタジェ」で、敷地内のレストランでも利用されるさまざまな栽培野菜とともに、リンゴの木やバラで仕切られた12区画の植栽エリアは、城内のフラワーアレンジメントに切り花として使うための季節の花々を提供する花畑になっています。ここで栽培された食用花は敷地内のレストランのシェフが料理に利用することもあれば、フローリストたちが野菜をアレンジに使うこともあり、さらなるクリエイティビティの可能性に貢献する庭にもなっているといいます。 庭の中には19世紀の農家を移築したフローリストのアトリエがあります。ここではワークショップなども行われるとのこと。 訪れた時には盛りは過ぎていてあまり目立っていませんでしたが、フランスのポタジェの野菜の定番であるアーティチョークは、じつはカトリーヌがフランスにもたらしたものの1つだそうで、そうした歴史的背景も考慮した城内のフラワーアレンジメントによく登場するのだとか。 フラワーガーデンと城内を飾るアレンジメント 城内のフラワーアレンジメントはどれも素敵で、この部屋ではランとケイトウ、ヨウシュヤマゴボウ、枝垂れるアマランサスなど、花器からこぼれるようなアレンジが。ヒストリカルな室内の雰囲気をさらに盛り上げている。 「フローリストの庭」が作られたのは2015年頃からと近年のことで、シュノンソー城は、ロワールの古城の中では唯一、自前のフローリストチームを抱える城でもあります。ヨーロッパ・ジュニア・チャンピオンで国家優秀職人賞を受賞した経歴をもつフローリスト、ジャン=フランソワ・ブーシェ氏率いる3名のフローリストチームが、城内19の各部屋を飾るフラワーアレンジメントを毎週作り変えています。 この時期、フローリストの庭で煙のような穂をつけていたグラス類の隣には、赤や黄色のケイトウやカンナも開花。 フローリストの庭では、毎年6万本以上の切り花用の植物が栽培されていますが、材料としてはそれだけではとても足りないそうで、毎朝アレンジメントの状態をチェックして、花材の発注をしたり、市場が休みの月曜の朝は、自然の中にグラス類などの花材を探しに出るのだとか。ブーシェ氏によれば、野生の素材はアレンジに命を与える点が素晴らしいのだということですが、これも自然に囲まれた城という環境ならではの贅沢でしょうか。 城内のアレンジメントは、シンメトリーを基本とした優雅でゴージャス、非常にオーナメンタルで、家具類やタペストリー、美術品のコレクションが飾られたルネサンスの城の各部屋に華を添え、次はどんなデコレーションに出会えるかと、歩を進めるのが楽しくなってくるほど。 また、非常に華やかなアレンジの中にも、シャンペトルな自然の雰囲気、季節感が強く感じられるのは、フローリストたちの美意識に加えて、庭や近隣の自然に結びついた素材の力も大きいのかもしれません。 大輪のダリアにヨウシュヤマゴボウが動きを添えるアレンジメント。 城の中も外も、見どころが尽きないシュノンソー城。オランジュリーはレストランとサロン・ド・テになっており、食事もゆっくりできます。花々に囲まれ、昔日の貴婦人になった気分で、一日ゆったりと過ごしてみたい場所です。 庭園内のかつてのオランジュリーはレストランとサロン・ド・テになっています。優雅な気分で食事やお茶を楽しめます。





















