花の女王と称され、世界中で愛されているバラ。数多くの魅力的な品種には、それぞれ誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りするこの連載。今回は、ゲーテの『野バラ』に触発され、多くの音楽家が作曲した歌曲にまつわるバラと、ゲーテとシューベルトの名を冠したバラにスポットを当て、解説します。
目次
童謡『野バラ』とゲーテの詩『野バラ』
ゲーテの詩『野バラ』は、日本では童謡として知られています。
よく唄われるのは、次の近藤朔風(さくふう)訳の歌詞です。
童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇
清らに咲ける その色愛でつ
飽かずながむ
紅(くれない)におう 野なかの薔薇
この訳詞では、子どもが野原で野生のバラに出会ったように解釈されることが多いと思います。
しかし、原詩とその意味は、じつは次のようなものでした。
バラよ、バラよ、赤いバラ/Röslein, Röslein, Röslein rot,
野に咲くバラよ/Röslein auf der Heiden.
初々しく、とても美しい/War so jung und morgenschön,
近くで見つめようと、急ぎ近づき/Lief er schnell, es nah zu sehn,
喜びあふれて眺め入る/Sah’s mit vielen Freuden.
バラよ、バラよ、赤いバラ/Röslein, Röslein, Röslein rot,
野に咲くバラよ/Röslein auf der Heiden.
ゲーテの詩は、子供が原野の中で見つけたバラではなく、じつは自分へ思いを寄せる娘を拒絶した若者の後ろめたさを述懐したものでした。想像上の話ではなく、実際の経験に基づいています。
1770年、ゲーテ21歳のときの苦い思い出を、のちにまとめたものです。
アルザス地方のストラスブルク(現フランス)に滞在していたゲーテは、近郊の都市ザッセンハイムの牧師館に住まう18歳の娘フリーダリケ・E・ブリオン(Friederike Elisabetha Brion:est1752-1813)に出会いました。フリーダリケは、若いゲーテへの恋心に燃え上がりました。しかし、ゲーテは彼女の一途な思いを袖にしてしまいました…。
詩の中で、愛らしい娘フリーダリケになぞらえて表現される赤いバラはいったい何だったのでしょうか。
国内では、ヨーロッパ北部に咲くロサ・カニナがそのバラだとする解釈が一般的ですが、カニナは薄いピンク、あるいは白い5弁花を咲かせる野生種です。当てはめるのには無理があるように感じます。
娘に例えられた‘赤いバラ’は、ロサ・ガリカ・オフィキナリス(Rosa gallica ‘officinalis’)ではなかったのかと常々思っていました。
18世紀後半、ヨーロッパで広く見ることができる赤いバラの多くはこの品種でしたし、ドイツ、ストラスブルクの牧師館に住む18歳の娘にふさわしいのは、田園の館の庭に咲くこの‘赤いバラ’なのではないでしょうか。
シューベルトの『魔王(Erlkönig)』とバラ
この詩に触発されて、多くの音楽家が歌曲を作曲しました。とくに有名なのが、フランツ・シューベルトによるもの(1815年)、そしてハインリッヒ・ヴェルナーによるもの(1829年初演)でしょう。
もう一つ、ゲーテの詩に基づくシューベルトの歌曲で名高いものは『魔王(Der Erlkönig)』ではないでしょうか。
嵐の夜、病気の息子を抱いて医者のもとへと急ぐ男、息子は父に魔王の姿が見えると訴えます。
かくも晩い夜と風のなかを抜け、馬をいそぎ駆るのは誰か?/Wer reitet so spat durch Nacht und Wind?
それは子を連れた父/Es ist der Vater mit seinem Kind;
彼は息子をしっかりと抱いている/Er hat den Knaben wohl in dem Arm,
息子よ、なぜ恐れおののき顔を伏せるのだ?/Mein Sohn, was birgst du so bang dein Gesicht? –
お父さん、魔王が見えないの?/Siehst, Vater, du den Erlkönig nicht?
冠をかぶり、尾が生えている魔王が?/Den Erlkönig mit Kron’ und Schweif? –
1815年、まだ世に知られていなかった若きシューベルトは、この詩に曲をつけました。今日まで広く歌われていることはご存じの通りです。
曲がつけられたことを知ったゲーテは、はじめシューベルトを評価しなかったようです。ゲーテはまたベートーベンの楽曲を高く評価しつつも、彼の傲岸さを忌み嫌ったとも伝えられています。同時代を生きた音楽家たちとは折り合いが悪かったのかもしれません。
『魔王(Erlkönig)』にちなんだバラがあります。
花色はモーヴ(藤色)。樹高250〜350cmのランブラーとなります。
この品種は1885年、ハンガリーのゲシュヴィント(Rudolf Geschwind)が育種・公表しました。ディープ・ピンクのランブラー、‘ド・ラ・グリフェレ(De la Grifferaie)’をもとに交配を重ねた品種の一つと見なされています。
シューベルトの『アヴェ・マリア』とバラ「湖上の美人」
シューベルトの歌曲でもっとも知られているのは『アヴェ・マリア』ではないかと思います。
『アヴェ・マリア』はそもそも祈祷の文言ですので、数多くの賛美歌、聖歌があります。しかし、耳にする機会が多いのは、フランスの音楽家シャルル・グノーがヨハン・セバスティアン・バッハの平均律クラヴィーア曲集 第1巻の「前奏曲 第1番 ハ長調」を伴奏として祈祷文を付した『アヴェ・マリア』と、シューベルトによる歌曲『アヴェ・マリア』だと思います。
シューベルト作曲の『アヴェ・マリア』は宗教曲ではなく、ウォルター・スコットの叙事詩『湖上の美人(The Lady of the Lake)』をもとにしています。この詩の冒頭、マリアに捧げる詩句は類ない美しさですが、シューベルトは、この詩のドイツ語訳に繊細でやさしい旋律を付しました。
アヴェ・マリア、やさしい聖処女さま/Ave Maria! Jungfrau mild,
乙女の祈りをお聞きください/Erhöre einer Jungfrau Flehen,
心すさんだ者にもあなたは耳を傾けてくださいます/Aus diesem Felsen starr und wild
絶望の底からもお救いくださいます/Soll mein Gebet zu dir hinwehen.
…
ザ・レディ・オブ・ザ・レイク(The Lady of the Lake:湖上の美人)と名付けられたバラがあります。
花色はミディアム・サーモン・ピンク、外輪は淡く色抜けします。
細く長い柔軟な枝に、美しく繊細な肌色に近いピンクの可愛らしい半八重の花を付けます。
柔らかな枝ぶり、樹高250〜350cmのランブラーとなります。
2014年に育種・公表されたイングリッシュ・ローズです。
ゲーテとシューベルトにまつわるバラ
ゲーテの名を冠したバラは複数あります。そのなかでも一番新しいのは、‘ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ・ローズ(Johann Wolfgang von Goethe Rose)’だと思います。
100弁になろうかというほど多弁の大輪花。鈍みを含んだダークレッドとなる花色です。意外なほど明るい色調の葉色も特徴的です。
樹高150cm前後のブッシュとなります。
2004年、ドイツの名門ナーセリー、タンタウ(Rosen Tantau)より育種・公表されました。
シューベルトにも捧げられたバラがあります。
それが、‘エクセレンツ・フォン・シューベルト(Excellenz von Schubert)’です。
花径3cmほどの小輪、40弁ほどのポンポン咲きの花が房咲きとなります。
花色はモーヴ(藤色)。春はミディアム・ピンクと呼んだほうがよい花色となることも多いようです。
180cmから250cmまで枝を伸ばす小さめのランブラーとなります。
1909年、ドイツのペーター・ランベルト(Peter Lambert)により育種・公表されました。
赤花のポリアンサ、‘マダム・ノルベール・ルヴァヴァスール(Mme. Norbert Levavasseur)’と白、大輪の‘フラウ・カール・ドルシュキ(Frau Karl Druschki)’との交配により育種・公表されました。
枝を覆い尽くすほどの絢爛たる房咲きということはあまりないようですが、藤色の花色、細く柔らかな枝ぶりは、いかにも優雅で日本人の感性にぴったりだと思っています。日本へ紹介されてから、ずいぶん日も経っているのですが、なぜかあまりポピュラーにはなっていません。もっと広く植栽されてしかるべき品種の一つだと思います。
今は閉鎖されてしまったアメリカのバラ販売会社「アリーナ・ローゼズ」のオーナー、アリーナ氏(Syl Arena)は、この‘エクセレンツ・フォン・シューベルト’は、数多いランベルトの育種品種の中でも最高傑作だと評しています。
Credit
写真・文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたいという思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。
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