にのみや・こうじ/長野県飯田市「セイセイナーセリー」代表。静岡大学農学部園芸科を卒業後、千葉大学園芸学部大学院を修了。ドイツ、イギリス、オランダ、ベルギー、バクダットなど世界各地で研修したのち、宿根草・山野草・盆栽を栽培するかたわら、世界各地で庭園をデザインする。1995年BALI(英国造園協会)年間ベストデザイン賞日本人初受賞、1996年にイギリスのチェルシーフラワーショーで日本人初のゴールドメダルを受賞その他ニュージーランド、オーストラリア、シンガポール各地のフラワーショウなど受賞歴多数。近著に『美しい花言葉・花図鑑-彩と物語を楽しむ』(ナツメ社)。
二宮孝嗣 -造園芸家-
にのみや・こうじ/長野県飯田市「セイセイナーセリー」代表。静岡大学農学部園芸科を卒業後、千葉大学園芸学部大学院を修了。ドイツ、イギリス、オランダ、ベルギー、バクダットなど世界各地で研修したのち、宿根草・山野草・盆栽を栽培するかたわら、世界各地で庭園をデザインする。1995年BALI(英国造園協会)年間ベストデザイン賞日本人初受賞、1996年にイギリスのチェルシーフラワーショーで日本人初のゴールドメダルを受賞その他ニュージーランド、オーストラリア、シンガポール各地のフラワーショウなど受賞歴多数。近著に『美しい花言葉・花図鑑-彩と物語を楽しむ』(ナツメ社)。
二宮孝嗣 -造園芸家-の記事
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フランス「リュクサンブール宮殿」の花壇【世界のガーデンを探る旅8】
『フランス「ヴェルサイユ宮殿」の花壇編【世界のガーデンを探る旅7】』で、フランスにつくられる花壇における色彩感覚について解説しましたが、場所をパリ市内のリュクサンブール宮殿に変えて引き続きフランス独特の植栽について話をしたいと思います。 「リュクサンブール宮殿」は、パリの中心部にあり、元老院の議事堂として使用されていた宮殿で、現在は公園として一般に公開されています。毎日パリ市民が三々五々集まってきて、気ままに花を眺めながらそれぞれの時間を楽しんでいます。特に春に植えた花壇の花々がちょうど見頃になる初夏には、毎日晴天が続くうえ夜は22時頃まで明るいことも手伝って、パリ市民には人気スポットになっています。 フランス式の混植花壇はここにも 「リュクサンブール宮殿」も、やはり混植の花壇です。まずご紹介するのは、宮殿の前庭です。オレンジ色のダリアにピンクのペチュニア、それぞれの個性的な色合いを和らげているその他の花は、ブルーのサルビアやフレンチマリーゴールド、濃い紫のペチュニア、ブルーサルビアなど。それぞれが混ざり合って、緑の芝生に映えてきれいです。 角度を変えて、花壇に近づいてみましょう。左の背の高いえび茶色の植物は銅葉ヒマ(別名トウゴマ、‘ニュージーランド・パープル’)です。渋い色合いといい、ボリュームといい存在感のある植物で、夏花壇のフォーカルポイントとしてぜひ使いたい植物です。 植栽リスト Case1 【赤~オレンジ色系】銅葉ヒマ、ダリア、ペチュニア 【黄色系】フレンチマリーゴールド、カルセオラリア、ルドベキア 【青~紫系】ペチュニア、サンジャクバーベナ、サルビア(メドーセージ) 【葉物】スイスチャード、タイム 園内には、あちこちに椅子がいくつも置いてあります。色も渋いモスグリーンで、人どめの柵も低くて花壇の観賞の邪魔にならず、足掛けとしてもちょうどよい高さ。こんなところにもフランスのセンスを感じます。全体が、それぞれ心憎いまでに、色彩のハーモニーをつくりだしています。 宮殿のサイドにある花壇は、螺旋状に花が植えられています。結構自己主張が強いピンクのペチュニアを赤や黄色のコリウス、オレンジのマリーゴールドなどが独特の調和を見せています。ベージュ色の園路の砂利までもが、うまく引き立て役にまわっています。 植栽リスト Case2 【赤~オレンジ色系】銅葉ヒマ、ダリア、ペチュニア、ジニア 【黄色系】フレンチマリーゴールド、カルセオラリア、ルドベキア 【青~紫色系】ペチュニア、サンジャクバーベナ、サルビア、ヘリオトロープ 【葉物】スイスチャード、コリウス 宮殿に近い花壇です。ここの特徴は、高さを低く抑えて絨毯のような彩りで、明るく宮殿の荘厳さを引き立てている点です。手前と奥の花壇でマリーゴールドの色を微妙に変えることで、単調な配色にならないように奥行きを出す工夫があります。左奥に見えるヤシの木は、冬にはオランジェリー(温室)に運び込まれて、翌年の出番まで静かに春を待ちます。 植栽リスト Case3 建物側 【黄色系】マリーゴールド 【紫色系】ペチュニア、サルビア、ヘリオトロープ 【白色系】ジニア 手前の花壇 【オレンジ色系】マリーゴールド 【紫色系】ペチュニア、サルビア 【白色系】ジニア 違う年の春の花壇です。丈の低い紫のチューリップと、花茎が長く背の高い紫とピンクの斑が入ったチューリップの2種の、シンプルな組み合わせ。3種のチューリップだけで、立体感のある色彩の帯ができています。低いツゲの黄緑色の縁取りがくっきり現れて、花壇をより引き立てています。 参考までにイギリスのハンプトンコートの花壇と比べてみてください。フランスとは明らかに違った感覚の植栽です。皆さんはどちらが好みでしょうか? イギリスの花壇に使われている植物は、外側からロベリア、マリーゴールド(白)、マーガレットコスモス(黄色)、斑入りのカンナ。 再び「リュクサンブール宮殿」に戻り、他の花壇の彩りをご紹介しましょう。 公園の森のあちこちに銅像などのモニュメントがあり、その足元は花壇に囲まれています。ゆるく盛り上がったここの花壇も、混植されていますが2〜3種類程度の限られた数の植物を使いながらも、はっきりとした色合いで演出されています。驚くことに、公園内のあちこちに点在するモニュメントのすべての場所で、花の組み合わせは異なっていました。 ここまでご紹介した花壇に植えられているほとんどの植物は、日本でも栽培されています。夏にはほとんど雨の降らないフランスとは違い、ダリアや球根ベゴニア、ゼラニウムなどは、雨が多く蒸し暑い日本では夏花壇での使用は真似ができませんが、花の色使いや組み合わせは、とても参考になります。 フランスの花壇、いかがでしたか? 『フランス「ヴェルサイユ宮殿」の花壇編【世界のガーデンを探る旅7】』でも解説したように、フランスにはいまだに印象派の色合いが受け継がれているように思いましたが、もしやその色彩感覚は、フランス人が生まれつき持っているセンスなのかもしれません。ちょうど日本人が墨色の濃淡で風景や感情を感じられることと同じかもしれませんね。
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フランス「ヴェルサイユ宮殿」の花壇編【世界のガーデンを探る旅7】
フランス式庭園を彩る花々から色彩感覚を探る 『「フランス「ヴェルサイユ宮殿」デザイン編【世界のガーデンを探る旅6】』では、ヴェルサイユ宮殿とフランス式庭園の誕生、そして庭全体のデザインについてご紹介しましたが、今回はフランス独特の植栽について、花壇を例に解説します。 ベルサイユ宮殿の春の花壇です。黄色系のスイセン(3種類)に赤系のチューリップ(4〜5種類)が混植されています。ポイントは濃紫の八重のチューリップでしょう。黄色や赤だけではぼやけた印象になるので、濃い紫を差し色にして、花壇の色彩を引き締めています。また白いスイセンを入れることにより、全体の色合いが単調に混ざるのを防ぐと同時に優しさをプラスしています。 低い草ツゲに揃えて、草丈の低い球根類に限定し、黄緑の草ツゲと深緑のイチイの刈り込みが花壇の色彩を引き立てています。特にイチイの深緑を点在させることで、広大な敷地に立体感と奥行きを生み、遥か向こうにあるアイボリーホワイトの宮殿までの距離感と重厚さを効果的に演出しています。 ヴェルサイユ宮殿の花壇づくりのテクニックを探る 植栽リスト Case1 【宿根草】ガウラ、マーガレット、ルドベキア、デルフィニウム、ダリア 【一・二年草】ニコチアナ、三尺バーベナ、クレオメ、サルビア、デージー他 こちらは、ヴェルサイユ宮殿の北側の花壇です。少し高めのツゲの刈り込みの中に、いろいろな花が植栽されています。一見無秩序に咲き乱れているかのようですが、それぞれ一塊のブロックになっています。写真の時期は初夏ですが、宿根草と一年草が入り乱れる植栽は、英国庭園に見られるナチュラルな植栽とは違い、モダンな印象を受けます。 植栽リスト Case2 【白色系】ニコチアナ、ストック、ペチュニア 【桃色系】ダイアンサス(セキチク系)2種類、ストック 【黄色系】コレオプシス 南側の花壇は、低い草ツゲのエッジが整ったカーペット花壇です。幾何学的な模様の中に背の低い花々が植え込まれています。一年草と二年草の組み合わせで1ブロック2mほどを1パターンとして、黄色、ピンク、白と繰り返して花色がつながり、まるで絵画の印象派を思わせる淡い彩りがガーデンに浮かび上がっています。 このように花色を混ぜ合わせる手法は、やりすぎると色が濁ってしまうのでセンスを要します。 黄花のコレオプシスに濃い桃色のダイアンサス…およそ調和し難いこの2色をニコチアナ、ペチュニア、ストックの白花がうまくつないでいます。このように10種類近くの草花を組み合わせながらも、色の混乱を避けることは、植物知識と色彩感覚、美的センスなど、さまざまな能力が必要です。しかも、この広大な敷地にタイミングよく植え込むのです。苗の確保と植え込み作業、その後のメンテナンスまでトータルに考え実行する…ガーデナーとは、なんとクリエイティブな仕事なのでしょう。 植栽リスト Case3 【赤〜桃色系】ゼラニウム、ベゴニア、セキチク 【青〜紫色系】バーベナ、ヒエンソウ 【黄色系】不明 【白色系】ペチュニア、ニコチアナ 初夏の植え込み直後と思われる花壇です。20〜25㎝間隔で苗が植え込まれています。これが1カ月も経てば、隙間なくお互いにくっつき合うように育ってくれるとはうらやましい限りです。日本は梅雨や夏の高温多湿により、病気や蒸れで草花へのダメージが大きいのですが、フランスでは高緯度による優しい日の光がぐるっと根元まで届くことや、涼しい夏のおかげで、ある程度の密植は問題がないようです。もちろん、有機物がいっぱい入った土づくりにも力を入れていることでしょう。 現代の花壇にも表現されている印象派‘モネ’の色 初夏の中央花壇です。なんて素晴らしい混植花壇なのでしょう。フランスの人たちの美意識の高さがうかがえる、とても魅力的な植物の組み合わせです。 植栽リスト Case4 【赤色系】ゼラニウム 【桃色系】ダリア(2種類)、ストック(八重)、バーベナ 【青〜紫色系】デルフィニウム 【白色系】デルフィニウム、ニコチアナ、シロタエギク 淡い桃色のダリアを中心に、ゼラニウムの独特な緋色がアクセントになっています。こんもり盛り上がったフラワーベッドには、垂直に立ち上がる縦のラインと、低く広がる淡い色。この色合いは、もしやあの絵画で見た色構成ではないでしょうか? オランジュリー美術館で展示されている、有名なクロード・モネの描いた‘睡蓮’です。ヴェルサイユ宮殿の花壇の色合いは、まさにこの絵そのものではないかと私は思うのです。晩年のモネは、目が徐々に不自由になり、ものの形がはっきり識別できなくなっていたそうですが、その中で描かれたこれら一連の作品‘睡蓮’は、色彩の魔術師と称され、今もなお多大な影響力を持つモネの集大成といわれています。この‘睡蓮’の色使いと、ベルサイユ宮殿の花壇の色づかいには多くの共通点があるように思います。フランスには、今もモネの色彩感覚が脈々と息づいていると感じるのです。 植栽リスト Case5 【赤色系】ゼラニウム、ダリア(2種類) 【白色系】クレオメ、コレオプシスデージー 【シルバーリーフ】不明 晩夏の中央花壇です。緋色のゼラニウム、桃色のダリア、そこに白花のコレオプシスデージーが独特の葉色とともに混植されています。初夏のデルフィニウムに変わって、白のクレオメがふわりと立ち上がり、咲き誇っています。桃色のダリアも草丈を伸ばし、初夏とは違ったボリューム感を見せています。 ヴェルサイユ宮殿のカーペットベディング ヴェルサイユ宮殿のずっと西の端、あまり人が訪れないエリアにまでカーペットベディング(毛氈花壇)がありました。白いエケベリアをうまく使って、赤いベゴニア・センパフローレンスやハゲイトウ、アルテルナンテラなどが使われています。日本では考えられない組み合わせですが、是非チャレンジしたいものです。ベッドを円錐状に盛り上げたり、斜面を生かした花の見せ方には感心します。 植栽リスト Case6 【赤色系】ベゴニア・センパフローレンス、アルテルナンテラ 【葉物】エケベリア、アスパラガス、シロタエギク フランスには、いまだに印象派、特にモネの色合いが色濃く残っているような気がしますが、いかがでしょうか? イギリスをはじめ、他の国ではこのような混植は見たことがありません。ぜひ皆さんも、フランスへ旅する機会があったらフランス式花壇をじっくり観察してください。フランスの草花が特に美しい季節は8〜9月です。
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フランス「ヴェルサイユ宮殿」デザイン編【世界のガーデンを探る旅6】
絶対王政の象徴 ヴェルサイユ宮殿 メソポタミアから始まった西洋の庭の流れは、イタリア・ルネサンスを経てフランス王朝へと受け継がれていきます。それまでは地中海が世界のすべてでしたが、バスコ・ダ・ガマやコロンブスなどの登場によって、大きな世界が認知され、植民地支配による莫大な富がフランスへと流れ込みました。ここに世界の富の中心がイタリアからフランスへと移り、絶対王政の象徴としてのヴェルサイユ宮殿がつくられたのです。 今回取り上げる「ヴェルサイユ宮殿」の庭は、後につくられる数々の庭へあまりにも大きな影響を与えた重要な存在。まずは、ヴェルサイユ宮殿の庭について、詳しくご紹介したいと思います。 フランス式庭園の誕生 フランスの王ルイ13世の狩猟場であったヴェルサイユの丘の上に建てられたヴェルサイユ宮殿。バロック建築の代表作とされるこの美しい建物は、太陽王ルイ14世の命で建築家ル・ヴォーとマンサールが設計し、建造に5年の歳月をかけて1665年に完成しました。 その後50年に渡ってさまざまに手が加えられ、全長550m、部屋数700室を超える豪華で重厚な宮殿が完成したのです。フランス式庭園の最高傑作といわれる庭園は、1667〜1670年に、アンドレ・ル・ノートルによってつくられました。ル・ノートルは、ルイ14世の依頼を受けてイタリアに旅し、かの地でいろいろな庭園を見て回ったといいます。イタリアの旅先で受けたインスピレーションを、彼なりにフランス風にアレンジし、重厚なヴェルサイユ宮殿の建物に負けない1,000ヘクタールもの庭園をつくり出したのです。 ヴェルサイユ宮殿とその庭園は、左右対称の配置になっています。宮殿正面広場には花や緑はまったく見られず、石の重厚感に圧倒されながら、バロック、ロココ調の宮殿に入ります。宮殿の中は外観とは打って変わって豪華絢爛。太陽王ルイ14世の名にふさわしい、きらびやかさを今も放っています。 宮殿を通り抜けると、目の前にはラトナの泉と見渡す限りのシンメトリックな庭園を見下ろすことができます。1919年に、ここでドイツと連合国によって締結されたヴェルサイユ条約により、第一次世界大戦が終わりました。 ル・ノートルがつくったフランス式庭園の特徴は、中心を通る軸線に対して左右対称に幾何学模様をデザインし、いろいろな要素を完璧なまでに配置しているところにあります。この庭園の誕生によって、自然をも支配する絶対君主の存在を人々に示しました。 もともと宮殿は、周囲を見下ろす丘の上に建てられたため、近くに水源がありませんでした。そこで、10㎞も離れたセーヌ川に「マルリーのポンプ」と呼ばれる揚水機をつくって、庭園内の噴水に使う水を水路で運び込んだのです。 宮殿を出て、左右に高く茂る緑の生け垣と真っ白な大理石の彫刻を見ながら丘を下っていくと、楕円形の「太陽神アポロンの噴水」にたどり着きます。ギリシャ神話の神アポロンが、4頭の馬が引く戦車に乗って海から出てくる様子を黄金色の彫像で表現しています。その場所から見上げる宮殿の威容は、まさに自然をも支配したいと願ったルイ14世の心意気を感じさせます。 毛氈花壇とボックスウッド 宮殿を出て左へ行くと、ペルシャ絨毯を思わせる毛氈花壇が広がる南の花壇があります。円錐形に刈り込まれた濃緑のイチイが効果的なアクセントとなり、低く刈り込まれたボックスウッドにより緑の幾何学模様が浮かび上がっています。緑の縁取りの中には、フランス独特の色合いの花々が咲き、訪れる人を引き込んでしまいます。 ルーフガーデンから見下ろすオランジェリー 緑と花の毛氈花壇を楽しみながら進むと、花壇の先に不思議な空間が広がります。と同時に自分がいた場所が、いつの間にかルーフガーデンでになっていることに驚かされます。石の手すり越しに見下ろすと20mほど下には、丸い池を配したフォーマルガーデンの緑とベージュ色の庭が広がっています。ここはオランジェリーに囲まれた春から秋までがシーズンの庭です。よく見てください。ほとんどの植物は緑の木箱に植えられていることにお気付きでしょうか? 植えられている植物は、オレンジの木や月桂樹、それに南の植物のヤシなどです。 これらの木々は、左側に建つ高い窓が配された部屋「オランジェリー」で冬越しをします。オレンジは、もともとインドのアッサム地方が原産地なので、フランスの寒さに弱く、また当時はまだガラスで囲まれた温室はなかったため、オレンジなどの木々は建物の中で加温して冬越しさせました。イタリア・ルネサンスで始まったオランジェリーも、庭とともに着実にフランスへと受け継がれていきます。当時の貴族の人々は、オレンジの実を楽しむだけでなく、冬にはオランジェリーでその香りも楽しんだことでしょう。 トピアリーの道とラトナの噴水 宮殿の裏から右、北の花壇へ行くと、ゆるいスロープの両側に、さまざまに刈り込まれたトピアリーが並ぶ園路があり、下ったその先には「ラトナの噴水」があります。ここでは4〜10月の毎週日曜日に音と水の祭典が開かれています。 ヴェルサイユ宮殿の庭は、基本は左右対称で東西に中心線が走っています。基本的な配置は左右対象ですが、それぞれのパートは必ずしも左右対称ではありません。場所ごとにデザインと工夫が施され、考えられるほぼすべてのタイプの庭がヴェルサイユ宮殿にはあり、そのアイデアの豊かさに驚かされます。ル・ノートルが残したこの庭が、現在までのフランス式庭園のすべてのモデルになっているといっても過言ではないでしょう。 このあと大航海時代に入り、フランス王朝の没落とともに世界の富と文化の中心がドーバー海峡を渡っていきます。イギリスでも最初はフランス式庭園が多くつくられますが、その話はまだまだ先のこと。次回『フランス「ヴェルサイユ宮殿」の花壇編【世界のガーデンを探る旅7】』では、ヴェルサイユ宮殿の花壇や、パリの庭の話をしましょう。
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イタリア式庭園の特徴が凝縮された「ヴィラ・カルロッタ」【世界のガーデンを探る旅5】
イタリア式庭園の特徴をすべて備えた「ヴィラ・カルロッタ」 北イタリアの庭園巡りも、いよいよこの庭が最後になります。イタリア式庭園の特徴であるテラス状になった植栽帯や、豊富な水と巧みな高低差を使った噴水、そして大理石彫刻の見事さ。さらには、どこにも負けない鮮やかな花の色。そのすべてが見られるのが「ヴィラ・カルロッタ」の庭です。 コモ湖を望むこのヴィラは、湖畔の入り口から正面を見上げると、フォーマルな佇まいの噴水と花壇の向こうにそびえ立つ白亜の邸宅が、緑の山を背景に威厳をたたえて我々訪問者を見下ろしているかのようです。 カルロッタ邸の歴史に関わった貴族たち ここは元々16世紀に絹貿易で財産を築いたクラリチ一族(Clerici family)のものでした。17世紀にミラノの銀行家ジョルジョー・クラリチ伯爵(Giorgio Clerici)の別荘として今の姿になり、その後19世紀にナポレオンの友人のジャン・バチスタ・ソンマリーヴァ伯爵(Gian Battista Sommariva)の手に渡り、庭を改修したり美術品を蒐集するなどしました。その後、この邸宅の名称になっているカルロッタの母親、マリアンネ公爵夫人の手に渡り、夫人の夫が広大な敷地内に植物園をつくりました。そして、結婚祝いに、このヴィラが娘のカルロッタにプレゼントされ、カルロッタ邸となったのです。この素晴らしいヴィラを贈られたカルロッタは、なんと23歳の若さで亡くなってしまいました。 何代もオーナーが変わりながら、7ヘクタールもの敷地の中には、カルロッタの父が世界中から集めた植物により植物園になったのですが、特に、日本のツツジやシャクナゲ、ツバキのコレクションは有名で、日本を思わせる竹林もあります。また、邸宅の中には数々の美術品も収蔵されていますが、なかでも、「ロミオとジュリエットの最後のキス」と題された18世紀末のロマン主義画家による作品が、近くの窓から見える湖の風景とも調和し、訪れる人にため息をつかせます。現在は、カルロッタ財団により運営、一般公開され、世界中から観光客が訪れています。 カルロッタ邸の敷地内をご案内します 外から見ると敷地内に高低差があることをあまり感じませんが、一歩中に入ると、前庭には十分な奥行きと広がりがあり、知らず知らずのうちに建物の足下までたどり着きます。そこから見上げるヴィラは白くそびえ立ち、その建物と庭の配置のすばらしい演出効果で、気がついた時は庭の中に吸い込まれているのです。 前庭から最上階のテラスまで登る左右対称につくられた階段には、白い大理石に映えるベゴニアとつるバラが咲き、そして上階の手すりにはアイビーゼラニウムが飾られています。植物のセレクトは、すべてイタリアンレッドです。 最上階からの絶景と庭の融合 テラスの最上階ではコモ湖を望み、遠くの山々が見渡せる絶景が待っています。ここにたどり着くまでに設けられている1段目のテラスと2段目のテラスが、最上階で待っている景色への期待感を徐々に高めてくれます。 まず前庭から階段を上り、最初のテラスに出ると、レモンやオレンジなどの柑橘類のトンネルが現れます。ここで一度周囲の眺望を消し去り、2段目のテラスに到着すると、背丈より高い赤いサルスベリで少し視界と明るさを取り戻します。さらに3段目の最上階へ到達すると、この庭の最高の絶景が目を楽しませてくれます。コモ湖の向こうには濃い緑の山々と蒼い空が広がり、手前に配置された1列の赤いハイビスカスの鉢植えが、それらを引き立てる心憎いまでの演出には、ただただ感心するばかりです。 お屋敷には美術品の数々 全体がパステルブルーに塗られた吹き抜けのメインホールに一歩入ると、真っ白な彫像やレリーフに目を奪われます。カノーヴァの彫刻をはじめ、さまざまな芸術品が当時のインテリアとともに鑑賞できるという贅沢なひとときも味わえます。 ヴィラの裏手にはまぶしい緑、そして振り返れば深い群青色のコモ湖と蒼い空が窓の外に広がっています。天井画や美術品に水面の反射光がさして、鑑賞するものすべてが輝いて見えます。 ヴィラの裏側にもかわいらしい花壇がありました。真っ白な大理石の砂利が緑の中に一際存在感を出しています。つげの生け垣のデザインもちょっとユーモラスで、ここでは赤に代わって優しいオレンジ色がアクセントに。園主のおもてなしの心が感じられます。 植物園の中の毛氈花壇では、寒い北風からヤシを守るように、背景にさまざまな高木や針葉樹の森が広がっています。緩やかな斜面には、ピンク、黄色、オレンジ、パープルとパッチワークのように夏の花が咲き、木々の緑と対比する花色の洪水が、不思議な迫力をつくり出しています。写真の右端に写っている人影と比べれば、この庭園のダイナミックなサイズ感がお分かりになると思います。 「ヴィラ カルロッタ」がある街、トレメッツォ 北イタリアの湖水地方の中でも美しいコモ湖を望む観光地、トレメッツォは豪華な邸宅が立ち並ぶことでも有名な場所です。かつて北イタリアはドイツ語圏(ドイツ、スイス、オーストリア)からの観光客が多かったのですが、今はアメリカンイングリッシュが聞かれ、英語がどこでも通じるので、安心して旅行ができます。 トレメッツォから少し離れた郊外の小さな村でも、広場には花に飾られた道標が出迎えてくれます。ルネッサンスから連綿と続いたイタリアの庭の歴史、宮殿からヴィラ、そして町の中へ。着実に、花のある豊かな暮らしの精神は引き継がれているようです。 ヨーロッパの富と文化の中心は、ルネッサンスの後、フランスの王族文化へと移っていきます。ルイ14世の命を受けたル・ノートルがイタリアを訪れ、そこから得たインスピレーションからベルサイユ宮殿の庭をデザインしていくというお話は、また次回にご紹介しましょう。
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これぞイタリアの色づかい「ヴィラ・ターラント」【世界のガーデンを探る旅4】
世界中の植物が2,000種集まった 絶景も見逃せない植物園 今回ご紹介する「ヴィラ・ターラントVilla Taranto」は、世界中の植物約2,000種類が集められた植物園(Botanical Garden)として公開されています。一つずつの植物を観賞するばかりでなく、丘の上からは遠くに雪をいただくスイスアルプスが望める絶景や、真っ青で穏やかなマッジョーレ湖を望む丘もあり、一日ゆっくり景色も堪能しながら、贅沢な時間を過ごすことができる場所です。そして何といっても、ここイタリアでしか見ることのできない素晴らしい色づかいの花壇植栽が魅力です。 お気に入りの土地にガーデンをつくったMr.ネイル この庭は、20世紀の初めにスコットランド人のネイル・マックイーチャン(Neil McEacharn)によってつくられました。彼はお気に入りの土地だったマッジョーレ湖のほとりの古いヴィラを1931年に買い取り、世界中から植物を集めたのちに、この地に植物園を兼ねた壮大な庭をつくりました。それがこの庭園です。16ヘクタールの敷地内には、回遊式のイングリッシュガーデンスタイルをベースにした、世界有数の植物のコレクションがあります。フォーマルな庭をはじめ、噴水やさまざまなフラワーベッドなどがちりばめられ、園路の総延長は7㎞にも及びます。1939年、彼には跡取りがいなかったため、完成した植物園の中に自分を埋葬するという条件で、イタリア政府にすべて寄贈し、現在に至ります。彼は今もこの庭の中心にある花壇の中に眠り、庭を見守っています。 この庭をつくったネイル・マックイーチャンの碑を囲むように、ドーム状に花を咲かせているのは、黄色とオレンジのジニア。シンプルな植栽ですが、とても効果的で華やかです。 巨大なコニファーが並ぶエントランスからガーデン観賞スタート 両側に緑のグラデーションをつくるパイネータム(針葉樹園)のエリア「コニファーアレー」から、ガーデン散策がスタートします。ゆるやかな上り坂を進むと、森林浴をしているような清々しい気持ちになります。1930年代に植えられた樹木は、樹齢100年を超え、見上げるばかりの大木です。それぞれの種の持つ自然樹形や性質を比較しながら見ることができます。さまざまなコニファーの緑の株元を彩っているのは、カラフルなインパチェンスのボーダー花壇です。コニファーの緑の補色である赤いインパチェンスだけでなく、白やピンクを混ぜ合わせることにより、必要以上に鮮烈な印象になりがちな色の対比を和らげて、訪れた人を優しく迎えてくれます。 さらに進むと、夏の終わりのボーダー花壇のエリアに到着。手前には燃えるような黄色と赤のケイトウの花穂が眩しく輝き、陽射しの下で光り輝いています。芝の緑と空の青に対比する花色を選ぶのは、イタリアならではの組み合わせです。芝生はしっかり刈り込まれて、花壇のエッジが効いた、とても分かりやすいガーデンデザインです。 この庭で一番の見どころ 丘の上のフォーマルなテラスガーデン 丘の上に到着すると、テラス状になった敷地は、中央に水の流れを配し、左右対称のフラワーベッドになっています。遠くに山を望む素晴らしい借景の中、緑と赤の対比が目に飛び込んできます。ブロンズの少年が眺めているのは、屋敷の向こう、雪をいただくアルプスの山々でしょうか。 ガーデン全体が強烈なイタリアンカラーで、原色を対比させた配色の中に不思議な静寂感があります。イギリスのナチュラルな植物の組み合わせとはまったく違った、面で色構成されるイタリアの庭デザインは、ほかでは見ることのないものです。フラワーベッドの植物の使い方と配色は、日本のように夏が蒸し暑くなく、カラッとした気候の北イタリアならではの花風景。インパチェンスやケイトウが生き生きと育つ様子を見ると、日本でもこの派手な色づかいを試してみたくなります。 園路沿いには草丈2mにも育った赤やピンクのインパチェンスと、株元を引き締めるアゲラタムの紫。とても日本では考えられないボリュームです。 園内のあちこちに見られる花の植え込み。散策の途中でも飽きさせません。 ハス池の周りにも、対比する花色のサフィニアの鉢植えがアクセントに。 湖から8㎞離れた場所ですが、噴水はパイプで汲み上げた自然の水を使っています。 屋敷を引き立てる強烈な花色のバランス 屋敷の横には、赤一色だけのケイトウ花壇と芝生の対比。アクセントにスタンダード仕立てのバラが空中に浮かぶことで、芝の庭との間をつなぎます。これも、この庭独特のデザインの一つです。 今回、この庭を取り上げた理由は、現代のイタリアの庭の多くが、これほどにはイタリアンカラーを強調していないという物足りなさを感じたためです。造園の歴史から考えると、この庭は時代としては比較的新しいほうですが、それぞれのお国柄に合った植栽と配色は、当時も現在も同じ傾向にあると思います。造園の歴史は、イタリアルネッサンスのあと、フランスやイギリスへと移っていきます。次回はもう一つ、イタリアルネッサンスのヴィラをご紹介します。
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イタリア「ボッロメオ宮殿」【世界のガーデンを探る旅3】
中世の世界へタイムスリップ イタリア北部の湖水地方の庭 ミラノの北側から東にかけたスイスとの国境近く、ピエモンテ州にはイタリア湖水地方と呼ばれる地域があり、古くからローマ人たちに避暑地として使われていました。そこにはいまだに多くの名園が残っています。湖水地方というとイギリスが有名ですが、イタリア湖水地方は明るく、歴史を感じさせる温暖な場所です。アクセスが不便なので、ミラノからレンタカーで目的地「ボッロメオ宮殿」へ向かいます。ブドウ畑の中を快適なドライブを楽しみながら東へ走ると、絵はがきのような山と湖、中世そのままの町並みが見えてきます。イタリア湖水地方は、昔も今も避暑地としてイタリアの人々に愛され、中世に贅を尽くしてつくられた多くの宮殿(ヴィッラ)と庭が当時のまま残っています。 数々の庭園が残るイタリア湖水地方 蒼い空と遠く雪をいただくアルプスを背景にするマッジョーレ湖には、パッラビッチーニ邸公園、ベッラ島やマードレ島のボッロメオ宮殿やターラント邸庭園があります。またコモ湖にはヴィラ・デステのイタリア式庭園、セルベローニ邸、メルツィ邸、カルロッタ邸などがあり、これら多くの庭が春から秋まで一般公開されています。イタリアの数ある宮殿の中でも有名なマッジョーレ湖に浮かぶイソラ・ベッラ島のボッロメオ宮殿(PALAZZO BORROMEO)もその一つ、とても素晴らしい場所です。ボッロメオ宮殿は、イタリアバロック建築最高峰の宮殿と庭園といわれ、春から秋まで見ることができます。 遊覧船から眺めるベッラ島の南側につくられた10段の庭園 マッジョーレ湖観光の中心地、ストレーザから遊覧船に乗ると、「美しき島」という名がついたイソラ・ベッラ島が近づいてきます。ボッロメオ宮殿は、この島の地形を巧みに利用して、ヨーロッパアルプスから湖面を渡って吹き下ろしてくる北風を防ぐよう北側に建てられ、南斜面に10段の階段状のテラスを巡らせています。まわりの庭園も含めて季節の花が咲き乱れ、ベッラ島全体がひとつの花園となり、訪れた人々をあたかも“エデンの園”に迷い込んだような気分にさせてくれます。イタリアでは花の色の組み合わせがフランスともイギリスとも違い、はっきりした原色系をマッシブ(塊)に配置することにより、大理石の重厚なバロック調のオーナメントとうまく引き立て合っています。 重厚な彫刻と噴水がお出迎え 宮殿から狭い門をくぐる巧みな演出のアプローチが、秘密の園へと誘われる期待感を一足ごとに高めてくれます。 アプローチの階段を上っていくと、ユニコーンを頂点に、バロック様式の重厚な彫刻が北イタリアの真っ青な空に突き刺さるような大迫力で現れてきます。ピラミッドのような左右対称のグロット風の噴水、それとテラスの花が絶妙なコンビネーションとなって、一つの異次元の世界をつくり出しています。訪れた者に何とも不思議な威圧感を醸し出しているように思えました。 フォーマルガーデンを見下ろす 水面から30mも高い最上段には、石が広く敷き詰められ、彫刻で囲まれた劇場広場があります。ここからは、はるか北にはスイスアルプスを望み、南には10段のテラス状の庭を見下ろすことができます。10段のテラスの途中には、四隅に大きなイチイの刈り込みがあるフォーマルガーデンがつくられ、その先にある船着き場まで、花で縁取られた素敵なアプローチが、地中海を思わせる深い青色の湖面まで続きます。 イタリアの庭のシンプルで明瞭な色づかいに注目 寒さに弱いオレンジの木やキョウチクトウは、テラコッタの大きな鉢に植えられて、夏を彩ったあとはオランジェリーに移動されることでしょう。階段を縁取るスタンダード仕立ての白バラ‘アイスバーグ’や真っ赤に花を咲かせるベゴニア・センパフローレンスが、大理石の白、湖と空の青をバックに際立っています。イチイの濃い緑と淡い芝の緑も加わり、そのすべてが競い合うようにイタリアらしさをつくりだしています。 起伏を生かした立体的な庭 遠く雪をいただいたスイスアルプスを背景にこの庭を巡れば、どんなアングルでも絵はがきのような景色になってしまいます。イタリアといえば、本場のピザとパスタ、それに美味しいワイン。どれもとっても日本人好みの味ですから、食の楽しみも存分に味わってください。以前はイタリア語とドイツ語しか通じませんでしたが、今は英語も十分通じます。ミラノからの運転も、治安も問題はありません。ぜひ一度ならず2度、3度と行かれることをオススメします。 併せて読みたい 世界のガーデンを探る旅2 イタリア「チボリ公園」 世界のガーデンを探る旅1 スペイン「アルハンブラ宮殿」 世界のガーデンを探る旅14 イギリス発祥の庭デザイン「ノットガーデン」
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イタリア「チボリ公園」【世界のガーデンを探る旅2】
華やかな幾何学式庭園 チボリ公園 イタリア式庭園は華やかな幾何学式庭園で、高低差のある斜面につくられるテラス状(階段状)の棚田のような庭園の中にふんだんに水を使った噴水を配したり、庭の随所には、国宝級の大理石の彫刻が効果的に配置されています。また、園路はタイルなどでモザイク模様が施され、それを引き立たせる糸杉や傘のような丸い形をしたイタリアマツが茂っています。そんなイタリア式庭園の原形ともいえる庭が、このチボリ公園です。デンマークのコペンハーゲンにも、この公園をまねた同じ名の庭園があります。 ルネサンス華やかなりし頃(15~16世紀)、イタリアの貴族たちは、暑い夏のローマを嫌って北イタリアや丘陵地に避暑に出かけました。ローマ平野の東の端、ここチボリの丘も避暑地として古くからローマの富裕層や貴族に利用されてきた場所です。避暑とは、暑さを避ける目的だけではなく、いろいろな病気を運んで来る蚊を避けるためでもありました。今も昔もオリーブとぶどう畑が周辺に広がるこの場所へ、1550年、エステ家がアニエーネ川から水を引いて、500もの噴水を持つ庭園を急斜面につくったのです。 宮殿に入り、壁にかかったフレスコ画や壁や天井の装飾に目を奪われながら歩いて行くと、突然視界が開けます。足下には、イタリア式庭園の特徴である高低差を巧みに利用した、いくつものテラスとさまざまな噴水を持つ壮大な庭園が現れます。そして、そのはるか向こうには、遠くローマ平野を見渡すことができます。 宮殿から庭に下りて行くと、数々の噴水に驚かされます。しぶきを上げて水を噴き上げるものや、滝のように高所から流れ落ちる水、たっぷりと水を貯め絶え間なく波打つ水面など、あちこちから聞こえてくる水音と勢いのある水の姿。これほど贅を尽くした演出がほかにあるでしょうか。 苔むした名所「100の噴水」 今ではすっかり苔むした名所「100の噴水」も、迫力満点の演出です。何段にもなった噴水は、当時のままの姿で絶えることなく水を噴出させています。水の噴き出し口がいろいろな動物にかたどられていたり、孔雀の羽を模した扇状に広がる噴水、それらの噴水の中央にはエステ家の紋章の鷲が配置されています。100mにも及ぶこの噴水は、自由な発想の中にもフォーマルな雰囲気が漂う実に見事なデザインだと思います。じつは、噴水はイタリア人が考え出した大発明の一つで、この庭では地形の落差を利用しながら、アニエーネ川から引いた水を使って、さまざまな形の噴水がつくられました。 宮殿から眼下に広がる庭園を見渡す。水面の輝きとしぶきが左右対称となり、たっぷりとした木々の緑が周囲を覆うチボリ公園。「アルハンブラ宮殿」をつくったアラブ人の考え、‘流れ出した水が世界を潤す’という世界観が、ここにも受け継がれています。 庭園の最大の噴水「オルガン噴水」 かつては流れる水がパイプオルガンを奏でるようになっていたそうですが、今では残念ながら曲を奏でてはいません。ここがこの庭の最下部。ここまで下りてくると、初めて庭の全貌が明らかになります。 次々現れるいろいろな噴水を見ながら歩を進めているうちに、いつの間にか急な斜面につくられているはずのガーデンの下方にたどり着いてしまうという心憎い演出に、ただただ感心するばかりです。 チボリ庭園と共に世界遺産となっているハドリアヌス邸、紀元1世紀にローマ皇帝ハドリアヌスがつくった別荘の遺構が、チボリ庭園から少し下った所にあります。ここでは、ハドリアヌスがギリシャを偲んでつくったというギリシャ式庭園を見ることができます。ぜひチボリ庭園を訪れた際には、時間をたっぷりつくって、当時の面影を残すこの地域を散策し、思いを巡らせてください。 併せて読みたい 世界のガーデンを探る旅1 スペイン「アルハンブラ宮殿」 世界のガーデンを探る旅14 イギリス発祥の庭デザイン「ノットガーデン」 松本路子の庭をめぐる物語 フランス・パリ「ロダン美術館の庭園」と秋バラ
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スペイン「アルハンブラ宮殿」【世界のガーデンを探る旅1】
ヨーロッパの庭の歴史をひもとくと、紀元前600年頃、チグリス・ユーフラテス文明のバビロンの空中庭園から始まります。当時の世界の七不思議の一つにも数えられていて、宮殿のテラスや屋上につくられた緑の庭園だったようです。乾いた灼熱砂漠を旅してくると遥か陽炎の彼方に緑の庭園が、あたかも蜃気楼のように浮かび上がって見えたということから、空中庭園と呼ばれるようになりました。 その後、庭の文化は、一方は地中海の北側沿いにギリシャからローマ、もう一方はイスラム教とともに北アフリカからモロッコ、さらにジブラルタル海峡を渡ってスペインのグラナダへと流れていきます。その到達地である小高い丘に建てられた「アルハンブラ宮殿」は、ヨーロッパに現存するガーデンとして最古のものと考えられています。いにしえの人々が過ごしていたであろう当時のガーデン風景を見ることができる貴重な場所で、今も世界中から観光客が訪れています。 まずは、アルハンブラ宮殿の起源を探ってみましょう。この地に最初にやってきたのは、7世紀にジブラルタル海峡を渡ってきた北アフリカのムーア人(ベルベル人)たちで、コルドバの平野に突き出た小高い丘に城塞都市として、アルハンブラ宮殿の原形を築きました。その後、イベリア半島の大半を支配するまでになりましたが、当時の首都はイベリア半島をもう少し中に入ったコルドバであり、ここアルハンブラは単なる一城塞都市でした。 8世紀にはイスラム教徒が、その後もいろいろな人々によって増改築が行われました。15世紀にキリスト教のレコンキスタ(国土回復運動)が始まり、ピレネー山脈を越えてイベリア半島を徐々に南下してきましたが、イスラム王国は最後までグラナダを手放しませんでした。しかし15世紀の終わりになると、ついにキリスト教徒の手によって陥落し、ヨーロッパからイスラム王国はなくなりました。 では、アルハンブラ宮殿の中を見ていきましょう。このライオンの中庭は、宮殿のほぼ中央に位置し、メソポタミア時代のアラブ人が、チグリス川のほとりで世界のというものを考えた時、きっとこのようになっているのであろうと想像した世界観がもとになっているといわれています。世界の中心(バビロン)は平らで、きれいな水があふれており、そこから四方に流れ出て大地(世界)を潤す。 その世界は12頭のライオンによって下から支えられているのでは! と考えられていました。旧約聖書の中でも<花が咲き乱れるエデンの園(パラダイス)から4本の河が流れ出し、世界を潤す>と書かれています。この四分割庭園(四分庭園)がもとになり、のちにフォーマルな形としてイタリア、フランス、イギリスへと受け継がれていきます。 皮肉にもレコンキスタで北から徐々にグラナダにキリスト教徒が迫ってきた頃、アルハンブラのスルタン(王様)によって多くの手が加わり、現存する建物や庭がつくられました。ライオンの中庭を取り巻く回廊状の建物の部屋にはイスラム文化を象徴するドーム天井(モカベラ)がつくられ、幾何学模様(アラベスク)によって隙間なく埋め尽くされています。 アラベスク模様の意図するものは、イスラム教では自然の中にある秩序であり、神との統一性を表すものです。この部屋の中に入ると、誰もが何とも不思議な感覚に襲われます。 アルハンブラ宮殿より少し北へ歩いていくと、「ヘネラリフェ」という美しい庭園があります。ここは、14世紀に王の別荘として建てられた所で、城塞を兼ねたアルハンブラ宮殿より少しくつろいだ雰囲気があります。 中央に噴水をあしらった水路があり、その周りには色とりどりの植物が植えられています。命の象徴であるきれいな水をふんだんに使って季節の花が咲き乱れるさまは、あたかもパラダイスのようです。同じ頃イタリアでは、噴水を使ったイタリア式庭園(ルネッサンス時代)が多くつくられていましたので、その影響があったのかもしれません。 アルハンブラ宮殿は、長い歴史の中で何度も増改築が行われました。また、城塞から居住地となり、別荘、避暑地としても使われましたので、いろいろな庭のタイプを見ることができる、世界でも類を見ない特別な場所です。 特にイスラムからキリスト教へと文化的背景が大変貌をとげても、大きく破壊されることなく今に引き継がれているのは驚きです。デザイン的にはシンメトリックを基調にしていますが、さまざまなタイプの庭を見ることができるアルハンブラ宮殿は、今もなお現代の庭に大きな影響とインスピレーションを与え続けています。