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【バラの名前】19世紀フランスの文豪に捧げられたバラ「ギィ・ドゥ・モーパッサン」

【バラの名前】19世紀フランスの文豪に捧げられたバラ「ギィ・ドゥ・モーパッサン」

バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによるバラと人をつなぐフォトエッセイ。今回取り上げるのは、19世紀フランスの文豪ギ・ド・モーパッサンに捧げられたバラ‘ギィ・ドゥ・モーパッサン’。美しいバラの写真とともに、彼の著作や人生についてもご紹介します。

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バラとの出会い

バラ‘ギィ・ドゥ・モーパッサン’
清楚なつぼみは、やがて艶やかに花開く。モーパッサンの名前を冠されたバラは、バラ園でもひときわ輝いて見える。

バラ園を巡っていると、花を愛でると同時にバラの名前のタグに目がいく。かなり以前から見かけて、ずっと気になっていたバラに、フランスの作家の名前が冠せられた‘ギィ・ドゥ・モーパッサン’がある。その名前を見るたびに、20代の頃に途中で読むのをやめてしまった『女の一生』という小説のことが思い出された。当時は意気盛んで、主人公の煮え切らない態度にいらだったのが最後まで読まなかった理由だが、バラの名前に誘われて、モーパッサンの小説を改めて読んでみようと思いたった。

バラ‘ギィ・ドゥ・モーパッサン’

作家・詩人、ギ・ド・モーパッサン

ギ・ド・モーパッサンの肖像
フランスの写真家ナダールによって撮影されたギ・ド・モーパッサンの肖像。Nadar, Public domain, via Wikimedia Commons

モーパッサン(Guy de Maupassant 1850-1893)は、19世紀後半に台頭したフランスの自然主義作家の一人として知られる。『女の一生』に代表される長編小説を6編発表しているが、短編小説の名手でもあり、その著作の数は300近いともいわれている。島村藤村や永井荷風など、20世紀初頭の日本の作家に与えた影響は大きく、モーパッサンの名前は、わが国でも広く知られている。

フランス、ノルマンディー地方の町の裕福な家庭に生まれたモーパッサンは、自然豊かな地で、漁師や農夫の子どもたちと遊ぶ幼少期を過ごしている。『女の一生』をはじめ、多くの小説がノルマンディー地方を舞台とするなど、その著作には作者の少年時代の環境が色濃く反映されている。

文学好きな母親の影響で、子どもの頃からシェイクスピアの戯曲を読み、自由な空想の世界に惹かれたモーパッサンは、13歳の頃から詩作を始めた。パリ大学在学中の20歳の頃にフランスとプロイセン(後のドイツ)との間に戦争が勃発。遊撃兵として召集されて惨禍を目撃した体験は、その後の彼の人生に深い影を落としている。

文壇デビュー

22歳でパリに出たモーパッサンは、母の勧めで同じノルマンディー地方出身の小説家、ギュスターヴ・フローベールと出会った。『ボヴァリー夫人』で著名な作家フローベールは、彼を愛弟子とし、7年間にわたり薫陶を与え続けた。

フローベールに紹介され、エミール・ゾラに会ったモーパッサンは、ゾラのまわりに集まる若い文学者たちと交流し、ゾラの別荘で文学を論じ合っていた。1980年、ゾラが編んだ短編集『メダン夜話』に小説『脂肪のかたまり』を発表。6人の作家がフランスとプロシャの戦争を題材にした作品を持ち寄ったこの本の中で、モーパッサンの短編の評価が群を抜いて高く、事実上の文壇デビュー作となった。

短編小説『脂肪のかたまり』

『脂肪のかたまり』(オランドルフ社版)
モーパッサンのデビュー作となった『脂肪のかたまり』(オランドルフ社版)の表紙。

『脂肪のかたまり』は、プロイセン軍占領下のフランスの町を抜け出す馬車の客10人の物語。そのうちの一人『脂肪のかたまり』と呼ばれた娼婦と、他の客との6日間の道中の出来事が描かれている。作者は登場人物に「鉄砲でわたしらの子どもたちを死なせると、立派なことになるんですよ。一番余計に殺したものが勲章なんかもらってね」(岩波文庫刊、高山鉄男訳)と語らせている。戦争を呪い、愚かさを憎む作者の心情が託されたものだ。

同時に馬車に乗り合わせた客たちが示す社会の縮図ともいえる人間模様の描写が際立っている。ブルジョアや貴族、革命家、修道女といった客たちのエゴイズムと偽善が絶望的なまでに表現されているのだ。こうした著作からモーパッサンは悲観主義者といわれる。だが、彼の人間を見るまっすぐな眼差しが、読者の胸に温かなものを残すのも、また事実だと思う。

『女の一生』の自然描写

『女の一生』(新潮文庫、新庄嘉章訳)
モーパッサンの代表作『女の一生』(新潮文庫、新庄嘉章訳)の表紙。

『脂肪のかたまり』の3年後に刊行されたのが、代表作と評される『女の一生』。物語はフランスの男爵家に生まれたジャンヌが、修道院で教育を受け、17歳でノルマンディーの海辺の館に帰るところから始まる。その館と庭園の描写が素晴らしく美しい。特に庭の芝生に立つ鈴懸や菩提樹の木、所有する農園との境にあるポプラの並木路、野原の先にある海岸の真っ白な断崖、それらすべてが彼女の行く末を祝福しているように思える。

「ジャンヌは幸福感でなんだか気でもちがったような気持だった。輝かしい自然の事物を前にしての狂おしいばかりの歓喜、無限の感動が、彼女の心を躍らせ、心は茫然と己を失っていた。これは私の太陽だ! 私の夜明けだ! 私の生活の始まりだ! 私の希望の門出だ! 彼女は太陽を抱きしめたい欲望にかられて、輝きにみちた空間に両腕をさしのばした」

(新潮文庫刊、新庄嘉章訳)

『女の一生』の物語

バラ‘ギィ・ドゥ・モーパッサン’

『女の一生』は、輝かしい未来を夢見た主人公が、恋に憧れ、結婚生活を始めた結果、夫に裏切られ続ける。また溺愛した一人息子の放蕩三昧から館や農園を手放す羽目になるという、いわば苦闘に満ちた人生の物語だ。本の解説には、深い孤独感と悲観主義に支配された小説とある。確かに主人公を襲う悲劇は耐え難いものだが、最後まで読むと不思議と絶望的な気分に陥らない何かがある。

それは主人公が生まれながらに持った無垢な魂を、最後まで持ち続けたことからくるのではないだろうか。自ら何かを変えようとは動かないが、世の流れに迎合しないことで、自分を保ち続ける。作者は一人の女性の人生に起こった事実の断片を淡々と重ね、主人公もどこかでそれを受け入れ、達観しているようにも見える。

小説『女の一生』の原題は『UNE VIE』(「ひとつの生涯」)。サブタイトルに「ささやかな真実」とある。原題のほうが、作者と主人公の距離感に近いような気がするのは私だけだろうか。

映画「女の一生」

映画「女の一生」

『女の一生』はこれまで何度も映画化されている。小説は刊行されてから100年以上経つが、2016年(日本公開2017年)にも新たにフランス、ベルギー合作映画が製作された。監督はステファヌ・ブリゼ、主演はジュディット・シュムラ。原作に忠実なストーリーで、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞にノミネートされている。

モーパッサンの晩年

パリのモンソー公園
パリ8区の凱旋門近くにある18世紀風に作られたモンソー公園。その一画に、1897年に設置されたモーパッサンの胸像が建っている。かたわらの女性像は、長編小説『死の如く強し』の登場人物とされる。lembi/Shutterstock.com

『女の一生』を出版後、モーパッサンは10年間で300以上の作品を発表するなど、精力的に執筆を続けたが、28歳の頃から神経疾患に悩まされるようになった。弟も同じ病だったので、遺伝的なものだったのだろう。1892年にパリの精神病院に入院し、翌年そこで亡くなっている。43年の生涯だった。パリ8区のモンソー公園にはモーパッサンの彫像が建てられ、彼を敬愛していた永井荷風が公園を訪れたという逸話が残っている。

バラ‘ギィ・ドゥ・モーパッサン Guy de Maupassant’

バラ‘ギィ・ドゥ・モーパッサン’

19世紀フランスの自然主義作家、モーパッサンに捧げられたバラ。1995年、フランス、メイアン社のアラン・メイアン作出。

四季咲き性
花姿:ややサーモンがかったピンクの花色で、浅いカップ咲きから、咲き進むとクォーターロゼット咲きに変化する。
花径:7~10cm
樹高:90~120cm
樹形:半横張り性
香り:青りんごのようなフルーツ香

斑入りの葉に枝変わりしたバラに、メイアン作‘ギャラクシー・エ・モーパッサン’がある。

バラ‘ギィ・ドゥ・モーパッサン’
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