おかざき・ひでお/早稲田大学文学部フランス文学科卒業。編集者から漫画の原作者、文筆家へ。1996年より長野県松本市内四賀地区にあるクラインガルテン(滞在型市民農園)に通い、この地域に古くから伝わる有機栽培法を学びながら畑づくりを楽しむ。ラベンダーにも造詣が深く、著書に『芳香の大地 ラベンダーと北海道』(ラベンダークラブ刊)、訳書に『ラベンダーとラバンジン』(クリスティアーヌ・ムニエ著、フレグランスジャーナル社刊)など。
岡崎英生 -文筆家/園芸家-

おかざき・ひでお/早稲田大学文学部フランス文学科卒業。編集者から漫画の原作者、文筆家へ。1996年より長野県松本市内四賀地区にあるクラインガルテン(滞在型市民農園)に通い、この地域に古くから伝わる有機栽培法を学びながら畑づくりを楽しむ。ラベンダーにも造詣が深く、著書に『芳香の大地 ラベンダーと北海道』(ラベンダークラブ刊)、訳書に『ラベンダーとラバンジン』(クリスティアーヌ・ムニエ著、フレグランスジャーナル社刊)など。
岡崎英生 -文筆家/園芸家-の記事
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おすすめ植物(その他)
植物図鑑には書いてない!小さな庭の作り方で気をつけたい雑草化する植物6種
小さな庭で雑草化して困る植物① 地下茎を伸ばしてところ構わず出現するラズベリー ラズベリーは初夏に白い地味な花を咲かせ、やがてそこに小さな赤い実ができ、それが完熟するのを待って収穫すると、タネは木のほうに残り、平べったい果肉だけを採取できる。 この果肉は生食ではあまり美味しくない。ところが、砂糖を加えて加熱すると、素晴らしい香りと風味が出て、とても美味しいフレッシュジャムになる。 だが、ラズベリーは庭に地植えすると、3〜4年後には地下茎があちこちに伸びて、やたらに増え始める。私の庭では今、ウッドデッキの真下で成長した株がデッキの隙間から茎と枝を伸ばして、ふさふさと葉を繁らせている。デッキの上を歩くと、それが足に突っかかるので邪魔で仕方がない。ラズベリージャムの美味しさは魅力的だけれど、デッキの真下から生えたこの株には、いずれ退場願うことになるだろうと思う。 そんなわけで、ラズベリーは庭への地植えは避け、大鉢に植えて、トレリスなどに絡ませて楽しむほうがいいのではないか。 小さな庭で雑草化して困る植物② かわいい花とは裏腹の陣取り大将スズラン スズランは夏の初めに白い小さなベル型の花をつける。それが縦に一列に並んで咲いている様子はとても可愛らしいし、白いベル型の花にはちょっと強すぎるくらいの芳香もある。 フランス語で「ミュゲ」と呼ばれるスズランの香りは、香水の調合に利用されており、ミュゲのエッセンシャルオイルは天然香料ではローズ、ジャスミンと並ぶ三大香料の一つとされている。 だが、スズランはできれば自然の中で野生の状態で咲いているのを楽しみたい植物だ。庭に植えると、1〜2年はどうということもないが、4〜5年、あるいは7〜8年ぐらい経つと、庭中のあちこちにタネを飛ばして増えまくる。その増えた場所では地下茎でつながっているので、地上部を刈り取っただけでは除去したことにならない。 あるハーブ図鑑には「スズランはハーブガーデンには欠かせない植物」とあるけれど、ま、かなりの広さがあるガーデンなら、植えても問題はないだろう。だけど、日本の比較的狭小な個人庭にスズランを植えるのは、ちょっと考えものだ。 小さな庭で雑草化して困る植物③ 思った以上に巨大化するモッコウバラ モッコウバラは毎年細いシュートをたくさん伸ばし、無数の小さな花をびっしりとつけるので、アーチ状に仕立てたり、フェンスに絡ませたりすると、素晴らしい景観をつくり出してくれる。黄花種のキモッコウバラは匂わないが、白花種のモッコウバラにはほのかな甘い香りもある。 だが、これらモッコウバラは生育が非常に旺盛で、年数が経つと根元の株周りが20㎝以上もあるような大株になる。そしてシュートが家の外壁や雨水管や屋根へと這い上がり、それを剪定するのはとても大変な作業になる。わが家には今、そういう大株になってしまったモッコウバラが黄花種と白花種の2株あり、私としてはもう退場させたいのだけれど、ウチの奥さんにその意向を伝えると、物凄い剣幕で「切っちゃ駄目ッ!」。 その勢いと三角目玉の何と恐ろしいことか! 勝手に切ったりしたら、離婚されかねない。というわけで、大株になりすぎた2株のモッコウバラ、はてさてどうしたものかと、悩み続けている私の今日この頃……。こちらにも体力があるうちはよいのだが、年齢とともに扱える品種も変わってくるなぁと実感している。 小さな庭で雑草化して困る植物④ 増殖スピードがハンパないソープワート ソープワート(サポナリア・オフィキナリス)はシソ科のハーブ。夏に咲く径1㎝ほどの花には、うっとりするような甘い香りがある。そして名称に「ソープ」とあることからもわかるように、葉をもんで浸出させた液には石鹸のような効果があるので、古くから非常に珍重されてきた植物なのだという。 だが、私が今、「植えなきゃよかった!」と一番後悔していのが、このソープワート。 何しろ、この植物も花が終わるとタネを庭のあちこちに飛ばして増えまくる。そして、スズランと同様、増えた場所では地下茎でつながりながらさらに増殖を続けるので、完全に取り除くのは不可能。 私の庭では今や、バラの近く、シャクヤクの隣、垣根の下など、ありとあらゆる場所に増えて勢力を拡大しており、見つけ次第に引っこ抜いているのだけれど、増えるスピードにはとても追いつかない。 英国のある女性のハーブ研究家は「ソープワートは愛らしい庭園用のハーブとして趣がある」なんてその著書に書いてくれちゃっているけど、私としては、「あんた、ソープワートを本当に栽培したことあるの!?」とツッコミを入れたいところ。 というわけで、この際、以下のように断言しておきたい。英国の広大な庭園ならいざ知らず、ソープワートは日本の狭小な個人庭には「直植えしてはいけない」植物です! 育てたい場合は植木鉢が無難。 小さな庭で雑草化して困る植物⑤ タネを飛ばして増えまくるシオン シオン(紫苑)はキク科の大型の多年草。秋になると、高さ1.5〜2mほどになり、先端に小さな紫色の柱状花をつける。それが秋空の下で風に揺れている様子はどことなく平安朝風で、何とも優美。皇后美智子さまがお好きな植物だというのも、いかにもと頷ける。 だが、私が今、「植えなきゃよかった!」と後悔しているもう一つの植物が、このシオンだ。 というのも、これまた花が終わると庭中のあちこちにタネを飛ばして増えまくるからだ。私の庭では今や、予想もしなかったところ、そんなところに増えられちゃ困るよというところなど、いたるところに広がっており、抜いても抜いても追いつかない。 というわけで、このシオンも、日本の狭小な個人庭には向かない植物、というより植えないほうがいい植物の代表例として挙げておきたい。 小さな庭で雑草化して困る植物⑥ 畑が「フェンネル林」になる恐れあり。フェンネル ある花友だちからフェンネルの小さな苗を一鉢もらい、庭に植えたのは20数年前のこと──。 それはちょっとワケありの苗で、その花友だちによると、50代で早世した友人の実家に墓参りに行ったところ、亡き友人のお母さんがフェンネル・ティーを出してくれた。そして帰りがけにお土産として、フェンネルの苗を手渡してくれた、というのだった。 で、私の庭に植えたそのフェンネルは、夏になると高さ2mほどになり、頭頂部に大きな房状の花をつけた。なかなかいい感じで、私は庭にいいフォーカルポイントができたと喜んでいた。 ところが、翌年の夏になると、庭や菜園のあちこちにフェンネル、フェンネル、またフェンネル。それが凄い勢いで成長してゆく。このままではフェンネルの林ができてしまうと思い、最初に植えた一株だけを残して退場願ったのだけれど、次の年もまた、庭と菜園はフェンネルだらけ。垣根の外の土手にまでタネを飛ばして増え始め、その繁殖力の強さにはただただ驚くほかはなかった。しかも多年草なので放っておくと年々大株になり、根っこから掘り上げるのが難しくなる。 毎年毎年、増えすぎて困るフェンネルと格闘し続けた結果、私の庭と菜園にはフェンネルはもう一株もない。けれども、垣根の外に増えた分は今も健在。夏になると盛大に繁り、盛りが過ぎると、長い茎がバタバタと道に倒れて、そこを通学路にしている小学生たちの通行の邪魔をしている。 初めてフェンネルを植えてから長い年月が経ち、私に苗をくれた花友だちはすでに他界して、もはやこの世にはいない。だから、垣根の外のフェンネルまで根絶やしにしようとは思わないけれど、誰かからフェンネルについて訊かれたら、私はこう答えることだろう。──「まあ、植えないほうが無難だと思いますよ」。 造園家の阿部容子さんが解説する『ガーデンに一度植えたらどんどん増殖!? はびこって困る5つの植物』もご参考に! Photo/1&5) Galina Grebenyuk/ 2) Tatevosian Yana/ 3) Mulevich/ 4) mar_chm1982/ 6) volkova natalia/ 7) meimei17/ 8) LFRabanedo/ 9) AN NGUYEN/ 11) vvoe/Shutterstock.com 10)3and garden
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育て方
あげない方がよく育つ?! 肥料の嫌いな植物たち
父と朝顔 私の父は東北の田舎町の貧しい商人にすぎなかったけれど、毎年夏、玄関先に朝顔を植えて楽しんでいた。 父は早く死んだ。その一生は決して幸福なものではなかった。私は、早朝、朝露に濡れて咲いている朝顔の花を見ると父のことを思い出す。 咲かなかった‘ヘブンリーブルー’ ところで、庭でイングリッシュローズの‘ウィリアム・モリス’の隣に西洋朝顔の‘ヘブンリーブルー’を植えたときのこと──。 園芸用の一番長い支柱を4、5本使い、オベリスク風のものをつくって、そこにつるを絡ませようとしたのだけれど、葉っぱばかり繁って花がなかなか咲かない。 緑色の肉厚の葉っぱは、やがて高さ約2mの手づくりオベリスクをすっぽりと覆い尽くした。だが、結局、花は一つも咲かなかった。 その‘ヘブンリーブルー’を切り倒し、オベリスクを解体するときの、何と悲しかったことか! 肥沃な土壌は嫌い 花が咲かなかった原因──。 それは、植えた場所が悪かったのだ。 バラは肥料と水を好む。だから定期的に有機堆肥や油粕や骨粉や水肥をやって、株元がなるべく肥沃になるように心がける。 だが、朝顔は多肥を好まない。むしろ痩せ地のほうを好む。であるからして、‘ウィリアム・モリス’は、のすぐ側に植えた‘ヘブンリーブルー’は、葉っぱばかり繁って花が一つも咲かないという結果になったのだ。 ナスタチウムも痩せ地が好き ナスタチウムは私の大好きな花の一つ。 毎年必ず、庭のあちこちにタネを播いて、夏から秋遅くまで黄色や赤やオレンジ色の花を咲かせてくれるこの一年草の優雅な風情を楽しんでいる。 時には花を摘んでサラダに入れたりもする。見た目にも美しいし、ナスタチウムの花にはピリッとした風味があるので、サラダのいいアクセントにもなる。 このナスタチウムもあまり多肥を好まない。朝顔と同様、痩せ地型の植物で、肥料をやり過ぎると葉っぱばかり繁って、花が咲かないという結果になる。 農家の庭先で気がついた! 肥沃な場所よりも、痩せ地を好む植物は結構多い。 ある有名な女性の園芸家にインタビューしたときのこと。広大なガーデンを持ち、自らそのデザインもしている彼女が、こんな話をしてくれた。 「庭の奥に葉鶏頭がたくさん繁っている場所をつくりたいと思って、植えてみたんだけど、全然うまくいかないのよ。それで、ある日、農家の庭先を通りかかって、ようやく気がついたの。ああ、葉鶏頭も痩せ地型の植物なんだ、あんまり肥料をあげちゃいけなかったんだって」。 葉っぱばかりが繁って 枝豆──。 ビールのおつまみに最適。とくに採れたては香りがよく、甘みも強くて、とてもおいしい。だが、収穫後、日が経つにつれて枝豆は香りがなくなり、味が落ちていく。 ある年、長野県松本市郊外の山里に畑を借りたときのこと。そこは固い粘土質の、ひどい土壌の場所だったが、1年目は枝豆が素晴らしくよくできた。ところが、翌年は葉っぱばかりが繁って、実の入ったサヤが一つもできなかった。 田んぼの畦道に枝豆 枝豆にサヤができなかった原因は、畑の土が肥沃になってしまったこと。 普通、畑では秋の収穫が終わると、土の天地返しを行い、有機堆肥をたっぷり入れて、いわゆる団粒状の、ふかふかの土壌にしようとする。そうしないと野菜がうまく育たないからだ。 けれども、それをやると土が肥え、枝豆には不向きな土壌になってしまう。 だから、昔の農家はよく田んぼの畦道に枝豆を植えたものだった。水田には肥料を投入してあるけれど、畦道は雑草だらけで肥料分がほとんどない。枝豆は、そういう場所に植えてもらったほうがうれしいのだ。 田んぼの畦道に枝豆──。 そんな風景を記憶している人は、今はもう少ないだろうと思うけれど。 「草ボケ」という現象 トマトやナスも苗がまだ幼いときに肥料をやり過ぎると、ひょろひょろと頼りなく草丈が伸びるだけで、花が咲かない。花が咲かなければ、実はならない。 そういう状態を農家は「草ボケ」といっている。そして、一度草ボケしてしまった苗は回復が難しいので、その年の収穫はほとんど望めない。 可愛がりすぎは禁物 私たちは、たくさん花を咲かせようとして、あるいは野菜をたくさん実らせようとして、つい肥料をやりすぎてしまう。 だが、肥料は必ずしもたくさんやればいいというものではない。大事にして可愛がっているつもりでも、むしろそれが逆効果になることもある。そして中には、肥料をあまり好まない植物、痩せた土壌のほうが好きな植物もある Photo/1) ruiruito/ 2) Gemini Create/ 3) Hemerocallis/ 4) SANLYN/ 5) SewCream/ 6) H.Tanaka/ 7) nnattalli/ 8) Fotokostic/ 9) encierro/Shutterstock.com 10)3and garden
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ストーリー
バラの物語・印象派の画家モネが愛したバラ‘マーメイド’
オールドローズの名花 ジヴェルニーはパリから電車とバスを乗り継いで1時間あまり。人口500人ほどの小さな村だが、かつて印象派の画家クロード・モネが暮らしていた家と、彼が愛した美しい庭があることで知られている。 昔のままに保存されているモネの家は、淡いピンクの壁と緑色の日除け窓の鮮やかなコントラストが印象的な建物。そのピンクの壁に這いのぼり、毎年6月の下旬頃から花径10㎝ほどの見事な花を咲かせるオールドローズがある。 黄色い一重のつるバラ‘マーメイド’だ。 花に慰めを求めて モネが画家として認められ、経済的に安定したのは50歳に近くなってから。 それまでの彼は、三度の食事にも事欠くほどの貧困に苦しみ、夜になっても部屋に明かりを灯すことすらままならぬ有様だった。そんな貧しさの中、1879年には13年間連れ添った妻のカミーユが、長い闘病の末、32歳の若さで他界する。 貧窮と不運に喘ぐモネのわずかな慰め、絵を描くこと以外の唯一の楽しみは、花を育て、庭をつくることだった。 1883年、彼は後に結婚するアリスや子どもたちとセーヌ河畔の小さな村ジヴェルニーに移り住む。自ら土を耕し、花や野菜のタネを播き、草むしりにいそしむ日々。やがて彼は本格的な庭づくりに情熱を傾けるようになっていった。 バラの回廊 ジヴェルニーの家は、南側にはトウヒやイトスギが生い茂る小さな林があり、暗い木陰をつくっていた。光を愛する画家は、その陰気な木陰を好まなかった。 1890年、それまで借りていた家と土地を買い取ると、モネは木々を伐採して取り払い、そこに花の庭をつくった。広さ1万2,000㎡に及ぶこの花の庭の主役は、南に向かってまっすぐ50m続くバラの回廊。その両側にはスタンダード仕立てのバラとアイリスを配し、アーチに絡ませたつるバラの足元には夏から秋遅くまで黄色やオレンジの一重の花を咲かせ続けるナスタチウムを列植した。 このナスタチウムの列植は、今も毎年、モネ在世当時と同じように再現されている。 傑作は水の庭で生まれた バラの回廊は小径を隔てて、広さ約8,000㎡の水の庭へと続いている。モネはそこにセーヌ川の支流エプト川の水を引いて池をつくり、日本風の太鼓橋をかけ、池のほとりにはシュラブローズやシャクヤクを植えた。さらに、ここにもバラのアーチをつくった。 この池の岸辺がモネにとっての屋外のアトリエとなり、彼の代表作として有名な『睡蓮』の連作が描かれてゆくことになる。 一重の花を愛したモネ モネは一重の花の可憐で、はかなげな風情を愛していた。バラも一重の品種が見つかるとすぐに買い求め、コレクションに加えていった。 花径は4㎝ほどと小さいが、ピンク色の5弁の一重咲きで、若葉をこするとリンゴの匂いがする野生種のロサ・エグランテリア、同じく野生種で白い一重の花びらが妖精の羽根を思わせるロサ・スピノシッシマ。モネが収集した一重のバラは、今もジヴェルニーの庭で咲き続けている。 1918年、英国で黄色い一重のつるバラ‘マーメイド’が作出されたことを知ると、モネはやはりすぐに苗を取り寄せ、2階の寝室の窓の下に這いのぼるように植えた。 翌年の夏の朝、モネは寝室の窓を開け、霧にかすむ花の庭と水の庭を見渡していた。すると、甘い香りがそよ風とともに室内に流れ込んできた。それは‘マーメイド’の香りだった。 多彩な庭友だち モネには、彼と同じように花を愛し、土いじりを愛するたくさんの「庭友だち」がいた。画家、批評家、ガーデニング雑誌の編集者。彼らはジヴェルニーのモネのもとに集まっては庭談義に興じ、花の苗や樹木の苗をお互いに交換し合った。 第一次世界大戦当時、フランスの首相だったジョルジュ・クレマンソーも大の花好きで、モネの庭友だちの一人だった。クレマンソーは戦局の激化が報じられているさなかにもしばしばジヴェルニーを訪れ、ひとしきりモネと花の話、庭の話をしては、あわただしくパリの首相官邸に戻っていったと伝えられている。 人気の観光地へ モネは1926年12月5日、窓の下まで‘マーメイド’が這いのぼっている2階の寝室で、庭友だちのクレマンソーらに看取られながら86年の生涯を閉じた。 その後、ジヴェルニーの家と庭は再婚した妻アリスの娘で画家のブランシュによって維持されていたが、ブランシュは1946年に死去。そのあとを引き継いだモネの次男ミシェルも亡くなると、家も庭も次第に荒れ果て、1960年代にはほとんど廃墟同然になってしまった。 それを惜しみ、修復と保存の動きが始まったのは1970年代の末。庭の植栽は古い写真をもとにほぼ忠実に復元され、1980年にはようやく一般への公開が可能になった。 ジヴェルニーへ行こう 現在、ジヴェルニーのモネの家と庭は、世界中から年間50万人以上が訪れる人気の観光スポット。ベストシーズンは、さまざまなバラが次々に開花する5〜6月から7月上旬にかけてだ。 まずは花の庭をひと巡り。それからエプト川の流れに沿って水の庭の方へと歩を進めれば、まるで夢の世界に迷い込んだような時間を過ごすことができる。 楽しいお土産品がいっぱいのショップにもぜひ立ち寄りたい。帰りにはパリのオランジュリー美術館やマルモッタン美術館でモネの絵をゆっくり鑑賞するとよいだろう。 つるバラ‘マーメイド’ 四季咲き性、花には芳香も つるバラ‘マーメイド’は1918年、英国の育種家ウィリアム・ポール父子による作出。四季咲き性で、クリームイエローの一重の花には芳香がある。 生育は旺盛。つるは約5mの高さまで伸びるが、鋭い大きなトゲがあるので、植える場所には注意が必要。
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ストーリー
【ピエール・ドゥ・ロンサール】バラの名前の物語
バラの香りは語る、はかなく散った恋の思い出を。 バラの花びらは語る、 傷ついた心への慰めと癒しの言葉を。 そしてバラの名前は語る、秘められた意外な物語を。 さあ、そんなバラの物語の世界へ──。 ‘ピエール・ドゥ・ロンサール’が咲く藤沢邸のローズガーデン 藤沢勘兵衛さんは、研究学園都市として知られる茨城県つくば市の元市長さん。市長在任時代、外国人の学者・研究者夫妻の訪問や滞在も多いつくば市に公営のバラ園をつくってはどうかと提案したが、市議会の理解と同意が得られなかった。 そこで、それならひとつ自分がと自宅にバラ園を開設。今では、さまざまな品種が開花する5〜6月はもちろん、秋バラの時期にもたくさんの人が訪れる関東地方有数のバラ園になっている。 その藤沢邸ローズガーデンの一角に、ひときわ力強く枝を伸ばし、大輪の見事な花を咲かせるバラがある。つるバラの人気品種‘ピエール・ドゥ・ロンサール’だ。 ピエール・ド・ロンサールは、バラと恋と田園を歌った16世紀フランスの抒情詩人。では、いったいどんな人だったのだろう? 麗しき少女カッサンドル フランス中部の美しい渓谷を流れるロワール川──。 そのほとりに立つブロワ城で、1545年4月21日、王家主催の舞踏会が開かれた。出席したのは、国王フランソワ1世とその王太子アンリ、アンリの妃でイタリアのフィレンツェから嫁いできたカトリーヌ・ド・メディシス、そのほか大勢の貴族とその奥方や令嬢たち。 ゆったりとした二拍子の曲や、三拍子の陽気な曲が繰り返し踊られ、飲み物を口にしてひと息入れたところで、名家の娘のカッサンドルという15歳の少女が登場。きれいなソプラノで、そのころ愛好されていたシャンソンを歌い始めた。 舞踏会に出席していた20歳のピエール・ド・ロンサールは、カッサンドルの愛らしさにたちまち心を奪われた。褐色の髪、バラ色の頬と唇、聴覚に障害のある彼の耳にもはっきりと響く澄んだ清らかな歌声。ロンサールは恍惚となりながら、女性に恋する歓びを初めて知った。 だが、残念なことに彼はすでに剃髪し、僧籍に入っている身。カッサンドルとの結婚など望むべくもないし、愛を打ち明けることすら叶わない。 翌年、衝撃的な知らせがロンサールのもとに届いた。カッサンドルが彼と同郷の貴族と結婚したというのだった。 だが、彼女への想いを断ち切ることなど、どうしてできようか。ひそかに詩人として立つことを決意していたロンサールは、カッサンドルへの恋をうたった詩を次々に書き始める。そしてフランスの抒情詩に新しい調べをもたらし、やがては「詩の王」と称えられる大詩人へと成長していく。 障害を乗り越えて ピエール・ド・ロンサールは1524年、ロワール川の近くに領地を持つ貴族の家に生まれた。少年の頃から宮廷に仕え、時には外国に赴任する大使の随員となってフランドルやスコットランド、ロンドンなどに滞在。王家の人々と大貴族に可愛がられていたが、16歳のとき、ドイツから帰郷した直後に高熱を発し、病床に。しばらくして回復はしたものの、重い後遺症として聴覚の障害が残った。 外交官や軍人になる道は諦めなければならなかった。だが、耳が聞こえにくくなった分、感覚はより鋭くなり、周囲の自然への愛や観察眼も深まった。 ロンサールは1550年、最初の詩集を出版。続いてカッサンドルへの切ない想いをうたった作品を多数含む2冊目の詩集を出版し、フランスの抒情詩の改革者としての地位を確立する。 ロンサールの勝利 国王はフランソワ1世からアンリ2世に代わっていた。ロンサールはその宮廷に迎え入れられ、リュートを弾きながら自作の詩を歌ったり、朗誦したりするようになる。 彼の最大の敵は、古臭い美辞麗句を並べただけの詩をつくっている守旧派の宮廷詩人たちだった。その一番のボスは、メラン・ド・サン=ジュレ。ある日、メランはロンサールの詩集を手に取り、馬鹿にする目的で、ひどく大げさで滑稽な朗読を始めた。ところが、それを見ていた国王の妹マルグリットが、メランの手から詩集を奪い取り、よく透る静かな声でロンサールの詩の本来の美しさが伝わる朗読を始めた。その朗読が終わったとき、ルーブル宮殿の大広間は嵐のような拍手に包まれた。ロンサールの詩の素晴らしさが、多くの人に認められた瞬間だった。マルグリットはロンサールを「当代随一の詩人」と賞賛し、彼の強力な庇護者の一人になっていく。 悲惨な時代だからこそ だが、当時のフランスは旧教徒(カトリック)と新教徒(プロテスタント)の対立が激しく、同じキリスト教徒でありながら血みどろの抗争を繰り広げている凄惨な時代だった。両派の融和をはかる試みも行われたが、ことごとく失敗。1562年3月には、フランス東部のヴァシーという町でプロテスタント教徒が多数虐殺される事件が起き、フランスは以後40年近くにわたって続く宗教戦争に突入する。 最大の惨禍は、1572年8月、パリで聖バルテルミの祝日にあたる日から始まったプロテスタント教徒の大虐殺だった。虐殺は地方の各都市へと飛び火し、このときフランス全土で1万人以上のプロテスタント教徒が犠牲になったといわれている。 そんな時代にあって、ロンサールはバラと恋と田園を歌い続けた。というのも、時代が悲劇的で、悲惨であればあるほど、愛や恋はかけがえのないものとなり、バラをはじめとする花々や田園もまた、より一層美しく、より一層愛おしいものと感じられたからだ。 報われなかった恋 ロンサールがカッサンドルのほかに恋した女性としては、可憐な田舎娘のマリーと、カトリーヌ・ド・メディシスの侍女エレーヌの2人が知られている。 ロンサールは1585年12月、「私はあれほどたくさん恋をうたったのに、何ひとつ得るところがなかった」と嘆きながら、61歳でこの世を去った。 彼の青春の思い出の城、カッサンドルと出会ったロワール河畔のブロワ城は、その後、血塗られた惨劇の舞台となった。1588年12月の雪の朝、聖バルテルミの大虐殺の首謀者で、王位への野心を露わにし始めていたカトリック保守超強硬派のアンリ・ド・ギーズ公が国王アンリ3世の密命をうけた刺客によって暗殺される。翌日にはアンリの弟のルイ・ド・ギーズもブロワ城内で暗殺された。そして翌年の夏、アンリ3世もまたカトリックの修道士によって暗殺される。 ロンサールが墓の下で永遠の眠りにつき、そんなおぞましい出来事を知らずに済んだのは、せめてもの救いだったといえるだろう。 悲劇の女王も口ずさんだ詩 ロンサールは死後200年間、ほぼ完全に忘れ去られていたが、19世紀になって再評価の機運が高まり、その詩は学校の教科書にも載るようになる。とりわけ有名なのは── 恋人よ 見に行こう あのバラを…… というカッサンドルへの恋をうたった詩で、これはロンサールの生前から非常に人気の高かった作品。国王フランソワ2世の妃でスコットランド女王だったメアリー・スチュワートは、イングランドのエリザベス女王に捕らえられ処刑されてしまうが、幽閉されている間、ロンサールのこの詩を口ずさんでフランスで暮らした若き日を懐かしんでいたという。 また、ブロワ城で惨死したあのアンリ・ド・ギーズ公も、暗殺者が待ちかまえている部屋に入っていく直前まで、楽しげにこの詩を口ずさんでいたといわれている。 世界中で愛されているバラ つるバラ‘ピエール・ドゥ・ロンサール(ピエールドロンサール)’は、フランスのナーセリー、メイアン社のマリー・ルイーズ・メイアンが1988年に作出。花の中心部のピンクから外側の白へのグラデーションが美しく、オールドローズを思わせるかわいい花は、バラの初心者が一目惚れする人気品種に。蕾もころんと丸く愛らしい。2006年、世界バラ会議の決定により、バラの殿堂入りを果たした。 基本的には一季咲きだが、株が大きくなると返り咲くこともある。花径は約12㎝。ダマスク系の微香があり、花もちがよい。生育が旺盛で、つるをよく伸ばすので、育て方は、フェンスやパーゴラに絡ませたり、大型のオベリスク仕立てにするのもよい。苗はバラの販売専門店で購入し、地植えをおすすめするが、大きめの鉢でも栽培は可能。春の花後(開花後)は花がらを摘み、定期的に肥料を施し、冬は姿を整えるために剪定と誘引をする必要がある。バラの病気の中でも一番厄介なのが、黒星病(黒点病)。発生したら以下の記事を参考に防除するとよい。 併せて読みたい ・バラの大敵・黒星病の予防&対策をバラの専門家が解説 ・バラの庭づくり初心者が育んだ5年目の小さな庭 ・バラの花言葉を色ごとに紹介! 花屋では売っていないバラを育ててプレゼントしよう Credit 文/岡崎英生(文筆家・園芸家) 写真/3and garden
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ストーリー
バラの名前の物語‘アルベルティーヌ’
アルベルティーヌ、愛の暮らしと、その悲しい結末 フランスの作家マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』では、アルベルティーヌという名の女性が物語の語り手である「私」の恋人として重要な役割を演じている。 「私」とアルベルティーヌは夏に海辺のリゾート地で知り合い、パリの「私」のアパルトマンで同棲生活を送っているのだが、2人の間には小さないざこざや気持ちの行き違いが絶えない。「私」は、自分はもうアルベルティーヌを愛していないとすら感じている。正式に結婚するつもりも全くない。それなのに「私」は、素敵なデザインのアクセサリー類を探し出してきては彼女にプレゼントし続けるのをやめることができない。 そんなある日、アルベルティーヌは置き手紙を残して、忽然と姿を消してしまう。「私」は、こんなふうに顔を合わせずに別れることができたらと密かに願っていたにもかかわらず、アルベルティーヌの失踪を知った瞬間から激しい後悔と悲しみに襲われ、彼女の行方を探そうと懸命の努力を始める。 プルーストは自分が恋人に突然去られた時の悲痛な体験をもとに、「私」がアルベルティーヌの面影を追い求めながら苦痛に喘ぎ、悶え苦しむ様子を、微に入り細に入り、執拗なまでに延々と記述してゆく。その長さは鈴木道彦訳の集英社文庫版で約400ページ。愛の喪失と、それに伴う苦悩を、これほどまでに徹底的に描写した長大な作品は、世界の文学の中でも他には例がない。 恋人を失った男の泣き言が、気が遠くなるほどの長さで繰り返されていくこの小説。恋に傷つき、苦しんだ経験のある人なら、きっと深い共感を覚えるはずだ。 一季咲きのバラ‘アルベルティーヌ’ バラ‘アルベルティーヌ’は一季咲きで、花は透き通るようなピンク色。ティー系の香りがあり、樹高と枝の長さは4〜6mに達する。フェンスやパーゴラに絡ませると美しさが一層引き立つ。 作出者はフランスの育種家一族バルビエ家のアルベール・バルビエで、彼の名前を女性名にしたのが‘アルベルティーヌ’。1921年に作出された。 プルーストの小説が刊行されたのは ‘アルベルティーヌ’作出から3年後の1924年だった。大の花好きだったプルーストは、もしかしたらこのバラの美しさに惹かれていたのかもしれない。 ‘アルベルティーヌ’は現在はフランスのナーセリー、ギヨー社が販売し、国内でも複数のバラのナーセリーで入手できる。バラの咲いている時期に長崎の「ハウステンボス」を訪れると、可愛らしいガーデンシェッド(物置小屋)の屋根に這い昇って花を咲かせている美しい‘アルベルティーヌ’の姿が見られる。 併せて読みたい ・モリス柄の植木鉢も登場! 美しい暮らしの求道者 ウィリアム・モリスの生涯(1) ・「バラの画家」ルドゥーテ 激動の時代を生きた81年の生涯(1) ・「アルベルティーヌ」【松本路子のバラの名前、出会いの物語】 Credit 文/岡崎英生(文筆家・園芸家) 早稲田大学文学部フランス文学科卒業。編集者から漫画の原作者、文筆家へ。1996年より長野県松本市内四賀地区にあるクラインガルテン(滞在型市民農園)に通い、この地域に古くから伝わる有機栽培法を学びながら畑づくりを楽しむ。ラベンダーにも造詣が深く、著書に『芳香の大地 ラベンダーと北海道』(ラベンダークラブ刊)、訳書に『ラベンダーとラバンジン』(クリスティアーヌ・ムニエ著、フレグランスジャーナル社刊)など。 Photo/ 1)Nadiatalent/ 2)Spedona/ Shutterstock.com
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ハーブ
‘ハーブの女王’ラベンダーの香りの楽しみ方
ハーブの女王 ラベンダーは青紫色の花が美しく、しかもその花には素晴らしい芳香があることから「ハーブの女王」と呼ばれてきました。他のハーブ類と同様、もともとは野生の植物で、かつてはインドや中近東、地中海沿岸などの高原地帯に豊富に自生していました。北アフリカのサハラ砂漠も砂漠化する以前はラベンダーの大草原だったのではないかと考えている研究者もいますし、フランスのある作家は1920年代のアフガニスタンで野生のラベンダーの大群落を見て強い印象をうけたことを晩年近くになって出版した回想録に記しています。 人々はそうした野生のラベンダーを刈り集めて、ドライフラワーをつくったり、エッセンシャルオイル(花精油)を抽出したりして、暮らしの中でさまざまに利用していたのです。 ドライフラワーを楽しむ ラベンダーはドライフラワーにすると花の色がいつまでも褪せず、香りも長く残ります。ですから、花束を室内に飾れば素敵なインテリアになりますし、空気を清浄にする効果も期待できます。 ドライの花粒を集め、小さな布の袋に入れて「サシェ」(匂い袋)をつくるのもよいでしょう。ヨーロッパでは女性たちがスカートの裏側にラベンダーのサシェを縫いつけておくということがよく行われました。また家に来客があるとき、枕の下にラベンダーのサシェを忍ばせておくのは最高のもてなしのひとつとされていました。 サシェを下着類やリネン類のケースに入れておくと、甘くさわやかなラベンダーの香りをつけることができますし、防虫剤としての役目も果たしてくれます。 海外などへの、ちょっと長めの旅行に出かけるときには、ぜひラベンダーのサシェを持っていくとよいでしょう。ラベンダーの香りには不安や興奮を静めてくれる鎮静効果・リラックス効果があることが科学的に確かめられています。初めてのホテルの慣れないベッドでも、サシェがあればそのほのかな甘い香りがあなたを安らかな眠りに誘ってくれることでしょう。 甘い香りで、気分はお姫様 もちろん、旅行にはエッセンシャルオイルの小瓶を持って行くのもおすすめ。ただし、オイルを購入するときは必ず天然のラベンダーから抽出したものであることを確かめるようにしましょう。フランス産や英国産のオイルも市販されていますが、日本人の嗜好にはやはり、軽くすっきりとした香りの国産のオイルのほうが適しています。 香りは、ドライフラワーよりオイルのほうがずっと濃厚。それをバスタブに2〜3滴入れてから入浴すれば、お姫様気分の優雅な芳香浴が楽しめます。 Credit 文/岡崎英生 ラベンダー栽培史研究家。ラベンダーの原産地の一つ、フランス・プロヴァンス地方や北海道富良野地方のラベンダーの栽培史を研究。日本のラベンダー栽培の第一人者、富田忠雄氏に取材した『富良野ラベンダー物語』(遊人工房刊)や訳書『ラベンダーとラバンジン』(クリスティアヌ・ムニエ著、フレググランスジャーナル社)など、ラベンダーに関する著書を執筆。自らも長野の庭でラベンダーを栽培し、暮らしの中で活用している。 Photo/1)OHishiapply/2)Chamille White/3)AS Food studio/Shutterstock.com