優美で香り高いバラ「イングリッシュローズ」を生んだデビッド・オースチン・ロージズ社の歴史
デビッド・オースチン・ロージズについて
1940年代後半、デビッド・C・H.・オースチンは、アマチュアのバラ育種家として自宅でビジネスを開始しました。その後1961年に誕生した「デビッド・オースチン・ロージズ社」は、英国シュロップシャーを拠点とした国際企業として発展を遂げました。やがて、アメリカおよび日本支社も設立。長期的な戦略のもと、イングリッシュローズの育種とマーケティングを行い、現在、約50カ国でイングリッシュローズを販売しています。
デビッドにより最初に作出されたイングリッシュローズは、‘コンスタンス・スプライ’でした。そして1983年、黄色いバラ‘グラハム・トーマス’が誕生し、世界バラ会連合2009年バンクーバー大会で殿堂入り。その後、同社は、ロンドンで行われるガーデンショーの最高峰「チェルシーフラワーショー」を含む世界中のガーデンショーに出展するようになり、2018年には、24個目の金メダルを受賞しました。
デビッド・オースチン・ロージズでは、世界最大級のバラの育種プログラムが管理されており、毎年約5万種の交配を行い、およそ35万株もの実生が生まれます。35万株の実生それぞれが個性を持ち、樹高が30cm程度でも、すべてが花を咲かせます。ですが、初めての開花を経て、次の段階に進むことができるのは15,000株だけです。毎年、その年ごとに最も優れた品種を発表するため、このプロセスを繰り返します。育種開始から新種のイングリッシュローズを皆さんにご紹介できるまで、9年間もの歳月を費やしています。
デビッド・オースチン・ロージズのバラの育種が成功を収めているのは、科学と芸術の融合であること、また、その育種の規模の大きさも要因の一つといえるでしょう。
デビッド・C・H・オースチン(1926 - 2018)……献身の生涯
2018年12月18日、深い悲しみと共にオースチン・ファミリーより、シュロップシャーの自宅にて、デビッドが、家族に囲まれながら静かに息を引き取ったという発表がありました。92歳でした。
世界中のガーデナーとバラ愛好家の想像力を魅了するイングリッシュ・ローズの生みの親、ヴィクトリア名誉メダル・大英帝国勲章も授与されたデビッドの生涯を振り返ってみましょう。
男子生徒から育種家へ
シュロップシャー州の田園地帯で育ったデビッドは、若い頃から植物への強い情熱を持っていました。学校の図書館にしまい込んであった『Gardens Illustrated』という本を見つけたとき、彼の花に対するの興味が急に湧き上がってきたのです。先生の勧めもあって、この新たな情熱を追い求めようと決心しました。
そしてある日、デビッドは父親とともに、父親の友人、ジェームズ・ベイカーが運営するナーセリーにやってきました。ここで、ジェームズが育種した新種のルピナスに出会い、すっかり魅了されてしまったのです。
この日の出来事が、彼自身の手によって新しい品種を創り出すというアイデアを確立するきっかけとなりました。農業の知識や生まれ育った背景から、デビッドはもともと、植物への知識を持っていました。しかし、その知識を、あまり実用的でない花の世界で使うことは、父親の了解を得るまでに至りませんでした。
それでも花の世界に魅了されていたデビッドは、姉から21歳の誕生日にエドワード・A・バンヤード作‘Old Garden Roses’をもらった時、すっかりバラに恋をしてしまったのです。そこから、彼のバラの育種家への道がスタートしました。
光が見えた瞬間
バラに対して新しい情熱が芽生えた。デビッドは、20代前半にしてバラを趣味として育て始めることを決意。彼の興味はオールドローズにしかなかったのですが、当時のトレンドは、最新のハイブリッドティー(バラの系統の一つ。モダンローズ)。そこで彼は、これら2つのグループを比較するために、それぞれ数本を注文してみることにしました。
結果的にハイブリッドティーが彼を魅了することはなかったのですが、ハイブリッドティーはオールドローズにはない特性を持っていることに気がつきました。それは、オールドローズより豊富な色、そして“四季咲き性”です。まさしく彼の中の電球が光った瞬間です。全く新しいもの、「美しさと彼の大好きなオールドローズの香りを兼ね備え、モダンローズの利点を持ったバラ」を創るきっかけとなる出来事でした。
批判や無関心を乗り越えて
高い目標と固い決意を持って、デビッドはこの新しいタイプのバラの育種をゆっくりと進めていきました。彼が不慣れだったこともあり、残念ながら最初の実生たちは菌類病で枯れてしまいました。翌年、また最初からやり直す、という作業を続け、時間と並外れた献身によって、デビッドは彼の初めてのバラ‘コンスタンス・スプライ’(Ausfirst)を1961年に生み出したのです。
しかし当時、業界のプロたちは、誰もこのような“時代遅れのバラ”を買わないと言い、ナーセリーたちからは在庫を持つことすら拒否されました。
でも、ここで簡単に落胆するデビッドではありません。彼は中傷する人々を無視し、シュロップシャーにある自宅のキッチンテーブルを配送センターとして、一般に販売することを決めたのです。ここから多くの種類のバラが販売され、その中にはオールドローズやつるバラ、ランブラーなどもありました。(次回に続く…)
デビッド・オースチン・ロージズのバラ、品種と誕生秘話
‘デスデモーナ’
子どもの頃、私は母が育てていたバラの茂みの下に座り、バラの棘をもぎ取っては自分の鼻の上にくっつけていたものです。そして私は、「僕はサイだぞ!」と言い張っていました。
今日まで、そんな“バラの棘”を心の中の特別な場所にしまっていました。その後、栽培の経験を経て、私は今、バラと呼ばれる途方もない植物を育てることで得られる喜びの側面の全てを認めるに至りました。
ここ10年ほどでデビッド・オースチンによって育種されたバラは、目覚ましい変化を遂げたと思います。その優秀な例が‘デスデモーナ’です。
細身の枝や、美しくかたどられたうつむき加減の花など、その姿から驚くほどエレガントな雰囲気を醸し出し、また、深くかつ新鮮なアロマと、優れた耐病性を誇ります。そしてもちろん、スタイリッシュでスマートな棘を持っています。
私たちの新品種の多くが、大きな鉢やガーデンでこそよく育ち、その存在感を放つのです。彼女たちの美を顕示することが、こういった品種にはとても重要なこと。小さい鉢で育ててしまうのは、スーパーの中で宇宙船を乗り回すようなものです。特に夏の暑さが厳しい日本では、月まで届くくらいのスペースが必要です。
皆さんにお願いできるのであれば、ぜひ「鉢上げ」や「広い地面への植え付け」を実践してみてください。育種家の期待する性能を大きく下回るような小さな鉢がたくさん集まるより、単体のバラ苗でも35リットル鉢に植えられているものがあれば、ご自宅のガーデンやバルコニーにさらなる活気と気品が加わることでしょう。
Good growing! (良い生長、栽培を!)