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田中敏夫 -ローズ・アドバイザー-
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寄せ植え・花壇
【植栽計画】春から秋まで楽しむチューリップと一年草のリレー栽培
チューリップとほかの植物の組み合わせ JeniFoto/Shutterstock.com 赤や黄色の花が絨毯のように続く、オランダなどのチューリップ畑の様子は、春の到来を告げるおなじみの風景。しかし最近の庭づくりでは、ナチュラルな風合いを求めてでしょう、チューリップなどの球根類を散らして植え込み、宿根草やグラス類などと混栽することも多くなっています。 Photo/John Menard from Phoenix, USA [CC BY-SA 2.0 via Wikimedia Commons] 早春から開花するクロッカスやハナニラなどは、いち早く春の到来を告げてくれます。そして、それらを追いかけるように花咲くチューリップは本当に美しく、うっとりするほどに魅力的です。しかしそれだけに、チューリップが終わると庭は色を失ったように寂しくなりがちです。 チューリップの後を追うように、冬越しした一年草や宿根草などが春の庭を盛り上げてくれると思いますが、ともすると花のない“時間と空間”が生じがちです。それを避ける1つの手法として、リレー栽培を計画・実施すると、一年を通して次々に開花を楽しむことができます。今回は、そんな植栽計画を解説しましょう。 チューリップと一年草のリレー栽培の概略 チューリップの開花は華やかですが、長くはありません。長く楽しむには、チューリップの開花期間を調べ、早咲き、中咲き、遅咲きを混植してみるという方法がありますが、それでも関東地方以西などでは5月まで開花させることは難しいでしょう。 そこで考えられるのが、チューリップの開花後は球根を掘り上げて保管し、空いた場所に一年草を植え込み、それらが枯れ込む晩秋に保管していた球根あるいは新しい球根を植え込み、年間を通じて花の開花を楽しむというリレー栽培です。 リレー栽培の流れ 冬咲き一年草:チューリップの植え込みから開花までの間をつなぐ コンパニオン一年草:チューリップと同じ時期に咲く 春秋一年草:チューリップの堀り上げ後に咲く 【作業手順】 10月:春秋一年草の枯れ込みを待って整地し、チューリップの球根を植え付ける チューリップの開花までのつなぎとして冬咲き一年草を混植する 耐寒性がある早咲きの一年草(宿根草でも可)をコンパニオン一年草として近くに植える4月:チューリップが開花。冬咲き一年草も咲き残る5月:枯れ込んだチューリップの球根を掘りあげ、混植した冬咲き一年草も抜き取る コンパニオン一年草は咲き残る チューリップを掘り上げて空いた場所を整地し、春秋一年草を植え、秋の終わりまで楽しむ6月:枯れ込んだコンパニオン一年草を抜き取る10月:春秋一年草の枯れ込むのを待って再び整地し、チューリップ、冬咲き一年草を植え付ける 5月のチューリップ開花終了後の掘り上げを簡単にするために、初めからプラカゴやナーサリーポットなどにチューリップ球根を植え付け、埋めておくのも一案です。 それでは、リレー栽培の1年間の流れを、STEP1~5に分けて解説します。 リレー栽培STEP1チューリップを選ぶ andreev-studio.ru/Shutterstock.com チューリップの原種は150ほど。自生地はトルコを中心に、西は地中海沿岸、東はトルキスタン地域などです。園芸種は一万近くになっているといわれ、原種などの系統、開花時期と花形によりグループ分けされていますが、さらに花色の変化、草丈の高低の要素が加わり、よく言えば選択の幅が広い、逆に言えば選ぶのに迷いが生じてしまうというのが現状です。 チューリップの分類は、オランダ王立球根協会による15種の園芸種分類表が広く受け入れられています。こちらは、開花時期(早生、中生、晩生)や花形(一重、八重、チューリップ系、フリンジ系、パロット系)などによって分類整理されています。 【オランダ王立球根協会による分類表】 分類略号開花期特徴代表的な品種一重早咲き (Single Early)SE早生(4月上旬~)15~50cmの草丈。茎は強いアプリコットビューティー クリスマスドリーム八重早咲き (Double Early)DE早生(4月上旬~)大輪、25~40cmの草丈ピーチブロッサム モンテカルロトライアンフ (Triumph)T中生(4月中旬~)花形がよく整う。35~60cmの草丈ロザリー アニー・シルダーダーウィンハイブリッド (Darwin Hybrid)DH早生(4月上旬~)大きな花。50~70cmの草丈ピンク・インプレッション オックスフォード一重遅咲き (Single Late)SL晩生(4月下旬~)45~80cmの草丈ピンク・ダイアモンド クィーン・オブ・ナイトユリ咲き (Lily-flowered)L晩生(4月下旬~)50~65cmの草丈バレリーナ マリリンフリンジ (Fringed)FR晩生(4月下旬~)一重遅咲きに似るが花弁トップに細かな切り込みが入る。草丈40~80cmファンシーフリル ランバーダビリディフローラ (Viridiflora)V晩生(4月下旬~)花弁に緑の筋が入る。草丈25~60cmスプリング・グリーン グリーンランドレンブラント (Rembrandt)R晩生(4月下旬~)花弁に白などの筋が入る。45~65cmレムズ・フェイバリットパロット (Parrot)P晩生(4月下旬~)花弁にねじれが生ずる大輪花。草丈50~65cmフレーミング・パロット ブルー・パロット八重遅咲き (Double Late)DL晩生(4月下旬~)大輪。草丈40~60cmアンジェリケ マウント・タコマカウフマニアナ (Kaufmanniana)K超早生(3月下旬~)細めの小輪。草丈10~25cm。宿根しやすいフローレスタ ストレーサフォステリアナ (Fosteriana)F超早生(3月下旬~)細めの大輪。草丈20~40cm。宿根しやすいレッド・エンペラーグレイギー (Greigii)G超早生(3月下旬~)葉に筋が生じる。草丈23~50cm。宿根しやすいレッド・ライディングフッド原種系 (Miscellaneous)M超早生~中生(3月下旬~4月中旬)小輪。超早生が多い。草丈7.5~45cmレディ・ジェーン 開花の様子を想像しながら品種を選ぶのはじつに楽しく、園芸の醍醐味を味わえる至福の時間かもしれませんが、数多い品種を網羅したカタログなどを前にすると目移りしてしまいがちです。どの品種を選ぶか、事前にある程度プランを立てておくことをおすすめします。 例えば、 原種系の早生種→トライアンフ系など中生種→ユリ形など晩生種とつないで開花を長く楽しむ 淡いピンク/イエロー/モーブ(藤色)などニュアンスカラーで揃える クリムゾン/パープル/イエローなど、ビビッドな色の組み合わせで春を演出する 一重咲き/ユリ咲きなど花形を組み合わせる、あるいは統一する 株の高さを合わせる、あるいは変化をつける といったところでしょうか。 下の例は早生の原種系、花形が整った中生種のトライアンフ系、晩生のフリンジ系を選んだ例です。 早生:レッド・エンペラー(F)、レディ・ジェーン(M) ‘レッド・エンペラー(Red Emperor)’(左)と‘レディ・ジェーン(Lady Jane)’ (右)。Photo/Andre Carrotflower [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons]、peganum [CC BY-SA 2.0 via Wikimedia Commons] 中生:ロザリー(T)、オルレアン(T)、アニー・シルダー(T)、ハッピー・ジェネレーション(T) 左上から時計回りに‘ロザリー(Rosalie)’、‘オルレアン(Orleans)’、 ‘ハッピー・ジェネレーション(Happy Generation)’、‘アニー・シルダー(Annie Schidler)’。Photo/Cillas、Agnieszka Kwiecień[CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons] 晩生:ファンシーフリル(FR)、ランバーダ(FR) ‘ファンシーフリル(Fancy Frills)’(左)と‘ランバーダ(Lambada)’ (右)。Photo/Kor!An [CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons]、Anrie [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons] リレー栽培STEP2冬咲き一年草を選ぶ 10月のチューリップの球根を植え込むとき、冬から早春まで開花する低い草丈の一年草を選んで、チューリップの芽出し時期にも差し障りがないよう重なりを避けて混植しておくと、チューリップの開花までの“空き”の時間を埋めることができます。 【冬咲き一年草の例】 パンジー/ビオラ(Viola x wittrockiana:スミレ科スミレ属)プリムラ・ジュリアン(Primula x juliana:サクラソウ科サクラソウ属)ノースポール(Leucanthemum paludosum:キク科フランスギク属) (cap)左から、パンジー、プリムラ、ノースポール。Denis Achberger、Eugene_may、rinda badi novtari/Shutterstock.com リレー栽培STEP3コンパニオン一年草を選ぶ morozv/Shutterstock.com 耐寒性があり、チューリップと同じ時期(4月から6月)に華やかに開花する一年草があります。これらの耐寒性一年草は、チューリップのコンパニオンとして庭を彩ってくれます。多くの種類があるので、その中から好みで選べばOK。具体例をいくつかご紹介しておきましょう。 【コンパニオン一年草の例】 アグロステンマ・ギタゴ/‘桜貝’(Agrostemma githago/A. githago ’Sakuragai’:ナデシコ科ムギセンノウ属)ポピー/ヒナゲシ(Papaver rhoeas:ケシ科ケシ属)オルラヤ・グランディフローラ(Orlaya grandiflora:セリ科オルラヤ属)ボリジ(Borago officinalis:ムラサキ科ルリジサ属)ジャーマン・カモミール(Matricaria recutita:キク科シカギク属、カモミール種 )ニゲラ(Nigella damascena:キンポウゲ科クロタネソウ属)ヤグルマギク/セントーレア(Centaurea cyanus:キク科ヤグルマギク属) アグロステンマ・ギタゴ/‘桜貝’(Agrostemma githago/A. githago ’Sakuragai’ :ナデシコ科ムギセンノウ属) ギタゴと‘桜貝’。Photo/田中敏夫 種子からの苗作りが比較的容易で、こぼれ種から発芽することも多く、とても経済的です。よく出回っているのは原種系のギタゴと淡いピンク花の園芸種‘桜貝’ですが、2品種を混植するほうが美しいと感じています。すらりとした優雅な草姿が魅力ですが、倒れやすいという欠点もあります。 ポピー(Papaveraceae:ケシ科ケシ属) ケシ属(Papaver)には60種ほどの原種があるそうです。園芸用に利用されるポピーは、主に次の3つのグループのものです。 アイスランド・ポピー(P. nudicaule) Photo/ David Monniaux [CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons] 18世紀にシベリアで発見されたので、当初はシベリア・ヒナゲシと呼ばれていましたが、語呂がよいのかアイスランド・ポピーという呼称が一般的となりました。アイスランドとの直接の関連はないそうです。 ヒナゲシ(P. rhoeas) Photo/Agnieszka Kwiecień, Nova [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons] フランス語ではコクリコ(Coquelico)。響きが素敵で、原野に群生している風景が美しい動画で紹介されたり、モネの絵画などでも題材とされていることから、最近はコクリコのほうが一般的になっているのかもしれません。また虞美人草という別名は、史記の項羽伝で言及された悲劇の愛妃である虞にちなんだものです。 オリエンタル・ポピー(P. orientale) Photo/ Dominicus Johannes Bergsma [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons] 原種はトルコ、イランなど。鬼ゲシとも呼ばれる大型種です。大輪花を楽しむことができますが、関東以西など暖地では夏越しが難しいのが残念です。 なお、ポピーの近縁種の中には、栽培に法的禁止・規制があるもの、避けるべきものとされる品種群があります。次にあげる種類は栽培できないことに注意しましょう。 ケシ(P. somniferum)、アツミゲシ(P. setigerum)は「アヘン法」により、ハカマオニゲシ(P. bracteatum)は「麻薬及び向精神薬取締法」により、栽培は禁止されています。また、ナガミヒナゲシ(P. dubium)は「特定外来生物」や「生態系被害防止外来種(要注意外来生物)」には指定されていないものの、これらと同様に生態系に大きな影響を与える外来植物とされています。いずれの品種も決して栽培しないようにしてください。 栽培禁止ポピーの見分け方については、下記の東京都健康安全研究センターのサイトをご参照ください。https://www.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/lb_iyaku/plant/tokyo-keshi/ オルラヤ・グランディフローラ(Orlaya grandiflora:セリ科オルラヤ属) Photo/田中敏夫 種子からの育苗が容易でとても育てやすい草花です。開花期間は千葉県西部では5月。チューリップのやや後、バラと同じ頃です。千葉県北西部では盛夏に耐えきることができませんが、5月の中旬には絢爛と花開き、華やかなので庭に欠かすことができません。 秋に露地播き、またはポット播きして冬越しさせるのがおすすめです。こぼれ種でもよく増えることから、数年経過すると繁茂しすぎることになるかもしれません。コントロールに注意しましょう。 ボリジ(Borago officinalis:ムラサキ科ルリジサ属) Photo/田中敏夫 マドンナブルーと評される美しい青花は、エディブルフラワーとしてサラダの付け合わせに利用されることもあります。そのためキッチンハーブの一つとされることが多いですが、トゲトゲと剛毛に覆われて青みを帯びた姿がとても魅力的で、春から初夏咲きの庭植え一年草としてとても有用だと思います。 オルラヤ・グランディフローラほどではありませんが、大きな種子なので育苗も簡単で、こぼれ種で増えることも期待できます。 ジャーマン・カモミール(Matricaria recutita:キク科シカギク属)ダイヤーズ・カモミール(Cota tinctoria:キク科コタ属) ‘ジャーマン・カモミール(A. Matricaria recutita)’ (左)と‘ダイヤーズ・カモミール(A. Cota tinctoria)’(右)。Photo/Yuriy75、Kor!An [CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons] ハーブティーによく用いられるのが、白花のジャーマン・カモミール。盛夏を越えることは難しいですが、キク科(Asteraceae)らしい可憐な小花、鳥の羽のような裂状の葉が他の草花とのコントラストが生じることなどから、春を彩る一年草としてよく利用されます。 近縁種のダイヤーズ・カモミールは黄花が美しく、両品種を混植するととても優雅です。ダイヤーズ・カモミールはジャーマン・カモミールよりも少し遅れて開花し、草丈も少し高性になることが多いように思います。 ニゲラ(Nigella damascena:キンポウゲ科クロタネソウ属) ニゲラの花と実。Photo/I, Wildfeuer、JLPC [CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons] キンポウゲ科(Ranunculaceae)の一年草で、“Love in the Mist(靄のなかの恋)”というロマンチックな別名がふさわしい花。カモミールと同様に細く切れ込んだ小葉が魅力的です。白、ピンク、青、パープル、黄色と花色も豊富ですし、小さな風船状になる実もエキゾチックで、春には必ず見たい花です。 ヤグルマギク/セントーレア(Centaurea cyanus:キク科ヤグルマギク属) Jaren Jai Wicklund/Shutterstock.com 青やピンクのほか、白、バーガンディなどの色があるヤグルマギク。ヤグルマギクとセントーレアはどちらも同属の仲間ですが、日本ではセントーレアはキク科ヤグルマギク属(セントーレア属)のうち多年草のものを指し、ヤグルマギクは一年草を指すのが一般的です。 STEP1~3で草花を選んだら、10月頃に植え付け、春の開花期まで楽しみましょう。 リレー栽培STEP4チューリップ球根の堀上げ 開花後のチューリップの球根。Photo/Beat Ruest [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons] 3月から芽を出したチューリップの開花は4月初旬から下旬、おおよそ3週間ほどです。5月に入ると地上部が枯れ込み、休眠に入ります。 休眠期に入ったチューリップは原種系など一部を除き、植え込んだまま越年して翌年も開花させることは簡単ではありません。開花後は、開花に力を使い果たした親球根は消滅し、子球ができているといった状態が一般的です。しかし、それらの子球は、たとえ夏越しできたにしても、翌年は葉を伸ばすだけで開花しないということが多いのです。 翌年の開花を実現するためには、花後は早めに花茎を折り取って球根の養生に努め、休眠に入ったら掘り上げて、充実したものだけを残して陰干しするなどの処置が必要です。 リレー栽培STEP5春秋一年草を選ぶ SusaZoom/Shutterstock.com 5月からチューリップの後を埋める一年草は、ぜひお好みのままいろいろと試してみてください。春秋一年草選びのポイントとして、次の2点を基準にするのがおすすめです。 周りの草花とよく調和する 開花期間が長い 初夏から晩秋まで、庭では多くの灌木や宿根草が繁茂していることを考えれば、草丈は60~80cm、株幅があまり張らないタイプが使いやすいでしょう。また、開花期間が長い草花、できれば10月まで咲き続けるものは、管理がとても楽です。 美しい一年草は数えきれないほどあります。お好みで選び、ガーデニングを楽しむことが一番だと思います。ご参考までに春秋一年草の例をいくつか挙げます。 【春秋一年草の例】 高性ジニア/ヒャクニチソウ(Zinnia:キク科ヒャクニチソウ属)アフリカン・マリーゴールド(Tagetes:キク科コウオウソウ属)一年性サルビア(Salvia splendens etc.:シソ科アキギリ属)センニチコウ ‘ファイヤーワークス’(Gomphrena globosa ‘Fire Works’:ヒユ科センニチコウ属) 高性ジニア/ヒャクニチソウ(Zinnia:キク科ヒャクニチソウ属) Photo/田中敏夫 6月から9月末、時に10月まで、長く咲き続けて夏の花壇を彩るジニア。イエロー、ピンク、白、二色咲きなど花色豊富。シングル、ダブル咲きなど花形にも変化があり、花壇前景をカバーする草丈15cmほどの矮性種から、60cm高さほどで切り花などに利用されるものまでバラエティ豊かです。 メキシコを中心に15種ほどの原種が知られていますが、主に、草丈が60cm前後となるヴィオラケア系(Z. violacea)と、細葉で高さ15~30cmに収まる矮性のアングスチフォリア系(Z. angustifolia)が流通しています。 夏花壇では、宿根草と調和する40~60cmほどの草丈のものが利用しやすいと解説しましたが、その例がジニア・クィーン系。もともと切り花用の品種ですが、優雅な花形と花色で人気があり、庭植え向けに苗が出回るようになりました。また、種子も販売されています。炎天下でも落ち着いた雰囲気を醸し出してくれる’クィーン・レッド・ライム’や’ジャイアント・ライム’はとても魅力的です。 アフリカン・マリーゴールド(Tagetes:キク科コウオウソウ属) Sayan Puangkham/Shutterstock.com マリーゴールドの原種自生地は中央、南アメリカ。市場には大輪・高性の“アフリカン”と小輪・矮性の“フレンチ”が出回っていますが、この名前は原産地を示すものではありません。“アフリカン”は植栽されていたスペインから、“フレンチ”はやはり植栽されていたフランスからヨーロッパ中に広がったことからの名称だとのことです。 矮性のフレンチのほうが多く出回っていますが、チューリップ後の庭からリレーされるとなると草丈が足らず、他の草花に埋もれてしまいがちです。イエロー、オレンジ、白などの大輪花を咲かせる“アフリカン”のほうが適しているでしょう。 一年性サルビア(Salvia splendens etc.:シソ科アキギリ属) 左上から時計回りにサルビア・スプレンデンス、サルビア・コキネア、サルビア・ファリナセア、サルビア・パテンス。Photo/ George E. Koronaios [CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons]、Forest & Kim Starr [CC BY 3.0 via Wikimedia Commons]、 Photo/ Kakidai, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons、Raffi Kojian, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons] 一年草、多年草、さまざまな種類があるサルビアですが、主にハーブとして出回っているセージも含めてアキギリ属(Salvia)に含まれています。900種に及ぶ原種があるとのことです。 自生地では多年草であることが多いサルビア/セージですが、非耐寒性で晩秋に枯れこむため、一年草扱いのサルビアがあります。 サルビア・スプレンデンス(S. splendens)といえば、公園などで赤い絨毯のように群生して夏を彩っている姿に思い当たる方は多いでしょう。品種改良が進み、赤花ばかりではなく、パープル、白、そして淡いアプリコットやソフト・ピンクなどニュアンスカラーの品種など花色も豊富になっています。 その他、一年草扱いのものとしては、萼弁が発色しないため、落ち着いた花色になるサルビア・コキネア(S. coccinea)、ブルーサルビアと呼ばれる青花のサルビア・ファリナセア(S. farinacea)、淡紅色や淡青色が多いサルビア・ヴィリディス/ホルミナム(S. viridis/ horminum)などがあります。 ニュアンスカラーのサルビア・スプレンデンス。Photo/Forest & Kim Starr [CC BY 3.0 via Wikimedia Commons] センニチコウ ‘ファイヤーワークス’(Gomphrena globosa ‘Fireworks’:ヒユ科センニチコウ属) Photo/Jim Robbins [CC BY-NC-ND 4.0 via NC State University] 「千日紅」という和名のとおり、長く開花が楽しめるのがセンニチコウです。 赤、パープル、白など花色が豊富なグロボーサ(G. globosa)由来の矮性種は、草丈20~40㎝。近縁種の赤やオレンジで高性のキバナセンニチコウ(G. haageana)由来の’ストロベリーフィールズ’も人気がありますが、パープルの花弁の間からイエローのシベがわずかに覗く美しい花色の‘ファイヤーワークス’は草丈80~100㎝となり、風にそよぐ草姿がとりわけ美しく、一番人気かと思います。なお、関東以西なら露地で越年するという記述も見受けますが、簡単ではないことから、一年草扱いとしました。 最近、矮性で横広がりするファイヤーワークスの改良種‘ゴンフレナ・ラブラブラブ’も登場し、より多花性で開花期間も長く人気があります。
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ガーデンデザイン
【植栽計画】早春を彩る花~球根とそのコンパニオンたちによる開花リレープラン
春を飾る球根たちで作る開花リレー まだ寒さが残る早春。この季節、庭は枯れ姿ばかりが目につきますが、よく観察すると多くの植物たちはすでに小さな芽をつくり、春の日差しを待ちかねています。 Oksana Lyskova/Shutterstock.com 球根の中には、ペチコート・スイセン(Narcissus bulbocodium/ナルキッスス・ブルボコディウム:ヒガンバナ科スイセン属)や寒咲き日本スイセン(N. tazetta var. chinensis/ナルキッスス var. キネンシス)のように、所によっては12月に開花するような早咲きの球根もあります。 冬枯れの庭のなかに花色が見えると心和みますが、本格的な春を迎えると、これらの花を追いかけるかのように多くの球根類が次々に開花していきます。品種それぞれの開花時期をよく見極め、早春から始まる“花”のリレーを計画し楽しむことは、園芸の醍醐味でもあります。 ここでは、3月から始まる球根類の開花のリレーを計画し、華やぐ春庭のプラン(千葉北西部の例)を作成してみました。球根とともに咲く小さな草花たちについても、少し触れてみたいと思います。 3月から咲く球根 ハナニラIpheion uniflorum:ネギ亜科ハナニラ属 Photo/田中敏夫 ハナニラ(Ipheion uniflorum/イフェイオン・ウニフロルム)は、野菜のニラの近縁種。ニラに似た独特のニオイがします。南アメリカ原産で25種ほどの原種が知られています。 出回っている主な品種は、星形で藤色に近いライトブルーの花を咲かせるウニフロルム属を元にした園芸種です。花色がピンク花に変化したものもあります。その他、少し早めに開花することが多い近縁種の黄花ハナニラ(Nothoscordum sellowianum)や、晩秋から初冬に白い花を咲かせるパルビフローラ(I.parviflora /Tristagma recurvifolium)も、近年、入手可能となりました。 一度植え込むと分球、またこぼれ種でも増えるので、植えっぱなしのまま楽しむことができます。 ハナニラの栽培の際に注意したいのが、ハナニラは有毒なので食用にはならないこと。 野菜として広く流通しているニラ(Allium tuberosum)の中には、つぼみを含めて食用にする“花ニラ”(‘テンダ―ポール’、’ニラむすめ‘など)があり、収穫を控えていると秋に花冠状の白花を咲かせます。毒性の“ハナニラ”と“食用花ニラ”は違います。お間違えないようくれぐれもご注意ください。 グラウンドカバーとしてのハナニラと一緒に咲くコンパニオンたち ハナニラは晩春になると地上部が枯れて休眠します。しかし、晩秋から初冬にかけて新芽を伸ばして地上に現れロゼッタ状になります。植え込んで数年を経過しよく分球すると、枯れこみが目立つ庭に緑の絨毯のように広がり、よいグラウンドカバーとなります。 Photo/田中敏夫 ハナニラは、千葉北西部の場合3月中旬から4月初旬に開花しますが、早咲き球根のスノードロップ(Galanthus nivalis/ガランスス・ニヴァリス:ヒガンバナ科ガランサス属)、クロッカス(Crocus:アヤメ科クロッカス属)、ミニアイリス(Iris reticulata/イリス・レティクラータ:アヤメ科アヤメ属)などは、ハナニラよりも少し早く開花します。これらの早咲き球根をハナニラと同じ場所に混栽しておくと、ハナニラの緑葉を分けて、クロッカスなどの花だけが顔を出すという庭演出をすることができます。 左からスノードロップ、クロッカス、ミニアイリス。Photo/Florencia Grattarola、Michael Goodyear、Zeynel Cebeci [CC BY 4.0 via Wikimedia Commons] 宿根草であるプリムラ・ヴルガリス(Primula vulgaris:サクラソウ科サクラソウ属)、プリムラ・ヴェリス(Primula veris:サクラソウ科サクラソウ属)、ベロニカ ‘オックスフォードブルー/ジョージアブルー’(Veronica peduncularis ‘Oxford Blue’/’Georgia Blue’:オオバコ科クワガタソウ属)、ビオラ ‘ラブラドリカ’(Viola labradorica:スミレ科スミレ属)なども、球根類と競い合うように花咲きます。ハナニラのベッドにスノードロップ、クロッカス、ミニアイリスを合わせ、それを囲むようにプリムラ、‘オックスフォードブルー’、‘ラブラドリカ’を植栽すると、早春を彩る“花の小島”を作ることができるでしょう。 左上から時計回りにプリムラ・ヴルガリス、プリムラ・ヴェリス、ベロニカ‘オックスフォードブルー’、ビオラ・ラブラドリカ。Photo/Michel Langeveld、Ghislain118、Dinkum、Agnieszka Kwiecień [CC BY 4.0 via Wikimedia Commons] ムスカリMuscari:キジカクシ科ムスカリ属 Photo/田中敏夫 ムスカリは、ハナニラと同様、初冬から葉を伸ばし、3月中旬から4月初旬に開花します。丈夫で特に手入れをしなくても毎年開花し、環境によく適応すると群生することもあります。 ブドウの房のような花序となることからブドウムスカリと呼ばれることもあるアルメニアカム種(M. armeniacum)と、その交配種が主に流通しています。冬越しする葉姿はハナニラのように地表を覆う形ではなく、立ち上がり気味となります。そのため、スノードロップ、クロッカス、ミニアイリスなどとの混植にはあまり向いていないと感じています。 なお、あまり流通量は多くありませんが、ムスカリ・ラティフォリウム (M. latifolium)は幅広の包葉の間から花茎を伸ばす愛らしい花姿をしています。ブドウムスカリに比べて繁殖力が劣るようですが、もっと利用されてもいい種類です。 ムスカリ・ラティフォリウム。Photo/Meneerke bloem [CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons] アネモネAnemone coronaria:キンポウゲ科イチリンソウ属アネモネ種 Anemone coronaria ‘Sylphide’ Photo/Ghislain118 [CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons] アネモネについては、ヨーロッパ南部(地中海沿岸地域)を中心に100種ほどの原種が知られています。 現在市場に多く出回っているのは、アネモネ・コロナリア(A. coronaria)を交配親とした、大輪・多弁となるものです。 原種として一般的なのは、アネモネ・ホルテンシス(Anemone hortensis)、アネモネ・パボニナ(A. pavonina)、これらの交雑によりできたとされるアネモネ・フルゲンス(A.×fulgens)、さらにフルゲンスの交雑により生まれたアネモネ・コロナリア(A. coronaria)などです。 アネモネというと、市場に出回っているものは大輪・多弁のものがほとんどでしたが、最近、パボニナ系やフルゲンス系のシングル咲きのものも出回るようになりました。高温多湿にもよく耐える丈夫さが魅力です。草丈も30cmに満たないことが多く、控えめで清楚な印象を受けます。 アネモネ・フルゲンスの白花。Photo/田中敏夫 フルゲンスには白の他、ピンク、ラベンダー、パープル、赤など多くの花色があるのですが、個人的に青いしべとのコントラストが美しい白花が気に入っています。 また、フルゲンスと同様に、堀り上げて過湿を避けるなど夏越しに注意すれば毎年開花する、青花・菊咲きのブランダ種(A. blanda)‘ブルーシェイド/Blue Shade’を取り入れてみるのも、変化が出て楽しいかもしれません。 Lancan/Shutterstock.com スイセンNarcissus:ヒガンバナ科スイセン属 スイセンは、チューリップとともに春咲き球根の代表格。原種は30種ほどですが、園芸種は優に一万を超えるという一大グループです。 原種の系列から分類されたり、また八重咲き、ラッパ形、トリアンドロス(下向き)形などの花形で分類されたりします。多くの園芸種は4月頃に開花しますが、ここでは3月頃から開花する早咲き品種を3種だけ写真でご紹介しましょう。 ペチコート・スイセン(Narcissus bulbocodium) peganum from Small Dole, England [CC BY-SA 2.0 via Wikimedia Commons] 寒咲き日本スイセン(Narcissus tazetta var. chinensis) Photo/Dnssgh at Chinese Wikipedia [Public domain via Wikimedia Commons] 黄房スイセン(Narcissus jonquilla) Photo/David J. Stang [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons] 4月から咲く球根 スノーフレークLeucojum aestivum:ヒガンバナ科スノーフレーク属 Photo/田中敏夫 スノーフレークはスイセンと同じヒガンバナ科に属し、スズランに似た白花をつけることから鈴蘭スイセンと呼ばれることもあります。丈夫で、適切な場所に庭植えするとよく分球して数年後には群生します。 黄房スイセンなどを追いかけるように開花し、次にご紹介するスパニッシュ・ブルーベルを合わせた3種を並べるように植え込むと、黄・白・青と鮮やかなコントラストを作ることができます。 スパニッシュ・ブルーベルHyacinthoides hispanica:キジカクシ科ヒアシンソイデス属 Photo/田中敏夫 スパニッシュ・ブルーベルが属しているヒアシンソイデス属は、ヒアシンス(Hyacinthus)やシラー(Scilla)に近い仲間で、原種としては7種があります。 7種の原種のうち、ヒアシンソイデス・ヒスパニカ(H. hispanica)とヒアシンソイデス・ノンスクリプタ(H. non-scripta)の2種が主に栽培されています。いずれもいくつかの園芸品種があり、両者の交配によって育成されたものもあります。ヒスパニカ種は、シラー・カンパニュラータの名前で流通することもあります。 ノンスクリプタ種は「イングリッシュ・ブルーベル」とも呼ばれ、樹木の株元などに群生し、イギリスの春の田園を青く彩る風景として知られています。花穂は細身で、花茎の上部が曲がって枝垂れるように咲き、花は片方向に寄っています。イギリスでは両種が混在するようになってしまい、次第にヒスパニカが優勢になっているようで、自生地の減少が懸念されています。 5月から咲く球根 ダッチアイリスIris x hollandica:アヤメ科アヤメ属 ダッチアイリスは、スペイン原産のアイリスを交配親とした園芸種の総称です。主にオランダで育種され市場へ投入されたことから、“ダッチ(オランダ)”と呼称されています。 アイリスには日本由来のアヤメ(綾目模様が入る)、カキツバタ(白筋が入る)、ハナショウブ(黄筋が入る)などに加え、ジャーマンアイリスなど数多くの品種があります。しかし、日本古来のものには栽培に多少注意を払う必要があり、またジャーマンアイリスの場合は深植えを嫌いアルカリ土壌が好ましいなど、やはり地植えの他の植物とは幾分か異なる管理をしなければなりません。 その点、ダッチアイリスは青、黄、青黄の複色などに花色が限定されますが、一度庭に植栽してしまえば、後は放置しても毎年開花することが多く、管理がとても楽です。 開花は5月頃。ブルーのスパニッシュ・ブルーベルの花の後を追いかけるようにブルーやイエローの花が開くのは、春の楽しみでもあります。 Photo/田中敏夫 アリウムAllium:ヒガンバナ科ネギ属 Jelena Safronova/Shutterstock.com アリウムはネギ属の学名です。野菜の長ネギ、玉ネギ、ニンニク、ニラ、ラッキョウ、アサツキ(浅葱)なども同じ属に含まれています。園芸向きに植栽されるのは、主にギガンテウム (A. giganteum)、‘スター・オブ・ペルシャ’という美しい別名でも知られるクリストフィ (A. cristophii)、園芸種の‘サマードラマー’(A. ‘Summer Drummer’)などの大株になるタイプと、中型で青花が美しいカエルレウム(A. caeruleum)、ハーブとして利用されることが多いチャイブ(A. schoenoprasum)です。料理の薬味として使われるアサツキはチャイブの変種です。 大輪のアリウムは多くの庭でフォーカル・ポイントとなり、春の庭の華やかに飾ってくれます。よく植栽されるギガンテウムは宿根しますが、植えっぱなしでは夏に球根が腐ってしまいがちなので、堀り上げて保管する必要があるでしょう。 スノーフレーク、スパニッシュ・ブルーベル、あるいはハナニラのように毎年開花するといった持続性には欠けると感じています。しかし、近年は夏咲きの園芸種のなかに、耐暑性が強いものが市場へ出回るようになりました。 アリウムの品種バリエーション ガーデニングでよく使われるアリウムの種類を一部ご紹介しましょう。 アリウム・ギガンテウム(Allium giganteum) Photo/H. Zell [CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons] 直径10〜18cmほどの丸いボール状の花序になります。花色は主にパープル。大型種の代表的な存在です。 アリウム・クリストフィ (Allium cristophii ‘Star of Persia’) Photo/BotBln [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons ギガンテウムと同様、大玉の花序となりますが、少しだけ小さめとなることが多いように思います。スター・オブ・ペルシャという別名のとおり、花序は少し散形気味となり、とても優雅です。 アリウム・ホランディカム(Allium hollandicum ‘Purple Sensation’) Photo/Нацку [CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons] パープルの花色の園芸種’パープル・センセーション’はギガンテウムとともに庭植えによく用いられる大型種です。 アリウム・カエルレウム(Allium caeruleum) Photo/chernoburko [CC BY 2.0 via Wikimedia Commons] シルバー―ブルーの中型種。 アリウム・丹頂(Allium sphaerocephalon) Brookgardener/Shutterstock.com 花茎だけが60cm高さほどに伸び、先端にうずらの卵サイズの花序を付けます。花色は上がパープル、開花始めには下部に緑色が残ります。日本名の‘丹頂’もいい名前だと思っていますが、英語圏などではドラムスティックという別名で呼ぶことが多いようです。あまりにドンピシャなのでおかしいくらいです。 ギガンテウムやクリストフィよりも強健です。夏越しして毎年開花することが期待できます。 アリウム・モーリー(Allium moly) Photo/Krzysztof Ziarnek, Kenraiz [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons] 高さ50cmから70cmの中型のアリウムです。パープルの花色が多いアリウムの中にあって、数少ない黄色花品種です。この品種もアリウム‘丹頂’と同じように宿根化が期待できます。 夏咲き種 近年、シベリア地方を原生地とする夏咲きアリウム、A. ヌタンス(A. nutans)を交配親としたと思われる、7月から9月に開花する夏咲きアリウムが出回るようになりました。 Photo/Krzysztof Ziarnek, Kenraiz [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons] 主に見かける品種は、 ‘サマービューティー’(A. 'Summer Beauty'):チャイブに似た淡い藤色の花。草丈30cmほど‘ミレニアム’(A. ‘Millenium’):サマービューティーより濃色の藤色の花。草丈20cmほど‘サマードラマー’(A. ‘Summer Drummer’):白花/淡い藤色の大輪花。草丈150~200cmの高性種 などです。 いずれも貴重な夏咲き球根ですし、植えっぱなしでも越冬することが多いと報告されています。園芸愛好家には嬉しいニュースです。 チャイブ(Allium schoenoprasum var. schoenoprasum)と食用花ニラ(Allium tuberosum) ハーブとして利用されるチャイブやその変種であるアサツキ(Allium schoenoprasum var. foliosum)、また中華料理などの欠かせない野菜として利用される食用花ニラは、植えっぱなしで毎年繰り返し開花するという優れた特性があります。 チャイブは藤色気味のピンク、食用花ニラは白、と花色に違いもあるので、庭で混植してみると面白いかもしれません。 チャイブ(左)と食用花ニラ(右) Photo/optimarc、mizy/Shutterstock.com チューリップTulipa:ユリ科チューリップ属 魅惑の花チューリップについては、興味深い長い歴史があり、流通しているだけでも数千に及ぶという多くの品種があります。それ故、整理するのは簡単ではありません。今回は一般的なシングル咲きのトライアンフ系とユリ咲き系の品種をいくつかご紹介するにとどめます。 トライアンフ系は4月中旬に咲き、草丈30~50㎝。早咲きシングルと遅咲きシングルの交配により生み出されたよく整ったシングル咲きの花形が特徴的で、園芸種チューリップの中でもっとも多くの品種があります。また、ユリ咲き系はトライアンフより少し高性で、4月下旬咲きとなるものが多いです。 庭の4月中旬は、多くの宿根草や耐寒性の一年草が芽を伸ばし始める頃です。そうした芽出しの季節にあまり突出しない高さで開花をするチューリップとしてトライアンフ系を使い、他の植物が高さを競う下旬頃には少し高性で、花茎がカーブするなど優雅なユリ咲き系を用いるという考え方です。 トライアンフ系の品種例 ‘ハッピージェネレーション’ (左)と‘アミュレット’(右)Photo/Agnieszka Kwiecień, Nova [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons]、Guy Waterval [Apache License 2.0 via Wikimedia Commons] ユリ咲き系品種例 ‘バレリーナ’(左)と‘モナリザ’(右)。Photo/Anna [CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons]、 Agnieszka Kwiecień, Nova [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons]
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ストーリー
【バラの育種史】魅力あふれる白バラ~ランブラー<後編>
ノイバラ系・テリハノイバラ系以外の白花ランブラー 品種名不明。Photo/田中敏夫 白花のランブラーには、原種そのもの、あるいは交配されて新たな園芸種となったものがあります。前編で解説したとおり、それらの多くはノイバラ系とテリハノイバラ系のもの。今回は、異なる原種系に属する白花ランブラーをご紹介していきましょう。 前編と後編でご紹介する、主な原種は以下の通りです。 ① ノイバラ(R. multiflora)② テリハノイバラ(R. luciae)③ モッコウバラ(R. banksiae)④ アルヴェンシス(R. arvensis)/エアシャー(R. ayrshire)⑤ センペルヴィレンス(R. sempervirens)⑥ フィリペス(R. filpes) モッコウバラ(R. banksiae;モッコウバラ)-原種、春一季咲き 白八重のモッコウバラ(R. banksiae banksiae) Photo/田中敏夫 白シングルのモッコウバラ(R. banksiae var. normalis) Photo/田中敏夫 人気のバラであるモッコウバラ。2~3cm径の八重の花が、こぼれるような房咲きとなります。早咲きバラとして知られ、モッコウバラの開花に続いて多くのガーデンローズが花開き、絢爛たるバラのシーズンとなる、その先駆けのバラです。 幅狭、葉先が尖った小さな葉。中国や日本原産の野生種です。旺盛に成育し、柔らかな枝ぶりですが、適した環境に生育すると、数年後には株元の幹が幼児の腕ほどの太さとなる大株に育ちます。 トゲのないバラは、園芸品種では‘ゼフリン・ドローアン’や‘つる サマースノー’などごく一部にしか見られませんが、モッコウバラはトゲなしバラとして広く知られています。 英国王立園芸協会より中国へ派遣されたウィリアム・カール(William Kerr)が広東の庭園でこの品種を発見し、1807年に故国へ持ち帰りました。 モッコウバラの学名のバンクシアエ(banksiae)は、18世紀から19世紀にかけて活躍した英国の博物学者ジョセフ・バンクス(Joseph Banks:1743-1820)にちなんでいます。バンクスは、1773年にはロンドン西郊外のキュー・ガーデンの顧問、1778年王立協会の会長に就任し、死去するまでその地位にあるなど、植物学の発展に大きな貢献を果たしました。 またバンクスは、1768-1771年のキャプテン・クックの第1回航海にも参加し、南アメリカ、オーストラリアなどの植物を多くヨーロッパに持ち帰りました。ユーカリ、アカシア、ミモザをヨーロッパへ持ち帰ったのもバンクスでした。プラントハンターの先駆者のような人物です。 モッコウバラには、白八重、白シングル、黄八重、黄シングルと4種が出回っています。中国などで自生している品種がヨーロッパへ紹介されたのは、白八重が一番先で、その元品種であろうと思われるシングル咲きのほうが後になりました。そのことから、先に登録された、八重咲きはシングル咲きから変異したと思われるものの、単に“banksiae”。後から登録されたシングル咲きが、“banksiae nolmaris(普通の)”と修飾語つきとなってしまいました。 1807年に白八重と黄八重がヨーロッパへもたらされた後、1870年頃に黄シングルが、そして1909年に白シングルが紹介されたとのことです。白八重、黄八重、黄シングルはいずれもわずかに香る程度ですが、白シングルは比較的強く香るという特徴があります。 中国や日本原産のノイバラやテリハノイバラは、ヨーロッパへ渡って以来、交配親として多く利用されました。一方、モッコウバラは比較的温暖な気候を好み、戸外ではヨーロッパの厳寒期に耐えることが難しかったようで、交配親として利用されることはほとんどありませんでした。交配種としては、白花の中輪花を咲かせるランブラー‘ピューレッツァ(Purezza)’など、わずかな品種が知られているだけです。 アルヴェンシス(R. arvensis)/エアシャー(The Ayrshire Rose)- 原種、春一季咲き ロサ・アルヴェンシス Photo/田中敏夫 中輪、シングル、平咲きとなる花形。開花時の花数は多いものの、房咲きとなることはあまりありません。 強い香り。 明るい色合いのつや消し葉。フック気味の鋭いトゲ。比較的柔らかな枝ぶり、旺盛に枝を伸ばし500㎝を超える大型のランブラーとなります。 自生地はスペイン、スカンジナビアを除くヨーロッパ全域。英国ではスコットランドなどではほとんど見られないように、寒冷地ではあまり見ることはできません。 学名アルベンシス(arvensis)は“原野”の意。草地でよく見られることから。英国ではフィールド・ローズと呼ばれています。 1762年、英国のウィリアム・ハドソン(William Hudson )により登録されました。文豪シェイクスピアが『真夏の夜の夢』などで“ムスク・ローズ”としている香り高い白花のランブラーは、実際にはこのロサ・アルヴェンシスであっただろうというのが、大方の研究者たちの解釈です。 ほとんど白といってよいが、わずかに淡いピンクが入り、セミ・ダブルとなる花形を持つ、アルヴェンシスの自然交配種と思われる変種があります。 どのような経緯があったのかはよく分かっていないのですが、アルヴェンシスと北米に自生する原種ロサ・セティゲラ(Rosa setigera)の交配種が、18世紀中頃からイギリスのエアルシャーなどで育種されるようになり、エアシャー・ローズという商品名で市中へ出されるようになりました。 そして、アルヴェンシスを元品種とする園芸種は、このエアシャーを交配親としていることが多いため、エアシャー・ローズと呼ぶのが一般的となっています。 1837年頃、そのうちの一つとして出回るようになったのが、‘エアシャー・スプレンデンス’です。 エアシャー・スプレンデンス(Ayrshir Splendens)- 春一季咲き、1837年以前 近似種の‘エアシャー・クィーン’ Photo/田中敏夫 エアシャー・ローズの多くは、香りについてはとり立てて特徴的なものではありませんでした。しかし、‘エアシャー・スプレンデンス’は違っていました。 スプレンデンスは、別名ミルラ香バラ(Myrrh scented Rose)と呼ばれています。バラの香りの中でもあまり例のないものです。 ミルラ香がするバラは、このスプレンデンスの他、 “忘れられた”育種家パルメンティエが残したダマスクの‘ベル・イジス’(Belle Isis;1848年以前)、1950年頃、“お転婆”ナンシーによって発見されたとされる‘ベル・アムール’(Belle Amour)などにしか見いだせない、非常に限定的ものでした。 イングリッシュ・ローズ(ER)の生みの親デビッド・オースチン氏はこのうち、‘ベル・イジス’を交配親として、 ミルラの香りのバラを生み出していきました。 オースチン氏は著作『デビッド・オースチンのイングリッシュ・ローズ(David Austin's English Roses)』の中で、次のように語っています。 「イングリッシュ・ローズの早い時期の交配種のほとんどは特徴的なスパイシーな香り、ときにミルラ香と記述される香りを持っていた…どうしてこの香りがもたらされたのかはミステリアスだが、初期の基本種のひとつである(おそらくスプレンデンスの血を引く)‘ベル・イジス’こそが唯一の答えだと言いたい。最初のイングリッシュ・ローズ、‘コンスタンス・スプライ’は色濃くこの特徴的な香りを備えていた」 ‘コンスタンス・スプライ(Constance Spry)’ Photo/田中敏夫 ミルラ香を持つ‘コンスタンス・スプライ’が交配親となり、その後、‘チョーサー’、‘ザ・ワイフ・オブ・バース’などのイングリッシュ・ローズに強いミルラ香をもたらすこととなりました。今日でも多くのイングリッシュ・ローズ品種にミルラ香が伝えられ、さらにイングリッシュ・ローズを交配親として他のナーセリーが育種した品種にも伝わり、このミルラ香がバラの香りのひとつとして確立していくことになりました。 センペルヴィレンス(R. sempervirens)- 原種、春一季咲き krolya25/Shutterstock.com 小輪、シングル咲きで浅いカップ形の花となります。花数は多いものの、房咲きとなるより、株全体に飾り付けたように間隔を置いて開花するといった印象を受けます。 フック気味の赤みを帯びた鋭いトゲ。細い枝ぶりですが旺盛に枝を伸ばし、350cmから500cm高さへ及ぶ大型のランブラーとなります。 ポルトガルから以西のスペインなどの地中海地域、北アフリカ、トルコなど、乾燥気味で温暖な地域に自生しています。 分類学の父カール・リンネ(Carl von Linné)が1753年に発刊した『植物の種/Species plantarum』の中で記述されたのが、学術上の最初の公表となりました。センペルヴィレンスとは“常緑の”という意味のラテン語。そのため英語圏ではエバー・グリーン・ローズ(Evergreen Rose)と呼ばれることもあります。 センペルヴィレンスを交配親としたランブラーの育種に多大な貢献をしたのはフランスの育種家で、フランス最後の王ルイ=フィリップの庭園丁であったアントワーヌ・A・ジャック(Antoine A. Jacques)。園芸種としてのランブラーを世に紹介した先駆者です。 多くの美しいセンペルヴィレンス系ランブラーがジャックの手により育種されましたが、そのうち代表的な白花種をご紹介しましょう。 アデライド・ドルレアン(Adélaïde d'Orléans)- センペルヴィレンス系、1826年 ‘アデライド・ドルレアン’ Photo/田中敏夫 中輪、開花しはじめは丸弁咲き、成熟すると平咲きの花形となります。 どんぐりのような愛らしい丸みを帯びたつぼみは、濃いピンク。開花当初は、その色合いが残って淡いピンクとなることもありますが、次第にクリーム色、さらに純白へと変化します。 細めの深めの緑となるつや消し葉。細く柔らかな枝ぶりで、高さ350cmから500cmとなるランブラーです。 1826年、フランスのアントワーヌ・A・ジャックが育種・公表しました。センペルヴィレンスが交配親のひとつと見なされていますが、詳細は不明です。 オルレアン公ルイ・フィリップ(後のフランス国王)お抱えの庭師であったジャックは、この品種を公の妹、アデライド(1777-1847)へ捧げました。 ‘Portrait of Adélaïde d'Orléans’ Painting/unknown [Public Domain via Wikimedia Commons] アデライドは、オルレアン公である兄ルイが、1794年にフランス共和制議会から"反革命"の烙印を押されて亡命を余儀なくされた後、1801年にアメリカへ亡命しました。アメリカの富裕な商人と結婚し、4人の子供をもうけましたが、ルイがナポレオン失脚後の王制復古の機運により1814年にフランスへ帰国した折、アメリカの家族の許を離れ、兄ルイと暮らす道を選択しました。 生まれながらの聡明さと長い海外生活から、母国語であるフランス語のほか、英語、イタリア語、ドイツ語に堪能で、兄ルイ・フィリップを政策上でもよく支えました。 この品種が彼女へ捧げられたときは、フランスは王制復古派の勢力が優勢で、それゆえに安寧な毎日を送っていた時期でした。4年後の1830年、ルイ・フィリップはフランス国王となります。ルイ・フィリップは1848年に王位を追われ、フランス最後の王となってしまいましたが、アデライドはそれ以前に生涯を終えたため、ルイ・フィリップの零落を見ることはありませんでした。 アデライドはボタニカルアートを趣味としていて、ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテの指導を受けていました。今日まで美しい植物画が残されています。 Botanical Painting/ Adélaïde d'Orléans [Public Domain via Wikimedia Commons] フェリシテ・ペルペチュ(Félicité-Perpétue)‐センペルヴィレンス系、春一季咲き、1827年 ‘フェリシテ・ペルペチュ’ Photo/田中敏夫 小輪、ポンポン咲きの花がひしめくような房咲きとなります。 ピンクに色づいていたつぼみは開花すると、淡いピンクが入ることはありますが、次第に純白へと変化します。 深い色合いの葉。細く、柔らかな枝ぶり、450cmから600cm高さまで枝を伸ばすランブラーです。耐病性に優れ、多少の日陰にも耐え、花を咲かせます。トゲも少なく、取り扱いが容易です。 温暖地域では葉をつけたまま冬季を越すことができるほどの強健種ですが、逆に冷涼地域での生育は難しいがあるようです。 この品種も、1827年、フランスのアントワーヌ・A・ジャックが育種・公表しました。センペルヴィレンスといずれかのノワゼットとの交配により生み出されたと言われています。 育成者ジャックはこのバラを、生まれてくる子供にちなんで命名しようとしていましたが、双子の娘が生まれたため、ふたりの娘の名、Félicitéと Perpétueを並べて命名したという説があります("A Rose Odyssey", J.H. Nicolas)。あるいは単にキリスト教の教えを守って殉教した聖人、聖フェィチタス(St. Felicitasu)と聖ペルペトゥア(St. Perpetua)にちなんで命名されたのかもしれません。 二人の聖人は、3世紀初頭のローマ帝国のキリスト教者迫害時代、カルタゴで捕らえられ棄教を迫られましたが肯んぜず、猛獣の餌食となって殉教しました。 裁判官に「今、あなたは私たちを裁いていますが、今に神様があなたを裁判なさるでしょう」と語ったと伝えられています。 ロサ・フィリペス・キフツゲート(R. filipes 'Kiftsgate')- 原種、春一季咲き Peter Turner Photography/ shutterstock.com 小輪のシングル咲きの花が、ときにサッカー・ボールの大きさを超えるような巨大な房咲きとなります。 花色はホワイト、花心の雄しべがイエローのポイントとなり、開花時には株全体が淡いイエローに染まっているという印象を受けます。 甘い強い香り。 縁のノコ目があまり目立たない、尖り気味の小葉で、明るい色合いの半照り葉。紅茶褐色の枝には、多くはないものの大きなトゲがあります。細く柔らかな枝ぶりで、旺盛にシュートが発生して枝を伸ばし、5m、ときに10mを超える大型のランブラーとなります。 ロサ・フィリペスは中国四川省や甘粛省など中国西部から北西部に自生する原種です。 1908年、E.H. ウィルソン(E. H. Wilson)により発見され、1915年、フォン・レーゲル(Eduard August von Regel)により新種として公表されました。品種名はfilum(糸) + pēs (足)から。細い枝が密生することから命名されたようです("Graham Stuart Thomas Rose Book")。 特にキフツゲート(Kiftsgate)と名づけられることが多いのは、英国ロンドン北西部、グロスターシャー州に所在するキフツゲート・コート(Kiftsgate Court)の庭園に植栽されている株からの枝接ぎによって生産されたものを指しています。現在数株ほどあるこれらの株は、ロサ・フィリペスのクローンであるとも、あるいは枝変わりであるとも言われています。そのうち1株は現在高さ20mに達し、英国で最大のバラとして知られています。 じつはこの株は1937年、"Old Garden Roses"というバラ研究書で名高いE.U. バンヤード(E.U. Bunyard,)が運営する農場から、ムスク・ローズであるとして購入されたものです。しかし、やがて実際にはムスク・ローズではないことが明らかになりました。 1951年、グラハム・トーマスにより、ロサ・フィリペス(R. filipes)であると同定されました。 ロサ・セティゲラ(R. setigera)- 原種、春一季咲き 北米大陸の乾燥地に自生するロサ・セティゲラは、耐寒性、耐暑性ともに備えた強健さから、丈夫な品種作りのための交配親として用いられてきました。異彩を放つハンガリーの育種家ゲシュヴィントが耐寒性のある品種育種を目指して盛んに利用したことでも知られていますが、ゲシュヴィントが目指したのは大輪、深いピンク、紫などの濃色のクライマーの育種でした。そのことから、今日まで伝えられている美しいセティゲラ交配種は、大輪・濃色のシュラブやクライマーが多く、白花ランブラーとして知られているのは下に述べる‘ボルチモア・ベル’、‘ジョン・シルバー’の2種だけとなっています。 ロサ・セティゲラ Photo/Krzysztof Ziarnek, Kenraiz [CC BY SA-4.0 via Wikimedia Commons] 中輪、シングル・平咲きとなる花形。 花色はストロング・ピンク。花弁基部は白く色抜けするので、花心に薄いピンクが出て優雅な色合いとなります。開花時期は遅めで、晩春から初夏にかけてです。 甘い、濃密な香り。ムスク系の香りだとする解説もありますが、実際には変化があるように思います。 縁のノコ目が強く出る、5葉になることもありますが、大体は3葉となる大き目のつや消し葉。山吹の葉に似ていると感じるのはわたしだけでしょうか。太めで直線的に伸びる枝、そんな枝の太さに不釣り合いに感じる小さめのトゲは、チャイナローズのトゲに似て細くフック気味です。幅、高さとも180cmから250cmの、ボリュームのあるシュラブとなります。 北米大陸東部、北はカナダ・オンタリオ州から米国・フロリダ州まで、ロッキー山脈から東部一帯の主に草原に自生しています。バラ科の中で唯一雌雄異体であることで知られています(雄株は開花しますが結実しません)。 乾燥にもよく耐える強健さからプレーリー・ローズとも呼ばれるほか、特徴のある3枚葉がキイチゴと似ているころから、キイチゴ葉バラ(Bramble leaved Rose)と呼ばれることも多い原種です。 1785年、植物採集のため北米大陸に渡ったフランスの植物学者アンドレ・ミショー(André Michaux:1746-1802)により発見されました(公表は1810年) ボルチモア・ベル(Baltimore Belle)- 春一季咲き、セティゲラ系、1843年 Photo/AquaEyes [CC BY SA-3.0 via Rose-Biblio] 小輪または中輪、カップ形、30弁前後の小さな花弁が密集し、花心に近い花弁は内側へ湾曲する美しい花形です。春、枝がしなだれるほどの房咲きとなります。 色濃いピンクのつぼみは開花すると淡いピンクになり、さらに退色してほとんど白となることも多い花色です。 幅広の大きめの葉、細めで柔らかな枝ぶり、350cmから500cmほどまで枝を伸ばす、高性のランブラーとなります。 1843年、アメリカのS. フィースト(Samuel Feast)により育種・公表されました。北アメリカに自生する原種、ロサ・セティゲラ(R. Steigera)と、ガリカ・クラスまたはノワゼット・クラスのいずれかの品種との交配により生み出されたとみなされていますが、詳細は不明です。 フィーストはこのロサ・セティゲラを交配親とするランブラーの育種に力を注ぎました。 プレーリーの名を含む‘クィーン・オブ・プレーリー’、‘キング・オブ・プレーリー’など、すぐれたランブラーもフィーストが作出した品種です。いずれも耐寒性、耐病性のあるロサ・セティゲラの性質を受け継いだ、優れた品種です。 "Baltimore Belle"とは「麗しのボルモチア」といった意です。米国東部、ワシントンDCとフィラデルフィアの間にある都市、フィーストの農場が所在していたボルチモアにちなんだ命名だと思われます。 ロング・ジョン・シルバー(Long John Silver)- ハイブリッド・セティゲラ、セティゲラ系、春一季咲き、1934年 Photo/Rudolf [CC BY SA-4.0 via Rose-Biblio] 中輪、70弁を超えるようなカップ形、ロゼット咲きの花形。春に競い咲き、10輪を超えるような豪華な房咲きとなります。 シルバリー・ホワイト、輝くような純白の花色。強く香ります。 多少とがり気味、深い色の、つや消し葉。500cmから600cm高さへ達する高性のランブラーです。 1934年、アメリカのM.H. ホーヴァス(Michael H. Horvath)が育種・公表しました。 種親:耐寒性に優れた原種ロサ・セティゲラの実生種(無名)花粉:フランスのペルネ=ドウシェが育種したディープ・イエローのクライマー、‘サンバースト(Sunburst)’ スティーブンソンの名作「宝島」に登場する海賊ロング・ジョン・シルバーにちなんで命名されたのではないかと思います。 ‘ジムとシルバー’ Illustration/ Newell Convers Wyeth [Public Domain via Wikimedia Commons] 凶悪な、しかし、頭脳明晰でずるがしこくもある謎を秘めた人物です。その強烈なキャラクターは、後の多くの小説に大きな影響を与えました。物語の中で、シルバーは、主人公のジム・ホーキンスを助け冒険を重ね、とうとう宝を手に入れますが…。 ロサ・ムリガニー(R. mulliganii)- 春一季咲き Joe Kuis/Shutterstock.com 小輪、シングル咲き、強い香り。 たおやかでアーチングする枝ぶりのランブラーで、数メートルの高さに達します。 英国の著名な庭園、シシングハースト・キャッスルの“ホワイト・ガーデン”にある巨大株の白花ランブラーは、このロサ・ムリガニーです。 中国・雲南省で結実が採取され、英国園芸協会(RHS)のウィズレー庭園で実生から育てられました。原種名は当時、庭園丁のアシスタントであったB. ムリガン(Brian Mulligan)にちなんだものです。新品種としての公表は1937年で、これはバラの原種としては非常に遅いものでした。 じつは、雲南省や四川省など中国中部から南部においては、自生していたり、住居の植栽に使われたりする白花のランブラーがいくつも発見されています。 いずれも小輪、数メートルを超えるほどの大株となるものが多く、発見者、あるいは紹介者が新品種であることを主張していることが多く、さまざまな名称で呼ばれる原種のバラの大元はどれなのか、多少の違いがあるのは品種(forma)、亜種(subspecies)、変種(variety)のいずれなのか、議論が錯綜していて明確にはなっていません。 ロサ・ムリガニーも、ロサ・ルブス(R. rubus)、ロサ・ヘンリー(R. henryi)などとよく似ています。これらは花、葉などによく似た性質を示していることから、ノイバラやテリハノイバラも含めて、シンスティラエ(Synstylae)という節(Section;” 植物分類のグループ“)に一括に括られています。このようなことから、ロサ・ムリガニーも原種ではありますが、果たして独立した品種であるのかどうか、明確にはされていないようです。 トリーア(Trier)- ハイブリッド・ムスク、弱い返り咲き、1904年 ‘トリーア’ Photo/田中敏夫 小輪、セミ・ダブル、平咲きの花が枝いっぱいの房咲きとなります。 花色はクリーミー・ホワイト、ときに筆で刷いたようにわずかにピンクが入ることがあります。 ムスク・ローズ系の強い香り。 幅狭で深い色合いのつや消し葉。高さ250cmから350cmの大きめのシュラブとなります。小さめのクライマー/ランブラーとしてトレリス、小さめのアーチやオベリスクなどへ誘引することもできます。 1904年にドイツの偉大な育種家、ペーター・ランベルト(Peter Lambert)により公表されました。 種親:淡いイエローのランブラー、‘アグライア(Aglaïa)’花粉:明るいピンクのハイブリッド・パーペチュアル、‘ミセス・R・G・シャーマン・クロフォード(Mrs. R.G. Sharman Crawford)’ 交配親については異論があり、イエロー・ランブラーと呼ばれることもある‘アグライア’の実生種ではないかとも言われているようです。 耐病性があり、半日陰にも耐え、また、当時としては画期的な返り咲く性質もある強健種です。英国のJ. ペンバートン(Rev. Joseph Pemberton)がこの品種を交配親として、次々とシュラブ/セミ・クライマーを育種し、それが後にハイブリッド・ムスクと呼ばれる新しいクラスとなりました。この‘トリーア’こそ、ハイブリッド・ムスクの最初の品種だとする研究家もいます。 トリーア(Trier)はルクセンブルグとの国境近く、上質の白ワインで有名なモーゼル河河畔、ドイツ西端の古い都市です。育種者、ランベルトの農場は市街地近くにありました。 ‘Trier 1895’ Painting/Unknown [Public Domain via Wikimedia Commons]
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ストーリー
【バラの育種史】魅力あふれる白バラ~ランブラー<前編>
白花のランブラーの原種の系列 ノイバラ。Marinodenisenko/Shutterstock.com 白花のランブラーには美しい原種があり、原種そのもの、あるいは交配されて新たな園芸種となって、多くの庭園を彩っています。今回の前編、そして次回の後編でご紹介する、主な原種を下にリストアップしました。 ① ノイバラ(R. multiflora)② テリハノイバラ(R. luciae;正式名はロサ・ルキアエですが、以下では一般的な名称であるウィックラーナと呼びます)③ モッコウバラ(R. banksiae)④ アルヴェンシス(R. arvensis)/エアシャー(R. ayrshire)⑤ センペルヴィレンス(R. sempervirens)⑥ フィリペス(R. filpes) それぞれの原種と原種を元にした交配種のうち、白花で広く植栽されているものを挙げていきたいと思います。前編の今回は、①ノイバラと②テリハノイバラにつながる品種をご紹介します。 ① ノイバラ(R. multiflora Thunb.)- 原種、春一季咲き Photo/田中敏夫 シングル・平咲き、小輪の花が華やかな房咲きとなります。この房咲きする性質が、ポリアンサやフロリバンダというクラスへ受け継がれました。 多くはありませんが、フック状のするどいトゲがあり、そのトゲを周囲の草木へ引っ掛けて枝を伸ばし、樹高350cmから、ときに500cmほどになるランブラーです。 日本の北海道南部から九州まで広く自生し、朝鮮半島、中国東部、台湾などでも自生が確認されています。河川堤防など、よく日照のある、どちらかといえば水もちのよい土壌の場所を好みます。 温暖な気候のもとでは、旺盛に成育し、よく結実もします。挿し木、実生からも容易に苗が得られるため、生け垣や庭植えバラの台木などとして広く利用されています。 長崎出島に滞在していた著名な植物学者カール・ツンベルク(Carl Peter Thunberg)は、1776年、将軍にまみえる使節に随行する機会があり、出島から江戸まで往復しました。道中、日本の植物を詳細に観察し、その成果が1784年に刊行された『日本植物誌(Flora Japonica)』にまとめられました。 ノイバラはこの著書の中でRosa multifloraと紹介され、そのことから、正式な学名は“Rosa multiflora Thunb.”と記載されることになりました。 しかし、ノイバラがバラの育種に用いられるようになるのは、紹介されてから90年ほど経過した1860年頃。フランスのシスレーが改めて紹介するまで待つことになります。 エンヘン・フォン・タラウ(Ännchen von Tharau)-ノイバラ系/アルヴェンシス系、春一季咲き、1855年以前 Photo/Rudolf [CC BY SA-3.0 via Rose-Biblio] 果実のように固く結んでいたつぼみは少しずつ膨らみ、整ったカップ形の大輪花となります。熟成すると花弁は乱れ、やがてハラハラと散ってゆきます。 明るい色合いながら灰色がかった緑のつや消し葉と白花とのコントラストは、清楚でありながらも、同時に妖しいほど魅惑的です。開花の最盛期に出会うことができれば、白花ランブラーの美しさの極みを満喫する喜びを感じることでしょう。 1885年以前にハンガリーのR.ゲシュヴィント(Rudolf Geschwind)により育種されました。アルバとエアシャー(アルヴェンシス)の交配によるのではないかという説もありますが、詳細は分かっていません。一般的にはノイバラ系のランブラーにクラス分けされていますが、大輪花であることから、アルバにクラス分けされたり、樹形からエアシャー(アルヴェンシス)とされることもあります。 エンヘン・フォン・タラウは、タラウ(現在のロシア領‐本土からの飛び地、カリーニングラード州)の司祭の娘、アンナ・ネアンデルに捧げられた民謡とのことです。詩は 1634 年に、彼女への求婚を拒絶された青年、ヨハン・フォン・クリングスポルンを題材にしてサイモン・ダッハによって綴られた詩が元になっているとのことです。 英訳から重訳すると冒頭は、 タラウのアニーちゃん、昔っからずっと好き!彼女、僕の命、僕の神さま、僕にとっては金の塊り といった調子のようです。 タリア(Thalia)- ノイバラ系、春一季咲き、1895年 Photo/Georges Seguin [CC BY SA3.0 via Wikimedia Commons] セミ・ダブル、平咲きの花が、まるで花束かのように密集した房咲きとなります。 花色は純白。花心のイエローの雄しべの色合いにより、全体としてはクリーミー・ホワイトという印象がありますが、わずかにピンクが出ることもあります。 250cmから350cmほど枝を伸ばすランブラー。トゲはほとんどありません。 香りはわずかです。 1892年、アルザス地方のJ.B. シュミット(J.B. Schmitt)により育種され、ドイツのバラナーサリー、ペーター・ランベルトを通して市場へ提供されました。公表当初から絶大な人気を博し、単にホワイト・ランブラー(White Rambler)という名前でも流通しました。 種親:ポリアンタ・アルバ・プレナ・サルメントサ(Polyantha alba plena sarmentosa;ポリアンサの元品種といわれることも)花粉:‘パクレット’(Pâquerette;1873年にフランスのギヨ息子が育種・公表した最初のポリアンサ) タリア(タライアと表記されることも)はギリシャ神話に登場する演劇や牧歌を象徴する女神です。絵画などでは、演劇用の仮面を手にした姿で現わされることが多いようです。 同じ名を持つ美しい芳香性の白花スイセン‘タリア’も、とても人気があります。 スイセン‘タリア’。Sergey V Kalyakin/Shutterstock.com ランブリング・レクター(Rambling Rector)-ノイバラ系、春一季咲き、1900年頃 Photo/田中敏夫 セミ・ダブルまたはダブル咲きの小輪の花が春、咲き競うような房咲きとなります。 クリーミー・ホワイト、また、次第に純白へと退色する花色。花心の雄しべのイエローとのコントラストが見事です。絢爛たる香り。 旺盛に枝を伸ばすランブラーです。栽培する際には、高さ600cm×幅600cmになると想定する必要があるでしょう。 1900年頃にイングランドで育種されたとされていますが、作出者は不明です。花形からはノイバラの影響が、香りからはムスク・ローズとの関連が見られるため、両原種の交配により育種されたのではないかというのが通説です。 ボビー・ジェームズ(Bobbie James)-ノイバラ系/ウィックラーナ系、春一季咲き、1961年 Sergey V Kalyakin/Shutterstock.com セミ・ダブル、平咲きの花が枝を覆いつくすような房咲きとなります。 花色はわずかにクリーム色気味のアイボリー・ホワイト、イエローの雄しべがアクセントとなって、明るい印象を受けます。ムスク・ローズ系の強い香りがします。 細く、柔軟な枝ぶり。樹高350cmからときに700cmに達する、大株となるランブラーです。 ノイバラ系の白花のランブラーは数多いですが、この‘ボビー・ジェームズ’は、爽やかな印象の房咲きの中輪花と、むせ返るほどの芳香が魅力の品種です。もっと多く植えられるべき品種の一つです。 1961年、イングランドのサニングデール・ナーセリー(Sunningdale Nursery)より育種・公表されました。交配親の詳細は公表されていません。 イングランド北西部、ヨークシャーのセント・ニコラスに美しい庭園を築いたロバート(ボビー)・ジェームズを記念して命名されました。 ② ウィックラーナ(R. luciae)- 原種、春一季咲き Photo/田中敏夫 シングル・平咲きの花が房咲きとなります。日本における代表的な野生種であるノイバラとの比較では、花径は多少大きいものの房の花数は少なめであることが多いというところでしょうか。強い香り。 和名はテリハノイバラ(照葉野茨)。名前にふさわしい、丸みを帯びた小さめの照り葉。フックした鋭いトゲが特徴的な枝ぶり、這うように枝に伸ばし、しばしば樹高500cmを越える大株となります。 中国東部、台湾、韓国、日本の南西部など比較的温暖な地域の河岸、海岸、丘陵地などに自生していますが、日本ではノイバラほど広汎に見られるわけではありません。 クラス名としてはウィックラーナ、あるいは誤用が定着してしまった感がありますが、ウィックライアナと呼ばれることもありました。 原種としてもロサ・ウィックラーナとして長く通用していましたが、以前よりロサ・ルキアエとの類似が指摘されていました。同一種か異種かと盛んに論じられた結果、2品種は同一種であり、わずかにロサ・ルキアエとしての登録が先であることから、正式な学名はロサ・ルキアエ(R. luciae)ということに収まりました。 19世紀末から20世紀初頭、米国を手始めにヨーロッパ各国においてランブラーの交配親として大々的に利用されました。その時代はロサ・ウィックラーナ(R. wichurana)あるいはロサ・ウィックライアナ(R. wichuraina)と呼ばれていたことから、この品種を交配親とするランブラーはウィックラーナ(ウィックライアナ)として分類され今日まで数多くの美しい品種が伝えられています。 このクラスに属する品種については、ウィックラーナと表示することにします。 このウィックラーナが日本からヨーロッパへもたらされた経緯は複雑ですし、いまだに明快な答えには到達していないのではないかと感じています。 1860年、幕末から明治維新にかけての激動の時代、徳川幕府の勘定奉行であった小栗上野介は鋼製戦艦の自製をもくろみ、当時幕府を援助していたフランス政府へ助成を求めました。フランスは、薩摩藩など雄藩を後援していたイギリスに対抗する意図があったのでしょう、これに応じて技術顧問団を派遣しました。1865年、フランス技術顧問の援助のもと、横須賀に幕府公営の造船所を造成され、すみやかに鋼鉄製の船舶の建造が開始されました(造船所は現在でも住友重機械工業横須賀造船所として修理事業などに稼働中)。 このフランス技術顧問団の中に、団員および近在のフランス人を健診する軍医ポール・アメデ・リュドヴィク・サヴァティエ(Paul Amedee Ludovic Savatier)がいました。サヴァティエは熱心な植物コレクターでもあり、一時帰国を挟んだ1866年から1876年の滞在の間、幕府が倒れてから明治政府創生の時代に、15,000種を超える植物をフランスの植物学者エイドリアン・R・フランシェ(Aidrian Rene Franchet)の元へ送りました。この中に含まれていたバラはフランシェからベルギーのクレパンの元へ回送されました。 1871年フランシェは新品種と思われるバラをロサ・ルキアエ(R. luciae)と命名しました。サヴァティエ夫人ルーシー(Lucie)にちなんだ命名です。クレパンはこれが新品種であると同定しました。 しかし、これとは別にやはり日本に1860年から1861年滞在していた植物学者M.E. ウィックラ(Dr. Max Ernst Wichura)は帰国後、当時ヨーロッパにおける代表的な植物供給企業であった英国のヴェイチ商会に日本で見た柔軟な枝ぶりで大株となる原種バラの存在を知らせました。 ヴェイチ商会はさっそくミッションを送りこの原種バラを入手し、彼にちなんでロサ・ウィックラーナ(R. wichurana)と命名しました。ベルギーのクレパンは1884年、自分が同定したルキアエとは別の品種として同定しました。 しかしウィックラーナが今日、ルキアエと同一種だと同定されたことは上述の通りです。 こんがらがった話はこれで終わりではありませんが、煩雑になるのでここでは触れません。 ウィックラーナのクラスには美しいピンクやアプリコットの花色のランブラーは数多いのですが、じつは純白といえる品種はあまりありません。アメリカやフランスの育種家たちは、大輪花を咲かせるウィックラーナの育種に邁進したため、小輪のランブラーがあまり残されていないことが原因の一つかもしれません。 少ないながら、美しい白花を咲かせるウィックラーナは存在します。 ホワイト・ドロシー・パーキンス(White Dorothy Perkins)- ウィックラーナ系、春一季咲き、1908年頃 Photo/Raymond Loubert [CC BY SA-3.0 via Rose-Biblio] 1901年、アメリカのJ&P社から公表されたピンク花の‘ドロシー・パーキンス’から、白花への色変わり種として公表されたのが、‘ホワイト・ドロシー・パーキンス’です。 小輪、丸弁咲きの花が一斉に開き、ボリュームのある房咲きとなる咲き姿。香りはわずか。 小さな、丸い照り葉、樹高350cmから500cmのランブラーとなります。特質として挙げる点は、親品種と同様、ランブラーの中でもとりわけ柔らかな、シャワーのように下垂する枝ぶりとなることです。 親品種の交配親は次の通りです。 種親:原種の照葉ノイバラ花粉:ピンクのHP ‘マダム・ガブリエル・ルイゼ(Mme. Gabriel Luizet)’ 親品種の‘ドロシー・パーキンス’は英国の庭愛好家の間でこよなく愛され、ある時期はイングリッシュ・ガーデンを飾る花の代名詞のようになったこともありました。そのため英国で育成されたと思われることが多いのですが、実際はアメリカで育種されました。 白花品種は1908年、英国のB. R. カント(Benjamin R. Cant)により発見され、市場へ提供されたという記事を見受けますが、B. R. カントは1900年に死去していますので、ナーセリーを引き継いだ息子のC. E. カント(Cecil E. Cant)が発見したものと思われます。 ドロシーは、アメリカ最大の苗供給業者、J & P社の初代経営者、ジョージ・パーキンス(George Perkins)の孫娘です。 サンダーズ・ホワイト(Sander’s White)‐ウィックラーナ系、春一季咲き、1912年 Photo/Wilrooij [CC BY SA-4.0 via Wikimedia Commons] 小輪または中輪、小さな花弁が密集する少し開き気味の花。競い合うような房咲きとなります。 輝かしいホワイトと表現したいような、明るい白。フルーティーな強い香りがします。 返り咲きすることがあるという記述も見受けますが、秋の開花に出会ったことはありません。春一季咲きと考えたほうがよいと思います。 鋭いトゲが特徴的な、よく横張りする枝ぶり。300cmから450cmほどまで枝を伸ばすランブラーです。 「どんな庭にも似合う…」("Graham Stuart Thomas Rose Book")など、華やかな開花の様子が多くのバラ研究家の賛辞を集めています。 1912年、イングランドのサンダー&サンズ(Sander & Sons)社から育種・公表されました。照葉ノイバラ系の交配種であることははっきりしていますが、詳細は不明です。
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ストーリー
【バラの育種史】清らかな白バラの銘花~クライマー編
白花のクライマー Matthewshutter/Shutterstock.com 清楚な美しさを持つ白花のクライマー(つるバラ)。この記事では、大輪花を咲かせ、硬い枝ぶりとなり、枝がよく伸びて3mを超える高さへ達する品種群をクライマーとカテゴライズします。小輪花を咲かせる品種は、次回以降のランブラー編で解説します。 クライマー系の白バラは、バラのクラスとしては、フロリバンダ系やHT(ハイブリッド・ティー)系などが主となっています。また、さまざまなクラスに属する品種を複雑に交配したことなどによりクラス分けが難しくなってしまったものは、ラージフラワード・クライマーに一括されています。そのため、クライマー系の白花はモダンローズに属するものがほとんどです。 ここでは、そんな白花クライマーの中でも定評のある品種をいくつか、市場へ提供された公表された年次に従ってご紹介しましょう。 つる フラウ・カール・ドルシュキ(Frau Karl Druschki CL)- CL HP、返り咲き、1906年 Photo/田中敏夫 大輪、35弁ほどのダブル、高芯咲きの花となります。初期のHTに似ていることからクライミングHTとされることもありますが、HP(ハイブリッド・パーペチュアル)からの枝変わり種ですので、クライミングHPとするのが適切のように思います。 幅広で大きな、深い色合いのつや消し葉。太く硬めの枝が250~350cmほど伸びる、小さめのクライマー。ぜひ植えたい品種の一つですが、硬い枝ぶりのためアーチやパーゴラには不向きで、壁面などに誘引してオーナメントのような使い方をするのに向いた樹形となります。 1901年、ドイツのペーター・ランベルト(Peter Lambert)は、2m高さほどのブッシュ樹形のものを育種・公表しました。 1906年、イギリスのローレンソン(Lawrenson)が枝変わりにより生じたクライマーを公表。現在流通しているものの多くは、このクライマーのタイプです。 個人的には、小輪で豪華な房咲きとなるランブラーが好みなのですが、大輪で硬い枝ぶりのクライマーの中にあって、この‘つる フラウ・カール・ドルシュキ’は魅力たっぷりだと、常々感じています。 魅力の秘密はどこにあるのだろう、開花すると花弁が少し乱れがちなことか、それとも武骨なほど太くなる幹なのか、あるいは時代を代表する育種家でありながら、フランスのペルネ=ドウシェやルクセンブルグのスペール・エ・ノッタンらが次々に公表する華やかな花色の品種群に感銘し、それに倣おうとしながらも満足できる品種を育種できなかったランベルトへの、ちょっと哀しい同情があるためなのか…複雑な思いにとらわれることが多いです。 公表後、100年以上経過した現代においても、広く栽培されている白バラの名品種です。 つる ミセス・ハーバート・スティーブンス(Mrs. Herbert Stevens CL)- CL HT、弱い返り咲き、1922年 Photo/田中敏夫 尖り気味の優雅な形のつぼみは開花すると、大輪、セミ・ダブルに近い、20弁ほどの高芯咲きの花形となります。花には、ティーローズ系の強い香り。 樹高500cmを優に超える大型のクライマーですが、若い枝は細めのことが多く、そのため大輪の花はうつむき気味に開花します。ラージフラワード・クライマーにクラス分けされていますが、ランブラーの樹形にHTのような大輪花が咲くと考えるといいのではないでしょうか。 花形、そして優雅な樹形から、多くの愛好家に支持され、今日でも最高の白つるバラと評されることのある品種です。 『ザ・チャーム・オブ・オールド・ローゼズ(The Charm of Old Roses)』(1987)の著作で名高いニュージーランドのバラ研究家ナンシー・スティーン女史(Nancy Steen)が、丹精こめて作り上げたバラ庭園の一画にホワイト・ガーデンがありました。 南アフリカのバラ研究家である、グエン・ファーガン(Gwen Fagan)はこの庭園を訪れた際、この‘つる ミセス・ハーバート・スティーブンス’が植えられているのを見て、故スティーン女史を偲び、「…このシンプルな白いベンチにすわり、彼女(ナンシー)と、庭園のこと、南アフリカでのバラの話などができたら、どんなにうれしいだろう…」("Roses at the Cape of Good Hope", Gwen Fagan,1995)と述懐しています。 ホワイト・ガーデンにおけるフォーカル・ポイントとして、この品種を選んだことに、強く同感する思いがあったのでしょう。 ネバダ(Nevada)- ハイブリッド・モエシー、弱い返り咲き、1927年 Photo/田中敏夫 大輪、シングル、平咲きの花形となります。 花色はクリーミー・ホワイト。わずかに淡いピンクが入ることもあります。 楕円形の、くすんだ、明るい葉緑。茶褐色の特徴ある硬い枝ぶりで、樹高180〜250cmの横張り性の強いシュラブまたはクライマーとなります。 返り咲きすることもあるようですが、春一季のみ開花すると考えるのがいいと思います。株全体を覆い尽くさんばかりに咲き競う春の開花の様子は、忘れがたい印象を残します。ピラー(柱)あるいは壁面に仕立てると、絢爛豪華な開花をよりいっそう楽しむことができるのではないでしょうか。 1927年、スペインのペドロ・ドット(Pedro Dot)により育種・公表されました。ペドロ・ドット自身はミディアム・ピンクのHT‘ラ・ギラーダ(La Giralda)’と、中国原産で赤いシングル花を咲かせる原種ロサ・モエシー(R. moyesii)との交配により育種したと解説していますが、その交配では返り咲きする性質が得られないこと、また、染色体の倍数が論理的に整合しないことから、ペドロ・ドット自身も間違えたと考えられています。非常に個性的で、ミステリアスな品種です。 おそらく、スペイン南部の山岳地帯、シエラ・ネバダにちなんで命名されたものと思われます。 シエラ・ネバダ。Photo/ macnolete [CC BY SA 2.0 via Wikimedia Commons] つる サマースノー(Summer Snow CL)- CL フロリバンダ、弱い返り咲き、1936年 Photo/田中敏夫 大輪、セミ・ダブル、オープン・カップ形の花が数輪寄り添ったような"連れ"咲きとなります。 花色はアイボリー・ホワイト。花心にわずかにグリーンの色合いが出ることが多く、時に淡いピンクの斑が花弁に出ることもあります。 深い色合いの幅狭の照り葉。トゲの少ない、若緑の若枝はゆるやかにアーチングします。クライミング・フロリバンダにクラス分けされている、返り咲きが期待できる中型のクライマーです。柔らかな枝ぶりですので、実際は中型のランブラーのように扱うことも可能です。 1936年、フランスのクートー(Couteau)により育種・公表されました。育種者のクートーはこの品種以外のものは知られていません。 サーモン・ピンクの大型のランブラー‘タウゼントショーン’の実生から生じたといわれています。‘タウゼントショーン’はトゲなしバラとして知られていますが、その性質を受け継いだのか、この’つる サマースノー‘もトゲが少なく、誘引作業が楽な品種です。 ‘アイスバーグ’の枝変わりのクライマー‘つる アイスバーグ’が出現する以前は、丈夫な白花のクライマーとして定番とされていた品種です。健常さもさることながら、柔らかな枝ぶり、あまり大型とはならない点など、現在でも有用な性質を持っています。見直されていい品種だと思います。 シティ・オブ・ヨーク(City of York)- ラージフラワード・クライマー、春一季咲き、1945年 Photo/田中敏夫 中輪、セミ・ダブル、丸弁咲きまたは平咲きの花が、見事な房咲きとなります。 花色はアイボリーあるいはクリーミー・ホワイト。 幅広の非常に深い色合いの照り葉、比較的柔らかな枝ぶり、植え付け後、充実するまでに時間を要することが多いようですが、数年経過すると500cmを超える大型のクライマーとなります。 多少の日陰でも花をつける強い耐陰性で知られた品種です。アーチ、フェンスなどの他、北に面した壁面を覆っても花が期待できる強健種です。 1945年、ドイツの名門タンタウ農場により育種されました。 種親:白花のHT‘プロフェッサー・グナウ(Professor Gnau)’花粉:ピンク、小輪咲きのランブラー‘ドロシー・パーキンス(Dorothy Perkins)’ ドイツでの公表当初は「ディレクトール・ベンショップ(Direktor Benschop)」と命名されましたが、米国で販売される際、販売を開始したコナード=パイル社は、圃場が所在していたペンシルバニア州ヨークにちなんで改名し、市場へ提供しました。品種名としては、今日、"シティ・オブ・ヨーク"と呼ばれることがほとんどです。 ソンブレイユ(Sombreuil)- ラージフラワード・クライマー、弱い返り咲き、1959年 Photo/田中敏夫 大輪、100弁を超えるのではと思われる、ロゼット咲きとなる花形。クリーミー・ホワイトの花色、時に淡いピンクを帯びることがあります。花には軽く、ティーローズ系のフルーティーな香り。 カッパー気味の色合いを含む、丸みを帯びた大きな半照り葉、細めながら比較的硬めの枝ぶり、樹高250〜350cmとなるクライマーです。 1959年にオハイオ州の苗業者M.E. ウィヤント(Melvin E. Wyant)が「コロニアル・ホワイト(Colonial White)」という名前で公表しました。ウィヤントは流通業者であり、育成者ではありません。育成者は不明のままです。 この品種は、1850年にフランスのF.A. ロベール(Français-André Robert)が育種・公表した品種である‘マドマーゼル・ド・ソンブレイユ’と著しく類似していたことから、流通の過程で混同されてしまい、「ソンブレイユ」という品種名で販売されるようになってしまいました。そのため、流通している本品種と本物の‘マドマーゼル・ド・ソンブレイユ’の区別がつかなくなってしまい、長い間、問題視されていました。 2006年の秋、アメリカバラ協会(ARS, American Rose Society)は、詳細な検討と協議を経て、現在おもにアメリカで流通している‘ソンブレイユ’は、1850年にフランスで作出された‘マドマーゼル・ド・ソンブレイユ’とは異なる品種であると宣言しました。そして、現在「ソンブレイユ」と呼ばれているこの品種は今後引き続き‘ソンブレイユ’(Sombreuil;ラージフラワード・クライマー、1959年)という品種名を踏襲することとし、ロベールが育種した旧来の品種は、‘マドマーゼル・ド・ソンブレイユ’(Melle. de Sombreuil;クライミング・ティー、1850年、Robert)という別品種として区別すると公示しました。 「ソンブレイユ」という品種名はフランス革命勃発時のエピソードにちなんでいます。1789年7月、パリ市民がバスチーユ牢獄を襲撃したことがフランス革命の発端となったことは、みなさまご存じかと思います。その襲撃に先立って、市民はまずパリ廃兵院の武器庫を襲い、小銃などの武器を手にしました。この武器庫の管理責任者であったのが、ソンブレイユ侯爵です。 このとき侯爵は市民の要求を入れ、無血で武器庫を開放しました。しかし、それでも後日、革命派によって捕らえられ、死刑に架せられることになってしまいました。いよいよ刑執行というその直前、令嬢であったマリー=モリーユ(Marie Maurille Virot de Sombreuil:1727-1794)は、父侯爵が王党派に与していない人であることを主張して、刑の執行停止を懇願しました。 ‘Melle. de Sombreuil’ Painting/Pierre Puvis de Chavannes [Public Domain via Wikimedia Commons] 革命派は刑死した王党派の血を飲み干せば、その言を信じようと刑の執行中止の条件を出したところ、マリーは見事にそれを果たして、父の窮地を救いました。命名は、このマリー =モリーユ (1774-1823)にちなんだものです。 つる アイスバーグ(Iceberg CL)- CLフロリバンダ、返り咲き、1968年 Photo/田中敏夫 大輪、オープン・カップ形の花が房咲きとなります。 花色は純白。熟成するとピンクのスポットが混じることがあります。 ブッシュ樹形のものほどの返り咲きは期待できませんが、クライマーとしてはよく返り咲きしてくれる品種です。 トゲの少ない、しなやかな枝が350〜500cmほど伸びる大型のクライマーとなります。樹形はクライマーとランブラーの中間的な性質を示します。アーチ、フェンス、壁面仕立てなど、汎用的に使用できる優れた性質を示します。 1958年、ドイツ、コルデス社はブッシュ樹形となるフロリバンダ、「シュネーヴィッチェン(Schneewittchen;白雪姫)」を育種・公表しました。ドイツ名のため販売が思わしくないと感じたのか、英語圏では「アイスバーグ(氷山)」という別名になりました。 1968年、英国のカント社(B. R. Cant)は枝変わりとして生じたクライマーを公表しました。 ブッシュ樹形のものも、クライマー樹形のものも、ともに広く流通しています。
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【バラの育種史】清らかな白バラの銘花~ブッシュ&シュラブ編
白バラの花言葉 白バラの花言葉は「純潔」「純粋」。また、1本の白バラを贈ると「あなたに一目惚れしました」、5本だと「あなたに会えたことが無上の喜びです」と、贈る本数によってもメッセージを込めることができる花です。 2005年に制作された、ドイツのマルク・ローテムント(Marc Rothemund)監督によるドキュメンタリータッチの映画『白バラの祈り~ゾフィー・ショル、最期の日々』は、第2次大戦下のドイツでナチスに対抗して非暴力抵抗運動を行った若者たちの集団“白いバラ”の悲劇を、痛切に描いた傑作でした。 このように、白バラは時に怖いほどの潔癖さを感じさせる象徴となっています。今回は、そんな白バラにスポットを当ててご紹介していきましょう。 15世紀から伝わる白バラ 15世紀には知られていた園芸種としての白バラは、アルバです。多弁花の“マキシマ”とセミ・ダブル咲きの“セミ・プレナ”が今日まで伝えられています。 アルバ・マキシマ(Alba Maxima)‐春一季咲き、1400年代以前? Photo/田中敏夫 アルバ・マキシマは由来は不明ですが、15世紀にはその存在が知られていた、非常に古くからあるバラです。 まだ定説となってはいませんが、英国のバラ研究家ピーター・ビールス氏(Peter Beals)は、原種のロサ・カニナ(R. canina)とガリカの交配により生じたと見なしています("Classic Roses", 1985)。 ロサ・カニナ Photo/田中敏夫 アルバ・マキシマは、イングランドで王位を争ってランカスター家とヨーク家の間で勃発した薔薇戦争(1455-1485)で、ヨーク家の象徴である"白バラ"と同一視されたことから、ホワイト・ローズ・オブ・ヨーク(White Rose of York)とも呼ばれます。また、17世紀にスチュアート朝の復位を目指してスコットランドで起こったジャコバイトによる叛乱の際、白バラがシンボルとされたことから、ジャコバイト・ローズ(Jacobite Rose)と呼ばれることもあり、歴史に彩られた数多くの別称を持っています。 しかしながら、バラのクラスとしてのアルバ(白バラ)は、19世紀にバラの育種が活況を呈する時代に入っても、園芸種として主流になることはなく、ケンティフォリアやガリカのような多弁花の陰に隠れてしまっていました。 19世紀前半を彩った美しい白バラ バラのクラスとしてのアルバは爆発的な人気を得ることはありませんでしたが、19世紀に入るとドイツのシュヴァルツコフ、フランスのデスメやヴィベールなどの育種家によって、他のクラスに属する“白バラ”が生み出されるようになりました。 マダム・アルディ(Mme. Hardy)-ダマスク、春一季咲き、1832年 Photo/田中敏夫 ときに薄いピンクが入ることがある白バラ。 花心に緑の芽が生じ、浅いカップ形、ロゼット咲きまたはクォーター咲きとなる花形。 甘く、強く香ります。 1832年、フランス・パリのルクサンブール宮の庭長であったウジェンヌ・アルディ(Eugene Hardy)により育種・公表されました。アルディは、このバラを夫人に捧げ、‘マダム・アルディ’と名付けました。 馥郁たる香りゆえでしょう、一般的にはダマスクにクラス分けされています。交配親は不明ですが、花形の美しさはダマスクらしくない、ケンティフォリアからもたらされたのではないか、いや、花もちのよさはガリカの影響が感じられると、さまざまに語られています。 凛として他を圧する気品あふれる白い花。甘くなごむ香り。卵形の優美な葉。なにひとつ欠点のない“完璧”なバラであると断言してよいと思います。 「いまだ、どんなバラにも凌駕されていない…」("Graham Stuart Thomas Rose Book", 1994)という短い賛辞がすべてを物語っているのかもしれません。 マダム・ズートマン(Mme. Zöetmans)-ダマスク、春一季咲き、1836年 Photo/田中敏夫 フラットな咲き方ですが、花弁が内側にカールするため、全体としては丸みのある花形となります。しばしば花心に緑芽が生じます。前出の名花‘マダム・アルディ’との類似が感じられる、美しいダマスクローズです。 2品種はとてもよく似ていて、一見同じ品種ではないかと感じられるほどです。開花時にはわずかにピンクが入ることが多く、しだいに色が薄れ、クリーミィ・ホワイトの花色へと変わっていくところまで同じです。 花形については、‘マダム・アルディ’は開き気味、‘マダム・ズートマン’はやや丸みを帯びため、‘マダム・アルディ’と比べると緑芽が見えにくいという、わずかな違いがあります。 1836年、フランスのマーレ(Marest)が育種・公表したとされるのが一般的な説ですが、1830年には公表されていたとされる解説も見受けられます。それが正解であれば、1832年の‘マダム・アルディ’の公表に先んじることになり、両品種の類似から、ひょっとしたら同じ交配によるのではないかという想像も湧いてきます。交配親は不明です。 グラハム・トーマスは、花色の違いはあるものの、むしろ美しいガリカ‘デュセス・ド・モントベロ’によく似ていると述べています(“The Graham Stuart Thomas Rose Book”, 1994)。 マーレはルクサンブール公園(当時は王宮庭園)近くに圃場を持っていました。園芸店を運営する傍ら、バラの育種も行っていたのかもしれません。この‘マダム・ズートマン’のほか、ピンクのHP‘コンテス・セシル・ド・シャブリラン(Comtesse Cécile de Chabrillant)’、ピンク・アプリコットのティーローズ‘スヴェニール・ド・デリス・ヴァルドン(Souvenir d'Elise Vardon)’などを育種したことでも知られています。 ブランシェフルール(Blanchefleur)-ケンティフォリア、春一季咲き、1835年 Photo/Pascale Hiemann [CC BY SA-3.0 via Rose-Biblio] 淡いピンクに色づくつぼみは、開くとクリーム色となったり、中心部がピンクに染まったりします。花心に緑芽が生じることが多く、甘く強い香りと相まって、オールドローズの美しさここに極まりと言っても過言ではありません。 1835年、フランスのJ.P. ヴィベール(Jean Pierre Vibert)により育種・公表されましたが、交配親は分かっていません。 クラス分けについては一時期混乱が生じ、白花のガリカとされていた時代が長かったのですが、今日ではケンティフォリアにクラス分けされています。妥当な結論だと思います("La Rose de France", François Joyaux, 1998)。 “ブランシェフルール” (白い花)は、フランスの騎士道物語に登場するヒロインです。 古い伝説譚ですのでいくつか違う筋書きのものがありますが、いちばんポピュラーなのは、イスラム教王国の王子フロリス(花)とキリスト教信者の娘ブランシェフルールの許されない恋物語『フロリスとブランシェフルール』でしょう。 スペインにイスラム教国がいくつもあった時代、王子フロリスと王妃の侍女の娘ブランシェフルールは幼馴染みでした。美しく成長した2人は恋仲になりますが、イスラム教者である王子がキリスト教信者の娘を妻に迎えることを恐れた王と王妃は王子フロリスを国外へ、娘ブランシェフルールを商人に売り飛ばしてしまいます 果たして2人は再び会うことができるのでしょうか… マダム・ルグラ・ド・サンジェルマン(Mme. Legras de St. Germain)-アルバ、春一季咲き、1846年以前 Photo/田中敏夫 しばしば緑芽が花心に形成される、ロゼット咲きまたは丸弁咲き。 花色は白。センター部がわずかにクリーム色に色づきます。 高性のシュラブとなります。トゲはほとんどなく、大株になるのでシュラブとしてよりも小さめのクライマーとして扱うのが適切のように思われます。 ウィリアム・ポールの著作『ザ・ローズ・ガーデン(The Rose Garden)』(10版、1848)にその名があることから、1848年以前まで遡れる品種ですが、交配親などの情報は失われてしまいました。育種者も不明ですが、アルバとダマスクの交配から生み出されたのでないかという説が有力です。強い耐病性があり、また耐寒性もある強健種です。アルバにクラス分けされることが多いです。 名前の由来となったルグラス・ド・サンジェルマンは、“L'art de trouver des trésors réels dans les campagnes(田園にて本当の宝物を見出す手法)”の著者です。バラはその夫人に捧げられました。 グラハム・トーマスは「最も美しい、早咲きする品種のひとつだ…」と賞賛しています(”Graham Stuart Thomas Rose Book", 1994)。‘シュロップシャー・ラス’(Shropshire Lass;1968年公表)など、初期のイングリッシュローズの交配親としても利用されました。 ‘シュロップシャー・ラス’ Photo/田中敏夫 ボツァリス(Botzaris)-ダマスク、一季咲き、1856年 Photo/Rudolf [CC BY SA 3.0 via Rose-Biblio] 長いガクに包まれたつぼみは、40弁を超える少しフラット気味なロゼット咲きとなります。花心に緑芽ができることが多い花形。花色は白。しかし、わずかにピンクが中心部に出ることもあります。強い香りを放ちます。 1856年、フランスのヴィベール農場を引き継いだフランソワ・A・ロベールが育種しました。 交配親は不明です。 花形、葉や枝ぶりの形状からダマスク種の一つとされていますが、グラハム・トーマスやクルスマンなど著名な研究家は、白花であること、本来のダマスクの香りとは微妙に異なることなどから、交配にはアルバが関わったと考えていたようです(“Graham Stuart Thomas Rose Book”, “The Complete Rose Book”) 。 ギリシャ独立戦争に参戦した英雄、マルコス・ボツァリス(1790-1823)に捧げられました。ボツァリスは1822~1823 年の第1次ミソロンギ包囲戦の救援に重要な役割を果たし、ギリシャ革命政府から西ギリシャ将軍の称号を授与されましたが、同年、カルペニシの戦いで戦死しました。 ‘Markos Botzaris’ [Public Domain via Wikimedia Commons] 19世紀後半を彩った美しい白バラ~育種家の時代 19世紀後半になると、育種家たちは競って春から秋にかけて返り咲きするバラの育種に力を注ぐようになります。 マリー・ド・サン・ジャン(Marie de St. Jean)-ハイブリッド・パーペチュアル(HP)、返り咲き、1869年 Photo/田中敏夫 つぼみはピンクに色づいていることも。開花すると純白となることが多いですが、ときに花弁外縁部にピンクが残るときもあります。強い香りがあります。 1869年、フランス・リヨンに圃場を持っていたF. ダメジン(Frédéric Damaizin)により育種・公表されました。交配親は不明です。 公表時にはダマスク・パーペチュアルとされていましたが、葉姿、開花時の様子などからHPにクラス分けされることが一般的となりました。 ブランシュ・モロー(Blanche Moreau) -パーペチュアル・モス、弱い返り咲き、1880年 Photo/ Kurt Stüber [CC BY SA-3.0 via Wikimedia Commons] “モローの白”というシンプルな品種名です。 モス品種の中では比較的大きめの花形。花色は純白、しかし、時に花心にわずかにピンクが入ることがあります。濃厚なダマスク系の香り。弱い返り咲き性があり、パーペチュアル(返り咲き)・モスにクラス分けされています。 1880年、フランスのモロー=ロベール(Moreau-Robert)により育種・公表されました。 種親:ホワイトのモス・ローズ‘コンテス・ド・ムリネ(Comtesse de Murinais)’花粉:ホワイトのモス・ローズ‘パーペチュアル・ホワイト・モス(Perpetual White Moss)’ 花形、香り、萼筒や若枝を覆うモスの様子など、モス・ローズの美しさを典型的に示す、最高レベルのものと評価されています。しかしながら、花は雨などにより濡れるとボール化(つぼみのまま開かない)する傾向にあります。 ホワイト・ジャック・カルティエ(White Jacques Cartier)-返り咲き、ダマスク・パーペチュアル、1868年オリジナルからの枝変わり、2001年 Photo/Rudolf [CC BY SA-3.0 via Rose-Biblio] 本来は淡いピンクとなる花色である‘ジャック・カルティエ’から色抜けして白花となった品種です。 オリジナル種は1868年、フランスのモロー=ロベール(Moreau-Robert)により公表されましたが、この白花の枝変わり種は、2001年、デンマークにおいて発見されました。 近年、オリジナルの‘ジャック・カルティエ’は、じつはすでに失われてしまい、現在流通している“ジャック・カルティエ”と呼ばれている品種は“マルキーズ・ボッセーラ(Marquise Boccela:1840年、デスプレ育種)と呼ばれるべきだという説が主流となりつつあります。それに従えば、この白花種も”ホワイト・マルキーズ・ボッセーラ“と呼ぶべきかもしれません。 ブール・ド・ネージュ(Boule de Neige)-返り咲き、ノワゼット、1867年 Photo/田中敏夫 ブール・ド・ネージュ("雪の玉")という名前の通り、中輪、花弁がいっぱいに詰まった丸弁咲き、すこし大きめのポンポン咲きといった花形となります。数多いオールドローズの中にあっても、コロリところがりそうな花形はそれほど例がありません。花形こそがこの品種を最も特徴づけているのではないでしょうか。 紅色の玉のようなつぼみは開くと純白となります。花弁の縁に紅色の覆輪が残ることもあります。 強い香りがあります。 しなやかな枝がアーチ状になり、花咲く季節には風に揺れて、爽やかな印象を与えてくれます。比較的高性の樹形となることからノワゼットにクラス分けされることが多いですが、HPだ、いやブルボンだ、と異なる見解を述べる研究者もあります。 1867年、フランス・リヨンのラシャルム(Francois Lacharme)により育種・公表されました。 種親:ホワイトのブルボン‘ブランシェ・ラフィット(Blache Laffitte)’花粉:ダマスク‘サフォー’(Sappho:すでに失われたとされている) モダンローズの白バラ 1867年に育種・公表された最初のハイブリッド・ティー(HT)である‘ラ・フランス(La France)’。それ以降のクラスに属する品種は、モダンローズとなります。 HTの時代になっても数多くの白バラが育種されていますが、ここではHTやフロリバンダを除く、すこし野趣あふれる白花のシュラブ・ローズをご紹介することとします。 ブラン・ドゥーブル・ド・クベール(Blanc Double de Coubert)-弱い返り咲き、ハマナス交配種、1892年 Photo/田中敏夫 セミ・ダブルの花が乱れがちに開きます。 花色は純白。バラには数多くの白花種がありますが、「輝くようなホワイト」と呼べる品種は決して多くはありません。この‘ブラン・ドゥーブル・ド・クベール’は、そんな数少ない品種の一つです。鮮烈な芳香。 ちりめんのような縮みが表皮にでる、特徴的なつや消し葉。トゲが密生する、薄茶から褐色の硬い枝ぶりになります。 1892年、フランスのコシェ=コシェ(Cochet-Cochet)により育種・公表されました。 種親:白花ハマナス花粉:クライミング・ティーの名花‘ソンブレイユ(Sombreuil)’ 作出者コシェ=コシェは、18世紀初めに創業し、代々家業を継いで栄えた園芸一家の一員。コシェ=コシェは原種ハマナスを交配親の一つとすることで、バラに耐寒性、耐病性をもたらそうと試みたパイオニアといえる人物です。 ガーデンデザイナーであるラッセル・ページ氏(Russell Page)は著作『ガーデナーの学び(The Education of a Gardener)』の中で、 「その素晴らしいモス・グリーンの葉は5月から10月の間、開花していない時期でも満足できるものだ。花はチョーク・ホワイトで花弁はシルキーでほとんど透けているほど、類似する品種に共通な刺激的な馥郁たる香りがある…」と絶賛しています。 スヴェニール・ド・フィレモン・コシェ(Souv. De Philémon Cochet)-返り咲き、ハマナス交配種、1899年 Photo/田中敏夫 乱れがちな丸弁咲きの花が房咲きとなります。 花色は純白というより、わずかにクリームが入ったような優雅なもの。 ティーローズ系の強い香りがあります。 フランスのコシェ農場のフィレモン・コシェが育種したものの未公表であったものを、1899年、農場の後継者であるコシェ=コシェが育種したフィレモン・コシェにちなんで命名し、市場へ提供して世に出ることになりました。 ‘ブラン・ドゥーブル・ド・クベール’の実生から生じたとされていますが、ほかのハマナス交配種よりも返り咲きする性質が強いこと、またハマナスとは異なる香りであること、ハマナスには見られない房咲きとなる性質などから、チャイナローズの影響が色濃く感じられます。 今日、トゲが密生する性質からあまり人気のないハマナス交配種ではありますが、この‘フィレモン・コシェ’の優雅な美しさはもっと評価されていいのではないかと思います。 ジャクリーヌ・デュ・プレ(Jacqueline du Pré)- モダン・シュラブ、返り咲き、1988年 Photo/田中敏夫 大輪、セミ・ダブル、カップ形の花が、株全体にばら撒かれたように一斉に開花します。 花色はわずかにクリームが入ったようなアイボリー・ホワイト。はじめはピンク、次第に栗色になる花心のシベが強いアクセントとなり、数多いバラの中にあって特に個性的に感じられます。 ムスク・ローズ系の香り。 縁のノコ目が強い、明るい色調の照り葉。180cmから250cm高さほどのシュラブとなります。強剪定を繰り返して小さな樹形に止めたり、また、枝をおおらかに伸ばしてクライマー仕立てとすることも可能です。 種親:ピンクのフロリバンダ‘ラドックス・ブーケ(Radox Bouquet)’花粉:イエローのラージフラワード・クライマー‘メイゴールド(Maigold)’ 1988年、イングランドのハークネス社が公表しました。交配の系統を遡ると、北部ヨーロッパに自生する原種、ロサ・ピンピネリフォリア(R. pimpinellifolia)に至ります。野趣あふれる樹形はそこからきているように思います。 ‘Jacqueline DuPré during her wedding’ Photo/ Beno Rothenberg [CC BY SA-4.0 via Wikimedia Commons] フランス風の姓ですが、ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945-1987)は英国のオックスフォード生まれです。5歳のときにチェロ演奏を学び始め、10歳のときには国際コンクールに入賞、12歳のときにBBC主催の演奏会に出演するなど、天才と賞賛され、若くして世界的なチェロ演奏者としての名声を獲得しました。 21歳のとき、やはり天才として賞賛されていたピアノ演奏家のバレンボイムと結婚。ともに演奏活動に励みましたが、やがて多発性硬化症という難病に犯され、28歳のときには演奏活動をやめ、42歳で夭折しました。 エドワード・エルガー(Sir Edward Elgar)作曲のチェロ協奏曲など、熱情的な演奏で聴衆を魅了しました。個性の強い演奏スタイルには批判もありましたが、同時に熱烈な賞賛も集めました。 エミリー・ワトソンがジャクリーヌを演じた伝記映画『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(1998年)は、ジャクリーヌの姉ヒラリーと弟ピアースによる共著をベースに制作されました。あふれるばかりの才能に恵まれ成功しながら、病魔に犯され苦悩するジャクリーヌの姿を赤裸々に描いて話題を呼んだ作品を、ご記憶の方も多いと思います。
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【バラの育種史】ダマスクローズ~18世紀から現代に伝わる香りのバラ
育種の潮流の外にいたダマスクローズ 18世紀の終わり頃になると、主に王侯貴族の間でバラの花が庭やサロンなどに飾られるようになり、特に大輪で花弁が密に詰まったケンティフォリアや、赤や紫に花開くガリカがもてはやされるようになりました。 しかし、強い香りが珍重されたダマスクローズは、アロマオイルなどの原料としてトルコなどで大規模に栽培されてはいたものの、庭植えバラの育種の流れからは外れていました。ダマスクローズはケンティフォリアに比べると花弁の数が少なく、花色は明るいピンクばかり。ガリカのように色変化を楽しめるわけでもなく、樹形もより大きくなりがちで、洗練度に欠けると評価されていたからでしょう。そんなダマスクローズでしたが、今の時代まで伝えられた美しい品種も少なからず存在します。 セルシアナ(Celsiana)- 1732年以前、春一季咲き Photo/田中敏夫 鮮烈なダマスク香。中輪のセミ・ダブル、平咲きの花が房咲きとなります。春一季咲きですが、開花の期間が長く楽しめます。細いけれど硬めの枝ぶり、中型のシュラブとなります。 耐寒性・耐病性ともに優れ、多くのバラ愛好家に、ダマスクの美点をすべて備えた優秀な品種と評されています。 非常に古い時代にオランダで育種されたと見られ、古くはロサ・ダマスケナ・ムタビリス(R. damascena mutabilis)と呼ばれていました。開花期間が長く、開花したばかりの明るいピンクと退色して白くなった花が同時に見られることからか、“ムタビリス(色変化)”と呼ばれたようです。 1812年頃、フランスの園芸研究家であったセル(Jacques-Martin Cels)に捧げられた、あるいは彼自身が世に紹介したともいわれています。このことから、“セルのバラ(Celsiana)”と呼ばれることになりました。 アルバにクラス分けされている‘アメリア(Amelia)’とよく似ていて、クラスも異なる他人の空似の好例です。 アメリア(Amelia) - 1823年、アルバ、春一季咲き Photo/田中敏夫 マリー・ルイーズ(Marie Louise)- 1810年以前、春一季咲き Photo/田中敏夫 大輪、丸弁咲きあるいはロゼット咲き。花弁の数はケンティフォリア並みに多いですが、花形は乱れがちです。花色はくすみがちながら深みのあるピンク、花弁にピンクと白の細かな筋が入ることがあり、とても美しいです。ダマスクとしては少し小さめ。立ち性のシュラブとなります。 この品種の由来には、いくつかの説があります。 ロイ・E. シェファードは、著作の中で、この品種は1800年以前にすでに公表されていたと記しています。 ジョワイオ教授は、‘アガタ・インカルナータ’と同じ品種なので、さらに古いはずと主張。さらにバラ研究家のディッカーソンは、この品種は17世紀にはすでに知られていた‘ブラッシュ・ベルジック’の別名だろう、と言っていて、定説はありません。 ダマスクローズの頂点にあるといってよい優れた品種("Graham Stuart Thomas Rose Book"より)ですが、皮肉なことに、ナポレオンの2番目の妻の名を冠したこの品種は、ジョゼフィーヌがマルメゾン館の庭園に集めたバラの一つだといわれています。 古い時代には‘ブラッシュ・ベルジック’、‘ベル・フラマンド’など、別の名称だったようです。時代が下がるにつれ、‘マリー・ルイーズ’という品種名が最も一般的なものになりました。 交配親は不明です。花弁が密集する花形からケンティフォリアにクラス分けされることもありますが、葉や樹形にはダマスクの特徴が濃厚に出ることが多く、ダマスクにクラス分けされるのが適切のように思います。 マリー・ルイーズ(Marie Louise:1791-1847)は、ナポレオン・ボナパルトがジョゼフィーヌと離婚した後、皇妃として迎えたオーストリア皇帝フランツ1世の娘、ハプスブルク家の王女です。フランス革命の渦中でギロチン刑に架せられたマリー・アントワネットは大叔母にあたります。 ‘マリー・ルイーズとナポレオン2世’ Painting/ Joseph-Boniface Franque [Public Domain via Wikimedia Commons] ジョゼフィーヌとの間に子ができないため、自分の生殖能力には欠陥があるのではないかと悩んでいたナポレオン(ジョゼフィーヌには前夫との間に2子があった)ですが、愛人との間に私生児が誕生したことにより、名家の娘との間に子をもうけて皇帝たる自分の子孫を残したいと思うようになりました。そこでナポレオンはジョゼフィーヌを離縁し、マリー・ルイーズと婚儀を結ぶことにします。この結婚は敵対するハプスブルク家との間のもので、政略結婚そのものでした。 じつは、ハプスブルク家が皇帝として君臨するオーストリアは、ナポレオン率いるフランス軍に何度も蹂躙され、マリーはナポレオンを忌み嫌っていました。婚儀が定められたとき、マリーは泣き暮らしたと伝えられています。しかし、結婚直後は、ナポレオンがマリーに穏やかに接したことから、フランスでの生活は平穏であり、嫡子ナポレオン2世にも恵まれました。 しかし、連戦連勝を重ね、無敵を誇ったナポレオンも、ロシア遠征で致命的な敗北を喫するなど敵対するヨーロッパ諸国同盟に追われるようになり、退位を余儀なくされます。マリーはナポレオンがエルベ島へ流刑となった後はウィーンへ戻り、ナイベルグ伯と密通して娘を産むなど、ナポレオンとは疎遠になってしまいました。 ナポレオンが懇願し続けたにもかかわらず、マリー・ルイーズはエルベ島へ駆けつけることもありませんでした。ナポレオンがエルベ島を脱出し、パリへ向かっているという知らせを聞いたときには仰天して、「またヨーロッパの平和が危険にさらされる」と言ったと伝えられています。 政略結婚、また密通などにはかなり寛容な時代風潮があったにせよ、"英雄"ナポレオン・ボナパルトの"不実"な妻という悪名を後々まで残すことになってしまったのは、ある意味では気の毒なことだといえるかもしれません。 レダ(Leda)- 1827年、春一季咲き Photo/田中敏夫 中輪、25弁ほどの小皿を重ねたようなオープンカップ形の花形となります。赤いつぼみは開花すると、深紅に縁取りされた白いバラとなります。筆で色づけしたように見えるため、ペインテッド・ダマスクと呼ばれることもあります。 強くはありませんが、甘い香り。深い葉緑、細いですが強めの小さなトゲが密生する枝ぶり、120~180cmほどのブッシュとなります。 現在、‘ピンク・レダ’と呼ばれているダマスクが、古い時代から、主にフランス国内で流通していました。ごく最近まで、‘ピンク・レダ’は‘レダ’の枝変わり種だとみなされていましたが、実際には逆で、1827年(1825年という説も)、英国において、‘ピンク・ダマスク’の枝変わりとして生じたのが‘レダ’だという説が有力となっています。 ‘Leda and the Swan’ painting/Giambettino Cignaroli [Public Domain via Wikimedia Commons] ギリシャ神話の主神ゼウスは、スパルタ王ティンダリオスの王妃であった美しいレダに横恋慕します。幾度となく思いを拒絶されたゼウスは、鷲に追われて傷を負った白鳥に化けてレダの哀れみを誘い、そしてついに想いを果たします。 この密通により、レダは2つの卵を産み、1つの卵からはクリュタイムネストラとヘレナという女の子、もう1つからはカストルとポルックスという男の子と、それぞれ双子が生まれました。ヘレナは長じて絶世の美女となり、多くの男たちが妻に迎えようとして争うこととなりましたが、求婚者らが集まって話し合い、ギリシャ諸都市を統帥するミュケナイ王アガメムノンの弟、スパルタ王メネラオスが夫となることが決定されました。しかし、神話は海原のうねりのようにさらに大きく展開してゆきます。 黄金の林檎を巡って主神ゼウスの妻ヘラ、智謀の女神アテネ、そして愛の女神アフロディテ(ビーナス)が争ったとき、主神ゼウスはそれを、トロイア王プリアモスの息子パリスがいちばん美しいと判じた女神のものとするという裁定を下しました。 ヘラは王国を、アテネは戦いにおける勝利を、そして、アフロディテは人間の中でもっとも美しい女を与えるという約束をして裁定者パリスを誘惑します。パリスが選んだ一番美しい女神は、アフロディテでした。パリスは約束どおり、人間の中で最も美しい女を娶ることができるという褒美を得ることとなりました。 人間の中で最も美しい女ヘレナは、すでにアガメムオンの弟メネラオスの妻となっていたのですが、パリスはアフロディテの助けによってヘレナを誘惑し、故郷トロイへ逃げ帰ってしまいます。これが、ギリシャ、トロイ間の戦争(トロイ戦争)の発端となりました。 トロイ戦争では、英雄アキレウスや、アキレウスと戦って非業の死を遂げるパリスの兄へクトールなどが活躍します。この顛末は、ホメロスの叙事詩『イーリアス』で雄々しく語られています。 城壁をはさんで長く続いた戦闘は、「木馬の計略」によりギリシャ軍の勝利となることは周知のとおりです。 ‘トロイへの木馬の侵攻’ Painting/Giovanni Domenico Tiepolo [Public Domain via Wikimedia Commons] トロイ戦争に勝利したギリシャ軍は、それぞれ帰国します。ヘレナとともにレダの生んだ卵から生まれたクリュタイムネストラも美女として知られており、ギリシャ軍の総大将、アガメムノンの妻となっていました。しかし、アガメムノンは出兵の際、戦勝を祈願して娘を生贄として捧げてしまい、クリュタイムネストラは愛娘を失ったことから、夫アガメムノンへの深い恨みを抱いていました。そして、トロイ戦争から戦勝凱旋帰国した夫アガメムノンを、情夫アイギストスの協力のもと謀殺してしまうのです。 イスパハン(Ispahan)- 1832年以前、春一季咲き Photo/田中敏夫 枝のあちこちから花芽が伸びて、中輪、60弁ほどの花弁が密集する丸弁咲きの花となります。 鮮やかなミディアム・ピンクの花は、時を経るとくずれて色を失いますが、「オールドローズの中では、最初に開花して、最後まで咲いている…」とグラハム・トーマスが解説している("Graham Stuart Thomas Rose Book")など、一季咲きとしては非常に花期の長いことで知られています。 鮮烈な香り。柔らかな枝ぶりで、ボリューム感たっぷりの大きなシュラブとなります。 イスパハンはペルシャの古都市エスファハーンのフランス名です。現在のイランを中心に支配したイスラム王朝であるサファヴィー朝(1501-1736年)の首都でした。 1832年に、その地で自生していた株がヨーロッパに持ち込まれましたが、育成者も育成年も不明です。 ポンポン・デ・プラーンセ(Pompon des Princes:"王子のポンポン咲き")と呼ばれることもあります。 ニュージーランドのバラ研究家で、『オールドローズの魅力(The Charm of Old Roses)』という著作を残したナンシー・スティーンはこの品種をことのほか愛したようです。著作の中で、「このダマスクローズが満開になったとき、文字どおり数千にもおよぶ完璧な花が、あたかも噴水かピンクに色づいたシャワーであるかのように、長くアーチングする枝から垂れ下がってくる…」と、賛嘆を込めて語っています。 ‘Ispahan macaroon’ Photo/ Charlotte Marillet [CC BY SA-2.0 via Wikimedia Commons] なお、パリの著名なパティシエ、ピエール・エルメが、ローズ・カラーの生地にライチとラズベリーをあしらったマカロン “イスパハン”は、この品種をイメージしたものとのことです。 日本にも支店があり、この“イスパハン”を味わうことができるのは嬉しいですね。
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【バラの育種史】ダマスクローズ~古より伝わる香りのバラ
ダマスクローズはどこから来たのか Anita Ben/Shutterstock.com ダマスクローズは、中東のダマスカスからヨーロッパへもたらされました。どこから来たのかすぐに分かる名称です。 明るいピンクに花開く、濃密な香りを放つこのバラは、11世紀以降、十字軍に参加した騎士や僧侶たちが帰国の際に持ち帰ったと信じられています。 じつは、紀元前のローマ、あるいはエジプトなどでは、王侯・貴族たちの宴席でバラの花弁が大量に利用されていたと伝えられています。ですから、いつ生み出されたのかを知ることはできません。おとぎ話の始まりのように、「ずっとずっと昔のこと…」とするしかありません。 ダマスクローズは原種なのか ダマスクは原種ではありません。最も古いのではないかといわれるサマーダマスクは、学名ではロサ・クロス・ダマスケナ(R. x damascena)と表記され、原種ではなく原種交配種であることを示しています。 ダマスクは、ガリカとムスクローズの自然交配により生じたとする説が長い間信じられてきました。しかし、2000年に日本の岩田光氏(湧永製薬)、加藤恒雄氏(広島県立大学)および大野乾氏(Beckman Research Institute of the City of Hope, USA)の3氏により発表された『ダマスクローズの3つの起源(Triparental origin of Damask roses)』という論文の中で、DNA検査の結果、ガリカ、ムスクローズとともに、ロサ・フェデツケンコアーナがダマスクの誕生に深く関わっていたということが報告されました。 今日ではこの新説は定説として受け入れられつつあるようですが、それぞれの原種の開花時期が異なることから、自然環境下での交雑に疑問を呈する向きもあり、また、検討外とされていた類似原種ロサ・ウェビアーナ(R. webbiana)やロサ・ベッゲリアーナ(R. beggeriana)との交雑の可能性もあるのではないかと懐疑する向きも出てきています。 日本の3人の研究者による論及で、ダマスクの由来は完璧に解かれたと思っていたのですが、まだまだ研究が進むようです。 ガリカ(R. gallica) Photo/田中敏夫 ムスクローズ(R. moscata) Photo/田中敏夫 ロサ・フェデツケンコアーナ(R. fedtschenkoana) Photo/田中敏夫 ロサ・フェデツケンコアーナは原種ではありますが、春だけではなく秋にも返り咲きする性質があります。近年では、この性質が二季咲きダマスク(オータムダマスク)にもたらされたのではないかと考えられるようになっているようです。 ダマスクローズのグループ ダマスクローズは、大きく2つのグループに分けられています。春のみの一季咲き(サマーダマスク)か、春に開花、さらに秋にも開花するもの(オータムダマスク)かという区分です。ダマスクローズの代表的な品種についてご紹介します。 ロサ・ダマスケナ(R. x damascena:Summer Damask)‐1455年以前、春一季咲き Photo/田中敏夫 ロサ・ダマスケナは春のみの一季咲き。そのため、一般的にはサマーダマスク(Summer Damask)と呼ばれています。 上左/アルバ(Rosa alba)、上右/ガリカ(Rosa rubra)、下左右/ダマスク(Rosa damascena)“The Herball or General historie of plantes” 1597 by John Gerald [Public Domain via BHL-Biodivesity Heritage Library] 上記は1597年の記述ですが、はるか以前から存在していることは明らかです。 ライトピンクの花色、カップ形または丸弁咲き、35弁前後の濃厚な香りを放つ大輪花、卵形の明るい色調の艶消し葉、優雅にアーチングする枝ぶりのシュラブ。 ロサ・ダマスケナ(サマーダマスク)のこのような特徴が、ダマスクの典型とされることになりました。 ロサ・ダマスケナ・ビフェラ(R. x damascena 'Bifera')‐1633年以前、春秋二季咲き Photo/田中敏夫 "ビフェラ"は「二度咲き」という意味です。そのため、一般的にはオータムダマスク(Autumn Damask)、あるいはクワトロ・セゾン(Quatre Saison:"四季咲き")と呼ばれています。 この品種について言及した記述は、1571年に遡ることができるようです。 サマーダマスクとオータムダマスク、双方の実株を見比べても、違いを見つけることはできません。それもそのはずで、ゲノム精査の結果、サマーダマスクとオータムダマスクはまったく同じ染色体を有していると判定されているのだそうです。一季咲きか二季咲きかは、ロサ・フェデツケンコアーナの返り咲き性が出ない(サマーダマスク)か、出る(オータムダマスク)かということになります。 ロサ・ダマスケナ・ヴェルシコロール(R. damascene 'Versicolor')- 1551年以前、春一季咲き Photo/田中敏夫 ロサ・ダマスケナ・ヴェルシコロールは中輪、平咲きの花、中型のシュラブとなります。 花色は薄いピンクですが、時に筆で刷いたように濃いピンクが現れることがあります。そのことからロサ・ダマスケナ・ヴェルシコロール("2色咲きダマスク")と呼ばれますが、ヨーク・アンド・ランカスター(York & Lancaster)と呼ばれることのほうが一般的です。それは、後述する物語がよく知られているためです。 1597年刊行のマティアス・ド・ロベリウス(Matthias de Lobelius)による『Plantarum, seu Stirpium Historia』に、ベルギーのアドリアン・フォン・グラヒト博士(Dr. Adrian von der Gracht)が「白花に少し、刷毛で刷いたような、または明るいピンクが混ざる…」と解説しているダマスクは、この品種であろうとされています。このヴァリエガータも、非常に古い由来をもった品種であることが分かります。 赤バラと白バラの薔薇戦争 イギリスのバラの紋章。Jane Rix/Shutterstock.com 15世紀、イングランドで勃発した薔薇戦争(1455-1485)は、赤バラを紋章とするランカスター家と白バラのヨーク家の間の抗争でした。1455年から開始された抗争は、女性や子供まで巻き込んで、殺し、殺されという惨劇が繰り返されましたが、1485年、ボズワースにおいて赤いバラを紋章とするランカスター派のヘンリー・チューダー(後のヘンリー7世)が白バラのリチャード3世に勝利して終焉を迎えました。王位に就いたヘンリー・チューダーはヘンリー7世と名乗り、白いバラを紋章とするヨーク家のエリザベスを妃に迎えて、王位を巡る血で血を洗う抗争はようやく終わりを告げました。 やがて、淡いピンクと濃いピンクの混じることのあるこの品種は、両王家の融合を象徴して"ヨーク・アンド・ランカスター"と呼ばれるようになりました。まことにふさわしい命名と思います。 シェイクスピアやルドゥテが愛した“赤白まじりのダマスクバラ” シェイクスピアが作品の中で、若い女性の初々しさを表現するとき、"赤白まじりのダマスクバラ"という言葉を使っている箇所がいくつかありますが、シェイクスピアの念頭にあったのは、このバラのことではないかと英国のバラ研究家は考えているようです。 ソネット集99番…(愛する人を讃えるのに、最初に吐息をスミレに、つぎに白い手をユリに譬え)トゲに囲われ、恐れおののくバラたち/The roses fearfully on thorns did stand,1つめは恥じらって赤く、2つめは(拒絶におののき)白く色ざめ/One blushing shame, another white despair;3つめは赤でも白でもなく、2つから色を盗み/A third, nor red nor white, had stol’n of both,色ばかりではなく(香しい)吐息まで盗んだ/And to his robbery had annex’d thy breath;…『ソネット集』(ウィリアム・シェイクスピア) ルドゥテがロサ・ダマスケナ・ヴァリエガータ(Rosa damascena variegate)と銘打って残している美しい植物画も、このヨーク・アンド・ランカスターです。 The Miriam and Ira D. Wallach Division of Art, Prints and Photographs: Print Collection, The New York Public Library. "Rosa Damascena Variegata; Rosier d'Yorck et de Lancastre (syn)" illustrate/ Pierre Joseph Redouté. The New York Public Library Digital Collections. 1817 - 1824. Photo/田中敏夫 花色は濃淡が出る明るいピンク。鮮烈な香りがなによりも印象的です。バラの香りとして典型的なものに挙げられるダマスク香を楽しむには最適の品種です。 一般的には古い時代に中東からもたらされたものとみなされていますが、1850年頃、中東で栽培されていたものが見いだされ、ドイツのドクター・ディーク(Dr. Dieck)により公表されたという説もあります。 その鮮烈な香りゆえ、ブルガリア中部のカザンリュック(Kazanluk)近在で、バラ香油の原料として大規模に栽培されていることから、カザンリクと呼ばれるようになりました。また、ハンガリーの他の地域やトルコなどでも、この品種、あるいは近似した品種がバラ香油採取の目的で栽培されていることから、それらを総称して、"トリジンティペターラ(Trigintipetala:"30枚花弁花")と呼んだらどうかと提案する研究者がありますが、当を得た提言だと思います(R. Phillips & M. Rix, "Best Rose Guide")。 悪逆のローマ皇帝ヘリオガバルスのバラ 祖母や母を後ろ盾に14歳でローマ皇帝となったヘリオガバルス(在位218-222)は、宗教や政治秩序の破壊、性的倒錯など、奢侈と放縦の限りを尽くし、ローマ史上最悪の暴君と評されています。 有名な逸話としてしばしば引用されているのは、宴会場の天井に天幕を張って大量のバラの花弁を隠しておき、宴たけなわのときに天幕を切って落下させ、招待客が窒息死するのを見て楽しんだとされているものです。 ‘ヘリオガバルスの薔薇’ Paint/Lawrence Alma-Tadema [Public domain, via Wikimedia Commons] この逸話が本当にあったことなのかどうかは不明です。しかし、エジプト女王クレオパトラがシーザーやアントニウスとの饗宴の席をバラの花弁で飾り立てたと伝えられているなど、バラの花弁の馥郁たる香りは紀元前から楽しまれてきました。 はたしてこれらのバラは、今日主に精油の原料とされているダマスクであったのか、それともダマスクよりも古い由来とされるガリカであったのか、それは残念ながら解き明かされていません。
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【バラ物語】偉大なバラ育種家J-P・ヴィベールを受け継ぐヴィベール農場が生み出したバラたち
動乱の19世紀 19世紀の初期は、英雄ナポレオン・ボナパルトの時代でした。しかし、戦えば必ず勝つという神話も次第に色褪せ、ついに没落し南大西洋の孤島セント・ヘレナに流刑となり、1821年に同島で死去しました。 しかしながら、ナポレオンが表舞台から降りたヨーロッパの政情は落ち着きに向かう訳でもなく、絶対王政の復活を目指す勢力、自由主義者による反抗など、不穏な空気は収まる気配はありませんでした。 イギリス、フランスなどは帝国主義の色合いをさらに強め、中東や衰え著しい極東の大国清への侵攻を進め、アヘン戦争、アロー戦争などを起こします。また、アジアやアフリカの植民地化に後れを取っていたプロイセンも鉄血宰相ビスマルクが主導し、ことあるごとにフランスと対立。1870年には普仏戦争に勝利したプロイセンが盟主となってドイツ帝国が成立するなど、各国が利権を巡って政治的・軍事的な駆け引きを続けている時代でした。 このような時代ではありましたが、フランスにおけるバラの育種は隆盛を誇っていました。ラッフェイやラシャルムなどが活発に新種を公表して時代を彩っていましたが、600を超える新品種を世に送り出し、後の時代、最も偉大なバラ育種家と賞賛されるJ-P・ヴィベールは、19世紀の中頃に至ると、年齢を重ねて引退の時期を迎えていました。 ヴィベール農場のヘッドガーデナーであったフランソワ-アンドレ・ロベール(Français-André Robert)は、1845年頃からヴィベール農場で育種も行っていました。当時ヴィベールによる育種と銘打たれた新品種の中にも、実際にはロベールが育種した品種もあったようですが、今日、それがヴィベールによるのか、またはロベールによるのかは分からないままです。 ヴィベール農場の変遷 ヴィベール農場の育種の主体は、ヴィベールからロベールへ。そして、ロベール・エ・モロー、さらにモロー=ロベールへと移りゆきます。 1851年、ヴィベールは引退し、農場はロベールが運営することとなりました。 ロベールは、ヴィベールが活動の終わり頃に熱心だったモス系品種の育種をそのまま受け継いで、優れたモスを数多く育種していましたが、1857年にモロー(Moreau)を共同経営者として迎え、以後ロベール・エ・モロー(Robert et Moreau)という名称で活動することになりました。 1863年、2人は現場から退き、農場はモロー=ロベール(Moreau-Robert)へ引き継がれました。モロー=ロベールは、1864年から1890年頃まで、ロベール・エ・モロー名義で数多くの品種を市場へ提供しました。そのため、モロー=ロベール名義の品種があまり記録されていません。しかし、実際には2人はすでに一線では活躍していませんでしたので、ここでは、育種者として次のように整理しました。 1851~1856年 ロベール1857~1863年 ロベール・エ・モロー1864~1900年 モロー=ロベール(ロベール・エ・モロー名義であっても) モロー=ロベールは、その名前から2人と姻戚関係にある人物だと推察されますが、どんな関係であったのかよく分かってはいません。 1900年頃、農場はシェダン=ギノワッソー(Chédane-Guinoisseau)に引き継がれました。ギノワッソーは1907年頃まで育種を行っていたようですが、その後農場は他の作物などに供されることになったのか、今日見ることはできません。 繰り返しになりますが、ヴィベールの育種の情熱はロベールに引き継がれ、そこへモローが加わりさらに発展。2人の引退を受け、仕事はモロー=ロベールへ受け継がれました。彼らが活躍した1851年から1890年は、暮れなずむオールド・ローズからモダン・ローズの黎明の発展に至る時代だったといえるのではないでしょうか。 ロベール育種の品種(1851~1856) ここからは、それぞれの育種したバラ品種を見ていきましょう。初めに、ロベールが育種した品種をご紹介します。 ‘マドマーゼル・ド・ソンブレイユ(Mademoiselle de Sombreuil)’ -1851 Photo/田中敏夫 花径8~10cm、カップ形、60弁を超える花弁が密集したロゼット咲きの花形。クリーミー・ホワイトの花色。樹高240~360cmと大型に育つクライマーです。アーチ仕立てにしたり、壁に這わせたり、枝をおおらかに伸ばす工夫が必要です。 淡いピンクのティー・ローズ、‘ギガンティスク(Gigantesque)’の実生から育種されたといわれています。 主にアメリカで、‘ソンブレイユ’という名前で流通していた品種は、ロベールが育種したものとは異なるものではないかといわれ続けてきました。1959年にオハイオ州のウィヤントが‘コロニアル・ホワイト(Colonial White)’という名前で公表したクライマーが、旧来の品種である‘マドマーゼル・ド・ソンブレイユ’と著しく類似していたことから、流通の過程で混同されてしまい、‘ソンブレイユ’という品種名で販売されるようになったというのが、その主張でした。 2006年の秋、ARS(アメリカバラ協会)は、現在、主にアメリカで流通している‘ソンブレイユ’は、1850年にフランスで作出された‘マドマーゼル・ド・ソンブレイユ’とは異なる品種であり、今後は‘ソンブレイユ’(Sombreuil;ラージ・フラワード・クライマー・ホワイト、1959年)という品種名に統一し、ロベールが育種した旧来の品種は、‘マドマーゼル・ド・ソンブレイユ’(Melle. De Sombreuil;クライミング・ティー・ホワイト、1850年、Robert)という別品種として区別すると公示しました。 フランス革命は、1789年、市民によるバスチーユ牢獄襲撃に端を発します。この襲撃にあたって、市民はまず王党軍の武器庫を襲い、武器を手にしました。この武器庫の管理責任者であったのがソンブレイユ侯爵です。侯爵は後に捕らえられ、死刑に架せられることになりました。 刑執行の直前、令嬢であったマリー・ソンブレイユ(Marie Maurille Virot de Sombreuil)は、父侯爵が王党派に与していない人であることを主張して、刑の執行停止を懇願しました。革命派は刑死した王党派の血を飲み干せばその言を信じようと、刑の執行中止の受け入れがたい条件を出したのですが、マリーは見事にそれを果たして、父の窮地を救いました。 ‘父の助命を乞うマリー・ソンブレイユ’ Painting/ Pierre Puvis de Chavannes [Public Domain via Wikimedia Commons] この美しいティーローズ・クライマーは、父を救ったマリー・ソンブレイユにちなんで命名されました。 ‘グロワール・デ・ムスーズ(Gloire des Mousseuses)’ - 1852 Photo/田中敏夫 これが本当につぼみなのかと思われるほど苔(モス)に覆われたつぼみから、ピンクの花弁が湧き出るように展開し、花弁が密集するロゼット咲きとなる花形になります。 花色はシルバーシェイド気味の明るいピンク、外縁部分が淡く色抜けしたり、花弁に斑模様のようにピンクの濃淡が生じることもあります。 新枝が直立して先端に大輪の単輪咲きとなる様子は、モス・ローズのイメージからは遠いものです。 1852年、ラッフェイ(Jean Laffay)によって育種されたという説もありますが、ここではロベールにより育種・公表されたとしました。交配親は不明のままです。 丸葉が多いモス・クラスの中にあって、幅狭で非常に大きな葉であること、例外的なほどの大輪花を咲かせること、秋に返り咲くことがあると報告されていることなどから、交配には他の系列の品種が使われたことが想像されます。おそらく、モス・ローズの中でもっとも大輪花を咲かせる品種です。 ‘ルネ・ダンジュー(René d'Anjou)’ - 1853 Photo/田中敏夫 花径7~9cm、ルーズなカップ形、ロゼット咲きの花形。 赤みの濃いつぼみは、開花するとストロング・ピンクの花色となります。つぼみを覆う萼筒(がくとう)が飾りつけたようにカールする様子が優雅です。モス・ローズの魅力をふんだんに振りまく品種です。 幅狭で尖り気味のつや消し葉。茶褐色のモスは、他のモス品種に比べればそれほど顕著なものではありません。樹高120~180cmの立ち性のシュラブとなります。 1853年、育種・公表されました。交配親は不明です。 ‘Portrait of Rene d'Anjou’ Painting/ [Public Domain via Wikimedia Commons] ルネ・ダンジュー/Rene d'Anjou(1409-1480)の父は、ナポリ王を兼ねていたこともある、フランス・アンジュの領主ルイ2世。母は、美しいポートランド・ローズを捧げられたことでもよく知られている女傑ジョラン・ダラゴンです。 フランス、イタリアの貴族と領地を巡って争いを繰り返す生涯を送りましたが、自らも絵をよくするなど、芸術への愛好が深いことのほうでむしろ知られている人物です。温厚な人柄から"善良王"と呼ばれたことが、それを証左しているようにも思えます。 ルネの娘、マルグリット(英名マーガレット)はイングランド王ヘンリー6世に嫁ぎました。当時は貴族の娘が婚姻するときには、領地や財産などの持参金付きであることが習慣でした。しかし、この婚姻では持参金がないばかりではなく、ヘンリー6世の領地を分割するなど王家につながる者にとっては受け入れがたいものであったため、マルグリットのランカスター家とヨーク家の王位をめぐる争い、バラ戦争へ突入する原因の一つになりました。マルグリットの気性の激しさは、シェイクスピアの戯曲『ヘンリー6世1部~3部』からもうかがうことができますが、女傑ジョラン・ダラゴンの娘ですから、さもありなんという気がします。 育成者ロベールはフランス、アンジューでナーセリーを運営していたことから、その地をかつて領有していたルネへ捧げたものと思われます。 ‘ジェネラル・クレベール(Général Kléber)’- 1856 Photo/田中敏夫 ロゼットまたはクォーター咲きとなります。花色はヴァーミリオン(朱色)の少し入った明るい華やかなピンク。花と樹形のバランスが取れていること、また全体的に、いかにも古い由来のものであるという印象を受けます。 1856年に育種・公表されました。交配親は不明です。 クレベール(Jean Baptiste Kleber;1753-1800)は、ナポレオンと同時代に生きたフランスの将軍です。 ‘General Jean Baptiste Kleber’ Painting/Jean Guérin [Public Domain via Wikimedia Commons] 青年期には建築家になることを目指していましたが、フランス東部のストラスブルクというドイツ語圏に生まれたことから、オーストリア軍の兵卒として軍務に就いたこともありました。フランス革命の際には一兵卒として革命軍に参加し、やがて将軍にまで昇進しました。 熱烈な共和制支持が災いしてか、やがて失脚して退役しましたが、再びナポレオンに見いだされ、1798年のエジプト遠征へ同道します。当時のエジプトはオスマントルコ帝国の統治下にあり、マムルークと呼ばれる軍団に事実上統治されていました。アレクサンドリアからカイロへ向け侵攻するフランス軍は、ギザの大ピラミッド付近へ至ったとき、マムルークの騎兵の急襲を受けます。勇猛果敢に襲いかかる騎兵に対し、フランス軍は方陣という防御姿勢を敷いてこれを防ぎました。 方陣の前にはマムルークの死体の山が築かれましたが、それを越えて突撃してくる騎兵にフランス兵は恐怖し戦慄したと言われています。この戦闘は、最終的にはよく防御したフランス軍の勝利に終わりました(“ピラミッドの戦い”)。 クレベールは、この戦闘以前に行われたアレクサンドリアでの戦闘(フランス軍が勝利)の際、負傷してその地へ止まっており、この戦いには参加しませんでした。 陸戦には勝利したフランスでしたが、ナイル河口付近で行われた海戦において、ネルソン提督が率いる英国艦隊によりフランス艦隊が殲滅されると(“ナイルの海戦”)、フランス軍は兵站を絶たれ、孤立してしまいました。 この不利な状況を受け、ナポレオンは、少数の兵のみを率いてフランスへ帰還してしまいました。取り残されたクレベールは駐エジプト、フランス軍司令官として兵とともに駐留していましたが、1800年、カイロで回教徒の刺客に暗殺されてしまいます。司令官を失ったフランス軍15,000の兵は、翌1801年にオスマントルコ・英国連合軍に降伏することとなりました。信義には篤いといわれているナポレオンですが、エジプト遠征においては多くの兵を見放し、彼の経歴に汚点を残しました。 ロベール・エ・モロー育種の品種(1857~1863) 続いて、ロベール・エ・モローによる品種をご紹介します。 ‘オメール(Homère)’ - 1858 Photo/田中敏夫 花径7~9cm、丸弁咲き。株が充実していると、花弁が密集したロゼット咲きのような花形となります。 明るいピンクで、花弁の縁が色濃く染まったり、ストライプになったりと変化の出る花色です。 楕円形の縁のノコ目が強く出る、深い色合いのつや消し葉、樹高90~120cmの小さめのブッシュとなります。鉢植えにして、花色の変化を楽しむのも一興でしょう。 1858年に育種・公表されました。交配親は不明です。 オメールとは、『イーリアス』(アキレウスとへクトールの戦闘など、トロイ戦争を題材にした叙事詩)、『オデュッセイア』(トロイ戦争に勝利したのち、帰国するオデュッセウスを主人公にした叙事詩)の作者とされる、紀元前8世紀頃の伝説的な詩人、ホメロスのフランス名です。 ‘マルブレ(Marbrée)’ - 1858 Photo/田中敏夫 花径7~9cm、30弁ほどの丸弁咲き、またはカップ形となる花形。 レッド・ブレンドとされていますが、深みのある、同時に、混じり気のないピンクの花色となることが多いように思います。また、花弁に白い斑が入り、非常に印象深い色合いとなることがあります。 大きめでくすんだ色の葉、細いけれど硬めの枝ぶり、樹高90~120cmのまとまりのあるシュラブとなります。 1858年に育種・公表されました。交配親は不明です。 バラについての味わい深い記述で名高いバラ研究家、ヘーゼル・レ・ルジュテル(Hazel Le Rougetel)は、著作『ヘリテージ・オブ・ローゼズ/Heritage of Roses』の中で、 「…これはコント・ド・シャンボールと判明しました。そして、小さな庭で、この品種を育てようとするだれにでも、もう2株のポートランド、明るく澄んだピンクのジャック・カルティエと、深いピンクに斑の入るマルブレを薦めることにしています…」 と記しています。ポートランド・クラスの中でも、とりわけ美しい3品種を並べて観賞するのはさぞ楽しいことかと思います。 モロー=ロベール育種の品種(1864~1900) 最後に、モロー=ロベールが育種した品種をご紹介しましょう。 ‘コマンダン・ボールペール(Commandant Beaurepaire)’ - 1864 Photo/田中敏夫 花径11~13cm、オープン・カップ形の花形。 クリムゾンとホワイトの対比が鮮やかなストライプとなりますが、どちらかといえばクリムゾンが勝って、全体としては赤が前面へ出てくるといった印象を受けます。 細いけれど硬めの枝ぶり、そのため花はしっかりと上向きに咲くことが多くなります。 1864年に育種され、1874年に一季咲き、ガリカの枝変わりによるストライプ品種として公表されました(公表当時は‘パナシェ・ダングレ’-Panachée d’Angersという品種名)。 しかし、5年後の1879年に、弱いながらも返り咲きする性質のものが現れ、それが今日ブルボン・クラスのストライプ種の一つとして、‘コマンダン・ボールペール’という品種名で流通しています。 コマンダン・ボールペール(Nicolas Joseph Beaurepaire;1740-1792)はフランス革命時代、王党派であるプロシャ軍の侵攻に対峙したフランス軍将校でした。 ‘Nicolas Beaurepaire’ Painting/ Raymond Monvoisin [Public Domain via Wikipedia Commons] 1792年、ルイ16世の架刑に憤慨したプロイセンは、革命阻止のためフランス国内へ侵攻してきました。フランス軍はフランス北部ヴァルダンに駐留していましたが、司令官であったガルヴォー将軍(General Galbaud)はもともと王党派であり、プロイセンの侵攻に敵対する気持は強くありませんでした。指揮を任されたボールペール中佐は抗戦を試みたものの、プロイセン軍の包囲に窮して自害し、軍は降伏しました。 しかし、その後、フランス軍には国の存亡の危機を感じ取った多くの義勇兵が加わり、プロイセン軍をヴェルダン近くのヴァルミーで迎え撃ちました。戦闘は砲撃戦を主体とした小競り合いといってよい程度の小規模なものでしたが、プロイセン軍は兵站の不足などもあり退却し、フランス義勇軍の勝利となりました。この勝利は戦闘という意味では小規模な勝利でしたが、フランス革命にとっては王党派を打ち破ったという点でマイルストーンになり、革命運動は嵐となってフランス中を席捲することになりました。 ‘ムスリン(Mousseline、別名;アルフレッド・ド・ダルマ-Alfred de Dalmas)’ - 1881 Photo/田中敏夫 オールド・ガーデン・ローズとしては例外的に大輪、丸弁咲きの花となります。 花色は淡いピンク。花弁の縁は退色して白く抜け、濃淡が出ることがあります。 萼や若枝にモスが生じますが、密生するというほどではありません。モス・ローズとされるのが通例ですが、頻繁というわけではないものの、返り咲きする性質があることから、ダマスク・パーペチュアルへクラス分けされることもあります。 1855年にラッフェイ(Jean Laffay)が育種・公表したとも、ポルトメール(Portemer)が作出したともいわれていますが、ここでは、1881年、モロー=ロベールにより作出されたとしました。 さらに、この品種はアルフレッド・ド・ダルマ(Alfred de Dalmas)の名で呼ばれることもありますが、‘ムスリン’と‘アルフレッド・ド・ダルマ’は別品種とする説もあり、誰が本当の育種者なのか、また、淡いピンクとピンクの2品種は同じものなのか、異なるのかなど、大きな混乱を招いています。
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花物語
【バラ物語】オールドローズ最古の由来を持つガリカ
オールドローズの源流 ガリカの辿ってきた道筋 6月の中之条ガーデン。Photo/田中敏夫 春、庭を彩る美しいオールドローズ。その中にあって、ガリカは系統上では最も古いものであり、ダマスクやアルバ、モスなどよりも先に生み出され、その後のバラ育種の源流となったことは、改めて言うまでもないことかもしれません。 しかし、これも以前に言及していることですが、ヨーロッパにおいて、18世紀の終わり頃から人々に深く愛されるようになった最初のバラは、ガリカではなく、多弁の花を持つケンティフォリアでした。明るいピンクの花色がほとんどであったケンティフォリアに、赤やパープルの花色を持つガリカが多弁化して加わったことも過去にご紹介しました。 今回は、ケンティフォリアがベルギーやオランダからもたらされる以前、主に薬用として利用されていた古い由来のガリカについて改めて整理してみました。 以前の記事、『オールドローズ~黎明期の育種家たち』と『ヴィベール~もっとも偉大な育種家』で品種解説した内容と重なる部分がありますが、ガリカの育種史を辿ってゆくとき、どうしても解説が重なってしまいがちです。ご容赦ください。 ケンティフォリア到来前のガリカ~クリムゾンとバーガンディ/パープルの時代 13世紀、十字軍の帰還に伴ってヨーロッパにもたらされたガリカでしたが、その当時は、渋みのあるクリムゾン、あるいはバーガンディやパープルの花色でした。 アポシカリーズ・ローズ(Apothecary's Rose)/ ロサ・ガリカ・オフィキナリス(Rosa gallica officinalis) Photo/田中敏夫 1241年、フランスのシャンパーニュ伯が、ティボー4世率いる十字軍の遠征を終え、エルサレムから故国へ向かう帰途で、ダマスキナ(Damascina)と呼ばれるバラを持ち帰ったと伝えられていますが、そのダマスキナは名前から容易に連想されるダマスクではなく、このアポシカリー・ローズ(“薬剤師のバラ”:英語)であったといわれています。 1759年、植物分類学の父と呼ばれるカール・フォン・リンネは、フランスから送られてきたこのバラのサンプルに、ロサ・ガリカ(ガリカはフランスの古名)と命名しました。サンプルはシングル咲きではなく、ダブル咲きのものだったので、このアポシカリー・ローズが原種として登録されたようです。 命名のときに使われたと思われる標本は、「リンネ・コレクション(652.26)」として英国のリンネ協会に保管されています(“LINN 652.26 Rosa gallica (Herb Linn), http://linnean-online.org/4815/)。 このアポシカリー・ローズ、つまりロサ・ガリカ・オフィキナリス(“薬剤師のガリカ”:ラテン語)は、英国において薔薇戦争が繰り広げられた際にランカスター家の象徴として用いられたことから、「レッド・ローズ・オブ・ランカスター」という別名でも呼ばれています。 コンディトルム(Conditorum) Photo/田中敏夫 1866年に「コンディトルム」(“創設者”)と改めて命名され、市場へ提供されましたが、はるか以前からさまざまな名称で知られていた品種です。アポシカリー・ローズよりも大輪で香り高く、株丈もより大きくなります。 1588年に刊行されたドイツのヨアヒム・カメラリウス(Joachim Camerarius)の著作"Hortus medicus et philosophicus"でズッカーローゼン(Zuckerrosen:"甘いバラ")と記述されているバラはこの品種ではないか、また1656年に公刊されたイングランドの医師・植物学者であったジョン・パーキンソン(John Parkinson)の著作"Paradisi in sole paradisus terrestis"の中で述べているロサ・ハンガリカ(Rosa Hangarica:"ハンガリアン・ローズ")はこの品種のことだろうとされています。 ‘The Hungarian Rose’-左最下部( "Paradisi in sole paradisus terrestis" 、1656)[Public Domain via BHL] ハンガリアン・ローズと呼ばれるのは、このバラが16世紀初めのオスマン帝国によるアナトリア侵攻の際にもたらされたからではないかという解説も見受けられます。 トスカニー(Tuscany) Photo/田中敏夫 この品種は、非常に古いという説と、19世紀の前半に市場に出てきたという説があり、よく分かっていません。 有力な説は2つです。 1つは、英国のジョン・ジェラルド(John Gerard)が1597年に公刊した"Herball, Generall Historie of Plants"に"The old velvet Rose"と記載された品種が、このトスカニーであるという説。もう1つが、1820年、シデンハム・エドワード(Sydenham Edwards)が公刊した園芸誌"The Botanical Register: Consisting of Coloured Figures of Exotic Plants Cultivated in British Gardens"に記載された"The Double Velvet Rose"こそが、現在‘トスカニー’として流通している品種だという説です。 個人的には、花形や樹形などに非常に由来が古いという印象を抱いています。16世紀にはあったと考えてもいいのではないでしょうか。 ‘The Velvet Rose’ “The haerball, or, Generall historie of plantes p.1266”, John Gerard 1596, [Public Domain via BHL(Biodiversity Heritage Library)] トスカニー・サパーブ(Tuscany Superb) Photo/田中敏夫 1837年以前、イングランドのウィリアム・ポール(William Paul)により見いだされ、市場に公表されたといわれています。「トスカニー・サパーブ」は「トスカニーを超えるもの」という意味になります。 ‘トスカニー’とは大きな違いはないのですが、あえて比較すると、花色は、‘トスカニー’は赤みを含んだバーガンディ気味なのに対し、この‘トスカニー・サパーブ’はパープル気味、香りは‘トスカニー・サパーブ’のほうが強めといったところでしょうか。 シャルル・ド・ミユ(Charles de Mills) Photo/Rudolf [CC BY SA-3.0 via Rose-Biblio] 1746年にはその存在が知られていたなど、古い由来の品種であるため詳細は明らかではありませんが、米国のバラ研究家、スザンヌ・ヴェリエール(Suzanne Verrier)によれば、この品種はドイツで育種され、当初はCharles Willsと呼ばれていたものが、フランスで流通する際にフランス風にシャルル・ド・ミユと呼ばれるように変化したのだということです("Rosa Gallica")。 よく整ったクォーター咲きの花。ガリカの中でも最も深いとされるカーマインの花色。最も完成されたガリカという高い評価も得ています。「すべてのバラのなかで最も素晴らしい花を咲かせるものの一つだ… (Roger Phillips & Martyn Rix, "Best Roses Guide")」とまで評されています。 「ビザール・トリオンフォント(Bizarre Triomphante)」という別称で呼ばれることが多くなりつつありますが、これはジョワイオ教授によるこの品種の由来を精査した結果の主張に同意するものがあるのでしょう。解説の抜粋は次のようなものです。 「…現在、‘シャルル・ド・ミユ’という名前で市場に出回っている、このもっとも美しいガリカの1品種は、1790年以前に遡ることができる。というのは、その年に発行されたフランソワのカタログに記載されているからだが、1803年のデスメのカタログにも記載されているし、マルメゾン宮殿に植栽されていたことも知られている。… アルディ(ティレリー宮の庭園丁)は、この品種はオランダで育種され、デュポン(マルメゾン庭園のアドバイザー)によって(フランスへ)紹介されたと記述している。…‘シャルル・ド・ミユ’という品種名は、1836年以前には現れていない。おそらく、1840年以前にはその名前では呼ばれていなかったのだろう。ロワズロ=デスロンチャムは1844年、イングランド人ミルズのイタリアン・パーゴラは旺盛に成長したチャイナ・ローズでカバーされていて有名であったことに言及している。…この名前("Chales Mills")がビザーレ・トリオンフォン(Bizarre Triomphant)に変わってしまったのだろうか?…この品種は、シャルル・ド・ミユではなく、グラブロー(ロズレ・デ・ライの創設者)が呼んだとおり、ビザーレ・トリオンフォンと呼ばれるべきだろう」("La Rose de France") 多弁化(ケンティフォリア化)したガリカの出現~ピンクの花色も加わる この記事の冒頭で触れましたが、18世紀末頃から、オランダ、ベルギーからケンティフォリアがフランスにもたらされ、王侯貴族の間で深く愛されるようになりました。ケンティフォリアの人気を追いかけるように、ドイツからケンティフォリアのように大輪・多弁化したガリカがもたらされました。 これらのガリカをもたらしたのは、ドイツのヴァイセンシュタイン城の庭園丁であったダニエル・A・シュヴァルツコフです。育種された品種は葉、茎、株姿などにガリカ特有の特徴があり、ケンティフォリアとは一線を画す品種でした。 ‘ヴァイセンシュタイン城(1740年頃?)’ Ilustrait/Johann August Corvinus [Public Domain via Wikimedia Commons] 今日でも、シュヴァルツコフが育種した品種をいくつか目にすることができます。よくもまあここまで成し遂げたものだと、感嘆せざるを得ないほどの高い完成度です。 ベル・サン・フラットリ(Belle sans flatterie) Photo/Krzysztof Ziarnek, Kenraiz [CC BY SA4.0 via Wikimedia Commons] 「ベル・サン・フラットリ」とは「お世辞抜きの“美”」といった意味。1783年以前にシュヴァルツコフにより育種されたというのが最近の見解です。 香り高く、極大輪、ライト・ピンクのロゼット咲きとなる見事なガリカです。ライト・ピンクに花開く最も初期のガリカで、今日でも最良のピンク・ガリカの一つだと言っていいのではないかと思います。 繰り返しになりますが、この品種の完成度の高さは驚くべきレベルに達しており、フランスのデスメやヴィベールなどが熱心に育種に取り組みながらも、同じレベルに達するには40年から50年もかかってしまったという印象を持っています。 最新のゲノム検査の結果によると、この‘ベル・サン・フラットリ’は、アポシカリー・ローズの配列と酷似しているとのことです。中輪、25弁ほどの赤いバラであるアポシカリー・ローズと、この‘ベル・サン・フラットリ’が、同じ遺伝子から生み出されているというのも、また信じがたいことです。 エイマブル・ルージュ(Aimable Rouge) Photo/Rudolf [CC BY SA-3.0 via Rose Biblio] この品種も、1783年以前にシュヴァルツコフにより育種されました。‘エイマブル・ルージュ’(“親しみのある赤”)という品種名は、1818年頃、園芸植物の販売業者であったルイ・ノワゼット(ノワゼットの生みの親であるフィリップ・ノワゼットの実兄)が市場へ提供するときに命名したようです。 しかし、この品種についての古い記述では、ピンクで花弁縁が白く色抜けすると書かれていることなどから、ジョワイオ教授などは、オリジナルの品種はすでに失われてしまい、今日見られるものは、1819年、ヴィベールにより同名の品種名で市場に出回るようになったものではないかと解説しています(“La Rose de France”、1998)。 マントー・プープル(Manteau Pourpre) Photo/Rudolf [CC BY SA-3.0 via Rose Biblio] ‘マントー・プープル’(紫の外套)と命名されたこの品種も、1783年以前にシュヴァルツコフにより育種されたとされています。 これら‘ベル・サン・フラットリ’ ‘エイマブル・ルージュ’および‘マントー・プープル’といった品種は、今では失われてしまった他の品種とともに、18世紀の末にオランダ、ベルギーなどを通じてフランスへ輸出されてゆきました。それまで、ガリカ・オフィキナリスや‘トスカニー’など、中輪のガリカしか知らなかった王妃や貴婦人たちは、このケンティフォリアと競うほどの美しいガリカを見て、さぞ驚いたことだろうと思います。