ふたかた・まりこ/早稲田大学文学部国文科卒業。CM制作会社勤務、専業主婦を経て、現在は日本語学校教師。主に東南アジアや中国からの語学研修生に日本語を教えている。趣味はガーデニング、植物観察、フィギュアスケート観戦。
写真/3and garden(記載外)
ふたかた・まりこ/早稲田大学文学部国文科卒業。CM制作会社勤務、専業主婦を経て、現在は日本語学校教師。主に東南アジアや中国からの語学研修生に日本語を教えている。趣味はガーデニング、植物観察、フィギュアスケート観戦。
写真/3and garden(記載外)
ふたかた・まりこ/早稲田大学文学部国文科卒業。CM制作会社勤務、専業主婦を経て、現在は日本語学校教師。主に東南アジアや中国からの語学研修生に日本語を教えている。趣味はガーデニング、植物観察、フィギュアスケート観戦。
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私の小さなハーブガーデンと蝶のワンダリング
しゃがまずに草花の手入れができるベジトラグ ことの発端は「ベジトラグ」というレイズベッド型家庭菜園用のプランターを手に入れたことだった。 このベジトラグは、幅61cm、奥行き37cm、深さ21cm、総丈81.5cm、要するに足付き大型プランターを想像していただければよいと思う。高さがあるので、苗を植え付けるにも、手入れをするにも、収穫するにも背をかがまずにすべての作業を立ったまま行える。草花の手入れをしている時、またその後でギックリ腰になって悩んだ経験のある方には、うってつけのプランターである。 かなりの大きさがあるので、いろいろな花苗を寄せ植えして見応えのある花景色を作れるし、無農薬有機肥料栽培のおいしい野菜も作れる。 ベジトラグで10種のハーブを栽培 さて、私はここにハーブの寄せ植えを作ることにした。タイムやローズマリーは肉料理に欠かせないし、バジルはパスタ料理の格をぐんと上げてくれる。新鮮なハーブをチョイと摘み取って料理に使えるのは、お店で買うよりずっとお得だし、何よりおいしい。 植え付けたハーブは、ローズマリーの立ち性と這い性のもの、斑入りタイム、縮葉パセリ、イタリアンパセリ、セージ、カレープラント、ワイルドストロベリー、ミントなど10種。ローズマリーの深緑からワイルドストロベリーの若緑までのさまざまな形の緑、斑入り種も含めて、爽やかな野原のようなシーンが演出ができた。 道路際に設置してあるので、近所の方と 「これは何ですか?」 「イタリアンパセリですよ。サラダに入れたり、スープに入れたりします。試してみませんか? どうぞ好きなだけで摘んでいってくださいね」 「あら、まあ! ありがとうございます」 というような会話を楽しみ、親交を深めることもできたのだ。 ベジトラグの深さは十分にあったので、水やりに神経質になる必要がない。ズボラな性格の私のお世話でもスクスク育ち、この夏はさまざまな料理に使った。丈高く茂りすぎたハーブはカットして、束ねて部屋の飾りにしたり、ハーブバスにして楽しんだりもした。 セージやパセリを衣に混ぜて、ハーブの香りをまとわせたカツレツ。 蝶を呼ぶハーブ ある時、ベジトラグにアゲハチョウが飛来しているのに気づいた。アゲハチョウはそれほど珍しい蝶ではないが、黒と黄色の模様が派手で目立つ蝶だ。ハーブに止まったらスマホで写真を撮ろうと待ちかまえた。 すると、蝶はイタリアンパセリのつぼみに羽をパタパタさせながら、前足でつかまり、腹の先をつぼみにこすりつけ始めた。 「おおっ!もしかして産卵?!」 私はスマホをビデオモードに切り替えた。蝶は何度も位置を少しずらせて、産卵の動作をくりかえすと、ツイと飛び去った。時間にして10秒くらいだっただろうか? イタリアンパセリのつぼみにピントを合わせて写真を撮り拡大してみると、緑色を帯びた薄い黄色の卵が6個。大きさは直径約1mm。初めて見る蝶の卵は、ツヤツヤした半透明で神秘的ですらあった。イタリアンパセリに産卵したから、これはキアゲハの卵である。 蝶は種類によって、幼虫が食べる食草が決まっている。ひらひら飛んでいる時は、キアゲハか、ナミアゲハか区別がつかないが、キアゲハの食草はセリ科(ニンジンやパセリなど)、ナミアゲハの食草はミカン科(レモン、キンカン、山椒など)とはっきり区別されている。 翌日、卵に変化が現れた。卵の中央に土星の輪のような線模様が現れたのが一つ。また、卵の半分が茶色に変わっているのもあった。この卵には確かに生命が宿り、動き始めたのだと実感させる変化だ。小さな小さな卵たちだが、宇宙の星のように見えてきた。よし、この先をしかと見届けよう!! と思ったのが悪かったのか良かったのか、私の小さなハーブ畑は幼虫のキンダーガーデンとなり、私は給餌係として懸命にイタリアンパセリを栽培することになった。 ベジトラグで昆虫観察 まず、イモムシが嫌いな人はこの項目はスルーすることをおすすめしたい。苦手だけど、なんとか我慢できる方のために「幼虫くん」と君付けで呼ぶことにする。少しだけ苦手意識が和らぐかもしれない。 卵が孵化したのは、産卵から4日目。全部の卵が孵って、幼虫くんが6匹誕生した。体長2mm。黒くて全体にトゲトゲがある。この幼虫時代は約2週間。イタリアンパセリの葉をバリバリ食べて、2mmから最終的には4~5cmまで大きくなる頃には、イタリアンパセリが丸坊主になり、園芸センターで新たな苗を2つ買って植え直した。幼虫くんは大きくなるとともに、体の色も刻々と変化した。 ① 黒にオレンジのドット② 黒と白の縞模様にオレンジのドット③ 黒と緑の縞模様にオレンジのドット というように、最終的にはかなり派手でキャッチーな堂々たる姿になった。 幼虫くんは1齢から5齢という順に大きくなり、その度に脱皮をしてグンと大きくなる。脱皮とは文字通り表皮を脱ぐこと。古くて窮屈になった服を脱ぎ捨て、新しくてカッコイイ服に着替えて出てくるみたいなものだ。幼虫くんは食草を食べるために移動する以外、あまり動かない。食っちゃ寝、食っちゃ寝し、脱皮を繰り返して見事にムクムクの太っちょに成長した。 その頃、立派に成長した1匹の幼虫くんがたくさんのアリに襲われるという事件が起きた。のたうちまわって必死にアリを振り落とそうとしている姿は、可哀想で見るに忍びなかった。これまで成長を見守り、意外に可愛いなぁ、と段々感情移入してきたところだったので、私としては悲しい事件であったが、これが自然界だ。ここで私は方針転換し、幼虫くんを飼育箱に移して飼うことにした。 ガットパージとワンダリング 娘に依頼しホームセンターに飼育箱を買いに行ってもらったが、そのわずかな間にも確かに3匹いたはずの幼虫くんが1匹しか姿が見えなくなった。アリに連れて行かれたのか、それとも鳥が飛んできてかっさらっていったのか。私は焦りながらも、とにかく最後の1匹を飼育箱に移した。小さな鉢に植えたイタリアンパセリと割り箸も一緒に入れた。割り箸はサナギになる時、ぶら下がるため用である。 飼育箱に入れて4日目。白いキッチンペーパーが緑色に染まっているのに気づいた。これは「ガットパージ」といわれる体液の排泄で、サナギになる前の準備行動だ。身体の中に体液が残っていると、サナギの間に腐敗して死んでしまうこともあるため、全部出し切ってしまわないとならないのだ。 飼育箱の天井で動かなくなった幼虫くん。 ガットパージを終えると、幼虫くんは今まで見たこともないくらいのスピードで、箱の中を隅々まで動き回った。一体何を探しているのだろうと調べると、これはサナギで過ごす最適な場所を探す「ワンダリング」という行動らしい。幼虫くんは散々飼育箱の中を動き回ったあげく、私が用意した割り箸ではなく飼育箱の天井にぶら下がって、動きを止めた。そしてモヤモヤした糸をたくさん出し、さらに太い一本の糸で体を天井に結びつけ動かなくなった。 卵から孵化し、脱皮を繰り返して大きくなったのは、いわばDNAに組み込まれた変化だ。お母さんがちゃんと食草に生みつけてくれたおかげでもある。しかし、サナギの前のワンダリングには、各自の才覚が必要だ。適当なところでサナギになってしまえば、鳥に食べられてしまったり、雨風に吹かれて飛んでいってしまう。ワンダリング(wandering)とは英語で「さすらい」「放浪」「あてどのない旅」という意味だが、快適で安全な場所を求める幼虫くんのワンダリングは「積極的さすらい」であり、意思が感じられる。サナギから蝶になるには、大人になろうとするときにはワンダリングが必要なのだ。果たして私は、ちゃんとワンダリングしただろうかと、ふと思う。 サナギ時代 幼虫くんは、シマシマ模様のまま天井からぶら下がって、まる1日が過ぎた頃に、最後の脱皮を終えて薄茶色のパリッとした表皮のサナギに変身した。ついにサナギになったのだ。サナギはぶら下がったまま、まったく動きがない。時々死んでしまったのではないかと心配になる。サナギの内部では、蝶になるために大変な組み立て作業が行われているという。最初はドロドロに溶けた状態になって、空を飛ぶための頑丈な腹部の筋肉を作り、頭部、手足など成虫の体の部分ができていくそうだ。だから、サナギになった初めは動かしてはいけないと言われている。心配のあまり触りそうになったが、やめてよかった。今は静かに見守るのが正しいのだ。そういえば、子育てでもそんなときがあったかもしれない。それにしても全く生命とは不思議だ。知らないことばかりである。 羽化 サナギになって10日目。朝6時。飼育箱のなかには金色に輝く羽をゆっくり伸ばしたり閉じたりしているキアゲハがいた。生まれたばかりのキアゲハの目は濡れたように黒々としていた。頭部と腹部は柔らかな毛に覆われていたのは意外だった。全身が黄金色の光を放っていた。しばらく放心したような心持ちだった。 そうだ、この子はサナギになってから何も食べていない。何か食べさせてから大空に放ちたい。蝶になってからは花の蜜しか食べないので、薄い砂糖水とスイカを飼育箱に入れてみた。だが、スイカも砂糖水も口にしなかった。そして、飼育箱の中をバタバタ飛び回り始めた。空に放つ時間がきたようだ。 成虫のキアゲハは花の蜜を吸う。花の種類は特に選ばない。 玄関に出て飼育箱の蓋を取ると、あっという間もなく飛び出していった。大空へ、光さすほうへ。これから成虫としての旅が始まる。その旅が喜びに満ちた幸せな旅でありますように。パートナーを見つけ、新たな命をつなぐことができますように。私は、蝶の旅の無事をそっと祈った。 この夏、思いがけず蝶の命のサイクルを見守ることになったのは、ベジトラグでのハーブ栽培がきっかけだった。ベジトラグの高さは幼虫の観察にもちょうどいい高さだったのである。一夏のキアゲハ観察は、生き物を見つめる貴重な体験となり、地球の生物が生まれた時間の長さに想いを馳せ、地球上の全ての生物の命の大切さにも気づかせてくれた。こんな経験をぜひ小さな子どもにも、大人にもしてほしいと思う。そして、80を手前にする私だが、これからワンダリングしてみてもいいかもしれない、と思っている。
「お別れの花」人を想い、つなぐ花の物語
プリムラ リビングの出窓に置いた夫の遺影に、毎朝コーヒーと花を供えるのが習慣になった。その花は、たいてい家の小さな庭で咲かせている花々である。 香り高い百合だったり、美人な芍薬だったり、真夏は元気なひまわりだったりする。私の趣味で黄色いひまわりには、庭にやたらに繁茂するヤブガラシをぐるぐる巻きつけてみたりする。そのたびに写真の夫は、「オイオイ! そりゃ雑草だぞ」と微苦笑を浮かべているように見える。 庭に咲く花がなく、切り花も高い冬の時期、愛らしいピンクの「プリムラ」の小鉢を置いてみた。波打つピンクの花びらは、ロマンチックで可愛いものが大好きだった夫も気に入ってくれるだろう。 花を供えるときは、夫と会話しているような楽しい気分になる。 「お父さん、プリムラだよ。かわいいでしょ。もうすぐ春だよ」 「はい、朝のコーヒー。いつも通りお砂糖2杯入れたよ」 「この花1鉢250円。コスパがいいでしょ(笑)」 同居の娘はそんな私の様子を見て、「お父さんが生きてるときより甲斐甲斐しいよねぇ」と笑う。本当にその通りだと思う。生きてるときにやればよかった。もっといろいろしてあげればよかった。ごめんね。 ヤグルマギク volkova natalia/Shutterstock.com 亡くなった人に花を供えて悼むという習慣は、民族や宗教を超えて存在する。葬儀の際に供えられる花は、日本では一般的に白い菊が多いが、中国では白と黄色の菊だそうだ。キリスト教徒の場合は、故人の家に好きだった花を盛り込んだ小さなバスケットを送る習慣があるという。 イスラム教徒の場合はどうだろうか? かつて訪れたトルコのブルームスクは、壁面が、チューリップやカーネーションなどの花がデザイン化された、青と白のタイルで覆われていた。荘厳で静謐な空間は、壁面の花々のおかげか、どこか優しげな色を帯びていた。イスラム教徒の葬儀の子細はわからないが、墓地に花を供える習慣はあるようだ。 さて、歴史をひもとくと、古くはエジプトのツタンカーメン王の墓で、死者に供えた花が発見されている。発見者は、イギリスのハワード・カーター。15年にも及ぶ長い発掘作業の後に、カーターは、ようやくツタンカーメン王の眠る墓に到達した。3,300年の眠りを覚まされることになった少年王は、まばゆく輝く黄金のマスクで覆われ、その額には一束の枯れた花が置かれていた。カーターはそのときのことを、手記の中でこう振り返っている。 「横たわったこの少年王の額には、上・下エジプトを象徴する見事な象嵌(ぞうがん)の二つのシンボル――コブラとハゲタカ――があり、そして、おそらく、人間の素朴な感情をあらわすもっとも感動的なものは、このシンボルの周辺に、小さい花束が置かれてあったことだ。わたしたちは、この花束を、夫に先立たれた少女の王妃が、「二つの国」を代表した若々しい夫にささげた最後の贈り物と考えたい」 カーターの心を最も動かしたのは、黄金のマスクではなく、枯れた花束のほうだった。 エジプトの王家の墓には、ヤグルマギクをはじめ、スイレン、ヤナギ、オリーブ、野生のセロリなどが入れられていた。死者に花を手向ける習慣は、3,000年あまり前から存在していたようだ。 ノコギリソウ kukuruxa/Shutterstock.com では、最古の手向花(たむけばな)は、一体いつ頃? どんな花なのだろうか? 調べてみると、6万年前のイラク北部のシャニデール遺跡で、人骨とともに大量の花粉が発見されたという記事に遭遇した。人骨はネアンデルタール人。私たち現生人類とは異なる人種で、3万年以上前に絶滅したとされる。 発見された花粉を分析すると、ノコギリソウ、ヤグルマソウ、アザミ、マロウなど。花粉は遺体の胸元に集中して発見され、多くはハーブであることから、遺体の腐敗を遅らせ、よい香りで包む役割を担っていたと推測された。 彼らがどんな気持ちで花を供えたのか、私はわかるような気がする。亡くなった人にできることは、花を供えることくらいだろう。せめて美しい花を。香りのよい花を。 ところが、その後の研究の結果、これらの花粉はネズミが運んだものであるという説が有力になってきた。が、まだ結論は出ていない。 私としては、ネアンデルタール人説を推したい。ネアンデルタール人は遺跡に残された状況から、傷ついた人、老人などを丁寧にケアしていたことがうかがえる人々だったからである。 芽だし苗 ON-Photography/Shutterstock.com どうして人は、亡くなった人へ花を供えるのだろうか。 植物は長い進化の過程で、美しい色や甘い香り、花の奥深くに湛えた蜜によって、昆虫や鳥を呼び寄せ、受粉させ、種を結ばせ、また、季節がめぐれば芽を出し成長するというメカニズムを獲得した。それは命の再生システムと言い換えてもいいかもしれない。花は、その象徴的な存在だ。手向け花は、耐えがたい別れに、ひとかけらの希望を見いだす儀式なのかもしれない。 早春の森を散歩すると、老木のナラの周りでどんぐりのタネが小さな芽を伸ばしていた。しっかりと地中に根を伸ばし、青空を目指して双葉を開く姿は、かわいらしくも力強い。 命の終わりは、確かに絶望だけではないのだと思える。 スノードロップ Aleksey Sagitov/Shutterstock.com 今年は暖冬で、春の訪れが早い。庭の片隅に置かれた植木鉢の中から、スッと葉を伸ばしている植物に気づいた。日当たりのよいところに移動したら、ぐんぐん伸びて花を咲かせた。 スノードロップだった。先日珍しく降った雪の中で、しずくのような白い花を凛と咲かせていた。 「それはお父さんが植えたものだよ」と娘が花を見ながら言った。寝たり起きたりの日々のなか、買い物に行く娘に球根を頼んで、植えたのだという。 「お母さん、スノードロップの花言葉、知ってる?」 聞かれて花言葉の本のページをめくる。 スノードロップの花言葉は、「慰め」と「希望」。 夫から私へ、最後の贈り物だ。
アイリスの育て方 夢見るような花色&丈夫でコスパ最高の球根植物
多彩な花色が虹のように美しい「アイリス」の花言葉 Kylbabka, alfotokunst/Shutterstock.com 「アイリス」という名前は、ギリシャ神話の虹の神イリスに由来します(英名ではアイリス、仏名ではイリス)。ギリシャ神話では、イリスは虹を神格化した存在として七色に輝く衣をまとい、大きな翼を持つ美しい女神。天と地とを結ぶ使者です。アイリスの花言葉は「メッセージ」「吉報」「希望」などがあります。 MaCross-Photography/Shutterstock.com その花色は、青、紫、白、黄、ピンク…。一つの花の中にいくつもの色がグラデーション状ににじんでいる様は、まさに虹の女神の衣のよう。花弁の縁が彩られるバイカラーやドラマチックなダークカラーまで多彩。花弁の縁が、ひるがえったドレスの裾のようにヒラヒラと優雅なフリル状になっているのはジャーマンアイリスで、花形が大きく特に花色のバリエーションが豊富です。魅惑的な花色があふれるアイリスは画家ゴッホも心酔し、何枚もの作品を残しています。 青が印象的なアイリス。Daniella Danilejko/Shutterstock.com ゴッホが描いた「アイリス」1889年5月、油彩、ケディ・センター蔵 ゴッホはとりわけ紫と黄の補色対比に惹かれ、弟のテオへの手紙の中にもその色彩について伝えています。 一枚の方は、真黄色のきんぽうげが一面に咲いた野原で、紫の花に緑の葉の菖蒲のある溝、背景に町、数本の灰色のねこ柳、青空の帯。1961年 岩波文庫 ヴィンセント・ファン・ゴッホ著、ボンゲル編、硲伊之助訳『ゴッホの手紙(中)テオドル宛』より ブルーの花の中に1輪黄色のアイリスを交ぜて花瓶に。ゴッホは花瓶に飾ったアイリスの作品も残している。Daykiney/Shutterstock.com 魅惑的な黄色と紫とブラウンの入り交じるアイリス。Tootles, gardenia68/Shutterstock.com アイリスには、まさしくゴッホが惹かれた紫と黄の補色対比で構成されている花が多くあり、1輪でインパクトを残すユニークな花色も少なくありません。庭の中でもアイリスを用い、同様の色の組み合わせで花壇を構成する場合がしばしばあります。 紫のアイリスの周りを黄色の花のアルケミラモリスやヘメロカリスで彩った補色対比の花壇。英国ヒドコート・マナー・ガーデン。 シャープなラインと優雅な花形は庭での映えも抜群! 淡い紫色のシャクナゲの花を背景に咲くアイリス。縦のシャープな線が背景と対照的で美しさが際立つ。 アイリスはその花色だけではなく、すっきりと縦に伸びる剣状の姿も美しいのが特徴です。花が終わった後にも、細くシャープな葉はオーナメンタルグラスとして活躍してくれるでしょう。草丈は40〜70cmで、他の草花とも組み合わせやすい高さです。 青い縁取りの個性的なアイリスとアリウムの組み合わせ。John A. Anderson/Shutterstock.com バラの群生を背景に咲くダークパープルのアイリス。横浜イングリッシュガーデン。 アヤメ、カキツバタ、ハナショウブ アイリスは、アヤメ科アヤメ属(アイリス属)の多年草。学名はIris。原産地は北半球の温帯地域です。日本では「アヤメ」というと「アイリス・サンギニア」を指しますが、広くアヤメ属のカキツバタやハナショウブなども仲間です。 スラリとした粋な美人たちを「いずれ、アヤメかカキツバタ」と褒め称える言葉があります。どちらなのか、一見分かりにくいのですが、花弁の付け根の模様で見分けることができます。 Mariia Romanyk, F_studio, Natalia van D/Shutterstock.com 付け根が網目状のものが「アヤメ①」、白い筋が「カキツバタ②」、黄色い筋が「ハナショウブ③」。また生育環境の違いでも、大きく、陸生(アヤメ、ジャーマンアイリス、ダッチアイリス)、水生(カキツバタ)、半乾湿地生(ハナショウブ)に分けられます。 なお、5月5日端午の節句に飾られる「ショウブ」はアヤメ科ではなく、サトイモ科です。ややこしいですが、それだけ魅力があり、古くから多くの園芸種も作出されています。 「ほととぎす 鳴くやさつきの あやめぐさ あやめも知らぬ 恋もするかな」 古今集には、読み人知らず(作者不明)として、こんな和歌が詠まれています。恋をしてあやめぐさの模様のように、どうにもならない思いの乱れに悩んでいる、といった意味でしょうか。素敵ですね。 ジャーマンアイリスの育て方 アヤメ属の植物はいずれも、寒さにも暑さにも強く、丈夫で育てやすいです。その中でも陸生でガーデンに気軽に取り入れやすく、さまざまな園芸品種があり、多彩な花色を楽しめるジャーマンアイリスの育て方をご紹介します。 花期と植え付け時期 開花は5月半ばから7月半ば。五月晴れの蒼天の下、また梅雨の雨の日にも鮮やかな花を咲かせてくれます。草丈は40〜70cm。 ジャーマンアイリスの球根(塊状の根)は、春と秋の2回販売されます。植え付けは、3月と9月下旬が適期。 植え付け場所 ジャーマンアイリスは、日当たりと風通しがよくて、水のたまらない場所を好みます。酸性土を嫌うので、植え付け前に苦土石灰をまいておきましょう。また、腐葉土を入れておくと水はけがよくなって、根張りにいい影響を与えます。 ジャーマンアイリスは、何より土が過湿になることを嫌うので、20〜30cm土を高く盛って植え付けましょう。球根の間隔は40〜50cmあけます。球根の半分が土の上に出るように、芽を上に向けて、球根を土に軽く押しつけます。 鉢植えの場合は、24cmの素焼き鉢に1球を目安に植え付けます。植え付け後は、土が湿っていれば水やりは不要です。 球根が半分表面へ出るように、芽を上にして植える。 肥料 植え付け後1年間は肥料を与えません。肥料が多すぎると病気が発生する原因になります。2年目以降は、窒素分の少ない液肥を生育期間に3回ほど与えます。緩効性肥料を株間に与えてもいいでしょう。 病害虫 病気で注意するのは、株元が腐り、葉が枯死する軟腐病。株元に雑草が茂ると日当たりや風通しが悪く病気の発生原因になるので、清潔な環境を保つようにします。 増やし方 ジャーマンアイリスは植えっぱなしでよく増えるので、2〜3年に1度、株分けを兼ねて植え替えをします。株が元気になり、花付きもよくなります。 植え替え適期は9〜10月。清潔なナイフやハサミで、1つの株に芽が1〜3個付くように株元を切り分けます。分けた株は葉を半分くらい切り落とします。それぞれの株を、球根の背中が土から半分くらい出るように浅く植え付けてください。 Maya Kruchankova/Shutteestock.com 品種 ジャーマンアイリスは1800年代にドイツやフランスで品種改良が進み、現在ではアメリカでさまざまな品種が作り出されています。 ひらひらした透き通る花弁が魅力的で、色も多彩。アイリスは立ち上がる上弁、垂れ下がる下弁で構成されていて、上弁と下弁が違う色の複色種、また上弁と下弁が同じ色の単色種、花弁を異なる色で縁取る覆輪種などがあります。 春と秋に開花が楽しめる二期咲き種、甘い上品な香りを漂わせる芳香種などもあり、よりどりみどり、迷うほど豊富なラインアップの中から好みの花が選べます。 カキツバタ、ハナショウブの楽しみ方 pianoman555/Shutterstock.com カキツバタは水生植物ですから、根元が水の中にひたっていなければなりません。鉢に植えたカキツバタを水鉢に入れることで、簡単に育てることができます。メダカなどを飼っているビオトープに入れても楽しめます。 一方、ハナショウブは水生植物ではありません。乾燥しすぎないところであれば、どんな場所でも育てられます。ただし、つぼみを持ち開花する頃は十分な水やりが必要です。乾燥すると花がきれいに開かずしぼんでしまいます。鉢植えでは、鉢受けにたっぷり水を張っておきましょう。 5月下旬から6月にかけて、各地の「花菖蒲園」でハナショウブが開花を迎えます。 明治神宮御苑内の花菖蒲田(150種1,500本)、東京都葛飾区の堀切菖蒲園(200種1,500本)などが有名ですが、日本各地にもっと規模の大きい花菖蒲園があります。お住まいの近くの花菖蒲園に、ぜひおでかけになってください。ハナショウブの美しさと同時に、伝統的な日本庭園の趣も味わえることでしょう。
カナダでの植物散歩 〜羽生結弦選手の「オトナル 秋によせて」を見に行く〜
リンゴ 2019年の晩秋、私はカナダの「ケロウナ」という町に到着した。ケロウナで開催される、フィギュアスケートのグランプリシリーズの一つ、「スケートカナダ」を観戦するためである。 はるばると成田からバンクーバーで乗り換え、ケロウナまでやって来たのは、ちょっとした訳があった。それは、3月に行われたフィギュアスケート埼玉ワールド大会、男子フリープログラムを見終わった直後に、体調を崩して入院し、エキシビションを見逃してしまった自分へのリベンジだったのだ。 飛行機での長い旅程をためらう気持ちもあった。が、しかし、 「大丈夫、お母さん。もし、何かあったらカナダへ骨を拾いに行ってあげるよ。ついでに、観光してくるから、保険にはしっかり入っておいてね」 という娘の言葉に気が軽くなったのだ。 ケロウナ空港は、小さなみやげ物店が2つと、ドーナツやハンバーガーなどが食べられるカフェがある小規模な空港だった。飛行機の中より少しましなものが食べたかったが無理そうだ。「じゃあ、ホテルへ行こうか」と、連れと話しながら空港の観光案内所に向かった。 観光案内所では、年配の女性がいて、私たちのまずい英語を愛想よく聞いてくれ、置いてあったガイドブックも「どうぞ!」と勧めてくれた。そして、行こうとした私たちに、笑顔で2つのリンゴをさし出した。 それは、浅みどりに絵の具の赤でひとはけサッと彩られた小振りのリンゴだった。ピカピカと光っていて、ケロウナにやって来る観光客をせいいっぱい歓迎するようだった。 案内係の女性に感謝してタクシー乗り場に行くと秋の光が私たちにふりそそいだ。カナダの秋は、意外に暖かかった。 リンゴは、旧約聖書のアダムとイブの物語に登場する果実である。神の創りたもうた最初の人間であるアダムとイブは、エデンの園という楽園で、働くことなく楽しく暮らしていた。この楽園には、決して食べてはいけない「知恵の木の実」があり、それがリンゴであった。誘惑に負けたアダムは、ついにリンゴを食べてしまい、2人は楽園を追われる。 「決して食べてはいけない。」などと言われれば、食べてしまうのが人間である。神様も罪深い。それだけリンゴが、魅力的な果実であるということだ。 「リンゴが赤くなれば、医者が青くなる」ということわざもあるくらい、リンゴは栄養たっぷりな果実だ。体はもちろん、心にもその栄養は届く。 私の夫は山形の出身で、実家ではリンゴを栽培していた。小さい頃、真っ赤なリンゴを枕元に置いて寝るのが習慣だった。そして朝、目覚めてリンゴを見た時、「これは、ぼくが寝ている間に、誰かがぼくにプレゼントしてくれたものだ。誰かがぼくを見守っていてくれるんだ。」と思い込もうとしていたという。 両親の不和に悩んでいた小さな子どもだった夫は、こうして自分の心を守ったと、しみじみ語った。 それから、50代になって長野に畑を借りた時、夫はリンゴの木を植えた。5月初めに、リンゴの淡いピンク色のつぼみがふくらみ、やがて満開になる様子は、夢のように美しかった。 花が散った後、リンゴは小さな実をつけた。日ごとに暖かくなっていく陽光と心地よい風に守られて、実はゆっくりゆっくり大きくなっていった。リンゴの実の成長は、小さな子どもが考え込んだり、また急に走り出したりする、愛らしいしぐさを思い起こさせるものだった。 そんな風景を見守るうちに、「幸せは、丸い形をしている」という想いが、自然と私のなかに湧き上がってきた。柿を見ても、桃を見ても想わなかった。リンゴが教えてくれたことだった。 案内係の女性にもらったリンゴは、その晩寝る前にいただいた。サクッとした歯ごたえの後に広がる甘さと酸っぱさの調和が、おいしかった。古風なリンゴの味わいだった。 羽生結弦選手 羽生結弦選手といえば、冬期オリンピック2連覇のフィギュアスケート選手として、よく知られた存在である。 私が初めて実際に、羽生選手の姿を見たのは、2017年のフィンランドワールド大会の公式練習の場だった。黒い練習着に身を包んだ羽生選手は、すらりとしているが、意外に大きく、強く、たくましく、そしてしなやか、だった。細く儚く美しいという、フィギュアスケート好きの友達から聞かされていた、羽生選手のイメージとは、ずいぶん違っていた。その姿は、かつて見た名古屋城に展示されていた日本刀を思い起こさせるものだった。強く反った刀身に現れる波紋はドキドキする美しさがある。羽生選手の美しさは、まさに日本刀にも比肩できるほどの強く鋭いものだった。 ケロウナの公式練習に現れた羽生選手は、リラックスした様子で、自在にリンクの上を滑り、ジャンプを跳び、優雅に四方に挨拶してから、引き上げて行った。練習終わりに見せる、クールダウンという、ゆったり体をしならせる動きは、格別美しかった。ピョンチャンオリンピック以降の時間が、羽生選手にゆとりと成熟をもたらしているのが感じられた。 公式練習の時間は、30分あまり。ショートプログラム2分半、フリープログラム4分の試合の時間より、はるかに長い。この時間ずっと好きな選手を見られるのは、至福のひととき。観戦に来たものの特権である。 ファンファーレが鳴ると、試合が始まる。ちょっと競馬に似ている。6分間練習で、リンクに入った選手が紹介される様子は、ゲートインした馬を想像させる。選手はキラキラしたきれいなペガサス。翼を持つ奔馬だ。 私の注目は、羽生選手のショートプログラム「オトナル 秋によせて」。 衣装は、明るい水色のグラデーションが、柔らかくななめにひだをたたむ上衣と黒いズボン。上衣には輝く無数のライトストーンが縫い付けられている。それは、晩秋の朝、舞い降りた霜の結晶が、陽をうけてきらめいているさまを思わせる。 羽生選手は、リンクの中央で、始まりのポーズをとる。右手を体の横に差し出し、顔も差し出した手の方を向く。低いピアノの音で演技が始まる。最初は、アルバムのページをめくるしぐさ。このプログラムは、ノスタルジックな音楽にのせて、家族の思い出アルバムを紐解く、というイメージで構成されている。 4回転2つを含む、3つの華麗なジャンプ。水のしたたりを思わせるピアノの音に合わせたスピン。最後の見せ場はステップシークエンス。リンクの端で溜めをつくると、両手を前に差し出し、リンクの中央に向かって、走り出していく。「さあ、僕についておいで!」と言わんばかりに、野山を縦横に駆け巡るような、ステップシークエンス。羽生選手の滑りとともに、疲れも恐れも知らない、万能感に満ちた幸せな子ども時代が立ち現れる。観客も、その空気に呼応して、歓声を挙げ、拍手する。リンク全体が一つになる瞬間。 プログラムは、羽生選手がアルバムを閉じて、顔を未来に向けるポーズで終わる。そこへ、花とぬいぐるみのプーが、雨のように降り注ぐ。 試合は、羽生選手の優勝をはじめとして、日本から出場した田中刑事選手、紀平梨花選手がそれぞれ3位、2位を獲得し、表彰台に立った。 日本人選手は、もちろん、全選手が力を出し尽くした。すべての試合がくっきりと鮮やかな色彩を持っていた。 日本から試合を見に行った人、カナダの人、その他の国から来た人、観客達は、選手が繰り出す信じられないような演技の数々に、惜しみない拍手を送った。選手との一体感が感じられる特別な時間。人生の中で、このような瞬間を味合わせてくれた選手たちに、心からの感謝を捧げたいと思う。 街路樹・黄葉する木々 「スケートカナダ」が開催された町、「ケロウナ」は、カナダの東に位置する大都市バンクーバーから飛行機で1時間弱の静かな町。オカナガン湖に沿って広がる風光明媚な町は、カナダの人々が晩年を過ごしたいと願う、理想の郷だそうだ。 ホテル前の歩道の外側は、2mくらいの幅のよく手入れされた芝生のグリーンベルト。そこに、さまざまな種類の街路樹が植えられている。 カナダの国旗にあるカエデ、プラタナス、マロニエ、巨大なトウヒ、名前がわからないが金色の羽のような繊細な葉がしだれている木など。常緑樹のトウヒ以外は、見事に紅葉、黄葉していた。 マロニエ(日本ではトチノキ、英語圏ではコンカーというそうだ)は、栗の実そっくりの実を芝生に落としていた。イガがないので栗ではないと分かったが、しかし、本当に美味しそうにつやつやと光っていた。残念ながら、マロニエの実は、何度も水にさらさなければ食べられない。日本では橡餅(とちもち)として食べている所もあるようだが、私はまだ食べたことがない。 マロニエの葉は黄葉しているが、まだ緑色の葉も多く残っていた。それらの葉の間から午後の太陽がさして、マロニエは街路樹の王者のような威厳をまとっていた。 見上げれば、首が痛くなるほどの高木のトウヒ。日本では東北の高山でしか見られない木だ。薄茶色の細長い松ぼっくりのような実を芝生の上に落としていた。 タクシーで住宅街を通った時、金色の羽のような形をした葉が枝垂れている木が、道路の両側に植えられているところがあった。そこはまるで金色の雨が降り注いでいるよう。日本に帰ってから調べてみると、どうやらサイカチの類であることが分かった。周りに建てられている平屋建ての小さな家々は、それぞれの窓が可愛く飾られ、晩年を慈しみ暮らす人々の様子がうかがえた。タクシーを降りて、ゆっくり歩きたい気分になった。 幸運にも、そこを散歩してきた知人の話を聞くことができた。それによると、もう人が住まなくなってしまった家の庭に、ブドウの木があったそうだ。主のいなくなった庭で、ブドウはたわわに実っていた。「こんなに大きなブドウの房があったのよ」と知人は、両手の指で大きくその形を描いた。 ケロウナは、美味しいブドウの産地で、ワイナリーもたくさんある。しかし、ほとんどのワインは、カナダで消費され、外国に輸出されることはないそうである。 雑草はどこ? さて、カナダの旅で見たかったものの一つが、雑草である。カナダの雑草にはどんなものがあるのか。好奇心いっぱいで、あちこち目を凝らしたが、見つからなかった。 オカナガン湖に向かう道の両側は、よく手入れされた芝生が広がっていたが、秋だったせいか、雑草らしき植物は生えていなかった。芝生の上には、赤や黄色の落ち葉がちらばり、鴨と思われる水鳥のフンがころがっているばかりであった。 ホテルの植え込みの中には、バラ、菊、アルケミラモリス、ラベンダーなどがあった。そして、なぜかススキがあった。ススキの原産地は東南アジアである。風になびく白い穂が愛されて、園芸種として取り入れられたのであろうか。 でも、繁殖力も強いので、街路樹のグリーンベルトがススキだらけになる恐れがある。北米から園芸種としてやってきたセイタカアワダチソウが、あっという間に日本の河原に進出したことを思い出すべきである。河原に進出したセイタカアワダチソウは、それまで河原に自生していたススキを追い払うまでになってしまったのだ。 カナダでは、ススキがセイタカアワダチソウを駆逐するかもしれない。ここケロウナの町では、セイタカアワダチソウの姿を見なかった。 昼間は暖かく穏やかな天気だが、夜はぐっと気温が下がるカナダ。この天候が、鮮やか紅葉、黄葉を生みだす。スケート会場も、オカナガン湖畔も、街路樹も、黄金色だった。この風景とともに、「秋によせて」の演技の記憶は、私の心に深く刻まれ、残っていくだろう。