いまい・ひではる/開花に合わせて全国各地を飛び回り、バラが最も美しい姿に咲くときを素直にとらえて表現。庭園撮影、クレマチス、クリスマスローズ撮影など園芸雑誌を中心に活躍。主婦の友社から毎年発売する『ガーデンローズカレンダー』も好評。
今井秀治 -バラ写真家-

いまい・ひではる/開花に合わせて全国各地を飛び回り、バラが最も美しい姿に咲くときを素直にとらえて表現。庭園撮影、クレマチス、クリスマスローズ撮影など園芸雑誌を中心に活躍。主婦の友社から毎年発売する『ガーデンローズカレンダー』も好評。
今井秀治 -バラ写真家-の記事
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ガーデン
宿根草とグラスの美しいハーモニーで話題のガーデン「服部牧場」を訪ねる
初夏の服部牧場を訪ねて 左から時計回りに、クナウティア、ルドベキア・ゴールドスターム(黄花)、アスチルベ、ヘメロカリス・クリムゾンパイレーツ(中央赤花)、銅葉のニューサイラン、クナウティア・マケドニカ(赤い小花)、スティパ・テヌイッシマ、ヤブカンゾウ(ニューサイラン手前のオレンジの花)、バーベナ・ボナリエンシス(淡紫の背の高い植物)。 ガーデンストーリーで服部牧場をご紹介した最初の記事は、2020年1月に公開しました(前回記事はこちら)。ついこの間くらいに思っていたら、もう3年半の月日が経っていました。前回は、晩秋から初冬のグラスや宿根草の枯れ姿が中心でしたが、今回は今年2023年6月後半に訪ねた、さまざまな花が生き生きと咲き乱れる彩り美しい服部牧場のご紹介です。 左から、ヘメロカリス・ベラルゴシ(赤花)、アキレア(白)、ベルケア・パープレア(淡いピンクの花)、ダリア・サックルピコ(ヘメロカリス上のオレンジ)が左ボーダーの彩りに。小道奥で黄色く輝く葉は、ニセアカシアフリーシア、その左で丈高く茂るのはバーノニア。右手前では、バーベナ・ボナリエンシスが咲き、奥の銅葉のニューサイランの手前で、赤花のポンポン咲きダリア・サックルバーミリオンがアクセントに。 グラスがいい仕事をするガーデン 左下から時計回りに、スティパ・テヌイッシマ、フクシア・マジェラニカ(赤花で吊り下がった形状)、銅葉のニューサイラン、アメリカテマリシモツケ‘サマーワイン’(銅葉の木)、ホルディウム・ジュバタム(中央の生成り色のグラス)、ルドベキア・マキシマ(右上背の高い黄花)、フロックス‘レッドライディングフット’(赤ピンク花)、ヘメロカリス(桃色花)。 思い起こせば、3年前の僕は“グラスを多用したガーデン”こそが新しいガーデンの形だと信じ、夕陽に輝くグラスやシードヘッドの写真ばかり追い求めていました。グラスが多数植栽されているこのガーデンにも、何回も足を運んだものです。 左下から時計回りに、バーベナ・ボナリエンシス、バーベナ‘バンプトン’(ボナリエンシスの株元のこんもり姿)、ダリア‘サックルブリリアントオレンジ’(ポンポンダリア)、ダリア‘サックルコーラル’(隣のポンポンダリアの赤)、スティパ・テヌイッシマ、アガスターシェ・ルゴサ・アルビフローラ(スティパの上に写る縦長の花穂)、フロックス‘ブライトアイズ’(ピンク)、ミソハギ(ピンクのフロックスの後ろに写る縦の紫色の花穂)、クロコスミア‘ルシファー’(ミソハギの後ろ)、カライトソウ(中央ピンクの垂れ下がる花穂)、アメリカテマリシモツケ‘ディアボロ’(右上端の銅葉の木)、フロックス‘ブルーパラダイス’(右側中段の横に広がる紫の花)。手前で2本の花穂が上がるアカンサス・スピノサス‘レディムーア’がこのコーナーを印象付けている。 秋から冬にかけてこのガーデンを訪れた際は、グラスの美しいシーンをカメラに収めることで満足していましたが、やがて季節が変わり、春から夏になると、グラス類に代わって宿根草たちがガーデンの主役になっていました。 左/上から、アリウム‘サマードラマー’、ダリア‘ミズノアール’、ユーパトリウム・アトロプルプレウム(右上)、ベロニカストラム‘ダイアナ’(白のとんがった花)、グラジオラス‘バックスター’、アスチルベ・プルプランツェ(右端のピンク花)、メリカ・キリアタ(手前下のグラス)。右/ベロニカストラム‘ダイアナ’、ユーパトリウム・アトロプルプレウム(左上)、奥の彩りは、ヘリオプシス‘サマーナイツ’(黄色)とダリア‘熱唱’(赤花)。 宿根草が生き生きと育つそのそばには、グラス類が存在しています。代わる代わる咲く宿根草の花々は、それを引き立てる名脇役のグラスが組み合わされているからこそ美しいのだと、改めてこの庭に気付かせてもらったように思います。 カメラマンを唸らせる美しいガーデン 左下から時計回りに、アガスターシェ・ルゴサ・アルビフローラ(縦の花穂)、バーベナ・ハスタータ‘ピンクスパイヤー’、フロックス‘ブライトアイズ’(ピンク)、ダリア‘サックル・ルビー’(赤いポンポンダリア)、ミソハギ(サイロの屋根の下に写る縦の紫の花)、クロコスミア‘ルシファー’、カライトソウ(中央ピンクの垂れ下がる花穂)、ヘリオプシス‘サマーナイツ’(カライトソウの後方右に写る黄花)、アリウム‘サマードラマー’、ダリア‘ティトキポイント’(いろんなダリアが重なって写っているが、一重のピンクで中央がオレンジっぽいダリア)、オレガノ‘ヘレンハウゼン’(カライトソウの手前右)、バーベナ‘バンプトン’(カライトソウ左下のふんわり姿)、カラミンサ(オレガノの手前)、ミューレンベルギア・カピラリス(手前右角に写るグラス)。 この多くの宿根草やグラス類をナチュラルに組み合わせて美しいシーンを作り、いくつも僕に見せてくれるのは、“寝ても覚めてもガーデンと植物のことが気になってしまう”服部牧場のガーデナー、平栗智子さん。僕のガーデンフォトの最良のパートナーだと、いつも感謝しています。 上左/ヘメロカリス‘ブラックアローヘッド’ 上中/下からダリア‘冬の星座’、ユーパトリウム‘アイボリータワー’、アリウム‘サマードラマー’、バーノニア 上右/エキナセア‘ミルクシェイク’ 下左/モナルダ・プンクタータ 下中/ベルケア・パープレア 下右/カライトソウとフロックス‘クレオパトラ’。 ここでご覧いただいている写真は6月の服部牧場で、伸び伸びと育った大型の植物をふんだんに使う“平栗智子流のガーデンデザイン”による、生命感溢れるシーンばかり。夕方の沈みかけた綺麗な光で、思う存分撮影してきた大満足の写真満載です。 左下から奥の順に、エキナセア‘ピンクパッション’、トリトマ‘アイスクイーン’、スタキス、アスター‘アンレイズ’(緑色のこんもり姿)、パニカム‘ブルーダークネス’(アンレイズ左のグラス)、チダケサシ(アンレイズの後ろの淡いピンクの花穂)。右側、斑入りのフロックス‘ノーラレイ’とエキナセア、株元の丸葉は、ヒマラヤユキノシタ。 そして、各写真に添えられた解説は、平栗さんがこの写真を見ながら丁寧に品種名を書き出してくれたものです。この景色を作る鍵となる宿根草の具体的な品種名の数々は、ガーデンラバーズさんにとって最良のテキストになると思います。この記事で服部牧場の魅力の秘密が伝わることを期待しています。
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公共ガーデン
カメラマンが訪ねた感動の花の庭。「東京競馬場」のナチュラリスティックガーデン
今、最も関心のあるガーデンデザイン 長い花壇の一番西側、コニファーを背に、右半分は日陰、左半分は逆光という環境下で、ミューレンベルギア・カピラリスとアマランサスが全く違う表情を見せる。 2019年1月に横浜でPiet Oudolf氏の映画「Five Seasons」を鑑賞して以来、僕にとってナチュラリスティックガーデンが一番興味のあるガーデンの形になりました。映画を見る前にも、長野県須坂市の園芸店「ガーデン・ソイル」の田口勇さんにPiet Oudolfの本を見せてもらい、それまで全然知らなかった美しい世界があることを知りました。それからは、北海道の大森ガーデンや上野ファーム、十勝千年の森などでグラス類と宿根草のガーデンを撮りまくり、秋には山梨・清里のポール・スミザーさんが手がけた「萌木の村」で紅葉したグラスと宿根草のシードヘッドを夢中で撮ったりしていました。ただ、その時はまだはっきりした「ナチュラリスティック」という認識はなく、今までの花中心のガーデンから新しい形のものが生まれてきたんだろうというくらいにしか思っていませんでした。 皆が関心を寄せる「ナチュラリスティック」 手前で黄色く紅葉する株は、アムソニア・フブリヒティ。花期は短いが株の姿を楽しむ植物。隣のミューレンベルギアの後ろは羽衣フジバカマで、晩秋に寒暖差が大きくなるとこげ茶色に変化し、ガーデンのアクセントになる。羽衣フジバカマの後方の白い穂はミスカンサス‘モーニングライト’。さらに後方のルドベキア・マキシマは、縦の白い線がアクセントになっている。 「Five Seasons」を観て以降、「ナチュラリスティック」という概念を意識しだすと、SNSのあちこちで自然志向、消毒をしないバラ、化学肥料を使わない庭の話などが目につくようになりました。Facebookでは平工詠子さんのグラスを多用した美しい庭の写真を見せていただき、知り合いのガーデナー、さつきさんのFacebookで服部牧場を見たときには、今最も撮影したいテーマはこれだ! と確信しました。 綺麗な光に浮かび上がる庭をベストなタイミングで撮りたい このエリアには、ミューレンベルギア・カピラリスをはじめ、センニチコウ‘ファイヤーワークス’、アマランサスのスムースベルベットや黒葉のミレット、小型のグラスのペニセタム‘JSジョメニク’、ルドベキア・マキシマなどが茂っている。線路手前のグリーンは、ユーフォルビア・ウルフェニー。 いつも言っていることですが、僕が撮影のときに一番に思うのは「綺麗な光で撮る」ことで、その意味でも「ナチュラリスティックガーデン」の撮影は、まさに僕にぴったりのテーマ。朝日や夕日に浮かび上がるグラスや宿根草の花壇を撮影しているときは、まさに至福の時間です そして2022年10月上旬に、以前僕に服部牧場を教えてくれたガーデナー、さつきさんのFacebookに登場していたのが、今回ご紹介する「東京競馬場」でした。この東京競馬場の庭の手入れに、服部牧場の平栗智子さんが行っていることは知っていましたが、頭の中で競馬場とグラスの庭がうまく結び付かなかったことから、さつきさんにそうコメントすると「今井さん、本当に綺麗ですからぜひ行ってください」と返信がありました。 花壇の中央付近に立ち、レンズを西に向けた完全に逆光の写真。こげ茶色の葉を持ち、コーン状の実が立ち上がるミレットと、穂を立ち上げるペニセタム‘レッドボタン’、さらに後ろのミューレンベルギア・カピラリスが西日を受けて輝く。 その1週間後に秋の服部牧場へ撮影に行くと、今度は平栗さんが「東京競馬場、今が一番綺麗だから、今井さんに撮ってほしいと思っていたんですよ」と。平栗さんが競馬場の手入れに行く日程まで教えてくれたので、2人のガーデナーさんがそこまですすめてくれるならばと、天気のよい日の午後に伺う約束をしました。 美しく捉えるにはどうするか、しばし悩む 「この写真、まるで花火大会の最後の乱れ打ちのよう」と植栽を担当した平栗智子さん。確かに賑やかで楽しい景色だ。 撮影日となった2022年11月18日は、夕方までずっと晴れの予報。グラスの撮影には最適の天候でした。競馬場の入り口に迎えにきてくれた平栗さんが運転するモスグリーンのしゃれた車に先導してもらい、場内を走ってトンネルを抜け、内馬場(コースの内側)に到着。すると、そこは広い芝生のエリアで、子どもたちのためのいろいろな遊具が並んでいました。その外側には、子ども用のミニ新幹線のレールが敷いてあり、競走馬が走るコースとの間が、グラスと宿根草の花壇になっていました。 まだ少し日差しが強いので、花壇の周りを下見しながら「これは大変だ」というのが第一印象でした。なぜなら、写真を撮影するときに、プロカメラマンとアマチュアカメラマンとの一番の違いは、写真の中に無駄なものが写り込んでいるか、いないか。プロのカメラマンは、シャッターを切る前にファインダーの隅々まで見て余計なものが入っていないことを確認し、初めてシャッターを切るものです。 日が沈むまでたった15分の撮影に挑む この写真も花壇中ほどからレンズを西へ向けたカット。プレーリーブルース(中央の大きな白い穂)から後方のミューレンベルギアまで続くグラスが美しく、特に赤いアマランサスがよいコントラストを見せている。 ところが、目の前には緑の芝生にピンクに染まったミューレンベルギアと真っ赤なアマランサス。これだけなら言うことのない景観ですが、その後ろには馬場のコースを縁取る白い柵があり、手前にはコンクリートで舗装された帯の上を線路が通っています。これらの構造物を全部入れずに構図を決めるのは不可能だし、2人が口を揃えて言うように、グラス類は本当に綺麗です。 コニファーによる日陰のグリーンバックで、植物の美しさが際立つ1枚。 太陽がだんだん低くなってくるなか、「どこをどう撮ればいいのだろう」「気になる構造物が少しでも入らないアングルは?」と気持ちは焦るばかりで、一向に撮影が始められませんでした。そして、あっちへ行ったり、線路に降りたりしながらアングルを探しているときに気がついたのです、「線路をガーデンの園路に見立てればいい」のだと。夕日に輝くグラスの花壇と線路をファインダーの中に収めてみると、金色に輝くグラス類が圧倒的に綺麗で、線路すら気にならないと思いました。 ガーデンの一番東側のエリア。何株も植えられているミューレンベルギア・カピラリスが、沈む夕日の最後の光を受けて赤く輝き幻想的だ。 「夕陽に輝くグラス類を綺麗に撮る」「線路などの構造物は、なるべくグラス類の邪魔にならないように入れる」と決めて、そこから日が暮れるまでのわずか15分ほどでしょうか、沈みそうな夕日の位置を確認しながら、長い花壇の周りをあちらに行ったりこちらに来たり。夢中でシャッターを切って、気が付けば夕日は西側の高い木々の向こうに消えていました。
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ガーデン&ショップ
咲き乱れる花々に癒やされる滋賀県「English Garden ローザンベリー多和田」
日本とは思えない美しい花々が咲く庭 僕が初めて「ローザンベリー多和田」の名前を聞いたのは、2015年の春のことでした。知り合いのガーデナーさんから「ローザンベリー多和田が綺麗らしいけれど、知ってる?」と聞かれたり、バラのシーズンになるとSNSでは関西の友人たちが入れ替わり立ち替わり毎日のように綺麗な庭の写真を投稿していました。 それらを見ていて、1枚の写真に引き込まれました。それは立派なレンガの柱と重厚なアイアンのゲートが写っている写真です。本当にイギリスで見たガーデンのようで、僕もこのゲートの前に立ってカメラを構えてみたいという思いが湧き上がってきました。そしてすぐにFacebookで既に友達になっていたこの庭のガーデナーである西居秀明さん、通称「ヒデさん」に連絡をして、「来年は一番きれいなときに必ず伺います」と約束をしました。 写真家としての一面もあるヒデさんとの出会い その日からちょうど1年が経った2016年6月3日。岐阜県可児市の「花フェスタ記念公園」での早朝のバラの撮影を終えたあと、滋賀県米原市の「ローザンベリー多和田」に向かいました。撮影は夕方からと決めていたので、高速道路は使わずにゆっくりと下道で、雲一つない爽やかな空気の中、美しい景色を眺めながら2時間弱のドライブを楽しみ、「ローザンベリー多和田」の駐車場に到着。 すぐにヒデさんに電話すると「お待ちしておりました。すぐに伺いますから少しお待ちください」とイメージ通りの明るい関西の訛り声が聞こえて、1分もしないうちに、ハンチングに革のベストをバシッときめたヒデさんが登場しました。 まだヒデさんを知る前でしたが、フォトコンテストの審査もさせていただいたことがあります。その中で、アマチュアの中に一人だけプロのカメラマンがいると思うほど際立っていた写真があったのを記憶しています。もちろん、優秀賞に選ばせていただきました。それがヒデさんでした。写真関係のお仕事をしていたというだけあって、とても印象的な写真でした。 さらにその数年後、雑誌『花ぐらし』の誌面づくりの時のことです。バラとクレマチスを取り上げる企画で京都のナーセリー「松尾園芸」に伺った際、「どこかバラとクレマチスをうまく使ったお庭があったら紹介してください」とお願いしたところ、滋賀県の米原にある庭をご紹介いただきました。バラもクレマチスも完璧で、さらに写真もうまい人がいますとのこと。 その方が投稿するブログを見せていただくと、僕から見ても完璧すぎるというのが第一印象でした。普段は自分と似たような年齢の女性と気楽な仕事ばかりをしていたものですから、こんな“完璧な男性”に会うのは気が引けたというのが正直なところでしょうか。こうしてヒデさんとの初対面の機会を逃してしまったのでした。あのとき思い切ってヒデさんと会っていれば、その後「バラとクレマチス」の企画で何回もご一緒に仕事をさせていただいていたかもしれないと思うと、ちょっと残念な気がします。 イギリスの田舎道を思わせる初感覚の庭 そのヒデさんに案内をお願いして園内に入ると、いきなり目の前に、会いたかった古いレンガの門柱が現れました。そしてゲートを潜るとナチュラルに野草を思わせる植物が集まる植栽エリアがあり、奥には古いレンガの大きなパーゴラにバラが満開! その奥の階段を降りると、カシワバアジサイの群落に遭遇したり、レンガの塀を過ぎると時代を経たように見える板塀に野バラが絡んでいたり……。 こんなにイギリスの田舎道を歩いているような気分にさせてくれるガーデンは初めてだなぁと思いながら、夕方の光になるのを待ちました。撮影後は、ガーデンのオーナーである大澤惠理子さんにもお会いして、正にイギリス風な美味しいお茶とお菓子をご馳走になりながらガーデンの話に花が咲きました。「きっとここには、何度もカメラを担いで伺うことになるだろうな~」という予感がするほど充実した時を過ごしました。 2016年以降は、毎年のように、春にはパンジー&ビオラフェアーやクリスマスローズの撮影を、バラの最盛期には撮影だけでなく写真講座もさせていただいたりしています。 ガーデンストーリーで紹介したいと撮影 今年2022年の撮影は5月28日。「ローザンベリー多和田」のガーデナーたちの愛情がこもった、素晴らしく綺麗なこのローズガーデンをガーデンストーリーに紹介したいと思い、去年からしっかりと撮影してきました。最高の写真を撮影するために、5月に入ってから何度も連絡をしてベストなタイミングを探りました。 そのお陰で、バラのコンディションも素晴らしく、天気も予報通り晴天に恵まれ、気分も上々! 足しげく通った“勝手知ったるローザンベリー”で、これ以上ない夕方の光に浮かび上がるガーデンを思う存分楽しんで撮影ができました。それぞれの写真に添えたコメントも併せて、ガーデン写真を堪能していただけたら嬉しいです。
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ストーリー
ナポレオンと敵対者たちにまつわるバラの物語【花の女王バラを紐解く】
ナポレオンの光と闇 英雄ナポレオン。栄進を続け、皇帝にまで昇り詰めながら、やがて敗北し孤島に流され、そこで生涯を閉じました。栄光、挫折と零落、あまりにも英雄的な一生でした。 そんな彼に、多くの有能な軍人や政治家たちが心酔し、ときに命を捧げました。しかし、そんなナポレオンにも、まれに敗北もあり、部下を裏切るという“負”の面もありました。今回は、そんな裏から見たナポレオンを追ってみましょう。 英雄ナポレオン・ボナパルトの登場 ‘若き日のナポレオン(第一執政時代)’Painting/Baron Antoine-Jean Gros [Public Domain via Wikimedia Commons] 革命勃発後、共和派と王党派が争いを繰り返し、混乱が続くフランス。 1795年、パリで勃発した王党派の武装蜂起に対し、共和派である国民公会軍副司令官であったナポレオンは、配下の砲兵隊を動員し、人員殺傷力の高い、ぶどう弾を市街地で発砲するという大胆な戦法をとりました。こうして圧倒的な戦力差により、王党派はあっという間に殲滅されてしまいました。今日的な描写をするならば、バリケードを築いて気勢をあげる蜂起軍に対し、戦車を出して砲撃するといったイメージです。 ナポレオンはこの戦功により師団陸将に昇進しました。これが英雄ナポレオンの登場です。 ナポレオンにちなんだバラとして最も有名なのは、‘シャポー・ド・ナポレオン(Chapeau de Napoléon)’でしょう。 シャポー・ド・ナポレオン(Chapeau de Napoléon) Photo/今井秀治 つぼみを覆う萼片の部分に羽毛のような苔(モス)状の突起が生じ、そのため、つぼみ全体がナポレオンの愛用した帽子に似た形となることから、シャポー・ド・ナポレオン(“ナポレンの帽子”)という名前で親しまれています。 モスの1品種として紹介されることが多いのですが、つぼみ以外にはモスは生じませんので、ケンティフォリアとされるのが本来のクラス分けかと思われます。コモン・モスの枝変わり種であるというのが大方の研究者の見解です。 実際に目にできる機会はほとんどありませんが、その他にも、1800年頃オランダから出回り始めた育種者不明のピンクのガリカ‘ナポレオン’や、1834年にフランスのラッフェイが育種・公表したピンクのチャイナローズの‘ナポレオン’などが知られています。なお、1800年頃は、ナポレオン自身、世間に知られた軍人ではありませんでしたので、ガリカの‘ナポレオン’は本来別名であったものを、彼が世間で知られるようになった後に改名して再発売されたものだと思われます。 さて、ナポレオン自身の話に戻りましょう。連戦連勝の快進撃は続きます。 1796~7年、イタリア遠征~オーストリア、ウィーンを包囲し勝利。 1798年、エジプト遠征、ピラミッドの戦いで勝利。 ナポレオンはピラミッドの前に集結した兵を前にして、「兵士諸君! ピラミッドの上から40の世紀に渡る歴史が諸君を見つめている…」と訓示したと伝えられています。 ‘ピラミッド前の戦い’Painting/François Louis Joseph Watteau [Public Domain via. Wikimedia Commons] 兵士を見捨てたナポレオン ピラミッドの戦いで劇的な勝利をおさめたナポレオンでしたが、その10日後、ホレーショ率いるイギリス艦隊とフランス艦隊との間で行われたナイル海戦において、ホレーショの奇抜な戦法にフランス艦隊は虚を突かれ、大敗します。この敗北により、フランスは地中海における制海権を失い、エジプト遠征軍は兵站を断たれました。ナポレオンは兵站と退路を断たれ、窮地に陥りました。 翌1799年、ナポレオンは側近のみを連れてひそかにエジプトを脱出、帰国してしまいます。兵卒を見捨てたにもかかわらず、ピラミッド前の戦勝により手に入れたたくましいアラブ馬、数十頭を同道することは忘れなかったとの悪評を残しました。 フランスへ帰国したナポレオンは、同年、ブリュメールのクーデターを起こし総裁政府の実権を握って第一統領となり、のちに皇帝に即位するという階段を駆け昇ってゆくことになります。 ナポレオンの帰国後、遠征軍の指揮を任されたのが次将、ジャン・B・クレベール(Jean Baptiste Kleber:1753-1800)でした。 Painting/Adèle de Kercado [Public Domain via. Wikimedia Commons]) 1万5,000名を超える兵卒とともに残されたクレベールは、フランス軍司令官として兵とともにエジプトに駐留し続けましたが、1800年、カイロで回教徒の刺客に襲われ死亡しました。司令官を失い孤立したフランス軍は翌1801年、オスマントルコ・英国連合軍に降伏しました。 逃げ帰ったナポレオンは議会を制して統領となり、政権の頂点にあったことにはすでに触れました。次第に権力への野望を露にするナポレオンに対し、革命の精神を継承する純然たる共和主義者たちは、共和軍司令官であったクレベールを共和制のシンボルとして称えたのでした。 その政治的な影響力を恐れたナポレオンは、帰国したクレベールの遺体の上陸を許さず、マルセイユ沖の牢獄島に留め置く命令を発したほどでした。 その後、クレベールの遺骸は曲折を経て、彼の故郷であるストラブ―ルに移され埋葬されました。 クレベールにちなんで命名されたモスローズがあります。 ジェネラル・クレベール(General Kleber) Photo/R.P. Braun [CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons] 中輪または大輪、花色はヴァーミリオン(朱色)が少し入った明るい華やかなピンク。 尖り気味の葉先、明るい艶消し葉。樹高120~180㎝の立ち性のシュラブとなります。 花と樹形のバランスがとれていること、また、全体の印象がいかにも古い由来のものであることを感じさせます。 フランス、バラ界における重鎮、ヴィベールのもとで働き、ヴィベールが引退した後その農場を継承したロベール(M. Robert)が1856年に育種・公表しました。交配親は不明です。 話は1798年、フランス艦隊とホレーショ・ネルソンが率いるイギリス艦隊が激突したナイル海戦に戻ります。 フランス艦隊、英雄ホレーショ・ネルソン指揮のイギリス艦隊に敗れる ナイルの海戦では、海岸を背に、浅瀬に艦を横に並べて防御態勢をとったフランス海軍に対し、ネルソンは座礁の危険を顧みず、海岸とフランス艦船との間に艦船を突入させ、防御態勢にない背面から急襲するという、思いもかけない戦法をとります。フランス艦隊は対応できず、一日にして総崩れとなり、以後地中海における制海権はイギリス海軍のものとなりました。 孤立したナポレオンが、兵士を見捨てて帰国したことはすでに触れました。 ‘ナイルの海戦’Painting/Thomas Luny [Public Domain via Wikimedia Commons] ホレーショ・ネルソン(Horatio Nelson:1758-1805)はナポレオン戦争時、イギリス海軍を率いた司令官(のちに提督)です。 Painting/Lemuel Francis Abbott [Public Domain via Wikimedia Commons] ネルソンは1805年、フランス・スペイン艦隊とのトラファルガー沖海戦において負傷し、戦死しました。しかしイギリス艦隊は見事勝利し、ネルソンは海軍のみならず、イギリス軍の英雄として名声を勝ち得ました。戦勝を記念して命名されたロンドン・トラファルガー広場には、巨大なブロンズ製ライオンに囲まれて記念塔が立ち、塔の頂にはネルソン像があります。 このトラファルガー沖海戦、戦勝200年を記念して命名されたバラがあります。 レディ・エマ・ハミルトン/Lady Emma Hamilton Photo/今井秀治 花径9〜11cm、フォーマルなカップ形のロゼット咲き。オレンジまたはコーラル(珊瑚色)となる花色。気候や環境により濃淡が出やすいようです。 つぼみの先端などに濃いオレンジ・レッドが入り、それが開花した後に残り、花弁の外縁などに色濃く染まることもあります。 フルーティな強い香り。銅色が縁に出る、深い色合いの幅広の葉。細い枝ぶり、樹高120~180cmの、こんもりとした中くらいのサイズのシュラブとなります。 2007年、オースチン農場から育種・公表されたイングリッシュ・ローズです。交配親は公表されていません。 なぜ、この品種がトラファルガー戦勝記念になるのかは、説明が必要でしょう。バラの名前のもとになったレディ・エマ・ハミルトンは、ネルソンの愛人でした。2人は、いわゆる不倫の関係にありましたが、この関係は当時から巷ではよく知られていた話でした。 美貌の公娼エマ・ハミルトン Painting/George Romney [Public Domain via Wikipedia Commons] エマ・ライアン(Emma Lyon:1765-1815、後にハミルトン)は、18世紀後半、ロンドン社交界で美貌の公娼、モデルとして名を馳せた女性です。 ナポリ駐在の英国大使であったウィリアム・ダグラス・ハミルトン卿(Sir William Douglas Hamilton:1730-1803)は、甥の紹介でエマを知り、愛人として関係を続けていましたが、5年後、正式の妻として迎えました。この結婚により、エマは“レディ・エマ・ハミルトン”と呼ばれることとなりました。ハミルトン卿はエマより30歳以上も年上でしたが、彼女は美しいだけではなく、優しく、機知に富み、愛される性格だったようです。 エマは、フランス包囲網構築のためにナポリへ来ていたホレーショ・ネルソンと運命的な出会いをします。5年後、ネルソンは再びナポリを訪れ、エマと再会しました。ナイルの海戦でフランス艦隊を壊滅させた戦功などにより、猛将としてフランス海軍を震え上がらせていたホレーショはしかし、数度の戦闘により、右目の視力を失い、右腕もなくしていました。様変わりし、凛々しい容貌を失ってしまったネルソンでしたが、むしろそれ故でしょうか。2人は激しい恋に落ち、それからネルソンが死去するまで、エマ・ハミルトンの夫のハミルトン卿、ネルソン夫人のフランシス・ニズベット(Frances "Fanny" Nisbet)との間には不可思議なほどの友愛的な関係が出来上がります。 エマは、イギリスへ帰国したウィリアム卿のもとを去り、ネルソンと同棲しはじめましたが、夫ウィリアムに先立たれ、ネルソンがトラファルガー海戦で華々しい戦死を遂げた1805年の後は零落し、貧窮のうちに死去しました。 戦えば必ず勝つといわれた、ナポレオンに話を戻しましょう。 ナポレオン、ウィーン郊外アスペルン・エスリンクの戦いで敗れる 1806年、ナポレオン率いるフランス軍18万と、プロイセンを盟主とする対仏同盟軍15万が、ドイツのイエナ-アルシュタット(Jena-Auerstadt)において激突しました。 この戦闘においては、機動力に勝るフランスが大勝利し、プロイセン軍は致命的な打撃を被り壊滅。フランス軍のベルリン入城を許してしまいました。この勝利によりフランスは広大な国土を獲得し、皇帝ナポレオンは絶大な権力を手中にし、絶頂期を迎えました。 連戦連勝、向かう所敵なしといった感が強かったナポレオンですが、一度手痛い敗北を喫したことがあります。それが1809年、ウィーン郊外、ドナウ河畔のアスペルン・エスリンク(Aspern-Essling)の戦いです。 当時、カール大公が率いるオーストリア軍は、進撃するフランス軍に対抗できず退却を続けていました。ナポレオンがドナウ河南岸からオーストリアの首都ウィーンへ入城した際にもそれを阻止せず、ドナウ北岸で軍を再編成していました。そしてウィーンから発し、ドナウ河の浅瀬で渡河を試みたフランス軍に対し、態勢を整えたオーストリア軍がこれを迎え撃ち、激戦となりました。戦況は次第にオーストリア軍へ傾き、フランス軍は退却を余儀なくされたのです。 ‘アスペルン・エスリンクの戦い’Painting/Fernand Cormon [Public Domain via Wikimedia Commons] この戦闘において、ナポレオンの忠実な部下であり、友でもあったモンテベロー公爵が戦死したこと、彼の夫人にささげられた美しいピンクのガリカがあることは、以前の記事『オールドローズからモダンローズへ~ピンク花編〜<前編>』でもご紹介しました。 ナポレオンを打ち負かしたカール大公はオーストリアの英雄と讃えられました。 ‘カール大公’Painting/unknown [Public Domain via Wikimedia Commons] カール大公と呼ばれたアルシデューク・シャルル(1771-1847)は神聖ローマ帝国レオポルド2世の子、レオポルド2世の跡を継いだフランツ2世の弟にあたります。ドイツ名はカール・フォン・エスターライヒ(Erzherzog Karl von Österreich, Herzog von Teschen)といい、通称カール(仏語ではシャルル)大公と呼ばれています。 フランス革命が勃発するとすぐに軍に参加し、1796年には元帥、1801年には陸軍大臣へ昇格しています。早い昇進は皇帝の弟という高貴な血筋への配慮からきたものと思われますが、軍人としても優れた能力を発揮しました。 反革命勢力として、たびたびナポレオンやナポレオン配下の将軍たちと戦闘を行いました。ナポレオンとの直接の対決においては屈辱的な敗北を喫することのほうが多かったのですが、アスペルン・エスリンクの戦いではナポレオンを打ち負かし、オーストリアの英雄と讃えられたことは、前述の通りです。 大公に捧げられたバラがあります。 アルシデューク・シャルル(Archduke Charles) Photo/ Raymond Loubert [CC BY-SA 3.0 via Rose-Biblio] 花径7〜9cm、たおやかに伸びた細い枝先に可憐な丸弁咲きの花が開きます。 深いピンク気味の赤から淡いピンクまで、ストライプとなったり、花全体が染まったり、花弁の部分だけが色抜けするなど、赤とピンクが乱雑に現れる変異の激しい花色です。 樹高120~180cmで、柔らかな枝ぶり、枝が繁茂するブッシュとなります。 フランスのデュブール(Dubourg)により育種された品種が、当時の著名な育種家であったジャン・ラッフェイ(Jean Laffay)のもとに持ち込まれ、1825年頃、公表されました。 最初のチャイナローズである、‘オールド・ブラッシュ(Old Blush)’の実生から生じたといわれています。 ナポレオンの凋落 ナポレオンは1812年6月、65万にも及ぶ大部隊を率いてロシア遠征を開始し、モスクワ制圧まで成功しますが、勝機が薄いと判断したロシア帝国軍は、首都モスクワなどに自ら放火するなどの焦土作戦、兵站遮断をもくろみます。フランス軍はこれに苦しみ、12月には退却を余儀なくされました。退却を開始したフランス軍兵卒は飢餓と疫病に苦しみ、執拗なロシア追撃により崩壊してしまいます。 退却するナポレオン。Painting/Adolph Northen [Public Domain via Wikimedia Commons] ナポレオンはここでも部下のミュラ元帥に後を託して脱出。あとを託されたミュラ元帥自身も、兵を捨てて脱走してしまいました。侵攻開始時65万ほどいた兵員のうち、無事帰還できた将兵は2万人ほどであったということです。 零落する皇帝ナポレオン。1814年には退位を余儀なくされ、コルシカ島とイタリア本土との間にある小さな島、エルバ島に追放されてしまいます。しかし、1815年には島を脱出してパリへ進撃し、皇位へ復帰を果たします。いわゆる百日天下の始まりです。 しかし、1815年、ベルギー、ブリュッセル郊外のワーテルローにおいて、イギリスなど対仏連合軍、プロシアとの戦闘において敗れたナポレオンは、南大西洋の孤島セント・ヘレナへ幽閉され、1821年、同地で没しました。胃癌であったとも、ヒ素による毒殺であったともいわれています。 1840年、遺体はフランスへ返還され、現在はパリの廃兵院に葬られています。 ワーテルローの戦いにおいて、対仏連合軍を指揮していたのがウェリントン公爵(Arthur Wellesley:1769-1852)です。 Painting/Thomas Lawrence [Public Domain via Wikimedia Commons] ウェリントン公爵、アーサー・ウェルズリー(Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington:1769-1852)は1769年、アイルランド、モーニントン伯爵家の三男として生まれました。生年はナポレオンと同じでした。 フランスの士官学校で学んだ後、イギリス陸軍に入隊。ベルギー、インド、ポルトガル・スペインなどで戦功を重ね、1814年、ウェリントン公爵に叙されました。 早くからトーリー党に属し政界でも活躍していましたが、ナポレオン戦争終了後は政治活動に専念しました。当時のイギリス政界はトーリー党、ホイッグ党が競い合う不安定な状況のもとにありましたが、2度内閣を組織、首班として首相も務めました。 1852年死去。墓所はロンドン、セント・ポール大聖堂内にあります。 ウェリントン公爵に捧げられたバラがあります。 デューク・オブ・ウェリントン(Duke of Wellington) Photo/Koalaa, Lithuania [CC BY-NC-SA 3.0 via Rose-Biblio] 花径11〜13cmとなる大輪、高芯咲きとなるクリムゾンのHP。 樹高150cmほどの中型のシュラブとなります。秋の開花はあまり期待できないようです。 1864年、フランスのルイ=ザヴィエル・グランゲール(Louis-Xavier Granger)により育種・公表されました。一般的には英語名で知られていますが、フランス語名‘デュク・ド・ヴェリントン(Duc de Wellington’が正式な品種名です。ダーク・レッドのHP、‘ロード・マコーリー(Lord Macaulay)’の実生から生じたとのことです。 なぜフランスの育種家が、自国の英雄ナポレオンを追い落としたイギリス軍人に捧げたのか、不思議に思っています。
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みんなの庭
カメラマンが訪ねた感動の花の庭。イギリスを思わせる植栽豊かな北海道・藤井さんの庭
庭仲間からのメッセージから始まるご縁 昨年の7月末、僕のメッセンジャーに北海道の和田さんという方から「突然のコンタクト大変ご無礼をいたしお許しください」という書き出しのメッセージが届きました。内容は、旭川の藤井英子さんのお庭が素敵なので撮影にいらしてくださいというもの。とても丁寧な文章で綴られた最後に、藤井さんのインスタのアカウントも添えられていました。 じつは、このようなご連絡は時々舞い込むのですが、実際に行ってみると撮影にはちょっと難ありということもあるので、どんな庭なのか、よい庭だといいなぁ~と思いながらインスタを開いてみました。インスタの中で見た藤井さんの庭は、本当にイギリスを思わせる、古いレンガのアーチやゲートにさまざまな宿根草やバラ、クレマチスが咲く素敵なお庭でした。 早速、和田さんにはお礼のメッセージ、藤井さんには来年の7月に撮影に伺いたいというメッセージを送りました。 北海道のガーデン巡りを計画 今年の6月は、久しぶりに関西方面に行ったり、長野に行ったりしてなかなか忙しくしていましたが、そんな折、ガーデンストーリーでもお馴染みの橋本景子さんから「旭川の藤井さんのお庭に行かれるそうですね、私も友人2人と7月6日に伺いますので、ご一緒にいかがですか?」とお誘いの連絡が入りました。 撮影後にはご主人の卓也さんが美味しい夕食をご馳走してくださるそうだし、撮影もその頃がよさそうだと思っていたので、ご一緒させていただくことにしました。7月6日の午後は旭川の藤井さんのお庭に行くと決めて、その前後に、ぜひ行きたいと思っていた「いわみざわ公園」のオールドローズ、「十勝千年の森」「大森ガーデン」「真鍋庭園」「風のガーデン」「上野ファーム」「あさひかわ北彩都ガーデン」、さらには「ガーデンフェスタ北海道2022」も気になるし、時間があったら久しぶりに「イコロの森」も顔を出したいな……なんて、こんなに回れるはずもない壮大な計画に胸を膨らませていました。 悪天候の十勝から旭川へ移動 7月6日朝の「大森ガーデン」は、前日午後の「十勝千年の森」に続いて小雨模様でした。宿根草が美しく咲いて、グラス類もとても綺麗! これで前回(2019年)のような朝の光があったらどんなに素敵だっただろうと、低く垂れこめたグレーの雲を睨みながら2時間ほどで撮影を終了。この後は「真鍋庭園」に寄ってから「風のガーデン」「上野ファーム」を撮影して、夕方に藤井さんの庭に向かおうと車を走らせました。 が、途中の峠はワイパーを一番速くしても前が見えないくらいの土砂降り。こんな天候では仕方ありませんが、前を走るトラックも超ノロノロ運転で、時間だけがどんどん過ぎていきました。絶望的な気分でやっと富良野に着いたのは、もう3時を過ぎていました。 峠が下りになって、そろそろ富良野という頃になると、天気は突然雲一つない晴天に。気を取り直してプランを変更し、「風のガーデン」「上野ファーム」は諦めて、綺麗な夕方の光を期待しながら旭川の藤井さんのお庭に直行しました。 藤井さんのお庭に着いたのはちょうど4時頃で、橋本さんたちと藤井さんが玄関の前で出迎えてくれました。光がいい感じになってきていたので、皆さんに簡単に挨拶をして、カメラを抱えてすぐに庭に直行。すると、昨年インスタで見た“まるでイギリスの庭を思わせる美しい世界”が目の前に広がっていました。 ヨーロッパの田舎のガーデンに着想を得て 藤井さんがこの庭をつくり始めたのは、今から11年前。最初は2匹の愛犬用に芝生を張った庭でしたが、部屋に花を飾れるような花の庭に変えたいと思ったのがきっかけだったそうです。仕事のかたわら、あまり知識もないままに苗を買ってきては植えてみるものの、イメージ通りにならず悩んでいた時、たまたま見た雑誌で、ヨーロッパの田舎のガーデンのレンガの小道を見つけました。 「庭の真ん中にレンガの小道を作ってみるのはどうだろう」と卓也さんに相談したところ、「芝生を剥がしてレンガの小道を作るから、その両側に花を植えてみたら?」と提案してくれました。そうと決まってからは、卓也さんは庭のあちこちにレンガの小径やアーチ、ゲートをつくり、英子さんは宿根草やバラやクレマチスを植え続けて、今のガーデンが出来上がったそうです。 夫婦で作るナチュラルガーデンと未来 藤井さんご夫妻の庭は、しっとりと落ち着いていて、どこかヨーロッパのガーデンにいるような雰囲気です。それはおそらく、最初に見た雑誌のヨーロッパのガーデンの素敵なイメージを2人で共有しているからでしょうか。 ご主人のレンガワークも素朴な手作り感があって素敵ですし、英子さんの植栽も色数を抑え気味にして、葉の緑の濃淡が生きる組み合わせです。また、バラもクレマチスもレンガのアーチを隠しすぎないように、ナチュラルな感じで誘引されています。 英子さんに今後の目標を伺うと、「花友さんの紹介で各地のお庭巡りをしたり、来ていただいたり、そうして素敵な出会いがあって、ますますお庭にのめり込んでいます。ワクワクが止まらない庭づくりは、やっとこれからがスタートです」と言います。 ベテランのガーデナーさんから「庭づくりに終わりはない」という言葉をよく聞きますが、藤井さんのお庭もこれからまだまだ進化し続けるのでしょう。 北海道に行く度にお邪魔したくなってしまう庭が、また一つ増えてしまいました。 藤井英子さんのInstagram chaco0122
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ガーデン&ショップ
カメラマンが訪ねた感動の花の庭。滋賀県のコミュニティーガーデン「Rose Branch」
2018年にオープンした「ローズブランチ」 5月18日早朝のこと。今回ご紹介する「Rose Branch(ローズブランチ)」のガーデナー、上田政子さん、愛称「まーちゃん」の車に先導してもらい彦根の町を抜けて街道を右折すると、すぐに朝陽に輝くガーデン、「ローズブランチ」が目に飛び込んできました。 この庭は、隣接する会社「ベースワン」のバラ園で、2017年に「ベースワン」の社長に「この土地にバラ園をつくってほしい」と頼まれたのがきっかけでした。最初、まーちゃんは、大した経験もない自分にできるのか悩んだそうですが、これは人生の転機だと思って決断、まずはベースワンに就職して、この庭のガーデナーになったのです。 はじめのうちは、水はけの悪い粘土質の土との戦いに疲れ果て、自分には無理と諦めかけたこともあったようですが、「最初が肝心」と社長さんに相談。事情を聞いた社長が必要なものをすべて用意してくれて、さらに、バラに詳しい友人たちの助けもあって、翌2018年に「ローズブランチ」はオープンしました。 小屋を背景に咲くバラと宿根草 それから4年。まーちゃんのバラ愛と頑張りで、バラがモリモリ咲くようになったのです。始めはバラ以外には興味のなかったまーちゃんですが、今ではすっかり宿根草好きに。最近は「バラも植物の一つ」と考えが変わって、フェンスや小屋にはあふれるようにつるバラが、そして、庭の随所に宿根草が咲く素敵なガーデンになっています。 この庭は、西側と隣地のベースワンとの境の北側に高いフェンスが設けられていて、そこにはモダンローズやイングリッシュローズ、いろいろなつるバラが誘引されています。しかし、残念ながら訪問した時期の彦根では、まだ2割くらいしか咲いていませんでした。 東側には、野菜栽培用のビニールハウス、南側は隣に民家があります。これらを隠すためにモルタル製の小屋が立ち並んで、さながら小さな町並みのような景観を作っています。モルタル製の小屋には、いかにもまーちゃんの好みそうなオールドローズや小輪のつるバラが可愛らしく誘引されていましたが、こちらもまだほとんどがつぼみでした。 自由なアイデアあふれる植栽術 目を中央に向けると、ちょっと大きめのアイランドの白花と、シルバーやグリーンの葉のテクスチャーでデザインされた花壇の宿根草が朝日を浴びてキラキラ輝いているではないですか! 何年か前の3月、クリスマスローズを見に来た時に、無国籍な雰囲気の自由なアイデアあふれる植栽がなされたこの庭を見て、「いつかしっかり撮影してみたい」と思ったことが、今まさに実現することになったのです。 東側のハウスの上から斜めに差し込んでくる朝陽を浴びて、白いサポナリアの花や隣のバラモンジ、そして麦の穂などが、まるで「きれいでしょう」「早く撮りなさい」と言っているようで、僕も「きれいだね~」と呟きながらアングルを探して歩いてはシャッターを切りました。また数歩進んではシャッターを切って…30分もしないうちに陽が高くなったので、このエリアの撮影を終了。まだ日陰になっているセリンセやクレマチスを撮って、この日は次の撮影地である神戸に向かいました。 19日は早朝から神戸のお庭の撮影を終えて、再び車を東に向け、一路滋賀県へ。夕方の「ローザンベリー多和田」と、さらに間に合えば「ローズブランチ」のあの宿根草をもう一度、夕方の反対方向から差す光で撮影してみたいと思い「よい天気でありますように」と願いながら車を走らせました。 途中「ローザンベリー多和田」に連絡してみると「まだバラは3割程度で、ベストは来週くらいです」とのこと。一応自分の目で庭の状況を確認させてもらおうと思い、16時過ぎに「ローザンベリー多和田」に入り、撮影できるバラは押さえさせてもらって、再び「ローズブランチ」へ向かいました。 「行きます」と連絡していなかったので、突然来た僕を見て、まーちゃんはびっくりしてましたが、夕陽の中の宿根草のアイランドは、やっぱりきれい! 太陽の沈み具合を見ながら18時過ぎまで撮影して、次回のバラの撮影を約束して帰路につきました。 シーズン3度目の訪問は絶好の撮影日和 宿根草がいい感じで撮れたので、後はバラが咲くいいタイミングに行って撮影すれば完璧だなと考えながら、5月27日に3度目となる「ローズブランチ」に向かいました。16時過ぎに到着。すると予想通り、フェンスのバラも小屋に絡むつるバラも素晴らしく可愛く咲いていました。またまた、まるで植物たちが「待ってましたよ」「さあ早く撮ってください」と言っているようで、まーちゃんに向かって「最高~」と思わず叫びながら撮影開始です。 小屋に絡む“まーちゃん好み”のバラは、じつは僕も大好きなバラばかり。そのうえ、バラたちがタイミングもぴったりに可愛く咲いているのだから、もう嬉しくて楽しくて。本当にまーちゃんのセンスに感謝しながら、日暮れまで「ローズブランチ」の中を歩き回っていました。 まーちゃんに今後の目標を聞いてみたら、「バラとコラボして可愛い植物や、バラの後に咲き出す植物、真夏に元気な植物、秋に枯れ姿の素敵な植物……どれも好きな植物たちを集めて、ローズブランチを一年中楽しめるお庭にしたい」と夢を描きながら、日々奮闘中だそうです。 やっぱり植物が三度の飯より好きで、暑い日も寒い日も、雨の日も植物を見ていたいというくらいのガーデナーさんが僕は好きだなぁ、と改めて思う撮影となりました。
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カメラマンが訪ねた感動の花の庭。宮崎「こどものくに」バラ園
育種家ビオラの聖地、宮崎へ初訪問 僕が初めて宮崎を訪れたのは2019年2月のこと。ずっと行きたいと願っていた、宮崎育種家ビオラの聖地「アナーセン」で行われる「パンジー&ビオラ展」を取材するためでした。案内を買って出てくれた橋本景子さんは別便で一足先に宮崎入りし、待ち合わせに指定された場所が「こどものくに」のバラ園でした。橋本さんはバラ園で冬の手入れ作業中でしたので、しばらく青島神社辺りを観光してみることに。もともと神社仏閣には特に興味もなく、観光名所とは縁のない僕でしたが、このちょっとエキゾチックな青島神社に思いがけず魅了されてしまい、時間を忘れて撮影に没頭。「こどものくに」の駐車場に着いたのは、もう夕方近くになっていました。 駐車場から電話をすると、橋本さんは手が離せないとのことで、迎えに来てくれたのは、ガーデナーの源香さんでした。丁寧な挨拶から始まり、バラ園まで案内してくださる道すがら、ずっと1939 年に開園した「こどものくに」の歴史や、創始者の岩切章太郎さんの話を聞かせてくれました。 源さんの説明を聞きながら、バショウなどが育つ熱帯を思わせる林を抜けると、バラ園に到着。バラ園は僕が想像していたよりも小さく、何本かの園路で仕切られたスペースに木立ち性のバラが並ぶオーソドックスなスタイルで、植えられている品種は、少し古いタイプのハイブリッドティー(HT)が多い印象。この段階では、2年後に本気で撮影に伺うことになるとは想像もしていませんでした。 ただ、僕がいろいろなバラ園に行っている経験があるからか、熱心に質問してくれる源さんとバラ談議をしながら園内を歩いているうちに、「ここを宮崎の皆さんに喜んでもらえるバラ園にしてみせる」という源さんの熱い想いが伝わってきました。帰る頃にはすっかり打ち解けて「僕の好きなチャイナローズなら宮崎の気候にも合うと思うので、苗を送りますよ」なんて約束までしていました。 ラナンキュラス・ラックスが作る美しい風景との出合い 2度目に「こどものくに」を訪れたのは、翌々月の4月。2月にパンジー&ビオラ展に伺った際、「アナーセン」の川口のりこさんが写真教室を企画してくれて、二十数名の生徒さんと宮崎のいろいろなガーデンをバスで巡った時になります。ガーデン巡りの最後の目的地が「こどものくに」で、着いたのはもう午後5時を過ぎていました。この時期、バラ園はまだ花は咲いていないのですが、橋を渡った隣の海側エリアではラナンキュラス ・ラックスの花壇が見頃に。ちょうど沈みかける夕陽をバックに、逆光の中でラックスが美しく輝いているではないですか。ラックスは、花弁に光沢のある宿根草ということを知ってはいましたが、これほど見事な光景を見るのは初めてで、興奮してシャッターを切ったことを覚えています。 この見事なラックスは、作り手である隣町の綾町にある綾園芸の草野さんが2014年に100株寄贈したものだそうで、その後、源さんが大切に育て、守ってきた宝物の一つです。このエリアは、春はラナンキュラス・ラックス、秋はミューレンベルギアが美しいグラスガーデンの2交代制になっていて、このミューレンベルギアが、源さんのもう一つの宝物になります。 3度目の宮崎で庭撮影のタイミングを逃す その年の11月には、最新のパンジー&ビオラの買い付けに全国からやってきた花屋さんたちに混ぜていただいて、3度目の宮崎入りをしました。今回は皆さんと同様に、僕もパンジー&ビオラの新花が目的でしたが、バラ園には帰りの飛行場に向かう途中にちょっとだけ立ち寄ることができました。滞在最終日のわずかな時間しかない中、訪れたバラ園は、ちょうど満開の秋バラとたくさんの宿根草が混ざり合い、美しい風景を作っていましたし、橋の向こうのエリアでもミューレンベルギアがじつに見事。しかし、残念ながらフライトの時間が迫っていたため、撮影は翌年にと心に誓って、後ろ髪を引かれながら、急いで飛行場に向かいました。 翌2020年も11月にパンジー&ビオラの新花の撮影を計画していたのですが、この年は天候不順でパンジー&ビオラの開花が遅れていると連絡が入り、他の仕事との兼ね合いもあって、宮崎行きは12月に入ってからになりました。12月10日に宮崎入りしてすぐ「こどものくに」に向かったのですが、11月の末、来場者の方々にバラを切って持って帰ってもらうという「チョキチョキカッティング」というイベントがあったため、バラ園では宿根草だけが美しく風に揺れていました。 11月の最終週までに来ていれば、この宿根草の間に満開のバラが咲いていたのかと想像すると、がっかり。座り込んでしまいたいほど悲しい気分に。来年こそは、源さんのフェイスブックもチェックしながら、バラ園の撮影を最優先でスケジュールを立てなければ! と心に決めたのでした。 2021年は撮影の万全なタイミングを図る 2021年も11月に入り、源さんのフェイスブックを見ていると、10日過ぎから南国特有の夕方の赤っぽい光に浮かび上がる満開のバラ園や、逆光に輝くミューレンベルギ アなどワクワクする写真が、次から次へとアップされ出しました。ちょうどパンジー&ビオラもどんどん咲き出しているようだし、これはいよいよ宮崎行きのベストタイミングが近づいてきたと確信。10日間の宮崎の天気予報をチェックして、晴天が続く13〜15日の3日間の予定で宮崎に出発しました。 13日午後3時半にバラ園に到着。満開のバラと、そのバラを覆い隠すほど大きく育った宿根草に出迎えられて、満足しながらカメラをセット。太陽の位置を確認しながらファインダーを覗いてみると、赤やオレンジのバラの周りに、紫の千日紅や赤いケイトウが咲き誇り、その後ろには大きなグラスが風に揺れています。これは、まさに源ワールド! 深呼吸をして数枚のシャッターを切り、右を見ると大きなカンナが伸びやかに育っています。左にレンズを向ければ、そこも全然違う風景が広がっていて……。そのまま撮影をスタートしました。 バラと宿根草の美しいコンビネーションを撮ったり、ちょっと懐かしい昔のハイブリッドティーの名花を撮ったり、忙しく撮影をしているうちに時間があっという間に過ぎていて、気がつけば、西の山の向こうに陽が沈んでしまいました。橋の向こうのミューゲンベルギアをまだ撮っていないことに気づいて、三脚をかついで走り、グラスガーデンに行ってみると、ダイナミックなグラスの中に赤いカンナが混ざり育っていて、ここもバラ園とは違う、もう一つの源ワールドに。 残念ながら陽は既に沈んでいて、グラス類を撮る時に絶対に必要な逆光ではありませんでした。宮崎滞在はあと2日。このグラスガーデンにはもう一度来ることにして、ガーデン全体の写真を撮るアングルを探してみると、西側にカメラを構えてレンズを東に向けるのがよさそう……。ということは、撮影は朝の光で、東の海から昇ってきた逆光の太陽の光で撮るのがベストと分かりました。 14日早朝は別のガーデンに行く予定にしていたので、このグラスガーデンは15日早朝にと決めて、初日の撮影は終了しました。 早朝から約2時間が撮影の勝負 15日午前6時45分。日の出前の時間はさすがに宮崎でも寒く、三脚にカメラをセットして、陽が昇るのを足踏みしながら待っていると、ガーデンの後方にある木々の下方がだんだんオレンジに染まり始めました。いよいよ撮影開始です。少しずつ露出を変えながら数枚のシャッターを切ったら、また足踏みをしながら5分待ってシャッターを切り、また5分待ってシャッターを…と、7時過ぎまでシャッターを切って、太陽が木々の上にまで昇り、光が強くなったタイミングで場所を移動。逆光に白く輝くグラスの穂を撮ったり、光に透けるカンナの葉を撮ったりしてグラスガーデンの撮影は終了です。 急いでバラ園に移動して、朝の光で見るバラ園は、一昨日の夕方とは全然違う表情を見せています。ここでも昇る太陽と競争しながら、8時過ぎまで撮影し、こうして何年越しかの「こどものくに」の撮影を終了しました。 この年の滞在中は、源さんも忙しくてすれ違いばかり。ゆっくり話を聞くことができなかったのですが、この原稿を書くにあたり、メール取材の中で、こんなに宿根草がバラ園にある理由を尋ねてみました。 2017年までバラ園を担当していた方が高齢となり、退職後を引き継ぐ人がいなかったことから、まだ当時はバラにはそれほど興味のなかった源さんが引き継ぐことになったそうです。「『こどものくに』が好きな人と花好きの人が集まれば、何とかなる」という思いで「ときどき花くらぶ」というグループを作り、仲間たちとバラ園の管理を始めました。初めの頃は草取りばかりで大変だったので、作業が少しでも楽しくなるようにと、好きな草花を持ち寄って植えているうちに今の姿になったとのこと。今後は、バラが好きな人は「バラ組」、椿が好きな人は「椿組」、グラスの好きな人は「グラス組」というように、いくつかのグループを作って、学校のクラブ活動のように楽しく学べる場所にしていきたい、と源さん。 バラ園の宿根草も、グラスガーデンのミューレンベルギアも、ダイナミックに景色を作る源さん。人生の目標もダイナミックで素敵な源香さんが、今後どんなガーデンをつくってくれるのか、今から楽しみです。
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宿根草が風に優しくそよぐ愛知・牧さんの庭
庭を会場にした写真講座を開催 僕がはじめて牧さんにお会いしたのは2012年12月、名古屋在住の友人の紹介で牧さんのお宅で写真講座をさせていただいた時になります。 その当時は、写真講座をよくやっていましたが、ほとんどの開催が東京中心。たまに大阪で開催したこともありましたが、名古屋周辺での写真講座は初めてでした。 名古屋周辺はコッツウォルドストーンやテラコッタなどガーデン資材を輸入してお庭をつくっている職人さんもたくさんいらっしゃるし、岐阜の「花フェスタ記念公園」も近隣にあるので、ガーデニング熱の高い地域だということは聞いていました。 写真講座の当日もガーデニング関係の仕事をされている方や、フェイスブックのお友達など多くの方が来てくださり、賑やかな写真講座となりました。開催日は12月でしたから、翌年のオープンガーデンに改めてお邪魔することを牧さんに約束し、その日は帰りました。 庭の最盛期に初訪問 翌年のオープンガーデンに伺って、バラ咲く牧さんの素晴らしい庭を拝見して以降、この地域周辺に来た際には必ずお邪魔させていただくようになりました。 そして、2016年の5月末、花フェスタ記念公園でいつものようにバラの撮影をしていて、日も暮れてきたから、そろそろホテルに帰ろうかと思っていた時のこと。偶然、産経メディックス『New Roses』編集長の玉置一裕さんと「花ごころ」の村田高広さんにお会いして、夕食に誘っていただきました。 可見市のイタリアンレストランでの食事中の話題は、もちろんバラです。最新のバラの話に盛り上がっているなかで、玉置さんに「今度『New Roses』でお庭の実例紹介のページはいかがですか?」と聞いてみたところ、それは面白いと気に入っていただき、翌年の春に撮影をして秋号で掲載という約束をいただきました。 撮影したいのは、ニューローズの咲く庭 『New Roses』での仕事は、これが初めてになりますから、気合を入れて取材に伺うお庭を考えてみるものの……。僕の得意なバラはオールドローズですから、オールドローズが咲く美しい庭ならすぐに頭に浮かぶのですが、玉置さんからの条件はただ一つ「ニューローズの咲くお庭でお願いします」だったのです。 『New Roses』を開きながら「これらのバラが咲いているお庭は?」と考えてみてもすぐには思いつきません。自分で考えても分からないなら誰かに聞くしかありません。ニューローズというと「バラの家」の木村卓功さんの「ロサオリエンティス」、「河本バラ園」、花ごころのフレンチローズの「デルバール」が咲くような庭を探せばいいかなと思い至って、早速フェイスブックで繋がっている友達に連絡をとってみることにしました。 予想通り「ロサオリエンティス」が咲く庭は千葉にあり、河本純子さんのバラが咲いているというのは以前Garden Storyにも登場していただいた内田美佐江さんの庭、そして「デルバール」のバラが咲くであろう庭は、名古屋で2軒がすぐ浮上し、そのうちの1軒が牧さんのお庭でした。 バラの最盛期に合わせて訪問 名古屋周辺のバラの撮影は、例年ですと5月20日前後です。この年も、2週間前から牧さんにバラの開花状況を確認しながら、2017年5月24日の午後3時にお庭に到着。天候は晴れ。以前は納屋だったという外壁が黒く塗られた可愛い小屋を一面に覆い咲く「小松バラ園」作出の‘芽衣’と「デルバール」の‘ビアンヴニュ’、そして、大小のピンクのバラが目に飛び込んできました。 小屋の手前にはグラスが風になびき、宿根草がさまざまに咲いていますから、僕はただこの絵になる小屋の真正面に立って、夕方の優しい光になるのを待てばよいだけでした。5時過ぎ、斜めからの優しい光が差し込んできてピンクのバラが輝き出したので、三脚にカメラをセットして撮影を開始。ゆっくり光の変化を確認しながら30分後には撮影を終了しました。その後、敷地の奥にある、以前は家族の畑だったというエリアをナチュラルな宿根草の庭に変える計画話をうかがって、その庭が完成したらまた撮影させてくださいねと約束して帰りました。 新エリアのナチュラルガーデンの成長 2019年5月17日には、約束の出来立てのナチュラルガーデンを撮影してGARDEN STORYにいち早く載せようと思ったものの、牧さんのお庭が何と同年に開催されたGARDEN STORYのバラのフォトコンテストで編集長賞を受賞したことから掲載時期の調整に続けてコロナ渦が重なったため、今年2021年の5月8日に改めて撮影に伺うことができました。 2019年の庭はまだ初々しい宿根草の庭でしたが、今年は、よりナチュラルな植栽に変わって、おしゃれ度も増した素敵なお庭になっていました。撮影時期が延期されましたが、改めて撮影に行くことができよかったと、つくづく思いました。 牧さんの庭のご紹介動画もぜひご覧ください。
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ガーデン&ショップ
カメラマンが訪ねた感動の花の庭。千葉県八千代市のレストラン「貝殻亭」
38年ガーデナーによって守られてきたバラ 今回ご紹介する庭は、毎年4月の後半になると、ナニワイバラが屋根一面を真っ白に覆い尽くすことで有名な、千葉県八千代市勝田台のレストラン「貝殻亭」です。この「貝殻亭リゾート」を運営する株式会社ジー・ピー・アイの代表取締役社長の岩﨑肇氏は、地元の佐倉バラ会の理事長。つまり、このレストランとバラは、深い絆で結ばれているのです。 有名な屋根のナニワイバラのほか、ケーキショップの壁にかかるモッコウバラ、2階のカフェの入り口に繋がる橋にはサクライバラと、「佐倉ミステリーローズ」ガーデン内には、ノバラや原種系のバラがいろいろ植えられています。 今月のストーリーの主役、屋根一面を覆うナニワイバラは、1984年に先代のオーナーが植えたもので、それ以来38年間、その時々のガーデナーさんたちによって大切に育てられてきました。 バラ仲間と会食や写真講座などで幾度も通う 僕がこのナニワイバラで有名なレストランを初めて知ったのは、多分25年くらい前のことだと思います。当時はすでに雑誌などでバラの撮影を始めていた頃。家内が、どなたからか、バラで有名なレストラン「貝殻亭」のことを聞いてきてくれて、「今度行ってみようか」なんて話をしたんだと思います。その時すぐに伺ったかどうかは覚えていませんが、その後、プライベートやオールドローズ関係の友人との食事会などで、数回伺ったことがあります。 また、一番思い出に残っているのは、2012年に2階のカフェスペースで「ガーデンサロントーク写真講座」をさせていただいたことです。当日はたくさんの知り合いやお客様に来ていただいて、スライドを使っての講座でした。その後はオシャレなランチを食べながらの質問タイムなど、楽しい時間を過ごしたことを覚えています。 その後も何回か雑誌やバラ図鑑用の写真の撮影などで伺って、ナニワイバラやサクライバラなどを撮らせていただいています。 最近では、3年前に河合伸志さんの著書『美しく育てやすいバラ銘花図鑑』の仕事で、夕方まで屋根一面に咲くナニワイバラの撮影をさせていただきました。 2021年の開花最盛期に早朝撮影 今回の撮影は、4月23日の早朝に行いました。千葉市内の自宅から勝田台の「貝殻亭」までは約10km、午前4時半に家を出て5時前には到着しました。静まり返った駐車場に車を止めて、外に出て空を見上げると、青い空には雲一つなく、東側はもう明るくなり始めています。まずは、ナニワイバラの咲く屋根の正面に行ってみると、南東の方角を向いた屋根にはまだ朝陽が当たっておらず、ボンヤリとした光に包まれています。撮影を始めるまでにはまだ少し時間がありそうなので、もう一度駐車場側に戻って、別の撮影場所の確認をしました。 ケーキショップの壁際のモッコウバラ、ガーデンに向かう階段を上って2階カフェに向かう橋の佐倉ミステリーローズ、そしてサクライバラの咲き具合をチェックして、再びナニワイバラが咲く側に戻りました。屋根のそばまで近寄ってみると、どの花もちょうど咲き出したところのようです。屋根全体のどこを見渡しても、咲き終わった花は一つもありません。今日は最高のコンディションの花を最高の朝の光で撮影できるぞと、思わず気合いが入りました。 日射しが強くなる前にアングルを決めて、光がよくなるのを待つことに。三脚を担いで右に行ってはファインダーを覗き、もう少し左かなぁとまた歩き……などしていると、画面の右側(東側)の屋根の先端に朝陽が差し、輝き始めました。こうなると、もう時間の問題。朝はあっという間に太陽が昇り、強い光が上から差し込んできます。花は反射板を使ったように真っ白になって質感も何もなくなってしまうし、花の影は真っ黒になって、とても撮影ができる状態ではなってしまいます。 朝日に輝くバラの美しい瞬間を撮る シャッターを押すタイミングは、太陽が屋根を越えた瞬間に現れる魔法の光に包まれたほんの5~10分の間です。右は夜間用のライトのポールがギリギリ入らないようにアングルに注意して、左はナニワイバラの枝の先端までと決めました。あとは、朝の光が東側から屋根を越えてナニワイバラに沿って優しく差し込んでくるのを待つだけです。 まだ少し肌寒い中で待つこと5分くらいだったか……。朝日が屋根を越えた瞬間、あたり一面がふぁーっと明るくなって、ファインダーの中に見えるナニワイバラも輝き出しました。魔法の時間の優しい光に包まれた、カメラマンにとってとても幸せな時間の始まりです。あとは2、3分おきにシャッターを切って、光が強くなりすぎたところで撮影は終了。 ナニワイバラを撮り終えたら、急いで駐車場側に移動して、モッコウバラを。サクライバラは終わりかけていたので、佐倉ミステリーローズを撮って、7時過ぎに撮影はすべて終了しました。 取材協力/貝殻亭
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ガーデン
カメラマンが訪ねた感動の花の庭。「京成バラ園」の早春花見散策
冬から春に撮影モードも切り替えの時 今年は例年より少し早い3月中旬、各地でサクラの開花の声が聞こえ出しました。この知らせが届くと、僕の仕事もようやく冬モードから春モードに切り替わります。冬の間は生産者さんを訪ねて、ハウスの中でビオラやクリスマスローズの花の写真を撮らせてもらうことが多いのですが、当然ハウスという限られたスペースで、さまざまな制約もある中での撮影になります。それはそれで嫌いではないのですが、季節が変わって早春の庭に出て屋外の撮影になると、新緑の優しい緑に包まれた庭にいるだけで気持ちがいいものです。 撮影を始めると、足元には草花や小球根が咲いていたり、上を見上げれば花木が無数の花を咲かせていたりします。それらの花たちを自由に自分のスタイルで撮影ができるこの季節が来ると、毎日のように翌日の天気予報を確認し、どこに行って何を撮るか、予定を立てるのですが、想像するだけで嬉しくてワクワクしながら過ごしています。 通い慣れたバラ園の早春の風景とは 例年、春の庭の撮影は、まず2月後半、群馬県太田市の「アンディ&ウィリアムスボタニックガーデン」のスノードロップから始めていました。しかし、皆さんもご存じのように、残念ながらガーデンは昨年11月に閉園してしまいました。そのため、今年の撮影は叶わなかったのですが、Facebookを見ていると友人が投稿していた春の草花や花木が綺麗に咲いている京成バラ園の写真に目がとまりました。このバラ園は、5月のバラの時期は毎週のように通っていることもあり、奥にある池のエリアにいろいろな花木があるのも知っていたし、それらの木々が花をつけている景色も想像できたので、今年は早春の京成バラ園をカメラに収めてみることにしました 記憶を辿って早春の花たちに会いに行く 3月19日午後2時。その日は快晴でとても暖かく、園内には数人のお客さんもいて、芝生のエリアでは子ども連れの家族が遊んだりしていました。そんなのどかな雰囲気の中、カメラを担いでバラ園の入り口から向かって右奥にある‘フランソワ・ジュランビル’の大きなアーチをくぐり、池のほうに歩いていくと、右手に満開のヒュウガミズキ、後ろにはマンサクも咲いています。さらに園路を進むと、右側の原種のバラのエリアでは、バラの周りにクリスマスローズが植栽されていたり、左側のアジサイのエリアには、小球根やさまざまな草花がプラスされたりしていました。 狙い以上のシチュエーションをカメラに収める その日は黄花のスイセンがちょうど見頃を迎えていて、池の周りのサクラもいい咲き具合。どちらを向いても早春の草花がとても綺麗でした。そのまま歩を進めた先にある斜面のさらに奥が、今日のお目当てだったクリスマスローズの群落のエリアです。もう随分前に植えられた株なので、どれも皆、大株に育っていて、なかなかの迫力です。背景には濃いピンクのモクレンも満開。その足元には黄色いスイセンまで咲いて、まさに狙い以上のシチュエーションでした。 撮影に適した光になるまで花風景を探す 到着した時間はまだ少し日射しが強かったので、別カットが撮れそうな場所を探しながら、もう少し池の周りを歩くことにしました。クリスマスローズの群落+モクレンの撮影は、光が柔らかくなるまで待つことにして、ひとまず坂を下りました。バラ園のほうに戻ってみると、そこではユキヤナギの大株が花を無数に咲かせ、後ろには柳の新緑、さらにその奥にはサクラが咲いていて、これも100点満点のカットが撮れそうで大満足。 光が柔らかくなるまで、まだ時間がありそうなので、オールドローズのエリアで新芽をチェックしたり、京成バラ園のヘッドガーデナーである村上敏さんが作っている花壇に行ったりしながら、午後3時半頃からクリスマスローズの撮影を開始しました。最高に綺麗な太陽の光の中でカメラを構え、白い花をセンターにして後ろのピンクのモクレンの入れ方を考えながら何枚かシャッターを切ったら、急いでユキヤナギの場所へ。 ここも柔らかい逆光になっていて、ユキヤナギの白×柳の明るい新緑×桜のピンクのコンビネーションがため息が出るほど綺麗でした。ゆっくりファインダーの中でアングルを確認してシャッターを切った後、他の場所の桜や早春の花木の撮影をして5時少し前に撮影を終了。心ゆくまで納得の撮影ができた、幸せな一日でした。