花の女王と称され、世界中で愛されているバラ。数多くの魅力的な品種には、それぞれ誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りするこの連載で今回取り上げるのは、馥郁とした高貴な香りを放つ、ダマスクローズ。香水の原料などにも利用され、いかにもバラらしい香りを持つダマスクローズの源流と品種、そして逸話をご紹介します。
目次
ダマスクローズはどこから来たのか

ダマスクローズは、中東のダマスカスからヨーロッパへもたらされました。どこから来たのかすぐに分かる名称です。
明るいピンクに花開く、濃密な香りを放つこのバラは、11世紀以降、十字軍に参加した騎士や僧侶たちが帰国の際に持ち帰ったと信じられています。
じつは、紀元前のローマ、あるいはエジプトなどでは、王侯・貴族たちの宴席でバラの花弁が大量に利用されていたと伝えられています。ですから、いつ生み出されたのかを知ることはできません。おとぎ話の始まりのように、「ずっとずっと昔のこと…」とするしかありません。
ダマスクローズは原種なのか
ダマスクは原種ではありません。最も古いのではないかといわれるサマーダマスクは、学名ではロサ・クロス・ダマスケナ(R. x damascena)と表記され、原種ではなく原種交配種であることを示しています。
ダマスクは、ガリカとムスクローズの自然交配により生じたとする説が長い間信じられてきました。しかし、2000年に日本の岩田光氏(湧永製薬)、加藤恒雄氏(広島県立大学)および大野乾氏(Beckman Research Institute of the City of Hope, USA)の3氏により発表された『ダマスクローズの3つの起源(Triparental origin of Damask roses)』という論文の中で、DNA検査の結果、ガリカ、ムスクローズとともに、ロサ・フェデツケンコアーナがダマスクの誕生に深く関わっていたということが報告されました。
今日ではこの新説は定説として受け入れられつつあるようですが、それぞれの原種の開花時期が異なることから、自然環境下での交雑に疑問を呈する向きもあり、また、検討外とされていた類似原種ロサ・ウェビアーナ(R. webbiana)やロサ・ベッゲリアーナ(R. beggeriana)との交雑の可能性もあるのではないかと懐疑する向きも出てきています。
日本の3人の研究者による論及で、ダマスクの由来は完璧に解かれたと思っていたのですが、まだまだ研究が進むようです。
ガリカ(R. gallica)

ムスクローズ(R. moscata)

ロサ・フェデツケンコアーナ(R. fedtschenkoana)

ロサ・フェデツケンコアーナは原種ではありますが、春だけではなく秋にも返り咲きする性質があります。近年では、この性質が二季咲きダマスク(オータムダマスク)にもたらされたのではないかと考えられるようになっているようです。
ダマスクローズのグループ
ダマスクローズは、大きく2つのグループに分けられています。春のみの一季咲き(サマーダマスク)か、春に開花、さらに秋にも開花するもの(オータムダマスク)かという区分です。ダマスクローズの代表的な品種についてご紹介します。
ロサ・ダマスケナ(R. x damascena:Summer Damask)‐1455年以前、春一季咲き

ロサ・ダマスケナは春のみの一季咲き。そのため、一般的にはサマーダマスク(Summer Damask)と呼ばれています。

上記は1597年の記述ですが、はるか以前から存在していることは明らかです。
ライトピンクの花色、カップ形または丸弁咲き、35弁前後の濃厚な香りを放つ大輪花、卵形の明るい色調の艶消し葉、優雅にアーチングする枝ぶりのシュラブ。
ロサ・ダマスケナ(サマーダマスク)のこのような特徴が、ダマスクの典型とされることになりました。
ロサ・ダマスケナ・ビフェラ(R. x damascena ‘Bifera’)‐1633年以前、春秋二季咲き

“ビフェラ”は「二度咲き」という意味です。そのため、一般的にはオータムダマスク(Autumn Damask)、あるいはクワトロ・セゾン(Quatre Saison:”四季咲き”)と呼ばれています。
この品種について言及した記述は、1571年に遡ることができるようです。
サマーダマスクとオータムダマスク、双方の実株を見比べても、違いを見つけることはできません。それもそのはずで、ゲノム精査の結果、サマーダマスクとオータムダマスクはまったく同じ染色体を有していると判定されているのだそうです。一季咲きか二季咲きかは、ロサ・フェデツケンコアーナの返り咲き性が出ない(サマーダマスク)か、出る(オータムダマスク)かということになります。
ロサ・ダマスケナ・ヴェルシコロール(R. damascene ‘Versicolor’)- 1551年以前、春一季咲き

ロサ・ダマスケナ・ヴェルシコロールは中輪、平咲きの花、中型のシュラブとなります。
花色は薄いピンクですが、時に筆で刷いたように濃いピンクが現れることがあります。そのことからロサ・ダマスケナ・ヴェルシコロール(”2色咲きダマスク”)と呼ばれますが、ヨーク・アンド・ランカスター(York & Lancaster)と呼ばれることのほうが一般的です。それは、後述する物語がよく知られているためです。
1597年刊行のマティアス・ド・ロベリウス(Matthias de Lobelius)による『Plantarum, seu Stirpium Historia』に、ベルギーのアドリアン・フォン・グラヒト博士(Dr. Adrian von der Gracht)が「白花に少し、刷毛で刷いたような、または明るいピンクが混ざる…」と解説しているダマスクは、この品種であろうとされています。このヴァリエガータも、非常に古い由来をもった品種であることが分かります。
赤バラと白バラの薔薇戦争

15世紀、イングランドで勃発した薔薇戦争(1455-1485)は、赤バラを紋章とするランカスター家と白バラのヨーク家の間の抗争でした。1455年から開始された抗争は、女性や子供まで巻き込んで、殺し、殺されという惨劇が繰り返されましたが、1485年、ボズワースにおいて赤いバラを紋章とするランカスター派のヘンリー・チューダー(後のヘンリー7世)が白バラのリチャード3世に勝利して終焉を迎えました。王位に就いたヘンリー・チューダーはヘンリー7世と名乗り、白いバラを紋章とするヨーク家のエリザベスを妃に迎えて、王位を巡る血で血を洗う抗争はようやく終わりを告げました。
やがて、淡いピンクと濃いピンクの混じることのあるこの品種は、両王家の融合を象徴して”ヨーク・アンド・ランカスター”と呼ばれるようになりました。まことにふさわしい命名と思います。
シェイクスピアやルドゥテが愛した“赤白まじりのダマスクバラ”
シェイクスピアが作品の中で、若い女性の初々しさを表現するとき、”赤白まじりのダマスクバラ”という言葉を使っている箇所がいくつかありますが、シェイクスピアの念頭にあったのは、このバラのことではないかと英国のバラ研究家は考えているようです。
ソネット集99番
…
(愛する人を讃えるのに、最初に吐息をスミレに、つぎに白い手をユリに譬え)
トゲに囲われ、恐れおののくバラたち/The roses fearfully on thorns did stand,
1つめは恥じらって赤く、2つめは(拒絶におののき)白く色ざめ/One blushing shame, another white despair;
3つめは赤でも白でもなく、2つから色を盗み/A third, nor red nor white, had stol’n of both,
色ばかりではなく(香しい)吐息まで盗んだ/And to his robbery had annex’d thy breath;
…
『ソネット集』(ウィリアム・シェイクスピア)
ルドゥテがロサ・ダマスケナ・ヴァリエガータ(Rosa damascena variegate)と銘打って残している美しい植物画も、このヨーク・アンド・ランカスターです。


花色は濃淡が出る明るいピンク。鮮烈な香りがなによりも印象的です。バラの香りとして典型的なものに挙げられるダマスク香を楽しむには最適の品種です。
一般的には古い時代に中東からもたらされたものとみなされていますが、1850年頃、中東で栽培されていたものが見いだされ、ドイツのドクター・ディーク(Dr. Dieck)により公表されたという説もあります。
その鮮烈な香りゆえ、ブルガリア中部のカザンリュック(Kazanluk)近在で、バラ香油の原料として大規模に栽培されていることから、カザンリクと呼ばれるようになりました。また、ハンガリーの他の地域やトルコなどでも、この品種、あるいは近似した品種がバラ香油採取の目的で栽培されていることから、それらを総称して、”トリジンティペターラ(Trigintipetala:”30枚花弁花”)と呼んだらどうかと提案する研究者がありますが、当を得た提言だと思います(R. Phillips & M. Rix, “Best Rose Guide”)。
悪逆のローマ皇帝ヘリオガバルスのバラ
祖母や母を後ろ盾に14歳でローマ皇帝となったヘリオガバルス(在位218-222)は、宗教や政治秩序の破壊、性的倒錯など、奢侈と放縦の限りを尽くし、ローマ史上最悪の暴君と評されています。
有名な逸話としてしばしば引用されているのは、宴会場の天井に天幕を張って大量のバラの花弁を隠しておき、宴たけなわのときに天幕を切って落下させ、招待客が窒息死するのを見て楽しんだとされているものです。

この逸話が本当にあったことなのかどうかは不明です。しかし、エジプト女王クレオパトラがシーザーやアントニウスとの饗宴の席をバラの花弁で飾り立てたと伝えられているなど、バラの花弁の馥郁たる香りは紀元前から楽しまれてきました。
はたしてこれらのバラは、今日主に精油の原料とされているダマスクであったのか、それともダマスクよりも古い由来とされるガリカであったのか、それは残念ながら解き明かされていません。
Credit
文&写真(クレジット記載以外) / 田中敏夫 - ローズ・アドバイザー -

たなか・としお/2001年、バラ苗通販ショップ「
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