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人々を夢中にさせる魅惑の花 チューリップの歴史

人々を夢中にさせる魅惑の花 チューリップの歴史

春になると、一際カラフルに景色を彩る花がチューリップ。丸みを帯びた親しみやすい形で色とりどりの花を咲かせ、子どもから大人まで幅広い人々に愛されている春の花です。今でこそ、可愛らしい姿を誰でも楽しむことができますが、かつてはチューリップの球根一つに、とんでもないほどの高値がついた時代もあったのです。そんなチューリップの歴史について探ってみましょう。

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チューリップの原産地

チューリップが生まれた場所は、トルコからイラン、中央アジアを中心とした北緯40度線に沿ったエリアだといわれています。特にトルコから中央アジアにかけて、野生種が多く見つかっており、トルコやカザフスタンのように、チューリップを国花とする国もあります。このような野生種のチューリップの多くは、現在私たちが目にするチューリップとは異なる花形で草丈が低く、野趣あふれる魅力的な姿をしています。

現在の「チューリップ」という名前は、トルコ語でターバンを意味する「Tulipan」がもとになっているそう。そんなトルコの名産品の一つが、青や赤など鮮やかな色で描かれた絵つけタイル。伝統的な模様のタイルには、チューリップが美しくデザインされたものも多くあり、トルコとチューリップのつながりを感じさせます。

オランダとチューリップ

チューリップの花とともに、多くの人が思い起こすであろう国、オランダ。国土面積は九州とほぼ同じという小さな国ながら、「世界の花屋」とも呼ばれるように、世界有数の花き類生産額を誇り、ヨーロッパの花き流通拠点としても大きな役割を果たす花の国です。春になると色とりどりのチューリップの花が満開に咲き誇り、あちらこちらでチューリップ祭りが開催されています。

風車、運河、そしてチューリップというオランダを象徴する光景。海抜0m以下の土地が国土のおよそ4分の1を占めるオランダでは、風車や運河を利用して土地の開拓が行われてきました。

そんなオランダに、オスマン帝国で栽培されていたチューリップが伝わったのが16世紀のこと。ライデン大学教授として招聘された、植物学者のカロルス・クルシウスが持ち込み、栽培したのが始まりといわれています。1592年にクルシウスがチューリップに関する本を発表すると、この美しく珍しい花は瞬く間に大変な人気を集めました。チューリップ人気は過熱し、球根が盗まれる事態も多発するようになり、クルシウスの庭からも希少な品種が盗まれて高値で取り引きされたそうです。栽培する人が増えて品種が豊富になると、チューリップの人気はさらに高まり、そして、世界最初のバブルと呼ばれるチューリップ狂時代へと突き進んでいきます。

チューリップ狂時代

De Mallewagen alias het valete der bloemisten(The mallewagen or the farewell to the flower lovers), engraved by Crispyn van der Passe d.J. (1597/98-after 1670).
花の女神フローラが手にするチューリップに群がる人々、風任せに破滅へ向かう車と、チューリップ狂時代を風刺した版画。

チューリップ狂時代(チューリップ・バブル)とは、チューリップの球根の価格が異常に高騰し、突然下落した期間を指します。1637年にピークを迎えた頃には、品種によってはピーク時には、「馬車各2台分の小麦とライムギ、太った雄牛4頭、豚5頭、ビール4樽、バター160㎏、チーズ500㎏、ベッド1台と衣類と銀のカップ」を球根1個と交換したという記録が残っています。チューリップは投機の対象となり、商人だけでなく一般の多くの人が売買に参加するようになるとさらに需要が増し、価格が高騰していきました。

チューリップ狂時代に最も高値で取り引きされたといわれるチューリップ‘センペル・アウグストゥス(無窮の皇帝)’。

当時高い値がついたのが、花びらに斑の入る「ブレイク」と呼ばれる現象を起こしたブロークン・チューリップ。のちにこの現象はウイルスによるものだと判明しますが、当時はなぜこのようなことが起こるのか分かっておらず、またウイルス感染により株が弱り、栽培が難しいことから、このような希少な球根は高値で取り引きされました。中でも‘センペル・アウグストゥス’の場合、熟練した大工の年収が250ギルダー程度であった時代に、10,000ギルダーを超える価格がついたともいわれます。

この頃には、実際の球根の受け渡しは行われず、球根の権利を書いた紙が取り引きされる、今でいう先物取り引きが行われていました。見えないものを取り引きするため、実際にはない球根が売られることも多く、また、購入する方も資金の当てがないまま手形で決済し、それをすぐに転売することが繰り返されていました。このように、球根の引き渡しが実際には行われないことから、チューリップ取り引きは「windhandel(風の取り引き)」と呼ばれていました。それも上の風刺画に表れているのかもしれません。

Stilleven met bloemen, by Eelke Jelles Eelkema.さまざまな季節の植物が一度に描かれた不思議な静物画にも、斑入りのチューリップが描かれています。

1637年2月、ハールレムという町でチューリップを購入する人がいなくなるということが起き、これをきっかけにチューリップの価格は急激に下落しました。バブルがはじけた後は、債務不履行の手形があふれ、債務不履行関連の訴訟も相次ぎました。その後、政府が合意価格の3.5%の支払いで売買契約を破棄できるという宣言を出し、混乱は収まりました。最近では、先物取り引きによる空売りが多かったことや、経済の中心であった大商人が既にチューリップの取り引きから手を引いていたことから、オランダ経済への影響は考えられていたほど大きくなかったのではないかと考えられているそうです。

美しいチューリップを楽しめるキューケンホフ公園

チューリップ狂時代が終わった後、しばらくチューリップはオランダ人にとって、苦い思いのある花でした。しかし、その後もチューリップの栽培と品種改良を続けた人々はいました。そして、今日のオランダでは、チューリップは国を代表する花として愛されています。

そんなオランダの中でも、チューリップをはじめとする花々が楽しめる場所として、世界でも指折りの人気を誇るのがキューケンホフ公園。毎年700万球以上の球根花が植えられ、年ごとに異なるデザインの庭景色が楽しめます。波のように広がる色鮮やかなチューリップの花の中に身を置けば、まるで花畑の海の中を漂っているような気分に。今も昔も、この美しい花が人々を魅了することは変わらないようです。

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