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シェイクスピア劇『オセロー』の悲劇のヒロインに捧げられたバラ‘デスデモーナ’

シェイクスピア劇『オセロー』の悲劇のヒロインに捧げられたバラ‘デスデモーナ’

バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、夏の暑さの中でも自宅のバルコニーで開花したイングリッシュローズの‘デスデモーナ’と、その品種名にまつわるウィリアム・シェイクピアの戯曲『オセロー』についてご紹介します。

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バラのカタログから

バラの‘デスデモーナ’
バルコニーに咲いた夏バラの‘デスデモーナ’。

わが家のバルコニーのバラ、今年のニューフェイス5種類のうちの一つが‘デスデモーナ’。昨秋に裸苗を鉢に植え付けたものが、4月下旬から5月にかけて次々と開花し、その清楚な花姿にすっかり心を奪われてしまった。よく返り咲き、夏の暑さの中でも、けなげに花をつけている。バラとの出合いは、デヴィッド・オースチン社のカタログだったが、実際の花は写真よりはるかに魅力的だった。そしてそのバラの名前は、ずっと昔に見た舞台を思い出させてくれた。

ニューヨークの劇場で

新潮文庫版『オセロー』
新潮文庫版『オセロー』の表紙カバー写真。初版は1973年で、現在も版を重ねている。

20代の頃、ニューヨークの小さな劇場で、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『オセロー』の舞台を見たことがある。当時は英語のセリフのほとんどが聞き取れなかったが、ヒロインが陰謀によって死に至ったことは分かり、その理不尽さだけが記憶に残った。後日、福田恒存訳の新潮文庫版『オセロー』を読んで、話の流れは理解できたが、理不尽さは増すばかりだった。

ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『オセロー』

シェイクスピアの生家
英国ウォリックシャー州、ストラトフォード・アポン・エイヴォンにあるシェイクスピアの生家。

『オセロー』(Othello)は、シェイクスピア戯曲の四大悲劇の一つとされる。タイトルのオセローは主人公の名前で、副題は『ヴェニスのムーア人』(The Moor of Venice)。

イタリア、ヴェニスの軍隊の指揮官オセローが、部下イアーゴーの謀略によって、若き新妻デスデモーナの浮気を疑い、その息の根を止めるまでに至ってしまう。真実を知ったオセローは、冷たくなった妻に口づけしながら、自ら剣を以て果てるという物語。

『ハムレット』とほぼ同時期に書かれたとされる戯曲だが、シェイクスピアの他の悲劇のような国家を背景にした国王や王位継承者たちの壮大な人間模様は展開されない。数々の戦歴を持ち、勇敢で、沈着冷静な一人の武人が、言葉巧みな男の策略によって次第に妄想を膨らませていく、その経過を事細かに描いている。いわば心理劇ともいえるもので、現代までに繰り返し上演されてきたのは、そこに普遍的な何かがあるからだろう。

デスデモーナの愛

さまざまな思惑が交錯する物語の中で、ひたすらオセローを信じ、純真な愛を貫くのが、ヒロインのデスデモーナ。だからこそ、いわれもなき罪で夫に締め殺されるという不条理な結末が胸を打つ。

「結婚を嫌って、この国の富める貴公子さえ断りつづけてきた」(父親のセリフ)デスデモーナは、父親にも告げずにオセローの妻となる。ほかの登場人物が北アフリカにルーツを持つムーア人のオセローの肌の黒さを揶揄していることに比べ、彼女はそうした人種への偏見にもとらわれていないのが分かる。純粋にオセローの人間性に惹かれていたのだ。

オセローの最後のセリフから

自分にとって宝ともいえるデスデモーナを殺めた罪を自覚した主人公は、ヴェニス政庁への罪状報告について、次のように懇願する。

「どうしてもお伝えいただきたいのは、愛することを知らずして、愛しすぎた男の身の上、めったに猜疑に身を委ねはせぬが、悪だくみにあって、すっかり取り乱してしまった一人の男の物語。(中略)かつてはどんな悲しみにも滴ひとつ宿さなかった乾き切ったその目から、樹液のしたたり落ちる熱帯の木も同然、潸然と涙を流していたと、そう書いていただきたい」(福田恒存訳、新潮文庫刊)

そして「今、俺にできることは、こうして自らを刺して、死にながら口づけすることだ」というセリフを残し、息絶える。

理不尽な死だからこそ、永遠に生きる

バラ‘デスデモーナ’
清楚な花に、劇中の登場人物デスデモーナのイメージが重なる。

武人としての誇りと美学を以て愛に殉じるオセローだが、デスデモーナの身になってみると、その死はやはり理不尽だ、と思える。もっとも理不尽な最期ゆえに、彼女に思いを寄せる人が絶えないのかもしれない。デスデモーナは多くの画家たちによって描かれ、星やバラの名前として残されている。

現代に上演される『オセロー』

舞台「オセロー」
2007年に蜷川幸雄演出で上演された舞台「オセロー」のチラシ写真。

『オセロー』が上演された最古の記録は、1604年、英国の国王劇団によるものとされる。それから400年以上たった今でも世界各地で上演が続いている。国内で記憶に残っているのは、シェイクスピア戯曲を数多く演出している蜷川幸雄の舞台だ。彩の国さいたま芸術劇場で2007年10月に行われた公演では、オセローを吉田鋼太郎、デスデモーナを蒼井優が演じている。

公演に先立ちヴェニスを訪れた蜷川は、その旅についてインタビューにこう答えている。

「ヴェニスに来て改めて感じたのは、豪奢な貴族社会や支配体制下にあって、徹底的な美意識に取り囲まれている世界だということ。(中略)黒人のオセローがその世界の代表的存在である白人の大貴族の娘と結婚することは、一大悲劇だと確信しました。美しく無垢な魂は必ず邪悪なものに破れるに決まっているものです」

(埼玉県芸術文化振興財団公式サイトより)
舞台「オセロー」
2018年に上演された井上尊晶演出の舞台「オセロー」のチラシ写真。

また2018年9月には、蜷川の演劇を長年支え、その演出の血を受け継ぐ井上尊晶による舞台が新橋演舞場で上演され、オセローを歌舞伎俳優の中村芝翫、デスデモーナを宝塚出身の檀れいが演じている。

オセロゲーム

余談だが、ボードゲームのオセロは、戯曲『オセロー』から名づけられたとされる。正方形の盤上に表裏を黒と白に塗り分けた石を使用し、黒と白を担当するプレイヤーが相手の石を裏返すことで勝負する。「覚えるのに1分、極めるのに一生」というキャッチフレーズがあり、単純なルールだが、多数の戦術があることで知られている。

オセロ
GrooveZ/Shutterstock.com

水戸市のゲーム研究家・長谷川五郎によって現在の形が考案され、その父親・長谷川四郎教授によってオセロゲームと命名された。英文学者の四郎は、黒白の石がひっくり返りながら形勢が次々と変わっていくゲームを、オセローとデスデモーナをめぐって敵味方が目まぐるしく入れ替わる戯曲になぞらえたのだという(長谷川五郎著『オセロゲームの歴史』河出書房新社刊)。ほぼ同様のゲームにリバーシがあり、こちらは19世紀にロンドンで考案されたそうだ。

バラ‘オセロー(オセロ)’Othello

セロー(オセロ)’Othello

1986年、イギリス、デビッド・オースチン作出のイングリッシュローズ。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『オセロー』の主人公に捧げられたバラ。カップ咲きで、深紅色から赤紫色へと花色を変化させ、オールドローズの面影を色濃く残す。四季咲きで、よく返り咲く。

花径:10~13cmの大輪
樹高:120~180cm
樹形:半つる性
香り:強いダマスクの香り

バラ‘デスデモーナ’Desdemona

ラ‘デスデモーナ’Desdemona

2015年、イギリス、デビッド・オースチン作出のイングリッシュローズ。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『オセロー』の悲劇のヒロインに捧げられたバラ。咲き始めはピーチがかった淡いピンク色で、咲き進むにつれ白一色の花色になる。四季咲きで、よく返り咲く。

花径:5~9cm
樹高:90~120cm
樹形:半直立性
香り:オールドローズの香り+アーモンドの花の香り

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