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大正〜昭和の戦前の着物に咲いた華やかなりし洋の花

大正〜昭和の戦前の着物に咲いた華やかなりし洋の花

日本の伝統文化のひとつ、着物は、「Kimono」という国際語で世界にも通用するものになりました。そして近年、おしゃれな装いとして改めて注目されている着物のなかには、バラをはじめとするガーデンに咲く花々が鮮やかに描かれていることをご存じでしょうか? バラ文化と育成方法研究家で「日本ローズライフコーディネーター協会」の代表を務める元木はるみさんに、バラなどの洋花が描かれた美しい着物を紹介していただきます。

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バラをはじめとする洋花がファッションのモチーフとして登場

明治維新以後、西洋からさまざまなものが輸入され始めると、それらは日本のあらゆる文化に影響を与え、和洋折衷文化が花開きました。バラをはじめとする花々も外国から輸入されたものは、「洋の花」(洋花)として高い人気を得、徐々に庶民の手に届くようになっていきました。

「洋の花」は、次第に着物の新しい文様として登場し、女性たちはその着物に身を包んで、当時の最先端のファッションを楽しんだといわれます。今回は、「洋の花」と呼ばれた花々が描かれた大正~昭和(戦前)の礼装やお洒落着の着物をご覧いただきながら、外国からやってきた新しい花々が、どのように人々の暮らしに関わっていったのかを見ていきましょう。

写実的に描かれた洋の花は、
まるでボタニカルアート

「小豆地四季花文様正絹振袖」に描かれている花々は、バラ、チューリップ、シクラメン、アネモネ、プリムラ、スズラン、フリージア、ラッパスイセン、ベゴニア、アマリリス、グラジオラス、撫子、梅、紅葉、菊などです。

写実的で大きく描かれた洋の花に対して、日本古来の梅や菊などが、古典柄で小さく描かれているのが対照的です。また、末広の意味が込められ、若い人の着物に多く用いられる文様のひとつ「扇」も、どこか新しさを感じるデザインです。

この着物に描かれている洋の花は、横浜の園芸会社で、明治45年(1912)までには輸入があったとされ、着物の文様に登場したのは、輸入以後のことだと推測されます。実物の花々を見て描いたのか、それとも花々の画や写真を見て描いたのかは定かではありませんが、描く対象を忠実に表現したことが伝わってくる、まるでボタニカルアートのような文様です。

明治から大正時代にかけては、着物の染色技術が進んだこともあり、色彩の濃淡などの表現がとても豊かになったことも、写実的な表現を可能にしました。縫い(刺繍)も所々に見られ、文様に立体感をプラスしています。

これほどまでに、洋の花を多種意識して盛り込んだ着物からは、外国からきた新しい花々への興味と関心、吉祥文様を残しながらも新しいものをたくさん取り入れ吸収するエネルギー、そして活気に満ちた時代背景が感じられます。

前身頃には、大きく描かれたアマリリスやシクラメン、グラジオラス、撫子、万寿菊など。

アール・ヌーヴォー調に
優美な自然美を表現

「紫地薔薇鈴蘭天竺牡丹文様金紗縮緬」

19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本の浮世絵や精巧な工芸品、また着物の流れるようなラインから影響を受け、欧米で人気となった装飾様式「アール・ヌーヴォー」は、逆輸入の形で、明治の終わり頃から大正時代にかけて、日本に取り入れられました。

それは着物の文様にも表れ、ご紹介の着物のように、植物の自然なフォルムが優美に表現されました。

描かれている花々は、バラ、プリムラ、スズラン、そして当時「天竺牡丹」と呼ばれた「ダリア」です。ダリアは、明治30年(1897)代の終わり頃から明治40年(1907)代に日本でブームになった時期があり、その頃、さまざまな品種が日本に輸入されました。

ご紹介の着物では、前身頃(下前)とおくみにダリア、前身頃(上前)にはバラ、という関係から、当時、洋の花の中ではバラに軍配が上がるという認識であったのではないかと推測されます。

「赤地松鶴薔薇文様縮緬留袖」

現代ではなかなか目にすることがなくなった目の覚めるような赤の縮緬留袖には、吉祥文様の「鶴」や「松」と一緒に、白い「バラ」が大きく描かれています。日本古来の文様と洋の花の「バラ」との取り合わせが、まさに和様折衷な時代背景を表しています。また同時に、この着物がつくられた頃には、すでにバラが牡丹に代わって、大役を果たしていたということが見えてきます。古い伝統や慣習にとらわれず、新しいことを切り開いていく心意気、潔さが、文様から伝わってくるようです。

アール・デコ調に
モダンな抽象美を表現

「赤地薔薇文様御召縮緬振袖」

1910〜30年代に欧米で流行した「アール・デコ」は、それまでの優美で曲線的な自然美を表現した「アー

ル・ヌーヴォー」とは正反対の、合理性のある簡素でパターン化された直線的な装飾様式でした。日本でも大正の終わり頃から「アール・デコ」の影響を受け、着物にも抽象的な文様が描かれました。

写真のように赤地に紺や黒の模様を描いた独特な雰囲気を持つ着物や、現代でも古さを感じさせないモダンな着物がたくさん登場しました。

着物の形は、着る人の体形を別とすれば、袖の長さが違うくらいで、あとはほぼ同じ形です。しかしながら、そこに描かれた文様からは、描かれた当時の時代背景や流行、人々の心までが見えてくるのですから不思議です。古い着物の中に、かつて「洋の花」と呼ばれた花々が華やかに咲いていました。

参考文献:『絵図と写真でたどる明治の園芸と緑化』近藤三雄・平野正裕著(誠文堂新光社) 横浜開港150周年「港町百花繚乱」(横浜開港資料館)

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