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名作『星の王子さま』の作者の名を冠したバラ「サン=テグジュペリ」

名作『星の王子さま』の作者の名を冠したバラ「サン=テグジュペリ」

バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによるバラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、世界中で翻訳され、愛されている名作『星の王子さま』の作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの名を冠したバラ‘サン=テグジュペリ’をご紹介します。

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バラ園での出会い

バラ‘サン=テグジュペリ’
優雅なフリルを纏った、濃いローズピンク色の大輪花で人目を惹くバラ‘サン=テグジュペリ’。

バラ‘サン=テグジュペリ’に初めて出会ったのは、「軽井沢レイクガーデン」を散策していた時だった。濃いローズピンク色の花は艶やかで、『星の王子さま』のイメージからすると、ちょっと意外な気もしたが、子どもの頃に読んだ本の作者が突然目の前に現れたような嬉しさで、心弾んだ。

軽井沢レイクガーデン
「軽井沢レイクガーデン」に咲くバラ‘サン=テグジュペリ’。

『星の王子さま』との出会い

星の王子さま
2000年に岩波書店より出版された、オリジナル版の表紙写真。米国で出版された当時の挿画が収められている。作者は第2次世界大戦中にドイツ占領下のフランスからアメリカに亡命し、『星の王子さま』は、その地で1943年に刊行された。

小学生の頃、部屋の本棚に子ども世界文学全集が毎月1冊ずつ届いていたので、いつの間にか手に取って読んでいたのが『星の王子さま』だった。当時内容を十分理解していたとは思えないが、星から来た王子さまのファンタジーに魅せられ、「おとなは、だれもはじめは子どもだった。(しかしそのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」という献辞に添えられた文章を読んで、わくわくしたことを憶えている。

『星の王子さま』の世界

『星の王子さま』(池澤夏樹訳)
2005年に集英社から出版された『星の王子さま』(池澤夏樹訳)の表紙写真。

世界中で200以上もの言語に翻訳され読まれている『星の王子さま』。サハラ砂漠に不時着した操縦士の「ぼく」が出会った金色の髪の少年は、小さな惑星からやって来た王子さまだった。王子さまとの会話から、いつしか大人になって子どもの心を失いつつある「ぼく」は改めて、「自分にとって大切なものは何か」に向きあう。

『星の王子さま』(岩波書店刊、内藤濯訳)でよく知られたフレーズは、王子が出会ったキツネの言葉「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ。」
王子さまは地球でたくさんのバラを見て、自分の星に残してきた1輪のバラを思う。そしてそのバラこそが自分にとってかけがえのないものだったことに気づく。

文中で1輪のバラや、星、砂漠の井戸などが隠喩するものは、「愛する人」「絆」「ことの真理」だろうか。さらに私が好きなのは、砂漠に降りたった王子さまが最初に出会った花の言葉。「人間?(中略)風に吹かれて歩きまわるのです。根がないんだから、たいへん不自由していますよ」。

「星の王子さま」の作者

サンテグジュペリ
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ。1933年にフランス・トゥールーズで撮影された写真。この頃パイロットとして、モロッコのカサブランカから西アフリカへの飛行に従事していた。Distributed by Agence France-Presse, Public domain, via Wikimedia Commons

『星の王子さま』の作者、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupery 1900-1944) は、フランスのリヨン生まれ。幼い頃から飛行機に憧れ、軍や民間会社の操縦士を経て、1927年に郵便飛行士となった。同時にこの頃から小説を書き始め、1929年に『南方郵便機』、1931年に『夜間飛行』を出版している。

『夜間飛行』と『南方郵便機』

夜間飛行
『夜間飛行』(新潮文庫)の表紙写真。カバー挿画はアニメーション映画監督の宮崎駿が描いている。

新潮文庫の『夜間飛行』には『南方郵便機』も含まれ、サン=テグジュペリが自身の操縦士としての経験をもとに、創生期の郵便飛行業の夜間飛行に賭ける人々を描いている。

『人間の土地』

人間の土地
『人間の土地』(新潮文庫)表紙写真。こちらも挿画の作者は宮崎駿。

操縦士としての実体験をもとにした8編のエッセイが収められた書で、『飛行機と地球』では、次のように綴られている。空中からの彼の視界は、あたかも別の星から地球を見ているかのようだ。「僕らは1個の遊星の上に住んでいる。ときどき飛行機のおかげで、その遊星がわれわれに本来の姿をみせてくれる」。

『砂漠で』では、作者にとって砂漠とは何かを問い、一見空虚と沈黙でしかないその地に深い愛を抱き、生きることの本質を辿る。『砂漠のまんなかで』は、パリ―サイゴン間の最短時間飛行に挑戦中に、不時着したリビヤ砂漠で生死の境を彷徨った体験を綴っている。『星の王子さま』は、こうした体験や思索から生み出されたことがよく分かる初期作品だ。

幸福な子ども時代

リヨン サン=テグジュペリと星の王子さまの像
フランス・リヨンのベルクール広場に建つサン=テグジュペリと星の王子さまの像。リヨンは作家の生まれた街で、リヨンの国際空港は、2000年に生誕100年を記念して「サン・テグジュペリ国際空港」と命名された。trabantos/Shutterstock.com

サン=テグジュペリはその著書『戦う操縦士』(新潮社、堀口大學訳)の中で、「ぼくの出身地は<こども時代>だ。ぼくは、幼少期という場所からやって来たのだ」と書いている。そうした彼の幼少期の様子が分かる本がある。『庭園の五人の子どもたち』(吉田書店刊、谷合裕香子訳)は、サン=テグジュペリの姉シモーヌが日記をもとに、家族が過ごした日々を綴った書だ。

庭園の五人の子どもたち

リヨンで生活していた一家は父の死後、母方の大叔母ド・トリコー伯爵夫人の城、サン=モーリス・ド・レマンス城に移り住んだ。リヨンの北東30kmに位置するその城は、菩提樹の並木の先に広大な屋敷と庭園がある場所。5人の子どもたちは庭園を駆けめぐり、動物と遊び、隠れ家をつくるのに精を出した。屋敷の中では、屋根裏部屋の探険や、互いに創作した物語を語り合い、芝居を演じて見せるなど、創造性に富んだ子ども時代を過ごしている。操縦士としての経験と同時に、彼の豊かな感性の源が、この家や庭園にあることがよく分かる。

地中海に消えた作者

サン=テグジュペリは、1943年に亡命中のアメリカからフランス領アルジェリアに戻り、偵察飛行隊に復帰。翌年フランス上空の写真偵察のためコルシカ島から飛び立ち、消息を絶っている。1998年にマルセイユ沖で彼のブレスレットが漁師の網にかかったことから、戦闘機が引き上げられるという出来事があった。ドイツ軍の戦闘機によって撃ち落とされたと推測されたが、その真相は謎のままだ。

バラ‘サン=テグジュペリ’ Saint-Exupery

バラ‘サン=テグジュペリ’

2003年、フランス、デルバール社作出、『星の王子さま』の作者の名前を冠したバラ。

フリルのかかった濃いローズピンク色の大輪花で、ディープカップから、開花が進むにつれ、クォーターロゼット咲きに変わる艶やかな花。

四季咲き
花径:約10cm
樹高:120~150cm
樹形:直立性

バラ‘サン=テグジュペリ’
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