バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、ドラマチックな人生を送った20世紀最大のオペラ歌手マリア・カラスの生涯と、その名を冠したバラ ‘マリア・カラス’をご紹介します。
目次
歌姫がやってきた
マリア・カラスの名前が冠されたバラがわが家にやってきたのは、二十数年前のこと。バラ園のカタログから、その名前に惹かれて苗を求めた。バラ‘マリア・カラス’は「ドラマチックな人生を送った、20世紀最大のオペラ歌手」という名声に相応しく、濃いローズピンク色の大輪の花を咲かせた。
マリア・カラスは奔放な恋の噂と、映像が示す圧倒的な存在感で、オペラとは縁のない少女時代の私にもその名が記憶されていた。大人になってその歌声に耳を傾けると、透き通った高音の中に含まれるまろやかで甘美な響きに魅せられた。
わが家では、バラたちが夕陽のスポットライトを浴びる午後の遅い時間が、彼女の出番だ。バルコニーにCDデッキを持ち込んで、「トスカ」の一節「歌に生き、恋に生き」を流せば、深みのあるローズ色の花弁はひときわ輝いて見えた。
ディーバ(歌姫)への道
マリア・カラス(Maria Callas 1923-1977)はギリシャ系移民の両親のもと、アメリカ、ニューヨークに生まれた。1937年、母とともにギリシャに移り住み、アテネ音楽院で学んだ。17歳から入学資格が与えられるところを、年を偽り13歳で入学した、とドキュメンタリー映画の中で本人が語っている。
ソプラノ歌手エルビラ・デ・イダルゴの指導を受け、才能を開花させたカラスは、アテネ歌劇場でデビュー後、1950年代にはミラノ・スカラ座、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、パリ・オペラ座など、世界各地の名だたるオペラハウスに出演。優れた歌唱力と心理描写で「オペラの登場人物に血肉を与えた歌い手」と評された。
主要なレパートリー
ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」、ベッリーニの「ノルマ」「夢遊病の女」、ヴェルディの「椿姫」、プッチーニの「トスカ」「トゥーランドット」などが主要なレパートリーとされ、繰り返し歌われ、また録音もされている。
当たり役に悲劇の主人公が多く、哀愁を込めた歌声が記憶に残るのは、家族からの愛や結婚後の夫からの愛に恵まれず、常に満たされない思いを抱えていたからかも知れない。それが演じる人物に深い陰影を与えている。「ノルマ」の劇中、第1幕で歌われる「清らかな女神よ」は「天の平和を地上にも」と、祈りにも似た歌声で聴く者の心を震わせる。
ドキュメンタリー映画「私はマリア・カラス」
マリア・カラスについての伝記や映画は驚くほど多い。ドラマチックな生涯に光を当てようと、あらゆる角度からの試みがなされている。中でも2017年にフランスで公開されたドキュメンタリー映画「私はマリア・カラス」(原題「Maria by Maria」)は、トム・ヴォルフ監督が3年をかけて集めた、本人の肉声、未完の自叙伝、手紙文、未公開舞台やプライベート映像で構成され、興味深い。そこにはマリア・カラスという歌い手の強い信念とともに、ひとりの女性としての揺れ動く心情が描き出されている。
オナシスとの恋
マリア・カラスを語るのに、ギリシャの海運王アリストテレス・オナシスの存在は欠かせないだろう。1957年にイタリア、ヴェニスでオナシスに出会った彼女は、「彼を心から愛している」「神によってひきあわされた相手」と語っている。映画の中にビゼー作曲「カルメン」から「恋は野の鳥」を歌うシーンがあるが、実に幸せそうな表情を見せていた。オナシスの愛に包まれていた頃の歌声ではないだろうか。
それは、最初は母親から、次はマネージャーを務めた夫から、絶え間なく舞台に立つことを要求された彼女にとって、歌う機会を自由に選べるという歓びの時でもあった。
失意の時
オナシスとマリア・カラスの関係は世界的に知れわたっていた。だがオナシスは突然、元アメリカ大統領夫人のジャクリーヌ・ケネディとの結婚を発表。その時のことをカラスは「一撃された気分。呼吸ができないほどだった。9年もともに過ごしていたのに、彼の結婚を新聞で知ったのだ」と語っている。
ほどなくしてオナシスはカラスのもとに戻ってきたが、彼女が受けた心の傷は癒えないままだった。
幕引きの時
1958年、気管支の炎症で突然声が出なくなるというアクシデントに見舞われ、ローマでの公演をキャンセル。喉を酷使したことと、不摂生な生活が原因だった。その後復活を果たしたが、1965年にパリ・オペラ座での公演を途中で中止せざるを得ない状況に陥り、これが最後のオペラの舞台となった。
エーゲ海の彼方
再起を望んでいたが、カラスは1977年にパリの自宅で逝去。53年の生涯だった。一度はパリ20区にあるペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたが、1979年にギリシャ沖のエーゲ海に散骨された。
私がカラスのことを思う時、浮かんでくる映画の情景がある。イタリアのフェディリコ・フェリーニ監督の「そして船は行く」のワン・シーン。オペラ歌手が亡くなり、友人たちが遺灰を彼女の故郷の島に近い海に撒くために船出する。島影が見えたころ、歌声が響く甲板から、風に乗った灰が静かに流れるように空に、海に消えていく。映画のストーリーの詳細は思い出せないが、その場面だけが鮮明に記憶の中に残っている。
完成した自叙伝
マリア・カラスはインタビュー映像の中で、オペラについて、「私にとって不可欠なもの。自己表現の手段。私の宇宙」と語っている。書いていた自叙伝は未完のまま残されたが、インタビューでは次のように語っている。
「私の自叙伝は、歌の中に綴られている。歌は私の唯一の言語だから」
マリア・カラスの歌声は、今も多くの人を魅了してやまない。2019年には全盛期の歌声から名アリア33曲を集めたCD2枚組が発売された。それはひとりの女性の、完成された自叙伝にほかならないだろう。
バラ‘マリア・カラス Maria Callas’
フランス、メイアン社のマリー=ルイーズ・メイアンが1965年に作出。この年オペラの舞台を事実上引退したマリア・カラスに捧げられた。
濃いローズピンク色の半剣弁高芯咲き。四季咲き。
花径10cmの大輪。
樹高120~150cm、樹形は半直立性。
枝変わりに‘つるマリア・カラス’がある。
バルコニーの‘マリア・カラス’は、わが家に数年間滞在した後、彼女の大ファンだという友人宅に移って行った。庭に地植えされたバラは、大きく枝を伸ばし、5月の空に向かい高らかにその姿を歌い上げていた。
Credit
写真&文 / 松本路子 - 写真家/エッセイスト -
まつもと・みちこ/世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2024年、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルム『Viva Niki タロット・ガーデンへの道』を監督・制作し、9月下旬より東京「シネスイッチ銀座」他で上映中。『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。
- リンク
記事をシェアする
新着記事
-
ガーデン&ショップ
「第3回 東京パークガーデンアワード 砧公園」 ガーデナー5名の“庭づくり”をレポート!
第3回目となる「東京パークガーデンアワード」が、東京・世田谷区にある都立砧公園でキックオフ! 作庭期間は、2024年12月中旬に5日間設けられ、書類審査で選ばれた5名の入賞者がそれぞれ独自の手法で、植物選びや…
-
宿根草・多年草
花束のような華やかさ! 「ラナンキュラス・ラックス」で贅沢な春を楽しもう【苗予約開始】PR
春の訪れを告げる植物の中でも、近年ガーデンに欠かせない花としてファンが急増中の「ラナンキュラス・ラックス」。咲き進むにつれさまざまな表情を見せてくれて、一度育てると誰しもが虜になる魅力的な花ですが、…
-
ガーデン&ショップ
都立公園を新たな花の魅力で彩る「第3回 東京パークガーデンアワード」都立砧公園で始動
新しい発想を生かした花壇デザインを競うコンテストとして注目されている「東京パークガーデンアワード」。第3回コンテストが、都立砧公園(東京都世田谷区)を舞台に、いよいよスタートしました。2024年12月には、…