バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、ヨーロッパのモナコ公国グレース妃に捧げられたバラ‘プリンセス・ド・モナコ’の気品あふれる花姿と公妃のストーリーをご紹介します。

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プリンセスがやってきた

バラ‘プリンセス・ド・モナコ’
優美な花姿で魅了する、わが家のバルコニーで咲いた‘プリンセス・ド・モナコ’。

「地中海の宝石」と称されるヨーロッパのモナコ公国。その公妃に捧げられたバラ‘プリンセス・ド・モナコ’がわが家にやってきたのは、20数年前。友人が誕生日祝いにプレゼントしてくれた苗木が、翌年から開花した。白い花に鮮やかなピンクの縁取りが際立つ、気品あふれる花姿だ。花を愛し、特にバラに関しては特別な思いを抱いていたモナコ公国グレース妃。バラの名前とともに、その生涯の断片に触れてみたい。

女優からプリンセスへ

グレース・ケリーの切手
1993年にアメリカで発行された、グレース・ケリーの肖像切手。映画「裏窓」のスチール写真が使用されている。spatuletail/Shutterstock.com

モナコ公国グレース公妃(Princesse Grace de Monaco 1929-1982)は、ハリウッド女優グレース・ケリーから、プリンセスへと華麗な変身を遂げたことで知られる。彼女の出演した映画は今でも繰り返し上映されるので、私にとっても、女優グレース・ケリーのスクリーン上の姿はなじみ深いものだ。

グレース・ケリーをプリンセスに迎えたことで、ヨーロッパの小国モナコもさらに輝きを増すことになった。そしてプリンセスが自ら運転する車で断崖から転落し、52歳という若さで亡くなったという劇的な出来事もまた、一つの伝説のように語り継がれている。

女優グレース・ケリー誕生

グレース・パトリシア・ケリーは、アメリカペンシルバニア州フィラデルフィアの裕福な家庭に生まれ、厳格な母親のもとで、厳しいしつけを受けて育った。少女時代にバレエと演劇に出会い、両親の反対を押して18歳でニュ―ヨークにある演劇学校に入学。モデルや舞台の端役を経て、テレビや映画に出演するようになった。

ハリウッドのウォーク・オブ・フェイム
アメリカ、ハリウッドのウォーク・オブ・フェイムにあるグレース・ケリーの名前が刻まれたプレート。エンターテイメントの世界で活躍した人物の名前が記された星形の敷石は5kmにわたり続き、グレース・ケリーのプレートは、ハリウッド大通り6329のあたりにある。Hayk_Shalunts/shutterstock.com

グレース・ケリーを映画女優としてスターダムに押し上げたのは、アルフレッド・ヒッチコック監督だろう。『ダイヤルMを廻せ』(1954年) 『裏窓』(1954年) 『泥棒成金』(1955年)の3作によって、気品と茶目っ気溢れる彼女の姿は世界中の人々を虜にした。ヒッチコックは一見クールに見えるグレースの内に秘めた情熱を見抜き、「雪におおわれた活火山」と評している。彼女の後の生涯にふれる時、この言葉は興味深い。

レーニエ大公との出会い

グレース・ケリーは映画『喝采』(1954年)で、アカデミー主演女優賞を受賞。「喝采」が上映されるのを機に、1955年5月、カンヌ映画祭に出席することになった。グレースのカンヌ行きを聞きつけたフランスの雑誌『パリ・マッチ』が企画したのが、彼女とモナコ大公レーニエⅢ世の2人をモナコ宮殿で写真撮影することだった。グレースは気が進まないまま、断れずにモナコに向かった。

雑誌の企画による出会いだったが、2人は思いのほか打ち解けて、庭園を散策しながら語り合った。グレースはカンヌを去る時、ニューヨークの自宅の住所を記した礼状をレーニエ大公宛にしたためた。そこから2人の文通が始まり、互いの思いを交換したのだという。

アメリカでのプロポーズ

グレース・オブ・モナコ
ジェフリー・ロビンソンの著書『グレース・オブ・モナコ』日本版(角川文庫、2014年刊)の表紙。原題は『Rainier and Grace :An Intimate portrait』で、モナコ大公一家に直接インタビューした内容になっている。

同年のクリスマスに、フィラデルフィアのケリー家を訪れたレーニエ大公は、数日を共に過ごす中で、グレースにプロポーズ。レーニエ大公へ直接インタビューしたジェフリー・ロビンソンの著書『グレース・オブ・モナコ』(角川文庫刊。藤沢ゆき・小松美都訳) によると、大公は以下のように語ったという。「フィラデルフィアで再会して互いに確信しました。今したいことは一緒に生きることだと。(中略) 2人で話し合い、考え、前に踏み出そうと決めたのです。愛しあっていましたから」

モナコ公妃誕生

バラ‘グレース・ド・モナコ’
‘グレース・ド・モナコ’。1956年、レーニエ大公との婚礼を祝して、作出者のフランシス・メイアンからグレース公妃に贈られたバラ。

ニューヨークを出航した客船コンスティテューション号が、8日間の船旅の後、モナコのヘラクレス湾に到着したのは、1956年4月。湾でグレースを出迎えたのは、自家用のモーターヨットに乗ったレーニエ大公で、彼女はバラのブーケを手に客船からヨットに乗り移り、モナコに入国という劇的なシーンを演じている。女優としての絶頂期のキャリアを捨て、未知なる世界に降り立った彼女の新たな舞台への登場だった。

モナコ大聖堂
モナコ宮殿王座の間での法律上の結婚式の後、宗教上の結婚の儀式が執り行われた、モナコ大聖堂(Cathedrale de Monaco)。Anton_Ivanov/Shutterstock.com

宮殿とモナコ大聖堂での2度にわたる結婚の儀式は、テレビを通じて配信され、豪華なウェディングドレスと125年前に織られたバラのレースのベールを纏ったグレースの姿は、ため息とともに全世界を駆け巡った。

困難と栄光と

モナコ公国特別記念切手
モナコ公国発行の結婚を祝す特別記念切手。2人の肖像とともに1956年4月19日の日付が記されている。 catwalker/Shutterstock.com

前述のロビンソンの著書によると、モナコ国民はグレース・ケリーがモナコにやってきたのは大歓迎だったが、彼女のことをグレース公妃と呼び始めるのには4、5年かかったという。彼女自身もこの間は多くの困難を抱えていた。まずは言葉の問題。フランス語を日常的に使えるようになるまでは多くの時間を費やしたことだろう。さらに一国のプリンセスとしての立ち位置の模索。

モナコ
モナコ、宮殿や大聖堂のあるヴィル地区から見た、モンテカルロ港と市街地。Dan Breckwoldt/Shutterstock.com

そうした困難を乗り越え、グレース公妃がモナコにもたらしたものは多大だ。公務と外交の場で魅力を発揮し、そのニュースが世界中に発信されると、多くの人々がモナコを訪れるようになった。赤十字の総裁としての社会活動、文化や芸術の面での新しい試み、劇場の再建など、功績は数えきれない。

私にとって印象的なのは、何度か見たモンテカルロバレエ団の舞台。公妃は「ダンス・アカデミー・モナコ」を創立し、バレエダンサーの育成に努めた。その意志を継いだ娘のキャロリーヌ王女が1985年に設立したのがモンテカルロバレエ団。ジャン=クリストフ・マイヨーが率いるバレエ団は、古典の名作を現代風にアレンジした独特の舞台を展開し、異彩を放っている。2022年11月には来日し、シェイクスピアの『じゃじゃ馬馴らし』を上演する予定だ。

花への思い

私の花の本
『私の花の本』英語版表紙。18章で成り立つ著書は、花への愛と同時に植物の研究書としても充実し、特にバラについては、その歴史や文化を詳細にたどっている。

少女のころから庭の一画に自分の花壇を持っていたというグレースの、花への思いには格別なものがある。1966年にモンテカルロ国際フラワーショーを提案。ショーは長年続き、モナコ・ガーデン・クラブを設立後、理事長となった公妃は、花を通じた芸術振興に取り組んだ。

フラワーショーで押し花画に出会い、花びらや葉をプレスして乾燥し、台紙の上で自由に構成するというコラージュ作品を、自ら創作するようになった。自分を表現する手段を見つけたのだ。何時間もアトリエに籠って創作は続けられた。1980年に出版された『MY BOOK OF FLOWERS』(Doubleday刊)の中で、「花への愛は私に多くの扉を開いてくれました」と述べている。押し花絵画はパリやニューヨークのギャラリーで展示され、わが国でも2006年、2016年とお披露目されている。

永遠への道

グレース公妃の切手
1966年にモナコ公国発行の、グレース公妃と3人の子どもたちの肖像切手。neftali/Shutterstock.com

キャロリーヌ王女、アルベール王子(現・モナコ大公アルベールⅡ世)ステファニー王女と3人の子どもに囲まれ、レーニエ大公とともに撮られた幸せそうな家族写真。だがその出来事は突然にやってきた。1982年9月のことだ。南仏ロックアジェルの別荘からモナコに帰る途中、公妃の運転する車が、カーブを曲がりきれずに転落。彼女は52年の生涯を閉じた。訃報は世界を駆けめぐり、人々に与えた衝撃の大きさは計り知れない。

私はニースからモナコへ車で移動したことがあるが、カーブも多く、眼下に地中海を見下ろす切り立った断崖が続く、険しい道だった。小国のモナコを「ヨーロッパの宝石」へと変えた公妃は、モナコ大聖堂に眠り、今でも墓前に花が絶えることがない。「宝石」は彼女の記憶とともに、永遠に輝き続けるに違いない。

モナコ大聖堂内のグレース公妃の墓
モナコ大聖堂内のグレース公妃の墓。ファーストネームとミドルネームがフランス語表記でGratia Patriciaと刻まれている。主祭壇を囲むように歴代君主の墓碑が並び、グレース公妃とレーニエ大公は隣り合って眠っている。Marco Rubino/shutterstock.com

公妃のバラ園

グレース公妃バラ園
モナコ、フォンヴィエイユ地区にあるグレース公妃バラ園の入り口。入園無料で開放されている。Ingo70/Shutterstock.com

グレース公妃が花の中で最も愛したのはバラ。公妃亡き後、レーニエ大公によって1984年にフォンヴィエイユ公園の一角に、グレース公妃バラ園(Roseraie Princesse Grace)が造られた。創設30周年を迎えた2014年、バラ園の敷地は5,000㎡に拡張され、300種類、8,000本のバラが植えられた。バラ園は8つのテーマに分けられ、ウェブサイト(www.roseraie.mc)で写真とともに、それぞれのバラの所在場所を知ることができる。

また30周年のリニューアルに向けて、バラ園の写真集(『Roseraie PRINCESSE GRACE』Stile Libero刊)が、3カ国語で出版されている。

グレース公妃バラ園
ライトアップされた夜のバラ園俯瞰写真。Iryna Savina/Shutterstock.com
グレース公妃バラ園
グレース公妃バラ園は、グリマルディ家(モナコ公家)のバラをはじめとして、香りのバラ、殿堂入りのバラなど、8つのコーナーに分けられ、ウェブサイトでバラの所在を知ることができる。Margarita Hintukainen/shutterstock.com

公妃は前述の『MY BOOK OF FLOWERS』で、バラについて熱を込めて語っている。

「バラはどうしてこんなにも特別な花なのでしょう。たぶん長い時をかけて作り上げられた神秘性のためかも知れません。絶えまなく与えてくれる歓びのせいかも。人は言葉で表現できない時、それをバラに託してきました。(中略)野生のバラからハイブリッドのバラまで、その美しさは比例のないものです」(松本路子訳)

家族のバラ

バラ‘ジュビレ・デュ・プリンス・ド・モナコ’
‘ジュビレ・デュ・プリンス・ド・モナコ’。レーニエ大公の即位50周年を記念して、2000年にメイアンから捧げられた。モナコの国旗の色、赤と白からなる鮮やかなバラ。
モナコ公室のバラ
左/‘キャロリーヌ・ド・モナコ’右/‘ステファニー・ド・モナコ’

バラ園ではバラ‘プリンセス・ド・モナコ’とともに、公妃の像が立っている。さらに夫、レーニエ大公の即位50周年を記念したバラ‘ジュビレ・デュ・プリンス・ド・モナコ’、3人の子どもの名前を冠したバラ‘キャロリーヌ・ド・モナコ’、‘ プリンス・アルベールⅡ世・ド・モナコ’、‘ステファニー・ド・モナコ’、現モナコ大公アルベールⅡ世の公妃のバラ‘プリンセス・シャルレーヌ・ド・モナコ’などが周囲に花開き、家族に囲まれた像は、かすかに微笑んで見えた。

バラ‘プリンセス・シャルレーヌ・ド・モナコ’
‘プリンセス・シャルレーヌ・ド・モナコ’。現・モナコ大公アルベールⅡ世の公妃に捧げられたバラ。‘プリンセス・シャルレーヌ・ド・モナコ’についての記事はこちら

バラ‘プリンセス・ド・モナコ’‘Prinsesse de Monaco’

バラ‘プリンセス・ド・モナコ’

モナコ公妃に捧げられたバラ。モナコ・ガーデン・クラブが運営する、第1回モナコ国際バラコンクールに審査委員長として出席した公妃が、一目で気に入ったバラにこの名前が付けられた(‘プリンセス・ドゥ・モナコ’と呼ばれることもある)。

1981年、フランス、マリー=ルイーズ・メイアン作出。

木立ち性の四季咲きバラ。

バラ‘プリンセス・ド・モナコ’

花は花径10~12cmの大輪で、白地にピンクの覆輪が入る。

樹高は100~150cm。樹形は半横張り性。

枝変わりに‘つるプリンセス・ド・モナコ’がある。

Information

Roseraie Princesse Grace

住所:Av.des Papalins 98000 Monaco

電話:+377 98 98 27 27

開園:24時間

入園料:無料

モナコへのアクセス:陸路は、パリからモンテカルロ駅までTGVで約6時間。空路はニース・コート・ダジュール国際空港へ。空港からモナコまで、列車で約20分、バスで約50分、ヘリコプターで約7分。

HP: http://www.roseraie.mc

Credit

写真&文/松本路子
写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-22年現在、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。

『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。www.matsumotomichiko.com/news.html

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