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「ファッションデザイナーたちのバラ」【バラの名前・出会いの物語】

「ファッションデザイナーたちのバラ」【バラの名前・出会いの物語】

バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、シャネル、ソニア・リキエル、ピエール・カルダンなど、服飾の世界だけでなく、女性たちのライフスタイルにまで大きく影響を与えたファッションデザイナーに捧げられたバラたちをご紹介します。

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華麗なるファッションの世界

「ガブリエル・シャネル展」
東京・丸の内で開催中の「ガブリエル・シャネル展」(2022年9月25日まで)会場入り口。

バラ園巡りをしていると、思いがけない人物の名前を冠したバラに出会うことがある。ファッションデザイナーに捧げられたバラもその例だ。シャネル、ソニア・リキエル、ピエール・カルダンなど、服飾の世界だけでなく、女性たちのライフスタイルにまで大きく影響を与えたデザインの先駆者たち。バラの名前とともに、その人物像の一端に触れてみたい。

シャネル「コルセットからの解放」

2022年6月、東京・丸の内の三菱一号館美術館で「ガブリエル・シャネル展 Manifeste de mode」が始まった(2022年9月25日まで)。シャネルの創業者、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel 1983-1971)は、「20世紀でもっとも影響力の大きな女性ファッションデザイナー」と評される。東京での展示は、パリの美術館での大規模な回顧展を再構成したもので、8つのテーマ別にデザイナーの生涯にわたる仕事を、その理念とともに紹介している。

「ガブリエル・シャネル展」
「ガブリエル・シャネル展」案内チラシ、表と裏面。シャネルの回顧展を日本で開催するのは32年ぶりだという。

ココ・シャネルの愛称で知られる彼女の功績は、何といっても下着やコルセットで身体を締め付ける、19世紀の装飾的な服装から女性を解放したことにある。実用的で、着心地のよさを中心にしたファッションを生みだしたのだ。それは20世紀初頭、女性の社会進出が始まった時期と無縁ではない。男性の服であったスーツ、ジャケット、パンタロンを女性用にデザインして、機能性とエレガントな美を兼ね備えたものにしている。

それまで喪服にしか用いられなかった黒色の布で、「リトル・ブラック・ドレス」と呼ばれる優雅なドレスを作り出したのも彼女だ。現代の女性たちが当たり前のように着ている服は、一人の女性の既成のドレスコードへの挑戦の結果生み出されたものともいえる。

シャネルのショルダーバッグ
1955年に登場したチェーンを用いたシャネルのショルダーバッグは、優雅なフォルムと、両手が自由に使えるという機能性で、画期的なものだった。 Helen89/Shutterstock.com

彼女はシャネルのトレードマークともいえるCを2つ組み合わせたモノグラムを自らデザインし、香水、バッグ、ジュエリーと、トータルなファッションを展開する一大帝国を築き上げた。

アーティストのためにシャネル財団を設立。南仏に「ラ・パウザ」という庭園のあるヴィラ、パリ郊外にヴィラ「ベル・レスピロ」を造り、画家、音楽家、詩人などを招き、彼らを支援する活動を行った。ヴィラの客はジャン・コクトー、パブロ・ピカソ、サルバトール・ダリ、イゴール・ストラヴィンスキー、マリー・ローランサンなど、のちに現代を代表するアーティストとなる面々だった。

バラ‘シャネル Chanelle’

バラ‘シャネル’

1959年、イギリスのサミュエル・D・マックグレディ作出。

つぼみは濃いオレンジ色で、花色は淡いピンクから杏色へと変化し、シャネルの名前に相応しい優美な花姿を見せる。

花径8~10cm。四季咲き。樹高は約100cmで、樹形は半横張り性。

15年間の活動休止期間を経て、1954年にクチュールハウスを再開したシャネルに捧げられた。

ソニア・リキエル「カラフルなニット」

ソニア・リキエル(Sonia Rykiel 1930-2016)は、それまで家庭着・日常着だったニットをファッショナブルなアイテムとして定着させ、「ニットの女王」と呼ばれた。妊娠中に着たいと思えるマタニティウェアがなかったことから、自らマタニティドレスとセーターを作ったことがデザイナーになるきっかけだった。夫の経営するブティックに並べた「貧しい少年のセーター」(「Poor Boy Sweater」)と呼ばれたニット製品が雑誌に取り上げられ、一躍注目された。

ソニア・リキエルのブティック
パリ、サンジェルマン・デュ・プレのソニア・リキエルのブティック。Lucille Cottin/Shutterstock.com

1968年、パリ左岸、サンジェルマン・デュ・プレにブティックをオープン。「脱流行」(「demode」)を唱え、「自由、大胆、自信」をモットーとした服作りで、新しいパリジェンヌのイメージを打ち出した。

小説や自伝のほか、ファッションについての自説を語った『裸で生きたい ソニアのファッション哲学』(1981年、文化出版局刊)、フォトエッセイ集『ソニア・リキエルのパリ散歩』(2000年、集英社刊)などを出版し、作家としても活動。映画出演や歌に挑戦するなど、多彩な面を見せた。

2018年、ブランド設立50周年を記念して、サンジェルマン・デュ・プレの一画が、ソニア・リキエル通りと名付けられた。そこは彼女が暮らしたラスパイユ市場の近くで、通りでは命名を記念したファッションショーが繰り広げられた。パリの通りに名前が冠された、初めてのファッションデザイナーだという。

バラ‘ソニア・リキエル Sonia Rykiel’

バラ‘ソニア・リキエル’

1995年、フランスのギヨー作出。ソニア・リキエルに捧げられたバラ。

ほのかな琥珀色を含むピンク、クォーターロゼットの房咲き。花径10~12cmの中大輪。四季咲きで、繰り返しよく咲く。

樹高120~150cm、樹形は半つるで横張り性。

香りのバラと称され、フルーティな香りが際立つ。

ピエール・カルダン「宇宙時代的スタイル」

ピエール・カルダン
2012年、スペインのバルセロナで開かれたファッションショーの最後に、ランウェイに登場したピエール・カルダン。 catwalker/Shutterstock.com

ピエール・カルダン(Pierre Cardin 1922-2020)は、イタリア・ベニスに生まれ、2歳の時に一家でパリに移住。クリスチャン・ディオールのアトリエを経て、1950年に独立。幾何学模様や直線を用いた、近未来的で斬新なスタイルは、「宇宙時代的」(コスモ・コール)と称された。

富裕層向けのオートクチュールから脱却し、60年代にデパートで誰でも買えるプレタポルテに参入。ライセンス契約を導入し、ライフスタイルに関わるあらゆる商品をデザイン。商品は飛行機からスリッパまで多岐にわたり、当初パリのファッション界で批判を浴びたが、やがて多くのデザイナーが生活を取り巻く商品のデザインに関わるようになった。

モードの民主化とともに、日本人の松本弘子をはじめとして、アジア人、アフリカ人など、多様な人種のモデルをファッションショーや広告に起用。それは1960年代のフランスのファッション界では、画期的な出来事だった。

1972年、パリ8区に劇場、映画館、ギャラリーを併設した「エスパス・ピエール・カルダン」を設立。ファッションとアートの殿堂を目指した。98歳で亡くなる直前まで、精力的に活動を続けた。

バラ‘ピエール・カルダン Pierre Cardin’

バラ‘ピエール・カルダン’

2008年、フランスのメイアン作出。ピエール・カルダンに捧げられたバラ。

ソフトピンクをベースに、ローズ色の霜降り状のスポットが加わる優雅な花姿。

四季咲き性。剣弁高芯咲きの大輪で、花径は10~15cm。

樹高は約150cmで、樹形は直立性。

「クリスチャン・ディオール」に捧げられたバラについてはこちら。

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