バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、フランスのファッションデザイナーに捧げられたバラ‘クリスチャン・ディオール’と、バラをモチーフにした多数のコレクションとそのストーリーをご紹介します。
目次
ひときわ目立つ深紅のバラ
バラ園で出会うバラの中で、ひときわ深紅の花色が際立つ花がある。フランスのファッションョンデザイナーに捧げられた‘クリスチャン・ディオール’という名前のバラだ。ディオールはバラをモチーフにしたコレクションを数多く発表している。 『ディオールとバラ』(『DIOR AND ROSES』Rizzoli New York刊)という写真集を紐解き、デザイナーとバラにまつわる物語を辿ってみた。
写真集は、昨年アメリカの出版社より「クリスチャン・ディオール美術館」の展示と連動して出版された。フランス、ノルマンディー地方にある美術館は、かつてディオールの生家だった邸宅で、展示施設として春から秋にかけて一般に公開されている。年ごとにテーマが決められ、2021年がデザイナーとバラの関係を解き明かした「ディオールとバラ」だった。
ファッションデザイナーの誕生
1950 年代を中心に活躍したクリスチャン・ディオール(Christian Dior 1905-1957)は、フランス、ノルマンディー地方のグランヴィルに生まれた。現在美術館となっている生家「ヴィラ・レ・リュンブ」は、19世紀末に建てられた瀟洒なたたずまいの邸宅で、庭園には母親マドレーヌが丹精込めた植物が育っていた。ディオールにとって庭は幼い頃からの遊び場で、母とともに花や自然に親しむ場でもあった。
5歳の頃、一家はパリへ移住。建築やアートに興味を持ったディオールは、画廊の運営などに携わった後、デッサン画家として知られるようになった。やがてファッションデザインの道に進み、アシスタントデザイナーとしての修業の期間を経て、1946年に独立。パリ8区モンティーニュ通りに自身のメゾンを開いた。
最初のコレクション
独立の翌年、メゾンで発表された最初のコレクションの中に、布地をたっぷりと使用した「コロール」(植物学上で「花冠」を意味する言葉)と名付けられたドレスがあった。そのフォルムは、バラの花の構造からヒントを得たものだという。
ファッション誌の編集長によって「ニュールックの誕生」と評された彼のスタイルは、瞬く間に世界中に広まり、第2次世界大戦後のパリを再びファッションの中心地として復興させる役割を担った。
グランヴィルの家と庭
ディオールの生家は、一家がパリに移ってからも、別荘として夏を過ごす場所だった。母から庭への情熱を受け継いだ彼は、15歳の頃、東屋や池などを配した庭の一画をデザインしている。植物のカタログを取り寄せ、それぞれの花の名前をラテン語でも覚えたという。
高台にある邸宅から、バラ越しに海を望みたいという母の希望でつくられたバラ園は、彼にとっても特別な場所となった。
自伝『ディオールによるディオール』(『Dior by Dior』Victoria & Albert Museum刊)の中で「実のところ、私の人生のすべての様式は、グランヴィルの建築と環境に影響されていました」と語るように、その美意識は邸宅とそれを取り囲む庭園、庭から見下ろす海岸線の景観によって育まれた。生家の外壁の淡いピンクとグレー、これが彼のメゾンを代表する色となっている。
バラ園で育まれた美意識
バラの花のデッサンを続けたディオールは、デザイナーとして発表したコレクションに、「ティーローズ」「ポンポンローズ」「ローズガーデン」「イングリッシュガーデン」と、バラにまつわる名前を付けている。
1956年の春夏コレクションでは『ローズ フランス』というアフタヌーンドレスが登場した。プリントは、バラの花だけでなく葉や茎をもモチーフとし、まさに彼のバラ園そのもののように見える。
また船の航海の際の羅針図を意味する「コンパスローズ」と名付けたコレクションもある。彼にとってはバラが行き先を示す羅針図だったのでは、とも思える。美しいだけでなく、ノルマンディーの海からの強風に耐えて咲く、野生のバラやオールドローズの強い姿が脳裏にあったのかもしれない。
花のような女性
彼のファッションは、常に「花のような女性(femme-fleur)」を目指した。
「女性をバラの花のように美しく、幸福にしたい」という言葉も残している。
亡くなるまでに活動した期間は、わずか10年。だが彼がフランスのファッション界に残した遺産は、計り知れない。
バラの香り
ディオールはドレスだけでなく、バッグや靴、帽子など、すべてをトータルにデザインすべきと考えていた。そしてその最終仕上げが、フレグランス=香水だった。1947年に最初の香水「ミス ディオール」が発表された。
「ミス ディオール」は、ジャスミンとバラのエッセンスを用い、バラはオールドローズのロサ・ケンティフォリアの香りだった。香料のためのバラは、南仏のグラース近くのディオール専用の有機バラ園で、妹のキャサリン・ディオールが主に栽培部門を担当していた。
『ディオールとバラ』の記述によると、2020年にグランヴィルの美術館近くの約5万㎡の土地に、香料採取用のバラ園がつくられ、何千株ものバラが植栽された。そこにはフランスの育種家アンドレ・イヴが、ディオール家の庭園にあったバラのルーツをたどり、長年の試作の末に生み出したバラが植えられている。そのバラは‘グランヴィルのバラ’(‘The Rose de Granville’)と名付けられた。
クリスチャン・ディオール美術館
パリから西に340kmほど行くと、ノルマンディーの港町グランヴィルに至る。
英仏海峡を一望する丘の上に建つディオールの生家は、1938年にグランヴィル市の所有となり、1997年に「クリスチャン・ディオール美術館」としてオープンされた。
2021年の「ディオールとバラ」に続き、2022年は「ディオールの帽子」(「Chapeaux Dior!」)(10月30日まで)という展示が開催されている。
バラ‘クリスチャン・ディオール’‘Christian Dior’
1958年、フランス、メイアン作出。
ディオールが亡くなった翌年、デザイナーに捧げられたバラ。
四季咲きで、長い枝に剣弁高芯咲きの鮮やかな赤色の花をつける。
花径10~15cmの大輪。
樹高150~180cmで、樹形は直立性。
枝変わりに‘つるクリスチャン・ディオール’がある。
Information
Musee Christian Dior
住所:1 Rue d’Estouteville 50400 Granville France
電話;+33 2 33 61 48 21
開館:2022年は5月14日~10月30日10:00~18:30
入館料:大人9€ 学生7€、
庭園:年中無休(季節により開園時間が異なる)、入園無料
H.P.:www.muse-dior-granville.com
アクセス:パリ、モンパルナス駅からグランヴィル駅まで、電車で約3時間。駅から徒歩約20分。
取材協力:クリスチャン・ディオール株式会社
Credit
写真&文 / 松本路子 - 写真家/エッセイスト -
まつもと・みちこ/世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2024年、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルム『Viva Niki タロット・ガーデンへの道』を監督・制作し、9月下旬より東京「シネスイッチ銀座」他で上映中。『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。
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