花の女王と称され、世界中で愛されているバラ。数多くの魅力的な品種には、それぞれ誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りする連載で今回取り上げるのは、バラの名花‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’にもその名を残す、ポール農場。2つのポール農場の歴史と、彼らの手によって生み出された美しいバラの数々をご紹介します。

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名花‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’

‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’というランブラーをご存じの方は、たくさんいることでしょう。

淡いピンク、25弁前後の小輪の花が株全体を覆い尽くすかのように咲き誇ります。花弁がはらはらと散るときに出会うと、春の桜の花吹雪のようだといつも感じます。

‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’
‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’ Photo/今井秀治

柔らかな、まっすぐに伸びる枝ぶり。順調に成育すれば、数年後には5mを超えるほどまで枝を伸ばします。

ヒマラヤ地域に自生する原種ロサ・ブルノニイ(R. brunonii)と、ムスク・ローズ系の交配種との交配により育種されたといわれています。

1916年、このバラを育種したのはロンドン北郊外ハートフォードシャーにあったポール&サン ジ・オールド農場でした。

“ポールズ(ポールによる)”と命名されたバラは、今日でも‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’以外にいくつか出回っています。

  • ‘ポールズ・アーリー・ブラッシュ(Paul’s Early Blush)’- 1893年
  • ‘ポールズ・ピンク・ランブラー(Paul’s Pink Rambler)’- 1898年
  • ‘ポールズ・ティー・クライマー(Paul’s Tea Climber)’- 1902年
  • ‘ポールズ・レモン・ピラー(Paul’s Lemon Pillar)’- 1915年
  • ‘ポールズ・スカーレット・クライマー(Paul’s Scarlet Climber)’- 1915年

などです。

じつは、これらの品種の育種者は、一つのポール農場ではありませんでした。今回は、このポール農場の歴史を辿ります。

ポール家とは?

1806年、スコットランド、アバディーン出身のアダム・ポール(Adam Paul:?-1847)はロンドンの北郊外ハートフォードシャー、チェスハント(Cheshunt, Hertfordshire)に農場を買い求め、園芸業を始めました。これが、バラ育種農場としてのちに令名を馳せることになる、ポール農場の創立でした。

長男ジョージ(George:?-1867)、次男ウィリアム(William:1822-1905)も長じると父アダムを手伝うようになりました。

1847年、初代のアダムが死去すると、農場はアダム・ポール&サン(Adam Paul & Son)として、ジョージとウィリアムにより共同運営されました。

1860年、農場は長男ジョージが単独で所有することになり、次男ウィリアムは独立して近在のウォルザン・クロス(Waltham Cross)に新たにウィリアム・ポール農場を開きました。2つの”ポール農場”の誕生です。このときから、ジョージが運営する農場はポール&サン ジ・オールド(Paul & Son, the “Old”)と呼ばれることとなりました。

1867年、ジョージが死去するとポール&サン ジ・オールド農場は、父と同名のジョージJr.(1841-1921)が運営することになりました。

1906年、ウィリアム・ポールが死去。ウィリアムの農場はウィリアム・ポール&サン(William Paul & Son)と名称変更しました。

1921年、ジョージJr.が死去。”オールド”農場は身内に受け継がれることはなく、廃業されました。

1924年、ウィリアム・ポール&サンは廃業し、W.E. チャップリンと7人の息子たちにより同地で引き継がれ、チャップリン・ブラザーズ(Chaplin Brothers)として運営されることになりました。チャップリン・ブラザーズ農場は1937年頃まで運営されましたが、その後廃業、ウィリアムからチャップリンに受け継がれたウォルザン・クロス農場は現在残っていません。

ポール家

ポール家初代のアダム、その長男のジョージSr.も育種をしていましたが、名高いのはウィリアム、そしてウィリアムの甥にあたるジョージJr.でしょう。特にウィリアムは、1848年に著作『ザ・ローズ・ガーデン(The Rose Garden)』の初版を発行。この著作は1903年の最終版、10版まで改訂が続けられ、現在でも庭植えバラ研究の一級の資料となっています。またウィリアムはバラ研究にのみ専心していたわけではなく、タチアオイ、アスター、アイビー、果樹など園芸植物全般の研究を行うなど、時代をリードするすぐれた園芸家でした(”Dictionary of National Biography” , George Simonds Boulger, 1912)。

‘ウィリアム・ポール’
‘ウィリアム・ポール’ Photo/unknown [CC BY-NC-SA 3.0 via Rose-Biblio]
ジョージ・ポール
‘ジョージ・ポール・Jr.’ Photo/unknown [CC BY-NC-SA 3.0 via Rose-Biblio]
ウィリアム農場とジョージ農場、2つのポール農場がどんな品種を世に提供したのか、それぞれに分けて解説します。

ウィリアム・ポールおよびウィリアム・ポール&サンが育種・公表した品種

ブラック・プリンス(Black Prince) – 1866年

バラ‘ブラック・プリンス’
‘ブラック・プリンス’ Photo/田中敏夫

クリムゾン、大輪のHP。モダンローズのような”赤”が魅力の品種。ダーク・レッドのHP、‘ピエール・ノッタン(Pierre Notting)’の実生から生じました。

ブラック・プリンスとは英仏間で断続的に続いた抗争、”百年戦争”の初期、フランスでの戦闘で数々の勝利をあげたエドワード黒太子(Edward, the Black Prince:1330-1376)のことです。スペイン遠征キャンプで病死、父王よりも早世したため王位にはつきませんでした。

エドワード黒太子
‘Edward the Black Prince’ Paint/不明 [CC-BY-SA-4.0 via Wikimedia Commons]
フランス軍との数多くの戦闘においてすべてに勝利し、フランス側からは残虐非道と恐れられ、英国側から見ると闘えば必ず勝つ英雄として崇拝されました。”ブラック”と呼ばれたのは、戦闘時に黒塗りの鎧を装着していたから、あるいは無慈悲な戦闘からフランス軍から恐れられたからとも言われています。

リトル・ジェム(Little Gem) – 1880年

‘リトル・ジェム’
‘リトル・ジェム’ Photo/田中敏夫

小輪、丸弁咲きまたはポンポン咲きとなるモス・ローズ。強めのピンク、班模様のように白く抜ける箇所が出ることもあります。

“リトル”と名づけられていますが、花も樹形もそれほど小さくありません。

交配親の詳細は不明です。

リトル・ジェムとは”小さな宝石”という意味です。

鮮やかなピンクの小輪の花を咲かせる‘ド・モー(De Meaux)’との類似からか、「クリムゾン・モス・ド・モー(Crimson Moss de Meaux)」という別称で呼ばれることもあります。

アレトウサ(Arethusa)- 1903年

バラ‘アレトウサ’
‘アレトウサ’ Photo/Rose-Antique.com [CC BY-NC-SA 3.0 via Rose-Biblio]
大輪、多少花弁が乱れ気味になる丸弁咲きの花形となるチャイナ・ローズ、チャイナとしては例外的な大輪花となります。

明るいイエロー、淡いピンク、サーモンが入ったり、アプリコットが出たりと変化の多い花色ですが、清楚ながらもなお明るく華やかな印象です。

交配親などの情報は不明のままです。

アレトウサはギリシャ神話に登場するニンフです。オリンポス十二神の一人である女神アルテミスの侍女をしていました。

アレトゥーザとアルペイオス
‘Alpheus and Arethusa’ Painting/Paolo de Matteis, 1710 [Public Domain via Wikimedia Commons]
あるとき河神アルペイオスは、アレトウサが水浴している美しい裸身を盗み見て激しく恋するようになります。しかし、男性を忌み嫌い、恋愛を軽蔑していたアレトウサは河神の求愛を拒み、各地を逃げ回ります。アレトウサは、シチリアまで逃れたものの、ついに河神アルペイオスにより追い詰められ窮地に陥りました。

この様子を見ていたアレトウサの主人アルテミスは哀れに思い、彼女を泉に変えてしまいました。河神アルペイオスは、それでもひるまず、地下水脈と化してアレトウサと一体となったと伝えられています。

アレトウサが泉と化したとされるシシリー島・シラクーサにはアレトゥーサと呼ばれる泉が現在でもあり、豊かな湧き水で知られています。

ポールズ・スカーレット・クライマー(Paul’s Scarlet Climber)- 1915年

バラ‘ポールズ・スカーレット・クライマー’
‘ポールズ・スカーレット・クライマー’ Photo/田中敏夫

中輪、オープン・カップ形、ミディアム・レッドの花が房咲きとなります。

強めの枝ぶり、4m高さを超えることもあるクライマー。一季咲きですが、”赤”クライマーとして、今日でもその有用性は失われていません。
ミディアム・レッドのHTクライミング、‘ポールズ・カーマイン・ピラー(Paul’s Carmine Pillar)’を種親とし、ミディアム・イエローのノワゼット、‘レヴ・ドール(Rêve d’Or)’を花粉親として育種されました

マーメイド(Mermaid)- 1917年

バラ‘マーメイド’
‘マーメイド’ Photo/今井秀治

13cm径を超えることもある大輪・シングル咲き、平咲きの花。

花弁はホワイトにわずかにレモン・イエローをまぜたような明るく淡い色、クリーム色。おしべは茶黄色、落ち着いたバランスのとれた色合いです。

茶褐色の細いけれども硬めの枝ぶり、寒さには弱い面がありますが、暖地では著しく成育し、時には10m高さに及ぶなど旺盛に枝に伸ばします。

中国から英国へ持ち帰られたといわれる、原種ロサ・ブラクテアータ(R. bracteata)を種親、品種名不明ですが、いずれかのティー・ローズを花粉親として育種されたとされています。

アンデルセンが人魚をモチーフにして創作した童話ではマーメイド(人魚姫)は王子に恋するけなげなイメージになっていますが、もともとは、人を惑わし殺す恐ろしい魔性のものというものでした。

John William Waterhouse,
‘A Mermaid’ Painting/John William Waterhouse, 1900 [Public Domain via Wikimedia Commons]
マーメイド伝説はヨーロッパのみならず、広くアジアにも広がっています。その多くは、美しい歌声で船乗りを惑わし、岩礁に座礁させて殺害するというものです。ギリシャ神話のサイレン、ライン河のローレライなどと類似した言い伝えです。

ジョージJr.・ポール(ポール&サン ジ・オールド農場)が育種・公表した品種

次は、ジョージJr.・ポール(ポール&サン ジ・オールド)が育種・公表した品種をご紹介します。

デューク・オブ・エジンバラ(Duke of Edinburgh) -1868年

バラ‘デューク・オブ・エジンバラ’
‘デューク・オブ・エジンバラ’ Photo/今井秀治

大輪、重厚な丸弁咲き、またはロゼット咲きとなることが多い花形。カーマイン/バーガンディまたはクリムゾンと呼ぶにふさわしい、深い紅色の花色です。

多くのクリムゾン品種の交配親となった‘ジェネラル・ジャックミノ’から生み出された品種です。当時のエジンバラ公爵(ヴィクトリア女王の子息:1844-1900)に捧げられました。

イギリスのヴィクトリア女王の夫アルバート公は、ドイツのザクセン・コーブルク・ゴータ公子でした。ヴィクトリア女王の子息としてエジンバラ公に任じられていたアルフレッド・アーネスト・アルバート(Alfred Ernest Albert)は父アルバートの血筋によりザクセン・コーブルク・ゴータ公国の継承権がありました。1893年、公国に継承者がいなかったことから、同年公位に就き、死去する1900年までその地位にありました。

ミセス・ポール(Mrs. Paul)- 1891年

バラ‘ミセス・ポール’
‘ミセス・ポール’ Photo/今井秀治

大輪、ライト・ピンク、クライマーとなるブルボン・ローズです。

鮮烈な香りを放つブルボンの名花、‘マダム・イザク・ペレール(Mme. Isaac Pereire)’の実生から生じたと記録されています。親である‘イザク・ペレール’は香りは素晴らしいですが、花色は鈍色だというのが正直な感想です。‘ミセス・ポール’は親品種より淡い色合いとなり、爽やかな印象を与え、より魅力的だと思っています。

ジョージSr.による作出との記録があるのですが、公表された1897年には死去していますので、ジョージJr.による作出だろうと判断しました。”ポール夫人”が母親のミセス・ポールなのか妻なのか、はっきりしていません。

ゴールドフィンチ(Goldfinch)- 1907年

バラ‘ゴールドフィンチ’
‘ゴールドフィンチ’ Photo/田中敏夫

小輪、ポンポン咲き、淡いイエローの花が房咲きとなります。ノイバラ系のピンクのランブラー、‘エレーヌ(Hélène)’を種親として育種されました。花粉親は不明です。

淡いイエローの小輪花が絢爛と花開くことで人気の高い、ランブラー/シュラブである‘ジスレン・ド・フェリゴンド(Ghislaine de Féligonde)’はこの‘ゴールドフィンチ’を交配親として育種され、返り咲きする性質を得たものです。

ゴールドフィンチとは”五色鶸(ゴシキヒワ)”のこと。パッチワークをほどこしたような色模様の多い羽をもった小鳥です。姿ばかりではなく鳴き声も美しいゆえに古くから愛され、キリストが磔に架されたとき、荊の冠による血を顔に受けて、それからのちゴールドフィンチの顔は赤くなったと言い伝えられ、また、金の卵を生むという伝承から、富裕になる象徴ともされました。

ゴールドフィンチ
ゴールドフィンチ。bearacreative/Shutterstock.com

 クイーン・オブ・ザ・ムスクス(Queen of the Musks) – 1913年

バラ‘クイーン・オブ・ザ・ムスクス’
‘クイーン・オブ・ザ・ムスクス’ Photo/今井秀治

小輪または中輪、淡いピンク、セミ・ダブルの花が房咲きとなります。

満開のとき、また、はらはらと花弁が舞い散るときに出会うと、その美しさに魅了されます。国内ではあまり見ることができないのが悔しくてしかたありません。

交配親は不明ですが、ハイブリッド・ムスク(HM)の黎明期といえる時期に公表されました。

バラ‘クイーン・オブ・ザ・ムスクス’
‘クイーン・オブ・ザ・ムスクス’ Photo/田中敏夫

ハイブリッド・ムスクの創始者とされるペンバートン(https://gardenstory.jp/stories/44632)が、最初のハイブリッド・ムスク、‘ダナエ(Danaë)’を作出したのは1913年。この‘クイーン・オブ・ザ・ムスク’もほとんど同じ時期に公表されています。

育種家として知己の間柄であったであろう2人の試みが同じ時期、同じ系列の育種に実を結んだのは、単なる偶然だったのでしょうか。

ポールズ・アーリー・ブラッシュ(Paul’s Early Blush) – 1913年

バラ‘ポールズ・アーリー・ブラッシュ’
‘ポールズ・アーリー・ブラッシュ’ Photo/田中敏夫

大輪、さわやかなライト・ピンク、カップ形・ロゼット咲きとなる花形。

ピンクのHP、‘ハインリッヒ・シュルテイス(Heinrich Schultheis)’の枝変わりとして見出されました。名前の通り、春、他の品種に先駆けて開花します。この品種もあまり見かけなくなっていますが、早春に花開く美しいHPです。

ポールズ・レモン・ピラー(Paul’s Lemon Pillar)- 1915年

バラ‘ポールズ・レモン・ピラー’
‘ポールズ・レモン・ピラー’ Photo/田中敏夫

大輪、クリームまたは淡いイエロー、ときにはほとんど白といってよい変化のある花色、高芯咲きの花形となります。

春一季咲きですが、開花時は一斉に房咲きとなって見事です。

HPの名花、‘フラウ・カール・ドルシュキ(Frau Karl Druschki)’を種親、ライト・イエローのノワゼット、‘マレシャル・ニール(Maréchal Niel)’を花粉親として育種されました。

花色、花形は‘フラウ・カール・ドルシュキ’から、枝ぶりは‘マレシャル・ニール’からと、”いいとこどり“をしたという印象を受けます。

HTクライミングにクラス分けされていますが、春一季のみ開花です。それがかえって幸いしたのか、開花時は絢爛たる房咲きとなって見事です。もっと見直されてよい品種だと常々感じています。

ポールズ・ヒマラヤン・ムスク(Paul’s Himalayan Musk)- 1915年

バラ‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’
‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’ Photo/田中敏夫

この記事の冒頭でご紹介した通り、名花‘ポールズ・ヒマラヤン・ムスク’は1916年、ポール&サン ジ・オールドより育種・公表されました。

Credit

田中敏夫

写真・文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたいという思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/今井秀治

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