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バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、バルコニーで次々と開き始めた早咲きのバラとともに、かぐわしい香りを放つバラ、ロサ・オドラータの魅力と、それにまつわる物語をご紹介します。

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早咲きのバラ

ロサ・キネンシス・スポンタネア
ロサ・キネンシス・スポンタネア。世界でただ一つ、鮮やかな赤色の花色素を持つ原種バラで、18世紀末に中国からヨーロッパにわたり、真紅色のバラを生み出すもととなった。

わが家のバルコニーでは、早咲きのバラが次々と開花している。今年の一番乗りは、4月初旬に花開いたロサ・キネンシス・スポンタネア。チャイナ・ローズの原種で、開花してから花色がクリーム色、淡いピンク、紅色と変化する。ヨーロッパにわたり、真紅色のバラのもととなったバラだ。

モッコウバラ
左/モッコウバラ。中国の原種バラで、最初に発見された白花八重咲き品種がモッコウバラと名づけられた。右/黄色の種類をキモッコウと呼び、よく知られているのが八重咲きで、我が家にあるのは一重咲き。
ナニワイバラ
ナニワイバラ。中国の原種バラで、江戸時代に渡来し、浪速(大阪)の商人が苗木を取り扱ったので、この名前がついたとされる。

その後、白花八重咲きモッコウバラ、一重咲きのキモッコウ、ナニワイバラと、中国原産の野生バラが続く。また20年来のわが家の古株、ムタビリスも咲きはじめた。野生バラに近い、チャイナのオールド・ローズだ。これらのバラについては、すでに「早咲きのバラを巡る物語 ① 」として綴っている。

ムタビリス
ムタビリス。原種に近い改良品種。花色が刻々と変わるので、ラテン語で「変わりゆくもの」という名前がつけられた。花びらを蝶になぞらえて、バタフライ・ローズとも呼ばれる。

ロサ・オドラータ

ロサ・オドラータ
ロサ・オドラータ。わが家のバルコニーに咲く挿し木苗のロサ・オドラータ。クリームがかったピンクの花弁が、開くにつれ淡いピンク、白色へと変化する。

今年お披露目のニューフェイスともいえるのが、ロサ・オドラータ。「ヒュームズ・ブラッシュ・ティー・センティッド・チャイナ」の英名でも知られるバラだ。3年前に友人宅から3本の細枝を持ち帰り、挿し木したものが、1mほどに成長して、いくつかの花をつけはじめた。

ロサ・オドラータ

淡いピンクの八重咲きは、一重の花が多い早咲きのバラの中にあって、異色の存在だ。さらに特筆すべきは、その香り。部屋に1輪飾っただけで、あたり一面に甘い芳香を放っている。それもそのはず、学名ロサ・オドラータは、ラテン語で「香るバラ」を意味するのだという。

英名はイギリス人の資産家でバラの蒐集家であるアブラハム・ヒュームが中国から取り寄せ、普及させたことに由来する。直訳すると「刷毛でぼかしたような花色の、紅茶の香りの中国バラ」とでも言えようか。イギリス人はバラの香りを紅茶のそれに似ているとして、これがティー・ローズ系統の祖となった。ヨーロッパのバラと交配され、多くのハイブリッド・ティー・ローズ誕生に貢献している。

四季咲きバラ

ヒュームが、東インド会社を経由してロサ・オドラータを手に入れたのは、1808年から1809年にかけて。当時ヨーロッパには四季咲きバラは存在していなかった。このバラは中国からヨーロッパに渡った最初の4種の一つに数えられ、現在広く栽培されている四季咲きバラ誕生にも関わっている。

中国のバラ

ロサ・オドラータ
ロサ・オドラータ。花は全開してから5~6日咲き続ける。

バラは西洋の花のイメージが強いが、北半球のさまざまな地に自生している。中でも中国には多くの原種バラが存在し、その数は60種ともいわれる。ロサ・オドラータは、おもに四川・雲南地方に多く見られ、中国名は「香水月季」。これも「香り」と「繰り返し咲くこと」に由来する名前だ。原種バラではなく、ロサ・キネンシス(コウシンバラ)とロサ・ギガンティアの自然交配種とされる説が有力。作出年は不明で、イギリスにもたらされた年の「1808年以前」と記されることが多い。

皇妃ジョゼフィーヌが愛したバラ

ロサ・オドラータ
ロサ・オドラータ。香りとともに、優美な姿に惹かれる。

ナポレオン皇妃ジョゼフィーヌは、パリ郊外の居城マルメゾンの庭園に世界各地のバラを蒐集し、バラの改良・育種を行ったことで知られる。ジョゼフィーヌが愛したバラの一つが、ロサ・オドラータ。このバラの噂を聞きつけたジョゼフィーヌは、当時フランスとイギリスは戦闘中だったにも関わらず、海軍本部の間に協定を結ばせ、イギリスから苗木を取り寄せた。

彼女をとりこにしたのは、やはりその香りだろう。1809年という年は、ナポレオンとの間に子どもができないことを理由に、離婚を言い渡された年だ。その後、庭園での時間が増え、ロサ・オドラータの香りが、彼女の心痛を癒してくれたであろうことは想像に難くない。ジョゼフィーヌの死後30年を経て、彼女に捧げられたバラがある。そのバラ‘スヴニール・ド・ラ・マルメゾン’(マルメゾンの想い出) は、どこかロサ・オドラータに似ている。

‘スヴニール・ド・ラ・マルメゾン’
‘スヴニール・ド・ラ・マルメゾン’。パリ郊外のバラ園「ライ・レ・ローズ」の、マルメゾンゆかりのバラを集めたコーナーで撮影。花開くとロサ・オドラータによく似た姿になる。

ジョゼフィーヌは、マルメゾンに咲くバラのほとんどを植物画家に描かせている。ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテの描いた『バラ図譜』の中にある「ロサ・インディカ・フレグランス」が、ロサ・オドラータだ。復刻版では、ロサ・オドラータとヒュームズ・ブラッシュ・ティー・センティッド・チャイナの名前が添えられている。

ルドゥーテの『バラ図譜』
ルドゥーテの『バラ図譜』に「ロサ・インディカ・フレグランス」として描かれたロサ・オドラータ。復刻版には、学名や一般呼称などが添えられている。

小説『ヴェネツィアのチャイナローズ』

ヴェネツィアのチャイナローズ
バラのルーツを探る小説本の表紙。フィクションだが、バラの名前をたどる旅で、東西バラの交流史が描かれ、興味深い。

中国原産のバラについて考えていて、数年前に読んだ小説を思い出した。アンドレア・ディ・ロビラントの『ヴェネツィアのチャイナローズ』(堤けい子訳/原書房刊)だ。その書名に惹かれて求めた本だが、ヴェネツィアの田舎町に咲く謎のバラについての物語は、いま読み返すと新たな発見があった。

主人公が6世代前の祖先の地を訪ね、かつての領地の森に咲くバラのルーツをたどると、マルメゾン城から持ち帰ったものだと判明する。祖先の日記を発見し、彼女が皇妃ジョゼフィーヌと親しく交流していたさまが描かれる。バラの名前を探る過程と同時に、ヨーロッパにもたらされたチャイナ・ローズについても詳しく述べられている。イタリアの地で、マルメゾンのバラが咲いているという展開は、心躍るものだ。

ロサ・オドラータ(Rosa Odorata)
(ヒュームズ・ブラッシュ・ティー・センティッド・チャイナ)

ロサ・オドラータ

昨年はまだ小さい苗だったが、4月から秋まで繰り返し開花した。花首が細いので、満開になるとややうなだれ気味だが、つぼみから開花まで徐々に変化する花姿には風情がある。

クリームがかった淡いピンクの八重咲きで、花径は5~8㎝ほど。樹高は100~150㎝。樹形は半横張り牲。オールド・チャイナ・ローズで、作出は1808年以前。香りが秀逸で、ティー・ローズの祖とされる。中国からヨーロッパにもたらされた最初の4種のうちの一つで、ハイブリッド・ティー・ローズ、四季咲きバラなど、多くの新種バラ、近代バラの誕生に貢献している。

Credit

写真&文/松本路子
写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-21年現在、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。

『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。www.matsumotomichiko.com/news.html

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