花の女王と称され、世界中で愛されているバラ。数多くの魅力的な品種には、それぞれ誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りするこの連載では、前回に引き続き、艶やかで魅惑的なダーク・レッドのバラを取り上げます。濃色の花色を受け継ぎながら、オールドローズからモダンローズ、そしてイングリッシュローズへと連なる赤バラの系譜を追ってみましょう。

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“鮮やかな赤”のバラをめざして

‘ジェネラル・ジャックミノ’が、多くの優れたダーク・レッドの大輪バラを生み出すことになったことは、前編でお話ししました。

この‘ジェネラル・ジャックミノ’を交配親に、“鮮やかな赤”となる品種の育種を目指した育種家たちの試みにはいくつもの試行錯誤がありました。今回は、前編とは別の流れを追ってみることにします。

‘グロワール・デ・ロゾマン’の血を引く‘バロン・ド・ボンスタットン’

1871年、フランス、リヨンのジャン・ピエール・リアブー(Jean-Pierre Liabaud)は、‘ジェネラル・ジャックミノ’を種親、‘ジェアン・デ・バテーユ(Géant des Batailles)’を花粉親として、‘バロン・ド・ボンスタットン(Baron de Bonstetten)’を育種・公表しました。

‘バロン・ド・ボンスタットン’
‘バロン・ド・ボンスタットン’ Photo/Picasa [CC BY-NC-SA 3.0 via Rose-Biblio]
交配親として使用された‘ジェネラル・ジャックミノ’と‘ジェアン・デ・バテーユ’。ともに‘グロワール・デ・ロゾマン’の血を色濃く継いでいることは、前編でお話しした通りです。

このダーク・レッド/クリムゾンのHPは、19世紀初頭に活躍したスイスの作家シャルル・ヴィクトール・フォン・ボンスタットン(Charles Victor von Bonstetten:1745-1832)に捧げられました。

ベルンの貴族の家に生まれたボンスタットンは、青年時代にフランス革命の勃発を目の当たりにすることになりました。

ジャン・ジャック・ルソーに心酔するなど革新的な思想に染まった彼は、守旧思想に固まる父親としばしば衝突し、ストレスが高じて自殺を企てたこともあったようです。

衝突を繰り返した親子でしたが、やがて父は死去。それにより、精神的にも財政的にも自由を得たボンスタットンは、イタリア、フランス、スカンジナビア諸国などヨーロッパを渡り歩きつつ、社会思想などへの洞察を深めていました。1832年、終の棲家としていたジュネーブで死去。

1875年、ルクセンブルグのスペール・エ・ノッタン(Soupert et Notting)は‘バロン・ド・ボンスタットン’を種親として、‘ウジェンヌ・フースト(Eugène Fürst)’を公表しました。

‘ウジェンヌ・フースト’と‘バロン・ジロ・ド・ラン’

‘ウジェンヌ・フースト
‘ウジェンヌ・フースト’ Photo/田中敏夫

病気にかかりやすいという欠点があるのですが、香り高い、よく整ったカップ形の花と細く柔らかな枝ぶりが風雅で、そこはかとない雰囲気があります。広く愛された品種です。

ドイツの園芸誌『フラウアンドルファー・ブラッター(Frauendorfer Blätter :“フランアンドルフ園芸新聞”)』の編集者であったウジェンヌ・フーストにちなんで命名されました。

1897年、‘ウジェンヌ・フースト’の枝代わり種が市場へ提供されました。‘バロン・ジロ・ド・ラン(Baron Giraud de l’Ain)’です。花弁の外縁が白く色抜けする非常に珍しい花色で、すぐに評判となりました。

フランス、リヨン近郊のディエモーズ(Diémoz)の園芸家ルベルション(Reverchon)が発見したものです。‘バロン・ジロ・ド・ラン’の花色は、今日でも例が非常に少なく、元品種の‘ウジェンヌ・フースト’よりも愛されています。

‘バロン・ジロ・ド・ラン’
‘バロン・ジロ・ド・ラン’ Photo/田中敏夫

バロン・ジロ・ド・ラン、すなわちルイ・ガスパール・アメデー(Louis Gaspard Amédée, baron Girod de l’Ain :1781-1847)は、1830年に勃発したフランス7月革命、およびその後のルイ・フィリップによる立憲君主制の時代に閣僚として活躍した法律家、政治家です。どちらかというと保守的な思想の持主で、共和制支持者からは忌み嫌われることもあったようです。

さらに赤花の育種の流れは続きます。

オールドローズからモダンローズへ

1893年、リヨンの魔術師ペルネ=ドゥシェ(Joseph Pernet-Ducher)は‘マルキーズ・リッタ(Marquise Litta)’を公表しました。

パープリッシュなダーク・レッドとなることが多いようですが、色変化が大きく朱色(Virmilion:ヴァーミリオン)に近い花色になることもあるHTです。

Marquise Litta
‘マルキーズ・リッタ’ Rose Georgina Kingsley. 2010. [EBook #33464] Roses and Rose Growing. www.gutenberg.org
ペルネ=ドゥシェは、事実上、HTが発展する元品種となった‘レディ・メアリー・フィッツウィリアム(Lady Mary Fitzwilliam)’を種親として、香り高い大輪種の育種を数多く生み出していました。‘マルキーズ・リッタ’の育種には、

種親:‘レディ・メアリー・フィッツウィリアム’

花粉:‘ウジェンヌ・フースト’

が使われました。ピンクのHTとダーク・レッドのHPとの組み合わせです。花形は‘レディ・メアリー・フィッツウィリアム’から、花色は‘ウジェンヌ・フースト’から受け継いだという印象を受けます。

 ‘レディ・メアリー・フィッツウィリアム’
‘レディ・メアリー・フィッツウィリアム’ Photo/今井秀治

これから、HPからHTへ、すなわちオールドローズからモダンローズへと時代が移ってゆきます。

1901年、アメリカのエドワード・ガーニー・ヒル(Edward Gurney Hill)はダーク・レッドのHT、‘ジェネラル・マッカーサー(General MacArthur)’を公表しました。

花粉親は不明のままですが、種親には‘マルキーズ・リッタ’が用いられたことが分かっています。

‘ジェネラル・マッカーサー’
‘ジェネラル・マッカーサー’ Photo/田中敏夫

香り高い、赤バラです。

この‘ジェネラル・マッカーサー’は、1945年、連合軍最高司令官としてコーンパイプをくわえて厚木飛行場へ降り立ったダグラス・マッカーサーではなく、彼の父親で、やはりアメリカ軍の高級将校であったアーサー・マッカーサー・Jr.にちなんで命名された品種です。

1919年、オランダのヘンス・A・ヴァーシュレン(Hens A. Verschuren)はダーク・レッドのHT、‘エトワール・ド・オランド(Étoile de Hollande)’を公表しました。

‘エトワール・ド・オランド’
‘エトワール・ド・オランド’ Photo/田中敏夫

種親は‘ジェネラル・マッカーサー’、花粉は‘ハドレー(Hadley)’という赤花のHTが使用されました。‘ハドレー’も‘ジェネラル・マッカーサー’の血を色濃く引いていましたので、より“赤色”が鮮明になった‘ジェネラル・マッカーサー’といったところでしょうか。

1825年の‘グロワール・ド・ロゾマン’が世に出てから、赤花バラの育種熱はずっと変わらず、とぎれることなく続いていました。

1947年、イギリス、ノーフォーク州にあるノース・ワルサム(North Walsham)に圃場を構えていたE. B. ルグリス(Edward Burton Le Grice)はダーク・レッドのフロリバンダ、‘ダスキー・メイドン(Dusky Maiden)’を公表しました。

‘ダスキー・メイドン’
‘ダスキー・メイドン’ Photo/今井秀治

シングル、平咲きとなる花が、数輪ほどの“連れ”咲きとなります。

花色はダーク・レッド、クリムゾンまたはカーマインの花色。花弁の基部の色が薄まり、ホワイト・アイとなることもあります。

交配親については以下のように記録されています。

種親:ピンク、セミ・ダブルのフロリバンダ、‘エルス・ポールセン(Else Poulsen)’

花粉:無名種(‘デイリー・メール・センティッド・ローズ/Daily Mail Scented Rose’と‘エトワール・ド・オランド’の交配による)

花形と樹形は‘エルス・ポールセン’から、そして‘デイリー・メール・センティッド・ローズ’と‘エトワール・ド・オランド’はともに深い赤となる花色品種ですので、花色はおそらく交配親の無名種から受け継いだのではないでしょうか。

“ダスキー・メイドン”(”褐色の肌の娘”)とはまた粋な名前がつけられたものだと感心します。

デビッド・オースチンの赤いバラ

デビッド・C. H. オースチン(David C. H. Austin:1926-2018)は、この‘ダスキー・メイドン’とオールド・ローズの‘トスカニー(Tuscany)’を交配して、1965年、パープルの‘キアンテ(Chianti)’を育種し、これをきっかけに濃色のイングリッシュローズが次々に生み出されました。

‘キアンテ’
‘キアンテ’ Photo/今井秀治

種親にこの‘キアンテ’、花粉親には、ゲシュヴィント(R. Geschwind)が育種したクリムゾンのブルボン・クライマー‘ジプシー・ボーイ(Gipsy Boy)’という交配により、1967年に公表されたのが、‘ザ・ナイト(The Knight)’でした。バーガンディと呼ぶにふさわしい濃い花色の品種です。

これをきっかけに、オースチン農場は次々とダーク・レッド、クリムゾン、カーマインなど濃色花の品種を公表していくこととなりました。

1977年 ‘ザ・スクワイア(The Squire)’、ダーク・レッド

‘ザ・スクワイア’
‘ザ・スクワイア’ Photo/田中敏夫

種親:‘ザ・ナイト’、花粉親:‘シャトー・ド・クロ・ヴジェ(Château de Clos Vougeot)’- クリムゾンのHT

1982年 ‘プロスペロ(Prospero)’、ダーク・レッド/クリムゾン

‘プロスペロ’
‘プロスペロ’ Photo/田中敏夫

交配親の組み合わせは‘ザ・スクワイア’と同じです。

1982年 ‘ワイズ・ポーシア(Wise Portia)’、モーヴ(藤色)

‘ワイズ・ポーシア’
‘ワイズ・ポーシア’ Photo/今井秀治

種親:‘ザ・ナイト’、花粉親:‘グラストンバリー(Glastonbury)’- クリムゾンのシュラブ、‘ザ・ナイト’の系列。

1984年 ‘ウェンロック(Wenlock)’、クリムゾン

ウェンロック’
ウェンロック’ Photo/田中敏夫

交配親の組み合わせは‘ワイズ・ポーシア’と同じ。

1987年 ‘ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)’、ダーク・レッド/クリムゾン

‘ウィリアム・シェイクスピア’
‘ウィリアム・シェイクスピア’ Photo/田中敏夫

種親:‘ザ・スクワイア’、花粉親:‘メアリー・ローズ’

2000年には、改良品種の‘ウィリアム・シェイクスピア2000(William Shakespeare 2000)’も発表されています。

‘ウィリアム・シェイクスピア2000’
‘ウィリアム・シェイクスピア2000’ Photo/今井秀治

1990年 ‘ザ・プリンス(The Prince)’、ダーク・レッド

‘ザ・プリンス’
‘ザ・プリンス’ Photo/今井秀治

種親:‘リリアン・オースチン(Lilian Austin)’、花粉親:‘ザ・スクワイア’

1987年 ‘ザ・ダーク・レディ(The Dark Lady)’、ダーク・レッド

‘ザ・ダーク・レディ’
‘ザ・ダーク・レディ’ Photo/今井秀治

種親:‘メアリー・ローズ’、花粉親:‘プロスペロ’

1992年 ‘トラディスカント(Tradescant)’、ダーク・レッド

‘トラディスカント’
‘トラディスカント’ Photo/今井秀治

種親:‘プロスペロ’、花粉親:無名種 – 黒バラ、‘グロワール・ド・ドゥシャー(Gloire de Ducher)’の系列

1998年 ‘テス・オブ・ザ・ダーヴァヴィル(Tess of the d’Urbervilles)’、ダーク・レッド

‘テス・オブ・ザ・ダーヴァヴィル’
‘テス・オブ・ザ・ダーヴァヴィル’ Photo/今井秀治

種親:‘ザ・スクワイア’、花粉親:不明

赤花バラの育種の歴史は複雑でなかなか語り尽くせません。次編でまた、別のダーク・レッド育種の流れをお話ししたいと思います。

Credit

田中敏夫

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたいという思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/田中敏夫、今井秀治

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