オールドローズからモダンローズへ~ダーク・レッド編~<前編>【花の女王バラを紐解く】
花の女王と称され、世界中で愛されているバラ。数多くの魅力的な品種には、それぞれ誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。数々の文献に触れてきたローズアドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りするこの連載で、今回取り上げるのは、その象徴のような鮮やかな赤いバラ。この花を生み出したチャイナローズと、そこから繋がり、それぞれに魅力的な色彩の赤バラの品種をご紹介します。
目次
バラの“赤”
赤バラの色分けについては、以前から、ARS(American Rose Society:アメリカ・バラ協会)による、ミディアム・レッド、ダーク・レッド、レッド・ブレンドという3つのカテゴリーが使われていました。しかし、この分け方では、今日、さまざまな色合いの“赤”バラを表現することは難しくなっています。
おおざっぱなものですが、私案として次のように分けて整理をしています。
スカーレット | |
レッド | |
ダーク・レッド | |
クリムゾン | |
カーマイン |
これから寄り道をしながら、ダーク・レッドあるいはクリムゾンのバラについてお話ししたいと思います。
ダーク・レッドのバラの歩み
ダーク・レッドに花咲くバラは、ずっと以前からありました。12世紀にすでに栽培されていたロサ・ガリカ・オフィキナリス(Rosa gallica officinalis)などです。しかし、現在、多くの人を魅了しているダーク・レッドのバラは、18世紀末頃、‘スレーターズ・クリムゾン・チャイナ(Slater’s Crimson China)’など、中国やインドを経由してヨーロッパへもたらされたチャイナローズの“赤”が加わったことにより鮮やかさを加え、輝くような赤バラとなっていくことになりました。
ロサ・ガリカ・オフィキナリスの“赤”には、いくぶんかパープリッシュな色合いが含まれています。 “鮮血”のような妖しい赤が出ることはありませんでした。
1792年、ギルバート・スレーター(Gilbert Slater)により、中国由来のものだとしてヨーロッパに紹介されたのが、‘スレーターズ・クリムゾン・チャイナ’でした。この‘スレーターズ・クリムゾン・チャイナ’とヨーロッパの在来種とが交配されることにより、大輪で、鮮やかなダーク・レッドに花咲く品種が生み出されてゆくこととなりました。
しかしながら、この‘スレーターズ・クリムゾン・チャイナ’は遺伝子が3倍体であったことから、種子ができにくいという性質がありました。そのため、中国やインドなどから別ルートでもたらされたほかの“赤花”チャイナなども交配に使われ始め、このチャイナの“赤”がどのようにして新しい大輪・ダーク・レッドの品種となったのか、系統立てて追いかけることは難しくなってしまいました。
それでもいくつか跡を辿ることはできます。
鮮やかな赤を持つ‘グロワール・デ・ロゾマン’
1836年、パリのJ・P・ヴィベールは‘グロワール・デ・ロゾマン(Gloire des Rosomanes;“バラマニアの栄光”)’を公表しました。ダブルまたはセミ・ダブル、ダーク・レッドまたはクリムゾンの大輪花を咲かせるバラです。
ヴィベールは数多くの名品種を生み出していましたが、この‘グロワール・デ・ロゾマン’は彼のオリジナルではなく、リヨンのジャック・プランティエ(Jacques Plantier:生没年不詳)が1825年頃に育種したものでした。
グレイッシュで蒼みを帯びた、深い色合いの半照り葉。樹高250〜350cmの高性のシュラブとなります。
ブルボンとされたり、ハイブリッド・パーペチュアル(HP)の初期のものとされたり、クラス分けは一定していません。
RoseGatheringというサイトでバラについて詳しい情報を提供しているダフネ・フィルベルティ(Daphne Filiberti)さんは、この品種をチャイナにクラス分けし、興味深い解説を行っています。
まず、彼女はブルボンローズの由来について、ブルボン島においてチャイナと秋咲きダマスクとの自然交雑から生じたという通説に疑問を呈します。最初のブルボンとされることが多い‘ロゼ・エドアール(Rose Èdouard)’は、じつはフランスがブルボン島(現在のレ・ユニオン島)を領有するずっと以前からインドに存在していたからというのが、彼女の説の主旨です。
さらに、おそらくブルボンは最初、赤ではなくピンクの花色だったのではないか。そして、当時の育種家たちは、赤いブルボンを得るために意図的に交配を行ったのではないか・その成果が‘グロワール・デ・ロゾマン’なのではないか。‘グロワール・デ・ロゾマン’の交配親は、‘スレーターズ・クリムゾン・チャイナ’と‘ポートランド’(ダマスク・パーペチュアル)との交配によるのではないか……。これがダフネ・フィルベルティさんの解説です。
この‘グロワール・デ・ロゾマン’はその強健さから、20世紀の初め頃、特にアメリカにおいて園芸バラの台木として利用されたこともありました。その時代には、レイジド・ロビン(Ragged Robin)という別名で呼ばれていたようです。
余談になりますが、じつに不可解な呼び名だとずっと思っています。レイジド・ロビンというと、「ボロボロのコマドリ」という意味ですので、それ自体も奇妙な呼び名ですが、じつは同名の宿根草もあります。ヨーロッパの田園によく見られる野草です。ナデシコの仲間で、和名はカッコウセンノウ。なぜ、この深い赤のバラとカッコウセンノウが結びつくのか、よく分かりません。
話をバラに戻しましょう。
1853年、フランスのルーズレ(Mons. Rouselet)は‘ジェネラル・ジャックミノ(Général Jacqueminot)’を育種・公表しました。
赤バラの名花‘ジェネラル・ジャックミノ’
大輪、クリムゾンの花色、明るく輝くような赤は、公表直後から多くの愛好家や育種家を魅了しました。現在流通しているほとんどすべての赤い現代バラは、その系列をたどると、この‘ジェネラル・ジャックミノ’にたどり着くと解説する研究者もいるほど大きな影響があった品種です。
交配親については、次のように考えられています。
種親:無名種(‘グロワール・デ・ロゾマン’の実生種とクリムゾンのHP‐不明種の交配による)
花粉:‘ジェアン・デ・バテーユ(Géant des Batailles)’
花粉親とされる‘ジェアン・デ・バテーユ’は、HPの始まりといわれることもあるのですが、この品種も‘グロワール・デ・ロゾマン’をベースにして生み出されたと考えられています。ですから、‘ジェネラル・ジャックミノ’は‘グロワール・デ・ロゾマン’の血を色濃く継いでいることになります。
この品種の由来については、次のような記事があります。美しいブルボン、‘ルイーズ・オディエ(Louise Odier)’などの育種で知られているマルゴッタン(父)(Jacques-Julien Margottin père:1817-1892)が語った話です。
「この“将軍”(‘ジェネラル・ジャックミノ’)は、パリ近郊のムレドン(Merèdon)のムッシュー・ルーセル(Mons. Roussel)より入手した。
彼はいつの日か、いい新品種を得ることができると信じて、‘グロワール・デ・ロゾマン’を種親にして30年にわたり育種を行っていた。彼は死の床で、自分の庭のガーデナーであったルーズレ(Mons. Rouselet)に、
「なにも残すことができなかったが、この実生種すべてをおまえにあげよう。うまくやれば、すぐにひと財産築けるかもしれない」と言い残したとのことだ。ムッシュー・ルーセル自身は、この‘ジェネラル・ジャックミノ’を見ることができなかったが…」
ナポレオンに忠誠を尽くしたフランスのジャックミノ将軍(Jean Francois Jacqueminot:1787-1865)にちなんで命名されました。
1804年、皇帝の位に就いたナポレオンは、イギリス、オーストリア、プロイセン、スペインなどによる対仏同盟との戦闘に明け暮れていました。多くの戦闘のうち、ジャックミノはアウステルリッツの戦い(1805)、エスリンクの戦い(1809)、ヴァグラムの戦い(1809)などに前線将校として参戦していました。
やがて、ナポレオンは、ロシア遠征で数十万の将兵を失うなど大打撃を受けてから急速に凋落しはじめ、ワーテルローでの敗戦を契機に(ジャックミノはこのとき大佐、前線で指揮)、1814年、退位を余儀なくされ、エルバ島へ流刑となりました。
しかし、その翌年、エルバ島を脱出し舞い戻ったナポレオンのもと(”百日天下”)で、ジャックミノは軽騎兵を指揮するなどナポレオンへ忠誠を尽くしました。
さらに、ナポレオンがセント・ヘレナへ流刑・監禁され、没落し、フランスに王制が復古した後も、王制に反対し、共和政へ与しました。退役後は企業を起こして退役軍人を雇用したりもしました。
ジャックミノが代議員に選ばれたとき、フランスはシャルル10世による王政復古の時代でした。王の権威をバックに反動的な政策を推進していたのが、首相ポリニャック。ジャックミノは、しばしばポリニャックと鋭く対立したとのことです。
‘ジェネラル・ジャックミノ’から続く赤バラの系譜
1859年、リヨンのJ.P. ギヨ(Jean-Baptiste André Guillot (fils))は、非常に深い赤(クリムゾンまたはカーマイン)の中輪花を咲かせる‘ルイ14世(Louis XIV)’を公表しました。
ルイ14世
ダーク・レッドというよりも、ずっと深い赤、パープリッシュな色合いが濃いカーマインとなる花色。中心部は暗さが抜けて、燠火のような暗く妖しい色合いとなります。
‘ジェネラル・ジャックミノ’の実生から育種されました。実生種ですので、親品種と同様、HPとされることもありますが、少し小さめの花、よく返り咲きする性質から、チャイナローズにクラス分けされることも多いです。個人的に、そのほうが適切のように感じます。
フランス絶対王政のもっとも華やかな時期、繁栄の頂点を極め、「太陽王」という呼称でも知られるルイ14世(1638-1715)の名を冠した品種です。
スヴニール・ドゥ・ドクトル・ジャメイン
1865年、リヨンのF. ラシャルム(François Lacharme)は‘スヴニール・ドゥ・ドクトル・ジャメイン(Souv. du Docteur Jamain)’を育種・公表しました。ちなみに、ドクトル・ジャメインは仏語の発音ではドクチュール・ジャメに近くなります。
パープル、あるいは栗色を混ぜたとも表現される深いクリムゾン/カーマインの花弁、花心の赤がまるで燠火が妖しく燃えるように見える花に出会ったとき、育て上げた苦労は、格別の喜びに変わると思います。‘ルイ14世’の極紫(ごくむらさき)も魅力的ですが、“静脈血”のようにどす黒い‘スヴニール・ドゥ・ドクトル・ジャメイン’には、また別の意味での深みがあるように感じています。
‘ジェネラル・ジャックミノ’を種親、深い赤花を咲かせるHPの‘シャルル・ルフェブブル(Charles Lefèbvre)’を花粉親として育種されたとのことです。大輪花を咲かせることから、HPにクラス分けされています。
パリに所在する温室を本拠に、ツツジ、椿、オレンジ、バラなどの栽培・研究を行っていたのがイッポリット・ジャメ(Hippolyte Jamain)です。イッポリットの兄、アレクサンドルは著名な医師でしたが、園芸についても造詣が深かったのでしょう。蘭についての著述があるようです。1862年に他界していますので、ラシャルムは彼の死去を悼み命名したのだろうと思います。
ラシャルムは1874年には今度は弟イッポリットにちなみ、深いピンクのHP、‘イッポリット・ジャメ’も公表しています。
まぎらわしいのは、弟のイッポリットも1851年に兄の名をつけた‘ドクチュール・ジャメ(Docteur Jamain)’という品種を育種・公表していることです。
公表の順番に、もう一度整理しておきましょう。
1851年、‘ドクチュール・ジャメ’ byイッポリット・ジャメ
1865年、‘スヴニール・ドゥ・ドクトル・ジャメイン’ byラシャルム
1874年、‘イッポリット・ジャメ’ byラシャルム
‘ジェネラル・ジャックミノ’を交配親とするダーク・レッドの品種はその他にも数多いですが、ここではあと2つだけご紹介しましょう。
1865年、ラシャルムは‘スヴニール・ドゥ・ドクトル・ジャメイン’の公表と同時に‘アルフレッド・コロン(Alfred Colomb)’を育種・公表しました。
アルフレッド・コロン
大輪、ダーク・レッド/クリムゾンとなるHPです。
‘ジェネラル・ジャックミノ’の実生から育種されました。
アルフレッド・コロンは、リヨンのバラ愛好家でした。やはりリヨンでバラ育種に携わっていたドウシェ(父)も1852年に同名の‘アルフレッド・コロン’を公表していますので注意が必要です。“アルレッド・コロン-1865, Lacharme”と表記したほうがよいかもしれません。
1868年、英国のジョージ・ポールJr. (George Paul Jr.)は‘デューク・オブ・エジンバラ(Duke of Edinburgh)’を公表しました。
デューク・オブ・エジンバラ
重厚な丸弁咲き、またはロゼット咲きとなることが多い花形。
この品種も‘ジェネラル・ジャックミノ’の実生から生み出されました。
ドイツ、第3代ザクセン=コーブルク=ゴータ公であったアルフレート・エルンスト・アルベルト(Alfred Ernst Albert:1884-1900)に献じられました。公爵はイギリス女王ヴィクトリアの次男であったことから、イギリス王族としてエジンバラ公にも叙されていました。
次回は、オールドからモダンローズへと移り行くダーク・レッド/クリムゾンのバラについてお話しできたらと思います。
Credit
文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたいという思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。
写真/田中敏夫、今井秀治
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