バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、淡いサーモンピンクの整った花姿で、女優その人、といった趣のバラ‘オードリー・ヘプバーン’。晩年、自宅で庭仕事に勤しんでいたオードリー・ヘプバーンの人生に触れながらご紹介します。

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バラとの出会い

バラ‘オードリー・へプバーン’
友人宅に咲くバラ‘オードリー・へプバーン’。清楚で、気品のある花は、その名前に相応しい佇まいを見せる。

バラ‘オードリー・ヘプバーン(ヘップバーン)’と出会ったのは、友人宅のバラ庭だった。淡いサーモンピンクの花弁の縁にピンクのぼかしが入る清楚な花姿が、いかにも女優その人、といった趣のバラだ。女優としてのオードリー・ヘプバーンは世界的に知名度が高いが、晩年スイスの自宅で庭仕事に勤しんでいたことは、あまり知られていないだろう。

何年か前に、「オードリー・へプバーンの庭園紀行」というテレビ番組を見たことがある。アメリカで制作されたシリーズ番組で、彼女の庭への愛と見識が溢れた内容だった。バラ‘オードリー・ヘプバーン’は、この番組制作中の1991年に、彼女に捧げられたものだ。

女優オードリー・ヘプバーン

映画「ローマの休日」を最初に見たのは、いつの頃だったろう。少女時代にその物語に胸をときめかせた記憶は鮮明に残っている。ヨーロッパ某国の王女アンが、親善旅行の途中のローマで滞在先のホテルからひとり抜け出し、アメリカ人新聞記者と恋に落ちるストーリー。ローマの街を背景に、王女の冒険と二人の恋模様が鮮やかに描かれている。何よりもアンを演じるヘプバーンのチャーミングで、気品あふれる姿が印象的だった。

オードリー・ヘップバーン
へプバーンについて書かれた本の表紙写真。彼女に関する写真や書籍は世界各地で数えきれないほど出版されている。Stefano Chiacchiarini/Shutterstock.com

ヘプバーンは1953年に発表されたこの作品が映画の主役デビューで、鮮烈な登場で世界中を熱狂させたといっても過言ではない。以来、「麗しのサブリナ」(1954)、「尼僧物語 」 (1959)、「ティファニーで朝食を」(1961)、「マイ・フェア・レディ」(1964)、「暗くなるまで待って」(1967) と、映画史に残る名作への出演が続く。1970年以降、映画への出演は少なくなったが、代表作は繰り返し上映されるので、当時のイメージは色褪せないままだ。

女優への道

オードリー・ヘプバーン
カナダの切手になった、1956年に写真家ユサフ・カーシュによって撮影された、へプバーンの肖像。Olga Popova/Shutterstock.com

オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn, 1929-1993)は、1929年にベルギー、ブリュッセルで生まれた、イギリス人の父とオランダ人の母のもと、オランダやイギリスで幼年期を過ごしている。第二次世界大戦時、ドイツ占領下のオランダで苦しい生活を体験したことから、のちにユニセフ親善大使として、世界各地の紛争地の子どもたちを援助する活動に携わっている。

オランダやイギリスでバレエを習い、バレリーナを目指したが、プリマとしては170cmと身長が高すぎたことから断念、女優の道を選んだという。フランスの小説家、ガブリエル・コレットに見いだされて、ブロードウェイの舞台「ジジ」で初めて主役の座を射止めた。その舞台姿から「ローマの休日」への出演が決まったので、コレットが世に出した女優ともいわれている。当時は無名の女優が映画の主役に抜擢されるのは異例のことだった。

スイスでの生活

ヘプバーンはプライベートでは、2度の結婚、離婚を経験し、2人の子どもを育てている。晩年はスイス、レマン湖畔のトロシュナ村に居を構えていた。18世紀に建てられた農家を改装した住まいにパートナーと暮らし、敷地内にある果樹園や野菜畑、庭園で木々や草花、野菜を育てる日々。自ら草取り、接ぎ木、刈り込みをする、と語っている。

「私は草花の手入れをしながら、ゆっくりと空を見上げ、多くの時間を庭で過ごします。夏には湖から激しい風がやってきて、とうもろこしなどは倒れてしまいます。しかし棒で支えると再び立ち上がります。植物の力は驚くべきもので、少しの手助けで生き続けるのです。私は庭があるだけで幸せを感じます」

庭園紀行①テレビドキュメンタリー

『オードリー・ヘプバーンの庭園紀行』(Garden of the World with Audrey Hepburn)

今回あらためて『オードリー・ヘプバーンの庭園紀行』(Garden of the World with Audrey Hepburn)を見てみたいと、DVD BOXを手に入れた。世界7カ国17庭園をヘプバーンが訪れ、案内役として登場。30分、全8回シリーズの番組が4枚のデスクに収められ、日本版には「美しさを求めて」というメイキングやインタヴュー映像の1枚が添えられている。その中で印象的なのが「庭園と花が大好きなので、この仕事に胸を躍らせました」という彼女の言葉だ。

撮影は1990年の春から夏にかけて行なわれ、放映は1993年1月から。1回目の放送は、くしくも彼女が亡くなった翌日だった。

庭園紀行②バラとチューリップ

番組の第1回目は「バラとバラ園」。バラの花を愛したヘプバーンは、フランス、パリ郊外のバラ園ライ・レ・ローズ(現ヴァル・ド・マルヌ県バラ園)からスタートし、バラの魅力、その歴史などを語っている。ライ・レ・ローズのほか、ジヴェルニーのクロード・モネの庭、パリのバガテル公園バラ園など、私が訪れたことのある場所が登場するので、感慨深いものがある。

ヘプバーンはバラと同様に、チューリップの花を愛していた。番組2回目「チューリップと春の球根草」ではオランダ、キューケンホフ公園のチューリップの花壇や球根栽培畑などが色彩豊かに映し出される。メイキング映像では、純白のチューリップに‘オードリー・へプバーン’という名前が冠され、その命名式がヘプバーン一族所有のドールン城で行われた光景も描かれている。

庭園紀行③さまざまな庭園物語

『オードリー・ヘプバーンの庭園紀行』(Garden of the World with Audrey Hepburn)

番組3回目以降は、「整形式庭園」、「フラワー・ガーデン」、「カントリー・ガーデン」、「公園と樹木」、「日本の庭園」、「トロピカル・ガーデン」と続く。「日本庭園」はヨーロッパから遠いので、最初の予定には入っていなかった。だが、彼女は西芳寺、竜安寺、大仙院、龍源院、金地院、平安神宮、桂離宮、真々庵を訪ね、「日本のどの景色をとっても、風流な調和を生み出そうとしている、その心遣いが汲み取れます。日本人にとってこの庭園という世界は、存在する数々の世界の中で、最も美しい場所であり続けるのです」と語っている。

庭園紀行④衣装とナレーション

へプバーンは番組出演が決まると、ニューヨークのデザイナー、ラルフ・ローレンのオフィスで、個々の庭園にあわせた服を自ら選んだ。ほとんどが白か紺色、パステルカラーの衣装で、主役である庭園に寄り添うように心を砕いたという。その姿は楚々として、美しい年のとり方をしていると思える佇まいをみせている。
庭園を語るナレーションは奇麗な英語で、何よりも「ローマの休日」以来変わらぬ独特の甘い声と、語り口調を聴けるのが嬉しい。

バラ‘オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)’

バラ‘オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)’

バラ‘オードリー・へプバーン’は、1991年にアメリカの育種家ジェリー・F・トゥーミーによって作出された。この年の初頭、アメリカで庭園紀行のシリーズ番組に先だって、1時間のスペシャル番組が放映されている。作出者はヘプバーンのバラへの深い愛を感じて、新しく生まれたバラを彼女に捧げたいと思ったのではないだろうか。

バラは柔らかなサーモンピンクの花色で、「ローマの休日」で登場した頃の、女優の初々しい姿を彷彿させる。花径が10〜12cmと大輪、丸弁八重の四季咲き。樹高は0.8m、樹形は半直立性で、鉢植えにも適している。

Credit

写真&文/松本路子
写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-21年現在、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。

『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。www.matsumotomichiko.com/news.html

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