バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、『アンネの日記』によってその名が世界的に知られる、アンネ・フランクに捧げられた木立バラ‘スブニール・ド・アンネ・フランク’と平和と友好のシンボルとして、日本各地で開花する様子などをご紹介します。

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バラとの出会い

バラ‘スブニール・ド・アンネ・フランク’
‘スブニール・ド・アンネ・フランク’、秋バラのつぼみ。

最初に‘スブニール・ド・アンネ・フランク’に出会ったのは、ベルギーのバラ園だった。「アンネ・フランクの思い出」と名づけられたこのバラは、真紅のつぼみが開花すると、オレンジがかった黄色の花弁になり、さらに縁に赤みが加わり、最後はピンク色になるという、多彩な表情を見せる。ベルギーの育種家、イポリット・デルフォルジュによって、『アンネの日記』の著者、アンネ・フランクへ捧げられたバラだ。

ベルギーのバラ園を訪ねる旅の途中、思いがけず作出者の息子さんに会い、彼からこのバラ誕生の物語、そして日本とのバラが取り持つ縁について、興味深い話を聞くことができた。

アンネ・フランク

アンネ・フランク
アンネ・フランク。1942年5月、13歳を目前に撮影された、パスポート用写真が残されている。一家が海外に亡命することは叶わなかった。©Anne Frank House

『アンネの日記』によってその名が世界的に知られる、アンネ・フランク(Annelies Marie Frank 1929-1945)は、ドイツのフランクフルトに生まれた。ユダヤ系ドイツ人の一家は、第二次世界大戦中、反ユダヤ主義を掲げるナチスの迫害を恐れ、アンネが4歳の時に、オランダ、アムステルダムに移り住んだ。

アンネの日記のサイン帳
13歳の誕生日に父親から贈られたサイン帳。日記はこのノートから始まり、何冊も書き続けられた。© Anne Frank House

やがてオランダもドイツ軍の占領下に置かれ、1942年夏、家族は隠れ家に潜む生活を余儀なくされた。日記はおもに隠れ家での2年間に書かれたものだ。13歳の誕生日に、父オットー・フランクから贈られた赤いチェックのサイン帳が最初の日記帳だった。小説家かジャーナリストになりたいと願っていた多感な少女は、潜んで暮らすという状況下で、克明に日々を綴った。

ある日突然、ナチスのゲシュタポにより隠れ家が捜索され、家族はポーランドのアウシュヴィツ強制収容所に送られた。その後に移送されたドイツの収容所の劣悪な環境下で、アンネはチフスに侵され、15年という短い生涯を終えている。

アムステルダムの隠れ家

アンネの家
アムステルダム、プリンセングラハト通りに残るアンネの家。右は家の入り口。家の一部は記念館となっていて、日記も展示されている。© Anne Frank House/ Cris Toala Olivares

私はかつてアムステルダムのアンネが潜んでいた家を訪ねたことがある。1980年代、海外レポートの仕事をしていた頃のことだ。プリンセングラハト通り263番地のその家は、現在ほど記念館として整備されていなかったが、一般公開されていた。隠れ部屋の入り口をカモフラージュしていた本棚が開かれていて、狭い間口を通り抜けたことを記憶している。

アンネの隠し部屋
建物の3階にある部屋の本棚の後ろに、隠れ部屋の入り口がある。
© Anne Frank House/ Cris Toala Olivares

隠れ家はアンネの父が所有していた会社の建物の裏に連なる「後ろ家」と呼ばれる部分だ。2家族とひとり、合計8人がそこで761日にわたり暮らしていた。協力者たちが、3階にある本棚の隠し扉から食料を差し入れていたという。

アムステルダム
アムステルダム、運河沿いのプリンセングラハト通り。アンネの家は左から2軒目に建つ。© Anne Frank House/ Cris Toala Olivares

日記の出版

戦争が終わり、収容所から戻ってきたのは、家族4人のうち父のオットー・フランクだけだった。協力者が保管していたアンネの日記がオットーに手渡され、それを読んだ彼は、日記の出版化のために奔走した。最初は1947年にオランダで、その後ドイツ、フランス、アメリカと出版が続いたが、いずれも少数の部数だった。

アンネの日記
オランダで最初に出版された『アンネの日記』の表紙。本の題名は『後ろ家』で、一家が隠れていた場所を意味する。日記が書かれた1942年6月14日から1944年8月1日の日付が記されている。© Anne Frank House

1950年代、ニューヨークの新聞に書評が掲載されたことがきっかけになり、出版部数は格段に増えていった。やがてブロードウェイで舞台化され、さらに映画化されることによって、反響は大きく広がっていった。世界70の言語に翻訳され、日本でも1952年に『アンネの日記 光ほのかに』と題された、最初の日本語版が出版されている。

バラの誕生

ベルギーのバラの育種家イポリット・デルフォルジュは、スイスでアンネの父親に出会ったことをきっかけに、自らの園芸会社で生み出した新種のバラをアンネ・フランクに捧げたいと、父親に1通の手紙を出した。

‘スブニール・ド・アンネ・フランク’のバラ
花の最盛期に撮影された‘スブニール・ド・アンネ・フランク’のバラ。©アンネのバラの教会

父親からの返事のコピーを手に入れたが、文面は‘スブニール・ド・アンネ・フランク’というバラが誕生することへの喜びに満ちていた。「アンネはとても自然を愛していました。ですからバラに彼女の名前が冠されることは誠に相応しいと思います」(セレクト・デルフォルジュ社の資料より)

バラの苗は父親の庭に植えられ、毎年開花しているという手紙も残されている。その手紙の最後に、バラの苗を日本に贈りたいという相談も記されていた。

日本で咲く‘アンネのバラ’

アンネのバラ
バラは紅、オレンジ、赤、ピンクと開花につれ花色が変わる。アンネ・フランクが得られなかった、多彩な人生を物語る花色とされる。©アンネのバラの教会

京都に本部を置く聖イエス会が、1971年に国際交流のためにイスラエルに派遣した合唱団一行が、その地で偶然オットー・フランクと出会った。団員の大槻道子との文通を縁に、翌年10本のバラ苗が日本に送られてきた。1カ月にわたる船旅で苗は弱っていたが、そのうちの1本が大槻の庭に根づき、開花した。この1本は「アンネのバラ」と呼ばれ、評判となった。

アンネのバラ園
アンネ・フランクのブロンズ像とともにバラが植栽された、花フェスタ記念公園の「アンネのバラ園」。

さらに10本の苗が贈られてきたことから、『アンネの日記』を読んだ人々の手によって、バラは接ぎ木で増やされ「平和へのメッセージ」として全国に広まっていった。私が国内で最初に見たのは岐阜のバラ園で、アンネの像を囲むようにして、華やかな色のバラが咲いていた。

アンネのバラの教会
兵庫県、西宮市にある「アンネのバラの教会」の前庭。毎年5月にバラが一斉に花開く光景は見事だ。©アンネのバラの教会

1980年、聖イエス会によって、兵庫県西宮市にアンネ・フランク生誕50周年を記念した「アンネのバラの教会」が建てられた。教会の庭には50本のアンネのバラが植えられ、アンネ・フランク資料館も併設されている。

東京都杉並区の高井戸中学校の校内にも、アンネのバラが植えられている。こちらは『アンネの日記』を読んだ生徒たちが、その感想文を英訳してアンネの父親に送ったことをきっかけに、1976年に3本の苗木が贈られた。今では200本以上に増えて、学校の花壇を彩っている。

バラ‘スブニール・ド・アンネ・フランク’

アンネのバラ
高井戸中学校に咲く、今年の秋バラ。生徒たちによる「アンネのバラ委員会」や、地域のサポーターの手によってバラの手入れがなされている。

平和と友好のシンボルとして、世界各地で花開いているバラ‘スブニール・ド・アンネ・フランク’。つぼみから散る寸前まで、幾重にも色を変化させる花姿は華やかで、麗しい。ベルギーのイポリット・デルフォルジュによって8年の歳月をかけて1955年に作出されたバラは、‘アンネ・フランクの思い出’を意味する名前で、1960年に世に出された。

四季咲きの木立バラで、花径は約7cm。房咲きでよく返り咲く。樹形は横張り性で、樹高は0.8mほどになる。

Information

アンネ・フランクの家
Anne Frank Huis

住所:Prinsengracht 263-267 1016 GV Amsterdam Netherlands

電話:(020)5567100

開館:月曜~木曜 9:00~20:00 金曜~日曜 9:00~22:00

休館:9月16日

入館料:大人 14.00€、10~17歳 7.00€、0~9歳 1.00€

アクセス:アムステルダム中央駅から徒歩20分。駅からトラム13、17番にて、ウェスタ―マルクト下車。徒歩2分。

H.P.:www.annefrank.nl

Email:services@annefrank.nl

アンネのバラの教会

住所:兵庫県西宮市甲陽園西山町4-7

電話:0798-74-5911

資料館開館:土曜日13:00~17:00 (予約制)

庭:いつでも見学可

H.P.:www.annesrose.com

Email:church@annesrose.com

アクセス:阪急電鉄甲陽園下車、駅から徒歩10分

Credit

写真&文/松本路子
写真家・エッセイスト。世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2018-21年現在、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルムを監督・制作中。

新刊『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)が、91日に発売されました。www.matsumotomichiko.com/news.html

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