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悲しい恋~詩と物語と絵画とバラ【花の女王バラを紐解く】

悲しい恋~詩と物語と絵画とバラ【花の女王バラを紐解く】

花の女王と称され、世界中で愛されているバラ。数多くの魅力的な品種には、それぞれ誕生秘話や語り継がれてきた逸話、神話など、多くの物語があります。数々の文献に触れてきたローズ・アドバイザーの田中敏夫さんが、バラの魅力を深掘りするこの連載で、今回取り上げるのは、‘レディ・オブ・シャロット’や‘オフィーリア’など。文学に登場する名を冠したこれらのバラを、物語の概要とともにご紹介します。

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物語にちなんだバラ「レディ・オブ・シャロット」

バラ‘レディ・オブ・シャロット’
‘レディ・オブ・シャロット’ Photo/今井秀治

香り高く、美しい花にあふれるイングリッシュ・ローズは、多くのバラ愛好家の賛辞を浴びています。その中でも、よく整ったオレンジ花‘レディ・オブ・シャロット(Lady of Shalott)’にちなんだ話から始めましょう。

壺形、またはカップ形となる大輪、花色はピンク・オレンジ。全体にイエローが強く出て、アンバーに近い色合いとなることもあります。トゲの少ない、細めで横張り性の枝ぶり、樹高120〜180cmの中型のシュラブです。

2009年に育種・公表されました。

英国、ヴィクトリア朝時代の詩人、アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson:1809-1892) の生誕200年を記念して命名されました。

アルフレッド・テニスンはロマン派の詩人、日本でも水夫の悲劇を描いた物語詩『イノック・アーデン』(1864年)などで知られています。

テニスン
‘青年時代のテニスン’ Paint/Samuel Laurence, circa 1840 [Public Domain via Wikimedia Commons]
牧師の三男として生まれ、若い時代から兄たちと私的な詩集を編むなどしていました。ケンブリッジ大学で学んでいましたが、1831年、父の死去直後、中途退学して故郷リンカーンシャーに戻りました。

1833年、長詩『シャロットの妖姫(Lady of Shalott)』を発表しました。

ところが、このロマンティックな詩は、公表当初は酷評をもって迎えられました。表現が大仰に過ぎると感じられたのではないでしょうか。

深く傷ついたテニスンは10年間、作品を公表しなくなってしまいました。しかし、『シャロットの妖姫』は時を経るにしたがい再評価されてゆき、物語、音楽、絵画など、多くの芸術作品の題材となりました。

『シャロットの妖姫』は、こんな物語です。

川の中州にある古城に閉じ込められているシャロット姫は、外の世界を直接見たら死んでしまうという恐ろしい呪いをかけられています。彼女は部屋に鏡を据え、そこに映る外の世界を眺めながら、その情景を織物に編み込んでいました。ところがある日、シャロットは騎士ランスロットの姿を鏡の中に見つけたとき、一瞬にして魅了されてしまいました。ランスロットの姿を見ようと、思わず外の世界を直視してしまう、シャロット姫。

おそろしい呪いが現実のものになってしまいます。

鏡は割れ、織物はほどけ、姫にからみついてしまいます。覚悟した姫は小舟に身を横たえ、死出の旅へと赴きます。やがて小舟はアーサー王の居城、騎士ランスロットがいるキャメロットに流れ着きましたが、そのときすでに姫はこと切れていました。

ランスロットは彼女の死を悼み、冥福を神に祈る場面で詩は終わります。

絵画に描かれたシャロット姫

英国、ヴィクトリア時代を代表する画家のひとりであるジョン・W・ウォーターハウス(John William Waterhouse:1849-1917)は、ことにこの題材に強く惹きつけられたのでしょう、彼の最高傑作といわれる『湖上のシャロット姫』など、同じ題材で3つの傑作を残しています。

シャロット姫
「『わたし、日陰にいるのにすこし飽きてしまったわ』とシャロット姫は言った。”‘I am half sick of shadows,’ said the Lady of Shalott”」
Paint/John William Waterhouse, 1915 [Public Domain via Wikipedia Commons]
シャロット姫
「鏡は端から端までひび割れた。『呪いがわたしに降りかかる!』シャロット姫は叫んだ。“The mirror crack’d from side to side; ‘The curse is come upon me,’ cried The Lady of Shalott”」
Paint/John William Waterhouse, 1894 [Public Domain via Wikimedia Commons]
シャロット姫
「日が傾くたそがれ時に、もやいを解き彼女は倒れ伏した。幅広の流れは彼女を遠くへ運んでゆく、シャロット姫を。“It was the closing of the day: She loos’d the chain, and down she lay; The broad stream bore her far away, The Lady of Shalott”」
Paint/John William Waterhouse, 1888 [Public Domain via Wikimedia Commons]
日本では坪内逍遥が『シャロットの妖姫』という題名で訳しています。また、夏目漱石はこの詩と他に伝えられた騎士ランスロットにまつわる伝説を題材にして、小説『薤露行(かいろこう)』を書き上げています。

余談になりますが、ここに掲載したジョン・ウォーターハウスによる傑作『湖上のシャロット姫』はロンドンのテート・ギャラリーで見ることができるのですが、この絵の横にはジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』が飾られています。漱石はミレーの『オフィーリア』に触発されて『草枕』を書き、ウォーターハウスの『湖上のシャロット姫』から受けた強い印象をもとにした『薤露行』を書き上げたのでした。

ミレーの『オフィーリア』と漱石の『草枕』

オフィーリア
‘オフィーリア’ Paint/John Everett Millais、circa 1852 [Public Domain via Wikimedia Commons]
夏目漱石の『草枕』における記述は、この名画から触発されていることが明らかです。

漱石自身を思わせる主人公、画工(画家)である“余”は、湯船につかり、仰向けになり、頭を縁で支えて体をゆらゆらと漂わせながら、

「平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる」とこの作品に言及します。

「何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない」

と描写します。そして、この想いは妖艶な女性、那美さんへと連なってゆきます。樹木が池の畔まで迫る山間の池を訪れ、水面を眺めながら、

「あの顔(那美さんのこと)を種にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長えに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画でかけるだろうか」と述懐します。

ミレーのこの作品を鑑賞した後で、漱石の『草枕』を読んでみるのも一興かと思います。ジョン・ウォーターハウスもまた、数点の『オフィーリア』を残しています。そのうちの一枚をご紹介しましょう。

オフィーリア
‘オフィーリア’ Paint/John William Waterhouse, circa 1910 [Public Domain via Wikimedia Commons]

「オフィーリア」と文学作品に触発されたバラ

1912年、英国のナーサリー、ウィリアム・ポール・アンド・サンズ(William Paul & Sons)から市場へ提供されたHTの‘オフィーリア(Ophelia)’は、今日でも多くのバラ愛好家に愛されています。

バラ オフェリア
‘オフィーリア’ Photo/田中敏夫

公表された当時、‘オフィーリア’は絶大な人気を博し、その後の育種に大きな影響を与えました。今日でも広く栽培されている品種としてはHTの‘ディンティ・ベス(Dainty Bess)’、ハイブリッド・ムスク(HM)の‘フェリシア(Felicia)’、同じくHMの‘ペネロープ(Penelope)’などがあります。

バラ‘ディンティ・ベス(Dainty Bess)’
‘ディンティ・ベス’ Photo/田中敏夫
バラ‘フェリシア(Felicia)’
‘フェリシア’ Photo/今井秀治

イングリッシュ・ローズの生みの親、デビッド・オースチン氏は‘レディ・オブ・シャロット’の他にも文学にちなんだ品種を数多く公表しています。

初期には ‘ザ・ナン’、‘ザ・ワイフ・オブ・バース’などチョサーの『カンタベリー物語』に登場する人物。その後に続く、シェイクスピアの数々の作品にちなんだバラ、‘テス・オブ・ザ・ダーヴァビル’など。さらに、トマス・ハーディの小説の登場人物などが知られています。最近公表されている品種の中にも、文学作品にちなんだものがあります。

英国ジョージ・エリオット著『フロス河畔の水車小屋』より

バラ‘ザ・ミル・オン・ザ・フロス
‘ザ・ミル・オン・ザ・フロス’ Sergey V Kalyakin/Shutterstock.com

よく整った浅いカップ形、開花はじめは淡いピンク、次第にライラック気味に変化してゆく美しい品種です。柔らかな枝ぶりの中型のシュラブとされていますが、関東以西など温暖な気候下では大株となるようです。

2018年に公表されました。

英国の作家ジョージ・エリオット(George Eliot:1819-1880)が1860年に公刊した小説『フロス河畔の水車小屋(The Mill on the Floss)』にちなんで命名されました。

黒髪が美しいヒロイン、マギーは兄トムと父とともに零落した暮らしをしています。ところがマギーが恋してしまうフィリップは一家の仇敵…

緻密な心理描写で、今日でも評価の高いジョージ・エリオット。男性名のペンネームですが、じつは女性(本名はメアリー・アン・エヴァンズ、Mary Anne Evans)です。

ジョージ・エリオット’
‘30歳の頃のジョージ・エリオット’ Paint/unknown, circa 1849 [Public Domain via Wikimedia Commons]
イングリッシュ・ローズにはもう一つ、ジョージ・エリオットの作品にちなむ品種があります。

それは、‘サイラス・マーナー(Silas Marner)’です。

中型のカップ形、花弁が密集するロゼッタ咲き。淡いピンクの花は熟成するとラベンダー色が加わってきます。強いダマスク系の香りにはモダン・ローズらしいフルーティな匂いも漂っています。

柔らかな枝ぶりの中型のシュラブ。

こんな物語です。

主人公は人付き合いの悪い老いたリンネル織工、サイラス・マーナー。

無実の罪に苦しみ、婚約者にも見捨てられたサイラスがただ一つ拠り所にしていることが蓄財です。

ところが、その貯めた金はごろつきの青年に盗まれてしまいます。絶望し神を呪うサイラス・マーナー。しかし、ある雪の夜のこと、持病の失神から目覚めたサイラスの指に触れたのは…。

続きは翻訳された『サイラス・マーナー』でどうぞ。

Credit

田中敏夫

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたいという思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

写真/田中敏夫、今井秀治

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