バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、イタリア・ルネサンス期の天才画家に捧げられたバラ‘レオナルド・ダ・ヴィンチ’との出会いやゆかりの地とともに、花の魅力をご紹介します。
目次
バラとの出会い

わが家に‘レオナルド・ダ・ヴィンチ’がやってきたのは、十数年前のこと。
イタリア、ルネサンス期の天才画家に捧げられたそのバラは、濃いピンク色で、花姿と名前に惹かれた私は、バラ園から裸苗を取り寄せた。バルコニーで毎年艶やかな花を咲かせ、何度も返り咲く花を見るにつけ、画家の生まれたイタリアの村を訪ねてみたいと思い始めた。だが、その願いはいまだ果たせないでいる。
一昨年はトスカーナ地方で、造形作家ニキ・ド・サンファルの映画の撮影を行った。ダ・ヴィンチの生家のあるフィレンツェにそう遠くない場所だったが、足をのばす時間的余裕がなかった。私にとってこれから旅したい地の一つが、ダ・ヴィンチゆかりのイタリアと、フランスの町や村となっている。
ヴィンチ村からフィレンツェへ

レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci,1452-1519)は、フィレンツェから20km離れたヴィンチ村で生まれた。村には彼が生まれた家が500年経った今も残され、修復されて当時と同じような様子で公開されている。
ダ・ヴィンチは14歳(一説には15歳)の時に、フィレンツェのアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に見習いとして入り、画家としての修業を始めた。時は15世紀後半、ルネサンス最盛期で、フィレンツェは自由と活気に満ちていた。
10代の頃からその才能を開花させ、師のヴェロッキオは彼の絵を見て、絵筆をとることをやめたというエピソードが伝わっている。当時の美しいがパターン化された描写に対して、天使がそこに存在するかのごとく、人の心の奥底に響く絵を描き出していたのだ。
「最後の晩餐」
フィレンツェで16年間を過ごしたダ・ヴィンチは、30歳の時にミラノに居を移した。ミラノでは、後世に残る代表作のうちの2つを制作している。一つは「岩窟の聖母」。そしてサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ修道院の食堂の壁に描いた「最後の晩餐」。「最後の晩餐」はダ・ヴィンチが43歳の時に描き始めて、3年かけて完成させている。「モナ・リザ」と並び、画家を語るうえで欠かせない作品だ。
「モナ・リザ」
ヴェネツィア滞在を経て、ダ・ヴィンチは再びフィレンツェに向かった。この頃は人体解剖や土木工学などの分野にも才能を発揮している。そして「モナ・リザ」を描き始めたのは、1504年、52歳の時だった。

ポプラ板に描かれた油彩の肖像画は「リザ夫人」と名づけられてはいるが、モデルの女性が誰であるか真相は不明のままだ。ダ・ヴィンチの自画像ではという説まで出現し、その謎めいた微笑とともに、さまざまな物語を纏っている。
ルーヴル美術館の「モナ・リザ」

何度かルーヴル美術館を訪れているが、館内で最も人が多いのが「モナ・リザ」の絵の前。それだけ世界的によく知られている名画だ。展示室の奥の壁面に防弾ガラスで囲まれたその絵を最初に見た時、意外なほど小さいのに驚かされた。イメージが脳裏に焼き付いていて、人物像が実物大であるかのように錯覚していたのだろう。実際は77×53cmの油彩画である。オリジナルの絵を見つめていると、その微笑が一層謎めいて見えてくる。

バラ園で‘スーリール・ド・モナ・リザ(モナ・リザの微笑)’という鮮やかな赤いバラに出会った時、絵のイメージがバラに重なって見えた。
フランス、ロワール地方の城

ダ・ヴィンチは最晩年をフランスで過ごしている。1516年、64歳の時にフランスの国王フランソワ1世に招かれ、王の居城アンボワーズ城の近くのクルー城(のちのクロ・リュセ城)を住まいとして与えられたのだ。ダ・ヴィンチはその地で67年の生涯を終えるまで、さまざまな実験や発明を試みている。
館にはイタリアから3枚の絵を携えてきていた。「聖アンナと聖母子」「洗礼者ヨハネ」そして「モナ・リザ」である。「モナ・リザ」については、死の直前まで絵に筆を入れ続けていたという。
クロ・リュセ城は現在一般公開されていて、画家の寝室や居間、アトリエなどが見学可能だ。資料展示室では、あらゆる学問に精通していたダ・ヴィンチの足跡を辿ることができる。
城の公園と庭園
城の周囲に広がる7ヘクタールのレオナルド・ダ・ヴィンチ公園は、彼が発明した機械20点の屋外展示場となっている。


さらに公園に隣接するのが、ダ・ヴィンチの描いた風景をもとにつくられた緑溢れるレオナルドの庭園。池には彼が設計した二重橋が架けられ、その周りには植物学者でもあったダ・ヴィンチがスケッチを残した、ロワール地方の植物が植栽されている。
バラ‘レオナルド・ダ・ヴィンチ’

ダ・ヴィンチに捧げられたバラは、1994年にフランスのメイアン社によって作出された。アティアス・メイアン氏によると、クロ・リュセ城のダ・ヴィンチ研究チームがメイアン社の数ある新作のバラから、この花を選んだのだという。

深みのあるローズピンクのロゼット咲きの花が、房になって開花する姿は見事だ。花径は8~10cmで、やや厚めの花弁が波打ち、クラシカルに重なる。樹形は直立型。欧米では木立バラに分類されているが、樹高1.5mほどのつるバラとしても設えることができる。
このバラの枝変わりではないが、同じメイアン社から2003年に‘レッド・レオナルド・ダ・ヴィンチ’と名づけられた、クリムゾンレッドの花色のバラが作出されている。
Information
ダ・ヴィンチの生家
Casa natale di Leonardo da Vinci
Via di Anchiano 50059 Vinci Fl. Italy
電話:0571-933-248
開館:10:00~19:00 (11月から2月は18:00まで)
休館日:なし
入場料:大人11€、子ども8€
アクセス:フィレンツェから列車でエンポリ駅下車。エンポリ駅からヴィンチ村までバスで20~25分。
クロ・リュセ城
Le chateau du Clos Luce
2rue de clos Luce 37400
Amboise Val de Loire France
電話:+33(0)2 47 57 00 73
Fax:+33(0)2 47 57 62 88
開館:時間は月ごとに変わるのでご確認ください。
休館日:12月25日、1月1日
入場料:
大人17,50€ (4月1日~11月15日), 14,50€ (11月1日~3月31日)
子ども15,50€ (4月1日~11月15日)12,50€ (11月1日~3月31日)
7歳未満 無料
アクセス:パリ、オーステルリッツ駅から直通で2時間。アンボワーズ駅下車。駅から市の中心部までバス。
Credit
写真&文 / 松本路子 - 写真家/エッセイスト -
まつもと・みちこ/世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2024年、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルム『Viva Niki タロット・ガーデンへの道』を監督・制作し、9月下旬より東京「シネスイッチ銀座」他で上映中。『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。
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