バラに冠せられた名前の由来や、人物との出会いの物語を紐解く楽しみは、豊かで濃密な時間をもたらしてくれるものです。自身も自宅のバルコニーでバラを育てる写真家、松本路子さんによる、バラと人をつなぐフォトエッセイ。今回は、バラの画家、ファンタン=ラトゥールが描いたバラと、その名を冠したバラのバルコニーで咲く美しい姿をご紹介します。
目次
「バラの籠」
ずいぶんと昔になるが、イギリス滞在中に、ロンドン・ナショナル・ギャラリーで印象的なバラの絵を見たことがあった。花瓶に活けられていることが多い花の絵の中にあって、そのバラは籠の中とテーブルに置かれ、今摘んできたばかりという瑞々しさに満ちていた。
その時は画家の名前を記憶にとどめることはなかったが、数年前に、その絵「バラの籠」がアンリ・ファンタン=ラトゥールの作だと改めて知った。バラの‘ファンタン・ラトゥール’が我が家のバルコニーで咲くようになって十数年が経つ。バラの名前の由来を辿るようになって、バラの画家といわれるファンタン=ラトゥールの画集を紐解いた時に、「バラの籠」に再会したのだ。
絵の中に白、ピンク、赤のバラが一見無造作に置かれているように見えるが、絶妙なバランスで収まっている。1890年、作者50代の頃の作品だ。
画家ファンタン=ラトゥール
アンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Fantin-Latour,1836-1904)は、19世紀を代表する油彩画とリトグラフの画家として知られる。油彩は静物画が多く、生涯で800点以上の花の絵を描いたとされる。
フランス南東部のグルノーブルに生まれ、5歳の時に両親とともにパリに移り住んでいる。画家である父親の影響で、10代の頃からパリのエコール・デ・ボザールで絵を学んだ。同時にルーブル美術館に通い、16世紀ヴェネツィア派や、17世紀フランドル派の画家の絵の模写に励んだ。20代の頃にロンドンでの展覧会に出品した花の絵が評判を呼び、やがてイギリスで人気の静物画家となった。
バラの絵
「バラの籠」以外に「白いバラの静物」(1870年作)、「ボウルの中のバラ」(1883年作)、「バラのある静物」(1889年作)など、代表的なバラの絵を見ると、写実的だがどこか幻想的な雰囲気も感じられる。何よりも、バラがそこで息づいているかのような、花の生気が描き出されている。
当時の画家は、静物をスケッチした後、それをもとに絵を彩色し、完成させることがほとんどだった。だがファンタン=ラトゥールは、最後の仕上げまで、咲いている花を前にして描き続けたのだという。
集団の肖像画
ファンタン=ラトゥールは静物画と同時に肖像画も描いている。妹をモデルにした「読書する女」(1861年)も忘れがたい絵だ。そして当時珍しかった、複数の人物が集まっている肖像画もいくつか残している。絵の中の人物は友人の画家や作家たちで、「バティニョールのアトリエ」(1870年作)では、エドゥアール・マネを中心に、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールなどが登場している。
ファンタン=ラトゥールは、こうした同時代の印象派の画家たちと交流していた。流行の最先端を行く彼らと親しく付き合いながら、彼独自の写実世界を追及していたのだと思うと感慨深いものがある。
多弁のバラ
彼が主に描いていたのは、現在オールドローズに分類されるケンティフォリア系のバラだ。ケンティフォリアは「100枚の花弁」という意味の言葉で、多くの花びらが重なるように咲く特徴がある。
花弁の重なり具合がキャベツのように見えることから、別名‘キャベッジ・ローズ’。ダマスク香が強く、香料やエッセンシャルオイルの原料として栽培されていて、南仏の栽培地グラースのある地方の名前から‘プロバンス・ローズ’とも呼ばれる。
18世紀から19世紀半ばにかけてオランダで品種改良されたので、オランダの画家の絵に多く登場している。フランスの王妃マリー・アントワネットの有名な肖像画の中で、彼女が手にしているのも、ケンティフォリアのピンクのバラだ。
バラ‘ファンタン・ラトゥール’
我が家のバルコニーのバラ‘ファンタン・ラトゥール’は、大きめのプランターに植えてあるが、幹を伸ばしてもなかなかたくさんの花を付けてくれない。フェンスに沿って直立させているのが原因なのだろうか、気難しいバラで、やや持て余し気味だった。だが、それでも何輪か花開くと、その優美な姿に魅了される。今年はことのほか多く開花してくれた。
‘ファンタン・ラトゥール’は1900年頃フランスで発見され、名前が付けられた。作出者は不明だ。花はソフトピンクでクォーター・ロゼット咲き、花径は8~9cmほど。樹高が3~4mになる一季咲きのつるバラで、トゲが少ないので誘引しやすい。ケンティフォリア独特の多弁で、中央にボタンアイが見られることもある。
ファンタン=ラトゥールが亡くなる4年前に命名されたというが、画家自身は、自分の名前が冠されたバラと出会うことがあったのだろうか。出会ったとしても、私のようにバラの名前から発して、彼の絵に親しむような、後世の人間を想像することはなかったに違いない。
Credit
写真&文 / 松本路子 - 写真家/エッセイスト -
まつもと・みちこ/世界各地のアーティストの肖像を中心とする写真集『Portraits 女性アーティストの肖像』などのほか、『晴れたらバラ日和』『ヨーロッパ バラの名前をめぐる旅』『日本のバラ』『東京 桜100花』などのフォト&エッセイ集を出版。バルコニーでの庭仕事のほか、各地の庭巡りを楽しんでいる。2024年、造形作家ニキ・ド・サンファルのアートフィルム『Viva Niki タロット・ガーデンへの道』を監督・制作し、9月下旬より東京「シネスイッチ銀座」他で上映中。『秘密のバルコニーガーデン 12カ月の愉しみ方・育て方』(KADOKAWA刊)好評発売中。
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