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生誕60周年〜ダイアナ妃に捧げられた2つのバラ

生誕60周年〜ダイアナ妃に捧げられた2つのバラ

「イギリスのバラ」といわれたダイアナ元妃。2021年7月1日に生誕60周年を迎えました。今もなお、世界中から愛され続けるその生涯を振り返りながら、ダイアナ元妃に捧げられた2つのバラを、バラ文化と育成方法研究家で「日本ローズライフコーディネーター協会」の代表を務める元木はるみさんに紹介していただきます。

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世界中から今も愛される亡きダイアナ元妃

ケンジントン宮殿
ダイアナ元妃の生誕60周年記念セレモニーが開催されたケンジントン宮殿。Loredana Sangiuliano/Shutterstock.com

2021年7月1日は、「イギリスのバラ」といわれたダイアナ元妃が、生誕60周年を迎えた日でした。イギリスのケンジントン宮殿の庭園では、ウィリアム王子、ヘンリー王子が、亡き母の功績を称えるために建立を計画したダイアナ元妃の銅像の除幕式など、生誕60周年記念セレモニーが執り行われました。

今回は、悲劇的な死を遂げながらも、今もなお、世界中から愛され続けるダイアナ元妃の生涯を振り返りながら、彼女に捧げられたバラについてもご紹介します。

ダイアナ妃
catwalker/Shutterstock.com

ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ(1961.7.1 – 1997.8.31)は、イギリスの第1位王位継承権者・ウェールズ公チャールズ皇太子の最初の妃。

「ダイアナ」は、ギリシャ神話では、月と狩りの女神の名です。

ダイアナ妃
ダイアナ元妃の生涯は、さまざまな書籍、映画、ドラマなどに描かれ、人々を魅了し続けています。

ダイアナ元妃の生い立ち

父は、オールトラップ子爵(第8代スペンサー伯爵)、母は、フェルモイ男爵を父に持つフランシス。ダイアナ元妃は、英国貴族の名門スペンサー家の三女として、サンドリンガムの「パークハウス」に誕生しました。

長女である姉の名は「セーラ」、二女は「ジェーン」、また、ダイアナ元妃の下には「チャールズ」という名の弟(現・第9代スペンサー伯爵)がいます。スペンサー一族は、王室からの信頼も厚く、代々、王室の侍従や女官の職務を任命される家柄でした。

オルソープハウス
現在、ダイアナ元妃が敷地内に眠るスペンサー伯爵の本邸「オルソープハウス」。Paul Banton/Shutterstock.com

元々、スペンサー家は、15世紀に羊の輸送で財を成した商人が始まりで、1508年には、ジョン・スペンサーが伯爵の爵位を得て、イングランド中東部の都市ノーサンプトン近郊に本邸「オルソープハウス」を建てました。その屋敷内には、ヴァン・ダイクやルーベンス、ゲーンズボロ、ネラー、レノルズなどの絵画が壁に飾られ、荘厳な貴族の邸宅の様相を呈しています。

また、庭園には大きな池があり、現在ダイアナ元妃は、この「オルソープハウス」の敷地内の何処かに眠っているとのことです。

ダイアナ元妃の両親は、1967年から別居を始め、1969年には離婚。子どもたちの親権は、父スペンサー伯爵が持ちました。両親の離婚は、8歳の多感な時期のダイアナ元妃に少なからず影響を与え、「子どもたちに囲まれた、にぎやかで幸せな家庭をつくりたい」という将来への希望を、当時の養育係のメアリー・クラーク氏へ、よく話していたそうです。

生家「パークハウス」では、幼少期を弟のチャールズと過ごし、1970年にはノーフォーク州のリドルズワース・ホール寄宿学校、1973年にはケント州にあるウェスト・ヒース寄宿学校に入学しました。

チャールズ皇太子との出会いと結婚

チャールズ皇太子とダイアナ妃
Andy Lidstone/Shutterstock.com

1977年に、ダイアナ元妃は姉のセーラと交際していたチャールズ皇太子と初めて出会います。1979年に王室のサンドリンガム邸のパーティーで再会したのがきっかけで皇太子と親しい関係になり、1980年に交際が深まりました。

1981年2月に、チャールズ皇太子と婚約し、7月29日には、セント・ポール大聖堂で盛大な結婚式が行われ、その模様は世界中のテレビに配信され、大きな注目の的となりました。

チャールズ皇太子との新しい生活

ケンジントン宮殿
ケンジントン宮殿 Tanya Kramer/Shutterstock.com

1982年5月から、チャールズ皇太子と共にケンジントン宮殿での新しい生活が始まり、ウィリアム王子とヘンリー王子が誕生。順風満帆の幸せな暮らしと思われましたが、結婚前から交際が続いていたチャールズ皇太子とカミラ夫人との関係や、結婚生活や公務についての皇太子との考え方の違いなどが深刻化し、ダイアナ元妃は過食症に苦しむようになってしまいます。

皇太子も1980年代半ば以降には、ダイアナ元妃のいるケンジントン宮殿に戻らず、コッツウォルズ南に位置する小さな街テッドバリー近郊にある「ハイグローヴ邸」で暮らすことが増え、そこでカミラ夫人との時間を多く持つようになりました。

チャールズ皇太子とダイアナ妃
rook76/Shutterstock.com

1992年12月に、皇太子との別居が正式に発表され、1994年には皇太子自ら、自分の人生にとって、カミラ夫人が中心的人物であることを公表しました。ダイアナ元妃は、1995年11月にBBCのインタビューに、皇太子との結婚生活を「3人の結婚生活だった」と総括し、自身も元騎兵連隊将校ジェームズ・ヒューイット氏と5年に渡って不倫していたことを認め、「自分はイギリス王妃ではなく、人々の心の王妃になりたい」という希望を表明しました。

離婚後のダイアナ元妃の活動

ダイアナ妃
spatuletail/Shutterstock.com

1996年8月に離婚が成立し、2人の王子の親権を皇太子と平等に持つことが認められ、莫大な慰謝料とセント・ジェームズ宮殿の執務室の維持費、ケンジントン宮殿での居住権を獲得しました。但し、HRH(ハー・ロイヤル・ハイネス=妃殿下)の称号は剥奪され、「プリンセス・オブ・ウェールズ」と呼ばれることになりました。

元妃は自らの「人々の心の王妃になりたい」という希望を有言実行するかのように、さまざまな慈善活動への取り組みを本格化させ、国民や世界中から注目と関心、そして人気を集めました。またこの頃からパキスタン人の心臓外科医ハスナット・カーン氏との交際、1997年7月からは、当時高級百貨店ハロッズや、パリのホテルリッツなどの所有者であったエジプト人実業家モハメド・アルファイド氏を父に持つエジプト人映画プロデューサーのドディ・アルファイド氏との交際が始まり、離婚後も更にダイアナ元妃はパパラッチから追われる身となりました。

悲劇的な最後

ダイアナ妃の葬儀
王旗がかけられた棺には、白いユリの花が添えられた。John Gomez/Shutterstock.com

1997年8月31日の深夜、ドディ・アルファイド氏と共に乗車していた車が、フランス・パリのアルマ橋下のトンネル内の柱に激突し、ダイアナ元妃、ドディ・アルファイド氏、運転手のアンリ・ポール氏が死去したというニュースは、英国民のみならず世界中に衝撃と深い悲しみを与えました。あまりにもショッキングな出来事で、その死の真相は事故か陰謀か、さまざまな憶測が飛び交うこととなりました。

この時ダイアナ元妃は、36歳という若さでした。

死後、イギリス王室がダイアナ元妃の遺体を引き取り、準国葬の「王室国民葬」として葬儀が行われました。英国民の強いダイアナ妃哀悼の機運から、女王エリザベス2世が特別声明を出し、葬儀中にはバッキンガム宮殿に半旗が掲げられるという異例の処遇が取られました。

ダイアナ妃の葬儀
2人の若い王子の悲しみをこらえた姿が、多くの人々の記憶に刻まれました。誌面には「Goodbye,England’s Rose」の文字が。Lenscap Photography/Shutterstock.com

ダイアナ元妃の功績

ダイアナ妃
neftali/Shutterstock.com

ダイアナ元妃は生前、エイズ問題、ハンセン病問題、地雷除去問題など、慈善活動への人道主義的な取り組みが高く評価されていましたが、世界中の人々から永続的な人気を博すこととなりました。

また優雅で気品ある美しい容姿やファッションは、人々の羨望の的でした。

日本への訪問は三度あり、1986(昭和61)年の最初の訪日では、「ダイアナフィーバー」と呼ばれる社会現象を巻き起こしました。

ダイアナ元妃の系図から紐解く

ダイアナ元妃の系図の中には、イギリス第61代、及び63代首相ウィンストン・チャーチル(サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル1874年11月30日 – 1965年1月24日)の名があります。さらにさかのぼると、アン女王(1665年2月6日-1711年8月1日)から与えられたブレナムパレスの城主、初代マールバラ公爵ジョン・チャーチル、その妻でアン女王のお気に入りの女官であったサラ・ジェニングス、ステュアート朝チャールズ2世、ジェームズ2世などの名もあり、イギリスの歴史を物語るかのような人物が多いことに驚きます。

ブレナムパレス
現、第12代マールバラ公爵チャールズ・ジェイムズ・スペンサー=チャーチル氏の居城である「ブレナムパレス」。
チャールズ2世
チャールズ2世。Sergey Goryachev/Shutterstock.com

チャールズ2世(1630年5月29日-1685年2月6日、在位:1660年5月29日 – 1685年2月6日)は、ピューリタン革命で処刑に追い込まれた父チャールズ1世の次男として誕生。

紅茶を飲む習慣をイギリスに持ち込んだポルトガルの王女キャサリン・オブ・ブラガンザを妻に迎えましたが、キャサリン妃との間には子は授かりませんでした。チャールズ2世は、13人いたといわれる愛人との間に、14人の子を設けましたが、それぞれの子には王位継承権が与えられず、その後王位は、弟のジェームズ2世に継承されました。

ジェームズ2世
ジェームズ2世。Sergey Goryachev/shutterstock.com

ジェームズ2世(1633年10月14日¬-1701年9月16日、在位:1685年2月6日 – 1688年)は、兄チャールズ2世の死去により王位に就き、姉の侍女アン・ハイドと結婚。

8人の子が誕生しましたが、成人したのはたった2人の姉妹だけでした。その姉妹の内の姉のメアリーは、従兄弟のウィリアムと結婚し、メアリー2世、ウィリアム3世として共同統治を行いました。

2人には子がいなかったため、メアリー2世に続きウィリアム3世がこの世を去ると、メアリーの妹アンが女王に即位しました。アン女王は、1707年、スコットランドをイングランドに併合し、グレートブリテン王国が誕生すると、最初の君主となりました。しかし、17回の妊娠の内、6回の流産や6回の死産、また産まれた子が1人も無事に成長せず、その悲しみを紛らわすために酒に頼り、「ブランディー・アン」というニックネームが付けられました。アン女王は、ステュアート朝最後の君主となりました。

このように、ステュアート朝直系の王位継承者は途絶えてしまったかに思えましたが、チャールズ2世とその愛人3人(ルーシー・ウォルター、ルイーズ・ケロワール、バーバラ・ヴィリアーズ)とのそれぞれの子、ジェームズ2世とその愛人(アラベラ)の子が、ダイアナ元妃の祖先の中に名を連ね、時を超えた現代に、ダイアナ元妃が生んだウィリアム王子が将来王位に就くであろうことを考えると、まるで、ダイアナ元妃は、過去と未来の王位継承の架け橋の役目を果たしたようにも思えてきます。

ダイアナ元妃に捧げられたバラ

プリンセス・オブ・ウェールズ

プリンセス・オブ・ウェールズ
‘プリンセス・オブ・ウェールズ’(FL)/英ハークネス1997年作出
白バラ
交配親/’Sexy Rexy’ × (‘Pearl Drift’ × ‘Autumn Fire’)

1879年から続く英国ヨークシャーで設立された名門の育種会社ハークネス社が、ダイアナ元妃存命中に捧げたバラです。うっすらとパウダーピンクがのるつぼみは、その少しはにかんだ表情の頬の色と重なり、開花と共に花弁には、まばゆいほどの純白が現れ、清楚で洗練されたエレガントな美しさに満ちたダイアナ元妃と重なるかのようです。コンパクトな樹形に、花を際立たせる艶のある葉を持ちますが、日本の気候では、少々黒点病が出ることもあるようです。ハークネス社は、現在、育種・試作圃場等で、殺菌剤を使わずに新品種の選抜を行い、より健康なバラ、なおかつエレガントな香りのあるバラの育種に力を入れています。

ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ

‘ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ’(現:エレガントレディ)
‘ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ’(現:エレガント・レディ)(HT)/米Keith W. Zary1998年作出
ピンクのバラ
交配親/’Anne Morrow Lindbergh’ × ‘Sheer Elegance’

‘エレガント・レディ’ (旧品種名‘ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ’)は、ダイアナ元妃が亡くなった翌年に作出され、この苗木の売上金の一部を「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ記念基金」に寄付することを約束して‘ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ’という名が付けられました。現在は「ダイアナ記念基金」との契約が切れたため、‘エレガント・レディ’と改名されました。

高芯剣弁咲きの淡いクリーム色の花弁の先にピンクの覆輪をのせて、時間の経過と共に徐々にグラデーションがかかります。

また、今年2021年は、ちょうどウィリアム王子とキャサリン妃のご成婚10周年になります。

ウィリアム王子&キャサリン妃
ご成婚時のウィリアム王子&キャサリン妃。rook76/Shutterstock.com
‘ウィリアム&キャサリン’
‘ウィリアム&キャサリン’(S)/英デビッド・オースチン2011年作出

2011年に、ウィリアム王子とキャサリン妃のご成婚を祝して命名されたバラです。

「イギリスのバラ」といわれたダイアナ元妃は、自身が少女時代から望んでいた「愛し愛される」結婚には恵まれませんでした。しかし、母を愛し続ける2人の王子に恵まれ、世界中の人々から永遠に愛される「人々の心の王妃」であり続けていくことでしょう。

ダイアナ妃
ミラー紙に掲載されたダイアナ元妃の記事。Lenscap Photography/Shutterstock.com
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