トップへ戻る

ペドロ・ドット~カタルーニャの熱い風【花の女王バラを紐解く】

ペドロ・ドット~カタルーニャの熱い風【花の女王バラを紐解く】

今回ご紹介する育種家は、スペイン・バルセロナ生まれのペドロ・ドット。‘スパニッシュ・ビューティ’など、明るく華やかな色彩のハイブリッド・ティー(HT)をはじめ、モス・ローズやミニバラなど、数々の美しいバラを世に送り出しました。その農場は、現在でもロサ・ドット(Rosas Dot)として運営が続けられています。今回は、ペドロ・ドットが生み出した多様なバラの品種にスポットを当て、ローズ・アドバイザーの田中敏夫さんに解説していただきます。

Print Friendly, PDF & Email

スペイン生まれの育種家 ペドロ・ドット

ペドロ・ドット(Pedro Dot:1885-1976)はスペインの東海岸、地中海に面したバルセロナ郊外で生まれました。父シモン・ドット(Simón Dot)は、バルセロナ近郊モニストロル(Monistrol)にある庭園で庭園丁をしていた人物で、自身で小さな農場も立ち上げました。庭園のオーナーであるコンデッサ伯爵夫人のサポートもあったようです。

家業を手伝っていたペドロは創業当初からバラの管理を担当しており、父シモンが老齢のため引退した後は、農場全般を見るようになりました。

ペドロ・ドット
自宅テラスで文献 『Modern Roses 11』に目を通すペドロ・ドット。 Photo/Família Dot [Public Domain via Wikipedia Commons]
ペドロのバラへの傾倒は10代の頃からのもので、園芸修行に出たベルギーやフランスのナーセリーなどで最新の育種手法を学びました。バラについては原種、園芸種を問わずに収集し、膨大なコレクションを作り上げましたが、育種を始めたのは1920年代、彼の30代から40代にかけてのことでした。そして1924年、パリ、バガテルの展示会で賞を得たことから、その後の輝かしいキャリアが始まったといってよいと思います。

この展示会で賞を得たのが、HTの‘マルガリータ・リエラ(Margarita Riera)’。サーモン・ピンクの中輪花を咲かせるHTだと記録されていますが、残念ながら、現在この品種の実株を見ることはできないようです。

‘マルガリータ・リエラ(Margarita Riera)’は、リヨンの魔術師と呼ばれたペルネ=ドゥシェが育種したHT‘マダム・ラヴァリ(Mme. Ravary)’と、‘マダム・Ed・エリオ(Mme. Ed. Herriot)’の交配によると記録されています。交配親はいずれもオレンジ色を含んだような明るいピンクの品種です。

傑作‘スパニッシュ・ビューティ’

ペドロが目指したのは、大輪花、オレンジなど華やかな花色、丈夫なHTの育種でした。

育種の過程では、特にペーター・ランベルトが育種した白花HPの傑作‘フラウ・カール・ドルシュキ(ランベルティーナ)’と、ペルネ=ドウシェのイエロー/オレンジ品種(‘ペルネシアーナ’)との交配という黄金の組み合わせに熱心に取り組んでいました。

この‘ランベルティーナ’と‘ペルネシアーナ’の交配による成果は、1927年、‘マダム・グレゴワール・スタックラン(Mme. Gregoire Staechelin)’という傑作として日の目を見ることになりました。

マダム・グレゴワール・スタックラン(Mme. Gregoire Staechelin)

スパニッシュビューティー
‘マダム・グレゴワール・スタックラン’ Photo/田中敏夫

大きな、厚みたっぷりの波打つ花弁、淡いピンクの花弁の裏に赤いスポットが点々と入る非常にデリケートな花色、幅広で大きめ、グレイッシュなつや消し葉、硬く、強い枝ぶり、ときに6mを超える高さへ達する大型のクライマーです。

種親は白花、ランベルト作出のHP‘フラウ・カール・ドルシュキ’、花粉は黒花でペルネ=ドウシェ作出のHT‘シャトー・ド・クロ・ヴジェ(Château de Clos Vougeot)’です。花色も花形も両親の性質をよく混ぜ合わせて、半分ずつ受け継いだというような印象を受けます。

春一季咲きですが、株を覆い尽くすかのように咲き乱れ、芳香を放ちます。この品種の開花の最盛時に出合ったとき、バラを愛でる喜びを満喫できることでしょう。今日においても、この品種の魅力を凌駕するクライマーは現れていないと断言してもよいかもしれません。

このバラは、スイス・バーゼルの事業家であったグレゴール・スタックランの夫人に捧げられました。オリジナルの品種名は発音しにくく、また、馴染みにくかったためでしょう。英語圏、また日本でも、“スパニッシュ・ビューティ(Spanish Beauty)”という名で親しまれています。

黄色のモスローズと華やかなHT

ペドロは、モスローズの育種にも手をつけていました。

モスローズは17世紀以前からあったことが確実視されていますが、長い期間人気を博し、19世紀、ダマスク系と称される返り咲き性のある品種群が登場すると、多くの育種家が競って育種・公表しました。しかし、19世紀後半からHTが主流となるにつれ、育種熱は衰退してゆきました。

こうした潮流にあらがうかのように、ペドロは1932年、イエローのモス、‘ゴールデン・モス(Golden Moss)’を育種・公表しました。

ゴールデン・モス(Golden Moss)

‘ゴールデン・モス’
‘ゴールデン・モス’ Photo/ARolf Sievers [CC BY-NC-SA 3.0 via Rose Bilbio]
種親は、例によって‘フラウ・カール・ドルシュキ’。

花粉は交配用の無名種ですが、ペルネ=ドウシェ作出のイエローのHT‘スヴェニール・ド・クラウディウス・ペルネ(Souv. De Claudius Pernet)’と、白花のモスローズ‘ブランシェ・モロー(Blanche Moreau)’とをかけ合わせたものでした。

白花モスの‘ブランシェ・モロー’から花形、葉、樹形を、黄色のHT‘スヴェニール・ド・クラディウス・ペルネ’から花色を受け継いだという印象を受けます。この品種がイエローに花咲く最初のモスローズです。

じつは、 “ミニバラの父”ことラルフ・ムーア(Ralph S. Moore)も、後年イエローのモスローズを育種しています。彼はこのモスローズを‘ゴールドモス(Goldmoss)’と命名しました。よく似た品種名で紛らわしいですが、「ゴールデン」はペドロが作出、「ゴールド」はムーアの手によるものです。花は「ゴールド」のほうがより鮮やかなイエローとなります。

ゴールドモス
‘ゴールドモス(Goldmoss)’ Photo/田中敏夫

ペドロは、鮮やかな赤または深いピンクの花色を持つ、中国に自生する原種ロサ・モエシー(R. moyesii)を交配親とする育種の試みも続けていました。この成果は、1927年、‘ネバダ(Nevada)’として世に知られることになります。

ネバダ(Nevada)

ネバダ
‘ネバダ’ Photo/田中敏夫

シングル咲き、わずかに淡いピンクが出ることもあるクリーミー・ホワイトの花。

硬く茶褐色の株肌となる、特徴ある枝ぶり、よく横張りする、大型のシュラブとなります。この品種も‘マダム・グレゴワール・スタックラン’と同様、春一季のみの開花ですが、株全体を覆い尽くさんばかりに咲き競う豪華さで知られています。

ロサ・モエシー
ロサ・モエシー(R. moyesii)/Photo S. Rae [ CC BY SA2.0 via Wikipedia Commons]
ペドロ・ドット自身は、ミディアム・ピンクのHT‘ラ・ギラルダ(La Giralda)’と、ロサ・モエシーとの交配により育種したと解説しています。

しかし、近年のゲノムの精査では染色体の倍数が論理的に整合しないことから、ペドロの解説は正しくないとされています。

いずれにせよ、非常に個性的な品種です。交配親が不明になったことで、かえってミステリアスな雰囲気に包まれることになったのかもしれません。

ペドロは、まだ無名であったこの品種の命名を米国の親しい販売業者に依頼しました。業者は、米国とスペイン両国にある山脈シェラ・ネバダから思いつき、命名したとのことです。

1930年、ペドロは、‘コンデッサ・ド・サスタゴ(Condesa de Sástago:“サスタゴ伯爵夫人”)’を育種・公表しました。

コンデッサ・ド・サスタゴ(Condesa de Sástago)

‘コンデッサ・ド・サスタゴ
‘コンデッサ・ド・サスタゴ’ Photo/田中敏夫

花弁表がオレンジ、裏側はクローム・イエローとなる大輪花のHT。交配親は下記のように記録されています。

種親:無名種(‘Souv. de Claudius Pernet’と‘Maréchal Foch’の交配による)

花粉:‘マーガレット・マグレディ(Margaret McGredy)’

交配親はいずれもイエロー、オレンジ・レッドなど華やかな色合いの品種です。花弁の表と裏に色違いが出る品種は“2色咲き”あるいは“リバース”と呼ばれたりしていますが、この‘コンデッサ・ド・サスタゴ’は、最も早く出現した2色咲きのHTとして記録されることとなりました。しかし、それよりも、ミディアム・ピンクにオレンジを散らしたような美しい花色こそが賞賛されてしかるべきだと感じています。

サスタゴ伯爵夫人は、モニストロル一帯の領主というべき人でした。父シモンおよびペドロの有力な後援者であったことは最初に少し触れました。

ペドロ・ドットが作出したミニバラの数々

ペドロの育種方針は少しずつ変わってゆき、ミニバラやポリアンサの育種に取り組むようになりました。彼の手法は、ポリアンサを交配親とするのではなく、花色はHTから、花形はチャイナから引き継ぐという手法でした。

今日流通しているミニバラの多くは、デンマークのポールセン、米国のラルフ・ムーアの努力に負っていること大ですが、ベランダや窓辺を飾るミニバラの育種の先駆者の一人として、ペドロ・ドットも記憶されてしかるべきでしょう。

ペドロが公表した最初のミニバラは、1940年公表のイエローの‘ベイビー・ゴールドスター(Baby Gold Star)’でした。

クローム・イエローのミニバラです。アメリカでの販売代理店は大手のコナード・パイル社でしたが、同社は屋号を“スター・ローゼズ”としていたので、これにちなんだ命名だと思います。

この品種はペドロが育種した黄色のHT‘エドアルド・トーダ(Eduardo Toda)’を種親とし、チャイナ・ローズの‘ルーレッティ(Rouletii)’(ロサ・キネンシス‘ミニマ’)を花粉親としたものでした。ペドロは‘ルーレッティ’を花粉親としたミニバラを公表し続けていきます。

‘ルーレッティ’
‘ルーレッティ’ Photo/Raymond Loubert [CC BY-SA 3.0 via Rose Bilbio]
1951年に‘ロジーナ(Rosina)’を公表しました。イエローのミニバラです。交配親は‘ベイビー・ゴールドスター’と同じです。

ロジーナ(Rosina)

‘ロジーナ’
‘ロジーナ’ Photo/Jaume Garcia Urpi [Public Domain via Wikipedia Commons]
1944年、‘ペルラ・デ・アルカナダ(Perla de Alcanada)’を公表。

ペルラ・デ・アルカナダ(Perla de Alcanada)

‘ペルラ・デ・アルカナダ’
‘ペルラ・デ・アルカナダ’ Photo/Jamain [CC BY-SA3.0 via Wikipedia Commons]
クリムゾンのポリアンサ、‘ペルル・デ・ルージュ(Perle des Rouges)’を種親、花粉は‘ルーレッティ’です。

地中海のリゾート、マジョルカ島にあるビーチ、アルカナダにちなんだものと思われます。

アルカナダ・リゾート
マジョルカ島、アルカナダ・リゾート。Magdanatka/Shutterstock.com

ペルラ・デ・モンセラート(Perla de Montserrat)

‘ペルラ・デ・モンセラート’
‘ペルラ・デ・モンセラート’ Photo/ Jaume Garcia [Public Domain via Wikipedia Commons]
種親はピンク・ポリアンサの名花‘セシル・ブルナー(Cécile Brunner)’、花粉は‘ルーレッティ’です。

バロセロナから北方の山岳地帯、美しい山並みを背景にして立つ修道院で名高いモンセラートにちなんで命名されたのか、あるいはカリブ海に浮かぶ英国領モンセラート島にちなむのか決めかねます。カタロニア地方への愛着が強いペドロのことを考えれば“山”、名前に含まれるペルラ(“真珠”)から推せば“島”となるからです。

モンセラート修道院
モンセラート修道院。S-F/Shutterstock.com

また、1957年、現在でも世界最小といわれている白花のミニバラ、‘シー(Si:“Yes”)’を公表しました。

シー(Si)

‘シー’
‘シー’ Photo/Javier martin [CC BY SA3.0 via Wikipedia Commons]
この白花は指先よりも小さく、径1㎝未満のことが多いです。

種親は‘ペルラ・デ・モンセラート’、花粉は無名・交配用の実生種ですが、‘アニー(Anny)’という極小輪のミニバラと、‘トム・サム(Tom Thumb:“親指トム”)’というやはり極小輪のミニバラとの交配種とのことです。

スペインは不思議な国です。

中世の時代から、地中海交易で繁栄したキリスト教国やイスラム教国が各地にでき、独自の言語、文化を築き、それぞれの歴史を積み重ねてきました。その中でも、バルセロナがあるカタルーニャ州は、バスク地方とともに独立意識が強いことはよく知られています。

2010年、カタルーニャ州自治憲章が成立。ふたたび独立機運が高まったものの、スペイン中央政府がそれを取り消すという事態になったことは、記憶に新しいと思います。

ペドロが生きた時代、バルセロナを中心とするカタルーニャ州は、自治権を獲得したこともありましたが、スペイン内戦の結果であるフランコ政権による独裁下では弾圧を受け、カタルーニャ語の使用まで禁止されるなど、激動の時代でした。ペドロの2人の息子であるマリノ(Marino)とシモン(Simon)は左派共和制軍に加わり、前線でも戦ったようです。

戦後、2人は家業を継いでバラの育種も行うようになりました。農場は現在でも、ロサ・ドット(Rosas Dot)として運営が続けられています。

今日、ペドロが育種したとされる品種は160を超えています。この中には90歳近い晩年の作とされるものも含まれていますが、残された品種を父の盛名に託して公表したものが多かったのではと想像されます。ペドロの実際の活動は1960年くらいまでだったのではないかと思います。

Credit

田中敏夫

文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたいという思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。

Print Friendly, PDF & Email

人気の記事

連載・特集

GardenStoryを
フォローする

ビギナーさん向け!基本のHOW TO