埼玉県川越市は、今や国内外から年間780万人が訪れる一大観光地──。蔵造りの町並みが続き、江戸時代さながらの情緒が漂う市中心部の一番街は、連日たくさんの人でにぎわっています。一方、市の南部には総面積約200万㎡の広大な森があります。林床に四季折々の植物が生い茂り、樹上では野鳥たちが鳴き交わす大きな森。かつての武蔵野の面影を残すこの森をこよなく愛し、散歩を日課とする二方満里子さん。春の森に咲く花をご紹介します。

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ヤマザクラ(山桜)

山桜
traction/Shutterstock.com

山桜が綻び始めると、武蔵野の春が始まる。

暖かくなった日差しを背中に感じながら森に近づくと、赤みを帯びた若芽と淡いピンクの花がほんの少し咲いている樹があるのに気づく。あの方角は山桜。森に春の女神が降臨されたようだ。

山桜は、日本固有の野生種。花が満開を迎えた頃に葉が出るソメイヨシノと違い、若葉と花の開花が同時というのが大きな特徴。また、同一地域内でも個体変異が多く、開花時期や花色の濃淡、新芽の色などが異なることがあるそうだ。この森でも、白に近いごく淡いピンク、濃いピンクの縁取りなど、花の色はとりどりだ。

いずれの樹も20mを超える高木で、花は樹冠近くに咲くため、首をぐっと上げての花見となる。首を上げ続けての花見は、なかなか辛い! そんなわけで、この森にある全部の桜をまだ見たことがない。

暖かい春風にひとひらまたひとひらと、優雅に舞い散る淡いピンクの花びらを見て、

「あっ、ここにも桜の樹があった!」と驚いて見上げるのだ。

そしてある日、散歩道がピンクの花びらに敷き詰められているのを見る時、春の女神が立ち去られたのを知る。あたりの木々は、すっかり若緑に染まっている。

山桜の絨毯

ウグイスカグラ(鶯神楽)

ウグイスカグラ

芽吹いたばかりの森は明るい光に満ちていて、下草や低木の存在がよく分かる。だから、1cmほどの小さなラッパ形をした濃いピンク色の花をうつむいて咲かせるウグイスカグラを見つけることができる。注意して見ると、ここにもあそこにもと、咲いているのに気づく。

樹高70cmから2mくらい。花と同時に葉を開き、6月頃に赤い実をつける。

ウグイスカグラは、スイカズラ科の日本固有種。本州、四国、九州の山野に自生する。最近、目立たないが楚々とした風情が評価されてか、庭木としても流通しているようだ。

「ウグイスカグラ(鶯神楽)」とは、なんとも雅やかな名前である。どんな由来があるのだろうか? 調べると、諸説ある。

一つは、ウグイスがさえずり始める頃に花が咲き、葉がしげる頃ウグイスが隠れるから「ウグイスガクレ」と名付けられ、それが「ウグイスカグラ」に転じたという説。また、ウグイスが実をついばむ様子が神楽を舞うようだから、という説もある。

「梅にウグイス」や「ウグイス餅」という言葉があるのだから、かつてウグイスは身近に見られた野鳥だったのだろうが、私は実物を見たことがない。早春、我が家の椿を訪れるのは、メジロである。必ずつがいで来て、椿の蜜を吸っている。

メジロはウグイスによく似た黄緑色の衣をまとってはいるが、いかんせん、声が悪い。姿は愛でるが、声は聞かないことにしている。

ウグイスカグラは5、6月にはウグイスが隠れることができるほど枝葉が密生するということだから、その頃熟す赤い実を見逃さないようにしよう。透き通った実は、美しく甘いという。

スミレはどこにでも咲く

『山路来て なにやらゆかし すみれ草』 松尾芭蕉

この有名な俳句のおかげで、スミレは野や山に咲いている植物だと、長いこと思い込んでいた。じつは、スミレは街角の敷石の隙間から紫色の小さな花を覗かせていることもある、たくましい花だ。

葉に細かい切れ込みがある珍しいエイザンスミレを、山歩きの際に見つけた時は大変嬉しかったものだが、近所の駐車場の敷石の隙間に同じようなスミレを見つけた時はびっくりした。その後も、毎年そこで咲き続けている。

先日、「今年も咲いてくれて、ありがとう!」と、カメラを向けて道端にしゃがみ込んでいたら、背後からクラクションを鳴らされ「そこ退いて!」と軽トラックの運転手に怒鳴られた。

ヒゴスミレ

日本はスミレの宝庫。世界に450以上ある品種のうち、日本に自生するものは約80種、変種も加えると200を超えるという。

この森で一番多く見られるのは、タチツボスミレ。日当たりのいい場所を選んで、落ち葉の中から咲き出してくる。薄紫の花にハート形の葉。愛らしい花に魅せられて、一株もらって庭に植えた。庭が気に入ったか、毎年増えてタチツボスミレの群落ができた。

と、ある年すっかり姿を消した!

スミレが消えた?

そんなことがあるのか、虫にやられたのか、病気が発生したのか、不思議に思っていたら、隣家の庭にタチツボスミレを発見した。

そうか、スミレは我が家の庭に飽きて、引っ越しをしたんだ。スミレには「足がある」ことを実感させられた経験だった。

「足」は、実際には「タネ」。タネは3mもの距離を弾け飛ぶそうだ。こうやってスミレは世界中を旅していく。

スミレ

昨年見つけたスミレは、タチツボスミレとちょっと趣が違う。葉はハート形。花弁は白で、5枚の花弁の中心がうっすらと黄色を帯びる。中心から濃い紫色のハケ目模様が伸びている。下部の3弁の模様は色が濃いが、上部の2弁は薄い色だ。名前がまだ分からない。

さて、今年はどんなスミレに出合えるだろうか。

スミレ
名前不詳のスミレ。あなたはだーれ?

ショカツサイ(諸葛菜)

ムラサキハナナ

森の奥まで散歩の足をのばした時、ショカツサイが見事な紫色の絨毯を広げている場所を発見した。川沿いや線路づたいの土手に、点々と咲いていたり、小さな群れを作っているのはよく見るが、こんなに広がっているのは珍しい。紫色の花の中に白い花も見える。

ここは、森の木々に囲まれた草はら。明るい半日陰で、ショカツサイが好む環境である。

ショカツサイの別名は、「オオアラセイトウ」。もう一つの別名が「ムラサキハナナ」。ムラサキハナナは「紫色の菜の花」という意味である。菜の花に形状がそっくりなのは、共にアブラナ科に属するからであろう。菜の花と同様、春の野菜として食用にされ、種から油を採取する。

「ムラサキハナナ」の名称には、子供時代のなつかしい、だが、はなはだあやふやな記憶がある。

昭和30年代だったと思われるが、風船に花のタネを入れた封筒を付けて飛ばし、日本を花いっぱいの国にしようという運動があった。その花のタネが「ムラサキハナナ」だ。

そんな記憶なのである。

だから、ムラサキハナナの花を見ると、風船を思い浮かべてしまう。しかし、実際に空に浮かんでいる風船を見たのか、また落ちて来た風船に付けられた封筒を見たのか、あるいは家の誰かに「花いっぱい運動」の話を聞いたのか、はたまた全部私の空想なのか、分からない。父母は既に亡くなり、幼い日の友達は遠くに住み、私の記憶を確かめる術がないのである。

ムラサキハナナは風船に乗って日本に広がっていったのだろうか?

この疑問を解決すべく、ネットを駆使して調べてみた。

分かったことが二つある。まず一つは、原産地は中国で、日本には江戸時代に観賞用および油を採取するため導入され、栽培されていたものが野生化したこと。

もう一つは、戦中戦後にかけて星薬学専門学校(星薬科大学の前身)の初代校長山口誠太郎氏が紫金草(シキンソウ)という名称で種子を広める活動をしたこと。

同大学薬草園の資料によれば、

山口氏は昭和14年当時、中国南京の紫金山近くで陸軍衛生材料廠長の軍務についていたが、現地で美しく咲くこの花に心打たれた。

帰国後持ち帰ったタネを、生家の茨城県石岡市や世田谷の衛生材料廠など都内各地に巻き広め、戦争で荒んでいた人々の心に一服の潤いを与えた。これを知ってタネの分与希望者が多くあらわれ、封筒に入れて送付された数は2万通にも達したという。山口氏は、日中戦争や南京事件を強く憂い、犠牲者の鎮魂の意を込めて、この花を紫金草と呼んでいた。

(星薬科大学薬用植物園HPより)

そうか、ムラサキハナナ、またの名、紫金草のタネは風船ではなく、封筒に入れられて日本に広がったのか?!

長年の疑問が解け、なるほどと深くうなずいた。私の記憶はだいたい正しかった。「花いっぱい運動」はあった。風船に乗って、ではなかったけれど。

ツクシ料理

ツクシ

春の散歩のお土産は、ツクシ。森の周りの草はらに生えているのを発見して摘み取る。土から頭を出したばかりのツクシは緑色を帯びた胞子を空中に排出する前で、バター醤油炒めにするのが美味しい。10cmほど伸びて胞子を出し終わったツクシは、茹でて水にさらし、卵とじや酢の物にする。

いずれの場合も、茎を取り巻いているハカマと呼ばれる輪状の茶色の葉を丁寧に取り去らなくてはならない。これが結構時間がかかる作業で、ツクシを大量に採取すると大変だ。そして、指先が黒く染まってしまいなかなか取れないので、要注意。

茹でている時、水が緑色になるが大丈夫。

いつもバター醤油炒めばかり作っていたが、今年は卵とじと酢の物を作ってみた。

去りゆく春を惜しむ、ほのかな苦味が味わえる。

つくし料理

Credit

写真&文/二方満里子(ふたかたまりこ)
早稲田大学文学部国文科卒業。CM制作会社勤務、専業主婦を経て、現在は日本語学校教師。主に東南アジアや中国からの語学研修生に日本語を教えている。趣味はガーデニング、植物観察、フィギュアスケート観戦。

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