歴史あるナーセリー、ジェームズ・コッカー&サンズは、スコットランド、アバディーンで現在も園芸店兼ナーセリーとして家族経営を続けています。今回の物語の主人公は、このナーセリーの盛名を支えた女性育種家アン・コッカー(Anne Cocker-Anne Gowans:1920-2014)。彼女へと連なるジェームズ・コッカー&サンズから作出された品種と、アン・コッカーの手になる美しいバラの数々を、ローズ・アドバイザーの田中敏夫さんに解説していただきます。
目次
ジェームズ・コッカー&サンズの創立のエピソード
ナーセリーの初代であるジェームズ・コッカー1世(James Cocker:1807-1880)は、スコットランドのフレーザー城の庭園丁をしていました。フレーザー城は、スコットランド東海岸の港町アバディーンから西の山中へ入ったところにあります。300エーカー(1.2㎢)という広大な敷地に囲まれた美しい城です。
ジェームズ・コッカー1世は、1841年、独立して園芸業を始めました。きっかけとなったのは、雇い主の心ない指示でした。
1840年のある土曜日、ジェームズは雇い主から、日曜日に果樹園で摘果するよう命じられました。ジェームズは、
「日曜日は安息日ですので、下働きの者たちに作業を強制することはできません。すぐに作業を始め、たとえ夜中になっても今日のうちに終わらせるようにします。日曜は教会へ行く者もありますので…」
と日曜日の作業を拒絶しました。しかし、雇用主はジェームズの提言を拒み、作業を強制しました。ジェームズは指示を受け入れることができず、職を辞しました。
翌1841年、ジェームズはアバディーンに出て、ナーセリーを創設しました。これがジェームズ・コッカー&サンズの始まりです。アバディーンはスコットランドの首都エジンバラから200kmほど北方、英国の中でもかなり北部に位置しています。人口は20万ほど。現在は北海油田の資材供給基地として繁栄していますが、ジェームズが創業した時代は、ひなびた北の港町といった風情だったと思われます。
開業当初は樹木や草本植物の生産を行っていて、バラの育種・栽培に特化するのは、ずっと後のことになります。
父1世の後を継いだジェームズ・コッカー2世(1832-1897)は、ウィリアム(William:?-1915)、3代目ジェームズ (?-?)、アレクサンダー(Alexander:1860-1920)という男子3人を得て、3人とも家業を手伝うようになりました。
1882年、ジェームズ・コッカー&サンズを正式名称としました。1890年代にはバラの育種・生産も行うようになりました。
アレクサンダーら初期のジェームズ・コッカー&サンズにより育種された品種には、次のようなものがあります。
1892年
- ミディアム・ピンクのHP(ハイブリッド・パーペチュアル)-‘デュセス・オブ・ファイフ(Duchess of Fife)’
- クリムゾンのHP-‘デューク・オブ・ファイフ(Duke of Fife)’
2つのHPは、スコットランドを領地とする初代ファイフ公爵アレグザンダー・ウィリアム・ジョージ・ダフ(Alexander William George Duff:1849-1912)およびルイーズ夫人(Louise, Princess Royal and Duchess of Fife:1867–1931、イギリス王エドワード7世とアレクサンドラ王妃の第1王女)へ献じられたものです。
1899年
- ピンクのHP-‘ミセス・コッカー(Mrs. Cocker)’
交配親であるHP、‘ミセス・ジョン・レイン’の影響が濃厚で、見分けがつかないほど似ていることもあるようです。
コッカー一家の最初の成功を勝ち得た品種です。3兄弟の母マーガレット(Margaret)へ捧げられました。
しかし、2世の3人の子息、ウィリアム、ジェームズ3世、そして1920年にアレクサンダーが死去すると後継者を得ることができず、1923年に廃業を余儀なくされました。
農園の再出発
廃業から10年以上経過した1936年、アレクサンダーの息子、アレック(”Alec” Cocker-Alexander Morison:1907-1977)は農地を借用し園芸業を再開。当初は菊などを生産していましたが、第二次世界大戦中、看護師をしていたアン・ゴーワンズ・レニー(Anne Gowans Rennie)と知り合い、婚約しました。
アンはそれまで、園芸作業に手を染めたことはありませんでしたが、婚約者アレックを助け、懸命に仕事に励みました。農場の経営が安定するまで結婚を控えるというのが、2人の約束でした。
結婚式を挙げたのは8年後、1952年のことです。そして2人は、バラ育種・栽培に特化することを決めたのでした(“The Makers of Heavenly Roses”, Jack Harkness, 1985)。
彼らの最初のバラ3品種が1968年に公表されました。
- ‘モーニング・ジュエル(Morning Jewel)’
- ‘ホワイト・コケード(White Cockade)’
- ‘ロージイ・マントル(Rosy Mantle)’
3品種とも、淡いピンクの中・大輪花を咲かせるクライマー、‘ニュー・ドーン(New Dawn)’を種親としています。この‘ニュー・ドーン’に当時よく知られていたHTやフロリバンダなどの花粉をかけ合わせて生み出されました。いずれの品種も目を見張るほど美しく、ナーセリーの華々しい再デビューを飾ったといえると思います。
モーニング・ジュエル(Morning Jewel)
9〜11cm径の花。樹高3mに達するクライマーです。一般的にはラージ・フラワード・クライマーにクラス分けされていますが、よく返り咲きすることからクライミング・フロリバンダとされることもあります。
よく香るという解説も見受けられますが、“香ることもある”といったレベルだというのが実感です。
種親は‘ニュー・ドーン’、花粉親は赤花のフロリバンダ、‘レッド・ダンディー(Red Dandy)’です。樹形と花形は‘ニュー・ドーン’から、花色は両親の色を半分ずつもらい、混ぜ合わせたような色です。
すぐれた耐病性が評価され、RHS(王立園芸協会)からAGM(Award of Garden Merit)に認定されています。
ホワイト・コケード(White Cockade)
‘モーニング・ジュエル’よりも一回り大きなオープン・カップ型、ダブル咲きとなります。
樹高は3mほど。香りも強くはなく、返り咲きする性質も強くないためか、現在ではあまり見かけなくなってしまいました。
‘ニュー・ドーン’と、バフ・イエローの花色、しかし、時に濃いピンクの斑模様が出たりするフロリバンダ、‘サーカス(Circus)’との交配により生み出されました。
花色は白ですが、時にピンクに色づくことがあるようです。花粉親の色変化の性質が影響しているのかもしれません。
コケードは軍人が帽子などにつける、国旗をかたどった円形のリボンです。円形章あるいは帽章と呼ばれることもあります。
“ホワイト・コケード”は、スコットランド独立運動であるジャコバイト(Jacobite)を象徴しています。17世紀に発生した独立運動では、反乱軍は白い円形章を身に着けていました。しかし、数度にわたった武装蜂起も1746年に鎮圧され、その後のイングランドによる徹底した弾圧によりジャコバイト(スコットランド独立運動)は消滅しました。
大きく開く厚い花弁は白いリボンで作られた白い円形章に似通っています。この品種に限らず、白バラはスコットランドを象徴する花です。
ロージイ・マントル(Rosy Mantle)
花弁が波打つことが多いミディアム・ピンクの大輪花を咲かせるのが‘ロージイ・マントル’です。樹高は3mほどですが、他の2種と異なり、伸びた枝は下垂することが多く、クライマーというよりも大輪花を咲かせるランブラーだとするほうが適切のように感じます。
香り高い花が数輪重なって咲く姿は本当に美しいです。3品種の中では一番美しいと言ってよいのではないでしょうか。
‘ニュー・ドーン’と、ミディアム・ピンクのHT‘プリマ・バレリーナ(Prima Ballerina)’との交配により生み出されました。
品種名はおそらく、F.J. ハイドン作曲のオラトリオ『天地創造』に由来するのだろうと思います。
第3部、第29曲の出だし、
“ばら色の雲をやぶり、甘い響きは、さわやかな朝の目覚めを告げる…
(Aus Rosenwolken bricht, geweckt durch
süßen Klang, der Morgen jung und schön)“
によるのだろうと思います。オリジナルはドイツ語ですが、この出だしは“In rosy mantle appears”と英訳されています。
1970年に公表されたのが、‘アレックス・レッド(Alec’s Red)’です。
アレックス・レッド(Alec’s Red)
13cm径を超えることもある極大輪の赤花を咲かせるHTです。
濃い照り葉を背景にした咲き姿は“重厚”と表現するのがふさわしい堂々たるものです。
香りも濃厚で、公表当時は画期的な赤花HTとして賞賛を浴びました。
種親はオレンジ・レッドのHT、香り高い‘フラグラント・クラウド(Fragrant Cloud)’、花粉はクリムゾンのHT‘デム・ド・クール(Dame de Coeur)’です。
花色は‘デム・ド・クール’から、香りは‘フラグラント・クラウド’からと、両親の優れた資質の“イイトコ取り”をしたという印象です。
公表された当時は命名されていませんでしたが、美しさが評判となり、“アレックの赤バラ”とのみ呼ばれていました。それがそのまま品種名として定着したようです。
この品種の大成功により、ジェームズ・コッカー&サンズはバラ育種農場として、再び高く評価されるようになりました。
1976年には‘グレンフィディック(Glenfiddich)’と‘プレイボーイ(Play Boy)’が公表されました。
‘グレンフィディック’は鈍色で濃い色合いのイエロー、‘プレイボーイ’もイエローと赤が混ざった、変化のある花色でした。
盛名を得て、これからの発展が期待されていましたが、1977年、アレックは心不全のため急死してしまいました。ひとり残された妻、アン・コッカーは遺児を育てながら農場の経営を支え、数多くの美しいバラを世に送り出してゆくことになります。
女性育種家、アン・コッカーの生んだ美しいバラ
1978年、アンは夫アレック死去の翌年、‘シルバー・ジュビリー(Silver Jubilee)’を公表しました。
シルバー・ジュビリー(Silver Jubilee)
中輪または大輪、高芯咲き、やや濁り気味のオレンジ・ピンクとなるHTです。
ティー・ローズ系のよい香り、この香りが多くの品種に引き継がれてゆくことになります。小さめだけれども、がっちりとまとまる樹形。
‘シルバー・ジュビリー’とは“25周年記念”という意味です。英国エリザベス女王の即位25周年を記念して命名されました。
夫アレックの遺産ともいうべきこの品種は、耐病性、耐寒性に優れ、数々の国際的な賞を獲得しています。英国のバラ研究家ピーター・ビールスは、”過去育種されたバラの中で最高のものの一つ(One of the best roses ever raised)”と絶賛しています。
交配親は次のように伝えられています。とても複雑です。
種親:無名種(オレンジのフロリバンダ‘Highlight’ x オレンジのHT‘Colour Wonder’)x(ダーク・レッドのコルデシ‘Parkdirektor Riggers’ x レッド・ブレンドのHT‘Piccadilly’)
花粉:オレンジ・ピンクのHT‘Mischief’
交配に用いられた品種は、いずれも、オレンジ、赤、イエローを混ぜ合わせたような複雑な花色をしています。生前のアレックとアンの育種の意図は、当時人気のあった明るく華やかな色合いのHTを作出することにあったと想像されます。
驚きをもって迎えられた‘シルバー・ジュビリー’は、英国の有力ナーセリーである、ハークネス、ディクソン、マクグレディなどにより交配親として利用され、大輪でオレンジ、赤、イエロー、あるいはそれらが混ぜ合わされたような色変化が出る数々の名品種を生み出す元となったのでした。
1984年、‘リメンバー・ミー(Remember Me)’を公表。
リメンバー・ミー(Remember Me)
オレンジの花弁、縁は朱色に染まる華やかな花色、HTの豪華さ、ここに極まれりといった感があります。
フルーティな中香。‘シルバー・ジュビリー’の解説でも触れましたが、アンが育種した品種は品のよい香りを放つものが多いです。彼女が育種した品種を丁寧にたどってゆくと、細いながらも途切れずに続く“香りの小路”があるのだと気づかされます。バラの香りの項に“アンの香り”を加えたい気持ちになります。
種親はオレンジ・レッドのHT‘アレクサンダー(Alexander)’、花粉は先にお話しした‘シルバー・ジュビリー’です。
花色は2つの交配親の性質を半分ずつ受け継いだという印象を受けます。
障害者チャリティ組織である英国のNFA(The Not Forgotten Association)にちなんで命名されました。
1990年、‘ミリアム(Myriam)’を公表しました。
ミリアム(Myriam)
中輪または大輪、花弁が密集するロゼット咲き。
花色は淡いピンク、貝殻色(シェル・ピンク)と呼ぶにふさわしい美しい花色です。花弁の縁がわずかに折れ返り、そこだけピンクが色濃く出ます。
強いけれど静謐な印象的な香り、小さな泉から清らかな水が流れ出てくるかのようです。
よく整った照り葉、比較的大きめとなるブッシュ。枝ぶりが柔らかなことからシュラブにカテゴライズされることもあります。
この‘ミリアム’の美しい開花に出会ったとき、人々は間違いなく魅了されることでしょう。個人的には、この品種と後述する‘ホワイト・ゴールド’の2つが、アン・コッカーの最良のものだと思っています。
アメージング・グレース(Amazing Grace)と呼ばれることもあります。
種親は、表赤、裏白のHT、‘タイフー・ティー(Typhoo Tee)’。花粉はイエローのHT、‘アイリッシュ・ゴールド(Irish Gold)’です。
“ミリアム”は女性のファースト・ネームの一つです。米国の作家、トルーマン・カポーティ(Truman Capote:1924-1984)の初期の短編『ミリアム』にちなんで命名されたのかもしれません。小説自体は1943年、彼が19歳の時に執筆され、2年後に雑誌に掲載されました。評判はすぐに高まり、同年のオー・ヘンリー賞を受賞しました。
1998年、‘ホワイト・ゴールド(White Gold)’が公表されました。
ホワイト・ゴールド(White Gold)
中輪または大輪、40弁ほど、花心に小花弁が密集するロゼット咲きとなります。
花色は白またはアイボリー、中心部はライト・イエローに色づきます。
種親はクライマーの‘モーニング・ジュエル’、花粉はHTの‘ミリアム’です。交配親はいずれもピンクとなる花色ですが、この‘ホワイト・ゴールド’は花心にわずかにバフ・カラーが出るフロリバンダ(FL)です。
花は香り高い大輪、数輪ほど群れて咲くことからFLにクラス分けされたのだろうと思いますが、ピンクのクライマーとピンクのHTから白バラが生み出されたのですから、不思議な感じがします。
そして、枝はたおやかに伸び、硬めの枝ぶりできちんとまとまることが多いFLとは違う印象を受けます。
柔らかにアーチングする枝に濃色の照り葉が茂り、それを背景に、花弁が少し乱れがちな大輪の白花が咲き誇ります。そして、なんとも表現しがたい、強いけれど、決してうるさく感じない香り。
私が見知っている中では、もっとも美しい白バラだと思っています。
後述の‘サー・エドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Hillary)’と花形が似通っています。この‘ホワイト・ゴールド’は小さめの樹形のFL、‘サー・エドモンド・ヒラリー’はクライマーと樹形に違いがありますが、同じような交配手法によって育種されたのかもしれません。
2008年、‘サー・エドモンド・ヒラリー’が公表されました。実際に育種されたのはかなり前ではなかったかと想像されます。
サー・エドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Hillary)
大輪、40弁前後のカップ型、ロゼット咲きとなる、アンティーク・タイプの花形。
花色は白またはクリーム、花心はライト・イエロー気味となることが多いようです。
深い色合いの照り葉、旺盛に枝を伸ばし、樹高4mほどに達するクライマーです。
2008年以前にアン・コッカーにより育種されましたが、英国では市場へは出ず、ライセンスを受けたニュージーランドで販売され、世に出回るようになりました。
サー・エドモンド・ヒラリーは、1953年5月29日、テンジン・ムルゲイとともに世界で初めてエベレストへの登頂を果たしたニュージーランドの登山家です。2008年に死去していますので、彼の功績を記念して命名されたものと思われます。
アン・コッカーは2014年に死去しました。ジェームズ・コッカー&サンズは現在、2代目のアレック(”Alec” Cocker-Alexander Cocker:1960- )により運営されています。
Credit
文/田中敏夫
グリーン・ショップ・音ノ葉、ローズ・アドバイザー。
28年間の企業勤務を経て、50歳でバラを主体とした庭づくりに役立ちたいという思いから2001年、バラ苗通販ショップ「グリーンバレー」を創業し、9年間の運営。2010年春より、「グリーン・ショップ・音ノ葉」のローズ・アドバイザーとなり、バラ苗管理を行いながら、バラの楽しみ方や手入れ法、トラブル対策などを店頭でアドバイスする。
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