「家の中に便利かどうかわからない物と、美しいとは思えない物を置かないこと」──。『生活の美』という講演の中で、ウィリアム・モリスはそう述べています。19世紀半ば、イギリスに興った「アーツ・アンド・クラフツ運動」の指導者だったモリス。その生涯と、ガーデナーなら1鉢は欲しいウィリアム・モリス柄の植木鉢をご紹介します。
目次
美少女への恋
![ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ作「プロセルピナ」](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/c81e728d9d4c2f636f067f89cc14862c.jpg)
ジェイン・バーデン、16歳──。貧しい馬丁の娘で、満足な教育もうけていないものの、誰もが目を奪われるほどの美少女。つぶらな瞳、バラ色の厚めの唇、つややかな黒い髪、そしてどこか物憂げな身のこなし……。
オックスフォード大学を出たばかりのウィリアム・モリスは、ジェインにすっかり夢中になってしまいました。しかし、彼は裕福な中産階級の家庭の出身。あまりにも不釣り合いだとして、ジェインへの恋を諦めるようにと忠告する友人もいました。しかし、1858年、モリスは18歳になったジェインに求婚。翌年、オックスフォードの教会で挙式し、2人は幸せな新婚生活を始めました。
美しい花の庭
![モリスのレッドハウス](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/eccbc87e4b5ce2fe28308fd9f2a7baf3-1.jpg)
モリス夫妻は、結婚当初は家具付きの家を借りて暮らしていましたが、やがて友人の建築家が設計してくれたロンドン郊外の新しい家に移りました。その家は、秋になると豊かな実りをもたらしてくれる果樹園の中にあり、既存の樹々を伐採しないでも済むように設計されていました。リンゴの木や梨の木、サクランボの木などに囲まれて暮らす…それはモリスにとって、まさに理想の暮らしでした。
赤レンガ造りの外壁を持つことから「レッドハウス」(赤い館)と名付けられたその新居に、モリスは美しい花の庭をつくりました。ユリ、ヒマワリ、シュウメイギクなど四季折々に咲くさまざまな花、その間に続く緑色の芝生の小径。つるバラを絡ませたトレリスで囲った花壇、そこに咲き乱れる色とりどりの一年草や宿根草……。
![モリスの壁紙](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/a87ff679a2f3e71d9181a67b7542122c.jpg)
それは、園芸にも草花にも深い知識を持っていたモリスでなければつくれない、きわめて独創的な庭でした。そして重要なのは、果樹園に囲まれたこのロマンチックな雰囲気の庭が、モリスのデザイン発想の源泉になっていったということです。例えば、彼が最初にデザインを手がけた壁紙の三部作「トレリス」「ひな菊」「果実」は、いずれもレッドハウスの庭の景観から着想を得たものです。
アーツ・アンド・クラフツ運動
![モリスのデザイン画](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/e4da3b7fbbce2345d7772b0674a318d5.jpg)
レッドハウスにはモリスの友人たちが毎日のように集い、内装を手伝ったり、イギリスに理想社会を実現しようという夢について語り合ったりしていました。オックスフォード大学時代に知り合い、親友となった画家のバーン=ジョーンズ、同じく画家のロセッティ、レッドハウスを設計してくれた建築家のフィリップ・ウェッブ。
![モリスの壁紙](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/1679091c5a880faf6fb5e6087eb1b2dc.jpg)
1861年、彼らは美術工芸家集団「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立。生活の美を追求する「アーツ・アンド・クラフツ」運動を、レッドハウスを拠点として展開してゆくことになります。
植物と相性抜群のモリス柄の鉢が登場!
![モリス柄の植木鉢](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/8f14e45fceea167a5a36dedd4bea2543.jpg)
美しい植物パターンを多数生み出したウィリアム・モリス。そのデザインが植木鉢になって登場しました。代表作の柳やひな菊をモチーフとし、色も植物の瑞々しさが映えるスモーキーカラー、上品なネイビーなど、何を植えても素敵な1鉢に仕上がります。
![モリス柄の植木鉢](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/c9f0f895fb98ab9159f51fd0297e236d.jpg)
![モリス柄の植木鉢](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/45c48cce2e2d7fbdea1afc51c7c6ad26-1.jpg)
「大英帝国」の時代
![レッドハウスのステンドグラス](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/d3d9446802a44259755d38e6d163e820-3.jpg)
さて、モリスたちが活躍の場を広げていこうとしていたのは、折しもイギリスが史上最も繁栄していたヴィクトリア女王治下の「大英帝国」の時代でした。ヨーロッパの辺境の小さな島国を大英帝国にまで押し上げる原動力となったのは、18世紀半ばから19世紀前半にかけて進展した産業革命。紡織機の改良や蒸気機関の発明などにより、イギリスは世界一の工業国となり、世界の工業製品の約50%を生産。経済成長率は毎年50〜60%に達し、加えて世界各地に保有する植民地からも莫大な富がもたらされていました。
1851年5月1日、ヴィクトリア女王ご夫妻臨席のもと、ロンドンで世界初の「ロンドン万国博覧会」が開幕しました。これは大英帝国の繁栄と富を世界に向けて誇示するための一大イベントでした。
繁栄の光と影
しかし、繁栄には必ず負の部分、影の部分がつきまといます。事業の成功で財を成した産業資本家が我が世の春を謳歌する一方、労働者階級は長時間労働と低賃金に喘ぎ、劣悪な環境の中で悲惨な暮らしを強いられていました。幼い子供を安い賃金で働かせる児童労働も深刻な社会問題の一つであり、貧しさの中で風紀は乱れ、モラルも低下。私生児の出生率がきわめて高くなっていました。
園芸都市・江戸
![『東都三十六景 向しま花屋敷七草』絵師/広重(国立国会図書館蔵)](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/6512bd43d9caa6e02c990b0a82652dca-2.jpg)
その頃の日本はといえば、開国か攘夷かで揺れていた幕藩体制の末期。物情騒然としていましたが、しかしその反面、当時の江戸は世界に冠たる園芸都市で、大名や武士はもちろん、貧しい一般庶民や農民までが花づくりを楽しんでいました。1860年、即ち万延元年に来日したイギリスの園芸学者ロバート・フォーチュンは、その様子を目の当たりにしていたく感銘をうけたとみえ、著書にこう記しています。
「日本人の国民性の最も顕著な特長は、下層階級の者までが皆、生来の花好きだということである」
フォーチュンはさらに、こうも記しています。
「花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものであるとすれば、日本の下層階級の人々は、イギリスの同じ階級の人々よりはるかに優っているように見える」
![『三十六花撰 東都入谷朝顔』 絵師/立祥(国立国会図書館蔵)](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/c20ad4d76fe97759aa27a0c99bff6710-2.jpg)
ガーデニングの推奨
19世紀末、モリスたちのアーツ・アンド・クラフツ運動が始まった頃のイギリスで、労働者階級の生活改善とモラルの向上のためにと推奨されたものこそが、園芸、ガーデニングでした。
花が好きになり、ガーデニングにいそしむようになれば、男たちがパブに行って飲んだくれ、生活費を使い果たしてしまうようなことは少なくなるはず。貧しさの度合いは減り、秩序ある生活が戻って、結果的に私生児の出生率も大幅に低減できると考えられたのでした。
![ロンドンのウィンドウボックス](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/c51ce410c124a10e0db5e4b97fc2af39-1.jpg)
労働者階級は2階建ての、時には5階建ての大きな集合住宅に住んでいました。そこで提案されたのが、窓辺にプランターを置いて草花を植え、「窓辺の庭」をつくることでした。「窓辺の庭」の美しさを競い合うフラワーショーが開催され、労働者階級の人々に大量の花のタネや球根を配る試みも実施されました。
自然な彩りの庭づくり
![ガートルード・ジェキルが作ったイングリッシュガーデン](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/aab3238922bcc25a6f606eb525ffdc56-1.jpg)
当時、いわゆるイングリッシュガーデンは、ほぼ形が出来上がっていましたが、外来の珍しい植物を珍重する傾向もまだ残っていました。それに対し、イギリス固有の植物だけを使った自然な彩りの庭づくりを提唱したのがガートルード・ジェキルでした。
ジェキルは画家を志していましたが、モリスたちのアーツ・アンド・クラフツ運動に大きな影響をうけ、刺繍や銀細工などの工芸品づくりにも取りかかっていました。しかし、視力が低下したことからガーデンデザイナーに転身。イギリスに昔から自生していた植物を使った美しい配色の庭を多数手がけました。今日、私たちがイングリッシュガーデンと呼んでいる庭は、ジェキルのつくったスタイルが基本となっています。
自然への深い洞察、草花への愛、美しい暮らしを自らの手でつくり出していこうという態度…ジェキルは多くの点で、モリスと共通する考えとセンスを持っていました。2人はやがて親交を結ぶようになっていきます。
壁紙、家具、刺繍布
![ケルムスコット・マナー](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/9bf31c7ff062936a96d3c8bd1f8f2ff3-1.jpg)
1861年に設立された「モリス・マーシャル・フォークナー商会」は、壁紙、家具、調度、食器、刺繍布などを取り扱い品目として、徐々に顧客層を広げていきました。
![ケルムスコット・マナーの室内](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/c74d97b01eae257e44aa9d5bade97baf-1.jpg)
1862年、第2回ロンドン万国博覧会が開催されると、商会は2つのブースを獲得。ステンドグラス、装飾家具、壁掛け刺繍などを出品しました。それが高く評価され、モリスと仲間たちは教会や公共施設の内装の仕事を次々に受注するようになっていきます。
![ケルムスコット・マナーガーデン](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/70efdf2ec9b086079795c442636b55fb-1.jpg)
苦悩を超えて
![ウィリアム・モリス](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/6f4922f45568161a8cdf4ad2299f6d23-1.jpg)
しかし、モリスの生活は突然、暗転してしまいます。すでに娘2人を生んでいた妻のジェインと画家のロセッティの不倫が始まり、モリスは苦悩のどん底に突き落とされたのです。
ジェインは元々ロセッティが発見し、油絵や素描のモデルにしていた女性でした。彼はモリスと相前後してある女性と結婚しましたが、心の内にはジェインへの恋情を秘め続けていたのでした。
1867年頃、ロセッティはジェインに熱愛を告白する手紙を送り、ジェインは彼の長年の想いを受け入れたらしいのでした。だが、ジェインとロセッティは、夫を裏切っている、友人を裏切っているという罪の意識から逃れることができなかったのでしょう。2人はそれぞれに苦しみ、とくにロセッティは精神を病む寸前まで追い詰められてゆきます。
![バラ ウィリアム・モリス](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/1f0e3dad99908345f7439f8ffabdffc4-1.jpg)
一方、モリスは苦悩から逃れるために、日々熱心に詩作や著述活動に励みました。その必死の努力は、後にアイスランド語の習得と北欧神話の翻訳、ラテン語の古典の翻訳といった広範な著述活動へと発展します。仕事に没頭しているときだけは、怒りや悲しみを忘れることができたのでした。1860年代末から70年代にかけては、モリスの生涯でも最も精力的で多産な時期となりました。
モリスにとってもそうであったように、美しいものはいつの時代も、人の心を癒やし、慰めてくれます。彼が残した作品の数々を今、私たちの暮らしのそばに置いてみませんか。
![モリス柄の植木鉢](https://gardenstory.jp/wp-content/uploads/2021/03/98f13708210194c475687be6106a3b84-1.jpg)
●ウィリアム・モリスの鉢は、ガーデンストーリーウェブショップで取り扱っています。
ガーデンストーリーウェブショップ https://www.gardenstory.shop/shopbrand/ct22/
そのほかの取り扱いショップは下記をご参照ください(店舗によって在庫の鉢のデザインは異なりますのでご確認ください)。
グリーンギャラリーガーデンズ https://gg-gardens.com
京阪園芸ガーデナーズ(大阪府) https://keihan-engei.com
まつおえんげい(京都府) https://matsuoengei.co.jp
ラブリーガーデン(鳥取県) http://www.lovely-garden.jp
Credit
文/岡崎英生(文筆家・園芸家)
早稲田大学文学部フランス文学科卒業。編集者から漫画の原作者、文筆家へ。1996年より長野県松本市内四賀地区にあるクラインガルテン(滞在型市民農園)に通い、この地域に古くから伝わる有機栽培法を学びながら畑づくりを楽しむ。ラベンダーにも造詣が深く、著書に『芳香の大地 ラベンダーと北海道』(ラベンダークラブ刊)、訳書に『ラベンダーとラバンジン』(クリスティアーヌ・ムニエ著、フレグランスジャーナル社刊)など。
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